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題の虫を略称すると『イエコ』。そのイエコの育て方についてだが、まず私の失敗例は水槽で飼育(餌用としてなので、むしろ保管にちかいかも。少々残酷だが)したことだ。糞がそのまま残るし、蓋をしめていないにしても空気の流通がほとんどない。部屋中に空気が立ち込めてしまう以外になにもない。そこで考えたのはA3ほどはあるであろうタッパーとザルがセットになったものを使用することだ。ザルにイエコをいれる。そのほかに餌入れ、隠れ家、水入れ、産卵用の土をいれた容器。 ザルの外側と、タッパーに空気流通の隙間を作るために三センチ程度の木片等を使う。すると、異臭をはなつ糞はザルの隙間を通りタッパーの底へ落ち、糞が匂ってきたりした場合にはザルと蓋を持ち上げ、タッパーの木片をどかして、糞だけが残ったタッパーを掃除する。 虫かごや水槽に土を敷いてしまうと糞の除去に困ることがある。それを解消することができると、ザルを使用する前の死亡率約40%だったものが、使用後は98%、ほぼ100%にまで伸ばすことができた。ただし、成虫にならない羽のないものはザルを抜けることがあるので注意が必要だ。頭部以下は膨らんで見えるが骨や甲虫のような硬いものでないため首までザルの向こうに出てしまうと簡単にすり抜けて行ってしまう。コオロギの頭を正面からみると丸いが、横からみると縦長である。人間が隙間に落ちたお金を拾うときいくらでも手を細くし、それでも届かない場合はグリグリと無理矢理にでも入れてしまうのではないだろうか。コオロギも同じような執念をもっている。 逃げるという生き物の本能。
2007年06月26日
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ひそひそ話をする息使いと声量で、言葉の語尾を上げ気味に発音してみよう。発音する言葉は次の四文字。自分は頬に部族、民族のペインティングをした女性なのだと思い込み発音する。あくまでひそひそ声をわすれてはならぬ。「アシタカ!」 これであなたも明日から「もののけ姫」。イジリーなみの芸達者。
2007年06月22日
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酔い薬っちゅーのは酒なのかもしれない。ここで言いたいのは『酔い止め』のことだ。 私の母の実家が離島にある。そこに行くためには渡波という石巻の一角からクネクネ道の風越し峠をぬけて鯨の町鮎川から船に乗らねばならぬ。その船で私は必ず嘔吐した。平たく言う『げろ』だ。それを吐く。 じつはその前にも吐いている。父の運転が荒い。しかも二tトラックに大人二人に子供二人の乗車オーバー。類まれなドライブは私と母の脳を揺らす。二人はO型。酔わぬ二人はB型。血液に関係を得てして、さかのぼること数分前。 私は母に無理心中の勢いで肌色の薬、半錠を口に含ませられる。そして何度も洗ったあげくラベルの落ちたワンカップのビンで水を飲ませられる。苦く、変な臭いでやられて半島を越える前から吐きそうになる。その薬を飲む前から「おめぇはすぐ酔うから、絶対に酔うから、吐くから」と連呼され、意識付けされ、とうとう暗示にかかってしまっていた私は際限なく吐いた。 ある日、いつだったか、何年生だったか忘れたが、夏か正月、島へ行くシーズン。お決まりの薬と水が用意されていた。私は母の睨む目を盗んで薬を口にほうるふりをし、いかにも苦そうな顔を作って水を飲み干した。そのときの心境はどうせ吐くのにこんな嫌な思いはしたくない。だった。向かう途中、停車場で母は指を喉に突っ込みはいていた。この家族に一緒に降りて背中をさする者はいなかったと記憶している。 その日、奇跡か、わたしは車でも船でも吐かずに島へ降り立つことができた。 島から出るとき薬を飲めと軍隊のしきたりのような口調で母はコップと共に薬をさしだしてきたが、「実は」ときりだして、くるときは飲まなかったことをつげた。そこで、母もこれまで飲んでいた常用というべき行為をやめて四人は自宅へ向かった。ゼロゲロ宣言完遂!! 今になって思うのは『絶対に酔う。酔うに決まっている。吐くはず。吐かないわけがない』という極度の心配が、車酔い、船酔いを一つの文化のようにしてしまったことが結果として胃に暗示を送り脳が反射してしまい、トシャ物を半島の一角にマーキングしていたのだと思う。 私が思うに、事前に防衛的な対処も必要だが、過保護による『無駄』な意識付けをするのはどうかと思う。その人間の成長に応じて、『暗示』となるような言葉は消し、信頼をハラハラしながら見守る勇気が大人には必要だと思う。 自分の行動を省みない人には何を言っているの解らない。自分の家族さえ、自分に話を合わせてくれる人さえよければいいと思っている人にはわからないことかもしれないですが、全てを取り払って、市民県民国民が政治家を批判するように自分自身の振る舞い、子供の育成方針、自信のこれからを振り返り、そして深呼吸をまじえ被害妄想を一旦解いて、思春期の希望に満ち溢れ、同時に苛立ちのつのるあのころに立ち返り考えてほしい。 『暗示』をかけて自分以外の人生を狂わせていませんか。 そこから脱却しようとしている人間を蜂のごとく攻めていませんか。 最近の政治がらみから日常、そして私の過去を思い返し、親の思い違いによる子供への『悪暗示』について書いてみました。
2007年06月18日
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過去に宝くじの一等を二度引き当てた男がTVで申していた言葉を思い出した。「売り子の笑顔が自然で見返りのない表情である売り場をみつける」 これだった。 笑顔で、「当たるといいですね」「ありがとうございました」そういったマニュアルにはない、思ったままの変哲のないふれあいがあると、その当選の達人は何等でも当選してしまう気になってしまうものらしいというのだ。 細木さんや銀座のママあたりに言わせると、生まれたときから「決まっていた」「こうだ」と言われてしまうだろう。確かにそうだ。そう思う。 決まりごとがわかっていれば、だれも失敗などせずに「絶対に間違いのない」ほうを選択して生きていく。比例して新たな病名が増えていく。 私が思うには、誰の思うとおりに地球は回ってくれない。 その回転を楽しむゆとりがなけれは、回転を否定し、嘘をつかねばいきていけない。嘘をフォローし生きてしまう。それを代々受け継がせてしまう。 ここで宝くじの当たり外れの答えがあるように思う。「銭がほしい」と思う金銭欲、物欲よりも霊長類として万物を思いやり、その者の行動そのものが人をいやすようでなくては、勇気を、やる気をもたせるようでなくては宝くじではないと思う。 別な人間の言葉で、人類の層を
2007年06月13日
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「一歩手前」こう言われて、自分が人より一歩手前に行こうとしていることを考えるか、自分の前に手前に人がいると考えるか。 自分自身の世界観で生きてそれで満足できている一握りと、そういう世界観で生きているが素人異常の人に中々認められずイライラのしっぱなしの人間ではゆとりの差が大きく出るのだと思う。 最近NHKの教育番組で観た、装丁家の題材のことを思い出し、打ってみている。 装丁というのを辞書で引く。『そうてい』印刷物などをとじて表紙をつけ、書物の形にととのえること。また、その表紙のデザイン。 こう、広辞林にはある。 装丁に家、(いえではなく、か)がつくと、周囲が認めた専門の業務職種を持った人間。というふうになると思う。専門家というのがそれで、現在、仕事の依頼が押しよせて引き際が見えない人のことだというニュアンスで、取材をうけた装丁家の人も言っていた。 その装丁家が表紙のデザインを手がけると売れる。『売れる』という言葉が番組内で幾度となくナレーター、進行(たしか、ホンジョウマナミ)の言っていたセリフだった。 私が思ったのは、そうではなく、その装丁家の彼は本の読み手として素直なのではないかということだと思った。その理由に装丁というのは、まずその出版したいという本を読んで編集者、著者の意見をくみとりつつ表紙を具現させていくものと私は受け止めた。その中で、読んで面白いと思わない本には、魅力の感じることができないものには意欲は削がれるきがした。なぜかというと、その装丁家の言うとおりでもあるのだが、「手にとらせる」こと。つまり、店に入った客、書店を訪れた人間に「表紙の存在で足止め」をさすことが命。そのあとはページを開く指に期待を感じさせるか、苦痛をもたらせてしまうかは作家の力量だ。と、こう言っている。私もそう思う。その装丁家が面白くないと思ったものをそれなりの表紙をデザインし、店頭にならべ進めるとして、本人の気持ちはいかがなものだろう。 私個人の話だが、自分で食べて「おいしい」と思ったラーメンを無理にでも人にすすめる癖が私にはある。その美味しい話を幾度となくして、チャンスがきたら身銭を叩いてでも食べてもらいたいと思う。それで私は自分が気持ちがよくなる。自己満足の〇ナ〇-だ。 装丁家も、満足や販売数や新聞雑誌の売り上げランク、文学賞の評価等で気になるのは「装丁家としてお奨めだよ」という点があった場合ではないだろうかと思う。 ある意味では、面白くない本を装丁の力でどれだけ売ったかというのも仕事かもしれない。しかしそれは、質の悪い家を営業のトークでどれだけ販売契約したか、とういうものにしかならないと思う。 この番組をみて、私が思ったのは自分に自信がない人には、この装丁家に頼まない。頼めない。遠慮してしまう。 自分の収入と生活の比例にも等しく、編集者も含め作家として自分の技量を知らぬ間に図っていると思う。それか諦めか。 諦めたらそこで終わりだし、それを開き直ってもなにも始まらない。妥協人間の集いは嘘と悪口の集いにしかならない。それに関連した罪なき人々も影響をうけざるを得ない。「あれ?」と感じたら、なんでもいいからその道の『頂』に触れることを考えることが大事だと思った。自分自身に言っているようで心苦しい。
2007年06月11日
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