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茗荷が安かったから 買ってきたものの、糠漬けにするか、おそうめんの薬味にするか、くらいしか思いつきませんでした。そこで検索してみたところ、「無限茗荷」なるものが、あるらしい。つくってみました。茗荷を刻んで、塩をして、(たまたま 冷凍してあった)シラスと 混ぜてごま油で和えて、できあがり。(めんどくさいから、写真は略)レシピでは、醤油だの、化学調味料だの、加えるべきものは 他にもあったのですが、私には、これだけで、十分。噂通り、美味しかったー。ちょっと多めにつくったので、残りは 冷蔵庫に入れてあります。茗荷を食べるとモノワスレが激しくなる、とかって、言わなかったっけ?最近、尋常でないくらい いろんなことを忘れる私は、茗荷を食べるべきではないのかもしれないけれど。ネギ系はダメなのに、茗荷とかセロリとかパセリとかは大好きなのよね。茗荷を刻んでいるとき、父のことを 思い出しました。父が入院していたとき、よく、「病院食は マズくて食えない(訳:味付けが薄い)から茗荷の塩漬けを持ってきてくれ」と言われ、せっせと 持って行っていたんです。茗荷を千切りにして 塩をするだけなんですけどね。(あと、梅干も、ね。)病院の食事、ほんとに そんなにマズいのかな?と、父の残りものを つまんでみたことがあるけれど、薄味好きの私には、美味しかった。というよりも、「え?こんなに味が濃くて、いいの?」と驚くくらい、十分な味付けだった。(ふだんの私の食事よりも、よほど 味が濃い。)まあ、父も母も雪国出身だから、どうしても、濃い味のものを 好むのよね。しかたないわよね。入院食と言えばさ、30年近く前になるけれど、母が、糖尿病の教育入院をしたことが ありました。そのとき、やはり、「病院食は マズい(訳:味付けが薄い)」と言って、私や妹に、「梅干を持ってこい」「塩からを持ってこい」と命じ、それに従った私たちは、発覚後、父に怒られたっけ。「なんのために、入院してると思ってるんだ!おまえたちも、お母さんのワガママに 付き合うな!」って。・・・あの母を、そんなワガママ(が許される)人間にしたのは、ほかならぬアンタ(父)じゃないかっと思ったけどね。めんどくさいから、黙ってた。でもさ。お父さんだって、自分が入院したら、結局、同じこと、言ってたじゃないかい。まあ、父の場合は、食事が関係する病気ではなく、お医者さんからは「体力を保つために、何でもいいから、食べたいものを 食べて」と言われていたから、同じ状況ではなかったんですけどね。結局、体力をつけようにも、追いつかなかったけどね。そして 昨年、妹が外傷で入院したときは、やはり「『食べるラー油』を買ってきて」と。なんなんだ?この家族は(笑)!?でも、2ヶ月ほど入院していた妹はほぼ寝たきりだったにも関わらず、6キロ痩せて 出所(← おい、こら)退院してきたから、病院食って、やっぱり 健康食なのね。断食道場みたいなもの(← おい、こら)なのかしらね。そんなんでね(だいぶ 話が逸れたけど)茗荷を刻むたび、父を思い出すわけですよ。茗荷だけではなく、桃を見るたび、梨を見るたび、父を、思い出します。食欲が落ちた父のために、あの頃、よく、桃やら梨やらを切って、タッパに詰めて、持って行っていたから。私の手元には、父の位牌も遺骨もないけれど、美味しいお酒を買ってくれば、いつも先祖供養に使っている短冊の前に、お供えします。(お茶を飲むときも、珈琲を飲むときも、ね。)なんか、私、ちゅぅちゃんとか、お父さんとか、いなくなったひとばかりを見ているようだけど。配偶者(私から見ると、母)ですら、その存在を忘れてしまっている様子を見ていると、ね。※ 母は認知症だから、下手に父のことを思い出すと「パパ、どこ?」と 言い出すので、めんどくさいのだけど。デイサービスに新しいBFができて、元気に やっています(爆)後ろ向きでも なんでもいいから、この世界から 物体として消えてしまった存在を身近に感じているヤツが、ひとりくらいいても、いいんじゃないのかな。そんなふうに、思うのです。ありがとうございます。
2021.09.23
美容院、7~8年通っていたところがあったのですが、替えることにしました。なんとなく雰囲気の良さそうなところを 見つけ、とりあえず 1度 行ってみることに。私の希望を伝え、相談し、お願いした通りに カットしてもらえたのは良かったのだけど・・・髪に残る、シャンプーの香りでしょうか。それとも、髪を乾かす前につけてくれた、洗い流さないトリートメントの香りでしょうか。苦手な香りではないし、むしろ 万人に好まれるような 良い香りです。だけど、香りそのもの、というよりも、香料なのか、はたまた そこに含まれている成分なのか、とにかく、なんらかのモノに、私の鼻が? 脳が? 反応しているらしい。お店を出た直後から、香りに まとわりつかれている感じが気になってはいたのですが、そこから 我慢しつつ 過ごすこと、数時間。give up!とうとう 気持ち悪くなってしまって、お風呂に飛び込み、本日2回目のシャンプーで香りを 洗い流しました。だって、ちょっと頭を振る(首を回す)だけで、香りが 一歩遅れて 覆いかぶさってくるんだもの。ここ数年は、通りすがりの人や、そばを通った お宅の洗濯物の、柔軟剤の強い香りに襲い掛かられて、思わず 息を止めることも 多かったのだけど。シャンプーまでNGになると、辛いなあ。いままでの美容院のシャンプーでは気持ち悪くなることは なかったんですけどねぇ。(あの香りと、今回の香り、たいして変わらないような・・・)今回のシャンプーやトリートメントだって、そこまで強い香りでも なかったんですけどねぇ。ふだん、坊ちゃん石鹸で シャンプーして玄米黒酢で リンスしているからかしらねぇ。 自宅で たまに使う シャンプーだったら、大丈夫なんだけどねぇ。↑これ、頭皮の匂いが気になるときに 使うと、スゴイよ。汗臭さとか(もしかしたら、加齢臭もかっ!?)、気にならなくなるよ。この夏、だいぶ お世話になりました。結構 スパイシーな香りは するんだけど、これは、大丈夫だった。↓そうそう、冬の間 使っていた、これも、大丈夫だった。いったい、なにが、違うんでしょうねぇ。あーあ。タバコや柔軟剤のニオイなら まだしも、いままでだったら 気にならなかったであろう美容室のシャンプー程度の 人工的な香りにまで、反応するようになってしまって。私、この先、大丈夫だろうか。このまま、街の中で 生きていけるのだろうか。ちょっと心配になってきました。ありがとうございます。
2021.09.22
グゥーグゥルー ホッホホー(ファーミ ラッララー)窓の外から、またまた 鳩の鳴き声が 聞こえてきました。ああ、いい声。たまらず、カーテンの隙間から ベランダの向こうをこっそり 覗いてみますと、例の場所に、鳩さんが座り込んでいます。ああ、あの柄、たぶん、あの べっぴん鳩さんだ・・・べっぴん鳩さんは、2週間ほど前に やってきて以来、あれっきり 姿を見せていませんでしたが、なぜか また、偵察に来たようです。もしかして?せっかく良い場所を見つけたんだけど、ヘンなおばちゃんがいるからなぁ。あのおばちゃん、まだ いるのかなぁ。ちょっと 試してみよう。そんな感じで、あの場所に座り、鳴いてみたのでしょうか?ヘンなおばちゃん、ワナに引っかかって、すぐさま ベランダを覗きに 行っちゃったよ。鳩の鳴き声は、おばちゃんホイホイ。今回も やはり、偵察だったようです。私は こっそり覗いたつもりだったのにこっちを向いて座っていた べっぴん鳩さんに見つかったようで、鳴き声は すぐに 止んでしまいました。数分後、ふたたび 外を見てみると、べっぴん鳩さんの姿は ありませんでした。まあね。巣をつくってほしくない(巣はつくってほしいけど、無事に飛び立てる可能性がゼロに近い)のだから、巣除けの番人としては、最適かしらね。自分が、ムカシのマンガに 出てきたようなハゲちょびんのガミガミおやじになったようで、ちょっと悲しいです。ありがとうございます。
2021.09.08
グゥーグゥルー ホッホホー(ファーミ ラッララー)鳩の優しい声が、やけに近くから聴こえてきます。も、もしや・・?と、カーテンの隙間から こっそり 外を見てみると、ベランダの向こうの、あの電信柱の あの場所に鳩が座り込んでいました。小さくて、柄のキレイな・・・たぶん、あの べっぴん鳩さんだ!避難から、ほぼ1ヶ月。あの後、この地域では たいしたことはなかったものの、台風やら大雨やらありましたのでね。避難してくれて、よかった。どこかで元気に 子育てしていてくれたらいいな、と 思っていたんですけど。もしかして、また ココに巣をつくろうとしている?うーむむむ。たしかに、小枝の残骸は、まだ残っています。ここから再構築するのが 手っ取り早いのも、わかります。この電信柱は なかなかの人気物件らしくて先日は カラスも、チラッと下見に来ていましたが、カラス界では「あそこは、あかん」という事故物件扱いになっているらしく、ご成約には至らなかった模様。もちろん、巣をつくり始めたら、いつものように「ココは、やめとけ!」と 全力で説得しますけどね。それしても、あの べっぴん鳩さん、前の卵は どうしたんだろう。なんらかの事情で ダメになってしまって、また新しい巣をつくりに来たのかな。そもそも、鳩って、そんなに短期間に ぽんぽん卵を産めるものなの・・??実は、さきほど 外を覗いたとき、こちら側を向いて座っていた鳩さんと、バッチリ 目が合ってしまったのです。私は すぐに 引っ込み、べっぴんさんは、その後も しばらく そこに座って心地よい声で鳴いていましたが、数分後、パタパタと 飛び立っていきました。せっかく巣をつくって 子育てを始めても、また誰かに通報されて 途中で 撤去されてしまう可能性が高いのだから。あの場所での巣作りは やめさせることが、なんといっても 鳩さんのために、良いのですけどね。あの べっぴん鳩さんが また来てくれてちょっと嬉しく思ってしまっているのも、事実。いや、いや、いかん。悲しい想いをさせないためにも、断固として巣作りは阻止せねば。あっちに こっちに、心ざわめく夏の終わりです。・・・まだまだ残暑厳しいけれど。ありがとうございます。
2021.08.24
今日8月21日は、「献血の日」だそうです。常日頃、献血に関して 思っていることがあるのですが・・・(スタッフさんにも 直接 何度も 言っているし、たぶん、このブログのどこかで、前にも書いていると思う)献血に対して積極的ではない人々に「献血してください!」と呼びかけるよりも、献血大好き、もっとしたい!という層の 年間献血可能量を増やせばいいのに。私は、諸事情により、もう全血献血しかできないので年に2回、年間800mlまでしか 献血できません。(成分献血は、受付の時点で、アチラから断られる。)この基準を定めた時代と現代とでは体格や栄養状態なども異なるでしょうから、1人当たりの年間採血量(つまり、回数)を増やしても問題ないのでは?と、思うのです。たかが400ml 抜いたくらいで、回復するまでに半年もかからないでしょ。どうせ事前に検査をするのだし、量や回数は 各自選べるのだから、最大可能量だけを大幅にアップして、その中で、検査を通った人だけが 基準に適合した量を 提供すれば良いだけなんだもん。少量を大勢から かき集めるよりも、ある程度安全だとわかっている1人から たくさん採った方が、血液を必要としている人のためにも良いでしょうし。献血可能量を増やすデメリットって、あるのかな。たまに、献血ルームの受付で、体重が少なくて200mlを希望する女性が「本日の200mlは終了しました」と告げられて残念そうに帰っていく姿を、見かけます。(私の体重、20キロくらい、分けてあげたくなる。)200mlよりも400mlを、という理由は わかるので、ならば よけいに、献血可能量を増やして、採られたいひとから 採ればいいのにさ。私が献血を始めたのは、献血バスが主流だった時代。献血をしたところで、200mlパックのジュースを1本もらえるだけでしたが、それで 十分でした。いまは、献血ルームのサービスが 過剰なほど充実しています。裏を返せば、そうでもしないと 献血志願者が集まらないのかもしれないけれど。それだって、「献血大好き」な人々を ターゲットに絞れば、そんなもんなくても 好き好んで 献血に来るのだから、お菓子やら飲料やらお土産やらの経費だってかなり節減できますよね。わざわざスタッフの方が 街頭に立って暑い中、寒い中、雨の中・・・ 献血を呼びかけなくても、勝手に 提供希望者が集まってくると思うのです。つい先日も、駅前で献血バスを見かけ、「あ、できるかも?」と、献血カードを確認しましたが、次回の献血可能日は、10月。小雨の降る中、プラカードを持って献血を呼びかけるスタッフさんの前を、頭を下げ、肩身の狭い想いで、通り抜けました。とはいえ、求められているのは、こんな おばちゃんの アブラにまみれた血液ではなくて若くてピチピチした血液なのでしょうね。だけど、もっとたくさん献血しても良くしてくれるなら、血液をキレイにするために、玉ねぎ、食べるよ?(笑)※自分で食べられるレベルまで小さく切って火を通した自作玉ねぎ料理に限る。もはや 吸血鬼にも襲ってもらえないどころか避けて逃げられるであろう、血管は細いけれど 体型と神経は ずぶとくなった おばちゃんの、「献血の日」に当たっての 涙の訴えでした。ありがとうございます。
2021.08.21
毎日 こっそりと見守ってきた、鳩の巣ですが・・・今朝、洗濯物を干しに ベランダへ出てみると、お母さん鳩の姿が ありませんでした。明日は台風になるらしいけど、大丈夫かな?と、気になっていましてね。巣は、いかにも急ごしらえ、という感じ、おまけに、風通しは良すぎるほど 良い場所ですから、台風なんか来たら、すっ飛んでいくのでは?・・と。台風の間だけなら、一時避難所として、ウチのベランダの室外機の下のスペースを貸してあげてもいいんですけどね。さすがに 鳩とは 会話ができないし、手が届く場所でもないから、勝手に 避難させられないし。ひとりで、気を揉んでいました。が、鳩のお母さん、いつまで待っても 帰ってきません。こんなに長時間、卵を放っておいて、大丈夫?もともと ウチのベランダからは、背伸びしても、巣の中が見えるかどうか・・といったところでした。先日、お母さん鳩が留守の間に、思いっきり つま先立ちになってチラッと 覗いてみた限りでは、卵らしき白いものが、1個?2個?見えたような・・・卵だと期待して見るから、そう見えるだけ、のような・・・そんな感じでした。お母さん鳩は 帰ってこないし、卵が無事なのかどうか、今日は、どうしても気になるので、さきほど、踏み台を持って来て!巣の中を覗いてみました。・・・ 卵は、ありませんでした。ああ。鳩ファミリー、避難したのかなあ。お昼前くらいから 風が強くなってきましたので、台風の襲来を察知したのかもしれません。もしかしたら、1週間弱、あの巣で過ごしてみて、あまりの日当たりの良さに、「やってられんわ!」と新たな場所へ お引っ越しをしたのかもしれません。まさか、私が 興味津々で チラ見しているのがウザくて、逃げちゃった・・・?(気を遣って、洗濯の回数を減らしたり、なるべくベランダに出ないようにしたり、していたんだけどな。)卵を移動するなんて、できるのかしら?鳥の爪でつかんだら、割れちゃったりしないのかしら?という疑問は、あったんですけどね。自分の卵くらいは、自分で運べるようなカラダのつくりになっているはずですよね、普通に考えて。でないと、何が起こるかわからない自然界、子孫を残すのに 効率が悪すぎますもの。親猫が、子猫の首根っこをくわえて 運ぶように、鳩は鳩の、卵の上手な持ち運び方が あるのでしょう。たしか、以前 カラスが巣をつくったときには、お母さんカラス、大雨の中でも じっと 座ったまま卵を守っていたんです。だけど、台風ともなれば、小さな鳩では ひとたまりもないかも・・と心配していたので、安全な場所を見つけて お引越しをされたなら、それは それで 良かった、と、思います。うわ、こんな小さなコが、卵を産んで、雛を育てるんだ?と 驚いたくらい、小柄な、そして キレイな柄のべっぴん鳩さんでした。無事に台風を乗り切って、引き続き 元気でいてくれることを、祈っています。ありがとうございます。
2021.07.26
ちゅぅちゃんに、お花をお供えしています。もちろん、ちゅぅちゃんは 花よりお魚、ですから、私の気休めでしかないんですけどね。ちゅぅちゃんに、お花をあげましょー♪ちゅぅちゃんは、お花は どっちでもいいと 思ってるけどお花を あげましょー♪と 歌いながら、お花を お供えしています。どっちでもいいんですよ。ちゅぅちゃんは、私がご機嫌でいることを望んでいるのだから。で、前のカーネーションが 枯れてきたので、今日、小さな向日葵を 買ってきました。周りを覆っていたセロファンを 外すと・・・一瞬、向日葵の匂いが、鼻をかすめました。あ、向日葵の匂いがした・・?と、もう一度 鼻を近づけてみたけれど、もう わからなくなっていました。ほんの一瞬だけ存在した 香りでした。ちゅぅちゃんは、赤や黄色が すごく 似合っていました。向日葵も、お似合いです。ありがとうございます。
2021.05.31
買い物に出たついでに 少し 遠回りしたら、以前 通勤で歩いていた道に 出ました。あったはずの家が 忽然と姿を消していたり、新しい建物が できていたり、で、数ヶ月で、なんか ずいぶん、景色が 変わってる。交差点の手前の、中華料理屋さん。昨年から ずっと、たまに通ると「コロナのため休業します」という貼り紙がしてあったんです。別ルートで、「閉店したらしい」との情報は入ってきていたのだけれども、ご本人(ご本店)が「休業」と言っている以上は「そのうち再開するんだ」と信じて、ひそかに 望みをつないでいました。でも、今日は、その貼り紙に はっきりと「閉店しました。37年間のご愛顧ありがとうございました。」と、書いてあったんです。あーあ。待っていたんだけどな。いつ決断されたのだろう。いつのまにか 貼り替えられていた 貼り紙に、胸が痛くなりました。そこね、ラーメン屋さんではなく 本格的な中華料理屋さんで、とても 美味しかったんです。お値段 ちょっとお高め、ひと皿の量も多いから、大食いの私でも、一度に そうそう何品もは 注文できなかったけれど、シューマイとエビチリ、チャーハンが お気に入りでした。もちろん、紹興酒を飲みながら。お店の雰囲気も良く、店員さんも とっても感じの良い方でね。本来は ひとりでは入りにくいようなお店なのに、仕事帰りに ふらっと立ち寄る私をいつも 温かく 迎えてくださったんです。「店名は、シェフの下のお名前なんですか?」と聞いてみよう、と 思いつつ、結局 聞きそびれたままに なってしまいました。ご予約のお客さんも 多かった様子だったので、ファンが、たくさんいたはず。でも、このような状況下、あれだけのお店を維持していくのは 大変だったのでしょう。残念でなりません。いままで、どうもありがとうございました。お店の皆さま、どうか お元気でいてくださいますように。でも!いつか!!可能ならば、ぜひ、ふたたび お店を開けてくださいね。ありがとうございます。
2021.05.25
時間が取れたので、録画が溜まっていた「珈琲いかがでしょう」を、久しぶりに 観ました。これ、中村倫也さん目当てで 観始めたものの、最初のうちは、出てくる女性ゲストのキャラクターにイライラしてしまって、「録画するの、止めようかな」と思ったほど。・・・なーんて話を妹としていたら、なんと妹は、彼女らのことが 他人事とは思えなくて涙しながら観ていた、とのこと。嗚呼。OLさんを卒業し、おばちゃんを 既に通り越していつのまにか おじさんになってしまっていた私には、若き女性の心の震えには ビタ一文 共感できなくなったらしい。それでも、滝藤賢一さんが ゲストで出てきたあたりからようやく 私の中で盛り返してきたので、自分のペースで 観ています。野間口徹さんが 家に帰り、料理しながら「今日、まいったよー」と 背後にいるらしき人物に話し掛けた その瞬間に、察しました。その相手は、もう この世にはいない、と。その後、奥さんらしき女性が 何度も 姿をあらわしたけれど、ううん、このひとは、もういない、と確信していました。野間口さんが 彼女相手に 普通に会話しているように、わたしも 毎日、ちゅぅちゃん相手に会話をしているから。毎日 自分のごはんを用意するときにちゅぅちゃんの大好きなお刺身を お皿に入れて、一緒に「いただきます」をしているから。ちゅぅちゃんも、あの奥さんと同じように、普通に 私に言葉を返してくれるんだよ。うちも、もうすぐ1年になるんです。ちゅぅちゃんは 飲まないけれど、珈琲を1杯、淹れました。ありがとうございます。
2021.05.22
洗濯の予定のため 天気予報をチェックすると、ここから先、曇りと雨の日が続くようです。もう、梅雨?GWが終わったばかりなのに?梅雨、といえば6月のイメージなのですが、この頃は、夏休みが始まる頃になっても まだすっきりしないお天気が続くこともあったりして。夏は 年々 暑さが増していくし(ムカシは「冷夏」と言われる年もあったのに)冬は 暖かくなっていくし、私が子供の頃とは、ずいぶん変わったなーと、思います。曇りが多くなると、気分も沈みがちになりますが、ちょっと いいことも。湿気が多い日に ちゅぅちゃんのお昼寝部屋に入ると、ほのかに ちゅぅちゃんの匂いがするんです。最後の2年くらいは、ちゅぅちゃん、ほとんどの時間をこの部屋で過ごすようになっていたし、起き上がれなくなる前の数週間は、なぜか この部屋の隅っこの角に 頭を押し付けて寝ていることが、多かったからかな。私は それを「ふて寝」と呼んでいたのだけど、ほんとは、そこに頭を押し付けたくなるくらい息が苦しかったのかな。↑ 脚に力が入らなくなって 寝返りできなくなっちゃったから、寝やすいように、お手製のクッションを いくつも 差し入れて調整してた。その一角は、ちゅぅちゃんのイロイロで汚れてしまっているのですが、いまだに ちゃんと お掃除できていないんです。「早く掃除しないと 落ちなくなっちゃうな」と、ちゅぅちゃんが いるときには、彼女が ベッドに戻った隙にこまめに 拭き取ったりしていたのだけど。いざ、ちゅぅちゃんが いなくなったら、お掃除できなくなってしまった。なんだか ちゅぅちゃんのいた痕跡を消すみたいで、ね。どうせ、誰も この部屋に入れないし、私、ここに一生住むから、いいや。そんなわけで、湿気の多い日には、ちゅぅちゃんの イロイロの匂いが、ほんのわずか、たぶん 他のひとには わからないくらい 微かに、感じられるんです。そういう、動物の匂いが 残っている、だなんて、きれい好きの方には きっと 卒倒したくなるようなことなのでしょうけど、私にとっては、ちゅぅちゃんの匂いが ほんの少しでも 残っているのは、嬉しいこと。そのたびに、涙ぼろぼろなんだけどね。もう11ヶ月 経ったけれど、悲しみって、薄まらないんだな。毎日 ちゅぅちゃんと 普通に話しているし、ときどき 夢にも 出てきてくれるし、ちゅぅちゃんとの関係は どんどん 変化していくけれど。悲しさの濃さ、というのは、薄くならないんだな。思い出すと 止まらなくなるだけで、ふだんは 元気にしているから、大丈夫ですよ。ありがとうございます。
2021.05.17
ウチのベランダの近くに 電信柱があり、何年かに 一度、そこに カラスが巣を つくっていました。最初は、感電したら危ないから・・とカラスが 巣材を集め始めて すぐに 東京電力に 電話したんですけどね。「順番がありますから、すぐには行けません」と言われたきり、ずーっと 音沙汰なし。雛が生まれ、順調に育ち、あと少しで 巣立ち?というところまで、大きくなって。「こんなことなら、あと少しの間、放っておいてくれ」と願っていたのに、ある日 突然、撤去されてしまいました。その日 帰宅して ベランダに出てみると、まるで 巣なんかなかったかのように、片付いていて。あの子たちは どうなったんだろう、親御さんは どんな気持ちでいるんだろうと、かなりショックを受けました。だって、雨の日も 風の日も、カラスのお母さんは卵を 温め続けていてね。無事に 卵が孵ってからは、もう大忙し。ヒヨコのような鳴き声の雛たちに、何往復もして ごはんを 運んで。お母さん、私が 洗濯物を干しに ベランダへ出るたびに警戒するもんだから、ベランダに出るときにもそっちには視線を向けないようにして、興味がないふりをして・・・そうこうするうちに、あちらも、こちらが 危害を加えるつもりは ない、とわかってくれたみたいでした。「毎日 大変ね」とか「大きくなったね」とか話しかけたりして。つかず 離れず(っていうか、近づきようがないんだけど)なんだか、赤ちゃんが成長するのを 心待ちにしている近所のおばちゃんのような気分になって、カラスの一家を 見守っていました。だから、タイミングの悪い撤去に、しかたがないこととはいえ、かなりのショックを受けたのを覚えています。それ以来、私は、カラスが 電柱に 巣をつくり始めるとベランダから 身を乗り出して、カラスに 訴えるようになりました。「悪いことは言わないから、やめときな!ここは、巣をつくっても、撤去されちゃうの。絶対に、やめておいた方が いいよ。」カラスは アタマが良いはずなんだけど、聞き分けは 良くないのかしらね。その電信柱、人気の物件のようで、私の説得も空しくその後も 何度か、カラスの入居がありました。私は もう 東京電力に連絡することは ありませんでしたが、マンションだらけの この地域、ウチよりも高い階からならば、お向かいからだって丸見えで、たぶん 誰かが 通報するのでしょう。巣が完成して、雛が生まれて、育って、あと少しで・・・そのあたりで 撤去される、ということが、その後も ありました。そのうち、私の説得が 届いたのでしょうか。それよりも、「あそこは条件は良いが 闇物件だぞ」という噂が 広まったのかもしれません。今年も 一度、カラスが下見に来ている姿を 見かけましたが、(もちろん、すぐさま 説得)結局 巣がつくられることは、ありませんでした。いまは、そのスペースは、スズメの休憩地になっているようです。たまに、ちゅんちゅん、と、声が聴こえます。知らずに 私が ベランダに出ると、慌てて 逃げていくことも。そういえば、20年前は、電線に止まった スズメたちに、ウチの ちゅんちゅん(ちゅぅちゃん)が からかわれていたっけ。スズメが 電信柱で休んでいる姿を見ると、思い出します。あのときの、カラスの赤ちゃん、かわいかったな。自分とは まったく関係のない存在でも、生き物が育っていく様子、というのにはなにか 訴えかけてくるものが あり、応援したくなるんですね。巣が つくられなくなって、ホッとすると同時に、ほんの少し 寂しくなっている 自分も いるけれど、生まれたからには、ちゃんと 育って大人になってほしいから。もう ここには 巣をつくることがないように、祈るばかりです。ありがとうございます。
2021.05.07
佐川急便から、携帯に、メッセージが届きました。「佐川急便よりお荷物のお届けに上がりましたが宛先不明の為持ち帰りました。」もちろん、その下には、怪しいurlが付いています。ブブー。佐川さん、こんな時間には 配達に来ないよ。Eさん(軽い荷物)のときは、11時頃。Oさん(重い荷物)のときは、18時頃。だいたい 配達時間、決まっているんだからさ。それに、宛先不明なら、なんで、私の携帯に連絡来るのさ?(まあ、私宛の荷物で 送り状に電話番号も書いてあるけど、記載されている住所に 該当するお宅がありませんでした、って意味なんでしょうけど。)もともと、そういう ショートメールを使った 詐欺が 頻発しているのは 知っていたので、もちろん 無視しました。こんなの、引っかかる人、いるのかな・・・と 呆れつつも、ふと、思ったのです。私が、「怪しいぞ」と思ったのは、自分の中で、自分の育てたアラームが鳴ったから。(ちょっと おおげさだけど。)このようなとき、自分の警戒網に引っかかるから「怪しい」→ 「調べてみるか」→「ほら やっぱり詐欺だ」となるんですよね。でも それは、あくまで 自分の知っている範囲・分野で 起こったことだから、アラームが鳴っただけ。もし、「こういう詐欺がある」ということを知らなかったら?「怪しいurlは クリックするな」「心当たりのない添付ファイルは開くな」いくら、そう言われたって、なにが 怪しいのかその基準がわからないことには、「怪しい」とは 気づかないわけで。たとえば、信頼している人の言うことだったらわりと 簡単に 信用してしまう習性のある私は、そのへんが 危ない、崩れやすいポイントなのかもしれない。(私の信頼する皆さん、騙さないでね。)自分の中のアラームの感度を 高めていけば騙されにくくなるのでしょうけど。高めすぎても、生きていくのが 大変になりそうだ。たぶん。いまだって、外に出れば、かなり 構えて 生きているもの。(だから、どんどん キツイ顔立ちになっている。)書くのが 面倒になったから、このへんで やめておくけど。(おい)そうなのよ。最近、書いているうちに、飽きちゃうのよ。※「文章が長いから、書いてて飽きるんだよ」というご指摘は謹んで ありがたく 頂戴いたしません。(こら)1通の詐欺メールから、次から 次へと いろいろなことを 考えた夕暮れでした。ありがとうございます。
2021.05.03
今日、買い物帰りに、マンションとマンションの間の一方通行の細い道路で自転車の練習をしている兄妹を、見かけました。自転車に乗っているのは、小学校低~中学年くらいの、女の子。ふらつかないよう 荷台を押さえながら自転車の後ろを走ってついていく お兄ちゃんは、高校生くらいでしょうか。2人の姿に、「私も、子供の頃、お父さんと一緒に練習したな」と 懐かしくなりました。私が子供の頃に住んでいた場所は自転車の練習をする場所なんて たくさん あったけど、いまの時代、そして この近辺ではそんなスペースにも 恵まれていなさそうです。きっと、人通りの少なくなる時間帯を狙い、暗くなってから 練習を始めたのでしょう。自転車って、ゆっくり・・・よりもある程度 スピードを出して走った方が、バランスは安定するんですよね。走り始めは よろよろと ふらついていた 妹さんも、勢いがついてくると、するすると スピードが乗ってきます。それでも まだ 手を放せる段階ではないようで、お兄ちゃんも、荷台をつかんだまま、自転車と一緒に、走る、走る、走る、走る。うわあ、お兄ちゃん、大変だ!私のときは 父が 教えてくれたから、子供が ちょろちょろと走る自転車を 押さえるのはそこまで 息がきれるほどでもなかったかもしれませんが。あれから40年以上経った いま、そのお兄ちゃんの 一生懸命な姿を目の当たりにして 初めて、私は、「後ろでサポートする人」の大変さを知ったのでした。お父さん、いまさらで、ごめん。。。(しかも、もうこの世には、いない。。。)私が その道路を端から端まで通り抜ける間に、あっちまで走った兄妹は、向きを変えてこっちへ 戻ってきました。ひとりで乗れるようになるまで、あと どれくらいかな。子供だもん、カラダで覚えるのも、早いよね。きっと。なんだか、この通りだけ、昭和に戻ったようなほのかな 温かさを感じながら、私は 角を曲がりました。早く乗れるようになるといいね。そういえば、私、もう10年以上自転車に乗っていないけど、大丈夫かな。まだ 乗れるかな(汗)ありがとうございます。
2021.04.30
録画してあったワイドナショーを見ていたのですが、フクダマキさん(「なんでカタカナなん?」とか言われそう)の話を聴いていた 松本さんの表情に、胸が詰まって 泣きそうになってしまいました。ものすごく真剣な目で マキさんの話を聴き、アドバイス、というか ご自分の見解を述べている その姿が、生徒の進路相談にのっている先生みたいで、ね。ちょうど今朝方、客先対応で困って助けを求めている私を 見ないふりしてとっとと帰ってしまう上司・・・という 前の勤務先の夢を、見たからかもしれません。もう辞めて1年以上 経つのに、いまだにいろいろな人物が夢に登場してきては、苦しくなって。ときには、自分の叫び声で、目が覚める。その夢のこと、起き上がってからは すっかり 忘れていたのだけど、ワイドナショーで見た 松本さんの表情に私の中で眠っていた あの夢に象徴される過去の経験が、反応して、涙が出てきそうになったのでしょう。そのあたりの場面を見ていて 思ったのは・・・ドラマにしろ、バラエティー番組にしろ、日常生活にしろ、それを見ている側が 見ているものは、そこで起こっている(起こしている)もの そのものではなく、それを通して刺激される、自分の過去の経験とそれに伴う感情なのではないだろうか?ということ。投影、ってヤツ?私たちは、なにかを見ているようでいて、実際のところは、自分の中にあるナニカを映し出しているだけなのかもしれない。トシをとると 涙もろくなる、というのは、自分の中の引出(経験)が増えたために外からの刺激に反応しやすくなった結果なのでしょう。最近、TVを見ていても、本を読んでいても、ほんのちょっとした場面を きっかけに、過去の ある一場面と、そのときの自分の誤ったふるまいが呼び覚まされて、チクリと胸が痛くなる、ということが、とても 多いです。ある意味、走馬灯のようなものなのかもしれません。何年もかけて、整理しているのかな。ホンモノは、一瞬で終わるらしいけどね。ワイドナショー、好きなんです。いろいろな人の いろいろな意見が 聴けるから。なんか イケスカナイなーと感じていた人でも、お話を聴いていると 意外な一面が見えてきたりして、食わず嫌い芸能人矯正番組としての役割も。私が「ワイドナショーの良心」と呼んでいる 犬塚先生も、たまには 前に出てきて、ご自分の意見をお話ししていただきたいな。あとね、ご本人は絶対に 嫌がるでしょうけど・・・今日の あの場面を見て、松本さんが、ボケなしに、真剣に、まぜっかえさずに若手~中堅芸人の悩み相談にのる、なんていう番組を、観てみたくなりました。中居くんと2人でやった、あの番組で、ゲストを1人ずつ呼んで、3人で じっくり語り合うっていうの、やってくれないかなー。3年くらい前に ようやく、録画機能のついたテレビに 買い替えたんですけどね。(母が来たときのために、「笑点」と「相棒」が詰まってる)録画できる、って、便利だわー!!うん、いまさら。ありがとうございます。
2021.04.18
ちゅぅちゃんにしろ、父にしろ、その線のあちら側へ行ってしまった存在の声が聴こえてくることが、ある。正確に言えば、声ではない。聴こえてくるのでもない。言葉。わたしの脳に 語りかけてくる、なんらかの言葉。それは、わたしの思い込みなのかもしれない。わたしの願望なのかもしれない。それでも、彼らは、はっきりと 言葉にして 送ってくる。わたしは、それを、ふふっと笑って、受けとる。いつか わたしも、その線の あちら側からこの世に残った 誰かに、語りかけるのだろうか。そのとき わたしは 誰に、なにを言うのだろうか。ありがとうございます。
2021.04.13
大筋では、あるいは いくつかの点においては、望んでいたような流れになっている・・・はず。なのに、そのことに 気づけない、喜んでいない、苦しさやしんどさの方が強い、というのは、自分の持つ枠組みが、古くなっているからなのでは?そんな枠組みの存在に気づき、考えてみる。これまで 自分にとって 当然であったことが果たして 本当に 正しいのか?これまで あたりまえのようにしてきたこと、感じてきたことが、もうすでに いまの自分にとっては 合わないものになっていたのでは?きのう、今日あたりからふたたび エンジンがかかってきたようなのですが、自分が どうにも つかみどころのないものであるように感じています。自分が アタリをつけていたことが、なんか、違う。いままでの自分の感覚では、把握しきれない。霧が晴れるきっかけとなったのは、瞑想、そしてハーブ。自分を立て直すツールは いくつも 持っているのに、そこまで這いつくばって たどりつこうとする気力すらないときは、どうしようもないんだけどね。これもまた、覚書。ありがとうございます。
2021.04.04
なにが なんだか わからないまま、どうにも 調子が悪くて、しばらく 鬱鬱と 潜っていました。文章を書く気にもなれなかったのだから、相当なもんです。でも、正確に言うと、「調子が悪い」というのとも、ちょっと 違うんだ。ちゅぅちゃんが いなくなってからというもの、生きる意欲全般が薄くなっているのは 確かだけれども、一時は上向いていたカーブも、急下降。あらゆることに対する意欲というものが、全然 湧きおこらなくなっていて。なんにも、したくない。なんにも、できない。いまは 極力 自分自身に なにかを強いらないようにしているので、これを機に、この状態を放置していたら 意欲は 湧いてくるものなのか?という実験。・・・なんていうふうに考える意欲さえもなくて。小さな波が、繰り返し 不規則に やってくる中、なにが 気持ち悪いのか、ずっと わからなかった。いまの自分=「調子が悪い」というラベルが まぁ なんとか いちばん近いのだけれども、なんか 違うんだ。ああ、そうか。わたしは、自分に ラベルを貼れないでいること=いまの自分の状態を把握できずにいることを、気持ち悪く思っていたのかー。ということは、わたし、いつも 無意識のうちに自分で 自分にラベルを貼って生きていたんだなー。大きなラベルも。小さなラベルも。小さなラベルが 何重にも 貼り重ねられた結果、大きなラベルになったものも あるかもしれない。外から貼られたラベルを 保つために自分で 内側からも 補強していた。そんなラベルも あったかもしれない。これは 単なる一例なのだけれども、時折やってくる ほんの小さな気づきに つかまりながらなんとか 息継ぎをして、波の狭間を 漂っていました。気づいては 沈み、気づいては 沈み・・・わたしは これまで「待つ」ということが 苦手だったから。部屋のお片付けは苦手なくせに、内面の問題に関しては、すぐさま整理整頓せずには いられなかったから。図らずも この状態は、「思いっきり 待ってみる」という練習になっていたのかもしれない。結局、もとから予定していた いくつかの‘外圧’によってふたたび 活動を起こさざるを得なくなったのですが。それによっても、また、ふだん 自分が いかに外からの働きかけによって 動いているのか? ということに気づいて、ちょっとヘコむ。内側からの衝動に従うなんていうのが可能なのは 瞑想の中だけなのか?とか。でも、自分の内側に向かいたくない、触れたくないときだって あるんだから、もう しかたがない。やりたくないことは、やらない。外側からの刺激(「人間関係」とも言う)から 自分を切り離すことで、他者からの影響が薄らぐ分、自分自身が ダイレクトに見えるようになる。自分自身を守る必要がなくなる分、どんどん 自分が むき出しになっていく。ちょっとしたことにおける ちょっとした自分自身の反応にも敏感になっていく。それは、わたしの望んでいた生き方でもある一方で、しんどいことでも、ある。でも、それを きっかけに、ちょっとだけ なにかを 掴む。・・・覚書でした。ありがとうございます。
2021.03.30
5~6年前までは、ちゅぅちゃんの寝場所で 春の訪れを感じていました。ちゅぅちゃんが 朝、私の寝室で ひなたぼっこをするようになると、もう春なんだ、と。あと、毛。ちゅぅちゃんの抜け毛の量で 季節の変わり目を 感じていたな。♪季節の変わり目を♪あなたの抜け毛で知るなんて・・と 歌いながら、ブラッシングしていたよね。ここ1週間くらいでしょうか。ベランダに干した洗濯ものを 取り込む時間が 早くなりました。外は まだまだ明るいんだけどね。明るいうちに、取り込める。冬の間は なんとなく すっきり 乾かなくて、取り込んでからも さらに 室内に干しておくことが多かったもの。もう 本当に、春なんだ。これからは こういう方法で 春の訪れを知るようになるんだな。ありがとうございます。
2021.03.17
そんなことがあっても、いいじゃない♪ただ、それを許すだけ。そう言われてもな・・・と 思っていたけれど、思いもよらぬところから「そんなこと」は、やってきた。あ、そんなことって、あるんだ?と、びっくりした。そして、素直に喜んでみた(笑)「それを体験してみたい」とは思っていたけれど、そのための準備に取り掛かる前に、勝手に、それは、やってきた。しかも、私が それを意識するずっと前に私の手の届かないところで すでに それは 起こっていたのだから、きつねにつままれたような、ひねられたような・・・?こういう体験を積み重ねていくのが、楽しくなるんだね、きっと。これから。私が、それを、楽しみたいのなら。ありがとうございます。
2021.03.11
今朝方もまた、ちゅぅちゃんが夢に出てきてくれました。冷凍してあった お刺身を出したけど、コチコチ。「これは夢だ」ってわかっているから、早くあげないとちゅぅちゃん、すぐに どっか行っちゃう。あわててカリカリを出したけど、ちゅぅちゃん、どうしたんだっけかな。食べてくれたかな。今日のちゅぅちゃんは、ふわふわ というよりもつるつるの毛並みでした。で、ちゅぅちゃんが いなくなったら、とつぜん、「とっちにいちゃん」「うんにいちゃん」という言葉が出てきました。とっちにいちゃん、うんにいちゃん、というのは、私がまだ記憶もないくらい小さかった頃よく遊んでもらっていたらしき、お兄ちゃんたちです。たぶん、同じアパート、ワカヤナギ荘に住んでいたんじゃなかったかな。どこかに、写真も残っているはず。母が、私を産む前に、うんにいちゃんで、おむつを替える練習をさせてもらっていた・・・とか?そんな話を聴いた覚えがあります。で、あれから、うん十年。今朝の夢の中で、私は あることに とらわれていました。とっちにいちゃんは、たぶん、「トシ」がつくお名前だろう。トシオ、とか、トシヒコ、とか。だけど、うんにいちゃんは、なぜ「うん」だったんだろう?いったい どんなお名前だったんだろう?たしかね、当時の ロクにしゃべれない私がうんにいちゃんのお名前を呼ぼうとしていたけれど大人の耳には「うんにいちゃん」としか 聞こえなかった、というような由来での「うんにいちゃん」だったかと思うんですけど。いまになって、気になる。うんにいちゃんの本名は、いったい なんだったのか?彼らは男兄弟だったので、女の子が珍しくて、私のこと、ずいぶん かわいがってくれたそうなんです。全然 記憶にないけど。私の、とっちにいちゃんと うんにいちゃんに関する記憶は、すべて、母から聞いたことと昔の写真からつくりあげたもの。うーん、うんにいちゃんのお名前、どうしても、気になるな。今度 母に会ったら。聞いてみよう。ムカシのことは よく覚えている母だから、とっちにいちゃん、うんにいちゃんのことはすぐに 思い出すでしょう。けど、本名までは、どうかな。下手したら、もともと知らなかった可能性も?↑うちの母なら、あり得る話。偶然なんですけど、いま私が住んでいるところは、当時 私たちが住んでいたところの、隣の市。駅で言うと、隣の隣。3年前、父の遺品を整理していたときに父の若かりし頃の履歴書?が出てきましてね、そこに、当時の自宅の住所の地図が 書いてあるのを、見つけたんです。当然、ワカヤナギ荘は もうないでしょうけど、「今度、行ってみようかな」と 思ったまま、いままで 忘れていました。そのうち、ほんとに 行ってみようかな。ありがとうございます。
2021.03.09
見えない糸に、縛られている。・・・とまでは 言わないけれど、囲われている、くらいの感覚だろうか。なにをするにしろ、思うにしろ。なにかを怖れ、なにかの逆鱗に触れないように・・・あるいは、なにかに媚び、なにかの機嫌を損ねないように、自分の行動や思考を制限している。それに気づくたびに、「わたしは、なにを(怖れている)? なにに(媚びている)?」と 軽く驚きながら、思い直す。自分の好きにしていいんだ、と。でも、いいんだ。長い長い間、その見えない糸の内側は、私の安全領域だったのだから。そのおかげで、いままで 安全に 生きてこられたのだから。ただ、いまは もうそこにいなくても 大丈夫だ、と思えるようになっただけなのだから。ありがとうございます。
2021.03.06
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