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ドイツ製の紙工作。小一時間やってみるが、ったく、根気が続かない。悔しいことだ。町を住みこなす 超高齢社会の居場所づくり (岩波新書) [ 大月敏雄 ]読み始める。始めてすぐ、この著者の略歴をチェーック!あれれ・と思った。もうすっかり昔、30年以上前。当時の大阪市住宅供給公社から、東京理科大と共同で、住まい方調査を仕事で請け負った事があった。その事を思い出し、、。ひょっとして、その時御一緒では??と思ったんだ。20人くらい東京から来られていたからもしかして、お出会いしているかもだ。。ギケイキ 千年の流転/町田康【2500円以上送料無料】大阪弁で育ったあたしなので、こんなに愉快な本はない。黙読である(もちろん)が脳内に次々往年の落語家が登場し、楽しい事この上なし。読了。感謝。おい!おまえも、哲学してる?
2017年08月22日
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先般、東京土産を頂戴した。冷蔵庫にしばらく入れてあった。賞味期限のこともあり、昨日おやつにした。ゼイタク煎餅、とある。その実、カステラ饅頭の体。戦車、大砲、ラッパ、飛行機、、食べちゃったが、旭日旗もあった。ああ、戦前のものか、。この型は。。。それで、ゼイタク、としたのか。と、想像した。あたしの祖母は、息子2人が戦死している。あたしの母は、兄と弟を失っている事になる。日本の未来のため、ということだ。夫の父、あたしの父、(共に故人)は復員しているが、相当な苦労があったろう。家族ぐるみでそれこそ命がけだ。当時は当たり前のことであった。その、当たり前は、カステラ饅頭に形となって今もある。戦争自体を知らないあたしは、それを古希目前の夏に、パクパク食べるのである。ホサナ [ 町田 康 ]さて、ホサナ。物語は佳境に入り、主人公は今、愛犬と別れ別れになってしまっている。犬が行き方知れずなのだ。会えればいいなあ!と、思いながら読み進んでる。著者は、四次元立方体のことをどこかで見聞きしたか、お勉強されたか、のどちらだろうか。。などと、想像しながらだ。町田康さんの著作は8割方読んでいるが、この長編の前に2作発表されている。それは、忙しくしていて、読んでいないので続いて読もうと思っている。告白 (中公文庫) [ 町田康 ]宿屋めぐり (講談社文庫) [ 町田康 ]
2017年08月03日
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奥の部屋の廊下側にかけてあった日本画が経年の汚れと破損で処分と決めて、下に持って来て、その運搬中に裏紙が破れて、、下から出てきたのが・・。コレ。しばらく見入った。
2017年07月14日
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昨日は、中学校の同窓会!だった。もうすでに、卒業して、55年、なので、学校の名前、も写真に出ているがいいでしょう。遅れて参加はあたしだけだった。北は北海道から、南は九州まで、全国から参集。幹事さん大変でした。60人近い参加者。3組のこさんとは、メールででは、あした、とか言いあっていて、(あたしは4組)(笑)数名が、ゆきこのお墓参りして、参加と言う事で、遅れる人居るかと思ってたがあたしが行った時はもう会計もおらずポツンとあたしの名札だけが受付テーブルにあった。とにかく騒がしい。結構です。(お料理食べるヒマがない、仲居さんも大変)こういう類の会には参加しないと言われる方も多い。それなりの訳があるのだろう。あたしは、。父母が亡くなり、弟が亡くなり、この核家族自体が、割りと孤立していた事もありいるはずの従兄弟もだれ一人知らないし、孤独であるので同窓会は出たい方だ。昨日は、生徒であった我らが古希になりあがる?年度、ということで、幹事さん達も気合が入った。懐かしい先生も来て下さっていた。生徒の方は、、沢山集まったので、初めて見る顔も多かった(笑)思わず、はじめまして、と御挨拶したいような方の方が多かった。はじめましてじゃないけど、覚えていないから(誰だったか)はじめましてなんだ。任意によその宴会場の同年代の人間が名札さえ付ければ入る事が出来るだろう。アタマの隅っこの上の方に、しかし、かすかに、記憶の糸の端がある。そのくらい、かすかな光だ。ただ、目を見て話し、声を聞いていると、初対面の人同士の会話で無くずばずばと、親しい物同士の会話になっていく。お互い、入りこむのを許し合うわけだ。そこが、快感と言えば言える。楽しい。55年目でようやく再会の人も多かった。半分くらいは分かった。(笑)女の子が、。。。分かりにくかった。(笑)大病し、生還した方も居る。透析中で、2次会だけ参加も居た。介護中の方も、、これは居る、、なんてもんじゃなく、殆ど、と言っていいか何らかの介護問題を抱えている、、と実感の我ら団塊世代であった。中に、、妻を介護中、の夫さんがあたしの会話の中では2名いた。聞いて、大変だと腰が抜ける。自分の健康状態も、同じ年齢なので前提として話すから、よく分かりあえるし、。。最後に、校歌を歌って、お開き。歌詞が配られていた。歌えば、歌える程度。。50年以上の時間の経過、ってこんな感じなんだ。そう言えば、、去年の3月に高校卒業50年、の同窓会があったなー。。ウチも広くキレイにしたし、同窓会、しようかな??と思った夕方。2次会を先に失礼し、石橋商店街を一人で歩く。もう、だめだなー。。感傷がきつすぎ。。65年前から同じ場所にあるところ。。体の弱かった母の代わりに小学校中学年~よくお使いに来ていたところ。この日は、電車で現地まで来た。午前中は、アンサンブルの稽古だった。夕方は、8日のライブの音合わせ。というわけで、本当に慌ただしい一日だった。あすくらい、、どっと疲れが出るのでしょう。
2017年07月02日
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過日、この包装紙の画像を、「志満秀」さんに送った。早速、お返事が来て、。送って下さった。頂く。(笑)美味しかった!!こういう交流は本当に楽しい。クアトロえびチーズ バラエティー セット(海老煎餅本舗 志満秀 エビせん)(QU-10) / せんべい チーズ えびせん しまひで 志ま秀 海老 煎餅 和菓子 詰め合わせ スイーツ お祝い お礼 ご挨拶 内祝い 敬老の日 お中元 お歳暮【楽ギフ_えびとチーズの専門店 しまひであたしは、ゴルゴンゾーラとハニーのが好きなんだ。ご馳走様でした!丁度、急な来客で本当に有り難かった。ランチは、近くの「あすか農房」へ。たさんご夫妻のご紹介。ランチは、750円と、950円。いずれも、黒豆スープ付き。初めて行ったので、950円のにした。大満足。メチャ地元なので、中華の竹海に続き、我が家の外食メンバーになりそう。。ほくんが来たのであるが、ほ君は、あたしの同級生。今度の同窓会の幹事でもある。昔話に花が咲くのだが、今の話の方が満開だった。それが素敵な事。
2017年06月16日
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額縁関連のお商売が、最近はとんと、不景気だと言う。需給のミスマッチもあるだろうし、零細小売業者の高齢化もあるだろう。ま、そんなこんなで、今回、我が家の壁をすっかり漆喰にして、かねてより掛けたかった作品群(自分のばかりじゃなくて)をしつらえにかかる。ところが、この、額(またはアートパネル?)関連の修理ややり直し、新規制作、、、まったく、道がなく、途方に暮れていたところ、同じ市内にサポートして下さる業者さんがいる事が分かった。ところが、常時店を開けているわけじゃない事も分かった。ようやく、アポ取りして、昨日出向く。一つは、「志満秀」(しまひで)(えびせんのさるお店の包装紙!)の数十年前のもの。たたみジワが気になり数十年経過(笑)どうしても、アイロン掛けたくなり、やり直す事にした。今一つは、自分の作品(書)。これは、暖簾の上にあわせて掲げていたが本格的にパネルにしようと思っていた。ややこしい仕事には変わりない。にもかかわらず、ご親切に、ご対応下さり、また、今の住まいの前の居住者の方と、お知り合いという事も分かり、長話。だった。写真のグラフィックの作品は、自分でパネルにした。作者はヨーロッパの人。グラフィックの下は、あたしのアカデミーの修了証書。へその緒みたいなもの。ったく、自分は干からびた人間だ、と思うが、捨てられない。額にして掛けようと思う事、これは、、余りよくないなー、、と思いながら掛ける。(笑)一番下のは、山本善一郎さんの。化石シリーズ、銅版画。いつかの個展でいただいたもの。まだまだあるが、突破口が出来て本当に嬉しかった。隣家との境界付近のややこしい草刈りをたさんにお願いし、スッキリした。これとて、本当にホッとした。庭の片付けの予約が取れて、来週、庭のジプシーさんが来てくれる。これも、長い間待っていたのでうれしい。2階の漆喰塗りの工事が、いよいよ始まる事になった。これも、中旬開始、と返事が来る。もつれた糸がほどけたようになり、あたしも、でれとなり、昨夜は早々にやすみ、10時間以上寝てしまった。。長時間睡眠も、いつまで出来るだろうか。。。そんな年齢だ。
2017年06月09日
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昨日のお昼どきは、見学を兼ねてランチに。というのが、、夫、毎年旧交を温めるのに伊豆方面に出かけていたが、今年は、夫の移動が大変だということで、メンバー全員がこちらに来て下さる事になった。ので。受入側としては、計画を立てねばならず、従来、5人様位まではお泊まり頂くという方式でやってきたが、(食事もこみ)状況が変わってちょっとあたしがしんどいでしょうということになり、夕食入浴を外でしてもらおうと思った。若いころ、冬季には、穂高に籠って半年近く下りて来ないという生活を皆でしていたようで、結束の程度が通常の同窓会とは違う雰囲気だ。普通の登山者の山を降りるときに置いて行く食材は、貴重な食料であったようだ。。とかとか。。(詳しくはあたしは専門でないので知らんが、。)夫は、隊の会計であった。(写真をみたことがある)ヒマラヤか、カンチェンジェンガか、何だかそういう所に行く事になって冬季に富士山で訓練中、夫が体調不良で、入院し、その時に彼の心臓に問題があること分かりドクターストップになって、彼だけがドロップアウト。メンバーの中には今もネパールと往復の日々のえらいさんもおられるとの事。皆、ほぼリタイア組である。(ヒマ!)正直、うらやましい。こういう事があるなんて・・。あたしは、デンマークのアカデミーか。。遠いなあ・・。でだ。日程から旅程から、おもてなし手はずから、、考えると言うわけだ。夏の終わりに実行となった。これで、しばらく、彼の玩具が出来たので、生き延びるだろう(笑)。大きいだけで古い住宅だが、ねそべって夜通し語り合う、ってのもよいかもだ。もちろん、素泊まり?になるわけだが・・。今日は良い天気なので、それと図書館が再開するし、図書カードを夫に作ってもらおうと連れて行こうと思っている。犬、、が散歩の催促。行きましょうねー!!
2017年05月27日
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朝から、プリンターを使おうとして、黄色が無くなったと表示された。黒だと他の色でなんとか、と出来るが黄色はダメらしい。で、調達に。マゼンダもヤバかったので、近くのスーパーで買おうとすると、高いんだねー。。EPSON インクジェットプリンター カラリオ EP-808AW ホワイトのインク。単体で1500円以上する。セットだと、(6色)8000円、迷ったが、、田舎故と今回だけ、と思いセットを購入。いつもはネット。この、迷う時間が長かった。次いで、帰宅後お近くのたさんがほうれん草と九州のお土産を持って来て下さる。ちょっと気を使うタイプの方なので早速お菓子を届ける。ウチに来る時は、、ドアをバッと開けられるので驚くが、たさんちを訪問すると、ピンポン、して、そこでまず、どなた?ぼちぼちです。少しお待ちくださいませ。。で、玄関の引き戸が開く。ったく、分かってるんだったらそうして頂戴よ、と思う。クルマが車検なので、掃除にかかる。気が急く。荷物が来る。出荷用意。郵便速達が来て、それが、以前住まいしていた街のつさん、と言う方。長いお手紙だ。ところが、あたしの方が、記憶喪失になっていて、つさんが分からない。分からないかも?と思われたか、、(だって、ほぼ10年ぶり!)いろんな写真を同封されていた。(きっと、そうだ)詳細検討の結果、(笑)お顔を思い出した。思い出しても、そんなにお関わりがあった方ではないのに、。。覚えていて下さるのは有り難いことだ。また、速達で貰って、そのままだと放置してしまいかねないので早速お手紙を書く。鉛筆で。消しゴムが必要。手書きの文章など、本当に書かない日々だ。。お手紙書くと疲れるなー・・。他の家事買いもの近隣外交?などしているともう、すっかり疲れ果てて午睡。目が覚めて、ケアマネさんが・・。。今、会議中。あらら、日が暮れるわ。
2017年04月11日
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幸福への賭け佐守先生の講義で、使用したか?挿絵は美術家の当時助教授だった、松本先生。なつかすい。再読!ってあーた、半世紀ですぞ。。。たぶん、必修の教育衛生学だったと思う。
2017年04月09日
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それって、ちゃうでしょ。(違うでしょ)と、思ったので書く。一昨日だか、ある雑誌が手元に来た。有料だか無料だかもチェックしていない。当方には、無料で送って頂いている。写真がキレイなので、いつもみる。乳鉢の写真が美しかったので、記事に目を止めた。ある会社の誕生秘話?のようなことだ。その人の奥様の手が、ヒビあかぎれで冬季特にひどく、夫のその人が、必死でクリームを作り、その手に優しく塗ってあげた。奥様はその時、ただただ、頷くばかりで、無言であったと言う。広告である。会社の発端はこういうことだと。ヒビあかぎれでひどいなら、手伝ってあげなくちゃ。ちなみにこのあたし、いよいよ、今年からゴム手袋をする。老いたものよ・・。腕の所に面ファスナーがついていて、しっかり水が入らないようになっているのがお気に入りだ。去年までは、素手で洗い物をして、掃除をして、問題はなかったが、指先のがさつきがなかなか元に戻らず、心もざわついた。食器洗い機というものは、どうも、感覚的に合わないし、というのが・・食器によっては、あまりに機会洗いのところに置く、、ことさえ躊躇われるものがある。水道料金も、水の節約が出来ます!(食器洗い機)と言うけれど飯粒一つついただけの茶碗と、口をつけただけの湯のみと、ハンバーグを乗せて脂がついた皿と、フライパンの底を触りまくりの竹べらと、などが同時投入、同時仕上げ、ってのがどうもわからん。金彩の小皿もあれば、木製漆もあり、古い陶器もあり、すると、心配で夜も眠れぬ。(ウソ)ま、世代的な事もあるだろう。許せ。食器洗い機を使わなければ主婦にあらず、てな日がくるのだろうか。(笑)クリーム作ったやさしい男、これぞ感動せよ!女たちよ!って?なにそれ、と、思った事だった。
2017年03月26日
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【中古】 大蔵官僚の復讐 お笑い大蔵省極秘情報2 / テリー伊藤 / 飛鳥新社 [単行本]【メール便送料無料】【あす楽対応】これの1、は、タイトル極秘情報となっている。テリー伊藤さんとのインタビュー形式で、話は進む。そのなかで、こういうシステムは、、30年くらいしないと変わらない?かしらね、とテリーさんが聞いて登場している大蔵官僚は、即、いや、300年でもだめだね。と答えている。あたしの父は、地方公務員であった。お市の教育委員会事務局が勤め先。当時、婦人教育課、というのがあって、課長がM課長、女性である。父は係長。その時の話。こういうことを子供に話して、またその子供が(あたしのこと)覚えてる、っちゅうのもなんだが。(笑)ある案件の予算が通らず、か、動きたいが動けないか、ま、とにかく困った事があった。その婦人教育課で。M課長は、ある女子大でM首相の奥様と同級生。M課長が首相の奥様に電話をして少し後、父が東京に出向き、むにゃむにゃ・・。「イッパツやった。」と、父は驚いたとあたしに話した。(この事が半世紀以上前の事)この一発やった、というのは、したと言う意味でなく、だった。の関西弁。30年どころか、300年変わらないと中にいる人が確信するほどの組織なんである。50年位、どうってことない。変わっていないのである。
2017年03月25日
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【中古】 ドバラダ門 /山下洋輔(著者) 【中古】afb言いにくい事を先に言うが、著者の山下さん、お顔の認識を長い間(って、30年もだぞ)坂田明さんと差し替えていた。すみませぬ。(ではすまされぬぞ)。文中、彼の従兄弟(仏定住の理系学者さん)の言として、黙る建築、話す建築、歌う建築、の話が出てきた。そう、建築は歌わないと。なんであるが。歌い過ぎ、もよくないし、建築の外からの見た目、そして、内部。(例えば、、欧州の教会の、それを想像して下され)その両方にそれらは、求められる。歌う建築、と言っても理想は同じ歌ではつまらない。(そう言う建築がよくある)人との関係において、その人なりの音楽、音がなければならん。それも、不快ではない方。存在がそこにある限りは、全くの無音、はありえない。あたしは、やはり、特定の音の連なりをインテリアデザインする時に想定する。古典であるか、現代音楽か、はたまたリピートか、重音か単音か、。。などなど。その音は吸収される局面か、拡散拡大なのか・・。古民家をしてみて思うのは、歌うより、語る場合もありだな。ということ。話す、のではなく、語る。音でか、声でか、それは分からないし、音なしかも。(笑)局面局面で違うような、我が家の場合はその流れ、、みたいなものでドラマを作る必要も生じてくるので、作る方はそれなりに、苦労もあるし、これがまた、面白い。脚本を書くような感じ。さて、本の整理して、掘りだしたこの、ドバラダ門。厚さが4センチくらいあって、読み応え満載である。図書館通いは、家が落ち着いてからと決めたのでもうしばらく、掘り出し物を探すとする。ひょっとして、、厚さと忙しさで、途中までしか読んでいなかったかもだ。黙る、話す、歌う、などの印象的な事が出てきたら、、こちとら専門なので覚えているはずであるが・・。ま、たよんないことです。土曜のライブ。↓
2017年03月13日
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昭和43年、3月6日の夜、大阪のある場所には雪が降った。寒い日だった。現在は、大阪市立医療総合センターという組織になっている。桃山病院というところに母が入院していた。大阪府の北部の生家近くの病院からの転院で。確か、最寄駅は桃谷だった。環状線、。大阪駅から乗ると砲兵工廠跡がまだあった。泊まりの看護を、父と交代でしようと、言う事になったが、一度か二度してから、父が言うには、(当時2人部屋)となりのベッドの人がお嬢さんには無理です。と言われたと。どうもあたしは、夜中に何度か起きたりこまごまと母の世話をするにはまだ、子供過ぎて(当時19歳、学生)返ってお隣のベッドの方にご迷惑であったようだ。で、詳しくは忘れたが、父が勤め先の帰りに寄って、泊まって、仕事に行くと言う事を続けていたがやはり、疲れるらしくもうダメ、の時にあたしが病院に行ったんじゃなかったかしら。今の時代のように完全看護でなく、患者サイドで、付添いさんを頼むのが普通だったと思う。母は、10日に亡くなるのだが、その直前の6日はあたしが泊まった。窓から雪がしんしんと降るのが見えた。この風景は今も脳裏にとどまっている。毎年、思い出す事だ。亡くなった日は父の当番で、早朝、父からの電話で阪神高速をタクシーで飛ばし、弟と、かけつけたが間に合わなかった。沈丁花の花の香りも。自宅の庭に沈丁花が2-3株植わっていてお葬式の時にその香りが満ちていた。良い香りであるが、あたしには、悲しい香りだ。その数年前、あたしの虫歯を治療してくれていた叔父が、金のさし歯を一つ拵えてくれ、セット。上の奥歯の手前。その歯が、夕食の時に、外れた。50年以上、ついていたわけ。よく持ったのだろう。それで、なんだか、昔の事を思い出して。。。
2017年03月07日
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ながいこと、歌のレッスンをしてきてる。途切れ途切れにではあるが、。小学校のときの、コンクールに出るための練習はしんどかったが、コーラスが好きになった。コーラスもいいけど、、と、個人レッスンを始めて、幾世霜。このたび、20年ぶりにかつての先生と再開。ご縁である。こないだ行って来た。せんせ、2月の11日に歌う事になったんです。で、何歌うの?それが、。。決まってなくて、聞いてもらってから決めようと、今日。と会話が始まり・・。先生は、自分を確立せよ!と。「おまえなあ、なにやっとんねん!うた歌いやったらこういう事はしたらあかんやろ。」よーするに中身はこの言葉。あたしは、曲の楽譜と名前を前もって出す、ということで楽譜のコピーを何か、と思ってた。その楽譜が自分の声の高さに合ってないと伴奏者に悪いとは思っていたのでそのものズバリの曲を探そうと思ってたわけ。曲を歌うのにまず、自分の声の高さがあるから、メロディーラインが分かれば違うキーの楽譜でもそれを見て歌う事はよくあるが最近は、iリアルプロ、などというアプリも出ていて、キーを半音ピッチで変えられるのでコードさえ聞こえていれば、ジャズヴォーカルの練習に不便はない。安易な練習のやり方に慣れてしまい、自分の楽譜、を作る事などすっかり忘れてしまっていて、。カラオケじゃないんだから、、。生身の人間があなたの歌に伴奏を付けてくれるのだからやはりここは、ちゃんとした方が、いいんじゃない?というわけ。ごもっとも。明日までに提出なんですよ。。もっとはよ言うといてくれたら・・。ちょっと待ってね。。と先生一時退席。別室に。あなたのキーで歌えるので、レパートリーの中で、今ここにあるオリジナル(楽譜、先生の)で、なんとかしようと言う事なんだろう。これなら、伴奏者に失礼でない。というわけ。うた歌いなら、行動規範!っちゅうもんがあるでしょう?そう言う事、ちゃんとしなさいね!と、言われたわけだ。へへん。うた歌いねー・・。(シンガー、ってわけです。もう、もう、おばあさんなのに。。時間は本当に厳しい。もしあなたが、お若ければ申し上げたい。今の時を大切に。)このボサノバでどうか。これあげるから、伴奏者の数だけコピーして、わたし。(なさい)有り難いお言葉。候補の曲ではないから、今度は楽譜を書く手間は省けたが歌そのものの練習をしないと。。だけど、昼間、工事中には、、できひんし・・。(笑)さてさて。本日、定休日なので、午後は、生コンなのでミュージアムにでも出かけようとおもとります。
2017年02月01日
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螺鈿の文箱の扉を修理に出しており、それが昨年末に出来上がってきた。今丁度、室内が混乱してちょっと開封には時間が欲しいと、舎林さんに連絡しておいて、昨夜、開封。昨年の夏に、文箱そのものを送りつけて(申し訳なかった)どんなもんでしょう。とお尋ねし、箱はもうダメでしょう・(まあ要するに修理代ばかりかかり結果は期待できない)とのことで、では、扉は、と聞くと、なんとか、、と言うお返事だったのでお願いしていた。それが傷つかず長い間そこにあった、、ような外観は目立たない修理の成果。感謝。額のようなものとして飾る事が出来ればそれでいいです。とお願いしていたように出来上がった。李朝のもののような気がする。江戸時代くらい。明治かも。祖母のものと思うが、。戦火をくぐり、戦後、あたしが生まれた時はすでにあったもの。これが修理出来たら、もう一つ小さいサイズのもので趣は全く違うが同じく文箱があるので、それを見てもらおうかと思っている。全く、個人的な感傷が動機で、(あたしには)大金を散財したが今の家には似合うと思っている。さて、どこに飾ろうかしら。なんとなく、一つのちょっとオサレなコレクションの内とか思っていたが力があるので、やはり、床かな??
2017年01月09日
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この階段、まっすぐ2階に上がっている。下の段5-6段が土間にはみ出す形になっている。階段右側は壁で(天井まで)この出っ張り部分の柱が構造に関係するかも、との予断で、それと、大工さんが難色を示したのとで越してきた際の階段室の改造を諦めた経緯がある。当初の計画はやめてと。。と、気持を納めて、、と、住んでいたが、夫はあまり関心がなく、あたしは、拘りを持ち続けていた。直線の階段は、事故が多い。だから、出来れば変えたい。しかし、、蹴上げ、踏みづら、ともに、まあまあの作りで、((あたし的には)もっと急なものはいくらでもみる事が出来るが、、)大工さんも嫌がるし、ムク材だし、、と、納得していた。しかし気にはなる。そう言う日常であった。今回、この出っ張りを解消する。その点は、喜ぶべき事である。夫の事故から一年経過。。去年の明日、悪夢が始まった。だから、複雑だ。余計な事を考えないでもいいから無我夢中に目前の始末を次々こなしている、、ってのも良いかもしれない。とにもかくにも、今日から、工事は始まる。それこそ、職人さん、関係者御一同様、施主も、事故無く無事に竣工まで(新築でないから竣工とは言わないかもしれないけど、気分はそんな感じ・笑)行く事が出来ますように。。今朝は、ガバと目が覚めたが、なんでかというと、、2階に衣料品がまとめてあり、大部分のセーター類が・・・まだ2階にあるので、それらを、おろしておかないと、、と、気がついたためである。今日から階段はしばらく使えない。キレイにして気がついたが、まっすぐの階段は、かつて、付け替えられている。前は、ここに付いていたのか??
2016年11月21日
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9月の8日に、隣の市の音楽教室に問い合わせして、ジャズヴォーカルのコースがあると知り、お試しはない。(普通はお試しレッスン、とかよくあるんだけど・・)5000円。60分。今月、空きの時間があるが来ますか?講師はボンビ柿本です。と、返事を貰った時、目を疑うわけだ。あたしの、ヴォーカルレッスンキャリアでは、外す事が出来ない人。なぜなら、最初の先生である。阪神大震災以前の話。ざっくり、20年以上前。ボンビ先生の前は、岸ミツアキ。もう、本当に、、有名人。彼には、奥様がヴォーカルと言う事で2回だけ、レッスンを受け、引っ越されると言う話で、終わったという経緯があって次が、ボンビ先生だった。再会のおめでたい記念品として、うううむ。ワインを持参。どんなレッスンだったかはすっかり忘れてるのでお会い出来るだけでも良いや、と思い、出かける。思ったよりも近くであった。隣の市の中心よりは、随分こちらよりだったので、これなら、、また伺える!と、思った事だった。レッスンの課題曲など、どういう感じで進むのか全く分からなかったので手ぶらで行き、じゃあ、、と、選んだのが、My foolish heart.歌い始めて、胸が一杯になり、殆ど泣きかけ・・。グスン。でも、すぐ持ち直し、レッスンした。20年間のあたしの、ヴォーカル生活?が走馬灯の様・・。これは本当。しかし、同時に、時を経てもまだしつこく、ジャズが好きで歌い続けてきた、、ことに、感動を覚えつつ、、。こうなると、もう、どんなひどい事言われても感じないさ。ってか、動じないさ、、と、思っていた割には、、ちゃんと出来てる。みたいに、言って下さり、ホッとした。要するに、歌い手として、認めてくれると言うか、、。そんな感じ。ぐふへ。褒めてもらう事が、最近少なかったので、それも、良かった事である。来月も行けるといいなー・・♪♪私はしっかり覚えてたけど、先生の方は、うろ覚えだったようだ。ま、それはしょうがない事。教える側はそんなもんだし。実は、ご主人(ドラムス)も、来て下さっていた!感激だった。大阪の北の方の街に変わらずお住まいだ。。遠いのに・・。本当に、嬉しい再会だった。感謝!
2016年09月26日
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先日は、神戸まで電車で行く、ある予約をキャンセルした。犬が散歩中に足をねんざ?したため。獣医に行き、診てもらうと、その時だけのねんざ?ってのがあればまあそう言う事。のようで、今は普通。神戸に、、電車で、、定期的にはいけるか、、クルマでなければ、、。とか、考えていた事が他の用事でもあった。ジャズである。自分の稽古である。神戸は無理でも、三田、くらいまでであれば行けるんじゃないか。お座敷小唄♪を歌って(歌声広場)そう思った。(笑)月に一度でもやはり、後リズムの音楽をしないとダメだな・・。精神に良くない。(笑)そんな追い詰められた気持ちになった。この曲の間奏部分は洋風になっているから余計にテーマが和風を際立たせて、全体が醤油くさくなる。歌い継がれているという事は良い曲なんだろうけれど・・。手当たりしだいにネットで探して、あるところに問い合わせをした。ジャズのヴォーカルクラスって、ありませんか?お返事が来て、ボンビ柿本先生が来られてます。月一ですけど。お試し(無料)はありません。と。なつかしの、ボンビ先生・・。そう、あたしの、最初の本格的なジャズヴォーカルの先生がボンビ柿本(さん)であった!中津で習ってた。20年前くらい・・。あたしも、懲りない。(笑)忙しくなったか、物足りなかったからか、嫌になったからか、もう、全く記憶はない。ええこっちゃ。2回ほどは発表会はあった。今はなき、東洋ホテルで、である。 Teach me tonight を歌った。歌いはじめのところで、つまずいて、やり直しをした、、そう、思い出した。ボンビ先生のあと、池田の中澤音楽事務所に行ったなー。。池田に行ったという事は、、やはり、中津は遠かったのか。。中津のことは、今度お会いして聞いてみよう。何か分かるかもしれない。(なぜ、やめたか)先生にお会いして、それから決めれば良い。(何か思い出して、そうやった、だから続けなかったんだ、、とか、・笑)でも、会いたい。ので、予約を入れた。原因を思い出したとしても、状況は変わっているから彼女にまた教えてもらうのはOKになっているかもだし。今月中には、会えるのだ。お会いして、正確に何年振りか、割り出したい。(笑)驚いたし、嬉しかった事だ。覚えていて下さるだろうか・・。
2016年09月09日
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あたしの、中学時代の体育の先生が、もう、90歳に近いが、御健勝で、隣の町におられる。だから、時々、スーパーで会う。「お元気ですか?」「あら、あなたなのね」と、奥様が決まって御挨拶。奥様も先生を通した方だ。日本で最初の女性校長である。彼女と、この間、家事談義をして、午後5時になったら、炊飯器のスイッチ!というので、思わず同じ動作をしてしまい、大笑いした。ぼちぼちさん、意外だね。と言われた。え?なんで?と聞くと、、いやー、、あのー、、もっと、、むにゃむにゃ・・。わかりますよ。もっと、パッパラパー、だと思っていたんでしょ?チッチッチ。それがちゃいますねん。午後5時、スイッチピ!の人なんでございます。先生の奥様は、おうちの歳時記をこまめに作っておられ、(これはもう、かなわない)すごい量の手描きの、手書きの、冊子である。もう少しあたしが若ければ、、そして、ITも得意であればご本にして差し上げたいくらいに、充実してる。1月1日~12月31日までの、だいどこの事を覚書しておられる。長男の嫁だったけれど、職業婦人(昔の言い方)だったので、すこしでも、嫁いできた家のやり方を会得したかったのよ。おお、嫁の鏡!田舎暮らし始めて、実際にどうこう言うわけじゃないが大いに、気持としては助かっている。こないだ、娘が帰省し、小学校の同窓会に出かけた。都会に、である。興奮して帰宅した、その原因は、当時のし先生が、我が街の役場に今もお勤めで、あたしたちの住んでいる隣保もよくよく御存じ・・だそうで、。そりゃあ、驚くと思う。数十年ぶりに会った恩師が、自分の親の越した先のお向かいの方のお名前やらをすらすら話すなんてね・・。聞くと、どうも、し先生のご実家が隣の市らしいのだ。一度、伺いますよ、(あたしたちのところへ)と、言って下さったとかで。。まあ、そりゃあ、来て下さっても大歓迎ではあるが、お顔、、は覚えているが、時間が立ち過ぎ!なんと、今朝の犬の散歩で一緒したなさんが、散歩の道すがら、ところで、し先生、御存じ?と来た。。。。なんでまた。こないだ、ウチによってくらはって、ぼちぼちさんのこと、聞いとってんやに。(こちらの方言)=きいておられたわよ=のけぞる。聞けば、なさんと同じ職場(近所の小学校)であり、今もメル友、なんだそうで。。なさんはウチのはす向かいのお家。ありゃりゃ。。。あまり、信心深い方ではないが、、何か、、守られてるなー、という感じがした。
2016年09月07日
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【送料無料】 精神と世間と虚偽 混迷の時代に知っておきたい本 / 山本七平 ヤマモトシチヘイ 【単行本】読み始める。1タイトルにつき、一冊の本、冒頭に本の名前と著者(生年ー没年(あれば))。3タイトル位読んで、判明。いかに、日ごろ漫然とただ読む、読み始めるかが、分かる。(笑)これは、蔵書にしたい本である。著者の経験や、考え方を、この本の著者があーでもないこーでもないと率直に語り、その世界を読者であるあたしが体験する。という具合になっている。先日の内田先生のブログでも、同じ事が書いてあった。あたしの、遠縁に当たる叔母の一人が、この細雪のモデルになった4姉妹の一人と友人であったので、(その当人と一度会っている)夏になると終戦の記念日があるからか、単に暑くて行動しなくて、じっとしているからか、戦死した叔父二人の事があるからか、昔の事を思い出すので・・。おば、と言っても、世代としてはあたしと同じ。それぞれ、の祖母が姉妹である。ところが、あたしの母と、年齢が違わない。あたしの母が、47歳で亡くなり、19歳で母無し子になったあたしを結婚するまで、してからも、なにくれとなく、面倒を見てくれた、、見守っていてくれた人なのである。その叔母も、亡くなって久しい。そうだな、、ここに書いておこうか、、20年くらい前だな。。(叔母のトピックとしては、新婚旅行に欧州に行き、あの飛行船ヒンデンブルグ号に乗った事がありますと、NHKの「私の秘密」に彼女の夫と共に出演している!)細雪のモデルになった彼女と同じ清水谷(女学校)であった。あたしの母は、大手前(女学校・当時)だった。母の写真で強烈に覚えているのは、豹の毛皮のコートを着て人力車に乗って校門の前で写している写真だ。その写真はもう無いが・・。あの小説の中に書かれている暮らし、、はあたしの親の世代のリアルな生活、そのもの。しかし、それは、ごく一部のお金持ちの暮らしであったのだと、もう、随分大人になってから知るのである。もちろん、あたしは、戦後に生まれて、戦争そのものを知らないし、父は、あたしが小学校3年か4年の時に、公務員になっているので戦後のサラリーマン家庭の子として、大きくなっている。。(と思っているが、少々違うかも?)親の世代は、戦争を経ているから、辛苦の多い時期の事をあまり言わずに他界する。そんな気がいつもする夏である。立秋とともに、夜明けも夕暮れも少しづつ遅く、早くなり、秋が近くなる。
2016年08月11日
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1973年の夏に、欧州旅行をして、その後、デンマークのコペンハーゲンに入り、王立アカデミーに、願書を出して、合否を待つ間、観光客して、コペンハーゲンの駅前のチボリに行った。外国人観光客もいたけど、デンマーク人も多かった。現地の人たちの方が多かったのではないか。子供たちも沢山いた。混雑、という感じである。今は2016年だから、43年前だ。入口に近いところで、小学生?くらいの団体が煩い位ににぎやかな話し声と共に向こうからやってきた。10歳に満たぬ位の年頃、総勢20人くらい。なにやら、手押し車のようなものを囲んで、それとともに移動している。何を運んでるのかしら、と、思った。あたしは立ち止まった。その車は、大八車の小さいような感じで、木製である。引くもの、押すもの、周りに手を添えるもの、と、蟻が荷物を運ぶように車とともに、移動している。音が、ガタガタ優しく響き、子供たちの話声と、幸せそうな笑顔の集まりがゆっくり移動して、あたしの目の前を通る。一体、遊園地に何を運んで来たのか、不思議に思い、中を見た。毛布のようなブランケットが見える。しかし、よく見えない。当然、当時だってあたしは大人の背丈なので、覗きこんだ。人が、、いたのである。子供だ。しかし、よく分からない。とっさに、体が不自由で歩けない子どもなんだと分かった。座っていないで、寝ているので、ブランケットのカタマリの中に人がいるらしい、、くらいにしか分からなかったが、その時、全てが分かった。と、感じた。彼らは、中の子供(同級生?)に話しかけ、クルマを押して、手を差し伸べ、笑顔でワイワイやりながら、チボリに来たのである。遠足か、課外活動か、。。子供たちだけで運んでいた。学校内での様子も、彼らの交流も、友情も、愛情も、大人たちの態度も、そして、チボリも、社会の中で障がい者がどのように、生きていくのかが、、この国、デンマークの態度なんだと・・、そう言う事ごとが一瞬にして明らかになった。あたしにとっての、強烈な思い出である。今になってもその光景は深く脳裏に刻まれている。自分が生きてきて、今68歳になりここに居るわけだが、事あるごと、、(つまりいろんな経験や、見聞きすること)に、思い出す事だ。
2016年07月30日
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今日から、7月。去年の11月22日まで、あたしは、毎日2003年~ブログ更新。そして、これからは、そうしない、いや、出来ない、、と、同月23日か、24日、25日あたりに書いた。今までも、そしてこれからも、まあ、、変わらぬ暮らしがあるだろうと、思って、、いや、思っていたのでない、、変わるとは、思わなかっただけのこと。それが、変わる。変わらざるを得ない。気持も揺れたし、ショックだったし、このトシ、、と負けごとを言いたくないが、このトシ、である。(今68)もう、ブログは書けないかもと、思った。それがどうですか、この体たらく。(笑)ほぼ毎日に、(復帰に、)半年はかかったが、また、毎日書くじゃないか。このヒトは。(って、あたしのこと)夫、命もいっときは危ないほどの大怪我だったので、まだ入院中です。身体の形も、機能も、不自由さを抱えて、自宅に帰ってくる予定。おヒトさんのオウチの設計はもう、いい加減にして自分の好きなように、自分が思いのたけを、自宅で、やりたい(インテリア)と、この、古商家に越して来たが、やりたいように、、など、結局はできひんのだ。と、短絡に言ってしまうと、ちょっと違うけれど。その時その時の財布の状況とか、人間関係とか、自分の事、と言ってもいろいろあって。。まあ、基本、バンカラであるので、希望通りでなければ地べたでもいいのさ、。みたいな拘りが普通でないから、、気に入るようにしようと思うと、とてつもなく、費用がかさむのだろう・・。(わかります?この理屈)さりとて、出来ない事に、悲しんだりはしないけれど。。今回、自分へのミッションは、古民家バリアフリー化、ってのである。それまでは、、古民家、内部完全現代住宅、ってのであった。急きょ路線変更で、あわててプランした。住みながら改築、ってわけ。なので、工事の段取りを緻密に計画しないとだ。たとえば、、今回、床材をこちらで用意するつもりなので、(石かタイルか、まだ迷う・・)その、材料の置き場所の確保さえ、発注日時さえ、気をつけて動かないといけない。なんせ、1500キロもの、材料だ。片付けも、一人で納屋から2階から、夫婦書斎まで、捨てる!を基準にさらえないと、工事は出来ない。ゆうべは、犬に、「おかあさん、がんばったよねー。思わない?」とか、言ってた。実際、道側にクルマ寄せを敷地内に作ろうと思うと、家を「減築」しないといけないから、。昨夜、在庫商品倉庫を触りだした。これは、階段室になるので、収納をこまめに押さえて、商品などを収めるつもり。もう、いつまでも、シゴト、、出来ないだろうなー・・。しかし、このフェイドアウトのやり方は、あたしは気に入ってる。静かに、、、退場、、、みたいな。。過日書いたように、そろそろお手上げして、助けてもらおうと建築士と打ち合わせをする事にした。今月からまた、家の課題が動き出す。ウレシイ。
2016年07月01日
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昨日の日記にご登場の、昔の知己、(今は亡き人)原田宿命(さだめ)さん。おさん曰く、(アンサンブルの練習で)上手いと叱られるんです。と。即、あたしは彼女の日ごろの言動や、書いた本や、思い出から、・・沢山の記憶・・音楽に対しての態度(好ましいんだよ)を理解した。謎が解けた。とでも言うべきか・・。2002年に亡くなっているので、すでに空白は14年にも及ぶが・・。日ごろの彼女の行動と、社会的評価と、あたしの感想が、どうも、、一致しなかったから。すごいんだ。ただ、それだけを感じた。あまりに気持がちゃんと収まったので娘にも伝えたら、、そうそう、そう言えば、、、よく怒られたはったね・・。「あなたねー・・」と。。下手で怒られるのが普通である。そこが、、良いなー・・。(もちろん、教える側の嫉妬心?のような事もあろうが…それを超えても)とにかく、打ち出したい事、表現したい事が、明確である。というのは大切であるが、ヒトは、往々にして、状況が変わったとか、気持が変化したとか様々な理由づけによりおもねる事をしてしまう。彼女(さだめさん)はやはり、大きな人である。
2016年06月22日
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感動的。ちなみに、大八車の車輪を修理した。後は、欠けたりしてない。。ようだが。。
2016年06月03日
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亡き母が、、あたしに用意してくれた最初のお雛様はこれの倍ほど(なので、体積は8倍)の丈の木目込みのお雛様であった。あたしが小学校の頃、、骨董商を始めて、その、お雛様をおそらく、売ったのだと思う。。当時、母屋の隣の小さい家に引っ越したから。(母屋を貸した)その罪滅ぼしというのか、、このお雛様をある時、持って帰った?のだと思う。あまりに昔の事なので忘れたが、気がつくと、そこにあった。って、、感じ。実家には、父が亡くなってから、自分の部屋に入り、(一度も足を踏み入れなかった)弟ととにかく、、幾分のものを持ち出して、その時にこれも一緒に持って出た。しまったままで、娘が生まれて、夫の母がお雛様をプレゼントしてくれて、それも、木目込みだが、お内裏様のシンプルなセットである。しかし、大きい。娘にまた、娘が生まれて、そのお内裏様を送った。ので、この小さなセットはウチに置いたままであった。こうして、並べてみると、やっぱ、ようほりませんわ。(捨てられません)四角のお盆は、桑の木の塗りである。何かに使えそうなくらい丁寧な仕事である。螺鈿の文庫を荷づくりした。更に!!その奥に、小さな文庫があるじゃん。。忘れてた。。これは、この文庫の修繕の見積もりが出てから考えよう。とめどなく、腹が減る。
2016年05月31日
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文房具。決してもう、使わないが、亡き父が「おまえにやる」と言ったからとか。対数定規!(笑)豚皮のケース入り。また、設計用三角定規。長さ5センチ、ポケットに入れる用、通常のは大きいの2本、小さいのは3本ある。雲形定規、一揃え。そして、自在定規。更に、書くもの。短い鉛筆。(笑)長い鉛筆。インク形式のもの。(これは簡単)ハサミ。20個はある。ジグザグはいいとして、、。箱入りはいいとして、キッチン用はいいとして、さて、小さいもの。ま、容量が少ないから平たい箱にまとめた。ゼムピン、ヘアピン、ネジ類。。金属ゴミ。昨日した事は、銀製のアクセサリーだけ選んで、後は捨てる。燃えると思われるものも捨てる。しかしゴミ袋は一向に溜まらない。当たり前。細かいものをいじったのは、実はその時、ピンセットを探しておったからである。ところが、毛抜き、までは出てくるが、ピンセットが無いのだ。あるはずあるはずと、、探すがないのである。分別出来たが、ないのである。結局、買いに走った。なぜか、石を触るためだ。本当に消耗したが、一晩考えて、、石ケースの入れ替えはやめにして、(この考えに到達するまで、一週間かかった、本当におバカである)収納形態を平たくすれば良い。と、いうことにした。長い間のコレクションなので、全ての石がそれぞれの買った時に入れてもらったケースに入っており、大きさがいろいろで、ダレスバッグに入れてあった。これでは、貸金庫に入らない。で、数十個用のルースケースに入れ替えようと思ったのである。こうなると、厚さが数センチとなるのでいいわけだ。一つづつ、ケースから出して、小さいケースに入れ替えようと思うと、カラットを計り、シールに種類とそれを記入して貼り、と、機械的に進むはずなんだが、元来、石オタクであるので、眺めてふむふむ、と鑑賞して、鑑賞しているうちに幾らくらいするのかしらとネットで検索し始めると、ネットの森に入ってしまい、・・と、キリが無い。掘り出し物だと思ったのなどは、買うときにカラットとか気にせず買うので例えば、パライバトルマリンなど、今はメチャ高である。うひひ。ゴマ一粒が大きく見える位に小さいのでもしっかり一人前の値段がつくのだ。昨日は、ルビー、で、引っかかった。このルビーは良いもので、ペアである。鑑別書とか一切ない。流通させるためには作らないとダメだ。(それとて、懸案事項だが)まだ店をしていた時に業者と見せ合い?をして、その業者が涎を垂らした。売って欲しい。と。あたしの買った値段の3倍出す!とか言って・・。。。そんなこと思い出してネットで調べた。ふうむ。やはり、あの時言い値で売らなくて良かった。とは思うが。。。さりとて、持っていてもなんだかなー。もう、作ろうとは思わないし。。もっと、金やプラチナが安くならないとなー。。もう、安くならないのかな―。。こないだ、スピネルの大部分は預けたが、まだ少し残っている。石が好き、と言う事で、商売をしている合間に、鉱物ショーとか宝飾展に通い、広い体育館のような所で石ばかり見て一日過ごし、抱きしめた予算数万から赤字にならぬよう、今日はどれを買おうかと、楽しく過ごした。外国の人たちとも仲良くなったし、あたしの買い方などお遊びだと言う事は分かりつつ、、しかしあたしのお財布事情はそんな程度であったし。それでいいのだけれど。石の思い出は尽きない。これこそが、財産なのかも・・。今日は絶対、貸金庫に行く!!
2016年05月18日
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全く、忘却のしまい忘れ(ヘンではあるが感じは出ている・笑)の箪笥があって、その中からこれが出てきた。着物の肌襦袢もあったが。他のものはウールものが多く、着ないものは手作りものも廃棄、残りを洗濯収納。この箪笥は、4段を2段にカットして、堺の家具留さんで、塗装をしてもらい、家具として使用していたが、開けにくいので、放置になっていた。不覚。あたしの祖母は、(調べた)明治9年(1876)生まれ、あたしが中2の時に86歳で亡くなっている。彼女がいろいろ着物を用意してくれた、、と想像するが敷地内同居であったから、亡き母が縫ったのかもしれないが、ダブルママ、(笑)による絽の着物だ。おはしょりと、袖上げをしてあったのは、着物の下に着る場合もあったのかもだね。部分ツヅクり、ほどきして、プレスした。破れはあるが、何かには出来そうなので、。それと、この柄があたしは大好きなので、捨てられない。この祖母、大いにワガママ娘であったらしく、長姉に、恋愛問題で、(親の決めた人との結婚で無く)髪の毛を引きずり回されて叱られた。=しかしその人と結婚し、離婚され、裁判し、養女となり、姓は、守った。(すごいね)この叱られた現場は、箕面の長姉の嫁ぎ先の座敷であったという。このお座敷のあったお屋敷には、子供のころ何度も遊びに行ったのでその時、そのエピソードを聞いたのを覚えている。エピソードは、小3~中1の間に聞いている。聞いた場所は当の御座敷ではないかも。母からではない。親類の高齢の人から。あら、あたしとしたことが、、余計な事を・・。
2016年05月09日
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デッサンを高校の時に、さる方に習った。夜の教室で、自宅から歩いて20分くらい、。通った中学の近くの川沿いのお家。先生は当時、二紀会に所属しておられた。2年間に足るかたらんか、。熱心になったのは後半の高3の秋ごろからか。。先生の大学を受ける事になってからだ。数学、物理が苦手で、学校の模試では550人中545位、とかそういう成績で、これでは・・。の程度。国立であったので、数理の科目もあって、とにかく受験。ウチウチの情報では??(って、もう時効だから言うと)デッサンは1位であったと。しかし、最低責任獲得点数が数学で不足し、結果、不合格となった。母は、あたしの不合格を喜び?知り合いのデザイナーの洋裁学校に早速入学手続きを始めようとした。しかし父が、大学には行かせたいと思っていたらしく、もう一年、(つまり浪人して)やってみるか、と言ってくれて、これまた、知り合いの予備校の校長先生に話をつけてくれた。この予備校にも試験があり、落ちたのであるが(笑)落第生ばかりのクラスも予備校だけあってちゃんと用意されており、そちらに入って、浪人生活が始まる。確か、クラスには70人くらいおったと思うが女子は2人、だけだった。この、もう一人の女子、ひさんとつるんで、過ごすわけだ。予備校の近くの染物屋さんのお嬢さんで、ミッション系の女子大に行かれたと記憶する。(彼女はクリスチャンであった)英数国の柱が中心であるが、あたしはカンカンに数学の勉強をした。それが証拠に、545位から、翌年は一ケタ位まで、席次は上がったのである。本人が言うので間違いは無い。(あったりして・笑)一年目に受けたのは当時のシステムで2期校、というのであったので、国立大だけが通学可能な条件であったから、同じ学校を受けるとしても、1期校を練習のために?受けておこうと言う事になり、本当に、ダメ元で、願書を提出した。それが証拠に(っておいおい)合格発表には出向いていない。当時は、新聞にも名前が載った。ゆきちゃん(友達)のお父さんが○ウリ新聞にお勤めで、彼女から、第一報がもたらされた。当時、あたしの高校では、一体何が起こったか、、としばらく噂になったらしい。担任の先生はあたしの報告を受けて失神したらしい。(ウソ)ああ、そんな事もあったんだと、犬の散歩途中、思い出してた。春だがや。
2016年04月11日
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映画 / コメディ / 青春ポイント10倍 / スパニッシュ・アパートメント / 洋画 / 送料無料 / DVD / 10P26Mar16すぐ、共同生活の場面で、ウェンディー、というイギリスの女の子が出てくるがアリソン(あたしのデンマーク時代の親しかった級友)にそっくりなので、ビックリした。言い方とかも本当にそっくりなんだもの。。ウレサンズコリゲ(学生寮)の事もまざまざと思い出して来たぞ。観続けるのがもったいない。ああ、どうしようか。。。。会話も、。バルセロナは、旅行で2回行ったけど、グエル公園も出てくるし、街が、、懐かしい。
2016年03月27日
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ってのは時々いる。幸いにして、あたしの遭遇する男性はそういう類で無い。読み進めておった、【楽天ブックスならいつでも送料無料】いまなぜ青山二郎なのか [ 白洲正子 ]であるが、。昨日はふたつのこと、やっぱそうか・・。と、納得共感。なので、気持がすっきりした。関係ないと言えば関係ない事なのでどうという事ではないが、いっぱし世間では大いに評価されている方々、中に、この人って、あんまし好きくない。と思ってそのままになっており(ってか当然なんだけどね)悪口の象限に入るからやはり伏字が良いか、、大○○○。かつて、朝日新聞第一面の和歌のコラム?だったか。一度は、直接投書をしたのを覚えている。なんちゅうやっちゃ!と、感じたので・・。著者は、ハッキリ書いている。なので、スッとした。もう一つは、ヒトではないが一種のムーブメント。民藝。これについては、言いだすとキリが無いが、著者のモノの見方を借りて本の中に入り込んで、じっくり読みこむと、、浮かび上がる。単純なあたしは、そうだよねー。白州さんもそう思っておられたんだ。と、大きなコックリして。世の中には、、浅い人間がメジャーなのである。かくいうあたしも、未知の分野では浅いのかもしれん。ただ、浅い間は、平和なのであるが・・。(何も考えないので)一歩中に踏み込んで、自分の価値観と照らし合わせて快感で無い場合は、ざらつくのである。それが、細かい粒子のならされた様に、切れの良い刃物でスパッと切った切り口のように平かに心がなると、とっても嬉しいのである。民藝をあがめたてまつるかつて数年同居した継母のことを、思い出したのである。もう、40年以上前になる。それでも、あたしの考えとは違う。と、その時思った事がまだ、心の中にあった。自分でも、しつこいやっちゃ(あたしの事)と思うが・・。昨日は見積もり、3社目にお願いした。どちらさまも、きっと、やりにくい事であろう。致し方ない。進むしかない。(ちなみに、民藝、初期の盛り上がりの時代のものは評価しております。ハイ)
2016年03月24日
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】古本屋月の輪書林 [ 高橋徹 ]と言えば、、あたしはこの人を思い出す。月の輪書林古書目録、ってのがおもろい、と坪内祐三さんが、論座で書いていたのを拾って、見てみたら。。。本当に面白かった。今も本棚のどこかにあるはずだ。。昔、東京に出たついでに、(月の輪書林)お店に行った。でも、閉っていて。それきりである。古書、ふるほん、と、古い本、は違う。先日の片づけで、本を片づける時間があって、今、その中の河合隼雄対話集 出版社 新潮社 著者・翻訳者 河合 隼雄 (著) 初版発行日 1995-01【中古】こころの声を聴く-河合隼雄対話集が見つかり、これを読む途中で、(ってこれ、、8000円もするの?ビックリだわ)【楽天ブックスならいつでも送料無料】いまなぜ青山二郎なのか [ 白洲正子 ]に興味を引かれ、白州正子さんのは幾冊か読んだがこれはまだであったから、屋上屋にて。彼女は赴くままにペンを走らせるので、難解である。ただ、青山二郎を描写しようとするとこういう事になるかも。なので、面白く拝読しています。
2016年03月23日
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なんせ、半世紀!インタビューも出来るだけ試みたが、やはり、50周年、が功を奏して、初めて来ました。が数名おられた。学年550名(^^;)中、66名。出席率12%。上出来じゃない??幹事さんお疲れ様でしたー。あ、写真の方は先生です。お元気で何より。男子が壇上に立つけど、だれが生徒か先生か・・♪ですぞ。わはは。
2016年03月07日
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正確には56分52秒。この災害で、災害医療チームが兵庫県に発足し、今日で21年になる。55日前、夫は、このシステムの一環のドクターヘリで病院に運ばれて一命を取り留める。このところ、あたしが、血圧高くなり(って、いつも低血圧なのでまさかと思っていたが、あまりに動悸が時により激しくなるので家庭用で計る)一時的にストレスによる高血圧と判断して、原因から遠ざかると下がるので、そうだと思うが・・。この2日間、病院に行かなかった。(笑)この月末に、いよいよ本格リハビリのためにちょっと遠くの病院に転院が決まった。この病院、満床状態が長く続いて、なかなか決まらなんだ。自分の運転で連れて行けるか行けないか、ドクターに聞こうと思っている。カリフラワーが霜焼けし、一部茶色になっちゃっているのを丁寧に取り除いて、茹でて、冷凍。まだ、半分しか出来ない。沢山あるので、ピクルスを作ろうと思っている。キャベツは子供たちに送ろうと思っている。メガネを替えて、青色光線シャットアウト?のコーティングをしたやつにしたので、(かどうか、、気分だけか?)気持、余り疲れない。ありがたい。ああ、21年か・・・。
2016年01月17日
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おやつタイムを待っているチャーリー。さて、さる郊外型デパートに先日出かけたのであるが、電車の駅を中心に開発されたモールとともに、賑やかしい場所だ。この駅の近くに25年住んでいた。離れて7年になる。地下駐車場含め、6層を皆見たのは、8年ぶりである。午前11時着。すでにこの時点で、地下1階のパーキングは満車。地下2階に進む。地下2階も、半分かそれ以上は埋まっている。すごい。御繁盛で、何より。一番奥の奥にエレベーターがあるので、そこまで進んで空きを探して駐車。子供服売り場の4階まで一気に上がる。明日からの旅行に際して、孫へ何か、と思っていたので探すため。子供服売り場の手前に、紳士服、靴、など売り場レイアウトは変わっていない。トイレの場所も、あたしは覚えていた。トイレの鏡で、自分を見ると、大変だ。初老婦人が一人、映っている。。。ああ。お店も変わらず、売り場も変わらず、トイレも床タイルの市松も変わらない。だけど、あたしは変わった。特に、髪の毛が伸びたなー・・。って、単に美容院に半年以上も行ってないからなんだけど。しょぼいし、ぼさい。これは、、やっぱ、セットだけじゃあ、ダメだな・・。明日、行こう。(と強く感じたので行ったんだけど)髪の毛だけじゃないよ。ほんまに、、おばあさんになっちゃってる。仕方が無い。生きているんだもの。着物だとごまかせるが、。着物はしんどいし。プレゼントの予算は、5000円くらいで。初めての定期演奏会に出演おめでとうなので、何か、。。値札を見る。上等。5000円以下のもの、、って?と探すがパスケースくらいしかないではないか。結局、6000円になったが、身に付けて欲しいものがあったので気に入ったし、それを購入。カードを出して、5%オフ。目的は果たしたので、お店観察に今度はエスカレーターで降りる。4階は、子供服売り場のほかは閑散としてるが、これは従来通り。紳士靴・スーツ売り場をはじめとして、スポーツ用品の売り場など、あまり、変化は見られない。3階の婦人服売り場。色が地味、高級なものという売り出し方だが、余り高級で無い。お客さんが、皆年寄り。これには、驚いた。スタッフが皆若い。昔は、、(笑)店員、客、は年齢まぜこじゃな様子があったと思うのに今は、店員ー若い、客―老人、とはっきり分かれている。じろじろ見たわけじゃないけど、客の服装が地味。売っている物も地味。だから、全体が沈んだ感じがした。客数は変わらないように思った。2階婦人服、洋品、婦人靴、化粧品、アクセサリー、。モールとの連絡通路もあるので、こちらは混んでいる。レジにも客が並ぶ。ハンカチ、ストッキングのレジ。場所も変わってない。置いてるモノの値段が、あたしには、高いけれど、少し上代が下がっている。次いで1階。こちらは、お歳暮コーナーが出来ていて、食器のバーゲンが始まっている。年来恒例である。12月の忘年会のプレゼント交換で、500円予算の何か洒落たもの、、無いかと思い、探す。北欧デザインの小物やさんがあったので、行ってみた。店員さんは親切で、予算が500円というオバサンのために一緒に探してくれたがコースター1枚とか、そんな感じ。結局無かったので、他のコーナーへ行き、適当に見つけて、購入。520円。これも、5%オフ。親子連れ、と言っても、子があたしくらいで、親は相当高齢、とお見受けするペアが多かった事。それと、一人でも出かけているが、歩行に支障がありそうな方、一見おいといなさそう。食品売り場にオジサンが奥様の後、あるいはとなりにひっついているペア、溢れている。高齢化、ひしひしと感じる。他の、スーパーを見てないから何とも言えないがやはり、デパートだけあって、値段が皆高い。田舎に移住して、本当に良かった、と、思った次第。年金暮らしには、とても無理な価格帯だ。こちらに暮らしていた時は、それを「高い」と思わずに生活が出来ていた事を遠い目で、思った。。当時のことを、有り難いと思い、今の事も有り難いと思う。
2015年11月21日
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この古墳は、5世紀初頭、と、随分昔だが、今回、県立考古博物館で企画展があって、12月6日まで。行きたいと思ったので、場所を調べたら、朝来ではなくて、南の方だった。現地だけにしておくか・・。個人的には、あたしは、このあたりは当時、出雲と深い関係にあったのではないかと思っているので。。同じ池田だが、昨日はこちら↓。シャドウボックス、というクラフト系のアートがある事は知っていた。しかし、これとて、個人的には、、ううん。なんだが、親しい友人が、この世界に入って行ったので、趣味じゃないと切るのも大人げない。一度は、行ってみて、それから判断すれば、との気持ちになり展覧会の場所が場所だけに出かける決心をして行ってきましたがな。出会う、と言う事を考えると、こないだは、あたしの参加する老人楽隊のコンサートに来てもらっているのだ。わざわざ。。。何かをキッカケに出会えれば、良いのである。そう考える事にした。(そして、それは、あたしにとっては大人になると言う事であった(笑))出会えてよかった。個展、など、長いことしてないので、羨ましくもあった。さて、その場所が場所だけに、、というのが、池田、なんである。の商店街なんである。本町商店街、北方向。そして、南方向。立ち位置から、右へ小道をはいると漢方薬局があって、そこで、「百草根」という濃い緑のいい香りのする粉体のものを買うのである。あたしが、10歳になるかならぬか、。母に頼まれて、石橋から電車に乗り、出かけてきた場所である。当時は、それを、水で溶いて、ペーストにして、布巾にのせて痛いところに湿布する。この手伝いもした。だから、このお薬の臭いは、今でも思い出す事が出来る。60年近くたってもだ。友人、この劇場にこないだ行ったのよ。面白かったし、キレイだった!と、言ってた・・。あたしは、そうなのよ。(あたしも)良く知っているの。と、答えたが、何で?と聞かれて、、どう答えて良いか分からず、ムニュムニュとなった。時々、拝見しているブログのおかげでね!ほほ!とにかく、行ってきました!前を通ったので。。道が広くなって整備されているので大いに驚いた次第。ここを真っ直ぐ川に向かい、希望通り、吾妻、でおうどんを食べた。
2015年11月20日
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平安の間の壁紙、、壁布なんだろう。タツム○のではないかしら?少し前に新聞記事をネットで見てなつかしい。ホテルオークラやんか。と、思って調べた。ほろ苦い思い出もある。正面玄関から、たった一人で靴を買いに走った。披露宴の日。母親が居ないとはこういうことかと心に沁みた。ただ、広かった事、スロープだった事、晴れていた事、夏だったか、秋の入り口だったか、風が涼しかったこと、ファザードの風景と共に思い出した。人生の一番華やかな日の孤独。甘ちゃんだけど、感傷的になった。暗くは無いが。今日まで胸にしまっていた事だ。その、玄関、、じゃなくて、ホテルオークラが建て替えをする。チャリティーだと言う。どれどれと調べて・・・。家具や椅子はオークション形式で販売される。鏡くらいしか、触手は動かないがもうすでに10万以上になっている。今のあたしには金額、ってのはとっても重要な要素なので、諦める。クッションは、受注制作で8000円~。早い者勝ちで売ります。とある。で、ホテルメンバー先行受付だと分かる。メンバーになった。(笑)(ああそうか、泊まりに行けばいいのだな。でも今回はもう、取ってしまったし。また機会があれば・・。)最初は、午後4時販売開始だったけど、後で見ると、午後6時になっている。こちらの見間違いかも。いろいろ準備して(買うときの手続き)会員番号も入手して、さて、5時59分。欲しい色は6時と同時にサイトで、クリック!限定50個。お一人様1個限り。買えましたー!ありがとう!
2015年11月05日
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【楽天ブックスならいつでも送料無料】「死に方」格差社会 [ ふけたかし ]と、【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】学者は語れない儲かる里山資本テクニック【電子書籍】[ 横石 知二 ]さすがに後者は、字が大きい。(笑)と、二十四節季の定型文言の本、とを借りてきた。今朝は、霜が降りた。さむ!昨日は、2002年か2003年に、さる方のお葬式で出会って以来の旧知のシゴト関連の方から、お久しぶり、と、ケイタイに電話がかかった。当時は、渋谷でお店をしてらした。現在、知らないが、西銀座、というところらしい。あたしより少しお年上、。彼女の電話の真意は、特定業界の情報である。しかしあたしはハズレだったようだ。すでに、石ころと化している。(笑)石ころの注意力など、取るには足らぬがそれでも石頭をフル回転させ言葉を選ぶ。久しぶりの頭の体操、シゴト編。今年も、後二ヶ月だ。。。
2015年11月01日
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亡き父は、30代の若いころ、YMCAで、働いていた。すなわち、あたしが、幼児のころである。交友関係に外国の方、それも、アメリカの方が多かった。中に、小さいな男の子2人の親である、バークレーさんと言う人が居て、クリスマスカードを毎年送ってきた。それは、白い厚い紙で、横型で二つ折り、開けると雪景色と、教会、道と家とかの風景で、雪の上には、細かいラメの粉が振ってあり、ノリで?ついているような凝ったものだった。メリークリスマス、の文字ももちろん横文字でそれにもラメがつけてあった。鐘のリボンにもついていた。キラキラ光るので、一日に何度も眺めた。あたしはすでに、3歳から、スキーに連れて行ってもらってたので、雪景色のキラキラ光る本物も見ていたがその、カードの雪景色の方が美しいと思ったものだ。バークレーさんの二人の息子さんと、大きなノルディック編みの靴下とのコンビの写真のカードも、届いた事があって、サンタさんが靴下にプレゼントを入れるんだと、教えてもらった。クリスマスイブには、父と、母が、サンタクロースの空飛ぶそりのベルの音が聴こえる!と、耳を澄まして御覧なさい。と言うのである。父母の友人も加担して、外で、ベルを鳴らすのである。というわけで、サンタさんを信じる大人が出来上がった。娘が、孫のハロウィンの衣装作りに余念がない。今年は、アリスの兎。に決めたと。ドンナ・ノービス・パーチェム。
2015年10月31日
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ロンドンには、2回行った。2回目は、アカデミーの同級生、バルデフと、ひろこ(夫婦になった)の店を探して行った。カーナビ―ストリートだったと思う。バルデフは、シーク教徒、ケニア生まれのイギリス国籍。見た目は、インドの人のよう。「アカデミー」と言う名前の(笑)衣料品店だった。高いものを置いている感じだった。娘の帽子を買う。あたしのバッグを買う。彼は、ベン○に乗ってた。ベルリンはタクシーもベン○だった時代。今もかどうかは知らない。シーク教徒は、アタマに白いターバンを巻いている人たち。が、多かった。ご婦人は、サリ―が多かった。というのが、。。何が何やら今となっては記憶がおぼろげになっているが、、。あたしたちが、15年振りにロンドンで再会した時、その翌日だったが、彼の住んでいる地区(ケニアン、じゃなく、インディアンテリトリー?)のある集会所のような所に、さる宗教の、とっても偉い人が来る。というので、誘われた。この時は、義母も一緒だった。超能力と言うか、なんというか、病気を治したり、アドヴァイスしたり、その人の前に出て、会話が出来る事がなかなか難しくまれな事でご利益があると言う。義母は、有色人種の外国の方をあまり良く思わないタイプだったから、(大正生まれじゃ、、無理ないか・・)バルデフが、ベン○に乗っているのをみて、小商いをする人に多いタイプだ、と、断定したので、あたしは、気分が悪かったのを覚えている。とにかく、あたし達は翌日、その集会に出かけて、一家全員、その聖人?の前に進み出て、会話をしたのを覚えている。当時、息子(中一)に、鼻の病気があった。その人は、息子の背中を撫でながら、大丈夫、良くなるし、立派に育つ。と言ってくれて、いろいろ悩みもあった時期だから、安心したのを覚えている。床は皆、白い綿布で覆われており、両側にはぎっしりと、インド系の人たちが混み合って並んでおられた。突き当りにその人が座っており、一列に並んで、真ん中の空いた通路を進んで行く。宗教的な行事は世界共通だなと、感じたのも覚えている。こないだ、ロンドンの下町の風景が突然、見たくなり、。【送料216円】【中古】DVD海外版 堕天使のパスポート Dirty Pretty Things Chiwetel Ejiofor
2015年09月27日
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場所は、小学校のグラウンド。最前列に4人並び、腕を組んで繋げる。その列を長くして、並ぶ。行進は、並足と駆け足の間くらいの速さで、ジグザグに。邪魔するものは無くても(実際何も障害物は無く、広いグラウンドにあたし達だけ)掛け声は、「あんぽ・はんたい、あんぽ・はんたい・・」あれから、55年も経ったのか。。。55年やでー・・。
2015年09月17日
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【送料無料選択可!】THE BRIDGE/ブリッジ DVD-BOX[DVD] / TVドラマ【送料無料選択可!】THE BRIDGE/ブリッジ シーズン2 DVD-BOX[DVD] / TVドラマシーズン1を見終った。(観終わったとすると読みにくいか?)シーズン2が出ている。観てみたい。ドラマの筋もさることながら、デンマークの風景がたまらん。あの空!懐かしい。あの言葉、、懐かしい。映像で簡単に観る事が出来、有り難いことだ。ここから東京くらいの距離であれば、何度も行きたい。犬と一緒に動く事が出来れば、なんとか実現するように考えるが、。。ザンネン。クルマで、ヨーロッパ大陸をウロウロしてみたいなー・・。そうだねー。。夢だねー。。昨日は、コペンハーゲンの中央駅が映ってた。電車は当時より、格段にモダンになっているけど、駅舎は変わってない。あの場所に、立ってみたいなー。。再度訪れてからもう、25年も経ってしまった・・。
2015年09月16日
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この写真を、蛇にお詳しい人に送り、種類は何でしょうか?と、聞いた。この、お詳しい人はあたしの知らない人であった。北海道の方だ。(最近は、追及しているテーマで律義に図鑑的にサイトを作っている方がいるので、どうかすると、専門機関より(博物館とか)詳しいし、みやすい事が多い)質問フォームのお行儀について書いてあり、その通りにすると、2日ほどでお返事が来て、。。ご推察の通り、ヤマカガシです。と。もちろん、なぜそう同定するのかも詳しくお書き下さり、。。毒蛇であることにも言及し、と、ご親切であった。ありがたかった。子供のころ、おてんばだったので、山や川を走り回ってたあたしとしては、生きものに特定の好き嫌いは無く、育った。蛇に対して特別の感情も無い。ただ、親がマムシに関しては心配していたので(夜のホタル狩りなどは、長靴をはくとか)知識はあったが、自分が遭遇する事は無かった。アオダイショウに、弟が咬まれたのは、小学校6年くらいの時だったかしら。足先にかぶりつかれておった。庭先だったと気憶するが・・。その蛇は長さが2メートル近くある大蛇であった。毒蛇ではないので、医者にも行かなかったのではないだろうか。殺しもしなかったと思う。シマ蛇は美しい縞があるのですぐ分かった。ヤマカガシ、という名前は父に教えてもらったんだろうか。。60年前当時、大阪府北部のヤマカガシは全体に茶色が濃かった。模様も無いような記憶しかない。これも毒蛇ではないと教えてもらってた。最近、猛毒を持つ蛇だと言う事が分かってきたらしい。(1990年に中学生が咬まれて亡くなり、それ以来研究が進んでいると聞いた)いや実際、、あたしは、野原でマムシ以外の毒蛇で無い蛇を見つけると男の子のように捕まえて首を持って、ブンブン回しをし、遠くへ放り投げておったのである。蛇は嫌われ者だが、家の守り神とも言う。お財布に皮を入れておくといいとも言う。蛇皮の財布は縁起が良いとも。。共存出来れば、それに越したことは無い。じゃあ、好きなんですか?と聞かれれば、、いえいえ、あまり・・・。と、答えるでしょう。うふ。写真の蛇は、本当に見た事がない模様であったので、。。
2015年08月31日
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来週の、初めに、いよいよ3台目のクルマが来る。同じ車種で、色が違う。今度はシロ。今までで一番高価。(笑)最初のは全焼、2番目は崖から転落で大破、こんどは、、。(笑)笑い事じゃなく、どうか、ご無事で。今までも本人は無事、クルマが・・。なんだけど、今度も、本人が無事の方が良いに決まってるが。(笑)今回は中古車取扱大手さんからの購入であるので、代車が上等だった。ご近所さんから、ええクルマになりましたね。と言われた位。いえいえ、あれは、、代車なんです。とか言って。自分のクルマがやってくるのはやはりそれでも嬉しいようだ。さて、お中元。夫はサラリーマンからリタイアして相当時間が過ぎたが、まだ、実は会社時代の取引先からお中元が来る。共働きで来たので、ってか、、常識欠如であったからか、夫に来た季節のご挨拶には、「このたびは結構なおんしな、ご恵贈賜り・・・」の、お礼状は、あたしは一度も出していない。幾度となく、御礼状、出した方が委員と茶宇野?あれ?とは進言したが、。。本来は本人じゃ?しないなら、妻が?知らんが。着いた、の連絡も無し。一切反応無し!でやって来ている。リタイアしてからも、同じ。お送り下さっている方がもし、この文章を見られたら(って、そんなことは万に一つもないが)この場をお借りして、御礼申します。ははのんきだね。あ、また来た。などと不遜な事は申しません。ジツニ・・有り難いのであります。まあ、普通は無いよね。とかは思うけれど・・。なぜ、そう言う事を書くかというと、会社時代の部下であった方々、引き続き、我が家にお越し下さるのであるが、決まって、昔話を、飲んで、するのだが、。その時、部長は怖かった。(夫の肩書き)恐ろしかった。と、。そして、未だに、会社内の人間関係の相談とか、。。ぐじぐじ男どもが夜更けにろれつの回らない言葉でやるのである。わしゃ、知らん。と、妻であるあたしは先に寝るのだが。。しかしある時、怖かった、との言葉を最初に聞いた時、さすがにこのあたしも、驚いて、え?今なんと言われました?と聞いたものだ。このオッサンが、怖い?って??怖かったんですよ。ホンマ。とのお答え。今でこそ、彼(夫の事)は、草刈りのアルバイトにおける人間関係、仕事の内容など、あたしに言ったりするのだが、会社時代は、それはもう、一切、妻には言わなかった人なのである。(妻ばかり集まる機会に、(あらゆる場合ご近所とか、仕事関係とか、友人とか)夫の事が話題になる時、何から何まで会社の事を話す夫さんもいる様だったからウチはどうなのかと思い)聞いた事もあるかもしれない。がしかし、言わなんだ。だから、何がどうなってるのかさっぱり知らず、分からず、あたしはあたしで、仕事をしておったわけで。夫婦の力関係は、見かけ、(と言っておこうか)妻が優位で、言葉カズ自体も、100対ゼロくらいで、喧嘩しても100対ゼロで、あたしの勝ち。口答えなどしようものなら、その100倍帰ってくるので、(笑)夫は黙ってしまい、。。とにかく、大人しい寡黙なオトコ。オッサン、。であったので。怖かった。などと、お若い方々から聞くと、どうしても、画像が一致しない。今でも。へー、この人が、、怖かった。。ねー。。へー。ってな感じで。おとーさん、クルマが新しくなって(中古だけど)も怪我の無いように、充分安全運転でね!
2015年08月21日
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先般、犬の予防注射をした。狂犬病の名前は、あまり頂けないが致し方なし。カードとか、鑑札とか貰った時に、誕生日が書いてあり、6月14日とあったので、?となって、たしか、5月19日じゃ?いつ個の誕生日が生じたか?などと。あたしが申告しないと書かれない訳だからちゃんと調べないとだな。誕生年が、平成16年?若すぎ?これも、勘違いでの申告か?第一、昭和○年は、25を足せば西暦になるが、平成○年は、全く頭に入っていない。とゆーわけで、一度はしておかなくては、と思っていた血統書をチェック。懐かしいシーりハムテリアのブリーダーさんの名前とか(伊勢志摩まで、もらいに行ったから・・)タイピングしてあって、さて、バースデー・・はと。2004年、とある。2004年は、平成・・・16年だ。(調べた)今年は平成・・まてよ。。27年だ。そうだ。2004年はNZに行った年だな。レンタカーは青い鳥だった。ミレニアム以来、まったく、平成と西暦が結びついて無い。あかん。ミレニアム以来、西暦が力を持ってきている。そうそう、誕生日。6月19日だ。書いておく。そのカードに。そして、血統書の入っている小ダンスに入れると。チャーリー、13歳でなく(思いこみ)11歳なんだねー。ごめんねー。若いねー。(笑)6月19日、お誕生日の写真。おほほ。
2015年07月05日
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今住むマチの姉妹都市は、米国のワラワラ市。ワシントン州の小さな市である。ホバート、という市が、オーストラリアタスマニア島にあって、ここも、小さな市である。この市は、大阪府池田市と姉妹都市だった。(今も?)あたしは、中2の時、この街に手紙を出し、留学したいと言った事があった。親には言わないで、手紙を出した。どなた宛であったかは忘れた。市長であったか?英文の手紙の書き方と言う本を買ってきて、対訳が書いてあるから、その文章の中で自分が使いたいと思うのを抜粋し、組み合わせ、長い手紙を完成させ、航空郵便の封筒に入れ、投函した。忘れたころではなく、ほどなく、、親が、そう言う事をしたか?と聞いてきた。両親の知るところとなったわけで、父親があたしに聞いた。出したよ。と返事をする。だって、そちらに伺いたい。と書いたのだもの。山の上に、父親の知人で、ライオンズクラブのメンバーで地区の代表で、という人がいるので、そちらに行って、話を聞くように、と、父が言った。そうか、成功したんだな。と、その時思った。大きなお屋敷の、応接間は本の臭いと、洋風の家独特の臭いとがした。応接間の大きな椅子にお爺さんが座っていて、(初対面)どうぞそちらに、おかけ下さい。ハイ。みたいに。長椅子に座る。お説教かと思いきや、引き留めにかかるのである。要するに、まだ早い。というわけ。知らないオジサンに説得され、分かりました。と言ったんだと思う。。53年前の事だ。(その当時の学校の仲間たちに先月、再会したばかりだ)いろいろ話、といっても一時間もいなかっただろう。辞して、自宅に帰り、厳しく叱咤され、、は一切なく、時は過ぎ。あの時の手紙はよく書けていたらしい。と後で聞いたようにも思うが。その時、だって、お手本があったんだもの、と、思った事も覚えているが、。今回の姉妹都市、の件でふと、思い出した事だった。
2015年07月01日
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昔の写真、スライド、などキレイに復元します。CDにしてさしあげます。という、会社にお試しで、頼んでみた。「想い出」という小さなアルバムが手元にあってそのページが、バラバラになってしまい、袋に入れてあり、なんとかしないと、、と思い始めて幾星霜・・。スマイルシェアリング、という会社がそのサービスをしていて10ショットまで、0円で、キャンペーンをしていた。この、ボロボロになったアルバムがあたしにとっては一番古いもので、その次に古いものは、まだ引っ越し荷物の中にある。表紙など見てすぐ分かるものは、40年くらい前からである。この膨大な古い写真をどうしたら良いか、。一つの解決策は、このようにCDにしてしまう。とゆーわけだ。今回、古い写真を10枚選んで、、と思っていたがマニュアルを読んでいて、スライドも、出来ると書いてあったので古い写真は1枚だけにして、残りの9枚はデンマーク留学時代のスライドを選んでみた。ソ連(ロシア)で買った、絵画資料のスライドはもうすっかり退色してダメだったが、自分のカメラで撮影したものはまだ見えたのでどんな様子か、やってみた。単価一枚28円から48円くらい。。さて、。ベルリンか、コペンハーゲンか、分からない。建物は、外部を撮影したものがあることは記憶にあるが、それを見つけてからだな。。ル・コルビジェのようだが・・。コペンハーゲン郊外のルイジアナミュジアムの外の展示エリア。一番前を歩くのがトルコのザファー。次が一番の友達だったイギリスからのアリソン。そして、3番目が同じくイギリスからのデビッド。その次は別の学部から合流した女性で、名前は忘れた。この日は、気温マイナス12度だった。1973年の11月か12月。1974年の5月?クラスでロシアに旅行。ノブゴロドの有名な塩漬け壺の肉料理のレストランで。夜。奥、黄色いセーターで笑ってるのがあたし。ルイジアナの外展示の作品。この近くに、日本の作家さんで、関根さんと言ったと思うが、大きな人間の耳、の彫刻があったと思う。中央の赤いシャツの人がこの時のツアーのロシア人ガイドのビクトル。旅の間中、いじられていた。(笑)コサックダンスを披露しているところ。手前赤のワンピース着てる人が国際クラスの秘書のソルバイ。手を挙げてる白のブラウスの女性がエルサルバドルからのカルメン。彼女とはベルリンに一緒に旅行した。その向こう、こちらを向いているのが助教授のラース。その向こうがオランダからのグース、紫のシャツの後姿が助手のイエンス、その右側向こうの髭がシカゴからのウイリ―・・。ベルリン、と、スライドにはメモがしてあった。から、ベルリン、なんだろう。上と下の2枚。これは、ペルガモンミュージアムの展示物。1990年にも再訪しているが1973年だ。以上9枚はスライドを復元したもの。そして、あたしの3歳か4歳の時、大阪市西区北堀江の4階建てのビルの屋上で。これは写真から。1950年か、51年。すごい昔やね。
2015年06月28日
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スイカを、頂戴する。倉吉スイカ。今年初めて。でっかいのを頂いたが、2人家族では身に余る。身に余る?じゃないなー・・手に余る?じゃない。。食べあぐねる。だ。押し問答の末、半分持って帰って下さる事に。切る時に、いややっぱり、切らないで!となり、また押し問答でちょっと、、お腹いっぱいだけど今食べよう。ということになって、結局、4人で4分の一をたいらげ(4分の一でも大きかった)半分を頂く事にして、4分の一をお持ち帰りだった。たさんご夫妻と久しぶりのディナー。強引に誘った。といっても、から揚げ。夫が、四角豆の苗、たさん、ご入用でないかな。というので、メールした。メールの結果が、夕食。となったわけ。揚げものは、2人だと、、あたしにとっては、邪魔くさい事で4人前となると、やろうか、と言う気になる。この時点では、もも肉1枚を買っただけだったので、もう一枚買おうとそ商店へ。そこで、豆アジが安かったから、ついでに買う。パック100円。付け合わせのキャベツの千切りから始めて、小一時間で、出来た。最後の豆鯵を揚げ終わって、ゲスト、丁度来られる。いつものように、おしゃべりをしておるところへ、今回はあたしの同窓会の話題が加わる。たさん奥様が、リサイクルショップマニアなので、(今はあたしも影響されてる)同窓生の中に、それを生業の一つとして始めた人がいて、ちょっと離れているが行っていけない事はないと言うあたりだったので、知ってる?と、話した。そのお店の話より前に、その店をしてるお君!その人、ヴァイオリンやってなかった?!と、たさんが突然言い出した。。。知らない。と答える。同窓生であるけれど、。。こうで、ああで、こうなってああなって、、と、今度はたさんが話す番。たさんは、同い年で、小さいころにお父様にヴァイオリンを仕込まれて(お父様がヴァイオリン教室をして近所の子供たちも教えていた)今も、ヴァイオリン三昧の生活だが、お君が、その、お父様のヴァイオリン教室に長い事、通っておった、と言うのである。。。で、あたしは、13日の同窓会の参加者名簿をどれどれと持ち出し、テーブルに。。そうよ、この人だわ。!!。テーブルにじーばー4人。同時に、顔を見合わせる。へー、こんな事があるんだね。思いきって、電話してみようとあたしは思い、彼のケータイに電話した。午後9時半である。ちょっと、お行儀悪いかしらね。。ま、いいか。出た!こんばんは。まるまるぺけこと申します。ああ、こないだは。突然、ごめんなさい、いまいい?ええよ。ちょっと、・・(と、ケータイをたさんに渡す!)ま、電話口の向こうがどんなに驚いているかは分からないけど、ちゃんと通じているようだ。実は、たさんご夫妻は、この、お君のリサイクルショップを何度も利用していた?そうで、場所も、様子も、よく知っていたのだった。。以前、お住まいのすぐ近くだったそうで。ケータイがあたしに帰ってきて、なんでまた。これこれしかじか、と繰り返し。。今回のディナー、こういうハプニングがあり、娘が電話してきてたんだけど、あとでまたね。と言い、あとで、電話するのを忘れてしまい。。お君は、本当に驚いたと思うが、あたしも、驚いた。たさんもきっと、驚いただろう。でも、スイカのように、あっさり甘い驚きだったなー・・。
2015年06月24日
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こないだの雨よりは大人しい集中豪雨であった。今は、晴れている。雨の合間に混声合唱の強化練習に出かけ、声だし。そう、父は、讃美歌の楽譜も持っていて、コーラスのあの3度下や上を歌って、ハーモニーを作って歌う事を教えてくれたなー・・。あたしは3歳の時に初めてスキ―もし、キャンプも経験し、スケートは8歳、12歳で、サイクリングもやり、ビリヤードも覚え、チェスも、マージャンも覚えた。皆、父が教えてくれた。小学校高学年になった時、いきなり銭湯に行く!と子供二人を連れだした。生まれた時から銭湯は知らなかったので、、だと思うけど、母がその時、反対したのを覚えている。6年生の時に、便所掃除をさせられた。ってか、こうしてするのだ。と、幸田露伴のように、。。あまり、それ以後は強制されて、掃除とかをする事は無かったけど。。母が亡くなって、父が再婚してからは幾度もここに書いたように、自分と実家の繋がりは薄れる。あたしの結婚式には出ず、東京での披露宴には父と、継母が上京し、出席した。その写真は今もあって、感慨無量。しかしその後、益々距離は遠のき、孫を見せる事もなく、約20年後、父は亡くなる。あたしが39歳の時である。今のあたしの周りに父、と呼ばれる人は、夫をはじめとして、婿殿のご実家も含め、息子や、息子の妻となっている人の父、もおられるし、沢山ある。オトコ、であり、そして、父、なのだなー・・。なんか、中途半端に終わったなー・・。(笑)風邪から、早く抜け出したいなー。。
2015年06月21日
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父は、大正8年9月10日生まれ。続き数字なので覚えやすいやろ?と、言ってたなー。あたしは、昭和23年生まれで父母の結婚はその前年。日本家屋の中のキリスト教式だと思しき簡素な結婚式の後の、親類縁者一同の集合写真があったのを覚えている。母は、花を持っている。洋装である。いや、あったのではなく、今もその写真はたぶん・・あると思う。(この住まいのどこか)整理しないとだな。中*牧師先生が中央に写っている。父は復員後、洗礼を受けている。○×教会には、しばらく通ったようだ。あたしも、中*先生のお顔はおぼえているもの。いつのころからか、父は教会に行かなくなった。なぜ、と聞いた事もあるが、記憶する答えはない。その屈託は思い出の一つではあるが、思い出だけだ。大阪の土佐堀に勤め先はあった。この勤め先のビルは有名なアメリカの建築家によるもので、両開きの正面のドアから入ると、ホールがあって、階段があって、階段はホールをなぞるように回転して2階に。階段の途中には、壁に額が並んで、、と、アメリカそのもの。であった。4歳5歳、あたしの小さいころの思い出である。その建物の屋上で泣いているあたし。・・の写真を取り込んでここに載せようと思ったけどやめた。今日は父の思い出だし。ほどなく、父は転職し、公務員となる。これが、あたしが8-9歳の時。電話口で、母が(父の転職を聴いて)泣き崩れたのを覚えている。(お家の事情ってやつ)父が46歳の時に母が亡くなる。で、48歳の時に再婚。再婚するが、子供たちは家を離れてしまう。(この間もお家の事情多々あり)以来、その職場を変わることなく、任期満了退職。退職後は、悠々自適、、と2番目の妻と過ごすが、67歳で、亡くなった。父の命日が過ぎるまで、あたしは不安であった。お墓は、出身の和歌山の実家の菩提寺に。この場所も、こちらで調べた結果である。継母との連絡は昔に途絶えている。父は、ひきこもり傾向の強い母に変わり、いろんなところに連れて行ってくれたし職場にどんどん呼び出したし、アウトドアの遊びも教えてくれたし、ダンスも小さい頃は自分の足の上にあたしを乗せて踊ってくれたし、(こういう映画のシーンがあると思い出す。必ず。)・・と書いていると、、雷さんがごろごろと来だしたので、。いったん中断。
2015年06月21日
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で、こないだの、同窓会に、千葉からの参加者で、獣医がいる。彼が、日帰り参加すると聞いてはいたが、本人、1時間ほど遅刻した。よーよーよー、って感じで、再会。きけば、ゆきこのお墓に行ってきたので、遅れた。と言う。ゆきこちゃんは、あたしは一番の仲良しだった、と思っている。彼女がどう思っていたかはわからないけど。2004年に亡くなった。(あとからじこさんから聞いたんだけど、じこさん夫婦、獣医夫婦、ゆきこ夫婦、この3組の夫婦は、長い間一緒に遊ぶ仲間であったと。。)旅行とか、ゴルフとか、であったらしい。お墓の場所を、彼から聞いた。知っている場所だ。将来、行くかどうか、分からないけど、教えて頂戴、と言うと、住所の紙に書いてくれた。考えてみると、、シュールではある。これからの同窓会は、お墓めぐりになったりして。(笑)また、まったく、存じ上げないお顔だったが、カラオケで、一緒に歌った女性がいる。お住まいを聞けば、娘の在所のすぐ近くだ。自転車で行けるくらい、近いよ、と言われた。彼女の中学時代を想像するが、覚えてないものをどうやればいいのか・・。ま、それほど、団塊の世代は多い、ということなんだろう。あなたのこと、全く覚えてない。とその場で断言はできないものだ。煙のように、その場の空気に交じり始める様に、会話を始めて今日はどちらから?ええ、東京なのよ、、みたいな。。えへへ。中には、過去は捨ててるの、あたしには未来しかないの!ゼンーゼン、(あなたのこと)わかんない。とあたしの顔を見て、再会の開口一番言った人がいた。なにさ、知ってるくせに。まどかよ!(まどかと言う名前)とは思ったけど。ジーンズに、模様入りのポロシャツを着て、エリの後ろを立ててイキがっておった。確かに、これで、後姿だと、40代には見えそう。だけど、それがどうしたのだ。彼女は、まーえに会った時、中南米の政治的要人と親しく、ボンドさながらの冒険をしたと話していた。(と聞いた)へー、それでそれで、、と周りを囲む人にはあたしはならなかったので、あとで、聞いたのだが。で、今は、、というと、、通訳なんだそうです。スペイン語かね?一年生の時、同じクラスだったじゃない。覚えてない?ううん。覚えてない。と、最初はとりつくしまもない。失礼千万。というわけで、あたしは彼女との話は切った。未来しか見ないのなら、来るなよ。というわけ。小一時間して(テーブルの端と端で、隣にいたのだ、彼女)あたし、女子美なの。あなたは?と聞いてきたから、コペンハーゲンのロイヤルアカデミー。と答えてやった。専門は?と聞くので、都市計画。とだけ言った。黙った。こんどはあたしが、女子美でご専門は?と聞いた。生活美術?とか言った。ははん、。何より、眉をひそめたのは、彼女は男子にしなだれかかるの。ま、独身だから、別にどうってことないけど。。あたしには、とてもじゃないが、受け入れられない。場所が違うやろ!おまえ!と言いたいが言わなかった。すべて、楽しい事ごとの一日の思い出となろう。楽しいと言えば、、同級生で大学の教員をしてるものが2名、いるんだけど、そのうち1名が参加した。か君である。驚いた事に、彼が、2次会で、「愛の賛歌」をフランス語で堂々と歌った事だ。地元の不動産屋を継いでるよ君が、「おれ、永年カラオケしてるけど、愛の賛歌をフランス語で歌うやつ、初めてみた」と、言っておった。上手やんか。なんで、フランス語なの?と聞くと、(彼の専門は法律なので)法の事勉強しようと思うと、どうしてもフランス語をマスターしなきゃならないんだ。同じ勉強するなら楽しく、、と思って、、と控えめである。この際、彼に敬意を表して、サイトを紹介しておきます。見てあげて下さい。(笑)この2次会の場所から、すぐのところに、あたしがたちゃんと高校時代にデッサンを習ってた、先生のお家がある。そのお家は川沿いで、反対側に、あたしの祖母のお墓がある。旧友のお墓参りをして同窓会に参加した獣医君に感じ入ったが、ああ、そう言えば、、と、思い出すあたしも相当だ。この墓地の管理は、やはり同級生の工務店経営のか君。なんとなく、安心。(どこが)近くを散策し、対岸の祖母の墓を確認し、、。思い出に浸った。墓参りをとんと、しない、ぼちぼちなのれす。しかし、石橋は、変わらないなー・・。変わったなー・・。
2015年06月15日
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