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2019年09月03日
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年号改変は、時代の変動を示しますが、400年前慶長19年も大阪冬の陣、夏の陣で、豊臣の世から、徳川の世に変わる年で、元和の年号の改変は大きなものでした。

 関東に徳川が進出した折に、徳川四天王の本多忠勝を大多喜城においたのは、里見対策でした。「譜代の将は敵が攻めてくる国境に配置する」というのが家康の信念でした。

 房総里見一族も、東京湾を制する格好の地と水軍の自力があり、徳川からみれば、大阪征伐に武力を傾注し留守時に、本拠を突く輩の発生が危惧されました。今は従順であり味方でありますが、お家騒動があり主権が変わる恐れもあります。

 1、慶長18年大久保長安死、疑惑発生。
 本多正信・正純親子の長安詮議が大久保忠隣の失脚にも及びました。幕閣の力比べは熾烈で、岡本大八賄賂事件では、長安の調べで正純が凋落させられ、今度は、長安一族の懲罰より大久保忠隣の改易におよび、小多原城は破壊され、身は井伊家にお預けになりました。

 慶長19年大久保忠隣の連座として、忠隣孫娘の夫として里見忠義が、国替えを命じられ、房総館山城は破却されてしまいました。それも9/9重陽の挨拶に忠義が江戸に行き、伯父正木大膳は駿府居留中、人員分断して、反抗できぬ状態での城明け渡し、国替え命令でした。

 忠義一行は、江戸から国元へも行けずに、国替え地、伯耆倉吉に向けて旅立ちました。
 途中、駿府に立ち寄りましたが、家康はもう大阪へ陣頭指揮に出かけた後でした。
 駿府には、里見家中の正木頼忠の娘お万が家康の側室として寵愛され、頼宜(紀州藩祖)、頼房(水戸藩祖)の母がいました。勿論、お万、大膳ともに家康に里見家嘆願したでしょうが布石の定めで効なきでした。



2、元和元年新年号変わる。
 先年10月大阪冬の陣はじまる。12月和議成立。
 4月大阪夏の陣始まる。5/8大坂城落城豊臣秀頼、茶々自害。

3、元和2年2月北条八幡宮の社殿修復、里見忠義棟札
  元和2年9月北野天神天満宮建設 里見四位侍従忠義
  4/7徳川家康没(75歳) 本多正信没
  6/13池田利隆(33)没ー播州姫路城主
  8/6伊木忠繁(36)没ー2代伊木家老・姫路城普請奉行
4、元和3年池田幸隆(光政)3/6鳥取因伯へ国替え命受く。
  8/4池田家臣因伯へ入る。
  9/12下田中で里見家老堀江能登守病死 大岳院に祀る

5、元和5年冬、里見主従堀へ転居す。
  正木頼忠、娘お万の方の子頼宜の新封地紀州へ赴く。お万の兄為春は紀州家老。
6、元和8年6/19里見忠義(29)堀にて死亡、大岳院に祀る。
  9/19家臣7人殉死
  10月本多正純改易

7、元和9年池田幸隆(光政)家光立会殿上元服
8、寛永3年 伊木三十郎(忠貞)元服 
9、寛永5年 光政・勝姫と結婚
  大久保忠隣没
  正木大膳没
10、寛永9年(1632)6/18鳥取・岡山お国替え。
  1/24秀忠没





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最終更新日  2019年09月04日 14時37分34秒
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