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今日届いていたあるメルマガの中に、お彼岸ということもあってかお墓が紹介されていた。これがそのお墓!!すばらしいですね~。思わず喜んでしまいました。私もこんなメッセージを子孫に残したいなぁ~。(*^_^*)野田宜成さんという方のおじいちゃんのお墓だそうですが、きっと素敵な方だったんだろうなぁ~っと、感心させられてしまいました。(許可なく載せちゃいましたが、どうかお許し下さい。m(__)m)お墓参りについての私の想いは、前にも偉そうなこと書いたのですが、 →→→ ココ ←←←こんなお墓だと、またいっそうお墓参りも心豊かなものになりますね。ご先祖様に感謝です。
2006/03/24
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私は環境・健康という仕事柄、農家さんとの関わりが多いのですが、 新しい生産技術、環境改善技術などを通じて、未来への夢、将来への希望などを語り合っておりますと、 「もう10年早くこの話を知っとったらなぁ~、バリバリやるんじゃけどなぁ~」と、 うれしい声を聞かせていただくことが度々あります。 しかし、そんな情熱を燃やしてくださる農家さんも、そのほとんどが70歳前後という高齢者。 近年、「食」の安心・安全に関する人々の関心は非常に高く、 農薬・化学肥料が、ただただ悪いものとして敵視されるようになり、マスコミに扇動されて、現場を知らない無学な消費者たちは、自己チューな評論家となり、その煽りを受けた農家さんたちは、困惑の色を隠せずにいる。 地球温暖化、酸性雨、土壌の疲弊等など、環境の悪化と戦いながら、 良い物を作ろう、おいしいものを作ろうと、暑い日も寒い日も、雨が降ろうが雪が降ろうが、 作物という”生命”と向き合いながら、いつも農家さんは日本の食卓を守ってきました。 ”お金を出せば何でも買える世の中”で育った私たちは、全く現場の事情を知らない。いや、知ろうともしてこなかったハズだ。 お役人が決めたことと、テレビが言うことは正しいと、長年の間、洗脳を受けてきた。 何かのキャッチフレーズではないが、「現場には真実がある。」 この仕事に携わるようになって、「食の現場」に触れるようになり、 私たちの命を担う「食」の現状が、今どうなっているのか、気づかされることとなった。 そこには明かされることのない現実がある。 そこには、「大量生産・大量消費」社会が作った”負の遺産”が残されていた。 しかし、その一方で、命をお金に換えてしまった行政に従うことなく、 未来の子孫のために、この国を守ろうとがんばっている人たちがいる。 また、残された命を、明日の子ども達のために捧げようと、新たに立ち上がる方もいる。 「もう10年若かったらなぁ~」という言葉の中にある、”もっとチャレンジしてみたい!”という情熱に、心底頭が下がる想いになる。そして、残された大切な時間の中で、一緒に取り組んでくださるその姿に、感謝の気持ちで一杯になる。 その深いシワに刻み込まれた笑顔の奥に、とてつもなく大きな愛情を感じずにはいられなかった。 この日本という国を守るために、私たちに何ができるのだろうか。 この人たちの想いを引き継いでいく者が、どんどん出てくる社会を創らなければならない。 そして、私もその一人でありたいと心に想う。
2006/03/20
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くやし~!!! ほんっと、ぐやじ~よ~!!!(泣!!!)はぁ~........。ため息しかでまへん。今日は勝って欲しかったぁ~、ホントにホントに残念でしかたありましぇーん。仕事もせずに、テレビの前で一生懸命応援してましたが、ホントくやしいです。こんなに一生懸命に野球見たのは初めて、と言うくらい一喜一憂しながら見てましたがもうホントにホントに残念の一言です。終ってしまったものは仕方がなのですが、すばらしいチームだっただけにもっと見たかったぁ~。それにしても、今回の王ジャパン、良いチームだったと思います。野球あまり見ないもんですから、選手の名前とかよく知らなかったんですが、みんな精鋭揃いでカッコ良かったですよ。まさに「サムライ」という感じで、ホントカッコ良かったです。野球見直しましたよ。今度は日本のプロ野球で応援させてもらいまヒョ。って言っても、パリーグの選手ばっかりで、テレビでせんから見られんじゃねーか!巨人のナイター中継ばっかし要らんから、パリーグ見せてくれー!!!と、思った本日のWBC日本ー韓国戦でございました。ささっ、お仕事、お仕事.....。
2006/03/16
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山口県光市の母子殺害事件。昨日ニュースで流れているのを見て思い出した。もう事件発生から7年も経つのか。被害者の本村さんが、山口地裁の一審判決で無期懲役となった際のインタビューで「法が死刑にしてくれないのなら、私がこの手で殺す。」と話していたことが非常に印象的で、心に残っていました。もし私が、本村さんの立場であれば同じ気持ちであったに違いない。このような悲惨な事件が起こるたびに、犯罪に対する刑罰の軽さに憤りを感じる。テレビや新聞を通じてしか知りえない内容であるがゆえ、その情報量では正確な判断をするには十分なものとは言えないかも知れないが、改めて考えてみると、人の命を奪うことに対してその程度の罰しか下らないのか?と思うことがしばしばある。特に、少年犯罪の場合は本当にそれでいいのか?と思わされることがある。「少年」という理由だけで、どれほど軽い刑罰で終っているものが多いことであろう。しかしその「内容」を見れば、凶悪かつ残忍なものが多く、それらは許しがたいものである。「少年犯罪」と言うだけで、殺人さえも軽い犯罪のように聞こえてしまうような気がする。それらの多くは「精神異常」「責任能力に欠ける」という判断の元、更正施設に送られ、普通の人とほとんど変わらない生活をさせてもらえる。「無期懲役」という判決。一見、大変に重たい刑罰に思えるのだが、私もこの度初めて知ったのだが、18歳未満の場合、服役態度が良いと判断されれば”7年”ほどで仮出所できるらしい。死ぬまで”檻の中”かと思いきや、全くそうではないらしい。死ぬまで”監獄暮らし”は 「終身刑」 と呼ばれ、アメリカなどにはあるらしいが日本には現在は無く、導入を検討中とのこと。「 死刑 」 について、私個人の考えは、「必要」、である。人権運動家の人々により、「死刑廃止運動」なるものが繰り広げられているらしいが、その内容、考え方を見ると、確かに納得させられる部分も多い。しかし、一時的な過ちであったとはいえ、犯罪は犯罪である。しかも人の命を奪った「殺人」に関して、極論で言えば、命をもって償うべきものと思う。または、それに相当する責任を負うべきであると思う。「死刑」にすればそれで済むというものではないが、服役しても、人としての心のあり方を軌道修正できない者もいるではないか。出所後の再犯率がそれを物語っているのではないだろうか。この光市の母子殺害事件に関しては、加害者である元会社員が、拘置所内から知人に出した手紙の内容の中に、「無期はほぼキマリ」「俺は勝った」「7年そこそこで地上にひょこり芽を出す」「犬がある日かわいい犬と出合ってそのまま『やっちゃった』…これは罪でしょうか」また、本村さんを「調子づいている」とからかい、遺族を誹謗中傷する内容などがあることを知り、めっちゃくちゃ腹が立った。許せないと思った。こんな奴に限って、刑務所の中では模範囚づらして、腹の中では人を見下しとっとと仮出所で社会に出てくるのだろう。考えただけでも腹が立つ。わずかな時間ではあるが、こうして、様々な角度から「犯罪」や「刑罰」を見てみると、「被害者」 よりも 「加害者」 のことばかりが”論点”になっていることにも気が付いた。「犯罪者」をどう裁くか、どう罰を与えるか。その事件が何故起こったのか、事件の解明とその刑罰が下るまでがメディアの仕事になっていて、「被害者」にあまりスポットライトが当たってないのではないかと感じた。「被害者」に対する取材というのも難しいのかもしれないが、その事件・事故で、一番辛く苦しく、そして悲しい思いをするのは「被害者」なのだ。残された人々も、その人生を狂わされてしまうのだ。犯罪に巻き込まれ、”法律”という訳の分からぬものに身を委ねさせられた結果、どうすることもできないままに、憤りと諦めの中で、辛く悲しい日々を過ごしている人がたくさんおられることを改めて感じました。私たちにできることは何なのか。ただただ犯罪に巻き込まれないことを祈ることしかできないのだろうか。激増する凶悪犯罪から、何を学んでいるのだろう。激増する凶悪犯罪の中に、何を見ているのであろう。善と悪、罪と罰、命について...様々な思想が交錯する中で、自分はどうあるべきかと考える。ホント世の中にはいろんな考えの人が居るもんだ。(苦笑!^_^;)
2006/03/15
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昨日車のラジオで、「困ったことがあったら警察にお気軽にご相談下さい。」と、「#9110」番という電話番号を案内していた。全国どこからでも、電話で「#9110」をプッシュすると、身近な困ったこと、不安なことなどの相談に乗ってもらえるというもの。なかなか良いサービスではないか、と思うですが.....?と言うのも、私は騒音や悪臭などで苦情の持って行き先が分からなかった時に、いちいち調べるのが面倒臭いので「110番」に電話した経験があるのです。(こんな奴あまり居ません???^_^;)一つは、以前住んでいた家の前が駅だった時に、夜間にホームの改修作業をしていて、深夜にコンクリートをはつる工事の音がもの凄くて、こりゃたまらんと、誰に言えばいいのかわからなく、ええいっ!っと勢いで、「110番」。その時は、確か市役所の建設課かどこかに言ってくださいと言われたように思うのですが、翌日市役所に電話して状況を伝えると、早速に工事現場の責任者らしき人がお詫びと説明に来られ、即日に大きな防音シートが工事現場を囲むように張られて、お陰で、我が家は騒音とホコリからそれなりに守られました。ちなみに、工事現場周辺は我が家しかなく、我が家のためだけに大きなシートを張ったようなもので、この時ばかりは工事業者さんの迅速な対応に感心しました。後で、聞いてみると、工事をする場合、近隣住民への配慮は欠かすことができないものらしく問題がある場合はどんどん言えば良いようです。泣き寝入りする必要はないみたいですよ。もう一つは、これも同じところに住んでいた時の話で、1キロくらい離れた自動車修理工場から、毎日真っ黒い煙がモウモウと上がってて、あまりに酷いんで、これまた「110番」に電話して、どーなってるの?と問い合わせ。こういう場合は、市の保健課(だったかな?)が担当部署らしくそちらへとのことでしたが、警察の方も知っておられて事情を聞かせてくれました。どうやら、煙の犯人は、在日の方らしく、差別問題と公害問題とでその辺りの住民の方々と、かなり以前から相当もめていたらしい。どちらが悪いかと言えば、煙を出している方が悪いのでしょうが、差別問題もあり心情的に意固地になってわざとやってる面もある様子。市も対策を講じていたらしいが、こういう問題の時のお役所の対応は決まって遅い。法的に強制力はあるはずなのでしょうが、穏便に事を済まそうとダラダラした対応だ。お仕舞いには、周辺の住民側が諦めムードになってしまい、ゴネた者が勝つといったパターンになってしまうんでしょうね~。奈良の騒音おばさんなど良い例ですが、行政の対応はあまりに遅いし、消極的すぎますよね。とまあ、日々生活をしておりますと、困った問題は突然に起こりうるもの。どこに相談すれば良いのか分からないということも多いはずです。そんな時は、ジャンジャン警察に電話すれば良いのではないでしょうか?あまり直接的には役に立ちませんが、問い合わせ窓口くらいには便利に使えますよ!(爆笑!)ですが、地域の問題などの「民事」というのは、なかなか簡単に問題解消できない場合が多いですね。裁判って言っても「そこまでは...」と言うのが、人の心情ではないでしょうか。日本人はアメリカ人などと違って、「情け」があるんですよね。「国家の品格」では、「惻隠」と紹介されていますが、相手へ困っている立場や気持ちに同情して哀れむ気持ちのことです。暮らしやすい地域社会を育てるためにも、お互いがモラルを持って、最低でも「人に迷惑をかけない」というくらいの心掛けは持って生活していきたいものです。
2006/03/14
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ちょっと話題が古いのですが.....「家電リサイクル法」っていう法律が平成13年4月1日に施行されました。もう良くご存知と思いますが、使えなく、又は使わなくなった家電ゴミ処理の有料化ですね。年間60万トンとも言われる家電製品の大半が、埋め立てによる処理だったものを、有用な資源を再利用し、ゴミを減らそうということで始まったものですね。電気屋さんで家電製品を購入して、家まで取り付けに来てもらったりする場合は、不要になった古い製品は(有料で)持って帰ってもらったりします。購入時に廃棄処分料も上乗せで払わされてると思います。ですが、テレビなどそれほど大きくないものなどは、お店で購入してそのまま自分で持って帰って自分で設置することもあるのではないでしょうか。その場合、使えないテレビなどをどう処分するのか。勝手に捨てると法律違反です。そう、これが、結構面倒なのです。実際に体験しましたので、ご紹介しますと、私は、先日テレビが壊れまして、新しいテレビを買って、お店から自分で持って帰り、自分で接続しました。で、壊れたテレビを捨てるためには、まず、郵便局か電気屋さんで「家電リサイクル券」というものを買わなければいけません。テレビの場合、「2835円」かかります。で、市役所などに連絡して取りに来てもらうと収集・運搬費として「3500円」必要となります。自分で、最寄の運搬代理業者へ持ち込むと「2500円」だそうですが、「指定取引場所」というところまで直接持ち込むと「0円」で済みます。メーカーによって、AグループとかBグループとかあって、持ち込む場所が違うようですが、「3500円」浮かせようと思えば、自分で持ち込む方がお得なように思います。まあ、冷蔵庫とかは巨大なものは無理ですし、指定場所があまり遠いのも時間とガソリン代の方が高く付くかもしれませんのでその辺はよくご検討を。(^_^;)郵便局さんとかはよくご存じないところが多いみたいですので、最寄の役場とかに一度お電話でもされてみると良いかも知れませんね。それと、今テレビでもっぱら話題になっているのは、「電気用品安全法」。この法律は、全く訳がわからない。あまりにありえなさすぎて話すのもバカバカしい。中古の電気製品の販売ができなくなるなんて、そうすることに何のメリットがあるのか?PSEマークという安全確認マークが付けてあれば販売できるといっても、現在の中古品市場のほとんどはマークのないものであるから、当然リサイクルショップは不良在庫の山となるというもの。(場合によっては廃業に追い込まれるところも出るのでは?)一方で、個人間での売買は問題ないらしく、オークションなどを通じて個人売買する分には問題なく、また訳のわからない手法(抜け道)を使って、流通を起こすヤカラが現れるのだろう。とりあえず、関係者は怒り大爆発である。しかも詳しくは調べてないのですが、古い電気製品は修理もできなくなるらしい。PSEマークのない製品は、4月1日以降、壊れたら捨てるのみ。しかも前述の通り、捨てるのも有料。結局のところ、ますますゴミが増えるだけの話である。で、それらは心無い人たちによって野山に不法投棄される。川上の役所の勝手で、理不尽な法律が決められると、結局のところ川下にシワ寄せが来る。悪法が悪循環を招き悪意が生まれ育ち犯罪が増えるってパターンじゃないですかね。世の中なかなか良くなりませんなぁ~。
2006/03/13
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我が町では、4月からゴミ回収の有料化が始まります。指定ゴミ袋を購入してその袋で出したものしか引き取ってもらえないというもの。大きさによって3種類ほどあるようで、1枚20円~50円という値段なのですが、一ヶ月に換算すると、結構な数字になるのではないのでしょうか?確かにゴミ問題は一人一人が考える必要のある大切な環境問題のひとつです。ですが、基本的に家庭から出るゴミを減らすといっても、モノを買えば必ず必要以上の包装によりものすごいゴミが出ます。できるものなら、買ったお店で過剰包装の包みをはがして置いて帰りたいというところです。販売者側も、いかに消費者のニーズと言えども、もう少し、目先の消費者の便利性だけでなく、地球環境の未来を考えてもらいたいと思う。ゴミの有料化に関しては、その地域社会で生活する者みんなの責任なので、ある程度協力は必要なことであると私は考えますが、ここでまず考えなければいけないのは、いかに不法投棄を取り締まるかです。数年前に「家電リサイクル法」が施行されただけでも、どれだけ不法投棄が増えたことか。山中のひと気の無い路上に、どれほどいろんなものが捨ててあることか。最近では、監視カメラを設置してみたり、道路沿いの路肩が広くなっているところに柵などが張られているところも増えたりしていますが、捨てるやつはどこにだって捨てに来ます。モラルのかけらもあったものではありません。車の中から、タバコの吸殻、お菓子などの包み紙、ジュースの空き缶など、ポイポイポイポイ捨ててる奴がいますが、本当に恥ずかしい人たちです。誰かが一つ何かを捨てると、連鎖的に同じ場所へまた誰かがゴミを捨てます。よく車で道を走っていて、ゴミの山になっているところがありますよね。赤信号みんなで渡ればなんとやらで、他の人が捨てていると捨てやすいのでしょうね。ウォーキングしながらよくゴミを拾いますが、ゴミは毎日のように落ちています。でも、放っておかずに拾うことで、確実に落ちているゴミの量って減っていきます。最近では、ガソリンスタンドでゴミを捨てさせてくれなかったり、コンビニなどでもゴミの持ち帰りを掲示してあったりします。人間の心理として、車の中など狭い空間に余計なモノがあると、邪魔になりますよね。窓からポイなんでしょうね。行政の取り組みとして、スーパーやコンビニ、ガソリンスタンドなどが、利用者からゴミを集めることに対してなんらかの助成することなどで、ポイ捨ては減るのではないでしょうかね。これは、考えが甘いかもしれませんが、それにしても、安易なゴミの有料化は、必ず不法投棄を増やす悪因となるでしょうね。こんなモラルの欠けた社会を寂しく思いますが、一人一人のモラル向上を目指してコツコツ草の根運動やって行きたいと思います。ちなみに、我が家の前は公園で、藤棚や落葉樹などがあります。ツルなど伸び放題で景観も悪いし、秋になると落ち葉がどっさりうちの庭に積もってくれて、これを、本来は市が管理するはずなのですが、全く来る気配もないので、個人的にバッサバッサと刈りまくってるんですが(いいのかな?^_^;)、ゴミとなる枝や葉っぱがどっさりでるんですよ。女房が一言、「あんた、今のうちに全部やっときねぇ~や~」って、「腰痛のジジイがどれだけ”えれぇ~(注1)”思いしとるか知っとんかぁ~。」(注1 : 岡山弁でシンドイとかキツイという意味でございます。ハイ。^_^;)
2006/03/12
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先日テレビで大魔神佐々木氏との対談番組に出演されていましたが、イチロー選手って、男の私から見てもカッコイイと思います。現在WBCが開催されていますが、野球をしている時のあまりに真剣な姿勢に、プロというよりも”職人”としてのカッコ良さが溢れ出ています。職人って響きに、男は妙にカッコ良さを感じてしまうんですよね~。無表情で、時として冷たささえ感じることさえありますが、クールに仕事に徹するその姿勢こそが、”男の美学”を感じさせます。まさに”ニッポンのサムライ”を感じます。先日、お客様との話の中で 「 美について 」 の話題が出たのですが、私もあまり 「 美 」 ってことに関して、意識しないというか、どちらかというと苦手な方で、積極的に考えたことがありませんでした。「物」に対してもそうですが、自分の「立ち振る舞い」「言葉」などにも、「 美 」 という意識でこだわりを持つことはあまりなかったように思います。しかし、よくよく考えてみると、一流と呼ばれるものは、どれも 「 美 」 があります。美しい、カッコイイ、心が癒される等など、そこには一瞬にして相手を魅了する ”感動” があります。理論理屈ではなく、一瞬にして心に感じさせる ”エネルギー” があります。「 美の追求 」と言うと、”見える部分”にのみ焦点を当ててしまいがちですが、実はこの”見える部分”の裏側にある ”見えない部分” に焦点をあててこそ、その「人」、その「物」の、真の美しさが見えてくるのではないかと思います。イチロー選手を始め、一流とされる人たちは、その華やかな表向きの活躍の裏側で、血と汗の滲むような努力を重ねていることは、あまり知られることがありません。それをあえて感じさせないところに益々の 「 美 」 を感じてしまいます。「真・善・美」という言葉がありますが、神の真意なりと言い表されるほど、私たちが何かを求める時の価値基準として、哲学的に用いられます。”本物には美しさがある”と言うことなのでしょうね。目に見えるもので安易に?着飾ろうと、宝石などを好んで身に付けたり、買い求めたりする女性を素敵だと思うことはあまりありませんでしたが、こうして考えてみると、美しさを求める女性の姿というのは、ある意味、高い感性の表れなのかな?と、ふと感じたりもしました。どうなのでしょうね?いずれにせよ、私たちは、日々の生活の中に 「 美意識 」 とか 「 美学 」 というものを持ち、「 美の追求 」する姿勢というものは、人生において重要なテーマである、と感じた今日この頃です。
2006/03/11
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はい!久々の登場です!サボり倒して早一週間、みなさまお元気でしょうか?もっ、申し訳ない。(^_^;)「国家の品格」よく売れてるみたいですね。一生懸命読ませていただきましたぁ~。って、なんじゃそれ~?とても読みやすく分かりやすい内容でした。おすすめの一冊です。構造改革の名のもとに、留まるところを知らないアメリカ化に警鐘を鳴らすという意味では、日本という国柄を改めて見つめ直す格好の機会になるのではと思います。私は自称右翼でありますが、この本の中にとても納得の一文がありました。愛国心は、英語でナショナリズムですが、私が想う愛国心と、ナショナリズムではどうもニュアンスが違うなぁと思っていましたら、「愛国心」という言葉には、「ナショナリズム」(国益主義)と「パトリオティズム」(祖国愛)の両方の意味が備わっているとのこと。となると、よく危険な思想的にとられるナショナリズムは、アメリカ、中国、韓国にピッタリお似合いで、我々日本人が考える愛国心は「祖国愛」の方であると言えます。間違いない!!(古っ?)著者の藤原正彦氏は、日本人の特徴を、「情緒」と「形」という言葉で表しています。世界中どこにもない、日本人だけが唯一持ち得るすばらしいものとして、悠久の自然と儚い人生という対比の中から感じる、「もののあわれ」と表されるような無常観であり、武士道精神として、日本人の心の中に受け継がれてきた行動基準、道徳基準をあげておられます。まさにその通りだと思います。武士は、金銭よりも道徳を上に見るという日本人の精神性の高さを最も現しており、その武士道精神は、日本人の心の中に脈々と受け継がれてきました。しかし、アメリカによる日本人弱体化戦略にまんまとハマり、欧米主導のグローバル化という名の植民地支配のもと、日本という国柄、国家の品格を失ってしまいました。理論ですべてを貫く欧米社会では、すべての物事を白か黒でしか判断しようとしません。日本流で行けば、それらは本来すべてグレーだと著者は言う。その理由は、論理で説明できない部分をしっかり教えると言うのが日本の国柄でありまさにそこに我が国民性の高い道徳の源泉があったのだと。日本人特有の「情緒」とは、論理以前にその人の”総合力”であると。この言葉に深い意味を感じました。日本人は、四季という気候風土の中で、自然に聖なるものを感じ、自然と調和し自然とともに生きようとした。こうした自然に対する繊細な感受性が、日本人の民族としての謙虚さを生んできた。この「国家の品格」から、こうして改めて、日本人の持つ独特の無常観を知らされて、日本人として、感じる心、感性を養うことは本当に大切なことなんだと改めて思い知らされました。これからも、日本人であることの誇りを忘れず、謙虚に学び続けたいと思います。
2006/03/09
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ずっと前に「ETCお得情報」ということで、カード会社のキャンペーンの話をしたのですが、手続きが遅れ遅れになって、この度やっとETC本体を手にすることができました。で、取り付け&セットアップをしてもらわなければと、ETCセットアップ取扱店をインターネットで探して、電話で問い合わせたところ、ななっ、なんと!?1万2千円くらいかかると言うではないか!(@_@;)タダでETCゲット!!っと、すっかり良い気分になっていたが、世の中はそんなに甘くはなかった.....。とは言っても、いづれ付けるつもりだったんだから本体がタダなんて絶対お得ですよねぇ。ねぇ?只一つ気に入らなかったのは、地元のカー用品店で、持込の機器はセットアップできないと言われたこと。こういうセコイ考えの奴らは、商売の世界で生き残ることはできましぇん!それでなくても、競争が激しく物やサービスが売れない時代なのに、もっと柔軟に対応してお店のファンを増やす努力をしなくちゃ!最近、インターネットで安売り商品がどんどん出ている。店舗を構えて、従業員を使って販売をしているお店や会社は価格競争についていけなくなり、大変苦しい状況に追い込まれています。商品説明だけはお店で受けて、商品はインターネットなど安いところから買うといったズルイ?(賢い?)消費者も増えてきています。でも、誰だって同じ商品なら少しでも安く買いたいに決まっている。実際に私もよく経験することであるが、安売りに流れていくお客さんて、結構います。自分の営業努力が、トンビに油揚げみたいな安売り野郎どもに負けたかと思うとやり切れない気持ちにさせられます。でも、こんなことで投げやりになっていたのでは、とーさんは倒産してしまいます。(ふっ、ふるっ~^_^;)ここで智恵を使ってこそ真の商売人でございます。コツコツ築いてきた信用は、そんなに簡単には崩れません。価格では現すことのできない、価値を高めることで、生き残りを図ります。価値を高めるってどんなことかと言うと、一言で言うならば「お金にならないことをがんばる。」って言うところではないでしょうか?一生懸命お客様のことを考えて努力してたら、その想いはきっと届くはずです。安けりゃどこでもいいっていう人は、実際の話お客様ではないんです。そんな人は放っておいて、自分の努力を正当に評価してくださるお客様を心から大切にすれば、おのずから道は拓かれると、私は信じております。って、今日も知ったような偉そうなことを述べておりますが、数字に表れてこない私の営業努力に対して、確定申告で、経理台帳をまとめている妻から一言。「ハァ~.....。(-_-)」まっ、まっ、とかく理想と現実というのはギャップがあるもので......。いや~、確定申告、大変です。(^_^;)今日はこの辺で。
2006/03/01
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