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続きです。昨日は さすがに泣いちゃったけど 旦那が三五十五してから 「その注射したら できるかもしんないんでしょ?」と聞く。「違う!まず卵巣の機能を治す注射なの」「へーじゃ今度は出来ないの?(何度言ったか!)」「そ!今月はその注射して 次の生理が来たらまた行くの」すると「まっ、万全でないまま体外しないでよかったじゃん♪」って。 へ?それだけ?私はフラフラしながら 駅のケンタで泣いてたとゆうのに。常々思ってたんだけど 絶対アンタはO型だ!という確信ができた。旦那はA型だっていうんだけど どうみたって楽天家。物事を 深く考えない傾向にある。(私の主観的な感想です)1回目の役員改選の騒動から あーでもないこーでもないと あちこちで 話し合ってた私たちママグループ。(私はA型)とにかくAAは煮詰まるのよね。一生で一番頭使ったかも?1日に2転3転、ひどい時は4転5転事態が変わるので 旦那が帰って来た時に順序だてて話そうものなら 30分以上はかかる。この日記でもわかると思うけど 私は1から10話さないと気がすまないタイプなの。ホホホ。v(ー_ー)そんな時にもうちの旦那 ほとんど聞かないうちに「なるよーになるんじゃない?」って感じ。あんたそんなこと会議で絶対言わないでねって感じ。最初の喧嘩を見ていないからそう言えるんだよね。ただ役員をする人がいないんじゃなく してくれる人はいるんだけど 1回もしない人がいる中の3回目の立候補でいいのかとか 来年やさ来年の人員の組み合わせの事をなーんも考えていない。なんでそんなに大変なの?って感じ。よその夫婦は 夜中まで夫婦会議とかも開いてまで 考えてくれてるとゆーのに・・・そのときは 役員改選のゴタゴタを軽く考えてるなーと思ってたんだけど 今になって思うと 絶対旦那はOだ!「あんた絶対Oでしょ!いや、仮に血液型がAだとしても 親がAとOだから あんたは絶対AOだ!」「いやいや俺はこんなにまじめだからAだ!!」なんて言いあって笑ってるうちに 私は元気になりました。考えるのは私の性分なんだけど 時には楽天的でもいいのかなって。夫婦で煮詰まったら 精神的によくないもんね。 O型っぽい旦那で よかったのかもしれないです。私は FSHがこのままもう下がらないのではって 儚んでいたんだもん。
2006.02.28
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朝早く家を出て 電車をいくつも乗り継ぎ 歩いて歩いてようやくたどり着いた病院。予定では 今日からスプレキュア+HMGの注射…のはずだったんだけど FSHが高い値だったみたいで 延期になっちゃった( ̄□ ̄;)!!卵巣が老化していると言われて 私の頭は真っ白に( ̄△ ̄)!!先生の説明も 上の空で返事してました。役員の事からはじまり なんでこうも『想定外』な事ばかりが続くんだろ~まさかIVFができないなんて 考えもしなかったよ。放心状態でヨタヨタ歩いていたら タイミングよくK子ちゃんからのメール。元気?運動頑張ってる?遊びに来ない?って…実は今病院で あーでこーでかーで、と話すとK子ちゃん、『私もFSHが高い時があったよ。高い時に誘発剤打っても効果があまり無いんだよね。それなら卵巣を若返らさないと!今こそ運動&食事などで頑張ること。今から暖かくなるしIVFするにはよい時期になると思うよ。ホルモン値ってオタマジャクシの数と同じでその時の体調によって変動する事アリだから。せっかく今回からIVFだと意気込んでたのに、先伸ばしになってしまってガックリきたかもしれないけど、役員改選騒ぎなどでバタバタ落ち着かない今よりは かえって良かったかもよ。』と 力強いお言葉。K子ちゃんとは10年来のお付き合いですが 4~5年前からだいぶ仲良くなり 今じゃ大親友♪同じく不妊の桃子ちゃんにも K子ちゃんを引き合わせる計画も立ててます。Kちゃんに会ったら不妊の人はみんな元気になるかもと思ってる。不妊治療が終わり3人も子供がいながら 不妊の人へアドバイスとか 他人の治療に対してこんなに興味を持ってくれる人、なかなかいないよ~そういえばダウン症サークル主催の講演会で 体験発表もしたんだよ~遊びに行った時も別に私からは不妊の話はしないんだけど K子ちゃんから話を振ってくれるんだ。K子ちゃんてば ずっとしゃべってるよ(笑)そのほか はげましてくれたなつママ あと 最近いい感じに親しいマミちゃんにも報告したらはげましてくれた。みんな ありがとうって感じ。私は少し不妊治療というものに疲れてて 体外までやるべきかどうか迷っていたから まぁ しばらく卵巣の働きを治す注射でもしながら 様子見てみます。(旦那に打ってもらうよ)春になったら友達とのお泊まりや従姉妹ん家へのお泊まりなど 楽しいことが控えてる。友達も帰省する。タムも楽しみにしてる。久しぶりにアルコールでも飲みながら 気分を変えてみようかなーっと思ってるよ♪
2006.02.27
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タムが所属する金管バンドで このたび宿泊お別れ会が開かれました。 本来ならば部活は3年生からなんだけど 先生の取り計らいにより 2年生も秋から入れました。 2年生の途中入部が6名いて いずれもズンナイ(元気な)子たち。 途中入部だったために 私は6年生の役員さん(お母さん方)も分からないし 挨拶もしてない その上そんなズンナか2年生まで 6人も宿泊会に参加させてもらえるなんて ありがたき幸せ♪ 部長が、地区でもさんざんお世話になったボスママだったこともあり 差し入れをしようと なつママと考えました。 事前に ボスママに 差し入れしたいんだけど何がいいか聞いたら 一旦遠慮した後 アイスがいいねーと言うので 20時ごろアイス持ってゆっくり行こうと思ってました。 夕方 花粉症の薬が効きすぎて 横になっていたら電話がきました。『カレー食べにおいで』 うっ(; ̄ー ̄A 多分知らないお母さんばかり。 一瞬迷いましたが断れませんでした。 さしたる理由もないのに断ったら 失礼だし 逆の立場ならすごく悲しい。 ここで逃げちゃだめだと思って 『行きます』とプラス思考で返事をし なつママにメールして 早めに行ってもらうことにしました。 行くと やはり知らない人の輪が。 誰ってゆう視線が痛い… でも さすが 気配り上手なボスママ! 『ようこ(仮名)ちゃ~ん○○さ~んこっちおいで、カレー食べなさい、自分でついでね~(笑)』と 大きな声で手招きしてくれました。 はぁー この人のこんな所好き~ぃ 友達がまわりにたくさんいるからって 来てもあまり声かけないんじゃなく 別の組織での知り合い(私ら)にも そうやって声かけて 入りやすい雰囲気にしたり 気持ち良くむかえてくれる気配りができるって すごく嬉しいし 心強い。 ボスママについては 賛否両論あるかもしれないけど そうゆう所は絶対見習いたいよ。 だってたまにいるのよ、保育園とかで 連れがいない時は話しかけて来るくせに 学校とかで会ったら自分には連れがいるからって 話しかけてこないどころか 挨拶もしない人。 付き合いは 組織の中にいたらいろいろあるから 別の連れがいるときは話しかけにこれなくてもしかたないけど 挨拶ぐらいはしてほしいよね! 利用しないで欲しいです。 ボスママは どの組織にいる時でも いつも私を見掛けたら声はかけてくれます。 話も振ってくれるし。 やっぱりそうゆうのって嬉しいよ。 なつママは 旦那さんが帰って来たのと ちびちゃんがいたから中座してしまったんだけど うちは旦那も飲み会でいないし 連れがいないからってさっさか帰るのは ボスママにもみんなにも 失礼な気がしたので 残ることにしました。 逆に私が役員ならば 自分が部長をする行事に 親が誰も来てくれなかったり カレーを食べて 挨拶もせずいつの間にかそそくさと帰られるよりは 時間の許す限り居てくれたほうが うれしいはず。そうゆうフレンドリーな気持ちを他人に伝えるって 相手も喜ぶし 大事なことですよね。 私はそんな喋る方じゃないし 面白い人間でもないので 居ても居なくても変わらないのですが 役員でもないあたしが最後まで居る事で 『役員さん達が一生懸命考えた宿泊会は 楽しいですよ』とゆう気持ちを伝えたかったんです。 ボスママには地区の役員のとき さんざんお世話になったし かわいがってもらったから 少しでも恩返しできるような気がしました。 だから翌日の解散の時も一人だけ早めに行って 2年生チームの片付けを 手伝いました。(なつママはちびちゃんがいたから 声はかけなかった。みんな分かってくれるだろうし) 案の定ボスママは大きな声で 挨拶とお礼を言ってくれました。 来て良かった。 私は 役員さん達にお礼を言った後 2年生の棟に泊まってくれた役員さんを探してお礼を言いました。 あんなズンナか子達を…しかも新入部員だからあまり役員さんとは馴染んでない子達なのに 一晩見てくれて 気を使い大変だったはず。ありがたい事です。 そういえば… いちばん最初の 昨日の集合の時 次から次に連れて来る親を見ていると 車から子供を降ろして 挨拶もせずさっさと帰る人や 友達と話したら帰る人、役員に挨拶をして帰る人、そして これは気持ちの問題ではありますが 差し入れを持たす人持たせない人 いろんな人がいました。 私たちもいずれは6年になり 役員が必ずやってきます。 役員さんは何かと大変です。ましてや泊まりともなると… そんな時 役員と面識がないとはいえ 忙しいとはいえ シレッと子供だけ置いて行かれたら… よろしくお願いしますの一言は 面識があろうがなかろうが 当たり前の事ですよね。 言われて不愉快になる人はいません。 なのに そんなことも言わない親もたくさんいたみたいです。 仮に 性格上言えなくても すごく忙しくてさっさと帰らなければいけなくても 子供に持たせるジュース1本の差し入れで 最低限気持ちは伝わります。 30数名いるうちの何人が 役員に礼を尽くしたのかな。 役員なんだから当たり前とか、そんな態度はおかしいよね。 子供が一晩 何らかの形でお世話になったのだから きちんと礼は言うべきですが。 うちの子はおりこうだから 別に世話にはなってないわとでも思ってるのかな。 泊まらせてやったのよとでも 思ってるのかな? 親の考え方次第なんだろうけど 私は 最低限の礼儀すらできない人は嫌だなぁ。 次に会ったらもう一度『この前はお疲れさまでした』って 役員さんらしき方々にお礼を言って それで私の中では一応終わりです。 先日初めて喋った役員さんへの 2度目の話しかけ!ドキドキ。 でも 何ごとも2度目が結構肝心ですよね。 1度は話したのに次は素知らぬふり、じゃ あの人(前出)と同じになってしまいます。 少しの勇気を出すだけで 顔見知りになれるし はたまた 意外な人と仲良くなれるかも! 14年前に 就職でこちらの地方に単身でやってきて 9年前 ますます知り合いもいないこの村へ越して来て 嫁ぎました。 今でも友達は多くないけど 『地元の人みたい』と言われます。私なりに馴染んで来たからでしょうか? 友達が正月に帰ってくる、と言っても こちらの土地での友達のことだし こっちでの友達のほうが遥かに多い。いろんなつながりがあるので おかげさまで 茶のみ相手には不自由しません。 生まれた地を離れ いろんな人と出会い 言葉も変わったけど 性格も変わって来ました。でも 目指すものはまだまだ! これからもまだ もっともっといろんな事学びたいです。そしてそれは すべてタムのため。陰口叩かれるよりは評判がいいママになりたいし タムを人気者にするためには 親である私も努力しなきゃね。 よその子供への声かけも もっともっとやってみよう~っと!そしたらもっともっとタムの友達も増えそう。 家族ぐるみの付き合いができたらいいし 絶対にタムのマイナスにはならないよね。 タムのため。 苦手な事から逃げないで がんばるぞ~
2006.02.26
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役員の件。 委任状を持ってきながら 『委任』の意味が分かってない人がいて、『会長になったら子供会を辞める』とゆう 妙な言い分まで出て来て その対応に大わらわ。 委任する、という意味を説明し 子供会を辞める事も そんな前例もない話を承認するのは 私ではないですよね。そういう意見も含め すべてあの場で言って下さい、と言うんだけど 分かってくれない。 なぜ小2の親の私が 大先輩である中3の親に そんな分かりきったこと 言わないといけないのかな… そんな言い分があるのに委任状を受け取るわけにはいかないので 一旦お断りした。 すると次にそのご主人がまた持って来た。 私は 『自分では今聞いたことをどこまで話していいかわからない。ぜひ自分の口で』と ぜひ会議に来て下さるようお願いしたのだが どうしても理解が得られない為 『じゃ 今聞いた話と 子供会を辞めるという意向まで すべてお話しても構いませんか』と聞くと その件については了承を得られたので そうするしか仕方がなかった。 ただし 委任状は私は受け取らなかった。 意味が違う委任状を安易に受け取ってしまって またその人に票があがってしまったら 委任状を受け取った私の全責任となるので それは頑として受け取らなかった。 まぁ 今の流れ(母子家庭にも会長を!)では アンタに票が入ることはないよ、とは私は分かっていたが そんな手の内を明かしてしまったら それこそ二度と来てくれない。ほんとはアンタの委任状になんか 構っている暇はない。 ただし このやり方で間違っていないか 不安もある。 時間ギリギリまでいろんな人の家を訪ね 話してまわって 結局 今年必ずなんらかの会長をしなきゃいけないマミちゃん夫婦に『じゃあまた 私が育成会長やるから』という事で ギリギリに話が付いた。 そして会議が始まり 流れは母子家庭に会長を!という方向になり 多数決でも決まった。 ま それはありがたい話なんだけど 母子が会長をするという流れのまま 私ら夫婦が手を上げるのはあまりに無理がある。 私の中では 副経験のある母子が 会長に手を上げて その下に 全く役員をした事のない人をつける。でも 役員をしたことがない人は 今年は役ができないと言い張る 母子家庭しかいないのです。 その人たちが手を上げた段階で私が 『新人の母子家庭の方3人ではやはり大変』ということを告げ なおかつ 来年からも母子が会長を一度はするという流れを壊さないように 議事録に残してもらった上で 今年は私が育成会長をして 新人の母子さんが下について下さい。経験のある母子さんは すみませんが来年 新人夫婦が2年生で上がってきますから その人たちと組んで 教えて下さい。(つまり私が来年その夫婦と組むと、夫婦夫婦は人員的に勿体ないのだ) と言うつもりだった。 なのに 転出予定だった 全く想定外の母子さんが手を上げたのΣ( ̄□ ̄;||| その母子さんは 会長に名乗りをあげてるマミちゃんと仲良し。 私は役員席にいるから 何がどうなったのかわけがわからない。 マミちゃんと仲がいい人だから 私よりその人がいいかなと思いつつ 人手とか考えると 可哀相。 それから私の頭は真っ白。 どんどん決まって行く中 マミちゃんを必死で下に呼び出した。 それからもいろんな事がありました。マミちゃんは 私としたかったそうです。しかも その母子さんは マミちゃん希望のPTAを 後から来といて横取りしたのです…マミちゃんは 嫌とは言えませんでした。しかも 私と『育成・PTA を隔たりなくやって行こう』と話していたにも関わらず 母子さんは『完全に別』という態度を取ったみたい。 それでまたいろいろ思うことがあったみたい。 マミちゃんやその他 来年の私を心配してくれたりして 翌日も来客でてんやわんやでした。委任状を預けようとした夫婦にも報告の義務があると思ったので 慌ただしい中訪問したり。 だけど 役員をして得たもの。それはかなり大きかったです。 特に マミちゃんとは いろいろ話し合ってお互いを思い合って 一番わかりあえたし 裏表がない人だとわかったし 意見がある人だから すごく話し甲斐がある。(私は 自分の意見を言い合える関係が好き) マミちゃんとはすごく仲良しになれました。 こうなったら一生懸命手伝うぞ~ やはり私のために一生懸命手伝ったり 気を揉んでくれた方々には 精一杯のお返しはしたいですね。 役員をしてみて いろいろな人の意見を聞きながら 相手を尊重しつつ自分の意見を言うことも覚えたし 何よりよき仲間に恵まれた。 ありがたいことです。 昨日はボスママが タムら部活の合宿で カレーを食べに来なさいと誘われたので 恥ずかしかったけど行ってきました。 いろいろな役員さんと少しだけだったけどお話して そのあとはずっとボスママや他の人としゃべってました。帰ったのは10時。長くいましたよ。そのあとはまたマミちゃんたちからお誘い。さすがに眠かったから断りましたが… いろいろな人とまじわう事って 楽しいもんですね。 そして 仕事をしてないからこんなに余裕があるんだなって思って 辞めた事は 英断だったと つくづく思いました。 これをバネに どんどん仲間を増やして行けたらなと 思いました。 もちろん 昔からの仲間も大事にします。 忙しくなりそう♪
2006.02.23
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めろんちゃんの日記を読んで 思った事がある。お姑さんに 1歳の女の子の事、「おもちゃの取り合いになっても最終的に自分が取れるような子にしなきゃ駄目よ」って言われたって書いてあったんだけど それは 行きすぎだよねー。まあ、 同じぐらいの子に対して 人見知りする孫を案じてのことなんだと思うけど 1歳になったばかりだし まだ冬だから そうそう公園デビューもお出かけもないだろうし 特に急ぐこともないし もし 人見知りが治ったとしても 1番がいいのよっていう考えは どうなんだろうな。女の子だし、ね。。。人慣れしていけば 大丈夫だと思うし。お母さん(めろんちゃん)がふつうに人付き合いが出来る人だったら 私は何も問題はないと思いますけど・・・逆に 母親の役割って大きいよねこんな実例があります。私が 保育園で働いていたときの話。あと少しで小学生になるという 10月だったか 8月だったか覚えていませんが 年長さんの女の子が入園して来ました。ただでさえ 入学準備にしては 遅いなーと思ったんだけど お母さんの背中にべったりくっついている子でした。でも その子は クラスメートになかなかなじめず 「いじめられた」とお母さんに訴えて お母さんも たいへんな剣幕で文句を言ってきたそうです。 私は 未満児組に入っていたため どういうやり取りが合ったかは知りません。でも 今でも私の友人である 保育士 琴ちゃんは 一生懸命頑張っていました。結果として わずか1ヶ月足らずだったと思いますが 「もう自分で見ます」と母親は言い残し 退園していきました。 山間部の過疎地だったので 小学校に上がる人は全員その保育園にいます。他の幼稚園など ありません。今そこで逃げて 小学校に上がったらどうするのだろうと思いましたが 地元の保育士さんの話を聞くと 今までずっとお母さんとべったりで 友だちと遊ばせることもなく 手元で育ててきたそう。お母さんに関してもあまりいい評判を聞かないとのことでした。。。正月に 帰省してきた琴ちゃんと会ってその子の話をしましたが どうしているかは分からない、との事でした。この付近でも 父兄と会ったりするので 他の子の近況は大体知っているのですが (そういえば 私が未満児組で見てた子が 近所の中学生だったよぉ~)その子に関しては情報が・・・ 今度思い切って聞いてみよう。そういえば 母親に捨てられ 父親がのんだくれだった マヤちゃんのことも Hくんの父兄に会った時聞いたら 「あの子はねぇー。おばあちゃんが亡くなった後は いろいろあってねー」と口を閉ざされました。多分 高校も行ってないんじゃないかな・・・ 私のアルバムの中では マヤちゃんがあどけなく ピースサインをして いたずらな目で笑っていると言うのに・・・・すごくやんちゃで 少しだけ私に似てて 「先生、先生、おにごっこしよう、今日の給食何?」って いっつもうるさい 素直なよい子でしたよ。親で こうも 子どもの人生って 変わるんですね。せつなくなります
2006.02.22
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役員改選、今度はそのオヤジにはあまり関係ないので とりあえず修羅場にはならなさそうです。でも なかなか決まらないと思う。この前も 話し合いは22時まで掛かって それから10人ぐらい残ってダベって 0時過ぎてましたもん。旦那 結婚式の2次会の帰り 23時45分になっても私と連絡が取れないものだから かーちゃんに送って貰ったんだけど「○○の公民館で降ろして」と言うと 「そんな遅くまで会議をしている役員会なんか あるもんか!」と言ったらしい。でもいるんですよまだまだ(゚△゚)(゚▽゚)0時前になっても 公民館の電気がこうこうとして 車がたっくさん停まってる状態に かーちゃんも唖然としていたらしい_・)ぷっそんなところなんですよね ココは。(でも 楽しいよ)さっさと決まった日でも みんなでおしゃべりしたり 仲良しの家に上がりこんだり。さっさと帰る事がない。だから いっつも金、土曜じゃないと ココの会議は出来ません^^とめちゃんの表現を借りるとすれば みんなお祭り好きって かんじ?_・)ぷっ 今月 子ども会のクッキングで ホットプレートやら 電気ポットを使いまくって その上 会議会議で夜遅くまで・・・公民館の電気代上がったかもねって話を旦那としていたら タムが 「みんな DSのじゅーでんもしてるしね」だって。\(゚o゚;)/ウヒャ-そんな楽しい(そう思える私は成長したのか?)この地域です。住宅が空いていたんだけど 入りたがってたなつママに教えたら 拒否られてしまいました_・)ぷっ そうそう、先日 教育委員会の受付の仕事をしない?っていうお話が役場のお知り合いからあったんですけど ま、断ったんですよね。いい話だったんだけどな。で、昨日 タムの部活の迎えに行って 教育委員会に勤めるお母さんと話してて たまたまそのパートの話をしていたら 「だったら保健所に看護婦の登録しておけば?」と言われました。それは 乳児検診なんかのアルバイトなんだけど 月に1回とか 人出が足りてたら 声が掛からない場合もある。看護婦はほとんどが仕事もしているし なかなか単発では出来ないみたい。保健所は歩いて20秒で行けるし 月に1回程度ですむなんて いまの私にはぴったり♪フルタイムみたいに拘束もされないし ちょっとしたお小遣い稼ぎになって すごくいいよね。そのお母さんが 保健婦さんに話をしておくとのことだったので 昨日はウホウホしながら帰って来ました♪顔見知り程度で めったに話したことのないお母さんだったんだけど なんかすごくうれしかったです。帰ってからタムに話したら「ダメ」って言ってましたけど 「月に1回あるかないかだし 赤ちゃんたちの注射のお手伝いを1時間ぐらいするだけだよ」 って言ったら黙ってましたけど まぁ いいって言ってくれるでしょう。
2006.02.22
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ココはとんでもなくスゴイ集落だと思う。それでも 役員をして得た物は大きい。まず よそ者で 友だちも少なかった私に 友だちが増えた。人の中に入ると 当たり前なんだけど いろいろ知らなかった情報が入ってきたりする。でも 役員を頑固に断っていたりしたら どうだったかな?親も子も後ろ指をさされていたかもしれない。子どもも 人付き合い 地域付き合いができない子になっていたかもしれない。なんだかこの冬は 欝になってるんじゃないだろうかという心境だった。ずっと家にいたり 知り合いと会っても話すことがなかったり。人と会わないから話題もないし テレビも見ないし なんだか無口になってた気がする。春が近づいているよと 小鳥の声が聞こえた♪外の明るさを見て やっと本来の自分を取り戻したみたいな そんな気分。役員のゴタゴタも この3日間で 何度となくあちこちでお茶をして話し合って でも 結局それでみんなの結束が固まった気がする。みんな いろんな意見はあるけど その意見を聞く事でも勉強になる。今後の人生に 絶対いいと思うし 姑に対しても 役員の事で頼ったり 愚痴ったりもするようになった。 友だち お知り合いができたってことが 役員をした上で一番の収穫だと思ってる。だからできることなら 今度もしたい。学級役員もしたい。以前 友だちの 隣町のゆりこさんが言った事があったんです。「よ~ちゃん、学級PTAでもずっと同じ人といるの?」「うん、そうだよ。たいていみんな仲良しの人同士固まってるかな」「ふーん」何か言いたそうだったので ゆりこさんはどうしてるのと聞くと「私は 特に誰も決めずに いろんな人と話してるよ。そのほうがいろんな人とも親しくなれるし いろんな話を聞く事ができるよ。固まってたらさ 話し掛けづらいじゃない」(゚ロ゚)ギョェ なんかその言葉 目からうろこでした。いつもいつもゆりこさんは私に力をくれる。だから私も少しずつ意識してるようにはしてた。もちろん古くからの友だちは大事にしたいけどでも いろんな人ともしゃべってみたい。タムが産まれる前から親しかった秋ちゃんは よく遊んでたりしたんだけど 保育園が違ったからか 今ではほかのグループにいる。だから 学校であってもゆっくり話すこともできない・・・・ ゆりこさんが言ってたのはこういうことなんだろうなと思う。だから 役員をしてみて 教育委員会の人とも話す機会があったし ボスママ達とも親しくなったし それ以外の役員さん達とも電話で話すことが増えて いろんな情報を得ることが出来る。特に中学校なんか 私中学生ママに友だちいないけど ボスママと話していたらボスママの友だちが言った中学校の話とかを得る事が出来る。よその小学校の情報も得る事が出来る。そしてそれをまた 旦那と話したり 友だちに話したりで 話題も増えて楽しい。この前 固定電話の電話帖機能を見ていたら 99件登録があって ほとんどが昔の付き合いの人。数年 その機能は使っていなかったから 消そうと思えば半分以上が消えて行く。どうしてるのかなっていう友だちもいる。だけど 新たにまた増えて行く。人付き合いって大変だけど みたいにいつも笑ってたら 人も集まるし 楽しい。今後はこの付き合いを 数年先ももっともっと持続していけたらと思うよ。私の知り合いで 一番友だちが多い人って 多分とめちゃん。近くだったらいのになってすごく思う。はがき見て元気をもらってます。もちろん ここの友だちとも ずっと仲良くしてもらえたらなって思うよ。楽天のお友だちとも年賀状のやり取りできるぐらい 信用を得たいし 友達になりたい、遊びにいってみようかなって 思ってもらえたらうれしいもん。(くるりんさん 絶対遊ぼうね)今までずっと 私は人が嫌いなのかなって思ってたけど 人を好きになったらおのずと人も寄ってくる そんな気がしてます。結局それが子どもにもつながると思うと。私は子どものためならなんだってできるから。さあ、お天気もいいし 外に出てみようかな
2006.02.21
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3日連続の役員改選日記になります。とんでもないゴチャゴチャになってしまいました。昨日も 事態が二転三転し ほとほと疲れました。昨日の朝 今の育成会長が私を訪ねて来ました。「じつは 新PTA会長から電話が来て よ~ちゃんと組みたいみたいな事を言ってた。もしかしたら 気のいい夫婦とはしにくいのかもしれないし はっきりとは言わなかったけど よ~ちゃんどう言ってた?っていう 電話だったよ」 私はそれを聞いて 「私は別に会長してもいいけど でも 昨日旦那に“もう会長はしなくてよくなった”と言ってしまってるから 私の一存でいますぐ決める事はできない。明日までには結論を出すよ」と答えました。昨日は腹をくくってボスママや新PTA会長さんに言いに行ったけど 先に気のいい親御さんが立候補していると聞いたから肩透かしをくらったというだけ。まぁ旦那も一日二日でそう気持ちは変わらないと思うけど 結局会長の名前は旦那になるのだから 安請け合いをせずしっかり考えないとな と思いました。でも! 子ども会日誌を書きながらしばらく考えてたんですが 私は大事な事を忘れていました。私は3月のはじめから体外受精を受けます。もちろんそれは忘れてはいないんだけど そのあと。「あなたがお腹のなかにいた時の話」でも書いたように 私は普通のマタニティライフは送れない事が もう分かっています。子宮頚管無力症で長く入院していましたが 『次の妊娠では縛る手術をするけど あなたの場合たぶんまた入院だよ』と言われてて ましてや体外で双子を授かった日にゃー もっと私の子宮頚管は持たないでしょう。(入院してしまったら 病院も遠いしタムには辛い思いをさせると思うけど) 私は不妊治療に専念するために仕事を辞めたのです。無理して役員をするために辞めたのではないし。子どもを授かるために体外をするのに 他の役員に迷惑をかけることを恐れて 「妊娠したらどうしよう」と思いながら不妊治療をするのも変な話。しかも体外は人工より確率は高い。万が一体外でできなくても 毎月人工授精を受けるつもり。役員をするがために 不妊治療を休むわけにはいきません。たとえ1年でも 女には生殖年齢があるし 34歳だからといってウカウカしてもいられない。(ウカウカしていたから 自分が不妊症だって事も知らずに 8年も間をあけてしまった)それに 私が年度途中で妊娠し 負担が来るのは他の役員です。よかれと思って無理して連続で役員を引き受けた事により中途半端や 結果として他人に迷惑をかけることになったら私としてもとても不本意。計画性がないね、責任感がないね 辞退したらよかったのにと後で言われたくもないし 家族計画ができるほど働く子宮ではないもんだから 出来たときは何一つ躊躇したくない。(双子でもなんでも ドンと来いよ!)連続は悪いなぁと思いながらも 私を指名してくれた新PTAのマミさんの気持ちを汲みながら断らないといけない、けど 旦那の考えもあるし 旦那がいない今は動けない、でも マミさん近所だから来るかもしれない、どうしよう。そう考え考え考えていたら 脳を巻っ切りましたよも~(ヘ▽ヘ)例のオヤジさんのあれから 鼓動が早く 1分で90を超える脈がずっと続いています。私にとってはえらい頻脈。どうしよう誰に相談しよう。今すぐ電話が出来る人で場数を踏んだ人・・・父?いや~あれは役員やりたがり屋だからダメ、しろと言うに決まってる。K子ちゃん?いやいや子どもがまだ小さいから学校の事は分からない。なつママ?だめ、寝込んでる。あっ!名古屋のお姉ちゃんがいた。電話をして相談してみよう おねえちゃんだったらここの日記も読んでくれてるし 場数もそれなりに踏んでると思う。昼前だから 1時過ぎにかけてみようかな そう思っているときに チャイム。( ̄□ ̄;)!!マミさんだよ、しかも私まだパジャマ( ̄▽ ̄;)!!でも話を聞いてみると 私へのお願いではありませんでした。気のいい夫婦からちょっと相手方への不満を聞いたから もう白紙に戻さないとダメかもしれないということでした。私も その相手さんは夫婦そろっている古株なので 古株夫婦どうし組むよりも 申し訳ないけど 分かれて 次なりその次の年に新しい人と組んでくれないと ただでさえ夫婦揃った家がない地区なのに 会長を出来る人がいないからと思っていました。そして 「ようこちゃん、もう考えなくていいよ あたしあんな言ったけど これはもう一度考えないと決まらないよ。考えてもらちがあかんし 今ごろ立候補しようかなって思ってる人が他にもいるかもしれんし、、、あのオヤジと来年組むのいやだからさ(笑)、でも できる人たちだけに育成を押し付けることがまかり通ったらいかん。もう 今度の再々選挙で なるようにしかならんよ」と言ってくれました。なので 私が今回会長はできない、そしてその理由も この際だと思って 話しました。私は別に 不妊治療の事は隠してはいないので 最初からマミさんも知っているんだけど 「それだったら 尚更 治療に専念しなさいよー。いいよー」と言ってくれました。ありがとう。ペアで組むのが誰になるかまったくわからないのに マミさんっていい人~(T^~) (~^T)そんな話を3時間ほどしたでしょうか?マミさんが帰った後 従姉妹から電話!「ようこちゃん、DoCoMoの請求書にタムちゃんたちのCMの写真が載ってるよ~」って。(そうなの (^.^)オホホホ CMに出てたのよ)でも気分的にあんまり長話できず またかけるねと切ったとたん クラスのお母さんから電話。「ようこちん、今年学級役員するの?」(゚ロ゚)ギョェ それもだった。「今年4人一緒に役員を、そしてタムママは学級長をしてね」と 保育園のママ友から頼まれていたのを思い出した。また悩みが増えた。どうしよう ナツママ(肝心なときに寝込んでるし、オイ!)。電話してきた友だちはその4人の中には入っておらず 今年は出来ないから来年すると言う。そうこうしていたらタムから電話。「お母さん!スイミングのバック早く持ってきてよ!」(゚ロ゚)ギョェ 忘れてた。3時だよ。学童に着替えも持って行ってない。あわてておやつとパンを買い(スイミングは往復1時間かかるのだ)に行くと 今度は私が職場で可愛がってた爺さんの奥さんと会う。「あー!榊のおばちゃん^^」「だれけ?」「あらー○○病院の~。一緒に救急車乗りましたよぉ」「あぁ~あのときの看護婦さんだねー!肥えてるから分からんかったよ。どうしたの?おめでた?」(゚ロ゚)ギョェ「ちがうんですおばちゃん。ただ仕事辞めたら太ったの」・・・ そこでまた立ち話をしていると公民館長さんが通りかかる。あー話したい事があったんだけど~しかし 人と会うときは会うもんだねーいつもは引きこもってて全然人と接しないのに。ようやく保育園に届ける。すると 保育園のM先生が寄ってくる。「学級役員どうする?するでしょう?」「Rママの送別会しないの?」ダーっ!もうそれどころじゃないのよ~と思いながらも でも そちらもクリアーにしないといけない。とりあえず地区は逃れたんだけど 学級はちょっと待ってね、明日までには結論を出すからと言って謝る。明日まではきついけど そっちも期限があるから仕方ない。そのあと現PTA会長さんに電話して 事の顛末を話す。きっとどういう動きになっているか 少しでも知りたいだろうと思うから。でももしかしたら 来年そのオヤジと組みたくないから今年しよう~と思ってる人もいるかもしんない。もしかしたらそのオヤジはしないですむかもしれないし。来年はPTAと決まってる私にとっては 大きな賭けだ。そして 役員を次以降の年にまわして不妊治療に望むことも 大きな賭けだ。(誰と当たるかわからないし 1年間で妊娠できるとも限らないし)昨日はほんとに頭が痛かった。一体どうなるんだろう。ここの集落のみんなが あちこちで話をしていると思う。私たち7人の考えも やはりいろいろ変わる。再々選挙までに時間があって良かった。そうこうしていたらまたあちこちから電話があり 合い言葉は「何かまた動きがあった?」だよ。私の頭は尚更巻きそうだ。。。みんながそれぞれどこかの家を行き来している。結果的に今の段階では すでに決まっているPTA会長も役員もすべてまっさらにして 母子家庭でも会長をしてもらうように持って行かないといけない、と言うことになった。これが一番難しい。この前よりも難しい。振り出しに戻るどころか もっと大変な事態になってしまった。重苦しい空気を想像しただけで胃が痛くなる・・・・・そういえば こんな食いしん坊の私が 昼食も間食も忘れ 夜も入らないぐらいだったので 相当です^^
2006.02.21
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昨日の役員改選の話の続きです。問題のオヤジさんが来年すると公言してしまったため 昨日の選挙で次点だった人に会長をお願いしたかったのですが どうしても連絡がとれず 昨日はとりあえず散会。今朝会長さん達がお願いに行きました。あらかじめ『来ない人にはして貰う』と言ってあったのに関わらず来なかった人。けれどやはり返事はいい返事ではなく『何故またうちがしないといけないの?うちはまだ2年がいるのに。○さんは?○さんは?』…。その結果は電話で報告を受けましたが 子供会会長さんもPTA会長さんも困り果てているようでした。誰かがしないとすまないだろぉぉ?私は、おひとよしかなぁと思いながらも そんなゴタゴタが長く続くのが嫌で、それに 子ども会という大事な役を嫌々する人に 子供を預けるのも嫌なので 会長を引き受ける事に決めました。旦那に相談すると、旦那も同じ意見でした。それに 来年そのオヤジさんと組んでストレスを溜めるより そのしょうもない会計さんのほうがいくらかマシです。(自分が会長兼会計をすればね)私をサポートしてくれた子供会会長は、母子家庭で大変な中 会長職を1年間よく頑張ってくれました。これだけ煮詰まっているのだから 誰かが立候補したら話は済みます。それに、本来ならば私達が言わなければいけなかった 昨日のオヤジの反論を 代わりに受けてくれたボスママ達数名の恩に 報いたい気持ちもありました。だけど、こうも考えました。昨日せっかく「中学生の親に会長を」と意見を出してくれた人がいて、多数決でもそういう流れになってたのに そして そのオヤジさんと喧嘩までしてくれたのに 結局 小学校低学年の私が会長に立候補するという事は…前と同じに戻すこと。自分の行動で せっかく出してくれた新しい流れをまた崩してしまうなぁ~とか考えて…今まで通り小学生が会長をするということは そのオヤジさんが来年役員をしなくてもいいということ。ほれ見ろというオヤジさん、それに対して「あいつにさせたい」とくやしい思いをする人も出るだろうし・・・私と現会長だけでの考えではいけないと思ったので、PTA会長さんにも相談しました。でもそれでも解決の糸口が見つからず、誰に相談したらいいか迷ったんだけど 順序を経て この先ペアにもなる 先に決まった新しいPTA会長に話をしたら『よ~ちゃんが一緒にしてくれんかなと思ってたけど 2年連続だから言い切らんやった』と。ありがたいことです。一緒にしたくないと言われるよりは そういわれたら嬉しいです。私は2年連続の役員になりますが 何度でもやったらぁと腹をくくって ボスママの家に相談に行きました。けれど 私より先に、中学生の親で気のいい夫婦が 状況を見兼ねて立候補してくれたらしいので、結局私はしなくてよくなったのですが。(でも来年は確実です)明日の役員再選のときは 何が何でも皆に来て貰って こうまでなった経緯をはっきりさせようと思います。そうした上で 改めて立候補して頂くと言う事にしようと話する事でした。でないと「これからもあいつがなんとかしてくれる」と期待されたらいけないし。これを機会に 学んだ事もたくさんありました。これについてはまたなんかの機会に書こうと思うけど 役員をしてマイナスにはならなかったと思いますよ。少なくとも あの人たちみたいに後ろ指をさされることはないと思う。それに 後から聞いた話なんだけど そのやかましいオヤジさんの奥さんとうちは 遠い親戚に当たるみたい。黙っててよかったぁ(もちろん 思ってても言えるような私じゃないけど)旦那が地元なので 自分の行動いかんでは 親に迷惑を掛ける場合もあるという事も知りましたしね。そういう意味では 地元ッティのボスママ夫婦は 強すぎるわいm(-Q-)m
2006.02.19
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昨日 集落子供会の役員改選がありました。うちは団地のある集落で 29世帯のうち 母子家庭が半数を占めます。でも母子家庭には会長をさせるのは大変だ(副の負担も大)という事から 会長は両親揃った保護者がするようになっています。子供が少ないので低学年でも会長などの役員が当たり前にまわってきます。それと 子ども会の役員は 小学校の保護者がするようになっているみたいです。 本当ならば今年度 我が家はもう会長をしなくてはいけなかったけれど 二人とも看護師でしたから 急患がいれば帰れません。(主人も救急にいるし。)行事や定例会に確実に来れる保証はありませんでした。だから 副をしました。でも結果は 忙しくて仕事と家庭と子ども会の両立ができなくて いわば過労死寸前みたいな?心身ともに疲れきったんで私は仕事を辞めたんですけど 子供会のために辞めたと言っても過言じゃありません。夜の会合、老人会とのコラボ? 教育委員会主催の会合、など 日曜日や平日で 交互に出席してもそれでも追いつかなかったほどです。で 1年が経ち ようやく次の役員改選になったんですが 昨日の役員改選はすさまじかった。PTA役員や育成副はすんなり決まったんだけど、私たちの後任『育成会長』だけが決まらず。あらかじめ『そろそろ役員がまわってくるかも』と 該当する幾人かにはお願いにまわってたんだけど 意外な転出がスゴイ多い。29軒中10軒は欠席で 4件は転出。団地の母子家庭の住人は 役員が当たりそうになると 引っ越すのがお決まりみたいになってる。(団地から他の団地への移転はできない規則だから 実家に行く母子家庭が多い)みんな役員は2回してて 3回目が回ってくる。『正当な理由なく欠席され 選挙で選ばれた場合は役員を引き受けて頂く事になります』と文書で書いたにも関わらず 来ない人は来ないし 電話しても何だかんだと出来ない理由を告げてしてくれない。『ではこちらに来て できない理由を言って頂かないと 会長をしていただかないといけなくなります』と言っても、風邪だの子ども会を脱退するだのと言って、来ようともしない。したくないのはわかるけど…田舎で親もいるのに いろいろ問題を起こしたい人の気が知れない。でも 中学生の親御さんが「中学生の親に子ども会会長をさせたら」と言ってくださったので すごいありがたいと思った。中学生がいない私などが言える事じゃなかったからです。だけど それがこんな揉め事になるとは思いもせず・・・中学生の親を限定しての選挙になったんだけど 中学生は関係ないと思っているのか 来てない人(中学生の親)が得票を稼いだため急きょ電話して来てもらった。PTA会長さん曰く 電話の時点でスゴイ剣幕だったらしいけど 来るなりそのオヤジ、扉をガラッと開け仁王立ちで『何で俺がしないといけないのか?』といった意味を こっちの方言でまくしたてた。(よそ者の私には理解出来ない)とにかくスゴイ剣幕!何故俺ばっかり3回もしないといけないのかとかなり怒ってる。俺ばっかり夫婦で あとは母子で何回も組んだ!と怒ってる。(今はすごく母子家庭が多いからみんなそうだってば)私も母子家庭2人と組んだし。普段親子して子供会行事も役員改選も来やしないのにさ。来ないから今の流れを知らないだけなのにさ。昔はどうだっただの俺ばっかりと 大きな声でまくしたてた。その人の事詳しくは知らないけど トラブルメーカーみたいな感じ。そのオヤジの勢いに 一時みんなシーンとなってしまった。夫婦揃って変固者とは聞いてたけどね。司会のおじちゃんは 感情的になる事なくそつなく進めてくれたけど 年上にむかっても「お前が」呼ばわりしてまくしたてるだけで らちが開かない。例のボスママも発言してくれたんだけど 相手の出方は喧嘩ごし。しまいには そのオヤジに対して 女を含む猛者4人位で『あんたの考えはおかしい』とか『だったらお前がしろ』『なんであたしがするのよ。』とか なじり合いにまでなってしまった。病気で出来ないと言ったおじちゃんにも飛び火し『病気は誰だってするんだよ!!!』その上 「あんたはなんでできないのよ?」と 名指し攻撃まで始まった。売り言葉に買い言葉が飛び交って、乱闘になるんじゃないかと 騒然となった。旦那ともあまり喧嘩をした事のない私は そんな口調の男の人を見る事がないもんだから 怖くてガタガタブルブル…手足が震えました。何かの発作みたいでした。したくないのはわかるけど、言い方もあるよねぇ~敵ばっかり作って・・・。娘も学校で何かと問題起こしてて 地区でも浮いてる。てか1回しか見た事ない。来ないんだもん。悪いけど 親が嫌なら子まで嫌になって来ます。子供の事考えたら まわりにあんな態度は取れないはずだけど 孤立無援でも平気なのかも。結局決まらず なんと持ち越しになってしまいました。19時半からだったのに 帰って来たのは0時半でした。子ども会の会計に立候補した人は 前回レシートを捨てたりお金が合わなかったりで さんざん迷惑をかけた人。(また会計かよぉみたいな。でも言えないし)性格もよくないので 誰も一緒にしたがらない。その人が辞退してくれたらしてもいいよと言ってくれた人が2組いて でもその人が頑として辞退しないからまた問題で…問題のオヤジは『来年だったらする』と公言してしまい 再来年あたり もしかしたら私らにPTA会長が回って来るんだけど その時に そのオヤジとペアになる可能性も…うわー勘弁してよまぁそんな事はないようにボスママ達がうまく考えてくれると思うけど…とにかく まとまりのない地区で かなり大変です。一体誰がしてくれるんだろう。決まらない気がする…母子家庭が多い地区だけど片親で会長してくれる人なんかいないし…胃が痛い。
2006.02.18
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私 タムに頼まれて赤タマとえんタマ(たまごっち)を育ててるんだけど この前赤タマが死んだ(; ̄ー ̄A 世話を忘れていたら いつの間にか死んでいた。 しかも そんなんに限って 名前はタムの本名をつけている。 しかもっ! お見合いを断りすぎてしわしわの婆さまになり うんこももらし おなかが満たされても泣いている時は 叱らなきゃいけない。(^_^;)叱られて泣いていたから またおやつでご機嫌取り… お見合い断りすぎてしわしわのおトキっちになり しまいには飼い主から怒られ 餓死か病気でひっそりと死んでいた。 最初の赤ちゃんたまごっちの時は『タムと同じ名前だね』って笑っていたのに まさかそんな結末になるとは…せめてタムと同じ名前のたまごっちぐらい しっかりと育てて ほどよい所で嫁に出せばよかった。 タムのみらいが こんなさびしいものにならないよう 切に願いたいよ(^∇^;) あろうことかタムは また次のたまごっちを自分の名前にしていた(´□`|||)今度は頑張らんとなぁ!
2006.02.17
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最近 なんだかとても懐妊・出産ラッシュ。紀子様にはじまって 近所の奥さんとか ブログのお友だちとか キロロの子とか(千春ちゃん?) 思い出せないけど とにかくそういったニュースを聞く事が多い。なんだか 素直におめでとうって気持ちになれない自分が。紀子さまの時は 上と年が離れてるだけあって ちょっと安心というか 高齢出産だけに 応援したくなる気持ちもあるんだけど 他の人の話は なんだか 目が笑ってない気がする自分。 なんだこの傾向はと思っていたら 昨日 「ミスターちん」?ができ婚でしょ。山田孝之には 隠し子もいるし。あああーまたかーと思って なんだかもやもやした気分を持っていたら 旦那が帰ってくるなり 「最近 周りが 2人目ラッシュでさ、出来た生まれたって。なんかそれ聞いて・・・」そこで言葉は止まったんだけど きっと私と同じだとおもう。旦那からそんな言葉聞いたの初めてだった。出来ない嫁でごめんねー旦那に何か本音で言おうと思ったけど 2人してなんかドツボにはまりそうな気がしたので「ううう」と冗談っぽく泣く仕草をしてみたら 「今度(体外)するからいいじゃん」って。でもあれって確実じゃないのよぉ。。。。不妊のお友だちが妊娠しても 私は仲良くやって行けるのかな?素直におめでとうって言えるのかな?妊娠しても訪問してくれるのかな?そして 逆だったらどうなんだろう。そういえば なんとなく足が遠のいてしまった不妊のブログ仲間さんって やっぱり妊娠・出産している人だ・・・まあ 相手さんもきっと 不妊続行中の人には気を使ってると思うよ。妊娠したよ出産したよって言いにくいだろうし。でもそれでもやっぱり報告は欲しいと思う。妊娠したけど言えません だからってはいさようならじゃ あまりにも悲しくない?勝ち組負け組って言葉が流行っているけど「妊娠したら勝ち組」とかじゃないよね???そんな目で私たち続行中を見ていないよね?心の奥底に聞いてみたい。心の奥底に。だから私は不妊雑誌にありがちな「卒業しました」って言葉は嫌い。卒業できない私たちは 劣等生なのかって 思ってしまうんです。たとえば 妊娠の報告がないまま 何も知らずに久しぶりに時間が取れたから会いに行って そこで「え?妊娠してたの?もうすぐ出産?」って事になっちゃうと どうしても 平常心保てなかったりたりするんだよねー日記でもそうだけど もう話題が見つからなくなってしまってることも・・・だって 相手の話題はもう今までとは違って エコー、心音、タイノウ、予定日、名前付けなど 出産に向けているから いくら自分も出産経験者とは言っても なんだか目を伏せてしまうのよね・・ああー私っていやなやつ。だから私あんまり不妊サークルとかで仲間作りしたくないんだと思う人間が出来ていないので・・・逆に 独身時代から文通していた友達は のちに子宮ガンになってしまい 子どもが産めなくなりました。私もフォローをしていたつもりだったんだけど どうしても話題が合わなくて・・・相手の方から連絡が来なくなり 疎遠になってしまいました。すごく悲しかったなー。10年以上文通していたんだよー気は合うと思ってたけど 彼女は彼女なりに 苦しんで 私の子どもが産まれてからもお付き合いしてくれてたんだと思う。でも できることなら ずっと友だちでいたかったと思います。文通が長かっただけにね。そういうのを見ているから 仲間が先に妊娠して 自分の前からさっさと消えてしまうんじゃないかと・・・そのもろい関係を目の当たりにして自分の精神が参るのが怖いんだと思う。だから 私は もし自分が妊娠しても K子先輩みたいに ずっとサポートしていけたらいいなと思ってるよ。他の友だちや桃子ちゃん ( 不妊はレースじゃないよ) のこともね。 はーぁなんだか最近ブログをやめたい気分不妊の事 書かないほうが気が楽だったのかなって思ったりもするよもやもやがたまってるぅ
2006.02.16
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なんかめっちゃ眠い・・・妊娠しているときみたいに 眠いのはなんでだろう。妊娠はしてないんだけどなー。タム山家は21時半には布団に入り6時半起床の生活。だから8時間ぐらいは寝ているんだけど それでも 眠い。きのうの参観日の時も 目が引っ付いて 上の空。つらかったぁ~ 昨日は K子ちゃんちに行って来ました。不妊治療の大先輩で 看護師時代の先輩でもあり センエツながら 大親友です。K子ちゃんが不妊治療をしているときにしていたいろいろなこと 聞いてきたよーまずは 運動。二人目は ステッパーでダイエットしたとたん できたって。もともとすごい痩せ型なんだけど 一人目出産後は 太ってたみたい。あと イソフラボンもだけど葉酸も採る。女性ホルモンにいいみたい。大豆 納豆 ひじき 豆乳は毎日採ってたって。納豆のネバネバがいいみたいで 山芋やオクラ混ぜて 食べるとなおいいんだって。食生活は 和食中心!肉より魚ね。あと 食パンなんかも 普通のパンには 乳化剤とか防腐剤とか 色々ホルモン剤?が入っているから ダメだって。入っていないのは高いけど でもいいものを食べていたって。アロマは 昨日も書いたけど ベーグルっていう本とか カラダ作りの本?とかに書いてあったって。で 100円ショップのアロマオイルは って聞いたら あんまり質がよくないんじゃないかなって。お風呂とかに入れたり 頭元に置いて寝たりしたら カラダに浸透していくから いいんだって。(ただし 妊娠初期にしちゃいけないアロマもあるみたい)それと 体重管理は毎日3回やってたって。香取慎吾くんの 体スキャンだっけ?あの体重計で。あと 色々聞いたんだけど 忘れた。おいおい思い出して書くね。K子ちゃんは 排卵すらない生理不順だったみたい。一人目出産後 太ってたら また排卵も起きなくなって 注射で排卵を起こしたみたい。シワシワになって体内でしぼませるよりは 卵巣外に出したほうがいいみたい。ダイエットしてないと ホルモンバランスも崩れるんだなって K子ちゃん つくづく思ったって。私はというと 運動、しない。間食大好き。で 体重 臨月と一緒。「独身時代は47キロ。でも 足とか二の腕が太いなーと思ってた、で 産んでからは52とか55とか。で 今はもっと・・・」と言うと K子ちゃんが 「47キロが よーちゃんのベスト体重なんだよ」って。( ̄□ ̄;ドキッはてしなくオーバーしてます。・・・!たまたま家には慎吾くんの体重計があるので 今朝やってみると 体脂肪33・9%。で この身長では 太り過ぎだって。そうでしょうそうでしょう。。。。背高くないもん・・・。K子ちゃんはそんな私の体重に深く触れる事もなく 痩せてる自分をひけらかすこともなく「今ステッパー弟に貸してるけど 多分使ってないから よーちゃんに貸してあげる。」って。【T_T】なんて面倒見のいい人なんだー。私は K子ちゃんが不妊治療まっさかりだったとき たいして興味も示していなかったのに・・・。自分が不妊治療に足を突っ込んでからあれこれ聞くのは なんだか身勝手なようで 気になってたんだけど・・・昨日も 話題は 不妊治療がメイン。それと 時々上の子のダウン症の話(→関連日記ダウン症のSちゃんと遊ぶ それと、死ななきゃ泣けない?~障害児を扱ったメディアに思う~)とかしたり だったんだけど ほんとにK子ちゃん 不妊のこと いろいろ勉強してたんだなって思う。不妊の本とかカラダ作りの本とか ダウン症の子の話とかもたくさん読んでた。ダウン症の子のサークルにも入ってるし 詳しいし話題も豊富。私の基礎体温も じっくり見ていろいろ 教えてくれた。医者みたいだ~。わたしなんて LHとか Fなんとか? 言われてもなんのこっちゃかさっぱりわかんないのにぃ 出生前診断についてもいろいろ話したんだけど 私 K子ちゃんちのダウン症の子ども見てるとね 自分には出生前診断は必要ないかなって 思ったりもする。だって その子が産まれた時にはまあいろいろあったけど 今ではK子ちゃんも受け入れる事ができて ちゃんと育ててるし その子も ゆっくりだけど 大きくなってるし(合併症もないし)。もし自分が障害のある子を産んだとしても いざとなったらK子ちゃんもいるし それに タムにとっては障害があろうとなかろうと 待ち望んだきょうだいに代わりはないと思ったりも。だけど K子ちゃんは言いました。「だけどね 本人は こんなに辛いのに何で産んだのって 大きくなってから思うかもしれない。短命だし 合併症があったらもっと大変。そんな思ったら 出生前診断は してたほうがいいのかなぁって 思う。産んでしまったら 情も湧いてくるんだけどね。どうなんだろうね」って。医者には 出生前診断はあまり勧めてはならない みたいな決まりがあるそうだけど 医者によって考え方も違う。結局のところ 親が決めるしかないんだよね。永遠のテーマなのかもしれないねー掛かってた病院(先生)も一緒だったこともあって いろんな話が出来て ほんとに楽しかったよ。今日から4月ぐらいまでの間 とにかくがんばってみようと思う。たとえ妊娠と言う結果が出なくても 体は確実に健康に向かっていると思うから。
2006.02.15
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自分でもしなくちゃいかんなーって思ってます。カラダ作り。だって オーマイガーーー!! な体重なんだもん仕事辞めてから 食う寝る遊ぶで なんと今 臨月のときと同じ体重・・・嘘でしょ( ̄□ ̄;)っていうぐらいシルエットが もう 完全に妊婦なのダイエットもしないとな大好きなK子ちゃに いっつも言われる「よーちゃん、カラダ作りもしないとね」「よーちゃん、絶対 イソフラボンジュールは採らないとね!アロマ、ストレッチ、ちゃんとしないとだめだよ」って 会うたび口すっぱく言われてる。私はと言うと 他人事みたいに たまにひじきを採るぐらいで アロマも 時々アロマオイルを垂らしたおふろにはいるぐらいで じつは な~んにも してまへんでした(゚ロ゚)ギョェ鴨居の上のお札に 手を合わせておがむ事は 毎日してるけど昨日は タムが寝る前にふすまで足打って 痛い痛いって・・・で そのあと鬼子母神様に なが~くお祈りしてたから何そんなにお願いしてたのって聞くと「あかちゃんが産まれますようにと お父さんオカアサンが 長生きして幸せに過ごせますようにと あと この足の痛いのを なおしてください おねがいしますおねがいしますおねがいしますって 80回ぐらい 言った」 だって_・)ぷっ足の痛いのは 寝たら治るでしょみたいなでも かわいいことをするもんじゃε=(>ε<) プッ!で 昨日はエッセ読んでたら バランスボールがいいって書いてあって 早速欲しくなり 寝てる旦那を起こして 買って買ってと騒いだら 旦那も興味はあったみたい早速ホームセンターに旦那と行き バランスボール買ってきたよ♪(タムそれで落ちて ふすまで足打ったんだ)本にはホームセンターのは 薄かったり 空気がすぐ抜けたりするかもしれないから注意 って書いてあったけど 心配ゴム用よ 十分行けました飽きっぽい私らだから スポーツ屋さんで5000円もするの買っても飽きたり タムに壊されるよりは 1000円のを5回買ったほうが良さそうって旦那が言うもんだから(正解!)で 私もそれやったんだけど 頭からふっくり返って足腰を打ったでも大丈夫 そんなに難しくないし 腰が伸ばせるから気持ちいい~体外受精が決まってからカラダ作りをしたって ちょっと遅いかもしんないけどでも 何もしないでブクブクしているよりはいいし ってことでウォーキングと バランスボールあと イソフラボンジュール 採る。大豆とか黒い食べ物 ひじき、黒豆、きくらげもいいんだってアロマは ベーグルっていう雑誌に前載ってたよってK子ちゃんが言うんだけど どこに売ってるのかなセージとなんとかかんとかが 女性ホルモンにいいらしくティッシュにアロマオイルを垂らして寝たりしていたみたいいろんな努力をしていたんだなー (今や長女、男の双子のママ)そんなK子ちゃん 不妊治療が終わってからも 惜しみなく私にいろんな知識を教えてくれる月2~3回のペースでしょっちゅう遊んでるもちろんメールはそれ以上でも K子ちゃんは 今ながーい里帰り中なので 双子ちゃんのお座りが上手になったら 旦那さんのところへ帰ってしまうのよね・・・家は片道3時間はゆうにかかるところなので めったに行けないのすっごく親しいだけに すごく悲しいよーまあ もともと ずっと別居結婚(別居で不妊治療)していた夫婦だから もしかしたらずっとこっちにいてくれるんじゃないかと 期待してもいるけどどうなんだろう今日も 基礎体温表持っておいでって お誘いが掛かった自分の不妊治療終わってからでも やっぱり優しいK子ちゃん子ども大きくなったら 不妊科の看護師になればいいのにって思う実体験もあるし知識もあるし バッチシだと思う色々と話を聞いて来るよ~行ってきまーす♪あっその前に 授業参観だ! (((^^;)(;^^) ))
2006.02.14
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兵庫県の コウノトリなんとかっていう施設の見学者が 通常の2倍だったらしい。これも紀子さま効果かな。私も行ってみたーいと思った。昨日も 入浴後お守りを洗面所に忘れてて タムが裸のまま「おかあさんちょっときて、いいから急いできて」と呼びにきたからなんだろうと行ってみると 湯気でくもった鏡に「おまもり もってないでしょう」とタムの字、そしてへったくそ~なおまもりの絵があった。急いでこさせたのは湯気が消えてしまうからだろう(笑)。 さっ 病院に行って来ます。これからいよいよ本格的に始まります。ってまだ 前周期20日目なんだけどね。クロミッド1錠で2個排卵するし・・・内服以外初めてなので ドキドキです。そういえばこの前友だちに「太ったぁ」と話しすると「しかたがないよ、ホルモン剤飲んでるんだから」って言われたんだけど、、ううう、ここ3ヶ月ぐらい休薬中なのよ。これって一体・・・(^^ゞ
2006.02.13
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ある日 タムお嬢様から電話「公文終わったから迎えに来て~」待ってましたと乳母はいそいそと出かけました。公文に着くとタムが「お母さん、ナホも今公文済んだから 学童クラブまで送ってくれない?」最近は不審者も多いし たいして遠回りでもないし「いいよ」というと タムは喜んでナホを迎えに行きました。やってきたナホを見ると 制服の上着を着ていません。「持っておいで」と すぐに取りに行かせたんだけど 教室にはなかったみたいで 「なかったぁ」と困り顔で帰ってきました。誰だよナホの制服間違って持って帰った子!でも 学校にも忘れていないし、公文で脱いだということだったので 迷宮入り!あとはナホママがなんとかするかなと思って学童に送りました。そのあと 他の子の忘れ物を届けに行き 帰ってきて部屋に入ったタムでしたが あまりにも音がしないので入ってみると タムの様子がなんだかおかしいことに気がつきました。オカアサンゴメン ヤバイヨヤバイヨって顔です。(-◇-)8年もタムと付き合っていれば 言葉はなくとも大体分かる。長い友だちよりも濃い~い付き合いだし。観察力のない私でも なんかヘマしたなとすぐわかりました。 アハアハ・・と 冷汗をタランタランたらしながら立っているタムの足もとをみると 制服の上着が置いてありました。顔を上げると タムも制服を着ています。うちには上着は1枚しかない。これだーと思って聞くと 「・・・間違えて持ってきちゃったみたい」といいます。制服をひっくり返すと 「ナホ」と書いてありました。ハ~。またやってくれたか。いったいワシは何時になったらめしを作れるんだ???まあでも 老眼鏡をおでこにかけときながら「メガネ、メガネ」っていう人もいるし( ̄ー ̄)荷物がいっぱいだと 手に持ってても気づかない事だってあるし~と思って 「急いで乗んなさーい」と車に乗せました。だけど 車の中でタムが安心したように言いました。「だから 腕を上げたりするとき きつかったんだぁ」しかも満面の笑みで。オイちょっと待てー!!!!!もしかして 今まで2枚重ねで着てたってこと?はいそのまさかでした。制服2枚重ねなんて 着る時点で気づくだろぉ、普通。(よく着れたね)原因はお前だったのかぁ~~とあまりのアホサ加減に ウバ、白目むいちゃったよ(T▽T)
2006.02.12
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11月だったか 宮崎の鬼子母神さまで 子宝祈願をしてきました。そんで その時いただいたお守りに ひもをつけて首にぶら下げてるんだけどお風呂上がりは よく忘れて 鏡の横にかけたままになってる。お守りを洗面所に置いてると タムはものすごく怒ります「お母さん!忘れてるよ!」って プンスカ怒りながら お守りを持ってきますしかも、印籠のように 突き出して持ってきますで、私がさっさと受け取らないと 「もういいっ、あたしがする」って自分で 首にぶら下げます (まだ早いからね)この前は ごはん中にふと見ると また自分でぶら下げていて 鍋に手を伸ばしたとき 汁物に浸かりそうになってた。オイオイ・・・最近では きこさまの影響か 「コウノトリが呼んで来てくれないよ!それでもいいのっ!」って 突き出しながら持ってきます。般若のように怖いです体外1回でできたらいいなぁと思います。助成があるとはいえ 1回30万はたいへんです。そういえば 周期18日なのに まだ低温期ですなんかおかしい
2006.02.10
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体外では卵を2個戻す予定なので 双子ちゃんの可能性もある私。まあそれは全然関係ないんだけど テレビを見ながらタムコに「ねぇ 男の子が産まれたら和也ってつける?」と聞くと 「トモと 修二ってつけるって決めたの」トモちゃん?修二?むむむ、もしやと思って 「双子の男の子だったら?」と聞くと案の定「修二と彰よ」だって。出たーーーー(」゜ロ゜)」 タム、トモちゃんの影響で修二が大好きになって 写真とかランドセルに入れて喜んでるんだけど その影響もあって 私も 修二が好きに。私のタイプじゃないんだけど カッコつけてる仕草が(悪い意味じゃなく) 素直にカッコいいと思えるのだ。昨日も ダビングしておいた年末の歌番組を見てて 修二のダンスに「ヒューヒョー かっちょいー♪」と奇声を発し 12回も繰り返して見てた バカ母娘。昔から ジャニーズ系は全然スキじゃなく どちらかといったらコワモテ好きだったんで (スクールウォーズの松村雄基が 今でも一番タイプ)アイドルにキャーキャーしたことはなかったんだけど おばはんになってから見たら なんだかこういう男の子も アリかなと思ってしまう。どうやったらあんなにカッコイイ男の子になるんだろう?タッキーとか。あ、そういえば 全然関係ないけど 最近 渡哲也も好きになってしまった笑あの ハムスターのような ほっぺが・・・ちなみに 先日開催したお誕生会で 締めに「青春アミーゴ」を流したら大好評だったので それからというもの うちに友だちが来た時は 帰りに 青春アミーゴを流すことにしてる(爆)。だって いつのまにか 私も 遊びに狩り出されてるんだもん。うるさいから 「青春アミーゴ」をかけて ばれないようにそっと退室♪赤ちゃんができたら 双子でも一人でも 女でも男でも 長く待ちわびたタムに 命名権をあげようと思うよ。
2006.02.10
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最近 赤ちゃん欲しい熱が高まってきているタムコ。私に連れられて友だちの家に行く度 帰りは「あーあ、赤ちゃんがいるおうちはいいなぁ」。そうなの ほとんどの友だちのうちに いるの。この前家に 6人も 近所の子やら学校の友達が集まってて 走り回ってうるさかったんだけど 大人の部屋(何もしていないが 笑)にも来て騒動するので 私も話し掛けたりして相手していたら 旦那が「・・・ハァー」って うるさそうにちょこっとぼやいたの。普段来ない 男の子なんかも まじってたからだと思う。なので 私は言いました。「あんね、赤ちゃんって にぎやかな家に来るんだって。なんか あそこ楽しそうだなって。静かにしんとした家より 子どもがワーワー言ってるほうが なんか楽しそうでしょ?」「そうなの?」これ どこかで 読んだの。すごく印象付けられたから 大事に心の中にしまってる。旦那も納得したのかそれ以上は何も言わなかったよ。しかし、頭の上を子どもらが走り回る場所でなぜバクスイできるのだ目を開けたら なつちゃんの足が目の前にあったそうだ。こたつの中に入り込むまでわからなかったらしい。ハ~(××)まあその話が ただの迷信にせよ 誰も来ない家よりは 友だちがいっぱい来てくれる家のほうがいいよね赤ちゃん おいでぇ~~~こっちはにぎやかだぞぉ~~( ̄ー ̄)うしし
2006.02.10
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紀子さまが第3子ご懐妊だって~。真子さまたちともけっこう年離れてますよね。紀子さまももう39におなりになったのね。なんだか元気が沸いてきました。今週末いよいよです。頑張るぞ!
2006.02.07
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昨日は日帰りで実家に帰り、帰宅が凄まじく遅かったので お弁当を買いました。タムはえび天丼、旦那はカルビ丼です。私は先日からまたダイエットをはじめたので夕ご飯は抜きです←日中働いた後夕ご飯を抜くだけで 2ヶ月で10キロ落ちたよ。でも仕事してないからうまくいくかは分かりませんが、始めてから2日で1キロ落ちてました。タムのえび天があまりに美味そうなので旦那が【一口ちょうだい】とタムに言ったら 【いいよ】とふたに1匹まるごと置いていました。残り1匹です。タムが選んだお弁当です。私はとっさに【子供からたかるな】って旦那に言いました。するとさすがに箸はつけませんでしたが えび天はそこに1匹置かれたままでした。タムは帰りがけに肉まんを食べたせいか あまり食が進みません。それを見た旦那が【俺が明日の朝食べる】と私に言うので 【何で!私が食べようと思ってたんだよ!朝昼は普通に食べるんだから!】と言って私はブラックをすすっていましたが しばらくしてふと見るとタムはえび天を2匹ともふたによけて タレだけのご飯を黙って食べています。お弁当屋さんでえび天を選んだのはタムなのに…。もしかしてお母さんが明日食べるって言ったから?聞いてみると…そのまさかでした。Σ( ̄□ ̄;|||【違う違うお母さんえび嫌いだよ食べないよーごめんごめんタムが食べていいんだよ】どうにか言ってごまかすとタムは黙ってえびを2匹ともご飯の上に戻しましたが タムって親に変な気を使う子なのか?…普通なら【いやっ!あげない】って言うのでしょうが…大好きなえびを1匹も食べず…タムは親の心に添うよう、親を喜ばせるために無理してる所があるのでしょうか?子供らしさをなくしてまで。今まで無理をさせてたのかなーそういえば仕事をしている時【お母さん、パソコンしながらでもいいから遊んで】と捨て身の懇願をしてきた事を思い出しました。(T.T)
2006.02.04
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前の日記から続きますみどりちゃんが一番聞きたくなかった言葉でした。ほかの陰口ならまだしも、それだけはみんなに知られたくなかったんですよね。知っていても言われたくなかった。ガラッと開けて入っていったみどりちゃんは 気まずそうにしているクラスメートを無視して自宅に帰りました。みどりちゃんは「カトリックのお嬢様学校の教育の成果もこの程度か!」と落胆して それからというもの学校に行かなくなってしまいました。そういえば卒業前に予定されている「メイク教室」も怖かったのです。顔を触られることがすごくいやでした。すごくストレスでした。両親は辞めたことを怒ったり嘆いたりしたけれど みどりちゃんは絶対に理由を言いませんでした。言っても これって経験した人じゃないと分からないことなんです。たった親指大のアザなのですが みどりちゃんにとっては地雷なのです。 18歳の頃 みどりちゃんは初めて出来た9歳上の彼氏と一緒に洗濯物を干していました。すると 何かの話で 彼氏が「お前は ここにアザがあって それを隠そうとしているんだってな」と言いました。彼氏は考えがあってそう言ったんだと思うけど みどりちゃんにとっては 「彼には自分も言っていないし ばれてなかったのに母がわざわざ言ったんだな」と思いました。お母さんが良かれと思って言ったことが 逆に仇になったのです。絶対見せないようにしていましたが それも限界となり 他のことがきっかけでしたがこの彼とは別れてしまいました。その後専門学校に入ったみどりちゃんは すぐに彼氏が出来ました。1つ下のまじめな青年で みどりちゃんのお父さんもたいそう気に入りました。結婚もする勢いでした。けれど ある日言ってしまったのです。「ここ、どうしたの?黒いよ」そのころのみどりちゃんにとって アザのことを「聞く人」と「聞いてこない人」というのは もう分類分けされていたのです。自分が言いもしないことをあえて聞いてくるような人とは 彼氏でも友だちであっても長続きしない、と気が付いていました。なんかココおかしいなって分かってても だまってて欲しいのです。言わない限りは 言いたくない 触れられたくないのですから。それが原因ではなかったのですが 「この人は“聞く側の人”なんだな」という事も引っかかっていたので 案の定別れることとなりました。 成人して化粧をするようになってからは それほど気にはなりません。けれどやはり写真を撮る時とか 化粧品屋の人にエステに誘われた時、美容室で前髪をカットする時や最後に刷毛ではらわれる時、歯医者で仰向けになっている時、人とちかくで喋る時、温泉に行った時。ありとあらゆる場面で不都合は出てきます。乙武くんとかを見ていたら「たったこれだけで」と自分の小ささに腹が立ったりもしますが でもやっぱりアザがあるよりはないほうがいい。それに、アザのせいでいろいろ人の嫌な面も見ました。そういえばみどりちゃんが高校を辞めた後連絡をしてきたたまちゃんという友達は 第一声が「ねぇねぇみどの制服ちょうだい」でした。軽い人間関係。私は絶対この人たちとは無理をしてまでもう付き合わない、そう思ったのです。大人になってからある美容整形に行き相談すると やはり生まれたときの診断と一緒でしたが ○○会病院でQスイッチルビーレーザーというのがあるからそれをしてみたらと紹介され 何度かレーザー治療も受けました。先生に「どう?薄くなってきている?」と聞かれましたが みどりちゃんはめったに素でいることがないのです。洗顔してもすぐにカバーマークを塗る習慣が身についていますから まじまじと見ることなんかない。「先生分かりません。でも薄くなってきていない気がする」。みどりちゃんはそう答えました。レーザーをした後もガーゼを1週間ぐらいは貼らないといけないので 職場のみんなに言われるのがすごく嫌でした(どうせ気づいてるとは思うけどね。)。だから ガーゼ中はマスクをして 一切お茶を飲んだり昼ごはんには行かなかったみどりちゃん。具合が悪いふりをしていました。咳き込んだりしてね・・・。みどりちゃんは25歳のとき 結婚しました。年下の20歳の子でした。旦那さんはあとで思えば「聞かない側」の人でした。みどりちゃんが女の赤ちゃんを産んだ時 麻酔の残っている中でみどりちゃんは「五体満足ですか」と聞きました。いきなりアザを聞いたら看護師さんも変に思うんじゃないかと思ったけど 一番聞きたいのはアザがあるかどうかです。そのあと間髪入れず 一番聞きたかった「アザはないですか」ということをかすれた声で聞きました。看護師さんは「ないですよ」と軽く答えましたが みどりちゃんは自分の目で確かめるまで信用できませんでした。火事も見ないように気をつけてきました。迷信で 妊娠中に火事を見たらアザができると聞いたので きっとお母さんは見てしまったんだなと思っていました。そして みどりちゃんは見てしまったのです。旦那さんがエラが張っているのですが 旦那さんは何も言わないため 気にしてるんだろうと思って黙っていたのですが 生まれたばかりの我が子のエラ付近をこっそり触って確認していた姿を・・・・。それをみてみどりちゃんは思いました。きっと自分にも触れられたくない部分がある、だからこの人は「言わない側」の人間なんだな、って。 可愛い女の子を見ているとみどりちゃんは思います。アザがこの子じゃなくてよかった、お母さんじゃなくてよかった、弟じゃなくてよかった、自分でよかった、とね。みどりちゃんはまだ強いほうだと思います。引っ込み思案で目立ちたがり屋な不思議な部分はあるものの 人との接触を避けた引きこもりにはならなかった。影では泣きながらも強く生きてきた。けれどこれが我が子だったら?心の弱い母だったら?化粧の出来ない弟だったら?みどりちゃんんが子どもの事を思うたびに考えることがあります。みどりちゃんのお母さんも同じように心配してきたんだろうなーと。みどりちゃんのお母さんは カバーマークのことも 何も教えてはくれなかったけど お母さんなりに心配はしていたんだろうなって。私とは性格が違うけど つらかっただろうなって。みどりちゃんは何度かレーザーを受けてもダメだったんだけど 子どものためにも なんどなくこんな 顔をかばった引っ込み思案な生活じゃいけないと思うようになりました。運動会も思い切り汗もかけないし 子どもと温泉で思い切りお湯をかけることも出来ない。子どものお友だちに「ここどうしたの」と聞かれるのも怖くて なんとなく近くになるのを避けている。。。トラウマみたいになってるんだけど もうこんな自分嫌だって。そこで思いきって レーザーを受けた形成外科にふたたび行ってみました。「先生、ココを手術でどうにかすることできないんですか?」すると先生はこうおっしゃいました。「できますよ。でも人によっては傷跡が残るよ」。みどりちゃんは言いました。「いいんです。色よりも、跡のほうがまだましです」小さい頃おばあちゃんが拒否した 顔にメスを入れるということ。それをあえてすることに決めました。引きつれるかもしれないけど もう嫌で。傷跡なら「怪我して縫った」とでも言えるけど 「ここにアザがあるんです」とは言いたくない。もしみどりちゃんが小さい頃お尻の肉を移植していたら「どうしてこんな傷跡があるの?アザのほうがよかったよ」と悩んでいただろうし それはどうともいえません。人にはそれぞれ基準があって たとえばみどりちゃんなら 顔に出来た年相応のしみは気にならないんだけど アザは気になる。アザがなかったらダンゴ鼻とかを気にしているんだろうけど 悩みって人それぞれ受け取り方が違う。みどりちゃんの場合は このアザをとってしまうことで 新しい世界が開けるような気がしたのです。ビューティコロシアムを見てても思うけど 私たちが気にならないような些細な部分を、本人が気にしているのならいくら他人がどうこう倫理観を唱えてもダメ。辛苦をなめつくした人じゃないとその辛さはわからないのだから。それで本人が幸せになるのであれば整形とかもいいと思うよ~。 みどりちゃんは1月30日に手術を受けました。アザの部分を数ミリ2ヶ所切って縫い合わせる手術です。みんな これをしたくないから傷の残らないレーザーとかに走るんです。でもみどりちゃんのアザは現代の医学ではまだ取れなかった。いつか自分が死ぬ時に旦那さんや友だちにも見せたことのないアザのついた顔を見られるのが嫌で 子どもに「お母さんが死んだらここにアレを塗って送り出してね」と遺言でも書こうとまじで思っていたみどりちゃん。そういえば ここの先生の診断は違っていました。「単純性血管腫」ではなく「太田母斑」になっていました。みどりちゃんたちは血管の異変だとずっと思っていたけれど 単なる生まれつきのアザだったのね。「筋肉から色が出ているから皮膚を移植以外にはどうしようもない」と言われていましたが ここの先生は切って縫うだけ。もっと早く知っていれば・・・・・受ける前に 顔の写真でも撮ろうと思ったけど あの忌まわしいアザはとったところでそうそう忘れるもんでもないと思うのでやめました。初めて化粧をせずに外を歩きました。みんなが見ているような気がしました。手術は10分で済みました。顔に何ヶ所も麻酔を打った時はものすごく痛かったけど これも30年間の辛さに比べたらどうって事ないんです。必死で耐えました。手術台を降りるとき 切り取った皮膚を見たかったけど 言うのはやめました。物心がついてから30年間ずっと見てきた部分。きっと体の中で 自他ともに一番視線を集めた部分です。なんだか忍びなかった。魔女の烙印も思ったよりあっけなく取れるのねなんて心の中で思いながら 手術室を出ました。待合室でみどりちゃんは付き添ってくれたお母さんに「どう?」と聞くと 「どうって・・・」と困った顔をしていましたので不安になったみどりちゃんは車の中で茶色いばんそうこうをはがしてみました。すると、少しは血管の拡張が見られる(毛細血管みたいに残っている)けど 思ったよりはきれいになっているようです。先生曰く「残った部分はレーザーなどで対処していく」とのことでした。今でも顔に糸が残っているみどりちゃん。抜糸は来週です。それまでは どこにも出かけられません。・・・でかけてもいいのですが やっぱりマスクをしていないといろいろ聞かれますから・・・・・来週の8日には みどりちゃんははじめて旦那さんの前で素顔をさらすかもしれません。傷がどうなっているかわからないし 完全にきれいになっているわけではないけど 新しい日々が待っています。子ども心に傷ついた土地にはもう縁がない。結婚して縁が出来たこの土地で生まれ変わるのも遅くないとみどりちゃんは思っています。親がつけてくれた名前通りに 明るく南の太陽みたいな人間になれるんじゃないかと、、、単純だけど そう思っています。忘れたくないのが 相手を思いやる心。人の痛みがわかる人間でありたいなと思います。全体的に見てアザもちさんは優しい人が多いのです。アザがなくなってからもその心は忘れたくないと思うみどりちゃんのお話でした。
2006.02.02
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19××年・夏。みどりちゃんは ○山家夫婦の2番目の子どもとしてこの世に生まれました。初めての女の子の誕生に パパもママも大喜びでした。けれど 気がかりなことがありました。この子の鼻の横には 小さな青いアザがあったのです。ママは みどりちゃんがまだ小さなうちにおばあちゃんと一緒に大学病院へ診てもらいに行きました。お医者さんはその小さなアザを見て「これは単純性血管腫で、筋肉の中の血管腫が皮膚を通して見えているものです。蒙古斑とは違って深い物なので 一生取れることはありません。お尻の肉を剥いで移植する方法があります。」そう言ったそうです。それを聞いておばあちゃんは 「そんな!お尻の肉を移植するなんて 女の子なのに顔に傷が残ったら可哀相。」と断固拒否しました。そこで 血のような色の軟膏を貰って帰って来ました。筋肉の中にあるという血管腫を 軟膏で取れるはずもないのですが おばあちゃんたちはどういう気持ちでそれを受け取ったのでしょうか。祈るような気持ちだったのでしょうか。それはみどりちゃんが大きくなるまえ家に置いてありました。そんなみどりちゃんもすくすく元気に育ち 幼稚園にも行くようになりました。クリスマスの劇で マリア様の役も進んで手をあげました。木登りもかけっこも大好きなとても活発な女の子でした。あるとき お友だちと手をつないで他のクラスへ行こうとしたらお友だちがみどりちゃんにこう言いました。「ここになんかついてるよ」。みどりちゃんは分かっているのか分かっていないのか、、、お友だちがさしたその部分を水道でゴシゴシと軽くこすってから 慌ててお友だちのところへ行きました。洗ったらきれいになるんじゃないかと 子供心に思ったようです。みどりちゃんのアザは 先生が言ったとおり薄くなる気配もないままでした。色が白いみどりちゃんですから 青いアザはいっそう目立ちました。それでも まだそんなに気になりませんでした。でも小学4年生のとき習ったアマリリスの歌で 誰だったかわかりませんが小声で「月の光 ○山を青く照らして」と男の子が歌ったのが聞こえました。それがただの替え歌なのか みどりちゃんの青いアザの事を言っているのか分かりませんが その時からみどりちゃんは なんとなく自分が他と違うような気がしていました。近所のファンシーショップに行き店を出ようとしたら すれ違ったお兄さんに「絵の具が付いてるよ」と指をさしてご丁寧に言われたときは 先に歩いている友達に「何だって?」と聞かれたくないという気持ちでがいっぱいでした。家庭の医学の本を見て ドライアイス療法があると知ると お母さんに見られないように氷を取り出して長い間当てるようにもなりました。けれど いくら頑張っても 赤くなるだけで何も変化はありませんでした。6年生の時 1つ下の仲のいい男の子から告白されたりして 自分はまあまあかわいいほうなんじゃないかなとも思ったりしていたみどりちゃんですが 中学生になって 1学年10クラス以上ある学校ですから もっと可愛い子がたくさんいます。3つの学校が集まっていますから 知らないクラスメートも多かったので 友達を作ろうと思いました。けれど なんとなく・・・できなかったのです。小学校のときからアザのことを知っている友達となら親しくできるんだけど 知らない人はぶしつけに見てくる。聞いてこなくても 分かるんですよね、ここを見ているって事が。だからみどりちゃんは同じ小学校出身以外の人との接触が だんだん嫌になってきました。限られた人としか 遊びませんでした。2年生になると やっぱりいろいろ自分のことやおしゃれが気になる年頃です。一人悩んだみどりちゃんは皮膚科に行きました。でも、そこでもお母さんが昔お医者さんから聞いたことと同じ事を聞かされました。「単純性血管腫」「一生取れない」。顔の表情が硬くなっていくみどりちゃんにお医者さんは「カバーマーク」という 特殊な化粧品を扱っているお店を紹介してくれました。さっそく帰ってお母さんに言いました。するとお母さんは知っていたのです。「あそこで扱ってるよ」。ごく近所の美容室です。なぜこんな思いをするまでにどうして教えてくれなかったんだろう。みどりちゃんはそう思いましたが 期待のほうが大きかったのでさっそく近所の美容室へ行ってカバーマークを合わせてもらいました。クリームを塗って白いお粉をはたき、しばらくしたら刷毛で落とすのです。(固めると言う感じ)みどりちゃんは さっそくそれをつけて学校に行くようになりました。なんだかウキウキしました。アザがないだけでこんなに印象が違うのかー楽しいなーと思いました。アザがない顔を鏡に映していると 友達から 「みどちゃん斎藤由貴に似てるね」と言われました。下ぶくれで色の白いみどりちゃんです、自分でも「かわいい~」と思いました。毎日がしばらくは楽しかったです。けれどみどりちゃんは 色が白いだけに 暑いと赤ら顔にもなります。カバーマークはカバー力が強いので そこだけはどんな暑いところにいても白い肌のままです。赤い中に丸く白い部分があるのです。写真を撮ったりするとすごく顕著で 周りの部分は赤いくせにそこのカバーマークの部分だけはどうしても白く浮き出てしまうのです。顔を洗うと少しはさっぱりなって赤ら顔もおさまるのですが カバーマークが取れてしまうので 顔も洗えないのです。あとで思えば カバーマーク、春夏秋冬同じ色の使っていたから 外で過ごすことの多い中学生には時期によっては色が合わなかったんだろうなって。みどりちゃんが 一部分だけ白いのを気にしてしだいに全体に塗るようになってもお母さんも無関心だったし・・・。 そこで 毎日昼休みは家に帰るようになりました。毎日昼休み顔を洗ってやり直すのです。でもその理由は知りません。友だちも不思議がっていました。まさみという親友だったはずの女の子は そんなみどりちゃんの似顔絵を書き 鼻の横を丸くかこって「けしょう」と書きました。みどりちゃんはそれを見せられて「あはは」と笑うしかありませんでした。けしょうババアと男の子に書かれたこともありました。それでも明るかったのは天性の性格でしょうか。みどりちゃんは 明るいんだけどなんとなく引っ込み思案なところもありました。それは 場所的に遠く離れていたら顔を見られる事もないので明るくできるし、生徒会の応援演説だって 全校生徒の前で堂々とできるんですが みんなが集まって近くにいるところでは カバーマークを見られたくないので 顔を隠すような感じになってしまって・・・つかみどころのないみどりちゃんを クラスの女子の中では「まじょみたい」と表現する人もいました。みどりちゃんもそれは感じていました。みどりちゃんのアザをよくよく見ると 「X」のような形なのです。真ん中はそう色はないんだけど 周りが・・・まるでこうもりでも飛んでいるかのような・・・。そういえば魔女の本で読んだことがあります。魔女には生まれつき体のどこかに烙印があるのだと。ある日の給食時間。2年14組のみどりちゃんのクラスに 2組の女子が10人ぐらい徒党を組んで押しかけてきました。学年が大きいので 校舎も別で名前もほとんど知らない女の子たちです。そのリーダー格の女は「おいお前けしょうしてるんだって?」と声を荒げました。いわゆるリンチの真似事です。そのころのその学校はかなり荒れていたので 小さなことでも大げさになってしまうところです。みどりちゃんはその女たちに化粧道具の入ったカバンを取り上げられてしまいました。「もうけしょうはしないって言え!」暴力こそ受けなかったものの みどりちゃんは全クラスメートの前でえらい恥をかかされてしまいました。悔し涙が出ました。そのあと友だちがフォローしてくれたかどうかはみどりちゃんは覚えていません。とにかく覚えているのは 後日そのリーダー格の女の所に謝りに行ったこと。だけど理由は言いませんでした。弱みを見せたくなかったし よけいいやがやせを受けるに決まってたから。みどりちゃんには、みどりちゃんのことを本気で心配してくれる若い男の先生がいました。若い先生はみどりちゃんの担任でもないのに 事あるごとに図書室に誘って 相談に乗ってくれていました。すごく人気のある先生だったのできっとそれをひがんで、だと友達が教えてくれました。みどりちゃんは本気でその先生が大好きでした。先生にその話が伝わらないといいなと 本気で思いました。2年生が終わって3年生に上がるとき その先生は転勤になってしまいました。先生は「必ず連絡するね」とみどりちゃんに言って 転勤していきました。3年生では14クラス中6組。見事に友だち全部と分かれたみどりちゃん。誰も14組出身がいません。一からの友だち作りはなんだかもうめんどくさいのです。どうせアザのことでいろいろ言われるに決まってるから。それより 先生とこれからどうなるんだろうと思いました。別に想い合ってるわけではないし・・・。落ち着いた頃 約束どおり先生から電話がきたけれど 手紙書いていいのかな?とすごく悩みましたが なんだか書けなかった。心の中で思うだけにしようと思いました。その思いは高校になってからも続きました。先生が結婚したらしいと風の噂で聞くまでは・・。たいしておもしろくもない中学生活を終え 卒業式のとき 同じようにアザのある 同じみどりちゃんと言う子に向かって 感涙しながら「みどりも薄くなってきたよ」と言いながら泣いている無神経な女を見て 「いい加減なこというなよ。しかも人前で」と思いました。みどりちゃんは結構クールなところがあります。みどりちゃんはもう一人のみどりちゃんとは親しくなかったんですが 気持ちは良く分かりました。あっちのみどりちゃんは こっちのみどりちゃんより広範囲にあったのですから。こっちのみどりちゃんは親指の爪大で、あっちのみどりちゃんは 10センチ幅、あったと思います。同じように引っ込み思案な子でした。同じ名前なだけに親しくすると「アザもち同士」と言われそうな気がしたし 傷をなめあうことも嫌だったので その子とだけは話したことがありませんでした。クラスメートとは浅い付き合いしか出来ないまま中学を終わり カトリック系のお嬢様学校に進むことになったみどりちゃん。そこでも似たような生活でした。演劇部に入りたいけど メイクのとき顔触られるの嫌だなと思うと入れず 茶道部、陸上同好会、そして放送同好会を3つ掛け持ちしました。放送同好会に入るぐらいだから目立ちたがり屋ではあるんです。けれど どうしてもアザのせい(というよりカバーマーク)でなんとなく引っ込み思案だったみどりちゃん。親は 真夏に生まれたみどりちゃんに 夏を意識してか明るいイメージの名前をつけてくれたのに 今一つパッとしないみどりちゃんになってしまいました。シスターからも「ありのままのあなたを見せなさい」と指導され 高校2年生になった時 思い切ってカバーマークを取ってみようかなという思いになっていた頃のことでした。友だちと教壇の下に隠していた教科書を誰かに密告され 取り上げられたこと、それと 夕方教室に入ろうとすると 残っていたクラスメートの声が・・・「○山さんってけしょうしてるんでしょ~??」 続く
2006.02.02
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