2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全18件 (18件中 1-18件目)
1
よくプラス思考、マイナス思考という言葉を耳にします。心のエネルギーレベル、考え方、感情などを、プラスとマイナスというモノサシで計ったとき、普通はそれぞれマイナスはただ悪いものとして扱われます。果たしてそうでしょうか?私は、波動という概念をある時期学んだことがあります。波動についてはまた改めてご紹介したいと思いますが、その理論によると、すべての物質、人体、心、感情に至るまで、あらゆるものにはエネルギーがあるという。それをプラスとマイナスと表現した時、例えば、マイナス100レベルから、プラス100レベルまで、そのエネルギーレベルはあるとします。当然、プラス100は最高に良いレベルであり、マイナス100は最悪である。しかし、人の持つエネルギーレベルでとらえた時、マイナスレベルであるからダメな奴、プラスレベルだから良い人とは単純に判断できないことを学びました。どういう意味かと言うと、相対的に判断する必要があるということです。マイナス100レベルの人は、反対を返せば、プラス100レベルのエネルギーを持つ可能性のある人と言えるということである。逆に、あの人はすばらしい人よね~と言うプラス100の人は、一歩間違うと、マイナス100レベルの極悪人になりかねないと言うことである。また、強いて言うならば、プラス10の人は、マイナスでも10程度と言うことである。可もなく不可もなくというレベルは、どちらに転んでも、その程度ということである。今こうした心のエネルギーレベルの高い若者が少ないように感じています。そういった解釈をしていくと、若輩時代に暴れまくって無茶をしていたような人ほど、大人になって成功を収めるということが多いこともうなずけるハズである。感情、心というもので、人のパワー・エネルギーをとらえた時、極悪人だから一生極悪と言う訳ではないと言うことだ。プラスであれ、マイナスであれ、そのエネルギーレベルが高いほど、それを良い方に使えば、世の中に必要とされる大変な存在になりうると言うことを、理解して欲しいと思う。若い頃は無茶だった。でも今では、誰もが尊敬する人物という方は大勢いらっしゃいますよね。爆発するようなエネルギーを持つことは、とても素晴らしいことです。不良だ、非行だ、暴走族だと、マイナス面だけで判断することなく、内に秘められた可能性で人を評価できる大人になりたいと思います。また、そういう方が、増えなければいけないと思います。将来伸びる芽を、軽はずみな判断で摘まないで欲しいと思います。若者の激しい感情、血が湧き上がるような感情を、もっと大切にしたいと思います。無気力・無関心・無感動。こうした人々が増えていく傾向にあることの方を私は危惧しています。実は、このお話を聞かせていただいた時、私は自分を認めてもらったようでとてもうれしかったのです。自分の感情をどこに持っていけばいいのか分からなかった程、激しい気性の私でしたが、たまたま良いご縁をいただけ世の中のお役に立てるような存在になることができました。下手をすれば、現在のような生活はなかったかもしれません。そう思うと、この考え方は、大変に私に多くの気づきと学びをくれたように思います。決して今現在マイナスであることは悪いことじゃありません。自分をあきらめないで、自分の可能性を信じてがんばって欲しいと思います。心を動かすこと、それが感動です。それが生命のエネルギーです。それは、ほんの少しのきっかけで良くも悪くもなります。自らの善なる心を信じましょう!
2006/02/28
コメント(4)
銀座まるかんの斎藤一人氏の話の中で、モノゴトの判断基準は、「正しい」か「正しくない」かより、「楽しい」か「楽しくない」か、が大切というものがある。テーマだけを聞くと、魔邪のネタではないが「世の中のちゃらちゃらした奴らぁ~」が喜びそうな話かぁ?と思いますが、内容はそうではない。「楽しければいいじゃん!」という若者の考え方が広がる中で、誤解を受けそうなテーマだが、「楽しい」と、「楽(楽ちん)」は、決してイコールではない。「楽しい」の中には、「学び」も「気づき」もあるが、「楽」だけの世界には、何も自分を成長させるものがない。自分に都合の良い解釈で、言葉の真意を逸らさないで欲しいと思う。私は、この話を聞くまで、ずっと「正しい」か「正しくない」を、自分の価値観としてきた。しかし、ある時、正しいことを言ってるはずなのに、反発してこられる方が結構多いことに気が付いた。例えば、「食品の裏側」などを暴露する内容などは、世の中にとって「正しい」ことである。しかし、一方で、その仕事に従事するものにとっては、迷惑極まりない話である。以前には、そういう方々から脅迫に近いような電話を何度かされた経験もあります。また、宗教に勧誘にこられる方は、ご自分が信仰されている宗教が一番「正しい」と思われています。それはとても良いことなのですが、勧誘したのに話に乗ってこないと、人のことを、非難したり誹謗中傷したりする場合が時々あります。とんでもない話です。このように、自分の持っている価値観でモノゴトを見た場合、それは「自分にとって正しいこと」でも、「相手にとっては正しくないこと」ってことが結構多いことに気づきます。戦争がまさにそうです。「正しい」「正しくない」で、価値観が合う者同士が「味方」となり、合わない者は「敵」です。勝った方が「正しい」ということになり、負けた方が「正しくない」とされます。同じ人殺しでも、勝った方は「ヒーロー」で、負けた方は「犯罪者」です。決してそんな単純なことではないことは、誰でもお分かりになりますよね。自分の価値観や考え方の押し付けが、トラブルを引き起こします。争いを引き起こします。もちろん、経験や知識不足により、間違った考え方をされておられる方もあるかもしれませんが、それでも、「正しい」か「正しくない」かと、強引に押し付けるような形でのお話の仕方は、相手を傷付けることにつながります。ついついやってしまうんですけどねぇ。(^_^;)このブログなんか、ホントご都合主義の賜物?ですよね~。m(__)m一方、「楽しい」か「楽しくないか」というモノサシは、自分を幸せにするために大変良いモノの見方だと思います。間違って解釈すると、自分が楽するためのご都合主義的になってしまいますが、決してそうではありません。「楽しい」ことって言うのは、一生懸命になりますし、上達も早く、長く続けられるものです。もっと楽しくなりたいと思うから、少々キツくてもがんばろうと努力します。でも、そこには、気持ちの余裕や心のゆとりというものがあり、周りも楽しくなるものです。その結果として、いろいろな意味で「楽」になるのだと思います。(初めから「楽」をしたいがための「楽しい」は、反対の結果を生みますよ!)「正しい」か「正しくない」かで取り組むと、価値観の違う方との争いで辛かったりしんどくなったり、時には悲しい思いをするんです。「正しいこと」は、イコール「楽しいこと」とはならない場合も結構あるのです。「楽しくない」ことは、無理にしない方がいいですよね。(もちろん、世の中のためにやらなきゃいけない場合もあります!!)自分にとって何が「楽しい」のか?改めて、考えてみることはとても大切なことです。後は、少しずつでも行動に移して「やってみる」ことですね。いろいろなことにチャレンジしてみてこそ自分が見えてくると思います。何もしないで「楽しい」ことは起こりませんから。(^_-)-☆
2006/02/26
コメント(12)
己許せることと許せないことがあるそして許しちゃいけないことがある譲れることと譲れないことがあるそして譲っちゃいけないことがあるそれは自分自身ですそれはまぎれもないこの「俺」です本性はいつの世でも瞳に見えないものだ一番大切なものは私の揺るぎない心ですだからかたがつくまで黙り通してみましょう俺は生まれて初めて本気で怒ってるのだから我慢するものと我慢できないものがあるそして我慢しちゃいけないものがる笑えるものと笑えないものがるそして笑っちゃいけないものがあるそれは自分自身ですそれはまぎれもないこの「俺」です本性はいつの世でも瞳に見えないものだ一番大切なものは貴方の優しき心ですだからかたがつくまで口を慎みましょう俺は生まれて初めて本気で怒ってるのだから作詞/作曲 : 長渕 剛昨日、久しぶりにキレた。ひとしきり怒りをぶちまけた後で、深い失望感におそわれた。人の汚ねぇ根性に、ホトホト嫌気がさしてきた。また一人、金に我を失ったバカが、僕の怒りに火をつけた。絶対に許さねぇ!そう思っていた時、ふと、この長渕剛の曲が脳裏をよぎった。改めて歌詞を読んでみて、怒った自分自身が負けだということを悟った。もっとそのエネルギーを向けるべきものがあることを悟った。「あんな大人にはなりたくない!」あの日の記憶が甦る。
2006/02/22
コメント(9)
月9でやってる「西遊記」、面白いですね。私の時代は、夏目雅子さんが三蔵法師で、孫悟空は堺まちゃあきでした。何年前だったのかな?その当時も楽しく見ていたように思うのですが、今の方が面白いですね。時代劇風に、最後のキメ台詞もかっこよくて、子どもにも分かりやすく、なかなか良い番組だと思います。ドラゴンボールに出ていた亀仙人みたいなのも出ていて、面白いキャラクターも加わって、楽しい構成になって笑えます。香取慎吾ちゃんも、いい役者?になりましたね~。上手ですよね。これからも楽しく子どもと見たいと思います。ということで、本日以上終わり!(*^^)v
2006/02/20
コメント(0)
今日は家族でアイススケートに行きました。子どもたちは初めての経験で、私は結婚前に女房と行って以来10数年ぶり。おそらく子どもたちは氷の上に立つことさえできないのでは?と、心配していたのですが、行ってみてビックリ!意外にも、平気で立ち、転ぶこともなく、手すりにつかまりながらでも前に進んでいるではありませんか。下の男の子などは、とっとことっとこ歩いていってしまうではありませんか!恐るべし、身体能力?と、思ったら、インラインスケートを以前やったことがり、その経験が活かされてるのか?と思い、納得しました。あの時は、ひどかったんです。ローラーの付いた靴を履いて、しばらくの立つことさえできず、本人達もふて腐れて、教えるのをやめようかと思ったくらいでしたから。結局は、どうにかこうにか少しできるようにはなったのですが、よほど面白くなかったのかあまりそれでは遊びませんでした。そういった過去もあったので、余計に今日のスケートもすぐに帰ろうと言うかな?っと思ったのですが、予想に反して、上手に滑ることができ、とても楽しい時が過ごせました。反対に、私の方が、転ぶばっかりで、びちょびちょになり、大変恥ずかしく、寒い思いをしてしまいました。(^_^;)子どもの順応性と言いましょうか、身体能力のすばらしさと言いましょうか、もうひとつ、年老いていく自分の肉体に、いろいろ考えさせられるひと時でございました。ちなみに、今日行ったスケートリンク。サンピア倉敷というところのスケート場なのですが、トリノオリンピックで一躍有名になった、フィギュアスケート男子代表の高橋大輔くんの育ったフィギュアスケートクラブのあるスケート場なのです。夕方ごろになると、クラブの生徒さんらしき方たちが来て、練習をされてましたが、ビールマンスピンとか、ジャンプなどを目の前で見て、この人たちは只者ではないと思いました。いや~、テレビで見てる分には、ボォ~っと見させてもらってますが、氷の上で転びまくった後に見る、彼らの姿は、神様のように見えました。いや~、ホントすごいです!(@_@;)
2006/02/19
コメント(0)
私は、中学・高校、そして大人になってからも、独りよがりで自己チューな人間でした。 生活能力も無いくせに、親の言うことも聞かず、自己主張だけは一人前にするという かなり困った存在でした。 子どもを持ち、今の仕事をするようになってから、多くの気づき・学びをいただき お客様を始め、仕事関係の方からも、「良い人」として多少は?認めてもらえるようになりました。 自分で言うのも変ですが、「あんたええ人じゃなぁ~」と言われると結構うれしいものです。 そんな中でも、一番印象に残っているお褒め頂いた言葉が、 「あなたのご両親がきっと立派な方だったのね。」 と、言われた時でした。 その時が、今まで褒めていただいたことの中で一番うれしかったように思います。 悪いことをした時に、「親の顔が見てみたい」などと言われることはよくありますが、 良いことをした時に、「本人ではなく親の方を褒める」という場面に出会うことは 少ないように思います。 この時、私は、両親に感謝の気持ちを持つとともに、誇りに思いました。 私は、親不孝極まりない人生の中で、今こうして幸せな道を歩めるのは、 決して私を見捨てることなく見守り続けてくれた、両親の愛のお陰だと、 心から感謝しています。 今、我が子を育てる中で、親として何をさせていただけるのかと、ふと考える時、 何でも買い与えることができるお金が必要な訳ではなく、何か特別な教育が必要な訳でもない、 ただただ、親として我が子を信じ、温かく見守ることが最も大切なことだと感じます。 私は、正直グレていましたが、何が私をそうさせていたのか自分自身でも分かりません。 ただただ意味もなく世の中が嫌だったように思います。 そんな私に、周囲の大人は何もすることができません。と言うよりも、簡単には近寄りがたい状態でした。 この子はどうなってしまうのだろう?そんな存在だったかもしれません。 けれども、最終的には人の道を外すことなく、他人から「良い人」と言ってもらえるような存在に なることができました。(たぶん、これからも.....???) どんな時も両親が私を見捨てることなく、信じていてくれていたお陰だと思います。 親が子どもにできることって、案外少ないのかもしれないなと、ふと感じます。親は子どもを力ずくでコントロールすることは不可能です。子どもは子ども社会の中で成長し、その過程の中で、誤って道を踏み外すことがあるかもしれません。そしてその時、親としてのどうすることもできない無力感にさいなまれるかもしれません。けれども、そんな時に子ども達を救うものは、唯一「親の愛」ではないかと思います。この親だけは裏切れない、悲しませたくないという想いが、子どもを踏みとどまらせるのだと思います。子どもが大きくなるにつれ、私は私の子ども達に、私が親にしてもらったようなことがしてあげられるのだろうか、ふと考えることがあります。「あなたのご両親はきっとすばらしい方なのですね。」と、我が子が言ってもらえるような親でありたいと思うし、また、よその子どもたちにも、自分の親を尊敬できるような想いにさせてあげられるような言葉を投げかけてあげたいなと思います。ありがとうございます。
2006/02/18
コメント(6)
南と北さんのブログより拝借。http://www.geocities.jp/baud_2005/japan.htmlぜひご覧あれ!(賛否両論あるかと思いますが...)約6年ほど前、福山の経営者の集いで、「明治維新から大日本帝国憲法制定まで」「日清戦争から大東亜戦争直前まで」「満州事変から大東亜戦争終結まで」という、3回にわたる講和を聞かせていただく機会があった。日本政策研究センターの伊藤哲夫氏によるお話だったのですが、それまで日本の歴史、特に近代史に疎かった私にとっては、衝撃的なお話でした。(特に明治維新のお話はシビレました。本当に感動しました!)ちょうどその当時、教科書問題とか、靖国神社参拝問題など、韓国や中国だけでなく、日本国内からも反対の声が上がる状況が、メディアで取り上げられていましたが、よく理解できずにいました。日本人が自分の国のことを悪く言う、いわゆる自虐説を唱える人々に、大変な違和感を覚えていました。時を同じくして、小林よしのり氏の「戦争論」を手にすることとなり、歴史に対する認識を深めることは、現代の日本人にとっては責務であると感じました。とまで言うのは、大げさかもしれませんが、「日本人が日本という国に誇りを持てない。」、そういう状況を、教育環境を、マスメディアが率先して作りあげていき、多くの人々が誤った認識を持ち始める。これは異常な世の中だ!と思い、今自分は何ができるのか、と感じ始めたのでした。自分の国が嫌いだという社会の中で、子ども達が明日を夢見ることができるでしょうか。自分の町や、自分の故郷を、大切に想うことができるでしょうか。親や家族を、心から愛する気持ちが育つのでしょうか。決して戦争を賛美するわけではありません。しかし、表面的な出来事だけを見るのではなく、一つ一つの出来事の中に秘められた、深い深い意味を理解することが、今とても大切なことに感じています。また、テレビが騒いどらぁ~、と、他人事で済ますことは非常に多くの意味で”責任感の無い人々”を増やすことになると私は考えています。ぜひ何かの機会に、日本の歴史について考えてみて頂きたいと思います。小林よしのり氏の「戦争論 1.2.3」は、見方によっては拒絶感を感じられる方もあると思います。しかし、私はすばらしい内容の本であると、高く評価しています。私はこうした歴史認識を学ぶことで、大きく人生観を変えることができたように思います。日本人に生まれたことを誇りに思い、子ども達にすばらしい国ニッポンを残してやりたいと思います。世界の平和を願いながら、日本人として何ができるのか、日本人としての役割を考えながら、今自分に何ができるのかを問いながら日々を生きていくことが大切だと思います。家族を大切に想う心が、地域社会を豊かなものにし、自分の故郷を想う心が、日本という国を愛する心となる。日本を大切に想う心が、世界の幸せを願う心を育みます。そんな風に私は思います。
2006/02/16
コメント(6)
「気くばり」と「心くばり」について書かれた本を読みました。一見、同じことのように感じるのですが、大きく違うことに気づかされました。「気くばり」とは、国語辞典には「細かく気を配ること。心遣い。」とありました。この本は、ビジネス本でしたので、「仕事上のマナー」と紹介されていました。お客様に接客する時に、いろいろな気遣いが必要ですが、一般的なごく当たり前の相手への配慮は「気くばり」と位置づけていました。昨日のブログにも同じようなことを書きましたが、要は「相手への思いやり」ですよね。この「気くばり」ができるだけでも本来すばらしいことです。最近では、マニュアルで教育され、社員はじめ、パート、アルバイトさんで、この「気くばり」を上手くできない方が多く見受けられます。食事に行っても、コンビニに行っても、ファーストフードのお店に行っても、それなりの笑顔、元気のある声ではあるけれども、気持ちの込もってない対応だと、感じられた経験も、一度や二度ではないでしょう。初めからそのようなことは期待してない、それが普通、となんら気にならない人(お客)が多いのも事実ではないかと思いますが、どんな人でも心のどこかでは何かを感じているハズだと、私は思っています。では、「心くばり」とはどのようなことなのでしょう。「心くばり」とは、「心配」と書くように、文字通り「相手のことを心配する」ことだそうです。表面的には同じニュアンスに聞こえますが、この作者は全く次元の違うものと言っています。要は、家族や友達を心配するように、お客様、いわゆる赤の他人を心配する気持ちはなかなか湧いてはこないということです。確かに、このように理解すれば、「気くばり」と「心くばり」は全くレベルが違うものです。家族を思いやるように、どんな相手にも接する。なかなかできることではありません。通常のサービスに、「気くばり」がプラスされると、相手(お客様)は「満足」するのだそうです。そして、通常のサービスに「心くばり」がプラスされると、相手は「感動」するのだそうです。なるほど!!確かにその通りですよね。相手を「感動」させる。滅多にできることではありません。昔、こんな経験をしたことがあります。子どもが確か3歳くらいの頃、お昼に立ち寄ったモスバーガーでテーブルを囲んで、注文したハンバーガーを待っていました。ちょうどお昼時ということもあって、たくさんのお客さんが食事にいらしてました。厨房も、注文の商品を調理するのに大忙しです。子どもは、退屈でゴソゴソゴソゴソしてじっとしていません。ジッとしていない子どもと、しばらく待たされる状況に少しイライラしていました。モスバーガーは、注文を受けてから調理を始めるので、結構待たされるのです。だいぶ待たされて、お腹もぺこぺこのところへ、やっと注文した商品が運ばれてきました。さぁ、食べよう、と、ハンバーガーを手にした瞬間、キャーっとふざけて暴れた子どもの手が、ハンバーガーを持つ私の手に当り、ボテっと、床にハンバーガーが落ちたのです。ブチブチブチィ~!!!キレて今にも子どもを怒ろうとする私のところへ、店員さんがサッと駆け寄ってきてなんと、新しいハンバーガーを持ってきてくれたのです。しかも無料で。きっと次の方にお出しするはずのものだったに違いありません。この対応に、私の頭から沸き立っていた湯気は、イッキに冷め、驚きと感動で一杯になりました。大勢のお客さんたちの前でキレて恥をかくこともせずに済み、罪のない小さな子どもを怒って泣かすこともしないで済みました。「気くばり」であれば、おそらく、「大丈夫ですか?」と、雑巾をもって片付けにくる程度ではないでしょうか。この「心くばり」のおかげで、私の人生の中で、どれほど豊かな気持ちにしていただいたことでしょう。本当にすばらしい経験をさせていただきました。もちろん、それからというもの、ハンバーガーを食べに行く時はこのお店だけになったのは言うまでもありません。(*^^)v相手を感動させられるほどの対応。それは、周りの方々までもが心豊かになるものだと思います。一人でも多くの方に、少しでも多くの「心くばり」ができますように、努めて参りたいと思います。ありがとうございます。
2006/02/15
コメント(0)
営業マン、サービス業と聞くと、お客様に媚を売って、商品やサービスなどを買ってもらっている者のように、卑下して見られがちである。しかし、どのような職業であれ、その先にお客様・利用者がいる限り、それは 「サービス業」 であると私は思う。いや、「サービス業」 であるという認識を持つべきであると思う。先生と呼ばれる仕事であれ、技術者であれ、農業であれ、必ず相手があって初めて、「 業 」として成り立つものである。「 サービス 」 と聞くと、安くするとかおまけを付けるとか、金銭的・物質的なメリットで相手を喜ばすことを考えがちになります。しかし、ただ安いだけで、お客様から絶対的な信頼をいただけるでしょうか?何か物をたくさんおまけしてあげることだけで、お客様は心から満足を得られるでしょうか?お客様に媚びへつらうことで、お客様は喜びを得られるのでしょうか?「 サービス精神 」という言葉をよく耳にすると思う。安くしてくれたり、モノをいっぱいくれたりすると、サービスが良いと人はよく言うが、サービスとはそれだけのものではありません。とても気持ちの良い笑顔であいさつしてくれた、とても楽しい話を聞かせてくれた、真剣に相談にのってくれた、本気で叱ってくれた、本当にうれしかった.....。「 サービス精神 」 とは、「 相手を喜ばせる心 」「 相手を安心させる心 」 であると思う。優秀な営業マン、人気のある先生、行列のできるレストランのシェフ、人気作家や人気ソフト開発者、人気のあるお店、成績の良い営業マンの共通点に、必ずこの 「サービス精神」 があると言えます。ブスっとした人はサービス精神がないのか?いいえ、決してそうではありませんよね。要は、「この人を幸せにしよう、ハッピーにさせよう」という気持ちがそこにあるかどうか、それが 「 サービス精神 」 があるかどうかということです。相手を楽しくさせたり、ホッとやすらぎを与えたり、時には厳しい意見を言ったり、これらはすべて 「サービス精神」 があってこそなせることだと思います。決して難しいことでもなく、決して特別な能力を必要とするものではありません。ただただ 「相手の立場になって、今何をしてもらうとうれしいのかな?」 と考えるだけです。このことは、仕事上のことだけでなく、日常生活でもごく当たり前のこととして必要なことです。作家の中谷彰宏氏は、ある本の中で「 サービスとはその人の生き方だ 」と、明言しています。まさに、その通りだと私は思います。しかし、自己中心的に育ち、物質的価値観で世の中を見てきた人々にとっては、この「相手の立場に立つ」ということが、一番の苦手分野なのかもしれません。「 相手の立場になって物事を考える能力 」、これが欠如しているのが現代の世の中なのかもしれません。ニート、フリーターの増加の背景には、この 「 相手を喜ばす 」 とか 「 相手の立場になって考える 」ということが苦手、もしくはそのような状況から逃れたい若者が増えたのではないかと思うことがあります。そして、彼らは周囲の人とのコミニケーションを忌み嫌い、面倒臭がる傾向にあるように思えます。そして、この傾向は、日本中に広く拡大しているのではないかと思います。しかし、いかにインターネットや通信が発達したとは言え、この世は人と人とのつながりでできています。人とのつながりの中で生活すること、それが社会生活なのだから、そこには必ず人と人とのコミニケーションが存在するのです。人と人とのコミニケーションの中には、必ず 「 相手を想う気持ち 」 が必要になるハズである。それをホンの少し、行動に移すことができるかどうか、それが 「 サービス精神 」 があるかないか、ということではないでしょうか?誰の心の中にも、「 相手を想う優しい気持ち 」 が存在します。それを恥ずかしがらず、素直な気持ちで表現してみる。見返りを期待する必要はありません。ほんの少し、「 相手と同じ立場になってみる 」。ここが 「 サービス精神 」 の原点なのかもしれませんね。「 サービス 」 という言葉を、私たちは何か安っぽいもののように勘違いしてはいないでしょうか?「 サービスする方 」も「 サービスを受ける方 」も、「 サービス 」についてもっと認識を深く持つ必要があるのかもしれませんね。「 サービス精神 」=「 相手を思いやる気持ち 」 ととらえた時、今最も社会に必要なものなのかもしれません。と、考えれば、サービス業って、人の心を温かくするすばらしい職業ですよね。いかがですか?いっぱいサービスしましょ!
2006/02/14
コメント(4)
ガハハハハ!5日ぶりの更新です。あまりのハードスケジュール?に、体力・能力の無さを痛感させられる今日この頃、みなさんいかがお過ごしでしょうか?って、ダメですな~、一回サボると、まっ、ええか、とズルズルと.....。8日のカキツアーは大盛況で、みなさん大喜びしてくださいまして、ホッと一安心しました。広島県の安芸津というところに、仕事でお世話になっている 「 西明水産さん 」 という”こだわり”のカキを作っておられるところがありまして、毎年この季節になると海辺のカキ打ち場で、殻付きの焼きカキの食べ放題をさせていただくのですが、これがホントーに、おいしいんです。今年は農家のおっちゃん、おばちゃん、その他大勢で、50数名という大人数で、大型バスを借りて企画したのですが、さすがに気苦労も多く、一人ですべてするにはチト疲れました...。それでも、みなさん「こんなおいしいカキは食べたことがない!」と、大満足の様子で、食べる!食べる!みなさんスンゴイ勢いで、見事な食べっぷりでした。それで、ここのカキは、食べても食べても全くお腹にもたれない。不思議なくらいいくらでも食べれるんです。カキにあたったと言う人も聞いたことがないくらい、安全性も抜群!平均年齢60オーバー?の状態ですから、そんなに食べれないかな?とも思ったのですが、いやいやお見事!焼く方も追いつかないんで、てんてこ舞いのようでした。ここのカキは、パイロゲンっていう水の技術を使って育てられたカキで、育ちが良いだけでなく、安全性も抜群なんです。しかも環境改善に一役も二役もかってるというモノスゴイ水産業者さんなんです。養殖場一帯の海が蘇生して、ヘドロはなくなる、アマモが大増殖するなど国内外から大学などの研究者が視察に来られるようなところなんです。と、まあ、仕事のPRはこの辺にしておいて、この時期、カキって本当においしいですよね~。たまりましぇん!昨夜も、カキ鍋で一杯。(#^.^#)ちょっと飲みすぎ食べすぎでナハハハハ~です。って、そんなんだったらブログ書けよ!.....ですよね。(^_^;)えっ?ゴッ、ゴルフ?(@_@;)覚えておらっしゃいましたか........。たっ、確かに、11日の土曜日に行ってきたんですけど...。............................。えっ!?きっ、聞きたいんですか!?.......................。.......................。まっ、ほんの20個ほどボールがなくなったくらいですかね......。(恥!)ついでに言うと、イノシシに負けないくらい野原を走りましたかね...。(涙!)スッ、スコアですかぁ!?そっ、それだけはご勘弁下さい!(泣!)いや~、ゴルフって、実に健康的なスポーツです。ハイ。(爆笑! ~_~;)
2006/02/13
コメント(4)
今日は終わりでーす!明日50人以上のお客さんを連れて、カキを食べに行ってきまーす!(喜!)平均年齢、軽く60オーバー?のコムスン状態です。なんてこと言ってると、お嬢様方に殺される。(^_^;)てなもんで、その段取りでテンヤワンヤのところに、町内会の年に一回の会議。オー!ノー!バットタイミング。(>_
2006/02/08
コメント(6)
つらいです。とてもつらいんです。深いため息とともに、涙が出てきそうです。まっすぐ飛びません...。?????ハイ!今日も引き続き、打ちっぱなしでゴルフの練習。先日もネタにしたのですが、今日も打ちっぱなしネタ。m(__)m正直に言います。ネタ切れです。(笑!)練習に行けば行くほど、変化球?がキレを増してくる。オレ様の打球にはストレートって文字は無い!ついでに言うと、オレ様のゴルフに明日も無い!焼酎飲みながら続けたイメージトレーニングも効果なし!いや!? 効果あったのかもしれない!???玉が酔ってる~!(*^^)vおーい!そんな場合じゃねぇ~だろ~!!!一人でブツブツと独り言を言ったり、ため息をしたり。きっと周囲の人は、私のことを危険に感じていることだろう。「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」というが、シャイな僕は、「どーやったらまっすぐ飛ぶん?(@_@;)」なんてことは、よー聞けれん。(>_
2006/02/07
コメント(6)
一日一日と今日こそはあなたの人生が(私の人生が)新しく生まれ変わるチャンスです自分に対しては損と得とあらば損の道をゆくこと他人に対しては喜びのタネまきをすること我も他も(わたしもあなたも)物心共に豊かになり(物も心も豊かになり)生きがいのある世の中にすること合掌 ありがとうございましたこれは、ダスキンの経営理念として掲げられているダスキン創業者 鈴木清一氏の言葉です。私は、独立当初、鈴木氏と親交を持っておられた恩師から、損か得かと言われたら、損の方を取ると言う人がおるんじゃ、という話を聞かされていました。当時それこそ拝金主義の社長の下で、腐った世の中を見てきた自分にとって不思議とスゥーっと心に沁みた言葉でした。わざわざ損をすることばかり選ぶバカはいませんが、損か得かと選択に迫られた時、みなさんならどうするでしょう?私は独立して駆け出しの頃、一番若いし素直に言うことも聞くので、よく”お役”が回って来ていました。いわゆる、”パシリ”的役割です。ことある度に、ご指名を受けることに、正直苦痛を覚えたこともありました。しかし、尊敬する恩師たちの下、ありがとうな、っと喜んでもらえるのはとてもうれしい瞬間であり、満足の得られる時でした。商売上手な同業者たちは、我々”裏方”の苦労をよそ目に、ねぎらいの言葉さえかけることなく、ちゃっかりと売上げを伸ばしていく。こんな姿が目に入り始めると、プチプチプチッーっと、段々と腹が立ってくる。誰が二度とこんなことするもんか!と、いつも思ったものでした。それでも、またお世話になった方が役を受けてると、放っておけず”お世話方”の渦に巻き込まれていく。内心、トホホである。仕事関係の食事会など最悪である。本来なら、みんなと同じ会費を払って食べにきたお客さんであるはずなのに、いつの間にか”お世話する方”になっている。おいおい(^_^;)、またかよ~、と思いながらも、放っておけない自分がいる。仕舞いには、お兄さん早くしてよ~!と怒られてたりする。「ちょっと待て!俺はここのもんじゃねーぞ!客だぞ!」という言葉が、のどまで出るが、「スイマセンね~」っと、謝っちゃってる始末。(^_^;)(プンプンビームで秒殺はしてますが.....。~_~;)けれど、この下積みが、現在の自分を形成してくれているんだとプラスに考えられる自分がいる。上手においしいところだけ取っていくヤツは、この世にごまんといる。そんな世の中だからこそ、損か得かと迫られる場面に出会えば、損の道を選べばいい。きっと、その選択が報われる時が必ず来るから。そのことを僕は身を持って経験させていただいたし、これからも、私は、そう信じる者の一人でありたい。そうしたことを、楽して稼ごうとする拝金主義の若者たちに知ってもらいたい。日の当たらないところでも、いぶし銀の輝きを放つひとたちのまぶしさを。ささっ、焼酎がまわってきたところで、酔っ払いの戯言はこの辺にさせていただきます。おやすみなさ~い。(-_-)zzz
2006/02/06
コメント(9)
ヤフーオークション。楽しんでる人も多いと思います。私も、昨年より友達から楽しいと聞き、家の不用品などを出品したりして、家族旅行の費用にでもしようと、コツコツ売っています。詳しくは「こちら」???結構タンスが片付いたと、女房も喜んでいます。先日も、結婚して以来使用してないスキーウエアやスキー用品を結構な金額で落札していただき、押入れは片付くし、お小遣いになるしでホント楽しいです。今日オークションのプロの方のメルマガに紹介してあったのですが、ヤフーオークションの1日の売上げ(取引額)って、なっ、なんと!!!17億円ですって!すげぇ金額です。いやマジで。インターネットでホームページ作ったり、ショッピングサイトに出店したりするよりもずっとずっと効率が良いと思います。落札率も37%とありました。10個モノを売りに出したら、4個は売れるという計算です。出すもの、値段にもよりますが、私の経験から言って、家の中にある”捨てるに捨てられない不用品”と思われるものは、大抵の場合、誰かに貰ってもらえます。しかも、いくらかで。いや~、”ごみ”と判断する前に、オークションに出してみることをお勧めします。ハイ。ちなみに、このメルマガの主は、オークションを代行するビジネスを展開中です。一応わたくし、事業家?としては、このビジネスは面白いと思います。結構新しい仕事としては事業性のあるものだと思います。ただ、依頼主と打ち合わせ、出品から連絡のやり取り、お金の回収までやって、どれほど手数料をいただくのか知りませんが、商品によっては、割りに合わないかもしれませんね。結構、時間と手間がかかりますもん。100円で売れて、20%手数料頂いたとしても20円でしょ...。(私のレベルでお話いたしましたが...笑!)我が家のオークションは、家の中の不用品を減らして、おこずかい稼ぎ、という感覚です。でも、上手に利用すれば、家計の助けになりうるよなぁ~と思います。そのうち、僕も売りに出されてたりして.....。(泣!)
2006/02/05
コメント(4)
かの柳生十兵衛で有名な、柳生一族の家訓にこのようなものがある。小才は縁に逢って縁に気づかず、中才は縁に逢って縁を活かさず、大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす。これは、小才(頭をあまり使っていない人)は、どんなに素晴らしいご縁やチャンスに巡り合っても、それに気づきもしない、中才(頭の使い方が並の人)は、ご縁やチャンスに気が付いたとしても、それを活かすことができない。だが、大才(頭を十二分に使っている人)は、どんなに小さなご縁やチャンスでもそれを見逃さず、最大限に活かしていくことができる。という意味のものだそうです。これは、頭が良いとか悪いとか、勉強ができるとかできないとかというお話ではなく、日頃から、人との出会いを大切にし、高い感性をもって物事を見ることが出来るかということを意味されているのだと思います。ご縁をチャンスと表現してありましたが、チャンスの神様のお話は良くご存知ですよね?チャンスの神様は、前髪はフサフサだけれど、後ろ頭はツルッツル。通りかかったら、しっかり前髪をつかまえないと、グズグズしてるとツルッとつかみ損ねてしまうよ、というお話ですね。よく似たお話ではないかと思います。日頃から、心のアンテナを高くあげて、素敵なチャンスをゲットしましょうね!ありがとうございます。
2006/02/04
コメント(3)
10年ぶり?にゴルフをするハメになってしまった。新年の飲み会で、ゴルフ?いいねぇ~!なんて調子こいて言ってたらホントに行くことになってしまった。とりあえずまだ一週間くらいあるから、それまでにはどーにかなるでしょ、と、道具だけは父親のを借りてきたのだが、まっ、待てよ!?どんなカッコして行ったらええんじゃ???むか~し、行った時は全部夏じゃったけど、冬ってどーするんじゃろ?っというレベルのことですでに思考回路停止。(@_@;)最近は、昔みたいなクギ?が出たスパイクはいけんとこが多いらしいので靴は買ぉーときんさいよと言われとったんで、早速ゲット。とりあえず、練習行こうと、早速今夜息子の空手の稽古の間、ちょこっと打ちっぱなしへ。とっ、ところが、今日はめちゃめちゃ寒い。こんな日に...と思いながらも、日がないので覚悟を決めて。っと!ここで問題が!!!そーじゃった!わしゃ、腰が痛いんじゃった!!ありゃー!どうする?どうする?どうする?と思っても仕方がないので、とりあえずどげーな具合かやってみる。ふぉぉぉー!だっけ?ファァァー!だっけ?曲がる!曲がる!転がる!転がる!これはゴルフか???と思いながらも、痛い腰を我慢しながら、シニア以下のスイングでよ~いしょっと(良いショット)、ってか?(寒!^_^;)幸いガラ空きだったので、どこに飛ぼうがお構いなしだったのだが、しばらくすると、小学校低学年くらいの女の子が私の前のボックスにやってきた。未来の、あいちゃん?それともさくら?コーチのレッスンを受けながら練習を始めた。こっ、これがまた上手い!居心地が悪くなった私は、ますます調子が狂い、さー大変!そうこうしているうちに、身の危険を感じたのか、女の子とコーチは違う場所で練習を始めた。ヘタがうつると気の毒なんで、もっ、申し訳ない。とにかく小雪もちらつき、寒くてたまらんので、とりあえず今日はこの辺で。手の握力はなくなるし、すでにあちこちダルイし、腰もアタタタ。だっ、大丈夫なのか?こんなんで。とっ、とりあえず、今日は帰って、イメージトレーニングから始めよう!ウンウン。......切腹~!(ネタが古いって?)
2006/02/03
コメント(2)
今日の 「 きっこのブログ 」 も過激な内容やな~。 ライブドア問題が気になる方は、このブログは要チェックです。 しかも、ヤバイ内容の時はたまに数時間で差し替えてあったりする。 どこからこんな内容の情報をつかんでこられるのか不思議であるが、 ここにはすぐにテレビでは報道されない情報がかなりある。 ということで、この内容で行くとライブドアは再生できんでしょうな。 ライブドア株で最後の一発勝負をしようとしてる方、止めとく方がいいですよ~。(^_^;) それと、最近よく読んでる 「 勝谷誠彦の××な日々。」 テレビのコメンテーターでよく出てるおっさんだが、なかなか切れ味がいい。 カウンターのヒット数が半端でない進み方をしてるので 読者も相当多いのでしょうね。 ご存じない方は、私的にはとってもお勧めです。 時事問題の裏事情が理解しやすいです。 ということで、今日も他人頼みで、投稿終了。m(__)m
2006/02/02
コメント(2)
以前話題に取り上げた「2007年問題」。 団塊の世代と呼ばれる人たちが定年退職を迎え、 熟練した技術を持ったベテラン社員たちが大量に労働市場から姿を消すことにより、企業や社会に対する影響を危惧するというものである。 実は、これに合わせて作られたかのような法改正が2007年4月に施行される。 離婚後に夫の年金の最大半分を受け取ることができるという 「 年金分割制度 」 である。 ” 熟年離婚待ち ”の女性 が、かなり居るのではないかと予測されている。 私も実際、子どもの手が離れたら自立したいという女性の声を耳にしたこともある。 これが、「 もう一つの2007年問題 」 である。(自称?) テレビで ”熟年離婚”というドラマ を放送して、結構な視聴率だったようだが、 こうしたブーム的な勢いも手伝って、その傾向は加速する可能性も十分に考えられるという。 それでなくても、近年の熟年離婚件数は飛躍的に増加しており、 統計によると、同居期間20年以上の離婚件数は、20年前に比較して、約6倍以上に激増しており、 昨年度は、1年で4万組以上の熟年夫婦が離婚しているという現実があるということです。 熟年離婚を取り上げたサイトの中にこんな記事がありました。 「一般的な離婚の三大要因は浮気、暴力、借金だが、 熟年夫婦の場合は、こういった救いがたい理由は少ない。 ほとんどが夫への何がしの不満である。 その妻の不満を理解しない男性に対し、年金分割制度で、経済的な支援を得た妻から 三くだり半を突きつけられるケースが急増する。 その不満の多くは、妻の生活や人間性を軽視した夫に対する不満に起因する。 パートナーとしてお互いに自立した関係を再構築する必要に迫られている。」 と。 あまりにも極端な見解だと思いますが、長年積もりに積もった不満があることも事実であろう。 が、しかしである、 企業戦士として定年までがんばって、経済的にも家族を支えてきた主人に対し、 お金の保障のメドがついたら、「ほな、さいなら~」は、あまりにも非道な話ではないだろうか。 サイト中にも反論のコメントがありましたが、 「妻の生活や人間性を軽視した夫に対する不満に起因する。」とありますが、 三十年以上夫婦として暮らしてきて、妻の方から、不満を解消すべく、 夫に対して何らかの行動を起こしたことがあるのでしょうか。 とあります。 人は往々にして、自分の不十分な行いは棚に上げて、他人を責めることをしようとします。 そのほうが、自分にストレスがなく、深く考える必要もなく、感情のコントロールも楽だからでしょう。 しかし、その多くは、自分の勝手な思い込みにより、お互いを理解し合おうという努力もなされないままに、 気が付いたときには手遅れの状態にまで行ってしまっている場合が多いことに気づかされます。 会社を辞めるとか、友達関係をやめるとかならまだしも、 夫婦、特に子どもを持つ夫婦は、お互いがお互いの人生において大きな意味を持つ存在であると思います。 それが、善い関係であろうと悪い関係であろうと、そこには ”成し遂げるべきテーマ” があるはずです。 その成し遂げるテーマが終らないうちに、安易にブーム的な離婚が増えることを私は危惧します。 男女平等であることは大切なことでありますが、 男は男の役割、女は女の役割を自覚し、お互いを尊敬し合い、高め合う存在であるように、 お互いが努力をする必要があると思います。 「自分が変われば 周りが変わる。」 夫に、妻に、不満を感じてストレスになるのであれば、 まず自分が変わる努力をしてみてはいかがでしょうか。 自分を高めることにエネルギーを費やすことで、 自然に相手も、その変化に同調してくることでしょう。 夫婦は家族にとって基本ではないですか。 幸せな家族が増えれば、日本も幸せな国になる! と、私は思います。
2006/02/01
コメント(12)
全18件 (18件中 1-18件目)
1

![]()
