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心にナイフをしのばせて 奥野修司著 文藝春秋Here There and Everywhere というブログで見てどうしても読みたかった本を、今日やっと読み終えました。感想は..........................。ここのところ、毎日のように報道される事件・事故に、ウンザリさせられながらも、いつも考えるのは、こうした事件・事故に突然被害に遭われた方々、いわゆる、「 犯罪被害者 」 の方々のことでした。当然、犯人(加害者)は、逮捕され、ニュースでも取り上げられ、その様を世に曝され、法によって裁かれる。しかし、毎日のように起こる事件の中で、過去の事件はどんどん風化していき、人々の記憶から消えていく。その一方で、被害者のご遺族たちは、その苦しみを延々と引きずりながら生き地獄とも呼べる日々を歩まれている。テレビやニュースはそういうところにはスポットライトを当てようとしない。もっとも、ご遺族の方が、嫌がられるのだろうが。この本は、そうした犯罪被害者の苦しみの人生を、克明に表しています。特に最近問題となっている、「少年犯罪」の被害者であるだけに、その苦しみはさらに大きいものと言えるかもしれません。どんな罪を犯そうとも、法の下で定められた罪を償えさえすれば、すべて終わりと許されるものなのでしょうか?加害者側は、刑を終え、過去を忘れることで、苦しみから逃れることができるかもしれない。しかし、被害者側は、決してそうはいかない。癒されることはないのです。そのことを、法は(国は)理解しているのであろうか?この事件の加害者のA氏も、「少年法」により、2,3年で社会にでて、養子縁組することで苗字を変え、2つの大学を出て、現在は、なんと!「 弁護士 」 として働き、裕福な暮らしをしているとのこと。そこだけにスポットライトを当てれば、立派に「更正」した素晴らしい例であろう。が、しかし、このA氏、殺害した少年の遺影に手を合わせるどころか、ご遺族に対しても一言の謝罪の言葉もない。さらに、裁判で言い渡された賠償金もほとんど払わずに無視し続け平然としている。これが、弁護士という仕事をしているというから、信じられない。これで「更正」したと言うことができるのだろうか?日本の法律は、被害者に厳しく、加害者に優しい。???である。本書の中に、「2004年度で、日本政府が犯罪加害者の更正にかける支出は年間460億円。一方で、被害者のための予算は、年間わずか11億円。これでも相当増えたのだ。」とある。また、「莫大な予算をかけて、犯罪者の人権にはきめ細かい配慮をしながら、被害者の遺族には何のケアもせず、さらに彼らを癒そうとする手だてすら持たないということはどう考えても納得がいかない。」と続く。残酷な犯罪を犯しながら、人の命を奪いながら、国は、莫大なお金をかけて殺人者を更正させ、社会に送り出す。その一方で、被害者の家族は、大変な苦しみと悲しみの中で、身も心もボロボロにされ、何の保護も受けれないまま、その家庭すら崩壊させていく。人の命って何なのでしょう?人権って一体何なのでしょう?法律って一体誰のためのものなのでしょう?「犯罪」と「刑罰」について書いたことがあります。 ↑↑↑ 読んでみてください。その時の考えと今も変わりはありません。本書を読んで、さらに遺族の悲しみ、苦しみが深く心に沁みました。犯してしまった罪は一生償うことはできません。でも、償う努力はいくらでもできるハズです。せめて、被害者のご遺族の心がホンの少しでも癒されるまで、その償いは続いてしかるべきものではないでしょうか。この春、父を亡くし、突然家族を失う悲しみを痛感させられた。私の父は犯罪に巻き込まれたわけではありませんが、失って初めて分かるものがあります。本書を読みながら、幾度となく涙がこぼれました。不運にも、犯罪に巻き込まれ、一瞬にして幸せな家庭が崩壊していく。その苦しみを何十年という間引きずりながら、それでも生きていかなければならない。一体どうして私なの?一体何が悪いの?そんな答えの出るはずのない問いに、自問自答を繰り返しながら、死んだように生きていく。そんな気持ち、到底理解することはできないけれども、そういう気持ちを分かろうと努力することで、そういう人々が増えていくことで犯罪というものは、少しでも減っていくのではないでしょうか。そうした意味で、本書が世の中に問いかけるものは大きいのではないでしょうか。子どもたちが安心して暮らせる世の中を作って行きたいものです。心からそう祈ります。
2006/10/19
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昨日晩ご飯を食べながらテレビを見ていたら、(最近テレビネタ多いね~!テレビのことボロクソ言ってるのに.....^_^;)家電製品の歴史のような、家電製品と家族のつながりのような内容の番組をやっていて、その中のコメントに、「家電製品は家族」というようなコメントがあり、ミョーに印象に残ってしまい、ご飯を食べながら、女房や子どもと我が家の家電の歴史を語り合ってしまいました。結婚して12年、(だったかな??? ヤバイ、ヤバイ。)その間、長女が生まれ、二人目の子ども生まれ、引越しも3回もし、我が家をずーっとずーっと見守ってくれた”家電製品たち”と言えば、冷蔵庫、エアコン、照明、ん~..........。テレビ君は、今年の1月にお別れしてしまったし、洗濯機くんは、洗濯オタクの女房にコキつかわれて、とっくの昔に代わってるし、車も、エンジンがボーン!って大変な思いをしたりしながら、それでも修理して修理して頑張ったけど、おととし代えたよなぁ~、ついこの間も、炊飯器もかなり迷った末に、結局高いのが買えずに、中途半端なやつ(いや、そんなこと言っては失礼か...)買ったばかりだし~、おぉぉー!掃除機くんはまだボロボロになりながらも頑張ってくれてるなぁ~。ん~..........。???こうやって改めて考えてみると、結構壊れて買い替えてしまっているものだ。「家電製品は家族」なんて、改めて言われてみると、なんだか冷蔵庫たちが愛おしくなってしまう。結婚してから、子どもが生まれて、ワイワイガヤガヤやってきた我が家の一部始終をこいつらはずーっとずーっと静かに見守ってきてくれたんだなぁ~っと思うと、なんか思わず涙モンです。何でもお金で解決してしまう世の中だから、モノ”なんか”壊れたら買い替えればいいじゃない、って、なりがちですが、こうしてシミジミ考えてみると、身の回りのモノたちって、自分たちと生活を、ずーっと共にしてきたんだなぁ、って、本当に家族みたいに思えます。モノを大切にするって、こんな気持ちから始まるのでしょうね。大切な家族。なんかいいなぁ~。(^^♪
2006/10/18
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ウソだろ~!!!???たまたまつけたテレビ番組で、長渕剛が熱唱してる?なんだ~?この番組~?くり~むナントカ~???バラエティ~???ウソだろ~???長渕はマジモードで、しびれるような歌声を聞かせている。カラオケBOX~???お笑い芸人3人のために2時間以上も熱唱~???ありえねぇ~!アコースティックギターがこれほど良い音色を出すのかというくらい熱い演奏が続いている。信じられない思いで思わずテレビにかじりついた。涙が出そうなくらい興奮した。すげぇ~!長渕剛、すげぇ~!!!これほど彼をかっこいいと思ったことはありませ~ん。長渕剛、すげぇ~!!!かっこよすぎ!感動しました。明日、CD買いに行ってきます。(笑!)なんて単純な僕。そんな番組の最後に、剛が歌った曲。この曲にも、何度慰められたことだろ。あぁ、青春の1ページが蘇える。ありがとう。STAY DREAM死じまいたいほどの苦しみ悲しみそんなもののひとつやふたつ誰もがここあそこに しょい込んでるもの腰をおろし ふさぎ込んでも答えはNothing!ぶっ飛ばしたいほどの怒りや悔しさそんなもののひとつやふたつ殴られた痛みはTRYへのワンステップ尽きせぬ自由は がんじがらめの不自由さの中にあるくよくよするなよ あきらめないで Just like a Boyその痩せこけた 頬のままで果てしない迷路の中を人はみんな手探りしてでも Stay Stay Dreamそう Stay Stay Dream Stay Stay Dreamひねくれかけた瞳のずっとずっと奥にもがいてる もうひとりの俺がいる一番怖いものは 勇気だと知った時自分の弱さに思わず鼻をつまんだもうこれ以上先へは進めない例えば 挫折が目の前に立ちはだかるそんな夜は心で 命の音を聞けたかがこんな自分は! と一度だけからかってみなよくよくよするなよ あきらめないで Just like a Boyその痩せこけた 頬のままで果てしない迷路の中を人はみんな手探りしてでも Stay Stay Dreamそう Stay Stay Dream Stay Stay Dream
2006/10/16
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「ゆるすということ」、なんて偉そうなテーマで書き記してしまったものだから、自分にまだまだつりあわないようなことを書いてしまったものだから、その後、何を書いていいかわからなくなってしまった。(苦笑!~_~;)更新できない、言い訳。「ゆるすということ」が、人が生きていく上で、どれほど大切なテーマかは、分かっているつもりである、が、まだまだ自分には、「怒り!」「愚痴・不平・不満」をテーマにシャウトしている方が似合うように思える。お恥ずかしい話であるが.....。幸せをテーマにした内容も、多くの人の共感を得られるものであるが、不平・不満をテーマにした方が、より多くの人から共感が得られるような気がする。これって、どうなんだろう?と、思うことがしばしばある。他人の共感を得られるとうことは、ある意味、人のお役に立てているということだと思う。情報を発信し、多くの人に共感してもらえることが、人のお役に立つこと、という考えを持ってこれまでやってきました。共感を得るということは、人に感動してもらえるとか、感謝してもらえることである、その一方で、内容によっては、悪意を助長し、社会への悪影響を拡げていることになるのかも知れない、な~んて、考えてしまう私は変であろうか???ネット上の様々な情報を見させていただく中で、社会の裏側を暴露するような内容の記事に、人々が飛びつき、高い反応を示すその姿に、何か違和感を覚えるようになってきました。でも、私も、これまでそうした内容で人を引きつけようとしていたかもしれません。商売の常套手段に、恐怖を煽って商品を買わすという方法がある。読者を増やすために(人気を得たいがために)、人の深層心理をついて自分に引き寄せるという方法である。しかし、それで、人は幸せになれるだろうか?ゴシップネタで、他人をあざ笑う時間があったら、他人を批判する時間があったら、もっと自分を豊かにする方法が、人を豊かにするする方法が、他にもたくさんあるのではないかと思うのです。人々へ警鐘を鳴らすことは大切なことです。そんなつもりで様々な記事も書いてきたつもりです。心通じ合う方々が、温かい感想をお寄せくださっていることに、心より感謝しております。でも、最近、なんか違うなぁ~???って思う今日この頃、みなさんいかがお過ごしですか~?って、私”も”毎日チェックしている「あのブログ」の言い回しですね。(~_~;)今日は何なんでしょうね?ちょっと飲みすぎでしょうか?更新できない言い訳ですかね?もっと、みなさんのお役に立てる、心温まるお話ができるようがんばりまーす。
2006/10/16
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「ゆるすということ」ジェラルド・G・ジャンポールスキー著「ゆるすということ」これは、実は簡単なようで、とても難しいことです。というよりも、人生最大のテーマ? と思うことすらあります。私は、これまでの人生の中で、「絶対にゆるすものか!」と、誰かや、何かに対して、怒りや憎しみを持ったことがあります。いえ、正確には、”持ち続けてきた” と、言えるでしょう。常に心の中のどこかで、何かに対して、そんな感情を抱いてきたように思います。「正しいか」、「正しくないか」。そんなモノサシを持たれている方ほど、こうした感情に人生を揺り動かされて来られたのではないでしょうか。時には、争いごとになるような激しいぶつかり合いもありました。時には、夜も眠れないくらいストレスを感じることもありました。この壁を乗り越えなければ、また同じ問題にぶつかると、解決に向けて、正面からぶつかっていったこともありました。そして、その問題は解決したのか?と言うと、正確には解決してないと言えるものの方が多いかもしれません。何かやりきれないモヤモヤしたものを心の隅に持ち続けながら、その問題から目を逸らすことで、自分の気持ちを抑えてきたように思います。そして、時間が経つにつれ、次第にその感情が薄れて、いつしか気にならなくなっていきます。私の場合は。中には、ずーっと怒りや憎しみの感情から離れることができずに、ついには犯罪に走ってしまったり、病気になってしまう人も多くいるのではないでしょうか。「ゆるすということ」この本の中に、こんなことが書かれています。・ ゆるすことで、私たちは自由になります。・ ゆるしによって、自分の本当の姿がわかります。・ ゆるしは癒しをもたらします。・ ゆるしは自分も他人も癒します。そして、こんな一文も。・ 他人をゆるせないとき、 それはいままで目を背けてきた あなた自身を見ているときかもしれない。今、ベストセラーになっている、野口嘉則氏の 「 鏡の法則 」 も、テーマは 「 ゆるし 」 、そして 「 感謝 」 であるようです。斉藤一人氏のお話の中にも、「 ゆるし 」 に関するお話があります。どんなに許せない相手がいても、声に出して、「○○を許します。」と、3回言うのだそうです。(初めはかなり抵抗があると思います。^_^;)また、それと合わせて「自分を許します。」と、3回言います。そうすることで、その言葉に気持ちはこもっていなくても、次第にスーッと心が軽くなっていくそうです。実は、私も車の中で、そのCDを聴きながら、一人でやったことがあります。(笑!)でも、不思議と、今まで怒っていた自分が馬鹿らしくなり、心が楽になりました。ぜひ、みなさんもやってみてください。人は、常に心のどこかで、何かに対して、怒りとか、憎しみとか、憤りを感じているものです。それは、無意識のうちに心に住み着いている場合もあるようです。心の中の、それらの感情から解き放たれたとき、また新しい自分に出会えるのかもしれませんね。ぜひ一度、この 「 ゆるすということ 」 というテーマを考えてみられると、新しい発見があるのではないでしょうか。
2006/10/07
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先日、昼ごはんを食べながらボケーッとテレビを見ていたら、「ゲリラガーデナー」とういう聞きなれない言葉が耳に飛び込んできました。「ゲリラ」 + 「ガーデニング」ナハハ、その言葉の通り?、ゲリラ的に街の至る所をガーデニングしてしまう人々ということのようでした。イギリスの人々だったのですが、昼間はサラリーマンとか、普通に仕事してて、週末の夜とかになると、突如数人の仲間たちが集まり、夜中のうちに、街角の荒廃した花壇などを、それはそれは美しい花壇に変えてしまうというなんとも素敵なボランティアグループなんです。よく道路わきの植え込みなどに、空き缶やゴミがいっぱい捨ててある光景を目にしませんか?ゴミが溜まりやすい場所。ゴミをそのままにしておくと、だんだんそこにゴミを捨てる人が増えてくる。始めは一つだったゴミも、気がついてみれば山のようになっている。そんなゴミの山を、ほとんどの人は、嫌悪感を持ちながら見つつも自分ではどうにかしようとはしません。一方で、ゴミをなくすと、そこに捨てなくなる。落書きも同じですよね。トイレもそう。綺麗にしてあると、人間の心理なのか、汚すといけないと思うようです。この、ゲリラガーデナーの人々は、そんな誰もが敬遠するような汚れた場所を、美しい「花」や「植物」で、見事に芸術作品に作り変えていってしまうのです。それまでは、その汚れた場所を、足早に通り過ぎていっていた人々も、たった一夜にして出現したその美しい芸術作品に、思わず立ち止まって、心癒される一時を味わって行かれます。そこには自然と笑みがこぼれます。そこに書かれたメッセージが、また良いのです。「これからは、みなさんで手入れをしてくださいね。」、と。この一言に、多くの人は自分も参加できると気が付くのではないでしょうか。自分でやってしまうことは簡単です。他人を巻き込み、その気にさせることはなかなか出来る事ではありません。すばらしい!!!この試みは私に大きなヒントをくれたように思います。私だって、家の前の公園の草刈や木の刈り込みを、勝手にやっちゃったりしてますが、そういう意味では、「ゲリラ草刈マン?」と、呼べるでしょうか。(~_~;)自分の暮らす町を、美しくしたい。子どもたちに、心豊かな社会を残したい。そんな街づくりに一役買える、そんな活動だと思いました。地球環境の問題って、オゾンホールを何とかしようとか、地球温暖化を何とかしようとか、海や川の汚染を何とかしようとか、そんな一個人では到底不可能なことに、どうしようこうしようと悩む前に、もっと目の前にある小さな事から確実にこなしていくことが大切だと思います。ゴミが落ちてれば拾う、草がボウボウになってれば手入れする、こまめに電気を消す、水道を止める、人と会ったらあいさつをする...?、そんな、小さな小さな日常生活を大事にしてこそ、大きな取り組みが実現するのではないかと、秋の夜長にシミジミと感じたわけでありました。虫たちの心地よい音色を聴きながら、平和だなぁ~と思いながらも、日々一刻一刻と、地球の環境は悪化して行っている、この現実を忘れてはならないと思います。
2006/10/05
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