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× 文章力でチェックするポイントとしては、手がける翻訳分野における常識的な用語をきちんと理解のうえ使用しているか、また自然なわかりやすい日本語になっているかどうかです。(アメ○ア) 翻訳者が心がけるべきことを書いた文章に、いくらなんでもこれはないでしょう。「手がける」、「~における」、「常識的な」と、連体形を積み重ね、特に効果を狙うところでもないのに「、また」(この使い方は本来の日本語にはないもので、英語のandをそのまま日本語にしただけのものです)を使うなど、「~としては」と「~どうかです」と「係り結び」が合っていないことなど、ほとんど目立たなくなってしまうくらいです。「きちんと理解のうえ」も、ずいぶん横着な言い回しで、「きちんと理解したうえで」でないといけません。 もともとあまりいい文ではないので、どう直したものか迷うところですが、「常識的な」が冗語になっているので、これを取りましょう。なんでもかんでも頭に浮かんだものを全部盛りこまなけれならないと思うのは、最近の翻訳者らの悪い癖です。「使用する」と「なっている」の主体が違うので、本当はもっと根本的に直さないといけないのですが、それでは他人の文になってしまいます。 それと、この程度のことで「文章力」なんて言うのも、ちょっとはばかられるので、「力」は取りましょう。 □ 文章をチェックするポイントとしては、自らが手がける翻訳分野の用語をきちんと理解したうえで使用し、わかりやすい自然な日本語に訳せているかどうかという点が挙げられます。 内容の割りにはやや仰々しすぎるのですが、「~としては」で始めると、「~が挙げられます」とくくらざるをえません。 それにしても、こんな当たり前のことを今さら言われても困るのですが、、。 自然な日本語というかぎり、「これらの」、「さらなる」「より~」、「すべての」(の乱用)は当然避けるということですよね。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.31
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中越は集まった者たちにも、このままでよいかどうか確認し、こう切り出した。「事情がわかれば、私はいっこうにかまいません。むしろ、こうやって会員諸氏にも話をきいてもらえるのですから、手間がはぶけるというものです」 足摺は躊躇した。「しかし、中越さんから、直接会員に言われて困ることもありますから」「そもそも、私との約束を忘れていたそちらが悪いじゃないですか。私だって、エレマーさんから会員に伝えられた内容で困ったことが山ほどあります」 その時、手長が遮った。「その前に、確認しておきたいことがあります。中越さんとの約束を忘れていたのはわれわれの責任です。しかし、いったいなぜこんな人数が集まったのか、それをはっきりさせておきたいんですが。中越さんが触れ回ったんじゃないですか」「ことばを慎みたまえ。私はただ、一部の人に今日、話をつけに行くと話しただけですよ。別に秘密にしておかなければならないことでもなし、それがいけないことなんでしょうか」 会員のひとりが手を挙げた。「私も翻訳者仲間から、何やら動きがあうようだということを聞いただけです。でも、何か今までにない事態の進展があるような予感がして、ホールなら6時まで自由に出入りできますから、様子が知りたくて来てみただけです」 別の会員はこう発言した。「中越さんの人徳かもしれませんよ。私も、何かこう、風の便りに聞いて来たような感じです」 こうなっては手長がこれ以上、時間稼ぎすることはできなかった。 中越はさっそく切り出した。「私はもう、こういう組織は限界だと思うんですよ。ありえない組織です」 講義室が一瞬静まり返った。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.30
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だれもが、どうつくろえばよいか迷った。 中越の一言で場は収まった。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.29
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手長は足摺に言われるまま、「暴徒」らを講義室に誘導した。 大した混乱も起きず、無秩序に周囲を取り巻いていた者たちが、意外に小さな空間に収まった。 足摺はいきなり、いちばん前の中央に陣取った「オクトリングエ」の中越社長を名指して「中越さんともあろうお方が、暴徒の真似をするとは、」と言った。「暴徒とはまた人聞きの悪い」「こんな大人数で押しかけてくるなんて、暴徒でなくていったい何だと言うのですか」「何をおっしゃる。そちらこそ、私一人と話し合いの約束をしておきながら、ほかにこれだけの人数を呼び寄せ、さんざん表で立ったまま待たせた挙句、応接室ならぬこんなだだった広い講義室に通すなんて、失敬にもほどがある」 威勢のよかった足摺は、次の句が継げず、手長の方を見た。「手長くん、本当か、それは」 その時、女子社員の一人が声を上げた。「すみません。確かに、中越さんとはお約束をしておりました。事前に文書でもご連絡をいただき、お電話もいただいておりました。ほかにいろんな騒動が重なって、伝えるを忘れておりました」「それじゃあ、この騒ぎはいったい何だというのか」 足摺と中越とがほとんど同時に同じ科白を口にした。 会場はざわめいた。 あちこちで、事態を訝しがる声が、くすぶったように現れては消えた。「われわれだって、ちょっと耳に挟んだもんで、面白そうだから行ってみたらということで来ただけなのに、まさかこんな大勢集まるとは思ってみなかったよな」←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.28
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× あなたの英語をお金にしたいですか。 いったい、どんな育ち方をしたら、こんな文が生まれるのか。 それが名誉毀損と言うなら、受けて立つ。 日本に生を受けて依頼、英語の横暴によって自らの感情を封じられてきた民族にとって、こういう文がいったいどれほどの苦しみをもたらすものか、考えたことがあるのだろうか。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.28
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× あなたの投稿してくれた英文和訳を毎日添削 こういう「あなた」を当たり前のように使う者に対しては徹底抗戦する。 「あなたの健康を損なうおそれ」というのと同じで、日本語の皮を着た英語以外の何物でもない。 他人の添削をする前に、自らの日本語を正せ。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.27
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しかし、エレマーの決断は早かった。「騒ぎを大きくしてはならん。暴徒どもを中に入れろ」 足摺社長のその一言で、取るべき道は決まった。「いちばん大きな講義室に何人はいる」「102人です」「よし、一部をたたせればみんな入る。そこへ入れろ」 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.27
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手長が窓の外を眺めると、労働者を思わせる人の群れが周囲を取り囲んでいた。 中では退会を申し出る電話がひっきりなしに鳴り響いていた。 手長が驚いたのは、押しかけてきた者のなかに翻訳者ばかりか、それまで協力会社になっていた企業の経営者までがまじっていたことである。「いったい何が起こったんだ」 エレマーの事務局はパニック状態に陥っていた。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.26
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× 私のレベルでついていけるかは不明なのですが いったい「不明」を何と心得る。 「不明」=「わからない」ではない。 このごろの翻訳志望者は、意味が同じであれば、あとは何でもいいと思っているらしい。なげかわしいとしかいいようがない。
2007.03.25
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× 家屋のさらなる倒壊(NHK) 「さらなる」なんて、いきがって使っているとしか思えない言い回しを、こんな人の命がかかっている大事な時にまで使うのか。 こんな「さらなる」の使い方は、被害住民に対する冒涜以外の何物でもない。 余震があれば、現在傾いている家屋が倒壊することもありますよという意味なのか、現在はどうもないけれども、余震があれば今後倒壊する家屋があるかもしれないということなのか、さっぱりわからない。 遊びは遊び、まじめにやるときはまじめにやる。 ちゃんとけじめをついけよ。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.25
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日本国の無法ぶりに翻訳裁判所「激怒」 トラドキスタンがリンクしている某ブログに侵入者が現れた。 娘が生死の境をさまよったことをきっかけに、医薬翻訳をめざした経緯を書きつづったところへ、「医学分野は用語が多いので商売には不向き」と、揶揄しているとしか思えないような書き込みがあった。こういう時の体言止めのいやらしさがこの侵入者にはわかっていないらしい。 その一言だけでも、本人はもちろん、翻訳の勉強や仕事などで苦労をともにしてきた人たちにとって、不愉快きわまりない。 そのうえ、「インピーダンス」と「胃腸障害」に関する文献を探しにいかねばと書いたところへ、「~は電気回路の初歩ですよ」とご高説を垂れ、ご丁寧に「よ」までついてある。 事はそれだけでは収まらない。「手を広げすぎるのは危険」、「一歩一歩着実に」など、いったい何の説教を始めるのかと思えるような文が連なっている。 言ってみれば、女性専用車か、さもなくば女性更衣室の前で何人かの女性がおしゃべりをしているところに、変なおじさんが現れてちょっかいを出してきたという感じである。かぎりなくセクハラに近い。「セクハラ」ということばを使えば簡単に追い出せるのだけれども、ここでそれを使わなかったのは、そういうことばを安易に使うと本当にセクハラと戦っている人に不利に働いてしまうからだ。 そこで、めいめいがわざわざことばを選んで、その書き込みのおかしい点だけを指摘した。指摘した内容はほぼ次の通りである。□ 娘の病気をきっかけに医学翻訳の道を志した人に「用語が多いので商売には不向き」とはあまりにもデリカシーがなさすぎるのではないか。また、商売だけを目的にやっているわけではない。 □ インピーダンスは医学の検査によく使われるもので、別に手を広げているわけではない。 □ 自身が専門以外には手を広げないと言っておきながら、いい加減な理解に基づいて、他人の分野にお節介な口出しをするのはいかがなものか。 あれだけの揶揄に対して、それぞれ気持ちを抑えてごく冷静に対処したものである。 ところが、相手はそれに対して「排他的議論」、「パッシング」などということばを使い、「同じ言語を学ぶ者同士、仲よくしてもらえませんでしょうか」と返してきた。空気、読めよ。しかも、「集団的いじめ」などと書いてある。 ここにトラドキスタンの翻訳裁判所は、日本国に抗議する。日本国でことばが有効に機能しないのは、このようなことばの使い方をいとも簡単に許してしまうからである。 まちがったこと、おかしいことを指摘しただけで、指摘された人間が「排他的」、「パッシング(きたないカタカナを使わず、ちゃんと日本語で書け)」、「集団的いじめ」などのことばを使ってこれに応じるようなことを許しているからいけないのである。 他者を排除すること自体がいけないのではなく、正当な理由もなく排除するからいけないのであって、明らかに不当な意図、目的、方法等で侵入してくる者を排除するのは当然のことである。「集団的いじめ」などということばを使うと、ことばの自律的機能によって、ことばが一人歩きしてしまう。身に危険を感じたりすれば、何人かの女性(男性でもかまわない)が一人を相手にすることは当然ありうることであり、「集団的」というだけでよくないことであるとは言えない。 本人は反省していると書いているが、自分をむしろ被害者に見立て「排他的」、「パッシング」、「集団的いじめ」などということばを節操もなく使っているのをみるかぎり、ブログ管理者やその周辺の人たちが受けた心の痛み、不快感、ことばでは表現できないもやもやとしたものを理解したとはとうてい考えられない。 本当の「いじめ」をきちんと見極めるためにも、ちょっとしたことで安易に「いじめ」を使うことは戒めなければならない。 まして、自らの非をわずか数人から指摘されただけで、「いじめ」と言うことばを使って保身を図るのは、絶対に許されない行為である。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.24
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英語にも主語はなかった 金谷武洋 講談社 これまでの国定図書一覧 英語を学べばバカになる 薬師寺仁志 光文社新書 教育委員会廃止論 穂坂邦夫 弘文堂 アメリカもアジアも欧州に敵わない 八幡和郎 祥伝社新書 競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功 福田誠治 朝日新聞社 日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す 金谷武洋 講談社 文科省が英語を壊す 茂木弘道 中公新書ラクレ 新しいヨーロッパ 古いアメリカ 藤村信 岩波書店 どうして英語が使えない 「学校英語」につける薬 酒井邦秀 ちくま学芸文庫 大欧州の時代 脇阪紀行 岩波新書 日本語はなぜ美しいのか 黒川伊保子 集英社新書 主語を抹殺した男 金谷武洋 講談社←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.24
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主語を抹殺した男 金谷武洋 講談社 これまでの国定図書一覧 英語を学べばバカになる 薬師寺仁志 光文社新書 教育委員会廃止論 穂坂邦夫 弘文堂 アメリカもアジアも欧州に敵わない 八幡和郎 祥伝社新書 競争やめたら学力世界一 フィンランド教育の成功 福田誠治 朝日新聞社 日本語に主語はいらない 百年の誤謬を正す 金谷武洋 講談社 文科省が英語を壊す 茂木弘道 中公新書ラクレ 新しいヨーロッパ 古いアメリカ 藤村信 岩波書店 どうして英語が使えない 「学校英語」につける薬 酒井邦秀 ちくま学芸文庫 大欧州の時代 脇阪紀行 岩波新書 日本語はなぜ美しいのか 黒川伊保子 集英社新書←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.23
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蒼鷺さんからいただきましたコメントをまとめて掲載します。 トラドキスタンのゲリラを自認する蒼鷺です。 大人のみなさんにお願いです。 ここはやはり、数の力が必要です。 下記(その2,その3)の文面をそのまま使ってくださってかまいません。滋賀県県立能登川高校に、滋賀県教育委員会に、滋賀県広報課県民の声に、伊吹大臣に、文部科学省に、どうか送ってください。3月31日まで、どうか毎日送ってください。どうか、どうかほんの少し、勇気を出してください。 この私に、どうか力を貸してください。滋賀県県立能登川高校(標的優先順位第一位)、滋賀県教育委員会、滋賀県広報課県民の声の連絡先は、さくらまことさんのブログへhttp://plaza.rakuten.co.jp/hinoookoku/diary/伊吹文部科学省大臣ibuki@zms.or.jp文部科学省問い合わせ窓口voice@mext.go.jp ○○○○○ 御中一、滋賀県県立能登川高校美術部顧問、H教諭の発言、「わしは知らん」、「わしには関係ないわ」、「上から目線でえらそうな事を言うな」、「貴様は何様のつもりだ」は、いずれも生徒を無視し、その人格を否定する発言であることは明らかです。一、滋賀県県立能登川高校美術部顧問、H教諭の発言、「自分は正義だ、セクハラと暴力以外は、指導といえば何をしても許される」、「反省し、謝罪しろ」は、いずれも教育者としてあるまじき発言であるだけでなく、人間としても恥ずべき言動であることは明らかです。一、そのH教諭の言動に対し、「H教諭の指導は、不適切とはいえない」とする校長の常識を疑います。一、さらに、「娘さんは傷ついたと言ってるけど、傷ついたと思い込んでるだけだ」と発言した校長の神経を疑います。文部科学省のいじめの定義、いじめ対策の方針にも、明らかに違反する行為です。一、そうやって、自殺、自傷の可能性がある状態になるまで生徒を追い詰めておきながら、謝罪の言葉ひとつなく、他人事のように、きれいごとばかりの手紙を送った校長は言語道断、最低最悪です。一、このような緊急事態にもかかわらず、「いじめと認めない」、「残り少ない学校生活を楽しく過ごすように」などと発言し、何ら解決を図ろうとせず放置している滋賀県教育委員会職員は言語道断、最低最悪です。一、このような緊急事態にもかかわらず、ただ傍観するだけで県民を救おうともしない滋賀県知事、滋賀県知事部局職員も同罪、最低最悪です。一、このような緊急事態にもかかわらず、ただ「お願い」するだけで国民を救おうともしない伊吹文部科学省大臣、文部科学省職員も同罪、最低最悪です。 以上、わたくし○○は、断固として抗議します。 みなさんは子どもの頃、こう言われませんでしたか。「困っている人がいたら、助けてあげなさい」「泣いている人がいたら、一緒に泣いてあげなさい」「苦しんでいる人がいたら、救ってあげなさい」 みなさんはいったい何のために、公職に、教職に、就かれたのですか。○○県 ○○○○ 今回はクリックの代わりに、抗議の手紙をお願いします。 このほか、下記にも抗議文をお願いします。 滋賀県立能登川高校 中○○美○校長宛て 〒521-1235 滋賀県東近江市伊庭13
2007.03.22
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トラドキスタンでは、硬直した行政に対抗するため、禁止文を定めることにしました。 今後、次の文はトラドキスタンでは使えません。使った者は法律で罰せられます。 日本国でも、ゲリラの標的になります。 × 適切かつ誠実に対応いたしました。 適切に対応したかどうかは通常、数ヵ月の時間を経て、しかも第三者の評価によって明らかになるものであり、場合によっては数十年後、後世の人たちによってその評価が問われるべきものです。 それを、血税で仕事をしているはずの人間がみずから「誠実に対応いたしました」とはいったいいかなる神経があれば言えることなのか。 役人どもには、人間の誠意を無にするようなことばはいっさい使わせないという態度で臨まないかぎり、道は開けてこない。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.21
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□ も 今日はこれだけです。業務体では避けたい「も」があります。 それを見つけて、具体例を考えてください。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.20
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□ も 今日はこれだけです。業務体では避けたい「も」があります。 それを見つけて、具体例を考えてください。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.20
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日本在住の市民を救うため、トラドキスタンのゲリラが滋賀県に侵攻した。 今後は、トラドキスタン人のみならず、日本人の方にも、このブログと「学校に殺される」のブログを読んでいただき、卑劣、無神経な能登川高校の校長に集中攻撃をかけてくださるよう要請します。 滋賀県立能登川高校 中○○美○校長宛て 〒521-1235 滋賀県東近江市伊庭13 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.20
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さて、「ずっと」ってどっちの意味かと思った人がいました。当然、あらゆる可能性を考える必要があります。 □ ずっと □ ずっと多い □ ずっと以前 それぞれ「はるかに」、「はるか」が考えられますが、「はるか」も業務体としては若干甘いところがあります。ただ、ほかに浮かんでこない場合は、「はるか(に)」でいいでしょう。 「きわめて」は確かに業務体ですが、比較には使えません。それでも、使っている人は使っていますので、「よい子」はマネをしないでください。 ×× ~の方が~よりきわめて多い。 □ もっと「もっと」はほぼ「さらに」と置き換えてよいでしょう。何か不都合な事例があれば、またその時に取り上げます。 □ つまり 「つまり」の業務体は「すなわち」ですね。 ただ、若干使い方が異なります。 もともと、「つまり」にせよ、「すなわち」にせよ、一種の逃げであって、多用すべきものではありません。トラドキスタンではいつも学生に「使うのは10年早い」と言っています。こんなものがなくても、文章は書ける。とことん、使わない練習をして、プロになって、ここはどうしてもという場面があれば、その時にはじめて使えばよい。 それくらいのものです。「~は3つある。すなわち、~、~と~である」なんて使い方は感心できません。第一、日本語の皮は着ていても、これでは中身は英語です。「つまり」や「すなわち」というものは、やや比喩的,象徴的、抽象的に言ったことを、もう一度具体的に、やや解説するような調子で繰り返す時に使うのが本来の使い方です。「換言すれば」と回答した人がいましたが、「つまり」の業務体というよりは、「つまり」、「すなわち」を使いたくなったら、「換言すれば」を使うことを考えてみるといいと思います。そこまですることはないと思えば、当然「つまり」も「すなわち」もやめるべきです。やはり、ここはそれくらい力をこめるべきだと思った時にかぎり、「換言すれば」にする――どんな文も、それくらいの「覚悟」で書くべきです。 そういう「覚悟」のない人が少なすぎます。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.20
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さて、ようやく事始を終えた文相学ですが、これがまたむずかしい。 能登川高校校長の手紙には最後に「あなたの人世に幸多かれと、お祈りします」と書いてあります。 私は最初、真琴さんの入力ミスかと思っていましたが、原資料に当たって確認したところ、やはり人世になっていました。 これは校長の直筆であり(他人に書かせたのでないかぎり)、変換ミスが起こりえないものです。 真琴さんは人権侵犯ということばを使っていました。本来は人権は侵害されるものであって、侵犯とは言いません。ところが、ずっとブログを見ていくうちに、真琴さんにとってはやはり「侵害」よりもむしろ「侵犯」という気持ちが強いのではないかと思うようになりました。 では、校長はどうでしょう。 人世とは「人の世、世の中」のことですから、独裁者でもないかぎり、「あなたの」がつくなんてことはありえないわけです。 ふだんから個人の人生よりも、世の中の世間体の方を大事に思っているから、無意識のうちにそういうことばが出てしまうと考えるのは簡単ですが、それでは文相学とは言えません。 こんな肝心のところで、人世ということばを使ってしまう校長の心の中にあるものはいったい何なのか、トラドキスタンの文相学者は、呆然と立ち尽くすほかありませんでした。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.19
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トラドキスタンから始まった学問に文相学があります。 骨相学というものがあるように文相学というものがあります。 私はこれまで他人から脅迫まがいのことをされたことが何度かありますが、その脅迫文から相手を特定することができました。どれもみな、文相学のおかげです。 ことばではなんとでも言うことができると言う人がいます。 本当は誠意なんかないのに、いかにも誠意があるように見せかけることも、悪意をいだいているのにいかにも善意であるようにみせかけることもできるように言われていますが、文相学があるかぎり、ほとんどの場合、それは不可能です。 たとえば、真琴さんのブログ「学校に殺される」で話題になっている能登川高校校長、中○喜○夫が真琴さんの娘さんに送った手紙の最後にこんな文があります。 × 楽しい大学生活を送るようにして下さい。 何らかの事情で小学校しか出ることができなかった人でも、わが息子、娘にこんな文を書くでしょうか。自らが愛情を注いでいる人にこんな文章を書くでしょうか。「楽しい大学生活」というものは結果の問題であって、自ら心掛けるものではありません。 これをもし、揚げ足取りだとか、屁理屈だとか言う人がいたら、私はその人の感性を疑います。 どんなに急いで書いたとしても、犯してしまう間違いや失敗と、潜在的に何かがなければ絶対に出てこないものとがあります。 仮に私がみなさんを食事に招待して、「楽しい食事になるようにしてください」と言ったとしたら、興ざめになるでしょう。おいしい料理もまずくなること請負いです。 この程度のことばの感覚しかない人が校長をしているのです。 国語と、国歌と国旗のうち、国歌と国旗とは強要するくせに、国語はこんなにお粗末です。 こんな日本語しか使えない人に国歌と国旗を強要する資格はありません。 わかっとんのか、慎太郎。 ということで、これが文相学のいちばん入り口の部分です。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.18
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トラドキスタンの留学生村で取り組んでいる作業のひとつに、ウイルス辞典の製作があります。厳密に言うと、ウイルスだけにとどまらず、いわゆるウイルス産物なるものも含めるようにしています。 ウイルスの定義なるものをまだきちんとしてなくて、それがひけ目になっていたのですが、あるところに「まず定義ありき」というのもずいぶん胡散臭いものだという記述がありました。 言われてみると確かにそうです。定義だけが一人歩きをしてしまうと、目的が失われてしまいます。いつまでも定義もせずに、勘だけを頼りにやっていくつもりはありません。目的を追求していく過程で、定義が固まってくれば、それがいちばんいいのではないかと考えています。 もちろん、現時点で定義がまったくないわけではありません。 基本的には、日本語のなかで自然増殖して、日本語のシステムそのものを大きく変えてしまうおそれのあるものをウイルスと呼んでいます。 たとえば、「より~」は日本語のなかにムリヤリ比較級なるものをつくってしまおうとするもので、基本的には言語学的な無知に基づくもの以外の何物でもありません。 学者、翻訳者、マスコミなどを中心にこういう強引なやり方が広まっていますが、日本語のなかに比較級をつくってしまうことは、単に外来語を取り入れるのとは比較にならない影響を及ぼすことになります。ほかのものがそのままで比較級だけが増えるのであれば、それはそれでいいでしょうが、言語とはそういうものではないのです。 琵琶湖にブラックバスを投げ入れるのと同じことで、いわば言語の生態系そのものが大きく変わってしまうわけです。「すべての」もそうです。「すべての」のために多様な表現、微妙なニュアンスが今、瀕死の状態にあります。「より~」、「すべての」、「さらなる」などはかなり強力なウイルスです。 では、ことばとことばの結びつき、情報子と情報子の結びつきのおかしなものは、どう考えればいいのでしょうか。 たとえば、「調査する」が今、あまりにもいい加減に使われています。庶民の間で自然にそうなったのなら言語の原理にかなった変化と言えますが、要するに辞書に書いてある訳語をそのまま使うしか能のない者たちが使いだして広まったものですから、排水垂れ流しと同じです。仮に「辞書を調査する」というほどのおかしな言い方が、何千何百と出てくればどうなるでしょうか。現在の意味体系が完全に破壊され、意志の疎通に支障を来たすようになります。思考そのものが非常にお粗末なものになっています。現在でも、すでにかなりのものが垂れ流しになっています。 そういうものを拾っていって、ワクチンをつくるのが、ウイルス辞典作成の目的です。 ところが、留学生村の学生のなかには、未だにこのことがよくわかっておらず、「生じる」と「生ずる」はどちらが正しいかとか、国語学者らが上から庶民にモノを言うのと同じ観点から考えている者がいます。「事件が起きる」ではなく「事件が起こる」だという者もいます。そんなことを問題にしているのではありません。 「見られる」を「見れる」と言うのは、庶民の間に生まれた自然な変化です。 庶民は天才であると思います。庶民を攻撃する国語学者の視点を捨て、学者、翻訳者、英語サービス業者の思い違いを咎めるのが、ウイルス辞典作成の目的です。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.18
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トラドキスタンは滋賀県、滋賀県教育委員会に宣戦布告する。
2007.03.17
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トラドキスタンに教育委員会のような馬鹿げたものはありません。 教育とは、学校に邪魔されないで身につけなければならないもののことである。 ―マーク・トウェイン― 教育とは、学校で習ったことを何もかも忘れてしまったのちに残るもののことである。 ―アインシュタイン― ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.16
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× カタカナ英語からの脱出 たかが外国語にすぎないものだから、別に好きにすればいいと思うけど、母語の日本語はどうでもいいみたい。 脱出じゃなく、脱却ですよね。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.15
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医学日本語講座(17) さて、次に行きましょう。 □ ~だけである(あった) 前に数字が来る場合と、そうでない場合とでは若干、考え方がちがってきます。 30%、50例、20mgなどが来れば、「わずか~である」とすれば解決です。 「~しかない」は「~だけ」よりもさらに日常体に近く、卑俗な感じが否めません。「しか」と「ない」ではさむ方法があるのは、日本語の面目躍如たるところなのですが、業務体でこれに相当するものがないのが何とも残念です。 □ 30%だけであった。(日常体) □ 30%しかなかった。(日常体) ○ わずか30%であった。(業務体) ○ わずか30%にとどまった。(業務体)「のみ」を使うとニュアンスが変わってしまうことがあるので、要注意です。 数字以外のものが来た場合、たとえば、 □ ほんのすこしよくなっただけである。(日常体) ○ わずかに改善をみるにとどまった。(業務体) ここでも「とどまる」がなかなか効果的に使えていると思います。「しか~ない」にそっくりそのまま対応する表現がないかぎり、「わずか~にとどまる」は自分の型をつくるためにも、心に留めておくべき言い回しです。 □ いちばん これはほとんど問題なく「最も」に行き着くはずです。新聞をはじめかなで書く傾向がありますが、もうひとつ、「それはそれとして」の意味で「尤も」というのがあります。 そこで、こちらをかなにし、「最も」は漢字にするというのが私の考え方です。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.15
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□ 行う さて、「する」と回答した人がいますが、「する」を業務体と考えるのはムリでしょう。医学では「~術」を施行するという言い方をします。 この言い方が果たして日本語本来の原理を踏まえたものであるかどうか、私にも実はよくわかりません。施行するというのは本来、法律を施行するなどとは言えても、それ以外にはあまり使わないことばです。 もともと、医学には日常の言い方から遠ざかろうとする妙な意識があります。たとえば、しゃれこうべのことを医学用語で頭蓋骨(ずがいこつ)と言っていたものを、庶民がこのことばを覚えてしまうと、今度は「とうがいこつ」と読ませて、庶民のことばとは一線を画しようとします。 本来、庶民にとっていちばん身近なものでなければならないはずの医学知識を、庶民が普段使わないことばによって表現しようという意図自体、所詮は患者よりも自らのプライドを重んじる医学界の体質を物語るものにほかならないわけですが、それはそれとして、日本語としての問題がないかぎり、用語は用語として、慣用表現は慣用表現として認めざるをえません。 さて、問題の「施行する」です。これももともとは医師のプライドから生まれた表現か、さもなくばドイツ語ないし英語を翻訳するときに、たまたま辞書に載っていた訳語を用いただけの愚かな先輩医師がいて、さらにそれに輪をかけたように愚かな後輩医師がまねをしたことによって定着してしまったのではないかと思います。 ただ、~形成術などに限定して「施行する」を使うのであれば、日本語全体に悪い影響を及ぼすことは考えられず、翻訳者も翻訳にあたっては積極的に用語として受け入れていいのではないかと思います。ただし、それはあくまで個々の術式に言及する場合であって、単に「手術をする」というような日常の表現を「手術を施行する」とするのは不可。 最近は調子に乗って、実験等にも「施行する」を使う医師、翻訳者がいますが、業界の慣行を踏まえつつも、いちばん根底には日本語という「憲法」があるのだということを忘れないでほしいものです。 なお、「行う」の業務体としては「施行する」のほか、「実施する」が考えられます。「実行する」は医学ではめったにお目にかかりません。また、若干、趣がちがうような気もします。 いちばん困るのは「なされる」で、そもそも「調査をなす」とは言わないのに、「調査がなされている」と言えるわけはなく、誤用であると考えられます。 × なされる 誤用であると断定するだけの根拠は今のところ、もちあわせていないのですが、日本語のシステムにとってきわめて有害なもので、トラドキスタンでは「なされる」をウイルスに指定しています。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.14
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コメントをいただきましてありがとうがございます。 □ 行う これが実にむずかしいのですね。無意識のうちに、「~を行う」ってしてしまいますが、それでいいわけではありません。 もともと、出版業界にも、「~する」と言えるものをわざわざ「~を行う」とするのはよくないという認識があります。 翻訳者はだいたい、そういうものに鈍感すぎます。 たいていの日本語は「~する」という言い方で表現できます。それができないものは「~を実施する」などと言うことになり、「~を行う」の出番は少ないはずなのです。
2007.03.13
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戒厳令を解除しました。 12時間以内に次の記事を書きます。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.13
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戒厳令の最中ですが、ウイルス検知器がウイルスを検知しましたので、お知らせします。 × A 実業団駅伝の要項のみ改正することで外人選手は実業団にとどまることができる。(朝日新聞) × B 最後にレモンを絞ることで酸味が飛ぶのを防ぎます。(NHK)A、Bそれぞれ「のみ」、「最後に」を含めて条件を述べる文になっています。条件が含まれるものに「~ことで」を使う蛮行が横行するようになったのはいつからでしょうか。 × 疲れた体をそのままにしておくことで、筋肉は縮んだままになってしまいます。 ○ 疲れた体をそのままにしておけば、筋肉は縮んだままになってしまいます。 このように否定的な結果を招く場合にはおかしいことがすぐにわかるのですが、上のふたつは肯定的な内容なので、すぐに気づかない人がいるかもしれません。 Aのような文ではよくわからないと言うと、もともと陸上界の事情を知らない人には一文だけで理解しにくいのは当たり前だと反論する人がいますが、果たしてそうでしょうか。当然、前後の文があってはじめて完全な情報を伝達できるわけですが、それぞれの文が果たすべき「責任範囲」というものがあります。その責任を果たしていない文や、逆に全体の論調と食い違う情報を与えるような文は、やはりそれ相応の責任を問われるべきです。 もともと、実業団駅伝には外人選手が出れないようにしたいと思っている者がいて、本来はもう少し上位の規定に手をつけたいのだけれども、そうすると日本の実業団に所属する外人選手がどの大会にも出ることができなくなり、日本の企業に所属する理由がなくなってしまう。そこで、何らかの規定を改正するにしても、実業団駅伝の要項だけにしておけば、外人選手が実業団にとどまることができる。 そういうことを言いたい文ですが、「~することで」まで読んだ時点で、まるで外人選手を日本にとどめる方策だけを議論しているような印象を与えてしまいます。 □ 実業団駅伝の要項だけを改正するようにすれば、外人選手が実業団にとどまることができる。□ 実業団駅伝の要項を改正するだけであれば、外人選手が実業団にとどまることができる。 ただ、実業団駅伝の要項だけを改正するといっても、それだけではすまなくなるので、問題は複雑です。実に微妙な含みを一文だけで表現するのは不可能ですが、こういうところに「~ことで」を使う人がいるのは困ったことです。 Bの文も、「レモンを絞ること」によって酸味が飛ぶのを防ぐのではなく、それを「最後に」することによって酸味が飛ぶのを防ぐのですから、こんな文はありえないことになります。 なぜ、ごく単純に□ 最後にレモンを絞って、酸味が飛ばないようにします。 と言えないのでしょうか。 実はこの「~ことで」こそが、冠詞をはじめ、外国語の理解を妨げる元凶なのです。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.12
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戒厳令2日目です。 戒厳令を敷いて書き込みができないのに、応援していただいて恐縮です。 なるべく早く解除できるようにします。
2007.03.11
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仕事が厳しくなってきたので、トラドキスタンでは戒厳令を敷いています。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.10
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× 何のことを指して書かれた記事なのかが全く理解ができない。 理解できないのが当たり前。「何のことを指して書かれた記事なのか」はわかるかわからないかの問題であって、理解できるかできないかの問題ではない。 庶民に対しては、こぶんしょではなく、こもんじょであるとか、的を得るではなく、的を射るが正しいとか、あれこれ指摘するくせに、己は英語の前にひれ伏し、「すべての」、「これらの」、「より~」、「さらなる」を連発する粗悪な日本語しか書けない学者、産業翻訳者、お役人、企業人、政治家に対して徹底抗戦を挑むのは当然の成り行きである。 たとえば、このブログとリンクしている真琴さんのブログやjunyさんのブログにも、失礼を承知で言わせていただければ、日本語のまちがいはいっぱいある。だけど、それがどうだというのだ。庶民のまちがいに対しては何も言わない。 日本の国語学者や文法学者に告ぐ。 いい加減に庶民を攻撃するのをやめて、権威の上に胡坐をかいている大学教授や翻訳者の日本語に挑んだらどうか。 そこにどれだけ面白い材料がころがっているか。 英語屋さんもそう。 知識を前面に出すのはいい加減にして、まずなぜ英語なのかを問い質すべき。 そもそも、何のことさして書いた記事であるかが理解できない(本来はわからないと言うべき)などと言うものが、日本人の英語のまちがいを逐一指摘するとは何事か。 所詮外国語にすぎないものまちがいを逐一指摘する者が、こんな初歩的な日本語のまちがいを犯して、そでもなお「揚げ足取り」などと居直るのであれば、トラドキスタンは英語屋さんに対して宣戦を布告する。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.09
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医学日本語講座(14) では、次の日常体に相当する業務体を考えてみましょう。 □ 行う □ ~だけである(あった) □ いちばん □ ずっと □ もっと □ つまり ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.08
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× スクールなしで得る語学力 そもそも語学力は得るものか。こういう文を書く翻訳者には仕事をしてほしくない。 ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.07
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「より~」の致命的欠陥 □ 臨床研究により多くの分子標的薬が用いられるようになった。「より~」の使用、少なくとも節操のない使い方を許してしまうと、上の文の意味がどちらにもとれるようになってしまいます。□ 臨床研究によって、(治療に)用いられる分子標的薬が増えた。□ 臨床研究に用いられる分子標的薬が増えた。 これもそうです。□ この方法では、回収率がより低くなる。 単に低くなる(すでに比較の意味が入っている)というだけのことにダメ押しの「より」をつけているのか、別の方法と比較して低下率が大きくなるのかがわかりません。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.06
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さて、日常体に対する業務体を考えてもらおうと課題を出しておいたら、次のような書き込みがありました。ありがとうございます。 □ いろいろな→種々の、様々な □ 役に立つ→有用である □ 使う→用いる、使用する □ まだ→依然として、未だ ほぼこれでいいでしょう。「使う」には「利用する」も考えられます。もちろん、場合によりますが。 私は以前、「いろいろな」が日常体、「種々の」が業務体、「さまざまな」が中間体ではないかと考えていました。ところが、「種々の」ではうまくいかないことも多く、「さまざまな」を使わざるをえないと思うようになりました。 ところで、なぜ漢字なのでしょうか。新聞、テレビなどでは漢字がよく使われていますが、こういうものを漢字で書く必要があるのでしょうか。基本的に文学者と科学者とでは考え方に若干の違いがあります。文学者は由来がわかるようにすることに重きを置き、科学者は情報伝達の精度と効率に重きを置きます。その意味では、技術文献ではかなで書くのがいいのではないかと思います。 最後にひとつ、「依然として」はやや趣が異なり、字数も多く下手に使うと冗長になるので、注意が必要です。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.06
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× 将来の体のすべてになる能力を秘めた細胞 (西川伸一) なわきゃあねえだろ。シュールレアリズムの世界ですね。 ○ 将来、体のどの部分にもなる能力を秘めた細胞 トラドキスタン政府は、この文を西ハワイ軍による日本語への空爆と捉え、日本政府に厳重抗議する。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.05
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情報量と場による絞りこみ dose をめぐって 070201の課題から 文脈がなければ最終的な訳は決まらないと言う人がいる。けっしてまちがっているわけではないが、このことばをあまり鵜呑みにしてもらっても困る。 どの情報子の情報量も場の影響を受けて大きくなるのであり、けっして文脈という漠然としたものによって、「何となく」決まるわけではない。そうではなくて、場の影響を受けて極大になった瞬間に最終的な訳が決まるのである。 場の考え方は物理学と同じで、近い位置にあるものに大きな影響を受ける。 そうであるからには、文脈という漠然としたものではなく、常に場というものを意識し、場の影響から目を離してはならない。 dose たとえば、dose ひとつだけでは情報を絞りこむことができない。単に抽象的な概念で用量、線量などを意味するのか、それとも何らかの具体的なことを意味するのか。ここにsがひとつついただけでもだいぶちがう。 doses 複数形になれば、それだけで具体的な意味合いを帯びる。 three doses こうなると回数、と早とちりしてはいけない。もちろん、回数を意味する可能性も否定できないが、用量ないし線量が3通り設定されている可能性が浮かびあがる。つまり、この段階で、回数が3回分か、それとも用量等の設定が3通りあるか、そのどちらかであるところまで絞りこまれる。 the second of three doses ここまで来ても、3回分のうち2回目とは決めてしまえない。3通りの用量、線量設定のうち中間の用量、線量である可能性がある。 patients receiving the second of three doses これで3回分のうち2回目の可能性はほぼ消える。3回のうち2回目まで終了したということならわかるが、2回目に限定して、その投与または照射を受けた患者ということは考えにくい。 The ten patients receiving the second of three doses そのひとつ前の文に30 patients とあって、the ten とご丁寧に定冠詞までついている。それでthree dosesというのだから、見事に辻褄が合う。ついでにThe tenで始まる文の直前にbapineuzumabとあるから、これはもう用量以外にありえない。 そうすると、「3通りの用量のうち中間の用量を投与した10例は(が)」ということになる。何の話かわからなくても、場を見るだけで訳は決まる。ちなみに、文脈に頼ってdoseの意味を取ろうとした人の半数以上が、「3回分のうち2回目」と誤って解釈している。 文脈など見るまでもなく、The ten patients receivingが来た時点でその可能性は消えているというのに。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.04
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翻訳村の村長の発言が話題になっている。「英語の理屈だけに頼って翻訳している翻訳者は、遺伝子組換え生物と同じ。危険極まりない。日本語というシステムのなかにいわば外来のシステムをむやみに持ち込むわけだから、これほど危険なものはない。現に、そういう翻訳者のブログを読むと、日本語の染色体がずたずたにされているのがわかる。こういうものを野放しにしておくことはできない。トラドキスタン国内だけならどうにかなるが、相手が日本国ではなかなかむずかしい。あれはもう、文化的にはアメリカの支配下にある国なのだから」←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.03
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医学日本語講座(12) 日常体と業務体 まず日常体を挙げておきますので、業務体を考えてください。 □ いろいろな □ 役に立つ □ 使う □ まだ←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.03
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まるで翻訳業界の内情をのぞくよう 翻訳裁判所が、吹田市でスキー客ら27人が負傷した事故に注目している。 翻訳業界の内情にあまりにも酷似しているからだ。「良質で安価なサービス」を狙った規制緩和によって、貸切バスに参入する業者が急増した。旅行業者に足元を見られ、低価格や日程のきついツアーを請け負っている。 東京大阪間3900円などはまだ序の口で、補助席なら1900円というツアーもある。 低価格の内実には、背筋が凍るような安全の軽視がある。 事故を起こしたバスには運転手の交代要員が乗っていなかった。当日の予定はもはや目いっぱいだったところに、別の旅行会社から新たに2台の要請があり、一度は断ったものの、「何とかならないか」と強く迫られ、社長がワンマンで運行することに決めたという。旅行会社は、「ワンマン運行を黙認することはありえない」と言っているが、今後真偽が明らかにされるはずである。 裁判官の間にため息がもれた。「まるで、翻訳の世界の話を聞いているよう」←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.02
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トラドキスタンの翻訳裁判所では今、吹田市で起きたバス事故が話題になっている。なぜ、翻訳裁判所でそんなことが話題になるのか。←ランキングに登録しています。クリック、よろしくお願いします。
2007.03.01
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