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パソコンの故障というとんだ年末の事件が起きた。 当たり前のものが、無くなるとお手上げも最高である。 修繕やさんは、手が回らずしばしまってくれとのこと。 大方1週間も無パソコンの生活だった。 これも何かの示唆かも。文章もかけるって最高の幸せ。 それにしても、高齢者の自動車事故が頻繁に起きる。ブレーキとアクセルの踏み間違いらしい。 基本中の基本ができないのにその判定が自分ではできないようだ。 高齢者は、運転するなと一律に決められては、たちまち困る。 たしかに、高齢になると運動神経もにぶる。記憶も確かでなくなる。 運転してる時は、運転の事しか考えないことだ。 トンネルに入ったときは、暗いのになれるまで時間がかかることを承知で神経を張り詰めること。 時々、車のない生活も考えてみる事。気楽に放心状態でのってるから、ブレーキとアクセル間違えるんだ。高齢者の事故でみんなの目は、高齢者を注視してる。お互い注意しよう。私は高齢者。
2019年12月27日
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日本海新聞連載小説「家康」の小牧・長久手の戦い篇が42日間展開して、「敵先勢池田勝入(恒興)父子、森武蔵守その外1万5千余討捕候」と秀忠日記に記された事を告げ本年度の連載は終了しました。1,賽の目 この乱戦から、伊木忠次は、勝入斎の次男池田輝政を救出し池田家再興に奮闘、秀吉・家康の和睦後幾多の試練を乗り越えて池田家隆盛に導きました。 伊木忠次こそ、織田信長の臣で、池田恒興が侍大将になったときに、重臣として池田に配され組閣し、後倉吉の重臣となった伊木家の祖です。 家康の娘督姫、下世話に北条後家と称される姫を、輝政との縁組による徳川の和解策がもちかけられました。すでに一男利隆を生んだ正妻を病気離縁にして、迎い入れる苦渋の承諾でした。結果、徳川方での関ケ原合戦で、戦功を認められ、播州を拝領する大出世になりました。 姫路に池田の頭首、三木の地を伊木忠次は、受け持ちました。この時から忠次の甥、伊木半兵衛が、父引退に変わり、忠次の右腕なって伊木を下支え、手腕を発揮しました。三木の地に池田勝入斎の菩提を祀る勝入寺を乞うて建立、伊木宗家2代目の忠繁は姫路城の普請奉行に抜擢され、赫赫の功をあげました。2、逆風連鎖 慶長18年(1613)池田輝政が亡くなり利隆が相続しましたが、元和元年(1615)には督姫が亡くなり、相続した池田利隆も元和2年(1616)に他界しました。家督を幸隆(光政)に相続するも9歳の幼子でした。 不幸は続き、今度は伊木家2代目忠繁が利隆に続き、同年の8月36歳で他界しました。 主家池田家の不幸、伊木家の不幸受難の時、力を発揮したのが、忠次の甥、伊木半兵衛正春でした。特に伊木家3代目は、三男三十郎当時5歳を英邁、豪放、優れた体格を見込んでの相続決定でした。後後岡山国替えで岡山第一家老になっては、徳島藩稲田、仙台藩伊達、岡山藩伊木と3大名家老とうたわれる大器となりました。 3鳥取へ国替え 翌元和3年、幕府は約を覆し、「姫路は要所故、幼君では務まらぬ」との理由で、池田家は鳥取へと国替えになりました。しかも43万石から32万石と10万石減らし、家来は全部連れての仕打ちです。鳥取は池田長吉6万石で輝政の弟がいましたが備中高橋に国替えした後で、城も城下も手狭で改修に大童でした。 国替え途中に加古川正条の渡し(揖斐川)で、国替え指揮官の池田由之が大小姓神戸平兵衛に刺殺される事件がありました。 池田由之は、小牧・長久手で恒興と共に戦死した長男之助の長男で、世が世であれば自分が池田の長であるとの自負があり、おごりがあったのかも。神戸も自害して果てましたが、さあ大変です。 正条の宿でこれを聞いた伊木三十郎は、「池田出羽守さま鳥取下国中正条の渡し場で急死された」との触れ込みをし家中には禁口令をして、長子由成を跡継にし、届け出をすませました。後日、家中の者真相をしり、三十郎の機転を褒めたとあります。時の伊木氏仕置家老は、伊木半兵衛正春であった事も記してあります。6歳の三十郎の陰に半兵衛あり。4、倉吉担当の伊木三十郎 因幡、伯耆の地を池田由成が米子、日置忠俊が鹿野、森寺長政が国務、土倉市正が江戸家老、この倉吉を、伊木三十郎(忠貞)が治領受け持ちました。 倉吉は里見忠義が、房総から国替えで慶長19年(1617)に来て、神坂に住んでいました。北条の八幡宮建設、北野の天満宮の建設とうの事績を残しています。 幕府は房総の制海力のある里見の血筋と力の復活を恐れ、なしくずしにするべく、池田家に預けの身としてしまいます。 所詮、里見主従は、居を替え下田中へと移りました。5、勝入寺と長門土手と千人波止 里見忠義の罪人扱いを池田家が命じられ、神坂の居留地から移る時、伊木の者どもはどう扱いしたでしょう。丁重に事の成り行きを話し下田中村は、民が大事にする産土神社勝宿禰神社横に住まってもらいました。ここから記録は一切ありません。想像する人の心が語っているにすぎません。
2019年12月11日
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