全11件 (11件中 1-11件目)
1
投入堂には蔵王権現の狛犬が口をあけた阿像1体だけいます。 そして唐獅子の狛犬と異なる格好をしており、行者が感得された蔵王権現さん故、行者ゆかりの三峰狼神社の狼だと推察されます。これが面部を欠損していますために断定できず謎が謎をよびます。 この狛犬は檜材で作られている狼で、年輪鑑定から1099年伐採が判明しました。 素材に残った塗料から白色であったことがうかがえます。 ちょうどこの狛犬が完成する頃1164年(長寛2年)に三朝で温泉発見に寄与する白狼がいました。 三徳山と三朝の狼は蔵王権現の対の狛犬で、三徳山に残るのが口をあけた阿像、温泉発見の狼は口をつぐんだ吽像の狼と思われます。 蔵王権現に仕える狼が夜な夜な堂をぬけだして三徳から峯伝いに神倉の冠巌まで散策していました。役の行者が法力で投入れて作った投入堂で奇跡は又起こりました。 そして散策途中に、西小鹿の妙見山の菩薩と知り合いました。 妙見さんのお使いで三朝に降りて来た時、源氏再興祈願にきた大久保左馬之祐と遭遇し、危うく射殺される所でした。祈願で殺生をいさめたお礼に妙見さんは温泉のありかを左馬之祐に教えました。これが三朝温泉の起源です。 この白狼はまだ三徳山にかえっていません。 冠巌の上から八方天宮と雄叫びしてるのかもしれません。 堂屋敷跡に字を刻んだ石柱があり、八方天宮だけ読めました。 日曜日に冠巌に登ってきました。 三徳山の投入れ堂周辺の安山岩岩脈と神倉の冠巌が同じものと先日書きましたが登頂して確かめましたら別の石英粗面岩でした。火山活動が頻繁に起こりこの地域は相当の地殻変動があったようです。山に神が宿るという山岳宗教に三徳神倉一円は理想の地であったんでしょう。 例年だと雪が積もってる頃ですのに、頂上で天を仰ぎ大の字になって流れる雲を見、松風の音を聞き往古の修験者と白狼に思いを馳せました。 山頂には狼の足跡が残ってるといわれる大岩があると古老が教えてくれましたが、日脚が心細くなり次回にゆだねることにし下山しました。
2007年01月31日
コメント(0)
茶会に使うのにねこやなぎがどうかというので河原まで車をとばしました 暖冬とはいえまだふくらみはありますが数えるくらいの銀の粒がちらほら程度でした。 でももう河原は春の装いです。 春一番の情報を仕入れてきました。 俵藤太ゆかりという俵部落が投入堂の先にあります。 俵の藤太は平安中期の武人で百足を退治した武勇伝と平将門の乱で将門を討ち取ったことでしられています。 平将門も豪傑で朝敵として討たれながら、中世には崇敬対象として神とされ、明治時代には逆賊扱いされ、太平洋戦争後は英雄扱いとなっている奇特な方のようです。 この子孫だという政門の姓がある平家の落人部落もあります。 俵藤太と将門の伝説を調べていたら両人とも、どろろなみの経歴持った方がたです。 投入堂が法力で投げ込まれた伝説におとらぬ物語です。
2007年01月27日
コメント(2)
こんな道楽みたことないものを知り合いの山男にみました。 人里はなれた静かな山の中、アーチ型ハウスの中でコンコンと木を削る音があたりに響きます。 電気がないので、すべて手作業での木材の加工中です。 ハウスの隣の小屋には炭焼き窯が炊き口を覆われて最後の養生中です。 ここまでは別になんのこともありません。 炭ができるまでの余暇を木材加工しています。問題はその木材です。 小さい時に植林した杉の40年生の材木を間引き、搬出費用が採算にあわないので、現場でチェンソーで角材にし軽量にしてかつぎだし、ハウスの中に桟積みにして乾燥しておいたものでした。 勤めにでていたので、角材にしたのも勤めがすんでからやったそうです。 外材が豊富に入って、国産材の値がさがり間伐しても誰も山に投げておく始末でした。 でも自分が植えた木は投げきれなかったといいます。 あれから12年たった今、荒削りの材に墨糸をはり手斧で揃えているところです。 自分で植えた木を使い、自分の手で離れを建てるんだそうです。 土間の焚き火にかんなくずを燃やしながら「人生最高の道楽ですわ」と微笑みました。
2007年01月25日
コメント(0)
異説白狼伝説神倉の冠巖の形状からみて、投入堂周辺と同じ安産岩岩脈が湧出したものとおもわれます。神の宿る荘厳さは三徳山周辺からここ神倉一円までの広範囲で、このような景観がいくつも存在し、広大な修行範囲となっているようです。蔵王権現をお守りする狛犬像が檜材でつくられました。役の行者が感得されて権現たもうた蔵王権現だから、渡来の獅子像でなく行者ゆかりの阿吽の白い狼でした。行者が投入れて出来たという奇跡の投入堂内でまた不可思議な出来事がおきました。口をつぐんだ吽の狼が夜になって堂をぬけだし神座の冠巌まで一瀉千里散策するようになりました。そこで知り合ったのが西小鹿の妙見さんでした。妙見さんの使いで湯村(三朝)の地に行ってる時に、三徳山に源氏再興祈願に来た大久保左馬之祐に射殺されそうになりました。武士が殺生を自重したことで助かり、妙見さんはお礼に温泉のありかを左馬之祐に教えました。三朝温泉濫觴のお話です。吽狼は妙見さんになつき投入堂にはかえりませんでした。今も口をひらいた阿の狼が一人で蔵王権現さんをお守りしています。大久保左馬之祐が白狼を助けて温泉を発見したのが1164年(長寛2年)です。狛犬の木材年輪が伐採時1099年、製材、乾燥、像製作の時間を見ると完成がちょうど同じ頃に投入れ堂に白い狛犬として安置されたようです。
2007年01月24日
コメント(0)
押入れを整理していたら卓上時計がでてきました。 結婚記念に仲人のおばさんがくれたものです。金文字があるので捨てるのをためらっておいたものです。おばさんもはるか昔に他界しました。 中をみると歯車も錆びていません。ゼンマイ仕掛けですので仕組みが目で追いかけれます。 ドライバーで本体からはずし注油してひっかかりをおっていきましたら、動き出しました。 いきなりベルをならし、歯車が忙しくまわりはじめました。 うごかないので倉入りさせられたんでしょう。 40有余の年月を越えて動き出した時を刻む音に感慨無料なものがありました。 まさに浦島太郎物語のようです。 三徳山の狛犬も狼と判定され1000年をへて新しい価値判断にゆだねられやもしれません。 偶然の一致奇しき気持ちのひと時でした。
2007年01月23日
コメント(0)
アメリカのガンが5%減ったとテレビが報じていました。 野菜と果物をとる習慣を意識付けた結果のことだそうで、気になることは日本の食生活が逆に欧米化して、野菜の摂取量が極端に減ってることでした。 食生活は中々目にみえないものの積み重ねだから怖いものです。 1ヶ月孫の所に家内が行き、自炊生活をしいられました。 野菜は大目にとったつもりでしたが、マヨネーズの取りすぎでコレステロール値が増えてしまい、又薬を呑むことになってしまいました。おまけに散歩もさぼりがちでした。 あれから4ヶ月、体調もよくなり、そろそろ検査してもらい薬の厄介からはなれようと思っています。気分が安定してることがまず大事のようです。 我が輩は2人3脚でなければなりゆかぬようです。 野菜摂取不足も問題ですが、野菜の質もミネラル不足等表面化するようになりましょう。 炭と酵素で土壌改良している知人がいます。 春から芽がでて結果が実る予定です。
2007年01月19日
コメント(4)
「鬼も内、福も内」と共栄を唱える節分会が役の行者の大和金峯山で行われてるそうです。 京都の大本節分祭も「福は内、鬼も内」と唱えるようです。 まもなく節分がやってきます。 鬼をも共存させて、和平を求める儀式は、昔から行われていたようですが、何か現代に求められる新しい形の節分に思えます。 鬼を追い出したら、家の中はきれいになるが、外は鬼だらけになります。 家の中で鬼をも福に感化させる愛情が求められる時代かもしれません。 今年は我が家もこんな節分をしようかなと思いながら、テレビをみていました。 愛嬌あるぺこちゃんが後ろ向きにされ、トップが平謝りするお菓子メーカー。 妹を殺しこまぎれにする青年、だんなを切って捨て平然とつくろう美女。 橋の上からよその子を投げ落とす通行人。 自分の信じてる神が最高で相手をゆるせないで殺しをやめない人達。 邪気がみなぎっています。 邪気をしずめるために天災は起こるといいます。 今日は12年前阪神大震災が起きた日です。 あんな悲惨な災害が起きないように、起きても小難ですむようにしなくてはなりません。 自分の家の鬼は自分で福に改心させましょう。
2007年01月17日
コメント(2)

三徳山狛犬 1300年を迎える三徳山投入堂の狛犬、今は宝物殿に所蔵してありますが、拝観してからどうしても気になることがありました。 それは、形が狼じゃないかということです。でも顔が欠けているので判じものです。 狼である可能性は、1、投入堂蔵王権現の狛犬である。2、蔵王権現は役の行者(えんのぎょうじゃ)が祈願権現たもうた日本独自の神仏3、投入堂を作った役行者は、狼神社と称される秩父三峯神社から来ておられる。4、同じ山岳宗教の船上山智積寺の狛犬が狼である。 智積寺の狼狛犬 三徳山の古狛犬は檜材で作ってあります。年輪年代測定が可能になって1099年と判明しました。今は素地を呈していますが、白い下地が点々と残り当時は白い狛犬つまり白い狼像であったことを物語っています。 白い狼といえば、ふもとの三朝では温泉発見の立役者になっています。 三徳山に大久保左馬之祐が源氏再興祈願に来たおり、三朝の地で白狼を殺生から救い、妙見菩薩からお礼に温泉源を教えられたのが三朝温泉の起源とされています。時は1164年となっています。 時代考証すると三徳山の狛犬の木材が1099年に伐採されて、製材、乾燥、彫刻して完成する時期と温泉発見の時期が同じ頃になる可能性は充分考えられます。 そこで三徳の狛犬の白い狼、三朝の温泉発見の白い狼とはどんな関係があったんでしょうか。 蔵王権現の眷属とかたや妙見菩薩の眷属、同じ時期に2つの白狼物語さてどうなるんでしょう。
2007年01月16日
コメント(0)
暖冬といえ三徳路はまだ残雪があります。昨日鳥取ほうから山越えを試みました。 羊腸の坂道を車はあえぐようにのぼります。時々みぞれがふりました。 冬季閉鎖の看板も状況によりと但し書きがあります。 頂上を越え俵部落に行くと道路にも雪がのこっています。かつて平家の落ち武者が住んだという深山です。 いつの時代も勝つ者と負ける者の悲哀があるものです。 壇ノ浦から遠くはない山陰には逃避、追討などの言い伝えが多くあります。 源氏再興の祈願に三徳山にお参りに来たのは、義朝の家来でした。 平家が最初源氏にかったんです。 そして頼朝、義経の源氏が勝ってこんどは平家が安住を求めて逃げてきたようです。 平、政門などの姓がここいらにあります。安徳天皇の墓もあります。 投入堂は、雪の景色のなかに悠然とそびえていました。 ふもとから投入堂の断崖を伏し拝み、1300年の流れの一しずくを味わおうと瞑目しました。 地中より灼熱の安山岩が凝灰岩の堆積層を打ち破って湧出した接触部に安山岩を天井にする様にできた洞窟が投入堂の場所です。前面は地質変動で断層によるまさに千丈の断崖となっています。 人跡寄せ付けぬ条件が幸いして、地質学上からも貫入岩と堆積岩接触部が明瞭に保存されて貴重なものです。 望遠レンズが発達して、写真家の撮影が見事にポイントをとらえています。 地中からマグマのエネルギーが伝わってきているかの霊気が漂っています。 霊山はやはり、霊気がこもる地にできるものでしょう。 そして人はそこに行くと安心するのでしょう。 私もさっぱりした気分になりました。
2007年01月15日
コメント(0)
「うちは7倍家族で夕べも2時まで騒がれて睡眠不足だ」 「うちは5倍の家族だ」 2人の老夫婦の生活が、正月休みで孫たちがかえってきての賑わいを語りあっています。 10人家族、15人家族、6人家族と人口増加です。 静かだった生活に、久々のにぎわい、口では困った語りで満足そうです。 我が家は2倍家族です。 公民館の新年会での様子です。 新しい役員さんも決まりました。 地方の時代と言われ公民館も活力を発揮する温床として発展してほしいものです。 でも連帯を要求して、個人情報の守護がからみ戸惑いを感ずるものです。 老人家族が多くなったのに名簿は出せないようで、その近所で災害時は管理せよらしいです。 人間らしい付き合いの場所を田舎では作らねばなりません。 都会田舎と犯罪は変わらなくなりましたが、早く田舎らしい人間関係を作る公民館つくりを心がけたいものです。 犯罪しようとする人も思いとどまる社会作りをしましょう。 山も緑が帰り、国産材も価値を取り戻しつつあります。川はきれいになりました。 あとは人の心が綺麗になる順番です。
2007年01月04日
コメント(2)
あけましておめでとうございます。 月並みながら今年こそ良き年にすべくがんばりましょう。 倍旧のお付き合いをお願いします。
2007年01月01日
コメント(2)
全11件 (11件中 1-11件目)
1
![]()

