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父が病気になったとき、私が 父に提案したかった方法は、父自身にしかできない、他の誰も代わりにやってあげられないものでした。私の中では 確信があり、治らないとされている その病でも なんとかなるぞ!と思える、唯一の道筋だったのだけれども。それを、スピリチュアル的な素養のない、しかも ヒトの言うことには 一切耳を傾けない 父に納得してもらえるような 説明をすることが、当時の私には できませんでした。私のアタマの中では その仕組みが 明確なのに、それを、順序だてて、父にも理解してもらえるように組み立てることが、できない。そもそも、核心に触れるような話を始めると、無意識のうちに 察知するのか火がついたように怒り出して、跳ね返される。どうにもできずに、引き下がるしかありませんでした。あれから、もう5年になるけれど。今朝、その仕組みを説明する ものすごくシンプルな表現を、思いつきました。ああ、このように言えば、父にも 理解できたのだろうか。いやいや、このシンプルな道筋を 私自身が 実践できていないのだから、いまの私でも、まだまだ 話を聴いてもらえないだろう。 当時、とても良いアイディアだけはあったもののどうにも 着手すらできなかった ある方法があったことを、今日、思い出しました。あのときは、雲をつかむどころかそのカケラさえ 目にすることは できなかったけれど。いまでも、それは ぼんやりと 存在しているようです。いつか カタチにしたいけれど、死ぬまでに 完成させることは できるのだろうか。ありがとうございます。
2021.02.19
おいおい、父親を 猫sと同じ扱いにするんかい?・・というツッコミは、さておき。ぱなちゃんが お星さまになった、10日後。1年前の今日、2017年12月17日、父が虹の橋を渡っていきました。(あれ?人間も、虹の橋、渡れるのかな)お別れまでは、まだもう少し・・あと数ヶ月から半年くらいは猶予があるはずだったのに。数日間で急激に悪化して、あれよあれよという間にあっさりと旅立っていきました。でもね、さすがですよ。苦しい呼吸の中、意識があるうちに 母を そばに呼び寄せて、「お母さん、長い間ありがとう」 って。それが最後の言葉でした。私、ギリギリまで、いろんなこと いっぱい勉強していたから、もっと いろんなこと、いっぱい できたはずなのに。いざとなったら、なんにも 出来なかったよ。人間って、この世から「肉体的(物質的)に」消え去るのって、とても簡単なんですね。数日もあれば・・・いや、もっと言ってしまえば、ほんの数時間で、その存在が 消えてしまうの。だけど、「社会的に」「存在していない」ことにするのって、とても大変なんだ。こちらから 自主的に action を起こさない限り、その人は、社会的には そのまま 存在し続けていることになる。命の灯は、私たちの意思とは無関係に消えてしまうのに。その人のカタチは、あっというまに なくなってしまったのにね。人間って、なんなんだろう?あ、私は、元気です。ちゅぅちゃんも、元気です。8年くらい前まで、父のいなくなった世界で 自分が生きていかなければならないなんて、怖くて怖くて たまらなくて、想像もできなかったけど。大丈夫。普通に、生きているよ。母(@認知症)なんて、父が いなくなったこと、しょっちゅう 忘れているよ(爆)お父さん、いまごろ、我が家の歴代の猫sに囲まれて、鼻の下を伸ばしているんだろうな。いつものように、「愛い奴め、愛い奴め」って(←時代劇の見過ぎ)1匹ずつ、鼻筋を 撫でてあげているんだろうな。お父さんの膝の上、みんなで取り合いになっているんだろうな。いまは まだ、これ以上 なにも言えないけれど。あなたが いま どこにいても、幸せでありますように。
2018.12.17
悪者になる覚悟って、大事じゃないかなぁ、と、思う。なにも、必ずしも 悪者になる必要はなくて、ただ、「悪者呼ばわりされても構わない」という 強い覚悟を、持つこと。それだけで解決することって、いっぱいある、と、思う。イヤなものをイヤ、やりたくないことを やりたくない、と言えないばかりに、他の誰かや環境のせいにして。言い訳を 失いそうになると、病気まで 引っ張り出してきたりして。ソレから逃げるための言い訳を 必要としなくなれば、言い訳となる状況をつくりだす必要だって、なくなるのに。ただひとこと「やりたくない」と口にする勇気があれば(周りに示しているセルフイメージを捨てさえすれば)そこまで 自分を追い込まずに済むのにね。とってもシンプルなことなのだけれども、自分のコトとなると、気づくのが 難しいんだな、これが。セルフイメージを崩すのは、自分が壊れるのと同じくらい、怖いことだもの。ありがとうございます。
2016.07.01
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