全7件 (7件中 1-7件目)
1
「自然死でお願いします」と兄が主治医に報告をした。私はディルームで、ずつと泣いていた。私の母、93歳。5/27に高熱で救急搬送され、総合病院に運ばれ、一月後に歩行リハビリのために、市街にある「高齢者にもリハビリで有名な病院」に転院した。しかし、母はベツトが開いておらず認知症のフロアに入院させられ、リハビリは足よりも心のリハビリをしなければならなくなった。母は、入院初日にフロアに入った瞬間に「お母さんを騙したのね!」と叫び、そして、泣いた。私達も初日から、フロアを見て驚愕し、、、どうして母が認知症ののフロアに・・と不思議だった。母は、その後、環境と心の変化で高熱を出し、解熱剤の点滴を受けたが、重症な副作用を起こし、とてもたいへんだった。7日間点滴を受け絶食だったので、高齢の母が復帰するには至らなかった。食も細くなり、体重は35キロ、腕も鉄棒のようになった。何といっても声も出なく、リハビリ病棟から療養病棟に移されたが、ひどい事に母の好きな絵本など、全て自宅に持って帰るように指示され、母の棚には、カーディガンしか残らなかった。そのうち2か月が経過し、病院のマネージャーさんから、「転院先を探すように督促されたのが、お盆前日」お盆なので、病院が開いておらず、私たちは走り回ったが、残酷にも、母が該当するような病院にはたどり着けなかった。そんな中、今週月曜日主治医が、母の昼食介助に行っていた姉を呼び「転院先を見つけること、点滴は針が入らないので中止します。 点滴の代わりに食塩水1リットルをお腹から入れます。 あとは口からの食べ物摂取ですが、お母さんは食も細り、栄養補給するに・・・鼻からチューブ中心静脈栄養胃ろう3点から至急選ぶように・・・とのことで・・・私たちは急遽集まり話し、、4人の意見もあわず結局は、胃ろうの私対自然死の兄姉たちになった。水曜に兄が主治医に結論報告すると・・・お母さんは転院先はありません、、なぜかというと、オムツ&食介助となれば、手間のかかる患者という事で、引き受け病院がありません。実は、こういう時は、患者が転院する場合は、プラスアルファーの医療行為がなければだめなのです。要は、言いたくないのですが、お金になる患者なら引き受けるという事です。僕は、鼻からチューブ、中心静脈栄養、胃ろう、どれもツライ行為なので、本人の体力が持ちません。・・・それでは母は、どうしたらよいのでしょうか・・・・・・僕も実はわかりません・・・自然死であれば、点滴もなく、本人のあるがままの状態で送ります。余命は、食べて1と月、食べないと、、1週間は・・・といい、9月末までは確実に母を入院延長してくれると言われた。昼、夜の食事介助は2か月は私が中心にしていた。これからは母の命の期限が託されることとなる。今日も行くと、母は眠り続けその状態が長い。母を起こし、夕食を介助する口を開く母に、6年前に亡くなった父と重なった。少しでも、母と一緒にいたいと心した瞬間であり、悲しいことである。胃
2019年08月30日
コメント(0)

とうとう、、この病院に辿り着いてしまった・・高齢の母の転院先を決めなければならなく、時間も限られている。「長期療養医療病院」を現病院から紹介され、私達子供は随分と市内の病院と、介護医療施設を歩きまわり、PCでも検索をし続けた。結果、、認識したのは母は高齢で、歩行困難であるが認知ではなく、、しかし、リハビリために入院してしまったことで、食がほそくなり、自分では中々食べれず、介助が必要であり、点滴も必要になった施設は「医療行為」はできないとの定義。自宅療養も、点滴のために在宅看護という事になるらしい。病院は母の認知度が低いので、入院水準まで達しないと断わる病院もあり、または、大半の患者は寝たきりでコミュニケーションは必要なしの「看取り病院」であり、、母を「死」のレールに乗せる覚悟をしなければならない。私たちは疲れ果て、辿り着いたのが、この病院。ここは6年前に父が他界した病院、というよりは、放置された病院であり、二度と前も通りたくない、耳にもしたくない病院なのに、、、ここだけが、該当になるかもしれない下は、父が入院したばかり253号室、一番奥の奥で歩行困難の父には大変なことであったが、トイレが設置されていたのがすくいだつた。しかし、胸水500を一気に抜かれ、、父は生死をさまよいおまけに、ガンだと言われ、麻薬を打たれ、父は衰弱した。217号室のナースステーション前の二人部屋に移動し、隣は父とおない年の90歳だった。同い年でも、家族のこない患者さんだったので、手弁当持参で毎日、父の食事介助に通っていた私たちは、お隣に遠慮して、小声でスプーンをつかって父の口に運んだ二人して、折り紙を折ったり、絵本を読んでいるときでも、となりにとても気兼ねして、大声で笑うこともできなかった47日めに、朝から体調を崩した父は、夕方に風呂の日と言われて、「熱い,熱い、、」と拒んだけれども、、ヘルパーさんに湯船に入れられ、その夜に、亡くなった。。私達の家からは車で5分なのに、連絡が入ってから駆け付けたが、父はすでに息を引き取り、しかも、かなり前のようであつた。随分と嘆き悲しんだ私達は、二度とこの病院には行くまいと心した。なのに、、受け入れ先のない母の検索していた場所が、ここに辿り着きどうかしている。。。。と、思っている懐かしい院内図であり、忌まわしい院内図でもある
2019年08月24日
コメント(0)
悲しい事、悲しい事、悲しい事です5/27日に救急搬送された母の転院先を間違えたことにより、母の居場所がなくなりました。足のリハビリのために「リハビリ専門病院」で有名な、市街の病院に6/27に転院させました。底は、かっては古い「老人病院」で名を派していましたが、近年は「リハビリ」で有名になりました。生活に戻るための転院でしたが、転院当日母は玄関をくぐった途端に「お母さんを騙したのも!」と叫び、嘆き悲しみました。母のフロアは認知症のフロアで、病室も認知度の高い患者さんばかりで、話し相手にもなりません。日々に嘆き悲しむ母は、将来の自分の姿を見たのでしょう。。。心に負けて、高熱を出し生死の境をあるきました。そして、長い事、点滴を続けていたので、食も戻らず、スプーンを持つこともできなくなりました。しかし、感情と言葉は普通です。。ここが一番の苦しいところで、食の小さな人、点滴を要する人は施設に入居できません。長期療養型病院では、母は完全認知症になっておらず、「症状が軽い」とのことで、断られました。8病院も走り回り、やっと手にする切符は重症化したベットに括り付けの患者さんばかりのいる「看取りの病院」です。どうして、笑い、小声で話してくれる母を看取りの病院、死のレールに乗せることができましょうか、、、退院期限は今日でしたしかし、先が見つからず、病院ケースワーカーさんからは「いつまでも置いておくことはできません、早く退院先を決めてください」と言われ、私たち子供は、クタクタで、母の入院の介護&転院先探しにより、物別れを起こし、衝突し、、悲惨な毎日となりました。どうしたらよいのかと、、、途方に暮れています、、、
2019年08月22日
コメント(0)

12日のお墓まいりから、体調を崩し、、毎年なのですが、。。我が家の実家は「〇〇霊堂」の中ですが、父と同じ列の亡き方の写真と目が合ってしまい・・・いつもの事ですが、私の体調が悪くなります。今回は、口の中や唇に白いアフタができ、耳鼻科で受信しました母の介護のために疲労ることも含め、「プラセンタ&ニンニク」点滴を受けました。すると、元気になり、午後からの「北海道文化塾」に間に合いました。 そのあと、夕方より母の病院へも行けました。しばらくは、週Ⅰで続けてみようと思います。「ニンニク点滴のお話です。」まず点滴ですから、即効性があり、点滴後は、体がとても軽くなります。ニンニク点滴には、実際にニンニクが入っているわけではなく、ビタミンB1に含まれる硫黄の成分がニンニクのようなニオイに感じるため、ニンニク注射といわれています。このニオイは、注射(点滴)をしているときは感じますが、すぐに消えてなくなりますので、注射(点滴)後に人に会う約束があっても安心です。★疲労回復 ・眼精疲労・めまい・耳鳴り・倦怠感・腰痛 ・五十肩 ・肩こり ・筋肉痛・二日酔い ・ストレス ・滋養強壮・シミ・シワなどなどらしいです
2019年08月19日
コメント(0)
人手がたりなすぎる高齢者病院の現状です。母がお世話になったときから、目にする光景ですが、食事時はほとんどが、重篤な患者さんに看護師さんか゛お部屋に食事を運び、デイルームまで車イスでも行ける患者さんには、ヘルパーさんがついていて、配膳などをしています。始まると、食事の介助、声かけ、見守りなど、かなりの人数の看護師さんとヘルパーさんがいます。しかし、病室に残された患者は、看護師1人が何人も、「かけもち食事介助」です。要は病室を走り回っています。多分、、食べたくないと首を振る患者には、5分も向き合える時間がありません。お膳は下げて、「食べなかった」で終わります。これは仕方ない事で、看護師さんたちは必至の看護の中ですから、「自分の親だけ」なんていう事はできません。。あちらもこちらも看護師さんを呼ぶブザーがけたたましく鳴り響き、本当に呆気にとられるほどです。なので、私は母の食事時間は、ほとんど介助しています。母もアップダウンが激しく、娘と言えども容赦しません。食べたくないのに、食べらせるので、母は激高し、娘の私をののしり、「帰りなさい」とまで言います。食べないときが3回続くと点滴です。勿論、母は高熱になり、目ヤニで両目が開けられません。これは、体力低下、栄養低下のサインです。点滴は断食になり、点滴が終わり、何とかやっと食欲が出たころにまた、母は食事拒否します。。なので、栄養はプラマイ0か、もしくは低下です。看護師さんたちはたいへんなお仕事で、よくも続けられるものかと感心と感謝しかありません。後は人手不足といっても、60名患者に看護師30名ほど ヘルパー25名ほどです。 それだけ、高齢者の患者の手のかかることなのです。しかし、母の病院は10月より、医療型から、リハビリ専門病院に変更となり、長期で入院している重篤な患者さんも今は、大変な思いで、病院探しをしています。退院させられるのです。母は今月23日が期限ですが、まだ受け入れ先もありません。国も行政も真剣に考えなければならない時代になりました。お若い人たちも、やがて貴方達の親もこのようになり、そして、自分達も同じ道を歩むようになります。
2019年08月13日
コメント(0)
「病院で殺される」という本が出版されていますが、私はつくづく、この本のタイトルが身に沁みています。高齢の母が救急車で搬送され、1か月目に転院しなければならなくなったとき次の病院選びを「間違えてしまった」という悲しい話です。5/27に緊急入院したために、筋肉も衰え歩行さえも困難になった母の「足のリハビリ」のために、次の転院先の病院選びに「高齢者でも受け入れてくれるリハビリ専門病院」を探した。勿論、最初の病院からの紹介8病院の中のひとつでもあった。其の病院は、私の2人の友達の親も転倒し搬送されたが、リハビリをして歩けるようらなったという「有名な病院」でもあった。取りあえばケースワーカーさんに逢い話を聞くと・・・きっとあなた方のお母さんは3階、もしくは4階に入院してリハビリをすれば、退院できますね、、と言われ、私達の母は「3階以上のフロア」に入院させていただけるものだと思ていた。転院当日に運ばれてきた母と、兄、姉は入院受付で愕然としたという「2階です」と言われ、エレベーターで上がると、そこは、みんな、世界の違う人達が入院していたフロアであった。母が・・・お母さんを騙したのね・・・と、、厳しく兄、姉に言ったそうです。病室に通され、すでに待機していた私と姉はすでに異様な雰囲気で、声もでなく、辺りをキョロキョロと、間違いではないかと思っていた。母の病室は、患者が食事をする場所の前で、両開きのドアが開き、中が丸見え状態であった。昼食が始まり、患者さんが次々と運ばれてくると、ピンクの前掛けをされた男性患者8名は、看護婦さんを中心に、まるで幼稚園の食事のようであった。各テーブルには男女合わせて60名ほどで、誰ひとり、会話もなく、下を向いたまま、食べ、、ある人は、口を開けるのがスローモーション、ある人は、ヘルパーさんが介助をしていた。。壁に向かって座らされている患者さんは、「食べましょうね!」と促されていた。母はショックで水も飲めない状態で。付き添いの私も、母を落ち着かせるのがたいへんて゜あった。「ここは、何処?」母は問う・・・「リハビリ病院だよ・・」応える私・・・・・・「病室の空きにより部屋も変わります」と看護師が言う・・・そして、翌日から母の心の闘いが始まった、リハビリするのは足よりも「母の心」の方。なぜなら、こちらの病棟は、認知症の患者さんばかりで、母はまだ頭がしっかりしていたからです。3日後に母はショツクか、、高熱となり、点滴が始まり、断食、リハビリなしの5日間を過ごした。点滴でベッドにくくりつけになった母はすっかり、痩せてしまい、食欲も落ちたそんな母を見かねて、車イスに乗せ、5階のディルームに連れ出し、オヤツや塗り絵ゃお話などをして母の心を和ませていた。勿論、食事時は「食欲も落ちた母の介助」という話し相手であった。お箸もスプーンもほどなくモテていた母、同じテーブルには4人患者さんが、しかし、誰も話さずに。まるで「お通夜」の席のよう。その中で、声が響くのはヘルパーさんと看護師さんの声。窓側に寝ていた母には、空が見え、何一つ話もない病室は、悲しげで、母の心を痛めつけた。次第に言葉数も減り、母は声が出なくなっていた。。とうとう、入院40日目に母は、高熱を出して生死をさまよった。名ばかりの「リハビリ病棟」から、続きの「療養病棟」に移されて、10日間。あっという間に、母は認知になっていった。それでも、周りの患者さんよりは元気で、話しをしたがる周りの患者さんの様子を診て、悲しがる・・結局2階のこの病棟はすべて地域包括からの患者さんばかりで、いわゆる認知症か、意識のない患者さんばかりでした。その中にポツンと入れられた母にとっては、苦しみの50日間。リハビリは足よりも心のほうだった。私達は、病院選びを間違えてしまったようです。せかされ、1日で、8病院を回らされ、翌日には、ケースワーカーさんに返答をしなければならないという、時間のない慌ただしい、転院先選びであったからだ。段々、院内の雰囲気に呑まれた母は「自分も認知症」だと思い込み、私達の帰った後は深く悩み、考え、結局、アチラの世界に入りつつあるしかも、食もほとんど落ち、看護師さんからは「お母さんは認知症になりました、、、食が無くなったのは、そのせいです」主治医は、「口から食を摂取するのが一番、点滴になると胃婁です。、僕は勧めません、」と言われ私は、母が入院してから後半は、昼・夜ともに食事に立ち会っている。おまけに「お母さんは、体力がなくなったので、リハビリはできません」という理学療法士さん。これでは、何のために母を入院させたものかと子供たちの私達は、心乱している日々に、行けば行くほど母は鉄棒のような腕になり、「家に帰りたい」という気力も、死にたいという気力も無くなり、ひたすら、寝てばかりいる。母は食事は拒否し、口に運ぶ私を罵しり、私は、体力の限界である。こんなはずで・・・はなかった・・・病院を間違えいしまったために母も私達もツライ、苦しい日々が続いている。何処でどう・・間違えてしまったのかと‥今も後悔し、自問自答している「病院で殺される」とは心も気力も落ちるという事で、母と私たちは「この有名なリハビリ病院でリハビリをし、足を鍛えて、元気に退院できると信じて疑わなかった・・・今は、23日の追い立てられ退院のために、3回目の転院先を探し回っています。。
2019年08月11日
コメント(0)
高齢の母が入院し、75日目です。今日は、主治医からのお話しでした。~口から食べさせることが、一番です。 スタッフよりもご家族さんが食べせさせたほうが。本人にとっても、より食べやすくなると思います。 これが駄目なら、点滴ですが、点滴は塩&砂糖だけです。砂糖水を飲んで、長くは生きられません。 鼻からチューブを入れて、栄養を流し込むか、首から流すかです・・ しかし、本人にとっては、痛くて辛いことです。 胃ろうはご家族が望んでいないので、やりません。。 しかし、入院期限が8/23までです。 それまでに、口から食べて元気になり、入院当初のリハビリができ、次の病院に転院できることが一番、僕らも嬉しいです、、、「入院期間60日間」と国が定めているので、どんな重篤な患者でも転院させられます。非常に冷たい法律になりました。しかし、もっと冷たいのは~家事が終わらないので、昼食時間に間に合わない&夕食は19時と決まっているから、母の食事の介助はできない~という、母の子供たちです。私一人では、、もはや体力も 限界です。。
2019年08月08日
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1
![]()

![]()