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2006年01月27日
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カテゴリ: 越し方
 鉱夫の中には、ダム現場、トンネル工事現場を渡り歩いている者、金属鉱山、炭鉱経験者などがいました。
 これが、掘っ立て小屋飯場に寝泊まりし、地元の通い人夫あわせて、30人近くが探鉱坑道の仕事をしていました。

 年齢が一番若い私に所長はいいました。
「仕事というものには、年齢は関係ない。役職で皆を使え」
 挙句就任早々の私に、現場指揮をまかせるといって自分は、現場に足を1歩も運ばなくなりました。

 朝の仕事割り振り、ダイナマイト、雷管の受け渡し、坑内仕事現場を切り羽といいますが、この切り羽現場を巡回して、仕事状況を見てまわります。
 仕事は掘進量で幾らと請渡しになっていますから、黙っていても働きます。
 防塵マスク着用、施枠の安全、浮石の点検などをみてまわります。

 坑道を掘り進む時は、岩壁の真ん中に穴を開け中空にし、そのまわりを真ん中に向けて崩ずします。これを一回の発破で一緒にしてしまいます。ダイナマイトにつける雷管が5種類あって、コンマ秒差の時差が付いています。電気でスイッチいれると5段階で爆破して岩盤が崩れきれいな台形の洞穴があきます。



 掘進は、先山といって切り羽のチーフの腕の見せ所です。
 1mいくらの掘進請けですので、上手な先山のところに行ったら配分が多くなります。余分な所まで崩すと、トロッコで余計のズリを抗外にださねばなりません。
 保坑といって、危険な所に丸太の枠を組みますが、余分な事までしなければなりません。

 5種の雷管は、赤、青、緑、白、黒とリード線が色分けしてあります。
 ダイナマイトも、樫、桐、檜と強度で分け包みを違いにしてあります。

 雷管の色分けが分からなかったので、蝮の陰口愛称をもつ先山に聞いたのが失敗でした。
「あの若いのなんも知らんぞ」が鉱夫仲間に知れわたりました。
 それから切り羽の空気がなんだか違うんです。
 この若造って様子がわかります。

 発破をかけた後、保安要員が先に安全点検をしなければならない。と鉱山保安規定にあります。
 普段は、稼ぐため点検など待たず、すぐ仕事するくせに、天井が崩れてきて危ないと、点検してくれと報告に来ます。


 先山が、私を試しているのかと思ったら本当に怖そうな顔して後ろの方にいます。
 意を決し、中に入り天羽の浮石を落とし、矢板で止め、事なきをえました。天井のことを天羽といいます。

 後山(あとやま)とは、先山(さきやま)と一緒に働く切り羽の作業員のことをいいますが、この後山に怖がったことが照れくさく、弱みを見せぬ為憮然と一言も言わず、仕事にかかっていました。

 刺青を入れた者は珍しくはありませんでしたが、2の腕に刺青をして、それを消す為に硫酸で自分で焼いたと言う人がいました。痛かったらしく全部焼いていないんです。なんの絵だったのか人の足が2人分残っていました。引きつった表皮の先に足が突き出し、不気味さを感じました。

 又、この男が力持ちで、2人でトロッコを押さないと行けない坑内の急坂箇所を1人でグイグイ押していきます。


 よからぬ遊びで、よこねといって、腿のつけねのリンパ線がはれる病気になった時、海に浸かり、カミソリで切開したことを痛かった様子で教えます。その時はすごいなと思いましたが、今は信用していません。

 左の親指を付け根から失している、先山がいました。労災稼ぎに昔やったと言っていました。30万円もらっても痛いんじゃ遊びもできないだろうに。
 30センチ位に切った丸太を割ってパッキンを作りますが、誤って端をおさえた親指をナタで切った人がその後以外と多いのを知りました。

 ハッタリと言うことが以外に横行する世界である事を後で知りました。先手をとって威勢を示さねば、負けると思っているんです。あるいは、どうせ無くなった指、かっこよく労災稼ぎにしとこかだったかも。

 個室といったって、コンパネ仕切りですが、飯場には私の部屋がありました。
 ダイナマイトの空箱をテーブルにして、坑内、抗外、火薬取り扱いの鉱山保安員の試験勉強もしました。
 給料袋をもらって、テーブルの上に置いて、用たしから帰ったらパット消えていました。そして、その日の夕飯から1人分食事がいらなくなりました。辞めていく駄賃だったんです。

 所長から、突き放され(当時は、私の修業の為の行為と信じていました)、坑内では、危険な時に先陣をきらされ、仕事の後始末して、飯場にかえるのは最後になり、風呂も膝までしかない湯でした。

 役職といっても、なかなか若造がついてまわりました。自分も感じ、みんなもそう感じていたんで仕方ありません。
 でも、なにくそと言う気持ちだけがいやに燃えるのだけは記憶しています。

 逆転の時は、以外に早くやってきました。
 こんなにうまくいくのと思う位の出来事でした。
 芸は身を助けるといいます。

 その日、飯場に帰ったら、蝮の先山含め、6人の男が食堂で酒をのんでいました。
 「やあ、ご苦労さん」と私は、近づいていきました。









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最終更新日  2006年01月27日 22時00分46秒
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