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え~最近、どうも文章を書くときに湧き上がるインスピレーションというのでしょうか?そういった物が、頭の中や心の中に出てこないのですよね。ですので、続きを書きたい「栄光の海兵隊」シリーズや「海の悪魔、フォン・ルックナー伯爵」に関する本と独断と偏見に満ちた紹介&解説が、上手く文章として組み立てられないのですよね。ただでさえ、文章の組み立てが下手くそで誤字脱字が多いブログなのに、書いてる本人の意気込みまでもが無くなってしまってはどうしようもありません。という事で、今日は純粋に自慢話を書いてみたいと思います。それは、前々から「書道のお稽古に行っている」と書いている、書道に関することです。実は、今年は仕事で大変な目に合っている代わりに、趣味の書道はなぜか好調なのですよね。それは、今年度の中日書道展という中日新聞社が主催する書道の展覧会で2科(2科でよい成績を修めると、1科に上がれるのです)において「奨励賞」という賞を頂いた事と、今年も読売新聞社が主催する読売書法展で公募で入選できたことからも、お分かりになると思います。ちなみに私の書いている「字」は「漢字」(他に「かな」と「調和体」という分野があります)で、カチコチの楷書を書いています。書いている字のお手本は中国の三国時代の後、魏晋南北朝時代の北朝(中国の黄河流域を支配した王朝、漢民族ではなく異民族の王朝が多い)の墓誌銘を書いています。少し、書道がわかる方なら、龍門石窟の像造記、龍門二十品や五十品の臨書を主にやってます、と言えばどんな字を書いているかお分かりになるかと思います。実は、今回の読売書法展では臨書は出品できない、と言う規定ができて、慌てて図書館司書の能力をフル活用して中国、宋時代の詩人の詩を集めた『宋詩選注』全四巻という本を探し出してきて、その中から好きな詩を選び出して書いた次第であります。 で、ここからは宣伝となりますが、私の住む東海地方では来たる9月の12日(火)から18日(月・祝)まで名古屋の栄の愛知県美術館ギャラリーと、丸の内の愛知県産業貿易館において読売書法展が開催されます。私は公募入選なので、愛知県産業貿易館の方へ展示されると思いますので、東海地方に住んでいて、12日から18日の間に名古屋へ行く予定のある方は、是非、読売書法展へ足を運んでいただけると、大変ありがたいです。そこで、私の作品が分からない、と言う人にヒントを差し上げますので、行った人は是非見つけてみててください。一つ目は、正方形の紙に書いてあること。ふたつ目は、赤い線でマスを書いてその中に一字づつ入れてあること。最後は、ブログのアドレス「tikutai」がヒントです。これだけでは分からないので漢字で「竹泰」と書いてあるのが私の作品です。見つけた方は、私の正確な生息範囲がわかると言うおまけが付いています。県別に展示されていますのでね。ところで話は少々変わりますが昨今、中学校では習字をしないところが無くなり、筆を使って字を書く機会が子どもたちから奪われています書道の自慢話でも。大人でも、筆を使って字を書くという機会はめったに無いと思います。書道は、呼んで字の如く「筆を持って字を書くこと」により、字が上手くなることよりも精神を鍛錬し、心情を字で表現する事に重きを置いています(ですので、子どもの習字などは、字の上手い下手に関わらず、子どもらしい字を書く子、年齢に見合う字を書く子が展覧会などで賞を取りますね)。そんな、先生方のすばらしい作品が展示されている読売書法展を、みなさん、是非見に来てくださ~い。漢字・漢文が読めない人でも、調和体の作品は、現代詩などを普通の人でも読める字体で書いてあるので、そんなに気を張らなくても大丈夫ですよ。気軽に見に来てください。お願いします(懇願)。読売書法会のHPはこちらです。ここから、第23回読売書法展のページへ行く事ができます。→http://event.yomiuri.co.jp/shohokai/index.htmブログを更新する前に寝てしまいましたzzz。で、朝起きてからWordに保存しておいて今、アップしたわけです。今日は半休とって先ほど、『ゲド戦記』を観て帰ってきたところなので、その感想をこれから書こうかな~、と思っています。
2006年08月31日
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今日は、学校図書館ネタでいきます。夏休みもあと残り僅か・・・。私の図書室に喧騒が戻ってくる9月1日まであと今日を含めて4日です。そして、生徒ひとり3冊貸出した本がドバッと戻ってくる日でもあります。図書室にあるシステムは1台だけなので、9月1日は返却のみの開館にする予定です。どのみち、全校集会と学活だけで、朝と放課後しか開館できないのですから丁度良いとひとり納得しています。なにせ、半端ではない冊数の本が返って来るのですからね。ちなみに、夏休みの本の返却日は9月4日(月)に設定してあります。何故かって?その理由はひとつは9月の1日が金曜日だからです。という事で、絶対に学校に出てこない生徒がいるはずだ、と睨んでいるからです。最近多いのですよね。家庭の事情とやらで、こういう風に勝手に連休を作ってしまう親が・・・。もうふたつ目は、部活動その他の校外活動で登校できない生徒がいるためです。最後の理由は、絶対に「本を忘れた~」という生徒がいるはずだからです。そこで、学活での連絡で図書館からのお知らせ、という形で「おしらせ」を出してもらって、面倒な督促状の配布を減らしたいからです(印刷はパソコンとプリンターが勝手にやってくれるのですが、プリンターから出てきた紙を3枚に切って、学年・クラス・出席番号順に並べ直して、クラスの連絡箱に放り込む作業が手間なのですよね)。そして、この夏休み中もセッセと作業をしていた悪夢が絶対起きる日でもあるのですよね。それは、本が破損して戻って来ることです。図書館の本は借り出されたり、閲覧したりと普通に利用されているだけでも破損してしまうものです。その原因の大きなものは本を書架から出す時の動作です。みなさんは、本の背の上端部に指を引っ掛けて書架から本を引き出すでしょう。本当は、天、つまり本の上端部だけではなく、指の第2関節ぐらいまで指を入れて、てこの原理で本を引き出してくれると、背の上端部が割れたり、剥がれてきたりしないのですがね。まあ、最近の本はコーティングフィルムをかけてあるので背の破損はコーティング保護していない本に起こる現象ですね。あとは、日焼けや手垢による汚れですが、これはどうしようもありません。ただこ近頃多いのが、人為的破損です。一番多いのが本への書き込みや落書きですね。鉛筆やシャーペンでしたら消しゴムでゴシゴシこすって消す事ができるのですが、ボールペンやサインペンなどで書き込まれたらお仕舞いです。書庫行き、除籍候補図書になってしまいます。しかも、その落書きが品がなくて、幼稚なものばかり・・・。中学生にもなって図書室の本にこんな事をするなんて、と消せない落書きを見ながら悲しくなります。本当に・・・。それから次は、ページの破れや剥脱ですね。これは、うっかりやってしまった、というのもありますが、酷いものになると本当にページをむしり取ったような本が戻ってきたこともありました。こうなったら被害にあった本は買い換えなければなりません。乏しい図書費の中からではこれは痛いです。また、『ミッケ!』のような生徒に人気がある本やどの本とは一概には言えませんが装丁の弱い本などは、使い続けているとどうしてもページが剥がれてくるのですよね。そうなると、ボンドを利用して、剥がれたページに貼り付けてから重しを載せてしっかり固定。ボンドが乾いてから補修用テープを貼って修理完了。でも、そんな事を続けていると本が膨らんできてくるのですよね。それや、貼り付けたページが少し飛び出したりして見っとも無くなったりと、修理しても本は元の状態には戻りません。 ↑図書室で破損本の代表格『ミッケ』を並べてみました。1巻目なんて表紙まで破られて、書庫に眠っていますし、7巻などには、各ページに隠されていて探し出す「もの」をボールペンで丸印をつけてあるし、ページは破られる、剥がされる、本当に満身創痍という言葉がピッタリの本になっています。あと、究極の破損は本を濡らす事です。これが年に数回、必ず起こるのですよね。自転車に乗っていて急に雨に降られて鞄を籠に入れたまま家に帰って鞄を空けたら、中まで濡れていたとか、飲み物をこぼした、といって濡れて乾いてゴワゴワになった本を持ってきた時の心境は悲鳴ものです。これら濡れた本も、除籍候補として書庫行きです(泣)。最近、ニュースなどでも公共図書館でも私の図書室と同様に、本への書き込みやページの切り取りなど、やった人間の人格を疑うようなことを平気でやって平然と図書館へ本を返しに来る利用者がいて問題になっていますが、中学校でも同じような事が問題となっていて、どうしたものかな~、と悩んでいる最中です。6月に「本が泣いています」というテーマで破損本を展示したミニコーナーを作って、本を大切にしましょう!ということをアピールしたのですが、本好きの生徒に対しては「もっと本を大切に扱わないと」とか「酷い事をして許せない」と憤慨するなどの反応があったのですが、そういう「まともな」反応を示してくれる生徒ではなく、平気で本を破損させて平気な顔して返却ボックスに放り込んで行く生徒の心に少しでも罪悪感を芽生えさせれれば、と思い出入り口近くに机を置いて設置したのですが、果たして効果があったのでしょうか?ホント、夏休み明けに本が無事に返って来ることを念じている今日この頃です。延滞なんて、本が破損することに比べたらいかほどのものか。ただ、学校の本と一緒に卒業する事だけはやめて欲しいですけど。
2006年08月29日
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え~、本日は寝る前に最後に残った理性で、ひと言ふた言書いて、お茶を濁します。今日は本当は、先週の日曜日に書いた「栄光の英国海兵隊物語!」の続きで、、ダグラス・リーマン著『栄光の海兵隊』シリーズの第1巻『緋色の勇者』(1984年、早川書房)の続きで、交易所に立てこもった英国海兵隊の活躍やら、クリミア戦争での戦いの様子について書こうかな~、と夕方、書道のお稽古の帰り、名古屋から乗った電車の中で考えていたのですが、家に帰ったら、宴会、焼肉の準備がしてあるではありませんか!そういえば昨日の夜遅く、弟が友人2人を連れて大学院から帰って来ていたので、今日は奮発して焼肉だー!ということになったそうなので、急遽、私のご自慢の溜め込んでいるワインの中からイタリア産の「冷やして飲むとおいしい」と明●屋さんで薦められて買った赤ワインを氷を放り込んだワインクラーにぶち込み、昨日の夜、歴史関係の研究会から帰ってきてから開けて、ボトル半分ほど残ってエアを抜いて冷蔵庫にしまっておいたフランス、ブルゴーニュ産の白ワインを飲んで、只今、大変良い気分でいます。弟の友人や父などは、ワインの他にビールに焼酎、それに母親が漬けたご自慢の10年ものの梅酒とチェリー酒まで飲んでいました。そして、あれやこれやと会話がはじけ、先ほど20時前から始まった「宴会」終了し、水2杯に麦茶1杯を飲んで、喉を潤してから鬱の薬を飲んで(う~ん、ワインだけしか飲まなかったとは言え、確実に半リットル以上のワインを胃の腑に収めてから薬を飲んで大丈夫なのでしょうか?)只今、パソコンの前に座っている状況です。本当は、寝る前にメールのチェックだけしてブログを書こうという気はサラサラなかったのですが、酔いに任せて適当な事を書いてみました。しかし、良いですね。気兼ねなくワイワイ騒ぎながら好き勝手な事を言って自分の好きなワインが飲めるという事は。私はどうしても、書道や歴史学関係の研究会の後の飲み会や、祝賀会などといったあんまり好き勝手な事を言えないし、あんまり飲めない、というか、色々雑用やら先輩、先生方のお相手をしなくてはいけないので、飲んでも酔えない状況でお酒を飲むということが多いのですよね。大勢と飲む時は。かといって、家では父親と母親だけですので、会話が弾もうはずもありません。ですので、今日は本当に羽目を外して久方ぶりに自分の知識やら意見をひけらかして、楽しく飲み食いすることができました。ただそれだけを言いたくて、今日は何だか脈絡のないことを書いてしまいました。ただ最近、こんなに楽しい出来事はなかったもので、ブログに書き残しておこうかと・・・。何だかわびしいですね。それでは、寝付きを良くするための幼いころからの習慣、コップ1杯の牛乳を飲んでから寝るとします。それでは皆様、おやすみなさい。
2006年08月27日
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え~、冥王星が惑星から除外されてしまいました。昨夜、プラハで開かれている国際天文学連合の総会で、従来の太陽系惑星9個から冥王星が外されて、水星から海王星までの8個とする新しい定義が、賛成多数で可決されてしまいました。で、これがなんで図書室に関係があるか?しかも、前回書いた「海の悪魔」の続編を中断してまで書く題材となったのか?それは、去年、私が今の中学校の学校図書館に赴任した年の6月に理科関係の図書を大量に発注・購入し、当然その中には天文関係の本が入っていたわけなのですよ!昨夜のNHKのニュースで、教科書会社が教科書や資料集の印刷を中止して事態を見守っている、というのが放送されていて何かイヤァ~な予感がしたのですが、今日、学校へ出て理科の先生に会うなり「司書さん、失敗しましたね!」とのひと言で、あぁ~!と事態の重大さに気が付いたわけです。なにせ、数万円分、天文関係で図書費を使いましたからね。私のお気に入りブログのひとつ白い怪鳥さんの「怪鳥の【ちょ~『鈍速』飛行日誌】」でも太陽系の惑星騒動が取り上げられていて、記事も読んだのに、今日の今日まで事の重大さに気が付かなかったとは!不覚です。これも鬱の所為なのでしょうか?ともかく、理科の系の図書は値段が高いのですよ!その理由は、中学生向けなので、イラストや写真がたくさん掲載されていて、しかも理解しやすいようにと先生方はカラー写真やイラストが載っている本を選書されるものですから。しかも、私は完璧な文系人間。理系の事は、高校時代に無線をかじっていた事もあり多少の知識はあるのですが、生物・化学・地学・天文学・医学等々のことはサッパリわかりません。理科の先生方の「司書さん、この本を入れましょう」「この本は良い本ですよ」とのリクエストには「はい、わかりました。図書費と図書担当の先生と相談して購入するか検討します」としか答えようがありません。で、以下のような本が今、図書室の440の天文学・宇宙科学(正確には445の惑星・衛星など)に鎮座しているのですよ。例えば、税込み5,400円の林完次著『星の地図館New edit 』(小学館、2005年7月:これは夏休み明けの選書で選んだ本で、第2章は、地図という視点で迫る日本初の太陽系地図帳と銘打っていましたね。付属資料としてDVD1枚、星図1枚、ポスター1枚が入っていてこれらを職員室に別置するのに、登録作業に一手間も二手間もかかった本です。そういえばこの後購入した『またまたへんないきもの」にもポスターが入っていて取り扱いに苦労しました。こういう付録が最近増えていて取り扱いに困るのですよね・・・)や、同じく林完次さんの『星をさがす本』(角川書店、2002年10月)税込み2,415円に、『宙(ソラ)の名前』(角川書店、1999年12月)税込み2,500円(理科の先生の1人が林さんの写真が好きだったので、3冊選んでみたのですが)などの写真をメインとする本。 次いで、藤井旭さんのシリーズもの。誠文堂新光社から出版されている『最新藤井旭の天体観測教室』(2004年12月)、『最新藤井旭の星雲・星団教室』(2004年2月)、『最新藤井旭の天体望遠鏡教室』(2002年12月)ここまで税込み2,310円に『最新藤井旭の天体写真教室』(2002年4月)、『最新藤井旭の四季の星座教室』(2001年9月)ここまで税込み2,100円、計11,130円!などなど、この他数冊買っているのですが、帰り際にブログのネタで使おうと書架を覗いてみたら、貸出中なのですよ。理科で課題が出ていたらしくて、夏休みの終わり際にお知りに火のついた生徒が借りて行ったらしくてあんまり無かったので、このくらいしかメモできなかったのです(去年買った以外の古い本はあったのですがね)。 でも今回の冥王星騒動で改めて感じましたね。学校図書館が、本当に小さな図書室が世界とリアルタイムで繋がる知識の殿堂であることを。それから、9月の最初に作るミニコーナーのテーマが決まりましたね。テーマは「さよなら冥王星」というのにして、天体観察でまとめて中秋の名月へとテーマを繋いでいきますか。あ~あ、またテーマコーナー作りに図書だよりと頭脳を搾り出して行う仕事に戻るのか~。まあ、夏休み期間中の埃払いの大掃除に窓ガラス拭き、そしてようやく実行できたくん蒸といった肉体労働から解放されるのは嬉しいのですが。あと、蔵書点検とか分類ラベルの張替え、本の補修といった本をあっちこっち移動させる作業も辛かったですがね。クーラーが無かったら、絶対に熱中症で倒れていた夏休みでした。〈おわり〉
2006年08月25日
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え~、早いものでこのブログを書き始めてから今日で丁度、300日目となります。アクセス数も順調で今月に入り1万7千人を突破しました。これも、ひとえに私の独断と偏見で書いている駄文を読んでくださる方々のおかげです。本当に、厚く御礼申し上げる次第であります。という訳で、本日は前回書いた「QシップvsU-ボート」のお話関係で、第1次世界大戦中にドイツ帝国海軍が実行した奇想天外な作戦についてお話をしていきたいと思います。この奇想天外な作戦を最初に知ったのは私の愛読書のひとつで以前、ブログでも紹介したことのあるジェイムズ・H・コッブ氏の著作『アマンダ・リー・ギャレット』シリーズの第3巻目の上巻『シーファイター全艇発進(上)』(文芸春秋、2001年) の序盤に主人公である海軍中佐アマンダが自家用ヨット「シー・アドラー」号にて部下であり恋人であるヴィンス・アーカディー大尉と逢瀬を楽しむ前に大尉に話した船名の逸話でした。そして最近、手に入れた大内健二氏の『戦時商船隊』(光人社、2005年)の第1章に「帆装仮装巡洋艦ゼー・アドラーの戦歴 武装帆装商船が展開したロマンに満ちた通商破壊作戦」という内容で、アマンダ中佐が語った「ジー・アドラー」(ドイツ語の発音だと「ジー:See=海」の発音に近いと思うので、以後「ジー・アドラー」で書いていきます。ちなみに「アドラー:Adler=鷲」の意味です)号の戦いの内容が分かったので、私見をたっぷりと交えながら紹介していきたいと思います。さて、この仮装、若しくは特設巡洋艦と呼ばれる艦は、通常の商船に武装を施して偽装し、航行する敵対国の商船を襲撃して拿捕したり撃沈したりする一種の軍艦です。この戦法は彼のエリザベス一世の時代、7つの海を荒らしまわって世界一周をしてしまったイギリスのフランシス・ドレークが代表とされる、国家が敵対国の軍民問わず拿捕・撃沈する許可を与えた私掠船(シリャクセン)による襲撃にその原形を見ることが出来るでしょう。そして、この国家公認の海賊行為が極限まで発展したのが第1次世界大戦でドイツがいち早く採用した仮装巡洋艦による通商破壊作戦ではなかろうか、と大内氏は述べられています。実際に商船に武装を施し偽装をさせて敵対国の商船を公海上で襲撃する行為は、海上を単独で航海する敵国商船に心理的な負担を与えて、商船の航行を差し控えさせ、国家経済や戦争遂行上必要な将兵・物資の輸送を阻害する事が第一の目的です。第二の目的は、商船の安全な運行を保障するために、敵対国の海軍の兵力が分散する事、またプロパガンダ、宣伝戦においてもたかだか数隻の武装商船の為に自国の商船が犠牲になるということは、被害国の国民に対して自国海軍の能力に疑問を抱かせる事となり、商船護衛の為にさらなる艦艇を護衛に割かざる得ないという「ジレンマ」を与えることでした。このドイツの通商破壊戦で真っ先にピンッ!とくるのがU-ボートなのですが、実際に通商破壊戦を開始したのは水上艦艇の方早く、とくに中国のドイツ領、チンタオ(青島)に駐留していたドイツ極東海軍の巡洋艦5隻の内の1隻、軽巡洋艦エムデンは南太平洋やインド洋で連合国側の商船を多数撃沈、近代戦始まって以来の水上艦艇による通商破壊戦を行い、華々しい活躍をしたのですが、1914年11月に武運が尽きてインド洋の孤島ココス島で英連邦軍所属のオーストラリア海軍の巡洋艦シドニーに撃沈されてしまいました。しかし、これに味を占めたドイツ帝国海軍は5千総トン級の貨物船に数門の大砲や魚雷発射管を装備し、外見からはこれらの武装が見えないように偽装を施した仮装巡洋艦数隻を1916年に準備、そのうちのヴォルフ・メーヴェ・グライフはその中心的な仮装巡洋艦で、これらの艦船は大西洋からインド洋にかけて「敵国商船狩り」に解き放たれ、1917年9月にはインド洋で日本のヨーロッパ航路用の貨客船・常陸丸(2代目、初代は日露戦争時にロシア・ウラジオストック艦隊の攻撃を受けて、乗船していた後備近衛師団もろとも海の藻屑になってしまった不幸な船であり、不吉な船名です)が拿捕され撃沈されるという事件もおこっています。しかし、このような仮装巡洋艦には弱点がありました。当然、正規の軍艦には勝てないのは当たり前ですが、石炭炊きのレシプロ機関で航行している以上、どうしても燃料補給がネックとなってくるからです。そこで、1916年後半になってひとりの風変わりな予備役海軍少佐がひとつのアイディアを上層部に提出します。その海軍少佐の名前は、フェーリックス・フォン・ルックナー。東プロイセン出身の伯爵で代々陸軍軍人を輩出している名門に生まれた男でした。ところがこのフェーリックス少年、どういうわけか稼業の陸軍将校への道を歩まず、冒険心に駆られて13歳で家を飛び出し、一介の水夫としてロシアの古い横帆偽装船(スクエア・リガー)に乗り込み、やがてドイツ帝国海軍へ志願し、将校となります。そして、海軍本部に提示した計画が「世界で最後の帆船フリゲートによる急襲」だったのです!この計画、奇抜であるけれども帆船は燃料を補給する必要はないし、まさか帆船が仮装巡洋艦だとは思わないだろうし、ドイツ帝国海軍にとっても失うものは何もない。という訳で「名案」だ!と認可されて、哀れにも開戦早々にノコノコとドイツのブレーメンハーフェン港に入港してきて抑留されてしまった英国製のシップ型3本マストのクリッパー帆船、パス・オブ・バルハマ、1571総トンに、船首と船尾に2門ずつ88mm砲を舷側の波除板に隠れるように取り付け、船内も捕虜収容や物資搭載のための改装をされて船名も「ジー・アドラー」号と改名されてルックナー艦長以下68名の帆船に習熟した将兵が乗船したのでありました。私は最初、ジー・アドラー号は帆船だとギャレット艦長シリーズを読んでいたときには思っていたのですが、『戦時商船』によりますと補助動力として500馬力の当時としては先端を行くディーゼル機関を備え、そのための燃料400tも用意されていたそうです。補助動力があることは、海上に風がある無しに関わらず、自由な操船ができるということで、先頭には有利です。さすがドイツ人(なぜかって?それはディーゼル機関の発明者がドイツ人だからです)ちなみに他に搭載された物資として水は480t、食料は2年分!も搭載していたというのですから、ドイツ人の用意周到さはあきれるばかりです。このように、準備万端整ったジー・アドラー号は1916年12月21日にヴィルヘルムスハーフェン港を密かに出港し、北海を経由して大西洋へと出ようとします。ところが北海の出口、ノルウェーからアイスランド、デンマーク領のフェロー諸島、そして英領のシェトランド諸島を結ぶ線には英国本国艦隊が網を張ってドイツの軍艦・商船を問わず拿捕&撃沈しようと手ぐすね引いて待ち構えていたのです。そこで、老獪なルックナー少佐は船名を実在の商船に似たものに偽装、そしてノルウェーからオーストラリアへ向かう木材運搬船に偽装します。実は、ルックナー少佐は長い海上生活の経験からノルウェー語に堪能で、将兵もノルウェー語が出来る人間を選抜、船尾にはノルウェーの国旗が翻り、艦長室にはノルウェー国王負債の写真を掲げ、家具調度に至るまで北欧製、さらに、ダメ出しとばかりに航海日誌などの書類は運良く前日に吹き荒れた嵐の所為でインクが滲んだと、読みにくくし、艦長室のベットには女装した病身の艦長夫人を寝かせて配置するなど、万全の体制で英国巡洋艦、アベンジャー号の臨検を受けます。そして、ルックナー艦長以下乗組員全員の演技で最大の難所を突破したジー・アドラー号は大西洋の狩場へと悠々と乗り込んでいったのです。さてこの先、ジー・アドラー号はどのような戦闘を行うのか?「海の悪魔」の意味とは?それは、この続きで!今日はここまで!!
2006年08月23日
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え~土曜日、睡魔の原因が鬱の症状であるのかどうかを聞きに病院へ行って参りました。そして医者に言われたひと言は「諦めなはれ」(本当にそういわれたのですよ!)とのこと。鬱の薬を飲み続けているとどうしても眠気が出てくるし、夏のこの季節はとくに体調が悪くなるので、どうしようもないとのこと・・・。という事は、いくら眠たくなったら本能に任せて寝るしかないということではありませんか!なんという診断でしょうか。全く以って睡魔にはどうしようもないな、と再確認させられた昨日1日でありました。その帰り道、「潜水艦話を昨日書いたからその続きのネタでも探しに、図書館に寄ってから帰ろう」と思い、借りてきた本がここの図書館では私ぐらいしか借りていないのでないのかな?と思う1冊、映画『ゲド戦記』で何かと話題となっております宮崎駿監督の妄想が描かれた怪作『宮崎駿の雑想ノート』(大日本絵画、1992年:表紙画像なし)です。この本の中に、潜水艦に関するお話が集録されていたな~、なんとなく思い出して借りてきました。そのお話とは「Q・ship」(Qシップ)という題で、内容は第1次世界大戦中、U-ボート対策の一環として英国海軍が採用した嘘のような作戦が描かれています。Qシップとは日本語に翻訳すると「囮船」(オトリフネ)と翻訳されます。要するに、小型の沿岸貨物船(大抵は、廃船寸前のボロ舟で魚雷どころか大砲の砲弾まで節約したくなるような船が選ばれ、なんと、帆船まで使用されたそうです)に大砲をあの手この手で隠してU-ボートの攻撃を待ちかまえるという作戦です。大砲は貨物ハッチの上に置かれた短艇の中に隠したり、デッキハウスの上にもう一段、張りぼてのデッキハウスを作ったりして、10.5cmや7.5cm砲を隠匿して、一見普通の商船に見せかけていたそうです。当然、乗り組員は船長以下全て正規の英国海軍の将兵で、彼らは民間人に変装(遠くからは分からないのに、口ひげまで付けて変装した指揮官までいたそうです。そうれなら、パラソルを広げて、つばの広い飾り帽子をかぶって女装した水兵をこれ見よがしにデッキに上げておいた方が効果があったような気がするのですが・・・)してひたすら英国近海の航路をウロチョロしてU-ボートが餌にかかるのを忍耐強く待っていたのです。この時、航路によっては中立国であるノルウェーやスウェーデンの旗を艦尾にぶら下げて航行していたそうです。当然これも偽装の一部ですが、こんな事を軍艦籍にある船がやっていいいのか?という疑問に関しては全く問題がないのです。戦時国際法でも、このような行為、よその国の旗を掲げる事は「戦術のうち」と認められているのです。ただし、ドッカーンと大砲が火を噴く前に正規の軍艦旗、英国海軍ならホワイト・エイサンを掲げ変えないと違法行為になるので、Qシップも砲火を開く前にはちゃんとした軍艦旗に取り替えたことでしょう。一方、やっつける側もこのような作戦を取るなら、やられる方もやられる方で、U-ボートもとんでもない戦法を用いています。それは、無線用のマストに偽の帆を張って、帆船に化けて、連合国側の商船に接近し、突然ドイツ帝国海軍旗を掲げてドカーンと砲撃するという、マンガさながらの戦法です。当時の主に使用されたU-ボートの性能を見てみますと、水上排水量が515トン、水上での速力が13.5ノット、水中では8ノット、ただし、水中でこれだけの速力を出すと蓄電器の関係で1時間しか持たなかったそうです。そして武装が10.5cm砲が1門に艦首に魚雷発射管が4門、艦尾にも1門装備されていたのが、大体、標準だったそうです。なぜに、U-ボートがこのような戦法を取ったかといいますと、ひとつには第1次世界大戦半ばからは完全に無視されることになった戦時国際法の規定、拿捕及び攻撃する敵国商船は事前に警告(威嚇射撃)を行った後に臨検して、明らかに戦略物資等を積載するなどの戦争行為に加担していることが認められる場合において、拿捕・撃沈が許可されるという文言があったからです。でもこれは建前で、戦争が始まれば戦時国際法なんてあの手この手で裏をかき、踏みにじってしまうのが普通です。実際にU-ボートがこのような帆船に化けてまで水上攻撃を仕掛けた理由は、当時の魚雷が信頼性に乏しく、また高価で搭載数も少なく、浮上して商船狩りをしたほうが効率が良かったからなのです。おまけに、第1次世界大戦も末期になるまでは護送船団なんてものは採用されず、商船は独航、つまり立った1隻で行動する事が多かったので、こんな帆船に化けて攻撃するという戦法を発明した艦長が出てきたわけなのです。そして、このような艦長は士官候補生時代からの帆船育ちだったのでしょう。第1次世界大戦中は今からでは信じられないほどまだたくさんの帆船が商用船として七つの海を航海していたのですから。実際に第1次世界大戦中のドイツのU-ボートのトップ・エース、軍艦2隻、2500トン、商船196隻、約45万トンを海の藻屑としたフォン・アーノルド・ド・ラ・ぺリエール大尉は大戦中、最も長く指揮したU-35では54隻も水上砲撃で撃沈して、魚雷を用いたのはわずかに4隻だったそうです。それはそうでしょう。この頃の潜水艦はレーダーもうっとおしい飛行機も空から襲った来ないので、悠々と真昼間に水上を航行して獲物を探しまわれたのですから。ちなみに、ドイツU-ボートが沈めた戦果は1914年から1918年までに6394隻、1194万8702総トンにのぼり、英国が大戦中に失った戦艦13隻の内、5隻もがU-ボートによる戦果でした。これだけの戦果をあげれば、第2次世界大戦でドイツが再び大規模にU-ボートを運用したのも当然といえるでしょう。でも、この大戦果の代償にU-ボートは198隻も撃沈されています。その内、Qシップに沈めらたのはわずかに12隻・・・。これが多いのか、少ないのかは実戦に投入されたQシップが200隻あまりだったことを考えると・・・、ですね。そこで、U-ボート対Qシップはどのように戦ったといいますと、当然、戦時国際法の規定によりU-ボートは威嚇射撃を行い、乗員に退艦を促します。これにQシップの一部の乗員が応じて船を離れると、U-ボートは確実に砲撃が効果をあげる地点まで接近、砲撃を開始します。その間、Qシップの砲手たちはじっと我慢して戦機を伺うのですが、その前にU-ボートの砲撃でQシップが撃沈されてしまうケースもあったそうです。そして、いざ砲撃開始!とU-ボートに対して砲撃をしても相打ちに終わったり、引き分けに終わったりという結末が多くて、運良くQシップが勝っても今度は穴だらけの船体に救助した捕虜を乗せて、帰港するという困難な作業が待っていたのです。実際に、半分沈みながらも何とか帰投しようとするQシップの写真が何枚も残っているそうです。このQシップとU-ボートの戦いは、まだレーダーやらソナーなどの機械に頼らず、人間の「感」によって戦争をした最後の時代の残滓でした。次の第2次世界大戦ではQシップは使用されず、そのような船は武装トロール船(簡単な改装施した駆潜艇)やそのまま商船として使用され、潜水艦狩りはレーダーやソナーを爆雷投射機やヘッジホッグで武装したコルベットやフリゲート、駆逐艦が担当し戦争は人間味のない味気なく、そして残酷なものへとなっていったのです。という感じで、今日も潜水艦に関するお話を書きましたが、次回は潜水艦が行った通商破壊戦についての面白いエピソードを紹介できたらな、と考えています。今日のお話で参考した本、広田厚司さんの『Uボート入門』(光人社、2003年6月)です。この第3章「第一次世界大戦とUボート」の中に、Qシップのことやペリエール大尉など、第1次世界大戦でのU-ボートの活躍が紹介されています。
2006年08月20日
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タイトルの通りここ最近、鬱の症状がまた別の側面から攻撃を開始し始めてきました。睡魔です。ともかく、何をしていても眠いのです。検索システムを使って蔵書登録をしていたのに、いつの間にか、キーボードの上に顔を置いて寝いていたり、仕事をしなくていけないと思えば思うほど、眠くなるのです。就業規則で昼休み1時間の休憩が認められているので、昼食後にクーラーの効いた準備室の古びた長いすに古いテーブルクロスを敷いて、20~30分ほど昼寝をしていても、以前はシャキッとして昼からの仕事に取り掛かれたのですが、今週に中頃からそれも効かなくなりました。今はもう、どうとでもなれ状態で、心は深海の底に沈んだ状態です。そんなわけで、海の底に深く静かに沈む代物と言えば「潜水艦」です。そんな、わけの分からない脈絡で今日は潜水艦についてダラダラと書いていきたいと思います。皆さんは潜水艦、と言えば常時海面下に潜んで、敵の水上艦船がやってきたらどてっ腹に魚雷をドカーンッ!と喰らわすというイメージが強いと思います。まあ、それが潜水艦乗りの華のなのですが、実際、潜水艦の歴史を紐解いてみると、そんな常時海面下に潜行できる様になったのは第二次世界大戦も末期になってからのことです(第1次世界大戦当時は、浮上して艦載砲で敵艦を撃沈した方が多かった、なんて話もあります。それだけ、当時の魚雷の性能と潜水艦の潜航能力が心もとないものだったのでしょう。でも、第1次世界大戦こそがU-ボートにとって一番幸せな時期だったのです。空から爆雷を落っことす飛行機はまだそれほど発達していませんでしたし、ソナーも聴音機も出来立てホヤホヤで信頼がなく、レーダーなんて代物もありませんでしたからね)。技術力なら世界一(生産力、つまり数でアメリカに負けた)ナチス・ドイツは彼の有名なU-ボートに潜水中でも海面下に管だけ出してディーゼル機関を動かせる酸素を供給するシュノーケル装置の発明や、かのワルター博士が開発した過酸化水素を燃料とするワルター機関を搭載したU-ボートを建造した事により、ようやく潜水艦と名前が付いた「可潜艦」(必要なときだけ海面下に潜れて行動が出来る艦)が「潜水艦」(水中でも水上艦艇と同等の機動力を長時間有することができ、ソコソコの潜航が出来る艦)になったわけです。で、今日では原子力潜水艦という究極の潜水艦が登場し、通常動力の潜水艦もディーゼルからまた、新しい機関(スターリング・エンジン)へと改良が進んでいるという状態です。でも、なんで原潜があるのに未だに通常動力のディーゼル機関の潜水艦が活躍しているかと言いますと、原子炉を搭載した高度な技術力と、維持管理が大変な原潜をそう簡単に保有できないからです。中国などはがんばって攻撃型原子力潜水艦を保有していますが、その筋からの情報によりますと、潜航して航行すると「水洗トイレを流すような音」がするほど音が出るそうです。原子力潜水艦は原子炉で発生させた熱で蒸気を作り、その蒸気でタービン回転させて動力とするため、どうしても特徴のある音が発生してしまいます。一方の、ディーゼル機関を搭載している潜水艦は、水面上を航行中に、あるいは潜航中にシュノーケルを利用してディーゼル機関で推進機関を動かすと同時に発電機を回して蓄電器に電気をためて、潜航中は電気モーターを利用して航行します。そして、電気モーターの音は静かでなかなか聴音機でも捕らえることが難しいほどの性能を持っているそうです。最も、スクリューの音で即、探知されてしまうのですがね。そんなわけで現在、通常動力型潜水艦を作っている国は日本とドイツ、ロシアに中国、韓国くらいなところでしょうか?他の潜水艦保有国は大抵はドイツ製かロシア製の潜水艦を買って運用しているわけです。ですので、インドがロシアからキロ級潜水艦を購入したとき、蓄電器が南洋仕様、つまり暑さ対策が出来ていなかったので問題が発生して、蓄電器だけをドイツ製に替えたと言うお話が残っています。キロ級潜水艦は北洋の海でしか運用を考えていなかったので起きたお粗末な欠陥ですね。一方、わが国の潜水艦は戦後、占領下で建造・技術開発が停止したにもかかわらず(ドイツも同じですが)、未だに通常動力型潜水艦では世界トップクラスの性能の潜水艦を、必要以上に保有している、潜水艦保有大国です。ドイツはセッセとU-ボートを作って輸出して技術力の維持と開発に努めているのに対して、わが国はくだらない「武器輸出三原則」のため、潜水艦の輸出なんて出来ようはずがなく、無駄を承知で1年間に一隻ずつ潜水艦を発注して、古い潜水艦は艦齢が若いのに練習艦籍に入れられ、そして廃艦されていくという血税の無駄をしています。そんな事をするぐらいなら、オーストラリアやシンガポール、インドなどに中古品として売ってしまえば、血税の節約にもなるし、軍事関係での外交強化にもなるし、良い事だと思うのですがね。で、今日はなんで潜水艦のお話を書こうかと思ったかと言いますと昨夜、テレビをつけたらハリソン・フォード主演の映画『K-19』をやっていたのも理由のひとつなのですよね。物語の内容は、進水式の際に艦首にシャンパンの瓶をぶつけわって祝うその式典で、シャンパンの瓶がわれず「不運な艦」ではないか?と噂されているソビエトの最新鋭の戦略原子力潜水艦K-19(当然、核弾頭装備の戦略ミサイルを搭載)は、軍の命令により艦と原子炉に対して意見の異なる二人の艦長を乗艦させたまま新型戦略ミサイル発射実験のために処女航海へと出港します。そして、見事に発射実験には成功するのですが、その後、原子炉の冷却装置の亀裂から放射能漏れの事故を起こしてしまう、しかも、場所が運の悪いことにNATO軍基地の近辺で原子炉爆発によりミサイルが発射されれば、第三次世界大戦への引き金になりかねない。その最悪の条件の中で先任の艦長であるボストリコフが将兵の命と全世界の運命を懸けた決断を下すのですが・・・、というシナリオで進みます。この1961年の東西冷戦下の史実に基づいた出来事は同名の『Kー19』という本でもその緊迫した状況と、極限の状態におかれた将兵の行動などが楽しむ事ができます。そういえば、この間最終回を迎えた『Black lagoon』(『BLACK LAGOON 001〈初回限定版〉』)でも、第04話「Die Ruckkehr des Adlers」で第二次世界大戦中の日独連絡のためにU-ボートの歴戦の勇士が航空工学を学びに来た松戸中佐を乗せて、キール軍港からバタビアへ向かうというお話がありましたね。使われたU-ボートは7(ローマ数字)C型、U-1234(なんと安直なネーミング)。艦長は、歴戦の勇士(まぁ、戦争末期までU-ボートに乗っていればねぇ、なにせもとU-ボート艦長が書いたヘルベルト・A.ヴェルナー著、鈴木主税訳『鉄の棺』(中央公論新社、2001年)という本が出てているくらいの存亡率ですから・・・)で鉄十字勲章受勲者、ヴェンツェル・H・アーベ少佐という設定になっていましたね、たしか。でも、このお話は面白いのでまた今度の機会にとっておきましょう。それでは、今日はこれまで! ←原作ではこの2巻目に集録されてます。
2006年08月18日
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秋篠宮家の長女、眞子さまが母君さまとご縁のあるオーストリアにホームステイされているというニュースが、最近TV、新聞等々で報道されています。そこで今日は、オーストリア、しかもウィーンを舞台としたYA作品を紹介してみたいと思います。その作品は、檜原まり子さんの『Dr.フロイトのカルテ』(講談社、2004年7月)です。この本の主人公はドクトル・ジークムント・フロイト(ドクトルとはドイツ語で、英語ではドクター、つまり医者を指す敬称です)と、彼を敬愛する弟子兼同居人兼賄い係の医学生、フェリックス・セントジェルジ君(ホームズもので言うところのワトソン役)が主人公です。ドクトル・ジークムント・フロイトについて歴史モノの大手、山川出版社の『世界史B用語集』(私の手元にあるのは、1995年版ですので、少々古いのですが)によりますと、フロイトFreud 1856~1939 オーストリアの神経病学者で精神分析論を創始。心理現象を性欲と自我との葛藤(カットウ)とみる。その理論は、神経病理学・心理学から広く人文・社会科学にも影響した。 また、深層心理学創始者との記述もあります。↑懐かしい表紙ではありませんか?とくに、センター試験を受けられた方々にとっては(苦笑)。そんな、Dr.フロイトを主人公にしたこの物語、表紙画像の帯にもあるように「Dr.フロイトは名探偵だった」と書いてありまように、この物語では、この本の内容ですが、変わり者で生活能力0のDr.フロイトと、ちょっぴり背伸びの若者で料理が得意な、フェリックス君が、悪党や心の奥に悩みを持った人間、堅物偏屈親父を相手にお得意の心理学を応用しながら謎を解き、悪党を懲らしめ、心の闇を解きほぐし、堅物偏屈親父の心を説き解くという推理小説兼歴史ファンタジーです。当然のことながら、この本も図書室の蔵書なのですが、檜原まり子さんという方、図書室の常連の女子生徒に聞くと、ボーイズラブを主に書かれているとか・・・。でもこの本は、中学校の図書室に置かれているのですから、内容にはまったく問題なし。と言うか、ドイツ語文化圏に密かな憧れを持つ私としてはお勧めの一品です。この本では、Dr.フロイトが丁度学会に、「性欲(リビドー)」という概念を唱えた直後で、当然、学会では、とくに保守的なウィーンの学会では驚きと嘲笑をもって迎えられた時期を舞台としています。この当時、19世紀末から第1次世界大戦が始まるまで、ウィーンはヨーロッパ最大の領土を持つ、オーストリア・ハンガリー帝国の首都であり、パリやロンドンと並ぶ大都市でした。そして、学問の分野でも1810年に創設した新興のベルリン大学、ヨーロッパでも最古の歴史を誇るパリ大学、イギリスのオックスフォードやケンブリッジ大学、さらには「新大陸」のハーバード大学などの医学部よりもウィーン大学医学部は19世紀末には、著名で優秀な教授陣が集まり、他の大学よりも一頭地を抜きん出でていました。そんなウィーンで、実家の生活を助けるために医師として開業しながら、近所のパン屋の小母さんの「若くていい男だから、いやらしいことさえ言わなければ女性の患者さんがたくさん来ると思うんだけどねえ」(フェリックス君曰く「あれは学説で、決していやらしいことじゃないんです」)と言われる「偏屈の先生」、Dr.フロイト。その「偏屈の先生」が実は生活能力が0で自分ではネクタイも満足に結べない「可愛い」とべた惚れなフェリックス君の日常生活と、患者の持ち込む事件を描いたこの作品は、当時のウィーンの情景を細やかに描写していて、その点でも読み応えのある作品です。とくに、物語の端々に出てくるドイツ語文化圏の料理の数々については、読んでいるだけでも参考になります。以前、ブログで紹介した原田一美さんの『ドイツさん』(未知谷、2005年5月:最近公開された映画『バルトの楽園』の舞台、第1次世界大戦時にドイツ人が収容された坂東捕虜収容所とその周辺の村々が舞台の史実に基づいた物語です。丁度、小高・中向けによいおススメの図書です)でも紹介したドイツパン、プレッツェル(ブレッツェル5個)とかゼンメルSemmel、キプツエル(三日月パン)などが登場してます。 ←左がブレッツェル、右がゼンメルです。また、お料理の方面でも、ウィーン名物の血入りソーセージ(ブルートヴルスト)とレンズ豆の煮込み料理や、チロル風炒め物、タマネギやジャガイモなどの野菜をたっぷりにソーセージの切れ端を活用し、炒めるもので、お肉の少なさをカバーできるフェリックス君の得意料理だそうです。この時代、開業した医師はお得意さん、つまり掛かりつけの患者を確保しないと、生活できませんでした。幸い、Dr.フロイトはウィーン大学医学部で講師を務めていたので、そちらの収入もあり渇々の生活を維持できたのでしょうが、『シャーロック・ホームズ』の作者、コナン・ドイルの開業医時代はそれは悲惨なものだったそうです・・・。お菓子ではヴァニレキプフェルという三日月形をしたクッキー(ほろりとした食感に真っ白の雪のような粉砂糖の甘さがとっても良く合うそうで、クリスマスやイースターのお祝いに良く作るクッキーだそうです。フェリックス君は「臨時収入のときには」と言う理由で作っています)に、ウィーンっ子のお袋の味と言われる「皇帝陛下のパンケーキ(カイザーシュマーレン)」(小麦粉と卵、それに牛乳で作る素朴なパンケーキ。蜂蜜と粉砂糖をかけて食べるのだそうですが、素朴なのになんでカイザー名称が付くのでしょうか?ちなみに、フェリックス君は「卵白に砂糖を入れてうんと泡立ててから記事に混ぜるので、普通のものよりふんわりとしあがるのが自慢だ。男が料理をする利点はここにあると思う。女の人よりも力があるから、泡立てる時間が短く、さっくりとしたきじなるのだ。」と述べています)、さらに、小麦粉で作った団子にアンズジャムを詰めて揚げたマリーレンクネーデルというお菓子(「さっくりした生地にしっとりとした甘いジャムが絡んで」という一品)などが出てきます。またワイン関係でも、ウィーン郊外にあるカーレンベルクの丘、丘の斜面にはブドウ畑が広がっている景勝地、ここへピクニックに来たフロイト先生とフェリックス君、そしてとある事件で知り合ったヴィーゲル警部が丘の上にある新酒を飲める居酒屋(ホイリゲ=新酒:ホイリゲを飲ます事から出来た言葉)に立ち寄るシーンなどは、喉が鳴ります。日本ではほとんどお目にかかれない、シュトゥルム(白い濁った酒で、ブドウ果汁を発酵させただけのもの。これを樽に入れて寝かせるとワイン、つまりホイリゲとなるのです。あ~、飲みたい!)など、本当にウィーンの下調べもとても出来ていて、楽しく読める作品です。と、まぁ、こんな感じで推理モノですからネタを明かさず、作品に登場する食べ物を中心に書いて見ました。あ~、何だかドイツワインが飲みたくなってきてしまいましたね。オーストリアもワインの産地としては有名なのですが、輸出するほどの生産量がないのか、日本に回ってこないのですよね。スイスも意外と良質のワインを生産しているのですが、これまで3つ銘柄しか見たことがありません。あ~、オーストリアのワイン、飲みたいな~!
2006年08月15日
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最近、ようやく手に入れたいと思っていた本を2冊手に入れました。その本とは、ダグラス・リーマン著『栄光の海兵隊』シリーズの第1巻『緋色の勇者』と第2巻『黄土の血戦』(共に表紙画像なし)です。実はこの本、『緋色の勇者』は昭和59年(1984)に出版されているの(手元の本は昭和62年(1987)3刷でしたが)、古本でしか手に入らなかったのですよね。それも、手ごろな値段で状態の良い品物を手に入れるのに時間がかかってようやく我が手元にやって来てくださったわけです。さて、この『栄光の海兵隊』シリーズの内容ですが、実は、ダグラス・リーマンとは、アレグザンダー・ケントと同一人物であると言えば、海洋小説好きの方は「ああなるほどと」、納得されると思います。その『海の勇士/ボライソー・シリーズ』の作者であるアレグザンダー・ケントが、英国海兵隊士官になることを伝統としているブラックウッド家の一族を主人公として、1850年代から、現代、フォークランド紛争までを描いたシリーズです。と言っても、今まで出ているシリーズは『緋色の勇者』、『黄土の決戦』、『紅の軍旗』の3冊までです。で、今日は第1巻『緋色の勇者』について解説&紹介を長々と書いていきましょう。この『緋色の勇者』の舞台は1850年代です。この時代は、変革の時代でした。英海軍では1821年に英国海軍が蒸気船を購入して以来、ドンドンと艦船の汽走化が始まり、蒸気船も外輪船からスクリュー艦へと変化していく過渡期です。また、英海兵隊の武器も昔ながらのブラウン・ベス(滑空式マスケット銃、ただし激発装置は雷管式)から、線条を銃身内に削り込み、丸い鉛玉ではなくドングリ型の発砲時の発射ガスで弾底が線条に食い込むようになったミニエー式銃(前装軍用ライフル銃)へと更新されていく時期です。時代的には、若い女王陛下を戴いた大英帝国は、アフリカ・アジアへとその食指を伸ばし、英国海兵隊はその尖兵として活躍していた時代です。さて、この『緋色の勇者』の主人公は英国海兵隊軽歩兵部隊(英海兵隊では、歩兵部隊は赤色の軍服を、砲兵部隊は青色の軍服を着ていました)の大尉、フィリップ・ブラックウッドです。そして、フィリップの異母弟、ハリー・ブラックウッド少尉のこの二人が物語の中心となります。物語の前半は、先に紹介したように西アフリカ沿岸、ギニア湾沿岸部、ニジェール川河口地域、通称=奴隷海岸と呼ばれた地域が舞台です。19世紀前半に条約が結ばれ、禁止されていたはずの奴隷貿易ですが、この1850年になっても未だ奴隷は中南米のプランテーションでは必要不可欠な労働力でした。これに目を付けた奴隷商人たちが条約を無視してアフリカ西海岸部を基地として奴隷貿易を継続し、それを監視していたのがフリータウンを基地としていた英国西アフリカ艦隊だったのです。この奴隷貿易問題を解決するべく、フィリップ大尉指揮下の海兵隊と搭乗する90門搭載の帆走の2等級戦列艦オーダシアス号は、フィリップと曰くのある提督ジェイムス・アシュリ・チュートの指揮下で西アフリカへ向かいます。ところが、途中で寄航したジブラルタルで緊急事態が待ち受けていました。なんと、西アフリカ沿岸にあるイギリスの交易所が襲撃されるという事件が発生していたのです。この事件によって、西アフリカ沿岸部の英国の権益に重大な影響が発生する事を恐れた西アフリカ問題担当の政府顧問官ジェフリ・スレイドは、至急、海兵隊を現地へ派遣することを旧知のチュート提督へ海兵隊の派遣を要請します。しかし、チュート指揮下の艦隊は全て旧式な帆走艦で急いでも現地まで1ヵ月はかかります。そこで、スレイド卿はジブラルタルに停泊していた蒸気フリゲート艦、サター号に海兵隊を乗せて現地へ急行するように要請します。「あれなら十四日それ以下で、目的地につけるはずだ」とジェイムズ卿は主張、蒸気軍艦を馬鹿にしていたチュート提督もシブシブこの要請を受け入れ、サター号の20人の海兵隊では不十分なのでフィリップ大尉に海兵隊を30名付けてサター号で先行させる事となります。ここで、面白いのはフィリップ大尉が蒸気フリゲートに乗った時に受けた印象です。朝起きてエンジンの耳慣れない「ガタガタゴーゴーという音」に驚き、それから、凄まじい艦の揺れに二度驚きます。「床が激しく揺れ」、「艦は身震いで、何もかもばらばらにしようとしているみたいだった」、「舷側からは波の轟きが聞こえ、波頭が苦も無く舷窓を越えるのが見える」とまるで嵐の中を航海しているような描写が書いてあります。ですが、昇降階段の下まで行って上を見上げると、びっくり、青い空が広がっているではありませんか!この揺れに対して蒸気フリゲート艦のトウビン艦長は「きみは帆がたくさんある船になれている。ああいう船はどんなに急角度になっても、船体は安定している。ここでは」、「われわれは波にうちまたがっているのだ」と語りながら、「艦が大西洋の深い波窪につっこむのにそなえた」と蒸気船の航海を描いています。この蒸気フリゲート艦、サター号はブリガンティン式の帆装(詳しくは『ボライソー・シリーズ』などの海洋冒険小説の各巻の最初のページにある船の型と名称を参考にして下さい)で、両舷にひとつずつある大きなおおいとそれらをむすぶ「橋に似た無防備な狭い通路」があると書かれています。これがブリッジ、艦橋の語源です。サター号ではまだ、後部ミズン・マストのすぐそばに二重舵輪が配置されていました。そして武装は、「前部に腔綫(コウセン)を施した十インチ追撃砲が二門あるし、外輪のうしろの両舷には四インチ砲が備えてある」、「平均的なフリゲート艦は四十門くらい大砲をつんでいるが、それにひきかえ、この艦は六門しかのせていない。だが、わたしの艦の砲はどの艦砲よりも射程距離が長いし、どんな砲にも打ち勝つことができるんだ」と誕生して間もない蒸気海軍の特色についてフィリップ大尉に解説しています。この時代の汽走蒸気船に関心のある方は『幕末の蒸気船物語』という本を読まれると良いと思います。時代は少し下りますが、クリミア戦争以降、アロー号戦争などで日本や中国近海に展開した英米仏各国の軍艦の性能や幕府や各雄藩、薩摩や長州などが購入した蒸気船が図面や写真などを交えながら解説されている本です。歴史的に見て過渡期、創成期の時代が好きな私にぴったりな1冊です。だって、日本海軍誕生を描き出している本ですからね。こうして、英国海軍内でも評価が分かれている蒸気軍艦に乗って西アフリカ沿岸に急行しているサター号は、途中、現在のシエラレオネの首都フリータウンに寄港し、蒸気軍艦の宿命である燃料補給、石炭船から水兵も海兵も士官も艦長以外が「燃えるような日ざしの中で、石炭粒やほこりの雲の中で窒息しそうになりながら、水兵たちは機関長のハミルトンがいいというまで石炭籠を持って燃料庫まで行ったり来たりをくり返した。軍服姿は見られなかった。黒くよごれた、ほとんど裸体の男たちが、階級とか権威をまったく無視して、たがいにぶつかりあいながら、作業をしていたのだ」と書いてあります。ここの記述は面白いです。英国海軍では艦上での規律は絶対で、汚れ仕事を士官や准士官が行うという事はまず、一部の例外を除いて、しなかったのです。その伝統を蒸気軍艦が打ち壊したという事実は興味深いです。こうして燃料を補給し、同行していたスレイド卿は上陸し情報を得て、いよいよ奴隷海岸へと接近し、連絡の途絶えた交易所へと上陸を開始するのですが、その話は、次回にまわします。では!
2006年08月13日
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先月、7月18日に私のブログの常連さんのKKCさんから「とぴずれなんですけど」と以下のようなコメントをいただきました。 書館がらみのニュースでありますhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060718-00000014-mai-sociちょっといい話系になるんでしょうかという事で、早速yahooのニュースサイトを覗いてみると、毎日新聞の7月18日付け社会ニュースで「<福島・矢祭町>新設図書館の本、寄贈呼び掛け」という記事が載っていました。内容は、全国に先駆けて「合併しない宣言」をした福島県の矢祭町さんが、本の購入予算ゼロでの図書館建設を目指し、全国から本を募集をしている、という内容の記事でした。矢祭町には現在、図書館が無いのだそうです。これは、日本の町村では残念ながらほんの数年前まで当たり前のことで、ひとつの町の集落ごとに図書室があるというようなヨーロッパの国々とは大違いの状態です。そこで、住民に実施したアンケートで「図書館が欲しい!」という要望が多かったので、図書館を建てることになったのですが、肝心のお金がありません。お国の方針に従い、近隣の市町村と合併すれば、特例債やら駆け込み建設などの姑息な手段があったのですが、堂々と「合併しない宣言」をした矢祭町さんには、そんな事は当然出来ません。そこで矢祭町さんは、建物は老朽化した武道場を1億2500万円で改築し、約3万6000冊分の図書が展開できるスペースを設けた図書館を作ることにしました。ところが、その図書館に配架すべき図書を購入する予算が無くなってしまったのです。ハコを改築するだけで手一杯だったのです。さて、どうするか?そこで名案を出したのが矢祭町の根元町長さんです。「本を寄贈してもらえばよいのだ!」といアイディアを思いつき、「合併しない宣言」以降、町を訪れた約600の自治体などにも協力を求めると共に、広く本の寄贈を呼びかける内容の記事でした。さあ、同じ図書館という職場で働く司書として、このような話を聞いて黙っているわけにはいきません。早速、寄贈すべく本を探したのですが、ここで問題点がふたつ出てきたのです。一つ目は、私がいつも本当に必要なもの、どうしても手元に置きたいもの、と言う2点を基準に本を買っているために、本棚から溢れ出さんばかりの本のどれも、手放しがたいものばかりであったという点です。次は、図書館で働く司書として、これは身に染みて思うことなのですが、あまりにも出版年が古い本や例え新しくても、日焼けページの破損等々のある本は、寄贈していただいても活用できず、どうしようも、なくなるという点です。記事にも「廃棄せざるをえない場合は町が処理する」との一文があり、これは2000年以降に出版された本を送るのは問題があるな、と考えたという2点です。それで、何とか以下の3冊を探しだして、書籍郵便で先月の終わりに矢祭町さんへ発送したところ、今日、帰ってきたら先方から丁寧な礼状が届いていた訳なのです。 幻の錬金術師列伝 江戸の殿さま全600家 最後の藩主礼状には、図書寄贈への感謝の言葉と、寄贈された図書はボランティアの手で分類・整理されている事。図書館開設の際には「大切に保存し、活用させていただきます」との一文が添えられていました。また、「新設の図書館は全くの安普請の上、柔剣道場の改修工事でお恥ずかしい限りの代物でございますが、自然豊かな当町の環境を自慢に値し、唯一の取り柄と存じます」と書かれてありました。そして、書状での挨拶を詫びる一文の後に、町長さんの書名がありました。正直、上記のようなショボイ本を3冊送っただけで、このような礼状を戴くのは勿体無い話なのですが、このブログを見て、もし家に比較的出版年が新しくてもう読まなくなった本があれば、是非、古本屋などへ持っていかずに、書籍郵便を使えば安く済みますから、矢祭町さんの方へ寄贈してあげてください。最近、公共図書館では本への落書き、鉛筆やシャーペンならまだしもペンでの書き込みや、本のページの切り取りといった器物破損罪に相当するような行為をする人間が増えてきています。公共図書館の本は、我々の血税で購入された公共財であって、一部の人間の私有物ではありません。なのに、貸出カウンターで手続きを済ませて貸出されてしまうと、自分のモノと錯覚してとんでもないことをしてしまう人が、増えているのですよね(延滞なんてかわいいもので、そのままズーッと返さない人もいます。言っておきますが、これは場合によっては窃盗罪に該当する行為ですよ!)。図書館は、民主主義(近代図書館は、民主主義と共に発展してきました。その理由は、一部の権力者だけが私有する図書を広く大衆に提供し、様々な知識を提供する場となり、市民はそこで様々な知識を得て、選挙と言う手段などを通じて政治に参加したのです)の根幹を支える大切な公共施設であり、図書はその図書館を支える大切な財産です。そのような、図書館を貴重な財源を割いて、町民の要望に応えて建設しようとしている矢祭町の政策に、私は近代図書館発展の歴史を見る思いがします(少々表現が、オ-バーですか)。そのような事で、繰り返しになりますが、皆さんも是非、矢祭町さんへ本を送りましょう!本の送り先は、 〒963―5192 矢祭町小田川春田16の1、矢祭町山村開発センター。 問い合わせは同町自立課(0247・46・4575)。
2006年08月09日
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え~、ついに罹りました。鬱病にです。今年の6月ぐらいから、精神的におかしな事、言動や文章に無意識に攻撃的な言葉が増え、落ち込むと井戸の底まで心が落ち込み、胸の辺りに鉛があるかのごとく、嫌な重さというか、つかえが出るようになりました。最初は、人的関係によるストレスとその他諸々(cheenutsさんに相談&愚痴を聞いてもらったような事)色々な事、梅雨という日本の四季の中で一番嫌いな湿気の多い季節のためだと考えていました。そこにとどめの一撃を喰らわせたのが、父方の一番上の伯父の急死でした。癌を宣告され、余命が1年程というのが分かっていたので、夏休みに伯父の元へ出掛けてゆっくりと歴史談義をしようと計画をたてていた矢先の6月半ば、ただの検査入院で病院に入ってた時に、医者も驚く容体の急変が起こり、会えなく亡くなってしまいました。その日は、父が近所の伯母を連れて車で伯父の処へ向かったいたのですが、結局死に目には間に合わず、父方の一番上の伯母が新幹線で飛んで来て、ようやく間に合い、最後の話が出来たそうです。私もその日夕方、所要で父の携帯に電話を入れた時、「伯父が死んだ」と言うひと言に「何!?」という言葉しか返せず、家の仏壇の前で手を合わせた後、さめざめと泣き暮れました。そしてその夜、伯父の元から喪服等の準備のためとんぼ返りした父に、伯父の家(私の家は東海地方、伯父の家は中国地方の山陽道にあります)が遠い事と、今まで筆舌に尽くしがたい恩を受けている伯父の葬儀に出席するため、急遽、休暇をとって伯父の家に向かったわけです。そして、幸いにも末期の水を飲ませる事から、通夜、徹夜でのお守り、葬儀、お棺を霊柩車に収め、焼場へと行き、最期の別れをして、お骨拾いまで葬儀全般、全て関わる事ができました。葬儀の最後、お棺に花を入れるとき、男泣きに泣き崩れました。なぜ、あんな元気で良い人だったのに、79歳という歳でなくなってしまったのか。愚かな事ですが、私は伯父が平気で80、90まで生きているものだと心の中で勝手に思い込んでいたのです。それが、引き金になって全てが狂ったのでしょう。体調は悪くなり、精神状態も悪化の一途をたどり、終に最初に体が悲鳴をあげて夏風邪となりました。そして掛かりつけの内科の診察を受けたのが7月の終わりでした。そこで、診察の結果渡されたのが風邪薬の他に軽い精神安定剤と睡眠導入剤でした。その後、夏風邪の薬が切れた時にもう一度掛かりつけのお医者のところへ診察と相談へ出向き、近所の評判の良い心療内科を紹介してもらい、そこへ出掛けたわけです。そして、心療内科ででた診察結果は典型的な鬱病との診断でした。それで現在、薬物による治療を受けている最中なわけです。しかし、鬱病という病気は厄介です。最初は、ちょっとしたこと、伯父の葬儀の事や、伯父との思い出、その日学校で起こった嫌な事を思い出す度に涙もろくなり、泣き出してしまた。そして、襲ってくる倦怠感、だるさややる気の無さ、そして、人の話が満足に聞けなくなったりと、仕事に支障をきたす症状が次から次へと襲ってくるのです。最近は、倦怠感と物忘れという症状だけになってきたのですが替わりに襲ってきたのが睡魔です。いくら寝ていてもものすごく眠たいのです。あさ、起き掛けは良いのですが、その後午前中いっぱいは睡魔との闘いです。ただでさえ、倦怠感のために仕事の効率が落ちているのに、この睡魔だけにはかないません。なにしろ、椅子に座って台帳の整理をしていると気が付いたら寝ていた、という位ひどいものです。医者は、「大丈夫ですよ、だんだんよくなってきますからね」を口癖のように言っていますが、自分としてはある程度は良くなったとは思うですが、その先が全然良くならないので不安です。ともかく、本を読んだりブログを書き込んだり、書を書いたりする気力だけは保持したいと努力はしているのですが、最近は調子が悪いと何も出来ず、調子が良いときだけ、趣味をやっているという日々です。それにしても鬱病という病気は相当、厄介な病気ですね。そして、周囲の人たちからの誤解が辛いですね。年寄りや頭の古い先生方は、ただの怠け病とか気力が無いだけ、わけの分からない時代錯誤なことで私の現状の仕事ぶりを判断してくださっています。スクールカウンセラーの先生や、管理者である校長先生や教頭先生などは理解のある方なのですが、肝心要の図書担当は、本当に埋めてしまいたいくらいのコチコチの石頭ですので・・・。夏休みで、アンマリ顔を合わせないので今は良いのですが夏休み明けが・・・。それまでに、少しでも良くなっていればと思う、今日この頃です。
2006年08月08日
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はい、今日もうだるような暑さの中、書道の社中の展覧会が近いので、作品を見ていただくため名古屋へ電車に揺られて出て参りました。それにしても、電車に乗っていても太陽の日差しの凄まじきこと。日が差す方の窓は、すべてカーテンが引かれていました。そして、停車駅に止まるごとに吹き込む熱風・・・。何時から日本の夏はこうなってしまったのでしょうか・・・。さて、いつもの如くお稽古を終えて、栄へ出まして先ず向かったのはマ●ハウスさん。そこで購入したのが、今話題の宮崎吾郎監督の『ゲド戦記』に大きな影響を与えたと言われている父、宮崎駿監督が描いた『シュナの旅』(徳間書店、1983年:表紙画像なし!)です。以前、といっても高校生の昔ですが、本屋で立ち読みしたことがあり、今回の『ゲド戦記』のプロモーション映像を見たとき、奴隷を運ぶ車をどこかで見たぞ、という思いがあり、丁度平置きされてい『シュナの旅』を手に取ってパラパラッとめくっていたら、その奴隷を運ぶ馬車の場面が出てきて、あぁ、この本だったのだな、と思い、裏返してみると448円(税抜き)と安かったので、映画を見る前にゆっくり家で楽しんでみるか、と思い購入しました。それから、今まで全く気づかなかったのですが(本当に、何で今まで気が付かなかったのだろう?)、天野こずえさんの『ARIA』シリーズの『Ariaオフィシャルナビゲーションガイド』が出ていたのです!これに全然気が付かなかったのは、全くの不覚でした。それで今日、何故この本があることに気が付いたかといいますと、マナーの悪い奴がこの『Ariaオフィシャルナビゲーションガイド』を平台の上に投げ出して置いてあったためです。マナーの悪い奴がいるな、とこれも悲しい司書の習性、本を元の場所に戻さないと気がすまいないのですよね。それで、手に取ってみれば、あれ、この本買っていないぞ!ということで、元の場所に戻さずレジに持っていった次第であります。ヤレヤレですよね。次いで、夏の暑さを凌ぐためおいしくて、安い白ワインを購入するために明治屋に立ち寄り、フランス産とイタリア産の白ワインを2本購入してから地下鉄で、名古屋駅へと向かいました。気候が良い季節は、広小路通りをブラブラと伏見を経由して歩いて行くのですが、このような灼熱地獄の中、歩くという行為は心身の健康上とても悪い事なので、健康的に地下鉄に200円払って乗ったわけです。そして、名古屋駅では当然、△省堂書店名古屋テルミナ店へと足を伸ばしました。最近、病気のせいで、物忘れやうっかりミスが多くなり、買い忘れがあるといけないと思ったのと、軍艦やら鉄砲やら歴史関係の専門書を探すためです。で、案の定買い忘れがありました。平野耕太さんの『Hellsing(8)』(少年画報社、2006年)です。いや~、この人の暴力的描写はナカナカのものですよ。しかもしっかり鉄砲ががんばって活躍してくれていますしね。私は、前の7巻で見事に戦場の花と散った傭兵隊長、ベルドナッドさんが好きだったのですが、かっこ良く戦場の露と消えてしまいました。さて、この8巻の内容ですが、壊滅状態の死都ロンドンに吸血鬼アーカードが帰ってきます。ミレニアム、ヴァチカン、ヘルシングの三つ巴の戦いは新たな展開へと進みます。開放されるアーカードの拘束制御術式を前にミレニアムは、アンデルセンの武装神父隊は、十字軍には一体どのような惨状が待ち受けているのか・・・。アーカード対アンデルセンの宿命の最終決戦がいよいよ始まるのです!化物対人間というその均衡が破れるとき、武装SS少佐は自らが書いたシナリオに対し狂気の笑い声を上げるのです。今回は、マクスウェル大司教が少し哀れでしたね。それから、セラス嬢の出番が少なかったのも物足りなかったかな、という感じでした。(これだけは、帰りの電車の中で読んだので簡単な紹介が出来るのです) それから、購入したものはと言えば『MOE』9月号です。ちょうど、『ゲド戦記』の特集で、原作者のル=グウィンさんのインタビューが掲載されていたので、隣に一緒に平置きされていた『Invitation(インビテーション)』のアレンの描かれた表紙と「アニメーション・新たなる胎動。スタジオジブリと「ゲド戦記」の暑い夏」、「宮崎吾郎 監督デビュー戦記「宮崎駿のような映画を!」」と表紙に描かれた文句と中を捲ってあのスタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんの「プロデューサー戦記」という記事があったので、この2冊を雑誌コーナーで買って、△省堂書店を後にしました。そして、電車に乗る前に名鉄百貨店の地下食品コーナーにあるパン屋さん、アンデルセンでフランスパンのエピ(海老=エビの尻尾に似た形のフランスパン)と菓子パンを数種類買って、電車に乗って帰りました。毎回、名古屋へ行くと本は買うは、ワインも買う、パンも買うという次第で大荷物になってしまいます。本とパンはかさばりますし、本とワインは重いですからね。本当に、名古屋へ行くとついつい大散財をしてしまいます。これからも、気を付けねばならないのですが、これは、お財布の中身によりけりなのでどうしようもありませんな、ハハハはぁ・・・。
2006年08月06日
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はい、我ながら長々とかくなあ~、思いつつ今回で3話となる、課題図書で戦争話を。その4、の続きを書いてみたいと思います。。取り上げる本は、これまでと同じくゲイリー・ポールセン著、林田康一訳『少年は戦場へ旅立った』(あすなろ書房、2005年)を、マーチン・ファン・クレフェスト著、佐藤佐三郎訳『補給戦―何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社、2006年)となります。 南北戦争時代には、酒や食料、その他の日用品ぐらいになりましたが(裏ではやっていたようですが)、このような従軍商人たちがまだ活躍していました。チャーリー少年はその従軍商人が「一つ二十五セントという、とんでもなく高いパイを見せた」時、「一か月以上も塩漬けの豚肉と豆しか口にしていなかったので、とてもがまんでき」ずに、給料を使ってパイを買う事にしました。人間の当然の欲求ですね。そこを、狡賢くも商売人は突いてくるのです。チャーリー少年は、「テントの中でひとり腰をおろし、そのパイを指でつかんで、ぺろりと食べて」しまいます。「さらに残った汁もきれいになめた。すぐにもっと食べたくなった」と本には書いてあります。そしてもう一つパイを買って、今度もまたひとりで全部食べてから「やっとおなかがいっぱいになった」、「満腹感とともに、金を使いたいと気持ちもおさまった」とあります。つまり、それまで戦場という一種の異常な状況の中にいたところに、お金を使ってパイを買い、満腹感を得るという日常、普通の行為を行ったため、心中に平常心が戻ってきたのです。そして、彼は、もしもの時に4ドルだけ残して、残りを書留で全て家に送ります。「お金を送るよ。ぼくは戦場へ行ってきた。すこしこわかったけど、もうだいじょうぶ。まだ、うちには帰れそうにない」との母への手紙をそえて・・・。如何だったでしょうか。時代は少し異なりますが、上から見た戦争と、下から見た戦争。後方の補給の混乱がどのように前線の兵士に災いを振りまいたかが、少しはお分かりになったかと思います。補給が混乱し、同じ食事ばかりで、戦場での戦闘だけではなく、普段の軍隊生活だけで心がすさんでいく様子と、わずかな嗜好品を得るだけで、心がこんなにも救われるという戦争の悲惨さが、よく分かると思います。この補給という問題がいかに戦争で重要であるか、また『少年は戦場へ旅立った』が、いかに南北戦争時の戦争の悲惨さを淡々と伝えているかが良く理解できたかと思います。この「課題図書で戦争話を」シリーズ、書くネタがまだまだ出てきそうなので、また書くかもしれません。でも、今日はここまで!
2006年08月05日
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さて、金曜日からの続き、「課題図書で戦争話を」シリーズ、第4回の後編、戦争と鉄道について今回もゲイリー・ポールセン著、林田康一訳『少年は戦場へ旅立った』(あすなろ書房、2005年)と、マーチン・ファン・クレフェスト著、佐藤佐三郎訳『補給戦―何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社、2006年)を使って書いていきましょう。 このように、鉄道が大規模に使用された軍事史上の有名な戦争として、少し時代が下った普墺戦争や普仏戦争を取り上げる方が多いでしょう。あのドイツ参謀本部の生みの親にして、天才的な頭脳を持ったヘルムート・カール・ベルンハルト・フライヘア・フォン・モルトケ将軍です。ちなみにこのモルトケ将軍、南北戦争について「市民が鉄砲を持って追いかけっこをしているだけだ」と言って観戦武官を派遣しなかったそうです。確かに、南北戦争初期は、北軍の惨めな敗北が目立ち、まともな戦争には見えなかったでしょうが、後半は北軍にも、グラント将軍やシャーマン将軍など名将が指揮を取り、見事な機動戦を行っていたのですから、言い過ぎではないでしょうか。さて、このモルトケ将軍が参謀本部を編成し、そこからの指揮の下に戦われた普墺戦争と普仏戦争ですが、この両戦争での鉄道の果たした役割は、といいますと、あんまり役にたっていないのですよね、思っていたほどには・・・。1866年に行われた普墺戦争では、オーストリアより動員が遅れたプロシャ軍がその遅れを取り戻すべく前線に通じる5本の鉄道線、全てを利用せざるをえなくなったのですが、「この結果、プロシャ軍は長さ200マイルにわたって弓状に展開されることになった。こうして後世有名になったモルトケの「外郭線戦略」は生まれたが、それは深い計算からではなく、時間という兵站上の要因―すなわち距離とプロシャの鉄道網の配置―によって、偶然の出来事として生まれたものであった」と、マーチン・ファン・クレフェスト先生は述べられています。そして、その時の鉄道利用は「成功したとはとても言えないだろう」と指摘されています。『少年は戦場へ旅立った』でも書いたように、鉄道を使った動員計画はスムーズに進んだそうです。21日の間に兵員十九万七〇〇〇人、馬匹五万五〇〇〇頭、あらゆる種類の車両が五三〇〇台が展開され、動員は見事に成功したのですが、その後に続いた鉄道計画がダメだったのです。それは前述したように、「兵站駅に補給物資を送るよりも、そこから前線の軍隊へ補給物資を送るほうが、はるかに難しいということだった」ことなのです。さらに、「補給列車を動員の時間表に間に合わせるのに失敗した後」モルトケが部下の鉄道専門家と一緒に戦場に赴いていてしまったため、「事態はますます悪化した」とあります。このモルトケの行為は、「補給の全組織から中央指揮者を奪い、各軍団の補給将校が大量の補給物資を求めて突進するのを許してしまった」のです。その結果、各軍団の補給将校は鉄道の物資受容能力について全く考えもせずに物資を要求したため、鉄道は混み合い、続いて全く停止してしまったのです。こうして、戦争開始後には「一万七九二〇トンもの補給物資が、引くことも進むこともできないで線路上に立ちふさがり、他方何万両もの貨車が一時の倉庫として使われ、そのためにたとえ線路が自由に使えるようになったとしても、車両は輸送には利用できなかったであろうと、推定される」という悲惨な状態に陥ってしまったのです。では、プロシャ軍の補給体制の混乱は作戦に影響を与えたか、というとそうではなく、野戦司令官は全く「作戦に対する補給の影響を無視することができた」そうなのです。その理由は、「軍隊が護送補給隊を完全に追い越していたので、軍隊と鉄道の連絡が完全に断たれていた」という皮肉な結果によるものだったのです。ですので、プロシャ軍がオーストリア国境を越えてかの有名なケーニヒグレーツの会戦終了までの間、「鉄道は作戦の進行に対して何らの影響を及ぼさなかったの」です。そして、ケーニヒグレーツの会戦に勝利した後も。今度はオーストリア国内の鉄道が使用できないため、それ以上のオーストリア領内への進軍は不可能である事が判明し、モルトケが求めたドレスデン―プラハ間の鉄道の復旧、「わが軍の極めて困窮する補給状況からみて・・・・・・絶対必要」な路線も、その路線の途中にあるオーストリア軍が抑えている要塞、ケーニッヒシュタイン、テレジエアンシュタット、ヨセフシュタット、ケーニッヒグレーツがバルドゥヴィッツへの鉄道線を遮断したため(ヨーロッパの地図を見ながらでないと分かりにくいかと思いますが)、短期決戦を目指したプロシャ軍は要塞をナポレオンと同じように無視してウィーン進軍を決定したのです。結局、普墺戦争中は何ら鉄道は存在意義を示せず、軍隊は、徴発によって食料を得て、見つけ次第現地の交通機関、つまり馬車や馬ですね、を徴用してナポレオン戦争時と変わらない行軍を続けたのです。つまり、これまで言われてきたように、モルトケ将軍やドイツ参謀本部は、「兵力展開が完了した後では、プロシャ陸軍の鉄道およびその列車輸送は完全な失敗に終わり、戦争の結果には貢献しなかったということである」と、マーチン・ファン・クレフェスト先生は結論付けられています。そして、要塞もナポレオン戦争の時と同様、全く役にたたず、将来性を示したのは鉄道であるという結論を普墺戦争は残したのです。事実、『少年は戦場へ旅立った』でも、補給体制の劣悪さをします文章は出てきます。例えば、最初の戦争「マナサス」あるいは「ブルラン」の戦いに参加した後、ワシントンにキャンプを張ることになったチャーリー少年の部隊は、そこで初めて新しい軍服、「生地はウールで、色は正式の青、そして、黒皮のベルト」が支給され、さらに重要な事に「入隊三か月目にして、とうとう給料が支払われたのだ」と書いてあります。三十年戦争当時、3ヶ月も給料が支払われなかったら脱走か反乱が起きていますよ。チャーリー少年は「金貨で三十三ドルももらった。いままで、そんな大金を手にしたことはなかった。見たこともなかった。できることなら、ぜんぶ自分のために使ってしまいたいと思った。もう長くは生きられないと思ったからだ。次の戦闘で、生き残れる保証だってない。チャーリーはその金で何が買えるか、あれこれ浮かべた」と戦場における兵士の本音を吐露しています。そこへやって来たのがそのような、心のすさんだ兵士たちから金を巻き上げにやってきた「従軍商人」です。この従軍商人の制度は、中世ヨーロッパの傭兵制度が始まった時代まで溯る事ができます。彼らは、兵士に初期には武器や洋服、食料、そして女性(汚らわしい事ですが、当時の社会では必要悪でした)を提供し、傭兵団の団長とつるんで大もうけをしたのです。その当時の傭兵団の様子を描いた銅版画には、武装した傭兵たちの後ろにゾロゾロと従軍商人や売春婦たちの馬車が連なっている様子が描かれています。あ、範囲内(半角 8~10000 文字)の長さの文字列を入力して下さい(現在: 半角 11470 文字)が出ちゃったので、また分割します。長すぎてすいません。
2006年08月05日
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はい、シリーズもいよいよ5回目へと突入した「課題図書で戦争話を」シリーズ、今回は戦争と鉄道について今回もゲイリー・ポールセン著、林田康一訳『少年は戦場へ旅立った』(あすなろ書房、2005年)と、マーチン・ファン・クレフェスト著、佐藤佐三郎訳『補給戦―何が勝敗を決定するのか』(中央公論新社、2006年)を使って、語っていきたいと思います。 戦争に鉄道が初めて使われたのは、1859年のイタリア統一戦争のときでした。そして、1861年から始まった南北戦争では、有線電信と共に使用され、前線まで兵員物資を輸送するのに大変な活躍をしたのです。皆さんは、ジョン・フォード監督、ジョン・ウエィンが主演した映画『騎兵隊』をご存知でしょうか?この映画のあらすじは、南北戦争中劣勢にたたされていた北軍が、マーロウ将軍指揮下の北軍の軽装備の騎兵旅団に戦線を隠密裏に突破させ、南軍の支配地域を秘密裏に500km!も行軍。そして、南軍の物資の集積地であり鉄道の要衝、ニュートン駅を襲撃し破壊、その後、さらに南軍の支配地域を横断する形で味方の支配地域まで戻るという、大胆な作戦を描いた作品です。この映画で注目したいのは、劣勢を挽回するために戦線の遥か後方にある敵軍の物資の集積地であり、鉄道の要衝であるニュートン駅を破壊して、敵に打撃を与える事の重要性を北軍上層部が認識していた点です。でも、戦線の後方、500kmも進軍して補給はどうしたのか、という問題が映画には出てきません。映画では、軽装備のため騎兵砲はもちろん、馬車も同行していないのです!この補給の問題、映画の最初に南軍派のお屋敷を接収して高級将校が饗宴を受けているところ(実は、屋敷の若い女主人が南軍に行軍ルートを通報するために屋敷に招き入れたのですが・・・)を見ると、現地調達で進軍したようです。もっとも、映画では「代価は払います、北軍の通貨でね」と言っていますが・・・。次ぎに、面白いのが北軍がニュートン駅に突入した場面です。駅と町には護衛の兵隊がわずかしいなくて、指揮官も腕を失った将校が1人だけ。ですがその将校、北軍が町にやって来るやいないや駅の電信室から電信を打って援軍を要請したのです。それに気が付いた北軍は大慌てで迎撃体制を敷きます。馬車を横倒しにし、町の家屋に立てこもり窓ガラスを破って銃を突き出します。そこへ、やってきたのは蒸気機関車に引かれた、西部劇でお馴染みの列車です。その列車から駅に着くなり、銃をぶっ放して貨車から南軍の兵士が湧いて出て来るのですが、あわれ、防御体制をとっていた北軍にあっという間に打ち倒されてしまいます。ここで注目したいのが有線電信です。ここでは、南軍が援軍を呼ぶために使用されていますが(さすが映画、都合よく即、中隊規模の援軍が列車で登場します)、有線電信は鉄道を走る列車の運行を安全に行うためにはどうしても必要なものでした。とくに、路線が延び、列車の本数が増えれば増えるほど、列車の現在位置を把握する事は必要不可欠なことになってきました。当時の線路は単線です。列車のすれ違いに失敗しようものなら衝突事故です。実際、南北戦争時代前後には良く起こっていたそうです。また、当時の線路のレールは鋼鉄で出来ていたのですが、この時代は製鋼技術が未熟で鋼鉄はもろく、良く列車の重みや寒暖の差による伸び縮みに耐えられなくて、切れることがありました。これも事故の要因となりやすく、有線電信はこのような運行情報をいち早く沿線の各駅に通報し、列車の安全を確保するのに必要不可欠なものだったのです。ちなみに、あのカーネギー・ホールで有名な鉄鋼王カーネギーは、南北戦争中は鉄道会社の重役として北軍の鉄道の運行に携わっていて、そのときの経験、木造の橋が簡単に南軍に破壊されたり、レールの問題、戦争終結後の鉄道網の増進を見込んで鉄鋼業界へと足を踏み入れ、大成功を収めたのです。さて、話を『少年は戦場へ旅立った』戻しますと、ミシシッピ川を川蒸気で南下して来たチャーリー少年の部隊は、ウィスコンシン州(ミネソタ州の五大湖沿いの東隣)のラクロスで列車に乗り込みます。チャーリー少年は「その列車の旅を一生忘れないだろうと思った」、「ほとんどの兵士がこれまで列車というものにのったことはなかったし、こんなぜいたくな座席にすわるのもはじめてだった」と書いてあります。ここで誤解がないように書いておきたいのは、当時のアメリカの列車にはヨーロッパみたいなコンパートメント(個室)型の客車ではなく、ヨーロッパみたいに一等車、二等車という区分が無かったのです。お金がない人は、貨車に乗っていたような時代でした。ですので「座席はやわらかくふかふかしていた」と書いてあるのです。まぁ、ミネソタの田舎から出てきた事を割り引いて考えないといけないでしょうがね。そして「食べ物だって、スネリング砦の質素な食事とくらべたら、すごいご馳走だった」とありますが、これは食堂車が着いていたわけではありません。当時はそんなものは無くて、おそらく、停車した駅で地元のご婦人たちがボランティアで食事を用意し、兵士たちに振舞ったのでしょう。こうして列車は、ウィンスコンシン州を横切り、イリノイ州のシカゴへと到着します。チャーリー少年は「停車する駅では、どこでも大群衆から歓呼の声でむかえられた」、「兵士たちは若い女たちからハンカチやキャンディーをもらった」と書いてあり、「チャーリーはそのたびに恋に落ちた(少なくとも十回以上は恋をしたことになる)」と書いてあります。このような調子で、列車は「北」をイリノイ・インディアナ・オハイオ・ペンシルベニア・メリーランドと南下し、戦線へと近づいていったのですが、どの駅にも、例え列車が停車しない駅にも群集が詰め掛けて大歓迎を受けたと書いてあります(映画『ハウルの動く城』の冒頭の部分のような状況です)。この当時の、戦争熱の一端を覗き見えますね。そうとうな、重症です、これは・・・。そもそも、この『少年は戦場へ旅立った』では、チャーリー少年たち北軍の兵士たちは戦争は「奴隷制」をめぐるものとは考えていなかったようです。ただ、素朴に南部の「法を踏みにじる者たちや、間違った考えを抱いている者たちの」暴走を止めて、「北」を破壊から守ること、つまり防衛戦争だと考えていたのです。チャーリー少年は列車の中では奴隷制の話しは「ぜんぜんでなかった」と書いて「ただたんに、南部のごろつきどもをどう懲らしめてやるかということだけ」が話題だったと叙述しています。話はがまた脇に逸れましたが、このように鉄道は後方から兵員や物資を運ぶのに大活躍をしたことがこの話からもある程度理解できるでしょう。では、戦線が前進し、それに伴なっての部隊の進軍や物資、重火器の移動について鉄道はどの程度役に立ったか、と言いますと、実は全く役に立たなかったのです。後方の拠点、根拠地から戦線まで兵員、物資を郵送するには1859年のイタリア統一戦争において、フランス軍が北部イタリアでオーストリア軍を攻撃するために鉄道を使用、兵員約60万人、馬匹12万9227頭を驚くべき速さで輸送する事に成功しています。南北戦争でも、この鉄道の優れた輸送力を最大限に発揮できた北軍が、後半には優位に立って攻勢に転じたのですが(実は、ミシシッピ川を制圧する事に成功したのも要因なのですが)、戦場ではシャーマン将軍のように騎兵隊による機動力に頼って行動し、物資の補給は歩兵の進撃速度にも付いて行くのがやっとという状態でした。これは、鉄道の駅からの輸送手段が未だ馬車に頼っていたからです。こうして、駅には大量の物資が山積みとなり、『騎兵隊』のように、戦略目標となったわけなのです。さて、この続きは土曜日へと続きます。
2006年08月04日
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最近、世界は物騒です。イスラエルはレバノンのイスラム原理主義組織・ヒズボラ退治に軍を動員して国境を越えて侵攻、これはもう戦争です。第何次中東戦争になるんでしょうね?回数、忘れてしまいましたよ・・・。イスラエルは、地図を見れば分かるように、国土が地中海に沿った細長く、国土に「幅」が無い国です。そして、一昔前までは四方八方全て敵!という時代が建国以来続いてきました。ですので、イスラエルの国防思想は国境の外で戦う事、やられる前にやっつけてしまう、という考えで行動を起こします。今回は、多分に政治的な臭いがプンプンしますが、ヒズボラが射程距離の長いロケット弾をシリアかイランか、まあどちらでも良いのですが、仕入れて攻撃してくる、という情報を、イスラエルご自慢の情報組織、モサドやら陸軍情報部あたりが仕入れて、政治家さんが好機ッ!(レバノン駐留のシリア軍は撤退しましたからね)とばかりにレバノン領に侵攻したというのが実情のような気がします。不幸なのは、何のかかわりも無い一般住民たちですよね。ですが、イスラエルという国は国家の安全が脅かされようものなら、彼の有名なアフリカ・ウガンダでのエンテベ救出作戦(ドイツ人テロリストに指揮されたパレスチナ人たちにハイジャックされたエール・フランスの航空機が、ウガンダのエンテベ空港へ着陸、イスラエル人は人質にされそれ以外の乗客は解放された事件。イスラエルの空てい部隊が、他国の空港へ強行突入して乗客を救出した。特殊部隊が実施した作戦の中でも屈指の成功した作戦!戦死者1名、負傷者3名、人質は4人死亡。死亡した指揮官がヨナタン・ネタニヤフ、ちなみに弟はあのタカ派のイスラエルの首相だったベンヤミン・ネタニヤフ・・・。)やイラクのオシリス原水炉空爆(フランスの支援で作られた原子力関連施設を、イラクが原爆制作のためのウラン抽出に使用するのを恐れたイスラエルが、F-16戦闘爆撃機で攻撃、破壊した作戦。)のように、平気で国際法(領空侵犯に始まって数え上げたらきりがないほど・・・)を踏みにじってまで、国家と国民の安全を守ろうとします。他方では、わけの分からない国に国民を拉致されて、最近になって騒ぎ始めた腰抜け国家もありますがね。ダッカ事件では、テロリストを釈放して世界中の物笑いの種にもなりましたか・・・。本当に最近になってからですね、お馬鹿なお国の工作船に20mm機関砲の弾丸を撃ち込めるようになったのは・・・。次ぎに来たら、今度はボフォーズの40mm機関砲でお出迎えしてあげるのですがね。まぁ、敵も馬鹿ではありませんからもう工作船なんて古くて危険な手段は使わないでしょう。それよりも、将軍サマがせっせと穴掘りをして地下ミサイル基地を作っているほうが、怖いですね。今まで、地上で発射台をくみ上げてから売っていたテポドンが地下から突然火を噴いて、飛び出してきたら・・・。怖いですね~。移動式発射台のノドン君も怖いですけど。あの国は何を考えているのか分かりません。そんな、不穏な情勢に後押しされて、日本でもようやく有事の際、国・地方公共団体がどのように国民を保護するかを、真剣に考え出すようになりましたが、まだまだ、机上の空論を振りかざすだけで、今、事が起こればどのような状況になるかは、恐ろしい限りです。そこで、今日紹介する本がスイス政府編著、原書房編集部訳『民間防衛新装版』(原書房、2003年)です。日本とは違い、永世中立国ながら国民全てに徴兵の義務を負わせ(今は制度が変わっていますが)、各家庭に軍用小銃と弾丸が配備され、一朝有事の際には24時間以内に即、約50万人も兵員を動員できるスイス連邦共和国。そのような国の家庭に政府が1冊ずつ配布しているのがこの『民間防衛新装版』です。スイスでは、国土防衛のために武装訓練をされた国民には『軍人操典』を配布し、民間人には、『民間防衛』を配布、何時も敵国からの侵略に備える体制を敷いています。この本では、国防は国家の軍事力のみに頼るのではなく、国民全員が国土防衛の意識をもつことが最も大切と説いています。そして、最終的な選択は、国民全ての基本財産たる自由と独立を守ることを望むか、それとも相手、侵略国への隷従の道を歩むかのどちらかであると説いています。また、敵は、武器に因る攻撃だけでなく、心理作戦を用いて抵抗意識を挫こうと周到に狙っていて、そのプロパガンダに対抗する手段も本書には記載されています。また、本書には敵国からのあらゆる攻撃をリアルに想定し、戦争中には何が起こるのか、そしてとるべき行動は何かを、イラストを用いて分かりやすく解説されています。この非常時の際に取るべき行動は、災害大国日本にとっても有益な事ばかりです。そして何よりこの本を読まないと気がつかないようなこともたくさんあります。とくに、核攻撃への対応について解説した章では、どのくらいの範囲に被害が及ぶのか、またどのくらいの距離で助かるのか、放射能の影響などが詳細に書かれています。この章で参考にすべき事は、地震等の災害で原発から放射能漏れが起こった際に、どのような対応をとれば、被害を最小限に抑える事ができるかがわかる点でしょう。このように、いざというときに行動に迷いが出ないように最悪の事態を想定し、それに対処する手段を取りまとめたのが本書です。このように、予想しうる全ての危険、核攻撃から敵国の占領時対するレジスタンス活動まで、に対して抽象的なきれい事でなく、自国民の生命や財産を守るために具体的な方法を紹介してるのは立派だと思います。省みて、今の日本の平和論を考えると、憲法9条の武力を放棄すれば平和でいられると信じている人もいるし、今の平和は在日米軍の抑止力と諸外国とのパワーバランスの上にあり、不確かに均衡を保っているだけだと気づいている人もいます。ですがここで思考停止してしまっては終わりです。その先、日本人としていかに国を守るべきかをそこを出発点として考えなければならないのです。今後は、将来の日本の国防をどうするか、明確な我々有権者の意思を問われる時が来でしょう。北朝鮮は相変わらずですし、中国は海上戦力を着々と整備して東シナ海での海上優勢を確保しようとしています。紛争の種は、現在、EU諸国に囲まれ安定しているスイスとは異なり、日本のほうが遥かに危うい環境の中にいるのです。それなのに、未だに自衛隊は違憲だと唱える時代錯誤な人間がいますし、中国、韓国のお先棒を担いで騒いでいる新聞や知識人がいる・・・。このような、人間が有事の際に非協力者となったり、敵の第5列になる可能性があるのです。今日の戦争は、だれひとりどこへも逃してくれない総力戦です。本書では、国民の祖国愛の意志に基づくレジスタンスという「心理的な防衛」が重要であると繰り返し訴えています。日本にはアメリカ軍と自衛隊という「軍隊による防衛」は存在しているが、はたして、「祖国愛による心理的な防衛」は存在するでしょうか。自分と自国の平和ボケを報道などでなんとなく自覚しつつも「自分だけは大丈夫だろう」と考えている人間が大半だと思います。しかし、有事ではなくても、小は不慮の事故による怪我から、大は地震やテロに至るまで「災難」はいつ何時、降りかかってくるかわかりません。ついこの前も、梅雨の集中豪雨という災害が各地で起こったばかりではありませんか。「その時」に自分自身と自分が守るべき人を確実に守るために読んでおくべきなのが、この本なのです。今、平和ボケだの国防だのと偉そうに語る人でさえ、自分自身や家族の安全、シートベルと締めてますか?運転中に携帯電話使っていませんか?チャイルドシートはキチンと利用していますか?に無頓着な日本人・・・。当たり前のモラルが守れていない人には、この『民間防衛』を読んでいただいても意味はアンマリ無いかもしれませんが、国防に少しでも関心のある方は、是非ご一読をするようにお勧めします。
2006年08月03日
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今日は、最近読んでいる本の中から浅田次郎さんの『天切り松闇がたり(第4巻)』(集英社、2005年)を紹介&解説してみましょう。この『天切り松』シリーズは、『天切り松闇がたり(第1巻)』、『天切り松闇がたり(第2巻)』、『天切り松闇がたり(第3巻)』と3巻があり、この4巻が最新刊となります。 『天切り松』シリーズに主人公は、村田松蔵というご老人です。この老人、「人恋しい」と言っては何と警察の留置所に入れてくれ、と何も罪を犯していないのにトコトコ警察署にやって来て、一晩どころか幾日も留置所に寝泊りするというとんでもない人です。しかも、警視庁管内のどの警察にも(それどころか、法務省まで!)顔が利き、警視総監、警察署長が代々の申し送りで「この老人を大切にもてなすように」と申し送りをするような得体の知れ無い老人です。して、この村田松蔵という人物の正体とは塀の中に落ちた(つまり、刑務所で懲役を勤めたことのある)人間なら誰でも膝を揃えて畏まるという昭和の大泥棒、「天切り松」その人だったのです。そして、この「天切り松」が留置場や警察署の刑事部屋(デカ部屋)や署長室で留置人や警察官たちに語って聞かせるのが「闇がたり」というお話です。この「闇がたり」とは、盗人が使う独特な話し方で、三尺先の人には聞こえないという独特なしゃべり方の事を言います。さて松蔵老人の語る「闇がたり」の内容とは、大正時代のモダン東京を舞台に、東京中の盗人を束ねる仕立屋銀次一門の中抜きというすられた財布から中身だけを取り出し、元の相手の懐に返すという神業「中抜き」という技をもつスリの達人目細の安吉、同じくゲンノマエという女性の帯に挟んだ財布を真正面から抜き取るというスリの達人のおこん姐御、押し入った先のお屋敷でドスを相手の枕元に付き立てて説教をする説教寅、得意の変装で成金・銀行から大金を掠め取る詐欺の天才百面相の書生常、そして松蔵の師匠、お屋敷の屋根を切って夜な夜な気づかれぬうちにこっそり出入りして盗みを働くというねずみ小僧以来のお江戸の盗人の技「天切り」を使う黄不動の栄治といった仁義も色気もある個性豊かな悪党たちが大物を相手に、毎回あっと驚く派手な仕事をやってのける、そんな義賊的な大悪党たちの人情ある悪さがとてつもないというような話を留置場で昨今のわけの分からない、骨の無い犯罪者たちに説教半分・昔話半分の教訓めいた話を(その話聞きたさに、警察官たちもやってくるのですが)語って聞かせるのがこの「闇がたり」です。1巻から3巻までには、歴史上の実在の人物、山県有朋に森鴎外、永井荷風といった実在の人物が登場します。先にあげた3人の中では、永井荷風先生が出てくるお話が私は好きですね。永井荷風といえば、『墨東綺譚改版』、『断腸亭日乗(上)・断腸亭日乗(下)』(画像無し)といった大正から昭和へと移り変わる東京の姿を美しく、時には禍々しく写実的に描いた作家です。それから、竹久夢二も出てくるのですが、この画家のモダンな「ロマン的女性風俗画」は複製品、一枚でも良いですから手に入れて飾っておきたいものです。 この物語の第1巻から第3巻までの主な舞台となる大正は、日本の近代史の中でも興味深い期間だと思います。大正天皇が御政務をとられた(途中からは皇太子殿下裕仁親王=昭和天皇が摂政として代行されていましたが)わずか15年足らずという短い年月ながら、激動の明治と戦争へと向かう昭和に挟まれ、市民文化が華やかだった頃です。ところが、この明治の文明開化と江戸情緒が混在する東京は1912(大正12)年の関東大震災で壊滅的被害を受け、全市の大半が灰になってしますのです。そのわずかな束の間のきらめきを描いたのが第1巻から第3巻までとなります。このように、大正デモクラシーという政治にも新しい風が吹き始め、東京という街には市民文化が華やか咲き始めた頃、村田松蔵は飲んだくれのダメ親父のもとから、目細安吉一家へ弟子入りするのです、。盗っ人てえもんは職人仕事、後の「天切り松」こと松蔵の修業の日々がはじまります。大正初期の古き良き時代、裏稼業の世界を追想する愛と涙の人情絵巻が第1巻から第3巻まで描かれています。この浅田次郎さんの『天切り松』シリーズの良いところ、私の好きなところは、当時の世相を良く研究されて、文章自体に反映させているところです。本当にちょっとした仕草や、小道具一つで、物語の幅が広がり、読み手の頭の中でお話の想像が広がる、そんな作品です。そして、作品全体に通じる一つの筋「粋」がこのシリーズの売りなのでしょう。第一巻の最初のお話「闇の花道」で、警察と目上、兄弟分の親分衆に自分の「親」仕立屋銀次を売られ、跡目を継げと迫られた目細の安吉親分は、これをキッパリと断ったうえに今後は「官」とは一切手を切ると宣言した安吉親分「殿下閣下もかまいやしねえ。盗られて困らぬ天下のお宝、一切合財ちょうだいしようじゃねえか」と言って、新たな舞台へと踏み出す描写はさすがです。本当は『天切り松闇がたり(第4巻)』の解説&紹介へと繋ぎたかったのですが、睡魔が襲ってきたので今日は前置きだけで終わっておきます。第4巻は、関東大震災後の東京、そして政治がおかしな方向へと転がりだした時代を描いています。そして、その時代は私が学部と院で研究の中心に据えていた時代でした。ですので、その専門的なお話を交えながら、この『天切り松』シリーズ第4巻「昭和残侠盗伝」を書けたらいいな~、と考えています。最後にこの時代、明治から大正、昭和時代をイメージできない人に丁度良い本を紹介して終わりましょう。その本とは、富田昭次さんの『絵はがきで見る日本近代』(青弓社、2005年)です。この本では、1853年7月のペリー提督来航から1945年9月のGHQ開設までの、日本近代の風景を多数の絵はがきで紹介した本です。ついでに、絵はがきの「報道メディア」という性格も知ることができるというお徳な本でもあります。本には、関東大震災の悲惨な様子を写した絵はがきや東洋初の地下鉄の写真が掲載された絵はがきなどがたくさん紹介されていて、当時の人がどのようなものに関心を示していたのかを知ることも出来ますよ。
2006年08月01日
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