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2013年12月23日
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カテゴリ: 越し方
 12月23日は、その日は酒1滴も呑まないのがしきたりの頃がありました。大方40年ちかくの間続けました。

 みんなが、ジングルベルと歌って呑んでも、酔ったふりして実は呑まないを続けました。

 それは、
 あろうことか、東北の冬、12月23日に現地の地質調査にでかけました。
 どうしても修業論文で調べねばならなくて。

 リュック背負って鶴岡駅におりたら、山岳部の金子くんにあいました。
 彼は、冬山合宿で折り返しの汽車で山形に向かうところでした。

 「夕べ大きな雪が降ったから、大網にははいれんぞ」
 と金子くんは、乗り継ぎのバス乗り場に行くつもりの私にいう。



 「おい、鶴岡はおれの地だ、一杯やろうか」と金子君いう。
 「クリスマスイブの繰り上げやるか」と話ははやい。頃は昼まえ。

 1週間現地入りの予定ゆえ、ゲルピンの学生でも気はおおきい。〈親には申しわけない)

 駅裏の居酒屋は、夕べ掃除したままで、まだテーブルに椅子がのっている。
 椅子を自分らで下して酒を所望。
 金子君は、よく駅裏を知っている。はしごにはしご。

 2人して汽車に乗ったのはしってる。
 餘部(アマルベ)とむつかしい呼び名の駅で乗り換えたのもしってる。

 金子君は、眠っていた。
 むしょうに車中が熱い、スチームが効きすぎで、デッキにでて涼もうと室外に出た。

 当時の汽車は、デッキのドアは、最後の人が締めたものだが、なぜかその時開いていた。


 当時の奥羽本線は、奔馬のように右に左に揺れた。
 そのゆれも気持ち良く感じた。



 なんでこんな所に俺は寝てるんだろう。あたりは真っ暗闇。
 河原の石ころの上だ、手をのばすと冷たいものがある。レールだ。

 列車の音もなにもない静寂の闇のなか。
 しばし気絶していたよう。

 もしかして、汽車からつき落とされた?。
 なぜ?、山形で酒飲んでいたのに。(その時そう信じていた)
 汽車に乗ったのが、おもいだせなかった。

 汽車から落ちたと察知したら、闇の中で怖くなった。
 闇の向こうにかすかな灯が見えた。
 人恋しで、急に灯に向かってはしった。
 つもりだった。

 体が宙に浮きひっくりかえった。番線だった。
 サクランボ畑があり、人が入らぬようにトゲトゲの番線を線路わきにはってあったのだ。

 半分体は傾き、番線の刺が服にからみつきはなれない。

 慌ててるので、からみつきの鉄線を素手で払いのけた。

 そして、鉄線にそって、大分走り、たどり着いた民家。(後でお礼に行った時現場検証した)

 親切なおじさんだったが、びっくりしてあとすざりした。
 「ここはどこですか?」が第1声でした。

 煤で顔は汚れ、服は破れ、手、頭から番線キズで血みどろ。
 「汽車から落ちた」と聞いて、びっくり、軽自動車で病院に連れていってくれた。

 診察室で治療受けた。
 なんかおかしい椅子があるなと思ったら、産婦人科医院だった。
 おじさん、汽車から落ちて、血だらけなので、はやく、とにかくお医者さんへだったらしい。初めて産婦人科に行った次第。

 診察料を払おうとポッケに手を入れたら、山形行きの切符が出てきて、鶴岡行きの全貌を思い出した次第。

 おじさんは、なぜに汽車にのったかわからんといったじゃないか」といったが、その時は本当にわからんだった。記憶喪失ってありますね。

 次の便の汽車でもよりの神町の駅から帰りました。

 金子君はというと、山形について、どこにいったんだろう先に帰ったのかなと、私のリュックと自分のリュックを担いで寮にかえり、布団で眠っていた次第。焼酎11杯呑んだ記録もちの豪傑。俺も酔っ払ってたとわらっていた。

 あくる日が大変。こめかみが痛くて口が開かない。
 厚着してたので、鉄線のトゲの被害はズボンと服の間の下腹に1個、右額に1個、払ってついた手の甲の傷ですんだ。でもそれが痛かった。

 かくして、もう一生酒はやめることに決心しました。

 正月は、寮ですることにしました。家に帰れない。
 晴れ着のお姉さんが、屠蘇をもってきた。
 正月だからとすすめた。
 つい、口をつけてしまった。
 屠蘇とて酒だ。意思の弱い男だ。

 じゃ、これから12月23日だけは、酒は飲むまいとしよう。

 それから、40年近く守りました。
 暦還えてから、もういいだろうってことで解禁しました。

 すっかり忘却の彼方にいってたこの事件、たまたま12月23日の忘年会に思い出すしくみに出会ったってことです。

 関金に行くのに、乗ったことがないバスで行こうと、バス停で待ってたら日曜日の時間割で、今日の休日は月曜だった。だから来ないはず。

 みんな我が家の運転手はで払い応援望めず。
 時間がないので自己運転で出席。

 ノンアルコールビールなんて、すごいものが世の中にあるものだと知りました。
 気分は上々。

 感心してたら、クリスマスの話がでてる、おや何日かな、そうだ天皇誕生日、12月23日。昔禁酒の日だ。

 最近、忘年会を望年会というんだ」なる名言にうつつぬかした小生に喝がかかったんだと反省。

 でも、笑いのような「このしくみ」で思い出させられ、回顧にしたりました。
 明日の望年会は本当の良き年を望む会にしましょう。













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最終更新日  2013年12月24日 03時22分06秒
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