ラッキィセブンティライフ

ラッキィセブンティライフ

PR

プロフィール

はちく2394

はちく2394

フリーページ

DIYツール (日曜大工/ホビー)


画材・コミック用品・額縁


祭り用品・くみひも


写真


健康 チェック


再発をしない為に


体重測定


超ミネラル


生活習慣病


高血圧が諸悪の根源?自己診断に「誤」用心


薬草ウマブドウ


半身浴


何故がんや糖尿病になるのか


健康知識はあなたを救う


壮絶なる生き様に感銘


千島学説がん考察


花粉症よさらば


遺伝子オンで生きる


免疫システム


目カラウロコ、健康ってすばらしい!


メタボリックシンドローム


ダイエット


健康過信チェック


健康歳時記


百見百聞健康開眼


シックハウス症候群


小児の糖尿病


ミネラルとは身体に必要な元素のこと


花粉情報


アロエベラで便秘解消


タバコは糖尿病には厳禁


喫煙者の危険性8倍 呼吸器の病気


正心調息法(腹式呼吸)


自在力


内臓脂肪を落とす方法


さらば認知症‼


認知症とは


道 毎日のことば 松下語録


童謡、唱歌。虫の声


童謡唱歌2


春の七草


稲村の火


公民館是非論


一歩ずつ


月日と土の恩


役の行者


原作無視したドラマ「坂の上の雲」


東京五輪と起承転結と思い出


想いだした「君の名は」


モグラの学校奮闘記


知らぬが仏、誤解が幸・監督修業


兵どもが夢の後


神と心


宇宙の根源的秩序


信仰覚書


信仰と心の安息


処世訓


死生観


地産地消


ホタルの学校


ホタルのいる川ってどんな川


竹酢液の扱いと問題点


ウランのお山はどこへ行く


ウランのお山は1日300万円


ウラン残土制裁金明日は1億円


解決ウラン残土問題


民営ならば


ウラン残土搬出終了とは


ウラン残土搬出完了


ウラン爺さん 東善作氏


ある方面ウラン従事者の虚言に物申す


小鴨鉱山のウラン


縁は奇なもの後ろ髪引くもの


虚偽発言に苦言を呈す。


孫子の兵法 敗け戦は将軍の責任


孫子全十三篇


伯耆倉吉の里見忠義公


雄誉霊巌上人と伯耆倉吉の里見忠義


伯耆の真の里見忠義公伝説


雄誉霊厳上人開山の大雲寺と專称寺


なぜ里見忠義は房総を追われたのか


熾烈なり権力闘争のとばっちり里見忠義


因果応報 天は公平 本多家失墜


里見忠義が来た倉吉の地のまわりの伯耆事情


天神野の里見忠義


里見忠義を預かった伊木長門守忠貞一門の結束力


倉吉の里見ものがたり


南総里見八犬伝の犬士と珠文字


里見祭と南総里見八犬伝


伊木長門守と里見忠義400年


伊木半兵衛正春


伊木家の輝かしい系譜


里見忠義公 実と虚の400年前を偲ぶ


北野天満宮と里見忠義


池田家と初代伊木清兵衛忠次


池田光政は徳川家からは外様だった


幕府政策と里見氏の滅亡


伯耆路の里見行列と南総里見八犬伝


池田家と里見忠義とその後


里見屋敷の事 伯耆民談記


伯耆民談記 強力の正木大膳と矢田某


北条八幡宮奉納棟札


里見忠義の晩御飯


伯耆民談記 {松岡布政 里見屋敷の事}


暴れん坊将軍と光圀さんと里見忠義と伊木さん


毒饅頭事件をめぐる池田家騒動


伊木長門守忠貞公の最後


伯耆での 関東武者里見忠義公


マーフィー語録1


マーフィ語録 その2


マーフィ語録その3


マーフィ語録その4


マーフィ語録その5


マーフィ語録その6


マーフィ名言集その7


マーフィ名言集その8


マーフィ名言集その9


マーフィー名言集10


マーフィ語録11


マーフィ名言集12


マーフィ名言集13


八十路の追憶


汽車からダイブ


人間本質は80過ぎると修飾無理の感


守護神


栗はめば集---(わが母の記)


創立30周年を祝して


伯耆民談記 刀鍛冶の事 安綱


伯耆民談記 全訳 松岡布政著 音田忠男訳


湯関温泉、エグ芋の事


里見屋敷の事


北野天神


草幾山の事


伝説・鏡餅を飛び石にした話


由良台場


自分手政治


災害実録倉吉室戸台風


伯耆倉吉の見日町・鹿首村呑込む洪水


東伯耆の豪快 武信左五衛門と潤太郎の偉業


天神川・小鴨川の往時船運


鳥取地歌


見えないコロナウイルスが見せたもの、思い出させたもの


中村久子先生の一生


認知症


クタバレ!認知症


認知症の基礎知識


認知症になってあらわれる2つの症状


認知症の予防


親指を刺激すると脳が活性化?


句集  新緑の山紺碧の海


新緑の山 紺碧の空 (2)都呂々小学校転勤


バックナンバー

2025年11月
2025年10月
2025年09月
2025年08月
2025年07月

カテゴリ

お気に入りブログ

📣楽天ブログトップ… 楽天ブログスタッフさん

『俺は海の若大将!… 俺は海の若大将さん
万病一元!血液をき… cos777さん
The serene sky serenskyさん
天 使 の 宝 箱 ☆RIKKO☆さん
2007年05月24日
XML
カテゴリ: 越し方
大永の五月崩れ
 城を枕に死ぬもの、勝算はじめから立たず、主従城から逃亡し唯落ちの城と末代まで評される武将まで出現しました。
 大永4年(1524)5月緑滴る今の季節です。
 昨日ふっと思いつき、羽衣石城跡に行ってみました。

 羽衣石川の上流に急峻な自然要塞をそなえた山城です。
 羽衣石城もその例にもれず5月崩れの餌食となりました。

 貞治5年(1366)南条貞宗が足利尊氏に仕え所領をここに得て築城し1世紀と半ば室町時代を通じ栄華をきわめてきました。
 尼子に領土を奪われ、時の8代南条宗勝は因幡山名に逃れました。



 小鴨城主小鴨元清は9代南条元続の弟ですが、吉川元春の標的にされ天正10年(1682)5月25日に落城し山道を伝い羽衣石城に逃れてきました。

 本能寺の変で織田信長が亡くなると、秀吉は毛利と和解し、南条羽衣石城も吉川と和解、安泰かに思えましたが、慶長5年(1600)関が原の戦で石田光成の西軍について敗れたため廃城の憂き目にあってしまいました。


 天下の情勢に翻弄されて数奇な運命を繰り広げ興亡の歴史がこもった南条家の古城跡です。
 急峻ではありますが、今は整備した道が丁寧につけられていて20数分で天守閣のある頂上にのぼれます。
 平成になって作られた立派なお城がありましたが、鍵がかけられていて入れませんでした。

 みはらしが良く、正面、両側面からは何者も攻め登ることは不可能の安山岩塊が柱状をなした地形です。
 後方の尾根伝いが弱所らしくここから進攻を許して敗北を喫しています。

 尼子も5月に進攻してき、毛利吉川も時代は異なるが同じ5月の時期にせめて来ています。
 時あたかも田植えの時人民はさぞ迷惑したことでしょう。

 小さき谷あいながら異様に平坦に開けた所が多いと思ったら、花崗岩の真砂化した地で、たたら製法でもって砂鉄を取り鉄生産をしていた所でした。


 頂上の天主閣はシンボルで谷あいすべてが家臣の居住があったのでしょう。
 いたるところに苔むした墓があったり、馬術訓練所があり、たたらばがあったりしています。

 裏山に通ずる虎口門跡の墨書が雨にかすれており、矢傷を負い助けをもとめて入ってきた小鴨城主小鴨元清の姿が悲しく浮かびました。

 棚田の田んぼは水をたたえ子孫とおぼしき農家の方が田植えの最中でした。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2007年05月24日 16時47分27秒 コメント(2) | コメントを書く
[越し方] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: