ユダ族のうち。
一門のうちの一人が、ペルシャの高級官吏となってエルサレムに戻った。
それは事実である。
だが大勢で帰還したんではない。
一門の主は、ただの一人である。
それがずっと後のローマ時代にまで生き延びて、ヘロデ王の一門となっている。
これは間違いない。
だからユダヤ神殿の「建造者は、まちがいなくユダ族であった」といえる。
しかしユダ王ヘロデの時代に、彼が同族を嫌ったのである。
多分、ローマが、理由あって、そうさせた。
ローマに忠実な彼は自分の属する一門を、徹底排除撲滅したのである。
聖書にあるように、長男を殺しただけじゃない。
王族は全員捕らえて、みんな殺した。
未だ生きてる、ユダの一門やベニアミン族、つまり王族は、その全員が逃げた。
自分らを追うローマ政権の方向に逃げるはずなどもなく。
つまり一般に言われてるように、アレクサンドリアに溜まるはずはなく。
砂漠の田舎方面に逃げた。
かれらはベドウインとなった。
ユダの一門を徹底排除したのは、推測だが、ローマ帝国なのである。
ユダヤ人王族レビ族という、人工の種族を製造にかかっていたからだ。
だからユダ族の彼らが、ローマ帝国の領土に居られたはずはないのである。
学者など、大勢いたことになっている。
全部ウソである、王族がいただけ。
ローマ帝国は、ユダ、ベニヤミンの王族を、「意図して徹底排除した」のだ。
それは「自分たちの種族の下級王族」を、レビを、ユダヤ人として仕立て帝国の各地へ領主として据える、その必要があったからだと思う。
例外は、忠実なヘロデ王、ただの一人にしたのだ。
だから、イエスが生まれた頃(この話は怪しいんだが)、エルサレムとその近郊にいたのは「ユダ族ではない」のである。
サマリア人という、まったく別の異種族。
つまり「アッシリア人」の奴隷民衆が、そこにはいたわけだ。
しかしこれも怪しいのである。
サマリア人は皆ごろしのはずだからだ。
キリスト教が奴隷宗教であると言われる奴隷を構成する種族。
しかした、だの一人もキリスト教徒はいなかっただろうと思う。
だからユダヤ教徒もいなかった。
過去に、彼らサマリアが居たため、帝国イスラエルは入植復帰をあきらめ、東へと去った。
ユダ族も後に砂漠に逃げて、その後、郷里へは戻っていない。
アラブ人によるエルサレム攻略までは。
実はサマリア人は一度皆殺しになっているのだ。
但しエルサレム攻略のそのときは、ユダの王族は、ユダとは名乗っていない。
アラブ人だと名乗っていたのである。
つまりエル・シャローム界隈のみならず、ローマ帝国領土にいるユダ族は、ヘロデ王一人しかいない。
ただの一人しかいなかったわけだ。
そしてこの頃、ローマ帝国で、ヨセフス本という黄表紙の読み物が出たのである。
その話をしたい。
正しくは、次の世代の話になる。
この時代の年代記はどこかおかしくて、紀元前ー紀元200年頃の話なんだが。
この200年間くらいの時代を抜きにして考えた方が、つじつま合うのだ。
どうやらローマ帝国を巡って200年ほどサバ読みされているのかもしれん。
同じ名の皇帝とかも、とにかく多いし、十分ごまかせる。
だからオイラは紀元前後じゃなしに、紀元200年頃、という言い方をしたい。
フェニキアのカルタゴ倒して、ヘラス倒して、エジプト倒して。
勃興、巨大化していたローマ帝国が、共和国だったのが王国となり、やがて大帝国となった。
そのころ、「古典ギリシャ語で書かれた」娯楽系読み物が出た、のである。
当時未だ文字が読めるのは王族のみなので、王族相手のプロパガンダ文書だったようだ。
娯楽文学の黄表紙というより、プロパガンダ文書というべきか。
彼らの日常喋るラテン語のほうは、これは話し言葉である。
この頃は未だ、ラテン語は文字にはなってないのである。
それが学術文字となるのは、ずっと先だ。
最初の聖書が、一般に出回るころで。
現存する最古の聖書は、600年頃のものと言われている。
ラテン語の聖書が最初のものなのである。
これだと、200年頃に聖書に接した聖アウグスチヌスの記述があるので、つじつま合わない。
彼が600年頃の人なら、わかるんだが。
この地域の文書類は、アラム語、ヘラス語、古典ギリシャ語、の順に文書となっていた。
ヘラス語は、担い手が強制排除で抹殺されて、文書も全部消えた。
その後には、ローマ人王族の手による「古典ギリシャ語文書」となったのだ。
アラム語は広大な地域をカバーしていたし、担い手が消えても、その文人たちは異種族に各地で引き継がれていて、消しようがなかったようだ。
そしてヘブライ語もあった。
だが、これにはそもそも、「文書は、ない」のである。
書き言葉ではなく、口語だけなのである。
古謡などとしては残っているようだが、古い文書には「ありえない」もの。
もし残っておるなら、古い文書は必ず「アラム語」。
つまり古い先史時代の日本語というわけだ。
古典ギリシャ語は、その大概が200年頃以降のものだ。
それ以前の学術用語はことごとく、アラム語なのである。
しかもバビロン中心のものであった。
問題のヨセフス本に、アラム語のものは、ない。
なので、比較的新しい時代の、ローマ王族相手の読み物だとわかるわけだ。
ローマの王族は、奴隷にしたヘラス人家庭教師のおかげでヘラス語をモノにし。
次の世代にはもう、古典ギリシャ語の体系書を作り始めていた。
ローマ王族は、ヘラス征服の次の代には、だれもが古典ギリシャ語を自由自在に読め、書けたのである。
それが、自分たちの口語ラテン語をもとに、文語の文章になったのは、ずっと時代が下ってからの話。
そして新旧の聖書が最初に出たのも、この「ラテン語ではないか」、600年頃という説すらあるのだが。
オイラはその説は採ってないが、可能性としてありうる。
新旧は、新しい、古い、の意味ではない。
新の契約文書類まとめ、旧の契約文書類まとめ、の意味で、これらは「一体のモノ」だ。
アッシリア時代の旧契約書、ローマ時代の新契約書と言った意味ではないのだ。
最初にユダヤ聖書ができた。
つまり現実の解釈が最初。
だから確かに、「ユダ文書がキリスト文書よりは早い」といえるかもしれんが。
これは修辞学抜きに哲学が成り立たんみたいなもん。
成立時期は実は同時。
原始キリスト教の教義や信仰は、ずっと古いものだ。
アッシリア時代のものだからだ。
これ胡麻化して、新約聖書が・・・だのと言ってる。
しかもユダヤ聖書は当初から秘密で、わからんし。
古い時代のものはアラム語で書かれているはずなんだが。
旧約聖書のアラム語版などは、バビロン探しても、存在しないのである。
当然である。
彼らローマ帝国の宗教家たちが、古典ギリシャ語を駆使して、聖書類を作り上げた。
それはほぼ、間違いないと思う。
なんで古典ギリシャ語の古い聖書ものがないのかと言えば、秘密にしてきたからだろう。
契約書なんで、公に出すべきもんじゃない。
600年にラテン語で出た時は、事情が変わってたんだろう(と解釈)。
旧約聖書は、それも200年以降ー600年までの時代に、バビロンではなくローマで作った、と予想できるのである。
ヨセフス本の出た、この時代に作られてたんだ、と思うのである。
オイラは、エジプトのサレクサンドリアで出来たんでは、と思っている。
旧約の内容がボツボツ出始めたこの同じ時代に、ヨセフス本が出た。
同じ連中が手掛けたんである。
ともあれ、ヨセフス本のこれがローマ王族の間で大人気となり。
ローマ帝国の末席王族たちに、ユダヤ人気が大きく芽生えた。
というか、もともと。
そのための目的を秘めた、黄表紙発刊だった。
(黄表紙と言うのはたとえで、我が国での庶民向け娯楽読み物の話。)
もしヨセフスが本当に、ヘブライ人やサマリア人だったとしたら、必ずアラム語で書かれているはずだが。
そうではない、古典ギリシャ語で書かれた。
ローマの王族達の、書き言葉で書かれた。
(ギリシャ人はすでにいたが、彼らには読めないのである。)
(彼らはエジプトから連れてこられた庶民奴隷である。)
そこに描かれてあるのは。
ローマ第10軍団が、サマリアの反乱軍(ユダヤ人としてある)に手を焼いていたこと。
だが要塞まで地道に道つくりして、見事にこれを鎮圧し、マサダ要塞にこもる異教徒反乱軍相手の殲滅に成功したこと。
文書では、ヘブライ人が全員自害し玉砕した、とある。
暴徒をヘブライ人だとして、持ちあげてあるのだが。
もちろんこの連中は新しく入植したサマリア人なので、100%ウソである。
異教徒だ、というのは100%ホント。
但し100%、ユダヤ教持ったユダヤ人じゃないのである。
ヘブライ文字を持つユダ族などは、すでにこの土地にいないし。
パレスチナ人庶民すら、1人もいない。
居るのは大勢だが、文盲の、旧アッシリア人の庶民。
つまりサマリア人が、この現地にいたのみである。
彼らには、敵だったアラム語の読める文人がもしいたとしても、古典ギリシャ語などは絶対に読めやしない。
ましてや、書けるはずない。
それを読み書き出来たのはローマ人王族のみ。
しかしそのサマリア人がローマ帝国で、この文書以後は、パレスチナ人と、いやユダヤ人とされていくのだ。
「人種ぐるみの、詐欺的にとっかえ事件」が起こっているのだ。
それを、この文書が担っているのである。
ローマ帝国が国内で作りかけている「ユダヤ人」種族と。
「サマリア人」のとっかえ。
目的は、「キリスト教の普及」と「国の体制作り」に利用するためである。
最初から、ローマ修道院側の「陰謀」だった、その雰囲気がある。
キリスト教を担うのは、ローマの王族である。
その基礎部分を下部組織(下級王族)が担う、というのが、ユダヤ教である。
その下部組織づくりにご熱心だったわけ。
キリスト教という1神教の信仰を、ローマ帝国の国体に組み込むこと。
これが当時(200年頃?)のローマ帝国王族の最重点課題だった。
国内のモラルが乱れすぎて、どうにもならなくなっていたせいだ。
バビロン化してた。
聖アウグスチヌスといった、優れたマニ教徒の修辞学者も、この一連のスカウト事業に動員され、改宗させられ、利用された。
そもそもこれで、カトリックの屋台骨が出来たのである。
新契約書のおかげで、タンナー的な血生臭さの薄れたキリスト教は、王族子女にも人気となった。
これでモラルを構築できる。
ユダヤ人やユダヤ教は、そのために(キリスト教のために)どうしても必要だったのだ。
ローマ帝国が奴隷制度持をってたからだ。
当時は多神教徒が大勢いたし。
(ゾロアスター教なども、もとは、ほんまは多神教)。
1神教徒も、多種多様な異教徒の方が多くて、コトは簡単にいかない。
特にバビロン出のマニ教徒が多くて、なんともんならん。
上層階級や大商人の王族には、ミスラ教が多かったようだ。
王族だけの話。
庶民?奴隷は??
文書も読めんので、実は問題外なんである。
まさか奴隷の信仰からキリスト教が広まったなんて言う見え透いたウソ、あんた信じてるんじゃあるめえな。
キリスト教は、この当時から、王族だけの宗教。
もともと、ギリシャ文字の読める「王族だけが相手」なのだが。
マニ教徒やミスラ教、ゾロアスター教徒などといった一神教徒も多様で、まちまちだった。
ローマ土俗の多神教も、未だに人気があった。
この時代に、ユダヤ教など世界中探しても、未だ、どこにもおまへんよ。
旧約聖書には、パレスチナにあったと書いてあるが。
真っ赤な大嘘だからだ。
パレスチナにはユダやペレセトどころか、読み書きもできんサマリア人がいるだけ。
彼らはみんな文字が読めんので、宗教教義なんてのは、そもそも問題外。
つまり旧約聖書、新約聖書、ユダヤ教聖書などの聖書の類は、文人の大勢いるバビロンでできたものではないんである。
ローマ帝国で、できた。
そこの自己都合で、しかも200年以降、もしかしたら600年頃に出来たものだとオイラ思うわけ。
そして旧約聖書のもとになった文書類は、確かにバビロン出エジプト出なのである。
それらを「ミシュナー文書」という。
いわゆるユダヤ教臭い物が、いっぱいあるのだが。
臭い、だけだ。
中には仏教経典すらあった。
・・・聖書と書かれた、聖書を名乗る門も、ちゃんとあったようだが。
そもそも、ぜんぜん首尾一貫してないし、まとまってもいないそうだ。
あったとわかってるのに、消えた文書も多いらしい。
聖書にも矛盾点はないわけでないらしいが。
旧約では、ほとんどきれいにまとめられている。
タルムード臭い物も、かなり古い時代に、バビロンで出来たのはまちがいないが。
だが、「ユダヤ教聖書は未だないはず」なのである。
第一、ユダヤ人がいない、から、そう言えるのだ。
ユダ族は、ユダヤ人ではない。
ローマ帝国で、この時代(200年頃)に、バビロン文書類取り寄せての大集積と整理統合が、ローマ帝国領土内でなされた。
たぶん文書類集積されてるアレクサンドリアのどこかで、なされたんやろ。
歴史を統一し、その歴史に基づく「史観を確立」し。
ユダヤ種族共有の「信仰を仕立てて」いった。
ユダヤ教の生まれ故郷は神殿のあるエルサレムと、ミシュナーの残るバビロンと、そして旧約聖書ができたローマ帝国説があるのだが。
オイラは、ローマ帝国帝国ユダヤ起源説というわけ。
「旧約聖書の記述はウソだ」と思う。
旧契約の史観である旧約聖書と。
そしてマニ教義の教説を剽窃してキリスト教として、完璧な物に焼き直し、仕立てられた新約聖書。
そして最も大事な部分が、ユダヤ教聖書なのだ。
たぶん、最も力の入った基礎部分の道徳書が、ユダヤ教聖書にあるんだろう。
もともと、これのためのキリスト教なのだからだ。
キリスト教はローマ帝国の王族のために作られた新契約。
新旧のキリスト教聖書と、ユダヤ教聖書が同時に出来上がり。
その後、古い集積文書類を意図的に破棄したのである。
オイラはだから、古いユダヤ教からキリスト教が生まれたんじゃない、とみるわけだ。 同時に生まれた説になる、わけだろう。
バビロンのミシュナー群は確かにいっぱいあるが、あんまりまとまってないらしい。
しかも証拠隠滅で、古い、たたき台にしたミシュナー群は、焼き捨てられた。
アレクサンドラ図書館も、そのとき同時に燃やされた。
ここは古い時代に一度戦火で炎上、その後復活していた羊皮紙中心の蔵書も、古い時代のパピルス文書も、270年から275年の間に館内に残されていたものは残さず破壊された。 だから、これは意図的に行われた、宗教に拠る破壊なのである。
この頃が最も怪しいのである。
つまり270年。
巨大化し乱れた国家の再統合には宗教が必須、と考えた人たちがいて、彼らがやったのだと思う。
キリスト教の新しい教えだと、そもそも奴隷売買ができんようにしてある。
これが諸悪の根源であることには、彼らも気が付いてたのだ。
金融取引、武器取引などにも制約がかかってくる。
しかしこれでは、帝国の運営に支障をきたす。
バビロンから集めた古い歴史書にあるような、旧約の種族の理念は、ぜひ利用したい。 こういった異教徒種族が今でもいてくれれば、好都合なんだが。
彼らを下僕として利用すればいい。
しかし異人種だと、裏切られることも起きうる。
いっそのこと、自分たちの血で、人工で種族をつくりあげちまえ。
と考えたわけだ。
バビロンやエジプトから集めた文書類は実際、ヘラスでものにした文書同様、すごかったのである。
優生学で満ち満ちていた。
超賢いローマ人には、その価値がわかった。
だから利用し尽くして、他人が利用できんように破棄したのである。
血なまぐさいキリスト教は、この後、バビロンのマニ教などの影響で大きく変わった。
文書読めん者たちのために、偶像禁止のはずのイエス・キリスト像が作られ。
そしてユダヤ人モーゼ像も作られた?。
こっちは不要だったのである。
ユダヤ人は全員、古典ギリシャ語に通じてたからだ。
彼らはローマ人なのである。
さらに実務用には、英雄的なユダヤ人を描き。
マサダの敗北したサマリア人反乱者を英雄に仕立て上げ。
さらに下級王族から、異教徒役のユダヤ人になりそうなスカウトを募った。
そしたら実に多くの応募があって、あっというまにユダヤ人定員満タン。
王宮に自由に出入りできる「下級領主階級者」からのスカウトの話である。
最初期のユダヤ人は、その全員が、ご領主様特権階級だったのである。
中世にはまだ宮廷に出入りしてたようだが、そのうち手が切れたようだ?。
いいや、宮廷直属なのである。
偽物を仕立てて、批判の矛先を仕向けただけだ。
これらに合わせ、法整備なども当然、鋭意進められた。
当時の公会議など紐解けば、わかる。
何度も何度もシツコく「公会議」が招集されて、徹底議論されてる。
もっぱら「ユダヤ人の権利と諸財産をどうやって守るか」、そこに専念している会議ばかりなのだ。
ウソをいかに流布させるか、もあったようだ。
ポグロムだの、国を追われた民だの、といった話が、ことごとく作られた。
プロパガンダ用の、ウソ話なのである。
これを広めた人物や団体名もわかっている。
フラビウス・ヨセフス。
団体名がまさにこの、「ポグロム」。
「理想国家の形として、神権政治を造語した」、のである。
ヨセフスはサマリア人だとされるが。
これももちろんウソで、ローマ帝国スカウトの、選ばれし王族。
サマリア地域には居たかもしれんが。
当時のサマリア人庶民に古典ギリシャ語なんてのは、無縁のはず。
アラム語なら、変りもんが居たかもしれんが。
アラム語のユダヤ戦記があった、なんてのに至っては、つじつま合わせのウソ八百である。
このウソは、ローマ帝国の仕組み、そのものにあるウソなのだ。
西洋の基層に潜む、「あばけないウソ」となっていった。
いわゆる「ユダヤ人のウソ」の筆頭に来るべき、秘められた話なのだ。
多神教徒でなきゃ、こんな話は絶対にできん。
ティトゥス・フラウィウス・ヨセフスは、ローマ帝国の王族なのである。
ヨセフ・ベン・マタティアフという偽名を使ったか、単に利用したかだ。
これの欺瞞徹底も未だやっているようで、アレクサンドリアのフィロンという人物も見つけたが、どうやら同一人物のようだ。
どっちがモトなのかは、わからん。
あるいは全部後世に作ったウソかもしれん。
彼らのウソはたいてい真逆なのが普通なので、キリスト教を認めたユダヤ人ではなくて、ユダヤ人に成りすましたキリスト教徒だということ。
当時の黄表紙がちゃんとあるので、仕立てられたのはたぶん最近ではなくて200-600年ころ。
「ロゴスやイデア論の概念をユダヤ教思想の理解に初めて取り込んだ」んではなくて、ユダヤ教思想の現実優先道徳観から、ロゴスやイデア論の概念を逆に仕立てたんである。
生37年 - 100年頃も、たぶん200-600年サバ読んでるウソの類だろう。
275年以降の出版ではあるまいかとオイラ思うわけだ。
「ユダヤ軍の指揮官として戦ったがローマ軍に投降し、ティトゥスの幕僚としてエルサレム陥落にいたる一部始終を目撃した」ということにしている。
話が出来すぎている。
「エルサレムの祭司の家系」、も偽り。
エルサレムに、ユダ族は、ただの一人もいないからだ。
「64年にはユダヤ人の陳情使節の一員としてローマへ赴き、ネロ帝妃ポッパエア・サビナの知己を得た」としている。
すべて小説なのである。
そもそも時代がちがう。
パレスチナがアラム語の時代に、ローマ帝国で整備され始めたばかりの古典ギリシャ語で書いている。
そしてこのウソには膨大な背景もあり。
ユダヤ古代誌18巻63には「フラウィウス証言」と呼ばれるイエスに関する記述があるそうだ。
個人の作品ではないし、やはり目的は、キリスト教なのである。
この全部が、「ユダヤ教のウソ」と同時に、「キリスト教関係のウソ」なのである。
ヨセフスと言う名の、サマリア人山賊の裏切り者武将が囚われた事実くらいは、もしかしたらあったのかもしれん、という程度。
ローマ王族の武将ならいただろうし。
サマリア人がもし居たとしても教育がないはずなんで、古典ギリシャ語なんて書けんよ。
そもそもオイラ、ユダヤ教の話してんじゃない、「キリスト教の話」してる。
キリスト教からユダヤ教が切り離せん、その事情の裏話し、してる。
ユダヤ教は門外不出なので、後にシュルハン・ア-ルーフなど、その一部が漏れ出もしたが。
基本は一切闇なのである。
異教徒には、わかりようもない。
まあ、シュルハン・ア-ルーフもれて実態がバレたが。
選ばれしスカウト優先の王族のみが人で、他は差別すべきゴイ、ゴエムだって。
人には無利子で貸すべきだが、ゴイからは高利取っていいし、殺してもよい。
罪にはならんそうだ。
といった「優生学道徳」でできた、ユダヤ人の「毎日のお祈り」なのだ。
キリスト教の秘められた恥部だから、そのモトとなるユダヤ教の部分は実に精緻に念入りに、隠ぺいして仕立てられた。
旧約聖書と新約聖書は一対のもので、ユダヤ教聖書というのが、また別にあるようだ。
多分、プロパガンダ書なども含め、ぜんぶ同時に出来たのであると思う。
原始キリスト教「らしきもの」や、原始ユダヤ教「らしきもの」は確かに超古い。
バビロンのミシュナーのみではなく、多くはアッシリア出のものだと思う。
つまりサマリア人の持ってた原始キリスト教の、失われたモノがモトであって、そこらへんに事実があるのかも。
しかもこれらの宗教教義は、年代を酷く前へ、ずらされている。
ともに200年頃の、いや275年頃の同時成立だと、オイラ思うわけ。
古い古典ギリシャ語で書かれた聖書が見つからないので、600年と言う説もあるが、カトリックの屋台骨成立時期などが200年代らしいので、オイラそうしただけで。
ホンマに600年代かもわからんのやが。
太古のユダ族には、確かに虐げられた民もいる。
だが。
太古の彼らユダ族と、ローマのユダヤ人は、当時から「血のつながりは皆無」だったのである。
ずっとずっと後の時代に、文化的なつながりができた。
ユダヤ人が、自分の過去を尋ね歩き、ユダ族を熱心に見つけ出した。
なので、これを通じて血のつながりも、今は生まれているのかもしれん。
しかしユダ族の文化も、その後、途切れて消えているのである。
ユダヤ人と言うのは。
当初は、教導団となるレビ人のみであった形跡がある。
それがいつしかユダやベニアミンを名乗る人が増えてきて。
彼らはそもそも、ローマ帝国スカウトによって「選ばれし民」なのである。
ユダヤ教を持ちたくない王族は「修道院」に入り。
それ以外は、ユダヤ経典を与えられて、「シナゴーグ」に入ったのである。
このシナゴーグという用語もヘブライ語には、みあたらない。
古典ギリシャ語、つまりローマ帝国の言語なのである。
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着