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さてこないだっからお知らせしてきた「ちょっといいこと」。ある公募の賞でどこまで残れるか、という話だったのですがどうやら最終段階で、落ちた模様です~~~。最初は箸にも棒にもかかるまい、と思っていたので一次通過がわかった時点である程度の満足感を得ていたはずなのにだんだんと欲が出てきて、今となっては残念な気持ちになっているのがなんとも厚かましいことです。おこがましくも残念な気持ちを整理して次に向かうため、と称してお買い物をしました。近頃盛んに宣伝しているテキスト編集ツールのポメ○。画面が少し小さいかな、と感じるけれどもたとえモバイルとはいえそれなりの重量があるノートパソコンを持ち歩く苦労を思えば多少の欠点は全然平気。これからあちこち連れ歩いて何か思いついたらぴゃぴゃっとメモして書けそうな断片を徐々にストックしてみたい(希望)。相変わらず形から入っております。今回の件に関する選評と受賞作が掲載された冊子は来年手に入る予定。選評はとても辛口で真夏の暑い日に読んだら血の気が失せ真冬の凍るような日に読んだら動悸が上がり顔がのぼせるようでそれはまるでお酒の酔いも覚めるような徹夜明けの睡魔も退却するような健康な胃にも一瞬にして潰瘍を生じるような恐ろしさ。。受賞作ならば辛口の評であっても作品とともに載るからいいけれどそうでない場合は厳しい評をいただいて終わり。……恐いよう。でも興味のある方にはぜひお読みいただきたく。(いえ、あんまり辛かったら伏せたくもありますが。。。)
2009.10.27
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週末と先週末と、スケート放送に釘付けだった。できれば特定の選手を応援するのではなくそれぞれの選手がいいパフォーマンスができたらいいなあ公平な目でそれを見て、その時々で自分なりの感想を持ちたい、と思うのだけれども。今シーズンについていえば、もう絶対真央さんを応援したいということが最初っから決まっていた。女子フィギュアでは他に好きな選手はいろいろいるけれども今回は当然がごとく真央さんを贔屓します! という気持ち。一緒に(録画だから一緒にではないけど)緊張感を味わえるようにテレビ放送より先に結果を知ってしまわないよう放送のある日は他局のニュース番組やネットのニュースは禁止。放送時間に間に合わない時は録っておいてそれを鑑賞するまではやはり情報をシャットアウト。そうやって見た2大会は真央さんの演技の時には指先が冷たくなったり動悸が速くなったり。思うようにできなくて涙を我慢しているようなお顔を見ては「真央ちゃ~ん…」とテレビ(くどいようですが録画)に向かってつぶやいてみたり。これから帰って泣くんじゃないかなあ、と勝手に心配してみたり(だから録画だってば)。さすがにそこまでの年齢差ではないけれどもなんとなく、娘を見守るような心境なのだった。どんな結果でもかわいくってしかたがない。だから、どんな曲とプログラムを選択されても「いいよいいよ」と言ってあげたいけれども曲はもうちょっとかわいらしい感じの方がいいんじゃないかな、と思う。以前滑ったノクターンとか花のワルツとかぴったりだったし。いや、でも!滑りたいものを滑って、苦労することがあっても、がんばった結果、成績が思ったものじゃなくても、お母さんはよくってよ。また、テレビでお目にかかれるのを楽しみにしています。と、思っている。(←バカ)
2009.10.26
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京都、六角堂。ずっと以前にその辺りに住んでいたころ、よく行った覚えがある。周囲はずいぶん立派な建物が増え、すっかり変わってしまったけど鳩がいっぱいのお堂の雰囲気や古びたおみやげ売り場や、立ちこめるお線香の匂いやらは昔と変わらず、私にとってごくごく数少ない、昔なじみの場所のひとつ。その隣には、今やスターバックス・コーヒーがある。街路から見える六角堂の景観を損ねないように配慮して建てられたというその店は大きなガラス窓に向かって席が配置されている。そこでのんびり過ごすことが、今の私のお気に入りである。とはいえ少し遠いので、しょっちゅうは行けないけれど。お天気の良い午後。わざわざ(ほんとにわざわざなんともご苦労なことに)ノートパソコンを持ち込んで近々締め切りの仕事上の文章を書こうと試みてみた。どこのスタバでもそうだけど、なんて書き物に適した店かと思う。ちょっと書いてはお堂を見上げ、ゆるゆると内容を練る。磨き上げられた窓は隅々まで透明でぱたぱたと飛んできた一羽の鳩が「ごん」、と窓にぶつかった。近頃私事ながら、よろしくないことが起きたのでもういっそ京都に引っ越してしまいたくなっている。いったん、いわゆる“ふるさと”なるものに退いてみたいような。とはいえ本気ではないけれど、物件情報を見ると、今私の住む街で住んでもいいなと思うことのできる、これまた数少ない地域よりも案外安いようなのだった。阪神間恐るべし。六角堂にはなんと白鳥もいます。庭のお掃除のおじさんから葉っぱの切れ端をもらえることを期待しておじさんに熱い視線を送っています。
2009.10.21
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図書館で文藝春秋の順番待ちをして読んだ。芥川賞受賞作。世の中でまっとう(?)に働いている人が小説を書いて、しかも芥川賞だなんてそもそもそれだけで受賞の喜びに勝手に共感してしまう。既に書籍化されているけれど雑誌で読むと、選評も読めるのでとても興味深い。内容は、すでに返却してしまったのでごく大雑把にしか書けないけれどもある夫婦の数十年にわたる時間を、夫のごくごく個人的な視点によるひとり語りで構成したもの。夫婦で、何年も十何年も何十年も同じ家に暮らしてもいつも気持ちが寄り添い合っているわけではない。でも、それは必ずしも不仲というわけではない(いえ、小説中では不仲っぽかったけど)。夫婦でなくても、同じ人と長い時間を一緒に過ごして、いろんな紆余曲折を経て、時には気持ちが離れたり、それでもある時突然気持ちがすとんとその人のもとに帰ったり、そういうことってあるんだろうなあ、と確かに、わかるような……(いえ、今の私にはわかるとは言い切れないような T T)。こんな感想じゃあ全然内容が伝わらないけれども。選評を読むと、賛否両論であった。もっとも印象に残った選評は、I原S太郎氏のもので要するに昔の芥川賞受賞作には、賞からもれた作品にも素晴らしいものがあったのではないかと思わせる何かがあった。今回の作品はそうではない。それがつまらない。選外のものにも期待を抱かせる、そんな受賞作を期待したい。というような内容だったと思う。厳しい。。。でも僭越ながら、おっしゃる意味が感覚的にわかるのだった。個人的には好きな部類に入る小説だったけど。--さて9月30日の日記で書いたちょっといいこと。もう一段階進みました~。これで少なくとも、辛口の先生の評がいただけることになりました。あな恐ろし。うれしおそろし。
2009.10.16
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母御がめずらしく映画を観たいと言った。「なんか、ええのん始まったやんなあ、誰かええ人が出てる、何やったっけ、さまようなんとか…」とものすごくぼんやりしたことを言うのでそれは『さまよう刃』でしょう。ええ人っちゅうのは寺尾聰のことですな、と一緒に観に行った。始まる直前、「どんな話か知らんのやけど」とさらにぼんやりと言うので「少年犯罪の話じゃなかった?」とこれまたぼんやりした情報を返す。映画の内容は、始まってすぐに「そうだった。娘を殺されたお父さんが復讐する話だった」といつぞや予告編を見て仕入れていた情報を思い出したとおり、まあそんな話である。被害者の家族にとって、何が裁きに相当するかということを、まあ、考えさせられる話である。終わったあとすぐに母御が、「なんかしんどい話やったなあ」と。「映画観るんやったら、もっと楽しい、晴れ晴れするようなんがええわ」と。いや、タイトルからしてこの映画にその期待は重荷でしょう。母御よ。。。同じく東野圭吾原作の映画としては、今年遅ればせながら『容疑者Xの献身』にはまりにはまったので、あんな風などんでん返しのようなものを観る前には期待していたのだけどそういう話ではありません。私の率直な感想は「伊東四朗、やらかしたな~」でした。観た人の中にはわかってもらえる人もいることでしょう。裁判員制度が始まって、なんだかんだと世間を騒がしているご時世にはぴったりな感じではあります。
2009.10.13
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先月法事のあった祖父は、ごはんの炊き方に好みがあって、いつも自分専用の電子ジャーで自分のごはんを炊いていた。祖父母の家に行くと、夕食時、叔母ちゃんの炊いたごはんとは別に、電子ジャーを持って自室から現れる。その姿が幼い記憶に鮮明に残っている。祖母も母も、そんなことを覚えているのかと驚いたけど。そんな風にごはん好きだった祖父のせいか、それとももともと家族みんなが好きだったのか冷蔵庫にはいつも数種類を盛り合わせた漬け物の鉢があった。私は子どものころ(今もわりとそうだけど)、匂いがすごく気になって買ってきたお漬けものの場合は、封を開けたその日じゃないと食べられなかった。だから冷蔵庫に保管されたお漬け物の鉢にはまったく興味がなかった。でも、大人になって久しくなった今お漬けもの大好きである。家族や好ましい知人の誰かが「あれあれのおつけもんが好き」と言えばそれを長く心に留めて「あの人が好きと言ってたあれだ」と季節のたびに買い求める。おじいさんのように、家族で暮らしていないので一度に鉢に盛れる種類がひとつきりになってしまうのが寂しいところではある。たくさん買っても食べきれないんだもん。でも、そんな訳でおつけもんを食べるときは、大抵かならずおじいさんを思い出す。ごく小さいときに死んでしまったおじいさんだけどそんな訳で身近に感じられることがある。今度おばあちゃんに会ったらおじいさんのおつけもんの好みを聞いておこう、と思う。
2009.10.05
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