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結構長くなったので分けて書いていますよ。チャレンジ 困難に挑むこと。困難だらけじゃん。チャンス作るのも困難。 再チャレンジのための教育だって困難だ。チャンスを作り, 再チャレンジのための教育を行うための準備だって困難だ。 正に義家氏がやろうとしていることが実はチャレンジなのだ。 ついでにいえば,教育委員会での実績は無いに等しいので, 挫折からの再チャレンジだ。そしてチャンスが参議院議員選挙。 はて,教育委員会でのお仕事が再チャレンジのための教育でしたか? だとしたら,横浜市長中田氏も議会も横浜市民350万人も TVの影響力で騙されていましたか?未来,思い さて,正直なところこの国は若者のためだけには存在はしていない。 何故なら今まで積み上げて来たからこその今であり,今を踏まえた 今から先になるからだ(なんのこっちゃ)。とにかく,若者も含めて 全ての年代の人のためにこの国は存在しているんですよ。年齢差別は いけませんなぁw この国の未来は若者が作っていく・・・・・・正しいが言葉が足りない。 以前,九州道州制シンポジウムに出たことがある。その時は 10年後のことを論じるのに,10年後存在しない人だけが論を 交えていたと酷評した覚えがある。義家氏の主張はまたもや鳳埜の 酷評に晒されるのであった。 研究を行う上で,大切なことが先行研究の調査である。過去では このような研究が行われていた,本研究では○○のところが不足 しているのでそこを重ねていく。そんな感じである。 若者だけでは目先のことだけで終わるのではないか? 私はそういうところで経験の力,過去の蓄積を軽視したくない。 若者だけで長期的な視野をもって国策を提示できるのか? 私は不可能と思う。だからこそ,歴史を見てほしいし,経験者も 含めたことをしてほしい。 歴史に学べるのは人間の特権である。若者だけでなく,若者も含めた 全年代での見識有る思い,主張を心から願いたい。 ※1 どこの教育委員会とは言わないが多分わかるのではw どこぞの教育委員会では初任者の遅刻,要するに時間を 守らないことに対してはかなり厳しく対応をしているが, 自分たちの時間を守る感覚の無さを改めようという気は 欠片もない。その証拠に今までの講義の中で時間厳守を したものは欠片もないからだ。教育委員会主催のものが こんなに適当でいい加減で有るのに初任者だけ時間を 守れというのは説得力がない。初任者に時間を守れと 言うのは正しいことなのだから,手本として,先輩として 時間厳守をしっかりと指導してほしい。 ついでに言えば,教育委員会事務局はどうも人を不快に させる言動が多く,見識や品格を疑ってしまう。初任が どうのこうのというのは構わないが,指導する側も もっとしっかりしてほしい。恩着せがましく偉そうに 説教する前に,教育委員会側が手本として,先輩として 見せてほしい限りだ。それとも嫌味な言い方ができて こその教育委員会なのだろうか? 某都市で指導主事の 職務をこなしていた師匠は時間厳守かつ穏やかながら 伝えるべきことはしっかりと伝えていたが・・・・・・。 其の壱で書いた自己中心的な思い上がりはこのことを 指している。 私自身,頭の回転は大して速くなく,わからないことが多すぎる。 勉強してもなかなか記憶が追いつかない面がある。それ以上に, 素朴に思ってしまうのだ。「じゃぁ,どうしたらいいのさ」と。 一応異端の教育学であるので,本人としては政党教育学(誤字ではない)を歩んでいる義家氏のポリシーとやらに 斜め方向から疑問を呈してみた。自分の考えも一応書いた つもりである。おそらくスタンスは(認めたくないが)似たような ものではないかと思っている。だからこそ,具体を見たいと 思っている。意地悪なもの言いだと見直しながら,まともな 教育を願いここに記す。(政治家になるつもりはない,なんて偉そうなことは言えません。 政治家になれないので,ここで書くしかない,いわば僻みw)
2007.07.29
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既に,異端の政党「民主党」が参院第一党になりそうな今回の参議院議員選挙。 義家弘介・・・・・・落ちる予感ですな。 いつの間に教育委員やめたんだい? 初任の俺たちを守るなんて綺麗事,実現できなくなったんじゃないの? 参議院・・・・・・昔は意義があったらしい。 衆議院と参議院,一応は衆議(衆愚)の監視役だったらしい。 現在では有名無実となっているが。 その有名無実を見せてくれたのが,表向きは郵政選挙と言われている, だだっ子選挙。参議院で郵政民営化を否決され,お子ちゃま小泉は 嫌がらせ解散を実施した。結局民営化法案は可決。参議院の意向は 踏みにじられ,見た目では参議院なくても良いじゃんと思われて 終わったよ。 閑話休題。以下は義家弘介氏のポリシーということで,選挙が終わったので掲載してみたい。(選挙前は流石に掲載する気が起きなかった。) 1:本当に土曜授業は必要ないのか、教員免許更新制度はどのように 運用されるのか、子供達の徳育はどうするのか、親たちをどのように 応援していくのか、学校と家庭・地域との連携をどのように 具体化させるのか等、教育再生会議の提言を実現させるために 全力を尽くします。2:イジメは絶対に許さない ──。モグラたたき的な対応ではなく、 それが当たり前のこととして共有できる学校・教室を作るために、 これからも徹底的に戦い続けていくことを約束します。3:なぜ、未履修問題が起こったのか。なぜ、イジメは隠蔽されてしまうのか。 教育委員会改革なくして、教育再生なし。正常に機能する教育行政を 実現するための仕組みづくりを一日も早く実現します。4:学校では教師による「こころざし格差」が生まれています。 生徒たちに真剣に寄り添い、日夜頑張っている教師たちの志を守ることは、 すなわち、子供たちを守ることです。 私は頑張っている先生を徹底的に応援します。5:一口に再チャレンジと言っても、チャンスがないならばそれは理想を 説いているに過ぎない。また、再チャレンジにも『教育』が必要である。 挫折を経験しても、再び挑戦できる仕組みづくりを整備していきます。6:この国の未来は若者たちが創っていく。その未来を論ずるとき、 若者の思いを置き去りにした議論は意味を成さない。私はこれからも 若者たちと共に在り続け、彼らの主張や現状をしっかりと国政に届けます。 うん,言っていることは立派だと思うよ。土曜授業は現場の先生たちの 間でも結構疑問符が出ていること。徳育・・・・・・まぁ,指導する教員の 徳も相当問題だと思うがねぇ。どことは言わないが組織の上層部が 信じられないほど腐敗していたら組織は機能不全するらしい。 今の教育現場は機能不全寸前です。そういうことです。 いじめ,今でも既に学校の先生たちはモグラ叩き+長期視点で取り組んで いるので別に反論しようとも思わない。教育委員会に関しては,国会や 文科省の現場の仕事向上に全く関係のない,自分たちの保身のための書類 仕事を無くして,教育委員会の曇りきった自己中心的な思い上がり※1を 無くせば十分に改善できると思いますから,何も言いません。 志格差(なんで“こころざし”としているのかわからんが・・・)に関して 言っていることも具体性は全くないけどそう感じているので,反論 しませんよ。 チャレンジって,若者より年寄りの方が大変だよねぇなんて思いながら, 再チャレンジができればと思いますよ。但し,若者限定ではなく, 機会均等という点から全年齢対象に。働く気が欠片もないニートより 働く気満々の中高年の方が効率的にかなりマシじゃないかなぁ。 まぁ,ニートの場合は再チャレンジ以前に「初」チャレンジをしっかり して本当の意味での挫折を経験してもらいたいものです。 若者たちは創っていくが,経験を積まずにものづくりをすることは 恐ろしいことだ。思いだけでは政治はできない。理想と現実。陳腐な 表現であるが,金が絡む以上現実を切り捨てることはけしてできない。 思いとは何か。不易なものか,流行のものか。共に在り続けるとは どういうことか。主張を全て集められるのか,現状を正確に把握 できるのか。 言っていることは大層立派に聞こえるのだが,どうも実現が 不可能である。第一,立法をどうするんだ? 立法は具体が ある程度以上いるだろう。また現場に押しつけか? 土曜授業,教員免許更新,徳育,親の応援,連携は確かに考える ことだが,それと教育崩壊会議とのつながりはわからない。 全然関係性がない。本人は教育崩壊会議での提言実現で実行 できると盲信しているようだが,今の迷走ぶりを傍から見て, 実行できるとは思えない。 いじめ・・・・・・あまり使いたくないが,結局は品格の問題。 少数者を多数者がいじめるのは卑怯。だが,今の日本は 卑怯が容認されている。郵政選挙を見れば一目瞭然ではないか。 党議に反した議員は信念をもって否決の票を投じた。それに対して 某小泉政権はどのような報復を行ったか。品格の欠片を感じさせない 暴力的な方法,公認取り消しと刺客を送るという言論ではない 暴力で応じた。そう,日本の舵取りを行う与党が品格の欠片もなく 卑怯な方法をもって郵政民営反対派をいじめ抜いたではないか。 国家の舵取りをする連中が反モラル,それに従う連中も反モラル。 現場の一教師が日本一億総反モラルの中で,一教師がどれだけ 対応していけるのやら。 志格差。なぜそういう現状になっているかを考えようよ。 志あっても踏みにじられる世の中だぜ。まぁ,最初から デモシカ君がいるとは思うけどねぇ。 まぁ,志格差に関してはこんな感じになるのでは無いかと思う。 志があって指導力有る。(本当は全員このLvにいてほしい) 志があって指導力が無い。(多くの初任者がこのLvかな?) 志が無くて指導力が有る。(向山式ってこのへんじゃないの?) 志が無くて指導力が無い。(デモシカ君) 志だけじゃ教育できないが,志が無ければ教育する意味が無い, なんてハードボイルド小説からパクったような言葉を付け加えます。 格差という以上,階層が出てくるはずです。その階層も有無だけの 単純な階層では無いはずです。上に書いた4段階すら単純化 し過ぎていると思っています。どういう根拠や階層をもって「こころざし格差」と断じているのか。そして,断じた上で 義家氏はがんばらない教師をどうしたいのか,がんばる教師を どう応援するのか。その辺も見せてくれ。マニフェストでな。 とりあえず続く。
2007.07.29
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久々のBlog,久々の日記更新内容は,異端の教育学とはかけ離れたもの。 本日夕方,群馬県の温泉郷より戻ってきました。 その旅行に関しては,私自身が特定されそうなので, チトご勘弁を・・・・・・。 帰ってきて注文していた眼鏡を取りに行きました。 価格はおよそ55000円。 帰り道,ふとバイク屋の原動機付き自転車を見ると「89000円」 はて・・・・・・。 不思議な気分です。 もっとわかりやすくするために,金額を以下のように設定。価格 眼鏡 60000円 バイク 90000円 大きさを以下のように設定。大きさ 眼鏡 25cm程度 バイク 1m程度比較式 60000÷ 25=2400円/cm 90000÷100= 900円/cm 大きさだけで比較しても不思議な価格です。 重さで出したらもっと不思議。 何故こんな不思議なことが起きるのか? 技術の差? どう考えてもバイクの方が高度な技術の固まりと 思ってしまうのだが・・・・・・。確かに眼鏡のレンズやフレームの 技術は高度なものであろう。大量生産をしていないということも 価格が高くなる要因だとはわかっているつもりだ。 だが,やはり納得いかない。バイクとて大量生産されているとは いえ安くはならないと考えている。技術とて,高度な技術の固まりで あろう。 時々考える。適正価格とは何だろうか。 技術の適正価格とは何だろうか。 さらに珍しく考える。 働く人間の適正給与はどうなっていくのだろうか。 もしかしたら,全てにおいて既に不適正な給与となっているのでは ないだろうかと。 大きさに比例して,は多少乱暴かもしれない。しかし,使われている 部品の数はバイクの方が遙かに多い。一つ一つの部品の価格は? 眼鏡の部品の価格と比べてみたら? 最近とある公認会計士が本を書いているが,個人的には是非ともこういう 価格の不思議を明らかにしてほしいものである。
2007.07.22
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