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人は感情を空白にしたままでいることができません。 上品に振舞わなければいけない席で、一匹の蝿があっちへ、こっちへ、酔ったように飛んでいます。その虫が見栄を張った奥様方のうち、誰に寄っていくか。そして、誰にたかるか。視線は嘘をつけても神経は嘘をつけません。化粧の下敷きになったしわが地割れのようにうきでてその蝿を追っています。 このとき、奥様方の感情はどのようなものでしょう。 焦り。 おそらく、これが大部分をしめていると思います。家で普段、朝食の後片付けを済ませ、洗濯をし、掃除を終わらせます。テレビをつけて、お茶をすすり、何かを思い出して受話器を持ちます。湯飲みの縁に蝿がたかっていました。カッとなって往復ビンタの要領で大袈裟に追っ払いますと、次は蝿が決まって顔によってきます。「ううん。なんでもない」などと、雑音を気にした相手の質問に答えます。さんざん誰かの悪口か、自慢をしたあと電話をきって深いため息をつきますが、自慢と悪口で癒されるストレスは何もないことに気づいていません。そしてぬるくなったお茶を飲み干します。 子供が家でするままに振舞うとマズいときが母親の立場としてあります。そんなとき母親は心の中で「私の気持ちを察してちょうだい」と念じますが、習慣を念によって変えることなど無理でありますし、それはただの自分勝手な見栄というものです。そういった子供は中学生になる前に反抗期になるか、母親そっくりの人格に固まって、人をいじめるかいじめられるかの人間になっていくように思います。世界のことを思うと反抗期になるのが望ましいと思います。家庭では反抗するが、外へ出ると何か目標をもって生きているのであれば、親が常に悪口を言ったりすることが苦痛になり、これまでその悪口を平然と聞いて相槌を打っていた自分に嫌気がさしてきます。 蝶は芋虫が好きでしょうか、嫌いでしょうか。孵化後、まずは与えられた環境で手の届く食べ物を口にします。ときには葉の裏にしがみついて、外敵から隠れながらも生きていきます。姿は芋虫ですが、脳は蝶と変わりがありません。本能が自分の姿を嫌い、青臭い食べ物をも嫌います。ところが、嫌いなものを超えていかなければ自分の姿、形に変化がないことを芋虫は本能で感じ取っています。芋虫が一番意識するのは時間です。食べるのが遅ければ痩せ衰え、成長に持っていきたいために無理して食べているはずの嫌いな青野菜の成分が、体力の回復やカロリーに費やされてしまうからです。風邪で喉が痛くとも外敵の鳥がすぐそこに迫ってきていても横目を使うくらいにして「擬態がばれてない、ばれてない」と念じ、芋虫は食べる手をゆるめることができません。いち早く蝶の姿を望むのです。蛹になります。これまでの自分を思い返し、そして、これからの自分への期待に溢れます。理想の姿を想像し、時がきて蝶になります。羽化する瞬間が蝶のエクスタシーです。例えば人間が世界的な舞台で表彰されるとき、「なんてすばらしい。自分はこういう場に立ち、それにふさわしい人間になったのだ」と実感がわき、もっとも時間を惜しむものだと思います。ですので、じっくりと殻からでてきます。ただ、表彰式と同じで、きついネクタイやなんかで多少窮屈なこともありますから羽化の手をゆるめることはありません。そうして、ようやく蝶になると風に煽られます。その風に抵抗すること三時間。疲れます。適当な花をみつけて着陸態勢にはいります。三時間のうちに風が止まることを覚えます。なにげなく止まった花の上で芋虫のころはのんびりしていてよかったなと、ふと考えてしまいますが、すぐに「ぜんっぜん、違う!やっぱ、蝶は最高」と頭上のもやもやをかき消しにかかります。初のフライトと注文したものとちがうじゃん的な思いが混ざり合って、喉が渇いてきました。花の中心部が蜜で潤っています。ちょっとなめてみると、とても甘いのです。あの青臭いものに懐かしみを感じることなどありません。周囲を見渡すと、あちらこちらに形や色の異なる種類があります。外敵の存在などすっかり忘れています。あっちこっちに手をだしてようやく自分好みの蜜にたどりつきます。かすかに茎が揺れて隣にも客がきたことをかんじました。枝分かれした花に蝿が降りてきたのです。蝶は羽を広げてみたり、羽の模様を蝿に見せびらかしたりしています。「私とあなたはちがうのよ」と、見栄をはった姿は蝿からみてどのようなものに映るのでしょうか。
2007年01月27日
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思うに、ビートたけしと所ジョージは好みにとやかく左右されないのではないか。 某有名ラーメン店で注文した品を食べてみると、全くと言っていいほど期待を、勝手な期待ではあるが裏切られることがある。それはただ単にその人の好きこのみかもしれないが、絶対に人には進めない。人付き合いと逆にポーンとはねることができる手軽さを持っているのも実はホッとすることでもある。 表面化の良さ、ラーメンの場合のそれは広告や噂。人間の時は第一印象と噂。でも、実際はどちらも貫通とまでいかなくともある程度やりとりをしないとわからないことでもあるが、忙しい人はそういうことでの時間の無駄を省きにかかると思う。あの店だけはもう絶対にいかない。など。 所ジョージや、ビートたけしの場合であればどうだろう。番組作成者がどんな人物であろうと、世間のほとんどが彼らの全てを知り尽くしているかのように期待をこめて時間を過ごす。私が思うに裏も表も、光も影も、ほぼ同時に表現し、そしてまたそれを受け入れられている事実があるからだと思う。 普通の人間は自分の持つ隠したい部分を表すことがないし、それを表すとあまりいい事がないのを知っている。知っているが、事実、そこのところを変えずに抱き、ある部分の人には見せてあるところでは非公開。それで受け入れられてその後何があるだろう。背負ったものを隠し通していきていくという限りないストレスだけではないか。 彼ら二人は陰の部分に光と同じか、もしくはそれ以上の魅力をもってるのではないかと思った。
2007年01月22日
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南海キャンディーズは『しずちゃん』と『山ちゃん』 笑い飯は『西田』と誰? チュートリアルはボケのほうと、ナンチャンのほうは何て名?
2007年01月01日
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