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今日のテーマ「日本語学校20 生徒さんと火鍋」 えーー、日曜日、錦江楽園で遊んだ後、私たちはバスで上海師範大学近く(とはいっても少し距離はありますが)の火鍋屋さんで火鍋を食べました。 上海の火鍋屋さんは、ほとんどが、店員さんに、鍋のスープ(例えば辛いの辛くないのとか)と鍋の中に入れる具を頼む形式なんですが、今回私たちが食べたところは、そうじゃなく、40元で食べ放題・飲み放題のところで、中に入れる具や飲み物などはセルフサービスとなっています。 まあ、そこで、部屋を貸してもらって、食しました。中には羊の肉や香菜(中華料理・特にラーメンなどによく使われる野菜)、しいたけ、魚・上海ガニ等を鍋に入れて食べました。(本当は40種類くらい食べたんですが、忘れました) 私もただでさえでかいお腹が膨れるくらいに食べまくりました。夜9時、生徒さん(とはいっても社長さん)が運転する車に乗せてもらい、3号線駅まで送ってもらいました。そして、三号線の最終でうちに帰ったわけであります。 こんなところです。いっぺんにかいてもよかったんですが、長くなるので、2回に分けてお送りしました。では、また。
2005年01月31日
今日のテーマ「日本語学校19 生徒さんと遊園地」 今日は、漕宝路(龍華寺)の学校のクラスの皆さんと昼は遊園地で夜は火鍋を食べたりしてすごしました。 順を追って書きますと、もともとは1時半地下鉄1号線・錦江楽園駅前で待ち合わせでした。ところが私自身が寝坊したせいか、2時前に着きました。 そこで、生徒の一人と会い、錦江楽園の中へ、生徒たち(6人)と合流しました。 錦江楽園は1985年にオープンした上海の遊園地で、ジェットコースターあり、メリーゴーランドあり、観覧車ありとわりと本格的な遊園地です。 生徒の一人が錦江楽園で勤務しているということで、その生徒さんから、入場チケットと、遊戯施設のチケット(これで、一枚に着き4回まで園内の施設で遊べる)を私たちにくださいました。 まずは、入り口近くにのお化け屋敷みたいなところに行きました。このお化け屋敷は二人乗りの小さなコースターに乗って回るという仕組みです。中が暗くて不気味だったんですが、特にお化け屋敷って言う感じはなく、ただコースターが速かっただけなので、それほど怖くなかったです。 次に、高さ6、7メートルくらいあるコースターに乗りました。結構上海の公園にはこのくらいの高さで、一、二人乗りのコースターの乗り物が多いんです。(森林公園とか魯迅公園とか) ただ、錦江楽園のは、少し違って、ひとつの乗り物に前方向に2人乗り、後ろ方向に2人のりの4人のりの乗り物です。 私は後ろ方向の席に乗ったんですが、乗る前は、「まあ、いいや」という軽いノリだったんですが、いざ動き出して上りだすと「うわ怖ーい、怖ーい」となり、動き出すと高速で動くものですから「うわーーーーー助けてーーー」という風になりました。はっきり言って気が小さい私にとってはこの高さでも怖かったです。 そして、次に、7,8人のりの丸い乗り物に乗って、流れの速めの川を流れていくやつがありますよね。あれに乗りました。ところどころでがっくんってくるところで濡れるんですよ。実は生徒さんはここで仕事をしていました。そのせいか、2回も乗せてくれました。1回目は川の流れが割と緩やかだったのに対して、2回は少し急でした。結構楽しかったです。 その後、観覧車に乗りました。まあ高所恐怖症の私ですが、これまた軽いノリで乗ってしまいました。高さは一番高いところで大体150メートルくらいありました。 私が観覧車に乗るのは88年の横浜博覧会の観覧車に乗ったとき以来でした。あの時「怖い怖い」と足がすくんでいました。 今回もそうで、ゴンドラがあがると、「うわーー怖いよ」と発して、生徒さんから「安全だから大丈夫よ」といわれたんですけど、もう、登ってすぐから、「落ちたらどうしよう」という風になって、「早く終わってくれ終わってくれ、落ちないでくれ」と半ば祈るようなkんじでいました。 それでもところどころ景色を見ますと、いい眺めでしたが、恐怖であまり楽しめませんでした。 そのあと、2,3人「ジェットコースターに乗りたい」と言い出しまして、私は怖いからいやだと断りまして下で待ちました。 このジェットコースター、日本でもよく見られるようなジェットコースターですが、線路が短くただ、一回転して上るだけの1,2往復する程度なので、ジェットコースター好きの皆さんはつまらないと思います。でも、私は心臓に悪いのと怖いので乗りませんでした。 それから、射撃で的当てやメリーゴーランドに乗ったりし、夕方4時まで遊びました。 それから火鍋を食べに言ったわけなんですが、この続きは次回に書きたいと思います。
2005年01月30日
今日のテーマ「日本語学校18 上海工程技術大学2」 やーーっと金曜日が終わりました。 私が安田さんの代わりにやっている授業は「みんなの日本語」という教科書で、結構実用的なのが多いんですよ、ほかの本に比べますと。 それで、私はひらがなカタカナから基礎の文法を教えてくれと頼まれたのはこの間書きました。 1週終わりまして、文法教えるのもすごい大変だなあと思いました。火曜日に生徒から「づ」「つ」「じ」「ぢ」の区別を聞かれ、答え切れなかったんですよねー、翌日改めてその生徒に質問の答えを教えましたけれども。 まあ、いきなりひらがなカタカナから入っていったんで、日本語をまったく知らない生徒たちに戸惑ったかもしれませんね。難しいなあ。 この1週間はもっぱらひらがな・カタカナ・拗音・拗音等をゆっくり、練習をたくさんしてきました。 来週が大変です。本格的に文法を教えるのでねえ。準備が大変です。正直申し上げて月曜日来るな~ってな感じですが、時は動いているのでねえ~。まあ、来週はそこで午前中教えたら、午後以降は水曜の夜のみ授業なので、頑張らないといけません。どうやって来週の準備しようか悩んでいます。 来週も睡眠不足かなあ。(今週は1時半から2時くらいに寝て6時起床という生活でした)では、また。
2005年01月28日
今日のテーマ「日本語学校17 上海工程技術学校」 今日から2週間、日本語教師勉強会を主催されていらっしゃる安田さん(仮名)の代わりにこの上海工程技術学校でひらがなカタカナと簡単な文法を教えることになりました。 それで、前の日からどうすればいいんだろう、うまくいくかなあ、安田さんに迷惑をかけてはいけないなあと懸念と不安があったんです。 で、朝からの動きを書きますと、今朝は6時40分に家を(楊浦・松花江路敦化路)出て、145番バスに乗って、人民広場で地下鉄2号線乗り換えて、終点の中山公園で降りて、それから88番バスに乗り芙蓉江路で降り、学校へ行きましたが、ついた時刻が8時26分でした。(145の人民広場の終点から2号線乗り場まで結構かかった。) そして、学校に着いたよと木曜日知り合った先生(仮に梁先生としておきます)の携帯に電話を入れようとしたら、出ず。直接その先生のオフィスに行くと、職員さんが「先生は教室ですよ」と言われ、私が授業をする503教室へ。 中へ入ると、もう、オリエンテーションみたいなのが始まっていっていて梁先生が説明しているところでした。今日から始業だったわけなのです。 梁先生が私を見つけると「あの人が日本語の先生のとけし先生です!!」と紹介され、代打にもかかわらず拍手で迎え入れられました。 それから1時間ほど、学校の説明をした後、12:00まで授業をしました。今日はひらがなのあ行からま行まで教えました。 安田さんからゆっくり教えてくれとのことで、ゆっくりゆっくり1字1字読み方を教え、書き方を教え、書く練習をさせたりし、時には例を挙げたりして教えました。梁先生も生徒に混じって勉強していました。 結構、うまくいくかなあと不安でしたが、緊張はしませんでした。ただ、もう少し笑いが取れたら生徒たちもリラックスできてよかたんですが。まあ、最初紹介された時点で「木村拓哉です」とボケて受けをとることが難しくなったのもあったんですがねえ。 そして、12:00に授業が終わり、梁先生がこの学校の食堂を案内してくれました。梁先生は「ここの料理はまずいよ」とおっしゃっていましたが、いざ食べてみると、うまくなかったです。 帰り際、私の授業を受けていた生徒さんとすれ違い、にこやかに挨拶してきました。少しリラックスした表情が伺え、多少はホッとしました。 後9回(月~金の10回・午前中)うまくいければいいんですが。では、また。
2005年01月24日
今日のテーマ「類は友を呼ぶ9(身内編2)」 今年最初の類は友を呼ぶは、身内編で参ります。ここ数日ふと思ったことを書きたいと思います。 1)ヤクルト宮本選手と元クラスメイトD氏 ここ最近、スポーツ紙とかでヤクルト宮本選手の名前を見ると、数年前の某大学時代の同級生N・D氏が思い浮かぶんです。 なぜかっていったら、その彼がヤクルトファンで、宮本とか渋い系の選手が好きだそうで、かつ、よくみたらちょっと似ているんですよ。でも、これは、私が数年前の残像を元に照らし合わせていたので、今はどうでしょう。髪形もずいぶん変わっておられるでしょうからね。 2)ダルビッシュ投手と後輩のE君 この大学時代の後輩のE君は、以前うちの生徒にも似ているのがいると前回の拡大版で書きましたが、もっと似ている人が現れました。北海道日本ハムのダルビッシュ投手です。 ダルビッシュ投手は私もああ、イケメンだなあと思うんですが、目の細いところとか、スラッとした感じが、じっくり見るとE君に似ているんですよ。 また、彼にあったら言われるんでしょうねえ。「背中見せてくださいよ」と。(さすがに言わないだろうけど) まあ、こんなところです。あと一人いたんだけど、誰に似ているかがちょっと忘れちゃったなあ。また今度取り上げます。では、また。
2005年01月21日
今日のテーマ「日本語学校16」 もうすぐ、中国は春節になるんですが、それに伴って冬期休暇に入る学校も出てきまして、授業も一部休みっていう所が出てきました。 2月初めになると、当然暇になって来、給料時給制の私にしてはいたいところです。 そんな中、月に2回行われている日本語教師勉強会(南京路のスタバで)を主催されている方(仮に安田さんとします。日本で言語学を学ばれ、中国語も話せる。私より3~4歳年上)から一昨日と昨日、電話がありました。 一昨日は、上海郊外の南フイの学校で授業をやってみないかと安田さんに電話で言われ、昨日は来週から2週間私の変わりに古北にある上海工程技術大学で授業をしないかと言われました。 共に内容は文法で、技術大学の方はひらがなカタカナと文法の基礎を少し教えればいいとおっしゃっていました。 私は、技術大学の方は承諾しました、南フイの方はその方にう「考えておいてください」と言われました。私は「教えるためならどこへでも」とばかりに気持ちは前向きでしたが、懸念材用がひとつ、それは家からの距離です。楊浦区ですから通勤に時間がかかることは確実で朝6時くらいに家を出ないといけないかもしれません。 そんでもって今日、午後4時に安田さんと技術大学職員の馬さんと静安寺で待ち合わせ、タクシーで古北の工程技術大学へ行き、顔合わせをしてきました。 私も少し緊張していたんですが、帰りに安田さんに「もっと堂々とされたらどうですか。中国人になめられますよ」とちょっとした駄目だしっというか、すこし怒られた感じがしました。 まあ、2月前半することない~と思っていたんですが、そんなところにこれですから、渡りに船って感じです。でも、大変だなあ~、もし、学校が朝から授業だと6時くらいから家をでないといけませんからね~。それに、人にお願いされましたから、その方にも迷惑かけられないなあと思うと、緊張してしまいます。では、また。
2005年01月20日
今日のテーマ「鋭い質問」 この間、某掲示板で恋愛ネタの話になったら、別の方からとけし君って彼女欲しいとかって本気で思うの?という、元大洋の平松ばりのカミソリシュートみたいな鋭い質問を飛ばしてきました。 一瞬見たとたん、えっ!!と、回答に戸惑ってしまいまして、2、3日してから返事を書いたわけなんですが、あまりの核心をついた質問にびっくりしました。 そこでは、「本気で欲しいとは思っているんですが、無理でしょう。」と答えましたが、ここでは、もう少し付け足して書いてみます。 本気で欲しいなあと思っていることは確かなんですが、でも、なんていうのかなあ、そういう時期とそうでない時期が交互に訪れてくるんですよねえ~。でも、現状と未来を考えると、無理でしょう、あきらめの境地ですね。というのが上のレスに集約されています。 今は好きな人はいませんが、いると、その人を見るだけで癒されたり嬉しくなったりするんですが、目の前にいると緊張して、うまく話せないんですよねえ~。 でも、そういうのは片思い期間中だけで、付き合い出すと、それがなくなるというのを先輩方や友達が聞いたことがあるんですが、どうなんでしょうねえ。 まあ、今は日本語を教えることに頑張るだけですなあ。では、また。
2005年01月19日
今日のテーマ「とけパラ人間館4 SATOSHI」 人間館4回目で、私の身の回りの人物を取り上げることになりました。まあ、昨年末から予告していたんですが、ちょっと忙しくて今日になりました。ごめんなさい。 その方の名は、SATOSHIさんです。(もしご本人がフルネームでも良ければ、あとで直します。) この方はどんな方かにつきましては、こちらをご覧ください。 で、昨年末から正月にかけて、上海にお越しになられたんですが、もう、この間も書きました、あの史上最大級の偶然でね、バッタリ会ったんですが、相変わらず小室哲哉に似ているし、よくからかうし、猿っぽかったです。 でも、ネット上とか、この間実際話をしていたら、よくうわ~刺激的という言葉を使われますね、この辺が変わりましたねえ。今の仕事は相当魅力ある仕事なのかなと感じていたんですが、以前チャットしたとき、「忙しい~」「休みがね~」見たいな事いっておられたんですが、どうなんでしょう。 彼は近々、会社の人と独立して店を作るそうなんですでえ、喫茶店みたいな感じなのだそうですが、店の名前出しちゃっていいんでしょうかねえ~。あとで彼に聞いてみましょう。 また、でも独立して店を作るって、結構資金いるんでしょう。大変ですねえ。でも、すごい勇気というか、攻撃的というか、頑張っているなあという感じです。(それが「刺激的だ」というのにつながっているんでしょうかねえ) また会いたいですねえ。では、また。
2005年01月17日
今日のテーマ「ブルーやわー」 いやーーー、何がブルーかって、初場所における魁皇のふがいなさ。もーー今日の時点で1-3ですよ。もーーねえ。はーーーーー。綱とりも何もあったもんじゃないよ。全魁皇ファンがっくりきていることでしょいうが、けいこ総見のときからやな予感はあったんですがねえ。いっそ休場して充電を図ってみてはいかがでしょうかねえ。 考えてみると、ライオンズが負けた日でさえあまり落ち込まないんですがねー。まあ、綱とりがかかっているだけに余計、落胆&ブルーですわ。 そのせいか、今日の授業も気勢が上がりづらかったでしたねえ。朝昼晩(朝9時半~夜9時まで)とあったんですが、いつもより疲れた気がします。 でも、もっと悲しいのは、これを分かち合える人間が少ないわけなんですよ。気が合う人間が少ないんですよねえ~。っていうか、基本的に単独行動だから、愚痴を聞いてくれる相手がいない、っていうか俺が言うと、相手がうざったがられるから、言うにもいいにくいんですよね。 よっしゃ、それでも明日はくるんだ。でも明日は夜のみなのでゆっくり休めます。それがせめてもの救いなのかなあ(笑)。家で「ベースボール」でも読もうかなあ。 多分、寂しくなったときにこれと同じような内容を書くことがあると思いますので、皆様お許しください。では、また。
2005年01月12日
今日のテーマ「ローカルテレビ局14 TYS・テレビ山口」 早くも14回目を迎えたこのシリーズ、今回は山口県にあります、TYS・テレビ山口です。 1)夕方4時50分から「笑っていいとも」 山口県はフジテレビ系列局がありません。(下関あたりではたぶんTNC・テレビ西日本、広島よりだとTSS・テレビ新広島が見れるとは思うが)それによって、「笑っていいとも」は夕方4時50分スタートだそうで、だがら夕方なのに「お昼休みは うきうきウォッチング~」っていう不自然な現象が起こるわけでございます。 他にはATV・青森テレビ(これもTBS系列)も同じ4時50分スタートだそうです。 フジ系がないとリアルタイムで見られなくわけで番組によっては数週遅れることもあります。同局HPによりますと「トリビアの泉」は日曜昼1時から、「水10(ワンナイとココリコミラクルダイブ)」が水曜深夜0時25分から、水10じゃねーじゃんって感じですが、「めちゃいけ」が木曜深夜0時25分からだそうです。 これは、沖縄における日テレの番組がそうでありますけども。これはいずれ、沖縄編で詳しく書きたいと思います。 2)ちぐまや本舗 あっ結構いいタイトルだなと思わせる情報バラエティー番組(?)だと思いますが、タイトルをよく見ると、山口県の「やまぐち」をひっくり返しただけなんですねえ~。 江戸時代のお店風な感じで作っているようですね。よくわかりませんが、司会の伊賀アナが落語家みたいな格好していて、そう感じ取れます。 山口行ったら(いつになることやら)見てみたいものです。 3) 伊賀 透浩アナ TYSはアナウンサーは9人しかいなく、特にこれといったのがいなく、「おはようクジラ」レポーターだった伊賀アナに注目してみたいと思います。 HPのプロフィールを見てみますと、写真も髪がちょっと寝起きっぽいですねえ。で、宮崎県出身、お隣RCCの横山アナと同郷ですねえ~。ちょっと驚きました。 趣味を見ると落語の字が、ああーなんとなく「ちぐまや本舗」との関連がと勝手に勘繰ってみたのですが、関係ないでしょう。 ほかにも一輪車とフライフィッシングと、いろんな趣味の方なんですねえ~うん、HPアナウンサーのプロフィールは意外な一面が見られて面白いですねえ。では、また。
2005年01月08日
今日のテーマ「やじうまとけし(1月1日~1月7日)」 さて、2回目のやじうまとけしです。1日~7日までの新聞から取り上げてみたいと思います。 1)上海モーニングポスト紙の元日の1面 これ、初日の出拝んで家に帰るときに買ったんですが、なかなかいい色合いだなあとおもって、見とれていました。 どんな1面だったかと申しますと、1面デカデカと、記者さんが大晦日に上海市郊外の松江大学場にあります上海外国語大学新聞伝播学院のグラウンドで撮った写真なんですが、前日(12月30日)にかなりの積雪を記録した影響で、グラウンド一面が銀世界になっていて、そこに2005と書いて、学生たちがポーズを撮っている写真なんです。 その上に新聞のタイトル「新聞■(日の下に辰)報」(上海モーニングポスト)があるんですけど、バックが紫色でその下に雪のグラウンドで大学生数人が手を振っている写真がありますと、なんだがその写真に写っている人たちが南極にいるような雰囲気があって、すごいいい編集したなと思いました。 2)55年でもっとも寒い元旦を迎えた広州 (1月2日 上海モーニングポスト) これは、モーニングポスト紙っていうよりも、広州の新聞羊城晩報が伝えていたんですが、それによりますと、広州の1月1日の最低気温がなんと2.1度(広州はかなり南の地域で、奄美大島くらいの位置ですかねえ、ですから、冬でも2度というのはあまりないです)で、元旦の最低気温を1983年の2.3度より0.2度更新し、55年間でもっとも寒い元旦を迎えたと書いてあります。 中国全土も寒かったんですねえ。ちなみに上海の1月1日の最低気温はといいますと、宝山でー5.6度、徐家フイで-5.0度でした。私も、初日の出を拝みに向かっていて、途中でバスを待っていたんですけども、寒いの何のって、風が強いからなおさらなんですが、いやー死ぬかと思いましたね。 3)上海の地下鉄、毎日100万人大都市ひとつ分を「運送」(1月2日 新民晩報) 新民晩報によりますと、地下鉄を運営している会社が発表しました最新統計で、2004年一年間の上海軌道交通1,2,3号線の乗客の人数がのべ4億7200万人にのぼり、一日平均の乗客数がのべ約130万人にのぼり、一日で100万人都市ひとつ分運送した、つまり毎日上海人10人に1人が軌道交通1,2,3号線を利用したということになります。 晩報にはおととしとの比較が書いてあります1号線 03年 4億 500万人 04年 4億7200万人2号線 03年 1億9800万人 04年 2億2900万人3号線 03年 8100万人 04年 8900万人となっています。いやあー、一日平均約130万人ということは、仙台市の人口全員が一日に利用したってことですよねえ。田舎ものの私にとっては、ただただすげえの一言なんですが、東京はどうでしょう。やはり上海のほうが多いんでしょうかねえ。てなわけで、また次回です。
2005年01月07日
今日のテーマ「第1回 2005年プロ野球ペナントレース大予想」 年明けの時点での今年のプロ野球のペナントレースを予想してみたいと思います。まずはパ・リーグから 1位 西武ライオンズ 2位 福岡ソフトバンクホークス 3位 北海道日本ハムファイターズ 4位 東北楽天ゴールデンイーグルス 5位 千葉ロッテマリーンズ 6位 オリックスバファローズ セントラルリーグは 1位 中日ドラゴンズ 2位 阪神タイガース 3位 ヤクルトスワローズ 4位 読売ジャイアンツ 5位 横浜ベイスターズ 6位 広島東洋カープ とまあ、こんな感じです。パはダイエーの大物外人が日本野球に苦労しそうで井口の穴も考えると、去年と変わらない、結束力とスタミナをつけたライオンズが1位をとる。と見ています。意外と楽天が頑張りそうで、オリックスは投手が悪すぎるからダントツでビリかな。 セはウッズを獲得した中日がいきそう。巨人は慣れないことをし始めますから、それが機能して結果を出すのは今年では無理かな。横浜は投はよくなる代わりに打は多村頼みかな。 てなわけです。第2回はキャンプ後にやる予定です。では、また。
2005年01月06日
今日のテーマ「2005年の目標」 さあ、2005年の目標なんですが、ちょっと書いてみたいと思います。 1) 健康的に過ごせたらいいなあ 目標でもあり、願望でもあるわけなんですが、運動したいですねえ、でも、なかなか時間がなくて、休みは休みで家の中でボーーッと過ごすから、その上、よう食うから、太ってきているんですねえ。旧友に会うたびに度々言われました。ですから今年は、金稼いで、ジムに通えたらいいなあと思います。 2) とけパラ 555回 このコラムは、今年一年に555回超えたらいいなあと思います。まあ、できたら600回行けたら一番いいのですが、時折、バテて書かない時期も含めますと、555がべたかな。 3) いい先生を目指す。 自分ではしょぼい日本語教師を自負しているんですが、もっとよくしていければいいなあと思います。でも、凄い人はもっと凄いので、私はやって行けるのかなあと自信がなくなってきつつある今日この頃です。 4) いい出会いが… あったらいいな 恋愛系は、成就することは間違いなく不可能なんですが、現状を見ると出会いさえもないという事情を鑑みて、ちょこっとしたときめきがあればいいなあと思うのですが。無理でしょうな。 こんなところです。では、また。
2005年01月05日
今日のテーマ「とけダネ!(1月2日・3日)」 1) 日本料理屋で食事会、ゴールデンメンバーがそろう 1月2日夜、准(へんはさんずい)海中路東湖路にあります日本料理屋「大江戸」で、食事会がありました。そこではかつてのゴールデンメンバーが勢揃いしていました。 実は、これは前から考えていたことなんですが、家にある変な帽子をかぶってびっくりさせようと、出かける前にその帽子をかぶって、出かけました。 8時過ぎに到着すると、みんな「えーー。」って驚いていたというか、ビビっていたというような反応でした。 では、そのゴールデンメンバーとは誰か、といいますと、ますと、まず一番頭のよかった中田秀雄さん(仮名)、そして年越しドキュメントに登場した氷野さとるさん、江良島隆史君そして、九州男児の達川弘男さん(仮名)、そして、DS関連では、道産子ボーイで野球部のエースの大見康介さん(仮名)、サッカー小野伸二似の大鳥敦夫君(仮名)、そして、たぬきさんこと宗谷裕次郎(仮名)さんです。いわば、同期か同年代のメンバーで仲の人たちそろったっということなんです。 彼らプラス、年越しドキュメントに登場した下野さん・沢田さんと江良島君の友達と中田さんの奥さんと14,5人で飲み食いしました。 しかし、氷野さんとか宗谷君とか大鳥君とか達川さんとか、相変わらずからかいあったりしていて、大笑いしましたね。彼らがからかっていたり、からかわれたりする様子がおかしくてね、いつも笑っちゃいます。(時折、私もいじったりしますが、、、。) 夜10時くらいまで飲み食いしたんですが、すんごく久しぶりに彼らと話したんで、楽しかったです。その後は、下野さんと宗谷君と江良島君と氷野さんらとで、浦東のマッサージ店へリフレッシュしました。 2) 元生徒さんと出かける(1月3日) 翌3日は、かねてから会おうと約束していた、元生徒さん(もちろん中国人で女の子)と一緒に人民広場であって、ブラブラ散歩したり、遊んだりしました。(1:1でです) 夕方4時に、人民広場の莱福士プラザで待ち合わせし、しばらくはおしゃべりしながら散歩しました。 そしたら、ゲーセンに行こうという事になりなり、まず、打浦橋(徐家フイ近く)のゲーセンへ行ってゲームしました。でも、私ばっかりやっていて、「やらないの?」ってその女の子に聞いたら、「いいよいいよ、見てるだけでいいから。私いつもみてるだけだから。」という返事が。それでも、自分だけやりまくるのも申し訳ないから、一緒にハイパーホッケーをしました。 6時半過ぎ、私がヤオハンにもゲーセンがあるよと、打浦橋をあとにし、バスで浦東のヤオハンに行くことになりました。 7時過ぎ、ヤオハンに到着、途中、元生徒ががちょっと見てみたいなあと買い物に付き合いました。それから、10階にあるゲーセンで「太鼓の達人」やボンゴをたたくゲームをやったりしました。でも、僕だけやって、彼女は見ているだけでした。 8時過ぎに別れたんですが、それでも楽しかったとはその女の子は言っていました。私としてはあちらがゲームに付き合い、こちらはあちらの買い物に付き合ったので、まあ、五分五分といえばそうなんですが、物足りなかったかなという気もしないでもなかったです。 後で、よくよく考えたら、これってデートかななんて思ったりしましたが、たぶんそうなんでしょうねえ。よくわかりませんが。では、また。 あと、上に出てきた人物はすべて仮名です。もし、当事者でフルネーム出してもOKな方がいましたら、ご連絡ください。
2005年01月04日
今日のテーマ「年越しドキュメント2004-05(3)」 2005年も20分が過ぎようとしていた、午前0時20分頃、さあ、そろそろバスでネットカフェ行って時間潰して、初日の出を見に行くかと向かおうとして振り向いた瞬間、「あーー」という声が、そして前方向いたら、「とけッティー」の声が、よく見るとそこには、往年(とはいっても2,3年前の話なのだが、)の方々がずらり。 私の視界に入ってきた順に紹介してまいりますと、DS時代のメンバーで、「やあ、たぬきさん」「あら、熊さん」と呼び合っている宗谷裕次郎君(仮名)とその彼女の常エミリーさん(仮名)、それから小室哲哉似で人をいじるのが好きな氷野さとるさん(仮名)、元DSマネージャーでハムスターっぽい先輩下野奈津美さん(仮名)、DSメンバーで唯一私と同じクラスで、イケメンの江良島隆史君(仮名)とその友達二人、あとおととし年末に宗谷さんのビデオ撮影に一緒に競演した、沢田幸村さん(仮名)がいました。 うち、氷野さんと江良島君は日本から出張できていたようです。 それに驚いた私は、しばらく鳩が豆鉄砲食らったような感じで目が点になり、現実を直視するのにかなり時間がかかりました。うわ~史上最大級の偶然じゃないの~これ~ その時の偽らざる心境でありました。いやーー驚いた。 で、まあ彼らと談笑し、写真撮影をして、短冊みたいなものに願い事を書いて飾り、拝みました。寺に行っての初詣は7,8年ぶりじゃないでしょうかねえ。(糸満の白銀堂行ったとき以来かな)その願い事に何を書いたかと申しますと、身体健康・万事如意・恋愛成功(身体健康・万事うまくいくこと・恋愛の成功)と書きました。まあ、最後のひとつはありえないんですがねえ。(笑) それから、予定が大幅に変更、彼らと一緒に(下野さんとはそこで別れた)同済大学近くのコーヒー店でおしゃべりしました。 その途中、元生徒さんから「HAPPY NEW YEAR」とメールが届きました。私が偶然元友達に会ったって事を返事で送ったら、なんて偶然!今年はいいことがありそうだねと返事が帰ってきました。 午前2時になり彼らと別れ、その後329番バスに乗り、上海駅へ、それから、322番に乗ろうと思っていたんですが、時間になってもバスが来ず、4時半に95番に乗って宝山区上鋼第1工場へ、そこから、しばらくバス待っていたんですが、強烈な寒さと、風で、凍え死にそうになるのではないかと、大変でした。 そして、53番に乗って終点まで行って、あまりの寒さに耐え切れず、そこからタクシーで長江口へ行きました。 午前6時に到着、氷点下5度の中を何とかジョギングしたりして寒さをしのぎ日の出の時刻を待ちました。 そして、6時半東の地平線から、雲ひとつなく、きれいな朝日が昇り、まぶしく輝き、初日の出を拝むことができました。 2001年から始めた初日の出は、5回目になるのですが、2001年以来じゃないですかねえ~、こんなに雲ひとつないきれいな初日の出を拝めたのは。 何か、今年はいい年になりそうなあと、感じた年越しででありました。7時過ぎにバスで帰りました。では、また。 最後に、もし、登場した人物は仮名なんですが、ご本人がフルネーム出してもいいよという方がおられましたら、私に言ってください。
2005年01月03日
今日のテーマ「年越しドキュメント2004-05(2)」 夜9時半、授業が終わり、行き先を近くのケンタッキーでしばし考えたあと、今回はまず新天地の様子を見てみようと、46番(バス)にのって人民広場へ向かいました。もちろん一人でです。まあ、どうせ友達を誘っても、めんどくさいから嫌だし、来ないだろうと思い誘いませんでした。 10時過ぎに人民広場に着きまして、10分くらい歩いて新天地に到着しました。周りを見て見ますと、上海人が多いのは当然ですが、外国人も結構目立ちました。韓国人や日本人や欧米人などなど。時折カップルがいちゃいちゃしたりとしていたわけであります。 そこで、一瞬「いっそのことここでカウントダウンしようかなあ」と頭をよぎりましたけれども、やっぱり、龍華寺で迎えたいなあというのが捨てきれず、10時45分過ぎにそこを後にしました。 11時前に地下鉄に乗り、「ああ、日本は2005年」だなあと感慨にふけ、紅白でマツケンサンバはどうだったのかなあと気にしつつ、地下鉄は上海体育館へ。 11時10分過ぎ、地下鉄上海体育館駅から出て、バスはどこかと探していたら、時計の針が11時半近くになり、ちょっとあせりました。とはいえ龍華寺は上海体育館からすぐ近くにあるので、まあ大丈夫だろうと気構え、バスを待っていました。 11時45分、20分くらい待った末、104番バスがようやく来て、乗車、50分過ぎに龍華寺到着。無事12時のカウントダウンを迎えることが確実になりました。「ホッ」と胸をなでおろした私は、初めて龍華寺で迎えるカウントダウンに胸をちょっと躍らせながら、中へいきました。 龍華寺では人はかなり多く(ぎゅうぎゅうづめというほどではないが)、とてもにぎやかでした。そこでは短冊みたいな紙を買って願い事を書いて、お祈り(初詣)したり、200元から400元の切符を買って除夜の鐘を打つ人もいたりして(寺の前ではモニターで中継していました)、日本のお正月とそんなに変わらない風景がそこにありました。 そして、11時59分50秒をまわり、寺全体がカウントダウンムードに包まれてき、爆竹も鳴り始め、そして「10・9・8・7」とカウントダウンが始まりました。そして、それが「0」になった瞬間、新年好!!となり、打ち上げ花火がパンパンパンと打ち上げられました。まあ、普通のよりも高度は低めに打ち上げられたんですが、もうきれきれきれいでした。余韻に浸ろうとしばらくうろちょろして、寺周辺を歩いていました。短冊を売っている行列の近くに小池があったんですが、その辺で人の様子を見ていました。にぎやかだなあ、いいなあと見ていました。それじゃ、ボチボチ、301番に乗って、322番に乗り換えてネットしに行くかと思い、後ろを振り向いた瞬間、あ~~~~~~!!と断末魔の叫び声が(それはオーバーだが)聞こえてきました。この続きはまた明日。
2005年01月02日
2005年ですねえ。今年もひとつとけちゃんパラダイス及びとけちゃんワイドよろしくお願いします。 今日のテーマ「年越しドキュメント2004-05(1)」 2004年12月31日金曜日、朝会話の授業のため、漕宝路で会話の授業でした。ところが、教室に着いて携帯のメールを見ると生徒が来れないとのこと、「しまったーもっと早く気づけば休めたのに~」(実は4時間しか寝てない)そしたら、別の生徒が私の授業試聴しにきたので、授業をしたんです。(結局、その生徒は申し込むことになった) 午後は、忘れ物をとりにを家に戻り、そのついでにたまりにたまった洗濯物を洗濯し、しばしテレビを見ました。 洗濯物を干して、午後5時半に家を出て、118番バスに乗り、保徳路で降りて912番二階バスに乗り学校へ、6時半過ぎに到着。 7時になり、授業開始の時刻だが大晦日のせいか、しばらく誰も来ず、15分過ぎに生徒が来て、授業、標準日本語(初級下冊)の第1回目の授業でした。大晦日だから早く終わろうとして9時前に終わったんですが生徒さんがアニメのラジオの内容を聞き取って紙に書いてくれと頼まれ、結局9時半に学校を後にしました。 そして、その後の行動はどうするかと考えていました。実は2004年の年明け、ニュースを見ていたら龍華寺で新年を迎える映像が流れ、行って見たいなあと思い、2005年は絶対龍華寺で迎えようと思っていました。でも、時計を見ると新年までまだ時間があったので、どうしようかなあと考えました。 ちなみに過去6年の過ごし方を見てみますと。 1998年-99年(外大時代) 私と話の合う数少ない友達のOさんや華東師範大のMさんらといっしょにボーリング→東体育会路の御茶屋でトランプして過ごす。 1999年-2000年(復旦時代)確か誰かと一緒にクラブにいたはず。 2000年-01年(復旦時代)どっかに出かけて(確か長海病院の向かいのサウナだったと思う)、大慌てでバイタクで欧陽路の家に23時59分56秒に戻る。そして、明け方、116番のバスに乗り、長江口へ初日の出を拝みに行く。 2001年ー02年・02年-03年・03年ー04年はバンドで新年の瞬間を向かえ、それから南京西路→人民広場をウロチョロ、で深夜バスで宝山へ行き、初日の出を拝む となっています。果たしてどのような行動をとったのでしょうか。続きはまた明日。
2005年01月01日
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