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神倉の冠巖の形状からみて、投入堂周辺と同じ安産岩岩脈が湧出したものとおもわれます。神の宿る荘厳さは三徳山周辺からここ神倉一円までの広範囲で、このような景観がいくつも存在し、広大な修行範囲となっているようです。
蔵王権現をお守りする狛犬像が檜材でつくられました。
役の行者が感得されて権現たもうた蔵王権現だから、渡来の獅子像でなく行者ゆかりの阿吽の白い狼でした。
行者が投入れて出来たという奇跡の投入堂内でまた不可思議な出来事がおきました。口をつぐんだ吽の狼が夜になって堂をぬけだし神座の冠巌まで一瀉千里散策するようになりました。そこで知り合ったのが西小鹿の妙見さんでした。
妙見さんの使いで湯村(三朝)の地に行ってる時に、三徳山に源氏再興祈願に来た大久保左馬之祐に射殺されそうになりました。武士が殺生を自重したことで助かり、妙見さんはお礼に温泉のありかを左馬之祐に教えました。三朝温泉濫觴のお話です。
吽狼は妙見さんになつき投入堂にはかえりませんでした。
今も口をひらいた阿の狼が一人で蔵王権現さんをお守りしています。
大久保左馬之祐が白狼を助けて温泉を発見したのが1164年(長寛2年)です。狛犬の木材年輪が伐採時1099年、製材、乾燥、像製作の時間を見ると完成がちょうど同じ頃に投入れ堂に白い狛犬として安置されたようです。
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