躰道∞(無限)
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木こりがおりました。雲模様の空の下できこりは弁当を広げております。 砥いだばかりのマサカリを最近のここ10日の間、木に打ちつけておりません。 めぼしい木を縄でしばって目印をつけるのは、だいたい木を切る三日前です。 三日たってその木の場所へいってみると、それほどきつくしばったつもりのない縄なのにどこも弛みがなく張っています。だれかがきこりの後からやってきて縛りなおしているふうには思えませんでしたし、この島の絶壁を登ってこれるのは、このきこりただ一人だけなのです。 きこりは釣りが趣味で、家から半日かけて親戚のすむ浜まで降りてきます。小船を借りて出かけたある日、まったく釣れないが、波はおだやかな日、おばさんに握ってもらった大きなおにぎりを三つたいらげると竿がしならないのをいいことに昼寝をしはじめました。きこりはぐっすり眠っていて、実は竿が引いていることに気がつきませんでした。始めは小さなハゼでもかかっているようなひきでしたが、それを丸呑みしたヒラメが針の傷みに暴れているところを後ろから巨大なサメでも食らいついたかのような力強さで凪た海で船が不自然なスピードをだします。木こりが目をさましたときは船に立てておいた竿はみあたらなく、船自体は砂浜に乗り上げておりました。目の前にあったのはみたことのない砂浜と、立ちふさがる岩肌の絶壁でした。人の気配がまるでなく無人島だと直感がはたらきました。絶壁の上には樹齢何百年とも思える木々が雲を目指して伸びておりました。きこりはマサカリを握って船から下りました。商売道具はどこへいっても放しません。 ということで、縄が独りでに締まることも考えられません。きこりはあるお侍さんの話を思い出します。馬の首あたりに手をあてると、馬の心を読み取ることができるということです。このとき、自分が馬を見下す目線で読み取るのではなく、馬に対して無防備になると、馬のほうから心をあらわにしてくるとのことでした。 きこりはさっそく木に手をあてて、率直な心を打ち明けました。「おまえさんは夜になると枝を手のように動かすのかい」 きこりは小便がしたくなっても、我慢ができなくなっても、それでも木の答えを待ちました。 毎日、いつのまにか寝てしまうのが日課になりました。 やがて、ある日のこと。一度もマサカリを使わずにその辺の草で編んだ縄が千切れて根元に落ちていました。きこりはハッとして両腕をめいっぱい伸ばし、木に抱きつきました。たしかあのときは幹に回した左右の手を組めたはずなのに、今は指を触れるのでなんとかでした。きこりは木の生長、という一行が思い浮かびませんでした。縄から逃れた、というふうにしか思いませんでした。 きこりは釣り好きでしたから、かかった獲物はどんなに小さくとも逃がしたりせずに持ち帰っておりました。 逃げよう、逃げようとする魚は元気をみせようと考えています。自分の成長を釣り人に期待させるために精一杯抵抗します。人間が根負けしたとき、魚は思うはずです。今度は釣りの罠とわかっていて、魚はさらに成長した自分を試すため、人間に挑むのです。 木はきこりの期待感という興味を失うまで生長し続けます。三日でこれほど生長したならば、この先の三日後にはどうなっているのだろうか。老木といってもおかしくない大木は。というふうに木はきこりの心をゆさぶります。 きこりは伸びきった髭に手をあてて思いました。人間は、「これでいい」という気持ちをつい、持ってしまう。根負けしたときこそが学習なのではないだろうか。 きこりは浜へ降りて、一番高い木に目星をつけて、また絶壁を登りました。 一番高い木は絶壁など問題にならない高さでした。朝は濃かった霧がすっかり晴れていて四方八方が見渡せました。山育ちでつちかった目の良さが生きました。蜃気楼でなければ遠くに大陸が見えます。おそらくは自分の出発したところでしょう。方向を覚えて木をおりました。地に下りて気づきました。ちぎれた縄が足に触れたのです。 この木のほんの一伸びがなければ故郷をみつけられなかったかもしれませんでした。 人は、周りの成長にこそ己の目を、心を、向上させてゆくのでしょうか。
2007年02月14日
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