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未練たらしく雨がしょぼしょぼと続く中ナオミちゃんの15歳の誕生日祝いを仕入れにぎこぎこと街へめざすはアンネ・フランクの隠れ家今ではアムス観光の目玉のひとつ夕方7時近いのに入場の列ができていた 今日は隠れ家はどうでもいいミュージアムショップでアンネの日記を買うのさあれ?どこを探してもアンネの日記のオランダ語版がないしかたなく係りに訊くと、売り切れ!もう他の本屋は全部閉まっている残念! 誕生日プレゼントなんて早めに仕入れておくものですね。あ~あ・・・しょぼしょぼと雨の落ちるそのままの気分でとぼとぼと帰ろうとすると・・・ こんな写真パネルそこ、西教会の周りを見渡すと同じパネルがいっぱい並んでいるあれあれ、まあまあ、よくもまあ、こんな瞬間をとらえたものだ! と感心させられる野生の動物たちの切ないほどの美しさがズラリ 写真家Steve Bloomの“Spirit of the Wild”というタイトルの展示だった地球が抱えた問題とその認識を迫るテクストがたくさん写真の間に置かれている(たったの20%の先進国民が地球の富の80%をにぎっている。貧困により毎日2万人が死んでいる。毎年1300万ヘクタールの自然林が消えている。地球上の人がオランダ人のように生活・消費したら地球があと2つ必要になる。70ヶ国に1億1千万個の地雷が仕掛けられている。それにより年間12000人が死んだりカタワになっている。世界の農地の2%でしか有機農業をやってない。等々・・・) ちょっとメッセージ性が強すぎる感もあるが、写真の美しい動物たちは誕生日プレゼントも買えなかったしょぼけ気分に元気をプレゼントしてくれた
2007/05/29
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東京の友人からDVDが送られてきた。“こんな映画作ったので・・・”とある。2枚入っていたがまず1枚観てみた。「わたしの季節」というタイトル。(第二)びわこ学園という重度障害者施設の障害者たちを扱ったドキュメンタリー映画だった。床に奇妙な形で横たわった中年の男が障害のある手にしゃもじを持ち、床を叩き軽快なリズムが刻まれる。そして、“大地から芽吹くように人は生まれ春夏秋冬と季節がめぐるように生きてゆく”のテクスト。音楽(歌の前奏)が静かに始まり、10人ほどのグループが雪の中を向こうからやってくる。歌がくっきりと形をとる中でもう一度テクスト。“生きてゆく喜びと生きていく苦しみの間にそれぞれの人生がある”入所者の男が車椅子に乗りスーツをばっちり決めて“ぼくはげんきで、やってます”と全エネルギーを傾けて発語。そしてはじける笑顔。車椅子の背景の幕が落ち施設が現れる。タイトル「わたしの季節」歌は続く・・・広い部屋が大写し。障害者と家族とスタッフとボランティアがその部屋を埋めている。“共生”の強烈なオーラが発散する・・・何語だかわからない歌の言葉が、日本語に変わる。“帰ろうかな、あの町に、帰ろうかな、あの町に、ああ・・・なつかしい人たちが目に浮かぶ・・・・”そんな風にこの映画は始まっていく。そしてそれぞれ大きな障害を持った入所者たちの何人かが簡単な紹介テクスト付で描かれていく。思い込みは排除されあくまで透明でやさしい目で彼らは追われる。何の衒いもなしにゆったりと時間が流れていく今様でないテンポ。そして家族のかかわりもカメラは淡々と追う。3年にわたって撮影を続けただけのことはある。そんな状況の中でのカメラというものはとても微妙なものであるはずなのに、被写体たちに無理は全くといっていいほど表れていない。ひったくってきたというような映像はひとつもないのだ。ただただそこに起っていることを静かな呼吸で追っていく。“何というダサい陳腐な・・・”と感じたタイトルも、観ていくうちに輝きを帯びはじめ、最初の2つのテクストが全てを過不足なく言葉にしていることが観終わったときに了解される。(重度の)障害を持ってしまったことを背負いきれる人間など居やしない。そういう子を持ってしまった親だってそのことを背負いきれはしない。でもそうであることの中で(みんなに助けられながら)喜んだり苦しんだりしながら生きてゆく・・・動物から人間にまでなった人間、その人間の命と慈しみの輝きがこの映画にはある。この映画をつくった人たちの目の中にある。いくつかの映画賞を取ったらしい。当然だろう。劇場映画ではないみたいですが、機会があったら是非観てみてください。
2007/05/28
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2ヶ月程前(3月29日)に取り上げたエベレストに向かったアムスの冒険家ですが・・・アイスマンWim Hofさんの短パンでのエベレスト征服はならなかったデスゾーンに入った7400 mで断念素足にサンダル履きだったが足指が凍傷でもしこれ以上登ればそれらが生き延びることはない状態だった登山チームリーダーが怒って断念させたようだWimさんときたら天下一品の無鉄砲死んでも登り続けるほうを選んでしまうようなひとだから徹底的に諭す男が必要だったしかし最後の決断はWim自身がした その前日か前々日、8千メートルを越えたあたりで韓国人2人が転落死そしてほぼ同じタイミングでチェコ人と日本人の2人も死んだとの報が入った疲れ切って眠くなる。ちょっとでも眠ってしまえばすぐ凍って死んでしまうチェコ人と日本人はそのケースだったようだ最新の装備と酸素ボンベを背負ったトップクライマーでさえこうなる 短パンとサンダルだけであとは裸のWim(私でさえ登頂は不可能との感じが実は初めからあった)短パンだけの高度記録を塗り替えたことで一定の満足があったのか、チームに過度な迷惑をかけたくなかったのか、オランダで待つパートナーの顔が浮かんだのか、彼を除いたチームは前進を続け、明日にでも頂上アタックをするはずだったからか(チームの2人はその2日後8848 mの頂上に立った。前夜9時にアタックを開始。暗闇の中を登り続け、夜が明け始めた。見ると前に頂上があった、とのこと)とにかく彼は諦めて、即下山した彼の勇気ある決断を一番喜んだのは、もちろんパートナーのカロリーネさん“ああ、これでまた彼を抱きしめられる”Wimは自分をアイスマンと呼ぶアイス状況下での9つの世界記録を持つ(北極圏の氷の海の下を50 m泳ぐ。パリで首まで氷に浸かって30分、ロスアンゼルスではその記録を1時間に塗り替えた、等々)今回の、短パンだけで7400 m、の記録もギネスブックに載る予定だったところが掲載は拒否されたその理由は、もし記録として収録したら挑戦する者が現れるだろうそれはあまりにも危険すぎるというものだったとにかく、また記録をつくって究極の冒険者は生還したPS:Wimが7400 mで登頂を断念したのは5月18日のことでした。ウッカリ見逃して昨日気がついたのでお知らせが遅くなりました
2007/05/27
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ヨーロッパホテル業界のお好みのお客さんトップは日本人旅行者なんですって。まあアメリカ人やスイス人も悪くない。イギリス人は横柄でうるさく、チップも弾まない。ドイツ人ときたらチップが最低。フランス人、イタリア人、スペイン人、中国人がそれに続く。フランス人やインド人、そして中国人やロシア人、そんなやつらはどうか来ないでほしい。オランダ人はどうかといえば、礼儀正しいしあまり文句も言わない。ただケチであまりお金を使ってくれない。お金をふんだんに使ってくれるのはアメリカ人、ロシア人、イギリス人、そして日本人の順。欧州でホテル従業員15000人に聞いた結果らしい。この評価、日本人として喜んでいいのやら悲しんでいいのやら・・・・・
2007/05/27
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オランダの副首相(兼財務大臣)のヴァウター・ボス(労働党)は、女王による閣僚就任式とかを除いてネクタイを締めない。それをよく思っていない連中がいるのだろうか・・・2,3日前国会で出くわした一院議長(女性)がすかさず何かをボスさんにプレゼント。開けてみると何とネクタイ。“これ、これからは締めてね”というメッセージも付いていた。その同じ日、今度は二院議長(女性)に会ったボスさん。彼女からもまたまたネクタイのプレゼント、だったそうだ。どういうつもりなんでしょうね。女の方は概してネクタイをした男性をお好みなのでしょうか?(キリリとしていてセクシーなのかなー・・・?)でも言わせてもらえば、だいたいネクタイなんて一昔前(いまでもあるのかな?)の詰襟学生服とどっこいどっこい。そう思いませんか?だれが決めたんでしょうね、ネクタイとスーツのスタンダード。ネクタイ大嫌い派の私としては、ボスさんにもノータイポリシーを堅持してもらいたいものです・・・。ブッシュやアベさんとの会談でもね。
2007/05/26
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(脱出5分前のボキト君)ロッテルダムのブライドルプ動物園で、オスのゴリラが熱い恋の視線にがまんできず3.5 mほどの水路を飛び越えて脱出。その視線を送りつづけた女性にゴリラ流の恋のアプローチをしたら女性はパニックでゴリラ君も勝手が狂い重傷を負わせてしまった。自分のハーレムのメスの一匹と思ってしまったらしい、と専門家。この女性、もう長く週に3回も通ってじっと熱い視線をゴリラ君に送り続けていたのだとか。“私が笑いかければ彼も笑い返してくれるのよ”と女性。でもゴリラの笑い(人間以外に笑いが存在すること、知らなかった!)は、全く意味が違うんですって。それは威嚇のサインなんだそうです、専門家によれば。でもそんなことこの方が知るわけない。いつも笑いかけて恋心をつのらせていたようなのです。動物園は平謝り。全責任は取る、といっているが、とりあえず、ゴリラとのアイコンタクトは止めましょう、との立て札が立てられた(それは逆効果、と専門家。禁止されればこっそりやりたくなってしまうのが人情、とか)。このゴリラ、ボキト君にファンサイトまで登場。立ち上げたステファン君は、動物を檻に入れるのは200年後には奴隷制と同じように回顧されるに決まっている!といきまいている。重傷さえなかったら楽しい話題なのですが・・・・
2007/05/25
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ほんとうに久しぶりにバカみたいにいい天気になったので・・・・ おっかなびっくり市民の庭へだって3週間もほったらかしなんだから蜘蛛の巣城と野性の庭・・・・ 危惧に反して庭はお花咲き乱れるパラダイス (ただ荷車に放置された草むしりの成果がたまった雨で腐って悪臭ぷんぷん。お隣さんには申し訳ないことをした・・・) (臭いので小さく) 特にバラが思いっきり咲き誇っている3月だったか伸びすぎたのをチョキチョキただ切っただけで、ここ10年一度も肥料をあげたこともないのにケナゲといおうか、ガンバリヤといおうか・・・・咲きに咲いて今はもうピークが過ぎて散りはじめている バラは別に人間さま、ましてや私のために咲いてるわけでは全然ないはずなのに、いちばんきれいなピークを見てあげられなくて申し訳ないような気分にさせられる アヤメさんたちもそうだ しかしいろんな花が咲くもんだ名など知りはしない自然は何故これほどパワフルなんだろう 芝刈りもせず木陰に椅子をだして新聞を読んだだけ草むしりはちょっとだけしたけどね 花ばかり出して能なし人、と自分でも思うのですが、きれいなものはきれい枯れかけたお花も人生を見るようで悪くないうれしいものはうれしいし、悲しいものは悲しい 見てくれるものもいないのにがんばったお花さんたちにかんぱ~い! 格好は棚上げしてまた庭のお花です
2007/05/24
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手紙をひとつ郵便局に持っていく。投函しようと思ったら切手が貼ってなかった。しかたなく順番を待ってカウンターで切手を買う。89セント。支払いをしようとすると、“切手1枚は売りません”“えっ?”5枚セットなら買えるとのことでそれを買った。今年初めからのルールだとか。まー、私はいいのだが、観光客など不便だろう。1枚でいいところを5枚も押し付けられるのだから。オランダというのはすぐこういう極端なことをやってしまう。もうずっと前から文房具屋やタバコ屋の一部で郵便業務を代行しているし、まともな郵便局(日本なら地域の本局)でさえカウンター担当には椅子はない。ずーと立ち通し。でもそのおじちゃん・おばちゃんたち、快活に疲れも見せず客をさばいているんだから、オランダ人も捨てたものでもない。しかしだ、切手が1枚では買えない郵便局なんて想像したことさえなかったな。でも考えてみれば、切手を1枚づつ売るなどということは経営的にいえばずいぶんバカバカしい商業活動。“民”でなく“官”だから成り立ってきた習慣といえる。郵政の民営化の大先輩のオランダだが、経営効率の追求は執拗に緻密に進んでいるようだ。日本の郵便貯金にあたる庶民の銀行ポストバンクは郵便局から経営分離し、既に長く大手ING銀行の子会社化していたが、来年だか再来年についにポストバンクの名も無くなりINGに一本化される、というニュースが世間を騒がせたのも数日前。経営合理化はいいが庶民にそのしわ寄せがくることがないように配慮してほしいものだ。(実際にはオオアリまちがいなし)日本はどうなのだろうか・・・・・
2007/05/23
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深夜自転車でちんたらと運河沿いを走っているとウインドーにちらと見えたものが気になり引き返すなつかしい感じに自転車を止め見入ってしまう きもの袖のシャツ おしゃれでちょっと優雅でも襟と前の合わせはとてもオーソドックスその組み合わせがちぐはぐなような楽しいような・・・・スカートは袴をイメージしたのか太い帯が凝っている だれがデザインしたんだろう?日本人かな~・・?そうでない感じがするが・・・・(日本人だったらもうひとつひねりたくなってしまうのでは・・) お店はそういえばオーナーが自分の目で選んだデザイナーズコレクションを置くアムスでは名高い”Van Ravenstein”世界に名だたるVictor&Rolfも置くし、ベルギーの新進デザイナーなどを自分で乗り込んで見つけてくる名物おばさまがオーナーひょっとしてこのドレスもVictor&Rolfだったりして・・・! でもこんなドレス、どんなお方がどんな風に着こなすのやら・・・ スキンヘッドか日本人形のようなおかっぱ・・?そしてまつ毛はおもいっきり長くして・・・赤いストッキングに黒のショートブーツ?それより赤いぞうりがいいか・・・・
2007/05/22
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ダンス作品(2階)が終わり下に降りる(一昨夜) 下は若者たちでめちゃくちゃに混みあっているチケットチェックもなかったので出口でなく右手の小ホールに入り込む ちょっと腹の出た、でもちゃんとメタルとタトゥーで決めたおっつぁんががなりたてる回りのメンバーもどっちかというと中年そいつらが目いっぱい飛ばしているのだ そしてグループチェンジ今度はもう少し若いパンクそのものといったモヒカンさすがパワーは中年を越える 後ろ脇の飲み物カウンターではプラグラスビールがどんどん出て行く外れた格好の若者たちが踊り・どなり・抱き合っているモヒカンとタトゥーがやたら多い隣では濃厚なキッスが止まず。見ると両方女の子 偶然入り込んだMelkweg(ミルキーウェイ)ミュージックホールは大パンクフェスティバルの真っ最中だった"反乱"を標榜しヨーロッパ最大のパンクのお祭りとある 道理で入口外の道端にもモヒカン連中があちこちたむろしていた 小ホールの向かいに大ホールがある そちらはさらに満杯 メチャクチャなパワーで絶叫しているのは、(知らなかったが)伝説的パンクグループ"The Exploited" 休みなく次から次へとプレイし続ける歌い叫ぶのはエネルギッシュなボーカルよく声が枯れないものだ、と変な感心楽器メンバーも小ホールグループより数段上のパワーと貫禄があるかわいい、そしてドレスを決めたねーちゃんたちは舞台に引っ張り上げられ踊ったりマスコットになったりしている ステージに近い観客は殴り合っているかのようにこぶしと腕を振り回しつんのめりあいながらどよめいているふんどしの男祭りが数段グレードアップして暴力的になっているようなものカラフルなボロボロ衣装の女の子たちが負けずにその中に踊り込もうとするが、すぐ翻弄されるようにはじき出されてしまう。 ドラッグから生まれる勢いもあろうこんな状態ではひとつ間違えばすぐ殺し合いだ 入口のコワイK-1級お兄さん(お姉さんも)のボディーチェックも納得できる 1970~80年代の世界に名高いアムスヒッピー文化を担った主役の一人といっていいMelkwegパンク・ラップカルチャーを支えたのも近くのParadisoと並んでこのMelkwegなのだ 若者をモラルで縛るのではなくエネルギー論で捉える肉食獣の暴力エネルギーは燃焼されることによってのみ真に静かになるということがわかっているのだしかし、こんな暴力的・陶酔的そして反体制的なエネルギーと毎日付き合って、押さえつけるのではなく、軽くジャブは出しながらも腹を据えて受入れ続けるこのMelkweg(ミルキーウェイ)を35年にわたって持つアムスという町の若者への懐の広さに改めて感銘 欧州各地からのパンクバンドオンパレードは深夜0時あたりで終わりスタッフによる床掃除掃除が終わったらもちろん朝までサタデーナイトフィーバー(私はお疲れでパス) しかし若手のダンス公演のチケットは9ユーロの安さおまけにパンクフェスタまでタダで堪能してしまった(金土のこのパターン、病みつきになりそう)
2007/05/21
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ミルキーウェイ(Melkweg)でのダンス公演(昨夜) 直前に新聞の催事欄をめくって適当に選んだのだがDWAの2作品とあるDWAというのはアムスでダンスの新進を育てている孵化場の役目をしている組合みたいなNPO若いジェネレーションがどのくらい育っているかを見るのには、こんな名も全く知らぬダンサーやグループを観るのがいいのだ 最初の作品コンピューターで音楽を担当する男1人と女2人のダンサーがほぼ真っ白いステージに置かれている 女2人は1人がもう1人を操るように動きはじめる。でも全く操られているかというとそうでもない微妙に自立した動きも混じっているそれから操っていた女がひとりで音楽とファンタジーとしての状況に反応するピクピクとした軽いうごきをみせる 展開はその後もあるがおもしろいのはそこら辺まで 休憩が入り後半の作品男1人、女2人のダンサーにボイスパフォーマー(ミュージックPCも同時に操る)男1人 男と女がからんでいてしばらくして突然舞台上の箱がバタンと倒れその中から全裸の女が現れる、という趣向それからボイスパフォーマーのせりふや歌にからんで三角関係が動きで紡がれる ボイスパフォーマーはリズム感もよく熱演しているが、セリフのある声(歌も含め)主体であまり声そのものが持つ広大な宇宙を覗いたという感じにはなれない 2作品とも重くなくちょっとコミカルな部分もあり、うつろう感覚の動きへの変容と動きのイディオムの鮮度をテーマとしているようだ敢えていえば瞬時に生起・消滅する感覚に重点を置いた印象派的、その言葉が古ければポストモダンな感じのする作品 アムスのダンスシーンの最近のトレンドから外れてはいないものだったテクニックと構成も悪くはないがアッと言わせるほどの飛び抜けた斬新さがあるわけではない 満足度も中くらいでホールを後にした
2007/05/20
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Qちゃんとはほんのちょっと立ち話をして、友人の入所している養護院へ ここも久しぶり今回はちゃんと部屋にいた。(前回はどういうわけか不在だった) そしてお見舞いのユキさんも以前友人の家に間借りしていたが、今は日本企業に職を得こちらに根付こうとしている方ユキさんとも久しぶりあれやこれやくっちゃべってしまった私たちのおしゃべりに時々友人が口を挟むヒトが言っていることは何でもわかるのだが、病気の影響でことばをはっきり発音できないでも元々とても聡明で努力家の彼女一生懸命わからせようとして何度も何度も繰返してくれるそれでも平均3分の1位しかこちらにはわからないこちらも時に途方に暮れるが本当に疲れるのは本人だ一生懸命に言っているのに相手に伝わらないのだからその砂を噛むような思いは想像を絶するものがあるのかもしれない(一番怖いのは手術。病気故いろんな処置や処方が施されている彼女だが、つい最近まで手術の繰り返しだった。手術に際して担当医やサポートスタッフと意思疎通がうまくできない。"そうやったら私死んじゃうよー"なんて叫びもわかってもらえなかったりするのだ) 彼女にとっては見舞い客に話しかけられてばかりいるのはうれしい反面疲れることでもある、ということがわかったかえって脇でのユキさんと私のたわいないおしゃべりなんかを聞いて笑いこけたりたまに話に加わったりするほうが居心地がいいんだな、なんてことに遅ればせながら気付いた 病状については聞かなかったが、でも顔色はよかった2時間ほど楽しくおしゃべりしバイバイ (養護院のレストラン) すぐ近くのアムス一の盛り場ライツェ広場の脇にある若者たちのメッカ、ミルキーウェイ(Melkweg)に若手のダンス作品を観に向かった
2007/05/19
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ぎこぎこと自転車をこいで着いてみたらQちゃんは片付けに入っていた夕方5時を過ぎてしまっていたのだ 創作ファッション展示会 3mほどの広さの小道(突き当りがアムステルダム大学の法学部と大食堂)で鄙びたいい通り ダム広場に通じる大通りからその通りに入って20 mほどのジュエリーショップ2階がその展示スペースこの数週間の土曜日だけ自作ファッションの展示をしているQちゃんだ 白と黒のエレガントなドレスシンプルに見えるのによく見ると細かく神経がつかわれている左右非対称を意識的に使ったりもするようだ パーティーでは何度も会っておしゃべりはしているが彼の作品を見るのははじめてキューピーちゃんのような目でいつもおどけているQちゃんが実はこんな繊細で気品のある感性を秘めていたとは! "ソラさん、ぼくの作品ひとつ売れたんだよ!""へー、買ってくれた方、おばさん、それとも若い子?""ベルギーから来た若い女の子""へー・・・、で、どれを買ってくれたの?""この白いシャツ" 見ると背中の繊細なフェミニンさと前の大胆さ(とても短くヘソだしになろう)のアンバランスがハッとさせる 400ユーロだそうだ (このシャツが売れた) 見直してしまったでも見れたのはたったの数点 いつか彼の作品の全貌を見てみよう
2007/05/19
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"アムスでいちばんステキな通りは?"こんなアンケートを私のとっている新聞がやった トップの栄誉に輝いたのはビール工場運河(Brouwersgracht) 17世紀に造られ家内工場的ビール工場が並んでいたのでこんな名がついたらしい(当時のビールは今の金色とかのとはちがう。アルコール度が低いどぶろくのようなものが主流で飲料水替わりに飲まれていた。飲料水は貴重でビールよりずっと値が高かったので。そのため当時の町にはたくさんのビール工場があった)その昔の倉庫が立ち並ぶ。でも木のよろい戸が窓についたそれらの倉庫は今では高級住宅に様変わりしている そして運河にはアムスの風物ボートハウスが浮かぶその通りのどこを取ってもこれこそアムステルダム、というひなびたたたずまい "一番ステキ"の栄誉が与えられても誰も文句はいいそうもない さっそく自転車を飛ばす 風は強いがお日様が溢れカフェや戸口ではビールをワインを傾ける人たちがいっぱいひなたぼっこの若者たちカメラを構える観光客も多い それにこのアンケート結果を一面トップに置いた新聞のスタッフ2,3人が運河沿いの家々に新聞をタダで配って歩いている(最近は無料新聞が4紙も出てしまって凌ぎを削り従来の有料新聞は生残りに懸命なんです) ついでに一番アグリーな通りに選ばれてしまったWiboutstraatにも行ってみた オランダの人たちのコンクリ嫌いがわかる さらについでに、ステキな通り2番手につけたNieuwendammerdijkにもこれは17世紀にアムスの港の対岸(北部)に土手を造ったが、その土手の上が細い通りになってその通りに沿って家が立ち並んだこれまたツウ好みのロケーション(観光客はめったに来ない) でも私だったらこんな通りをトップに選ぶのですが、いかがでしょうか?(アムスのはずれの市民の庭の裏手にある港北部のやはり古い土手)
2007/05/18
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主の昇天日で休日。子供たちは今日からまた来週いっぱい学校が休みとか。GWの連休が終わって10日ほどしか経ってないのにまた10日以上のお休み。これだけ休んでばかりいては子供たちがアホになるのも納得。学校の先生とかを除いて仕事はそこまで休ませてくれるわけではないので、(だってあと1ヶ月半もすりゃ、また大型サマーホリデーだし)親にとっては頭の痛い季節。(思い切って子供に合わせて休んでしまうか、子供のケアをどう算段するかで)でも私ときたら能天気。世は今日からまた連休だ、などと知ったのは昨夕お隣の男の子と出口でおしゃべりしたから。ちょうどいい。カリーンと日本食デートの予定があった。「11番目の戒め」(どんな戒めなんでしょうか?)という名のカフェで待ち合わせ。1年ぶりくらいの再会を祝し乾杯。すっかり元気な顔をしているので安心した。去年日本での調査・研究準備の旅の途中熊本で41度の高熱に倒れ頓挫。オランダに引き返しても半年以上にわたって体調が戻らないという連絡が入っていたからだ。彼女はTVのドキュメンタリー番組のディレクターだったが、番組が中止になって失業。方向転換してアムステルダム大学に戻り文化人類学をやりはじめる。最近はすっかりソッポを向かれて人気のない日本を研究テーマに据え、卒論では海女のコミュニティーとメンタリティーについて、美しいともいえる詩的な論文を書いて教授たちを驚かせた。もちろん主席で卒業。去年の日本行きはマスター論文(日本のスローフード運動について)の準備のためだった。「11番目の戒め」を出て、おばちゃんが切り盛りする庶民的な「森田屋」さんまで20 mほど。夕食はちらし寿司と餃子となった。私サッポロビール。カリーンはお酒。“卒業後はどうするつもり?”“仕事をしていかないとねー”“どんな仕事?”“私、九州も好きだけど四国も好きなのよ・・・いっぱいお寺とかあるでしょ・・・”“ああ、巡礼とかよさそうだね。”“その巡礼をオランダ人向けにオーガナイズしようかしら・・・・”“ふーん、悪くないんじゃない”“もしそうなったら、ソラ、お手伝いしてね?”“うん、もちろん。カリーンのためなら”そんな突拍子もない企画、実現しそうもないし、万が一実現したとしても、四国に足を踏み入れたこともない私にはどんなお手伝いができるのか、さっぱりわからないのだが・・・・そんなことを正直に打明けるのも不細工。こんな答えになってしまった。いっぱいだったお客さんも気がつくと誰もいなくなって、窓の向こうには運河沿いの飾り窓の明りがまたたいていた。
2007/05/17
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時おり差す陽光に新緑が映えて美しい窓を開けるそよ風に揺れるポプラたちの葉が潮騒のようにさざめく満たされた世界を深呼吸 ふと下を見るネコが黒いうごくものを咥えて前の雑木林から出て芝生を横切っていく何?首根っこを噛まれてもがいているのは、よく見ると黒い子ウサギ(この近辺のふつうのネコはウサギを見ても捕まえなどしない。ひょっとしたら腹ペコの野良ネコ?) それでほぼ反射的に外に飛び出すでも獲物を捕まえたネコが、よくいらっしゃいました、などと待っていてくれるはずはない茂みの中をあちこち覗いてみても影も形もすでになかった気分が悪い 他のウサギたちは何もなかったかのように寝そべったり草を食んだりしているウンザリした気分でついでに雑木林に入り巣穴の様子を探る穴はいくつもあるのだがその一番大きな穴の外で別のチビちゃんがこれもまた何もなかったようにチョコンとしているあ~あ、兄弟を今失くしたのだろうに・・・ 人間を除く自然には自意識などほぼ無いみたいだし、兄弟や子供の喪失に沈む情緒などもほとんど持ち合わせていないようだ・・・・自然は人間をウットリさせるためにあるわけではないのはわかるのだが・・・・やっぱりため息が出る・・・ 気分が晴れず100 mほど歩く 階段を登ってお花・ハーブのお庭へ足が向く ここも久しぶりシャクナゲがピークは過ぎたがまだ満開クマンバチがたくさん蜜を吸いにきている そして大輪のあやめが色とりどりに咲き乱れる お花がきれいなので気分は半分晴れたようなのに・・・残りの半分は晴れてくれない シゼンヲシゼンノメデミレレバハレルノカモシレナイデモソレガデキナイアホナニンゲンノメトジョウチョデシカミレナイ ドウシタライイ・・・・・でも気まぐれに差す太陽の光がきれいな一日ではありました
2007/05/16
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大輔くんと珠穂さんカップルのお別れパーティーにお呼ばれ鉄道ガード下のアトリエスペースに顔を出す 入って行くなりリュックも下ろさないうちに珠穂さん手づくりのきび団子を勧められた彼女のほっぺのようになつかしい味!! 仲間たちの即興プレイが始まる エレキギター、シンセサイザー、ピアノ、小型の琴のような楽器、食器類・・・ダンサーも入ったり出たり・・・・ギターを抱えて落語は始まるわ、それを蹴散らすような即興浪花節の大音声。そして突然入口の方から倍音が響く・・・ 2人とも作曲家兼インプロパフォーマー 大輔くんは日本の音楽大学の先生をしていたが2,3年前パートナーの珠穂さんと一緒にオランダに飛んできてしまった今はこちらの音楽アカデミーとアートアカデミーの学生 アムスを中心に数限りないステージ(主に即興)をこなしてきた(即興だけでなく作曲の方でも最近楽譜が発売になるほどの注目株) アムスの音楽・ダンス・パフォーマンスシーンで2人の名を知らない人はいないくらいの売れっ子2人とも多種多様の楽器をこなす既成の楽器だけでは間に合わずあれこれ新種の楽器も考案それどころか彼らにかかると、そこにあるもの全てが楽器に変貌してしまう そして声もすごい 朗々とうたうかと思えば裏声、小鳥のさえずりかと思えば念仏に、そよ風はチベットの倍音に、そして地が割れる叫びに・・・・・ その変幻自在の声の幅たるや何と表現していいかことばが見つからない それだけではない大輔くんのおどりもおもしろい前に観たステージでは音楽担当だったがそれでは収まりきれず、仁王のような動きで舞台の中央に現れたかと思ったら、からだがフリーズしてしまったし、今回は長いたわしを持ってふんばってくれた 彼らがいるところいつも何かが起るだからみんな、何が起こるか興味津々だからみんなの目が輝き出す 誰でも参加していい歌っていい。叫んでいい。叩けばいい。走ればいい。転がればいい その瞬間に感じるままに現れ、顕す誰でもそうなっていい みんなの目の前で、その瞬間にそうである自分を表す ファンタジーが生まれる育てる膨らますそれが形になるからだで、声で、楽器で、空間で・・・・ みんなの瞳が輝く・・・ アムスのミュージック・アートシーンに小気味よい波紋を投げて、このカップルは今日本に戻ろうとしている これだけ活躍しているのに食っていくだけの金が捻出できないからだ文化庁の助成金が取れなかったのが痛いそして金になるバイトも少ない とりあえず日本に帰って仕事を探す "また11月には新作を引っさげて2人でアムスにやってきます" 今から楽しみだ
2007/05/15
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正直いって気分は欝だ。しかたがない。気持ちが晴れるようなことはないのだから。こんなときはとにかく耐えるしかないんだ。・・・・・・・・・・・・・今新聞をみたら軽いニュースがあったのでちょっと挙げておこう。(ロンドン発の調査結果なのでもう日本の新聞にも入っているかな、と思い3、4ヶ月ぶりにasahi.comを覗いてみたが、みた限りでは出てないので・・・)オランダの労働者(被雇用者)が世界で一番ハッピー、おまけにグチをこぼさないんですって!これは英国の調査会社が世界23国で14000人ほどを対象に行った‘労働者が望むこと’についての調査の結果。フランス人やイギリス人(37%)は休日が少ないとか、給料が安い、とか文句タラタラ。アメリカ人も給与水準はトップなのに、どうしてグチも多いとか。それから比べるとオランダ人でグチをこぼしてるのはたったの8%、これはタイ人やアイルランド人と並んで世界で一番低いんだとか。では一番不幸なのはどの国か?わかるかなー・・・・?カーン、あたり!その通り、日本の労働者ですって!!でも、すごい。それでもあまりグチはこぼさないんですって。がんばりやさんなんですね、わたしたちって。
2007/05/14
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2日間たまっていたメールの受信箱がやっと開けられた。ズラッとならんだ新着受信メールを目で追うと不吉な感じがよぎる。「さっき」という文字。闘病中の友人の名。そして「葬儀」という文字。3つのメールが一昨日と昨日の日付で入っていた。友人が逝った。4歳のかわいい娘とだんなを残して。前回の東京滞在(今年1月から2月)の際には末期ガンと闘いながらおいしいご飯を毎日つくってくれた。その後の入院中も稽古・レッスンに病院を抜け出し、少し前はダンス作品でステージに立った。恐ろしいほどの覚醒の中で静かにおだやかに周囲にオーラを発散し続けた。最後まで。 オーラに触れたものたちが今頃国立の教会に集まっている。感謝するために。天国に見送るために。合掌
2007/05/13
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日本なら仙台かな。オランダ北部フリースラント州の州都レーウワルデン。その町の市長ヒールト・ダーレスさん。元アムス助役(副市長)で自民党(VVD)所属。以前は国政にも意欲を示し党首・首相まで射程に入れていた方だが、市長職に落ち着いてしまって数年たつ。ダーレス市長のおもしろい発言が新聞に載った。“肥満警官が増えているのは忌々しき事態。デブはかっこ悪いし、走るのものろい。警察官は専門職。威厳も大切”ということで肥満の方々には受難の季節。モデルさんならともかく警察官で肥満がいけない、というのはかなりの過激発言。私がいうならかまわないだろうが、曲がりなりにも市長さん。(オランダでは市長は警察の総指揮官)基本的には最近の肥満が目立つ社会全体を憂えているのだが、デブの警官はダメ、とも取れる言い方をしてしまっているわけだから、ことによったらおデブさんたちからの抗議も起りかねない。食習慣や生活習慣も肥満の要因だろうが、圧倒的に強い素因は遺伝的なものであることは誰でも知っているからだ。若ハゲなんてのはどうか。生活・精神的要因もあるだろうが主に遺伝的なものだと誰も知っている。またホモセクシュアルなんてのも遺伝子的ベースがあるようだと最近ではいわれている。だからそこら辺のことでの差別発言は絶対タブーのこの国、オランダなのに・・・・ちなみにヒールト・ダーレスさんは結構な名士で、彼がキューピーちゃんが大人になったような若ハゲのホモさんだと知らないオランダ人はほとんどいない。だから、ダーレスさん、そんなこと言って後悔することにならないのかな・・・・・?と、余分なことが心配になる。関係ないが、昨日からインターネットが繋がらずメールも見れないし、ブログを見ることもアップすることもできなかった。プロバイダーの不調のようだが、こんなことが起ると途端に何もできなくなる。近所の無線ランにこっそりアクセスしてさっきから何とか用が足るようになりホッとした。でも・・・・・
2007/05/12
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チューリップシーズンの終わった今、最もオランダらしい(?)スポット、という訪問客の希望でキンデルダイクという風車村にお連れした。風車が名物のオランダでも一番多くの水管理用風車が19基も並ぶ。世界文化遺産にも指定された名所。雨の続く今週だが幸いにもポッと陽が差したりもして、散歩には悪くない。(風が強いのは風車がよく回ると許してもらうとしよう)両側運河の小道を、写真を撮りながらぶらりぶらり。細い木の橋を渡ると中を見せてもらえる風車ミュージアム。その入り口で風車守オヤジは受付を設置する作業をしている。何か特別レセプションが風車であるみたい。ステージも風車の横に設置中。“やー、しばらくだねー”とオヤジに声をかけると、“おー、ソラじゃないか!”と私の名まで憶えていてくれた。何度かTV取材をやったことがあるのだ。でも最後が3,4年前。オレの名ってそんな憶えやすいのかな~、と思いながら、オヤジの名は忘れてしまったなー、と、“そうそう、やあやあ!”だけで済まし申し訳なかった。でもまあ、強風の中オランダ名物を堪能した。タイミングいいことに、散歩し終わる頃雨が降り始めた。めでたしめでたし。
2007/05/11
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オランダで一番ステキな美術館といったら迷うことなくクローラー・ミュラー・ミュージアムと言おうゴッホの名作群はアムスのゴッホ美術館と並ぶし24 haのばかでかい彫刻の森もすばらしい特にこの季節 お花と緑の吹き出た中を散歩しながらロダンをブールデルをマイヨールをヘンリ・ムーアをヘップワースをデュビュッフェをそして現代作家の遊び心溢れる作品群を愛でるのはこの上ない快楽太陽のある日には芝生に寝そべり、そよ風に吹かれながらお昼寝なんてのも悪くない(わたしならマイヨールの「空気(あるいは空」という作品の脇での昼寝がいい) (マイヨールの空気) このミュージアムはアムスから東に100 kmほど行った森の中にあるその森をホーヘフェイリュー(フェ)という南北10 km東西5~6 km、面積5500 haの国立公園今は国立公園だが元々は大財閥クローラー・ミュラー夫妻のプライベートの狩猟の森だった奥さまへレーネはビジネスだけでなく美術・骨董に造詣が深くその方面のグル(ブレマー)をお抱えにして世界中でいろんなものを買い集めてきた特にゴッホ作品には早くから目をつけ、その死(1890年)から間もなく、そして20世紀初頭にかけて洗濯機を買うような値段で現在では不滅の名作と呼ばれるような作品を買いあさったどんなに高くてもせいぜい小型自動車の値段だった 現在278点のゴッホを持っている当美術館だが、その中には「星空のカフェ」、「アルルの跳ね橋」、「郵便配達夫」や「糸杉」なんて超人気者もあるそんな数々が洗濯機やテレビの値段だったのだから目利きはちがう ヘレーネさんはそのコレクションを展示する美術館をその森の中につくるのが夢だったのだが1930年代の経済恐慌の余波でそれが不可能になる維持自体ができなくなっていたのかもしれないがご夫妻、そこで思い切ったことをしたコレクションのためのミュージアムを作ってくれれば、その森とコレクションを国にプレゼントするよ、と言い放ったのだ国がそんなおいしい話を蹴るわけがない1938年に予定より小さな建物が出来上がり初代館長にヘレーネさんが就任喜び勇んだでもそれもつかの間翌年彼女はころりと亡くなってしまうそれを悲しんだだんなのアントンさんも1941年に後を追うように亡くなってしまった(何かフィンセントとテオのゴッホ兄弟の運命的な死まで連想させる) でもそんなことはどうでもいいとにかく気持ちいいのですこのミュージアムオランダに来たら絶対行ってみてくださいね あっ、そうそう森の中には勝手に乗り回していい白い自転車がたくさん置かれているその自転車でルンルンと森の中をサイクリングするのも夢みたいに楽しい(足ブレーキなのでちょっと稽古が必要ですが・・・)
2007/05/10
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昨日たっぷり雨が降り(約1ヶ月半ぶり)野の緑は活気づいたようだ。ポプラの大木たちが西風に揺れる。雲の流れはせわしなくこれこそオランダの空。あれあれ、また雨が降りはじめた。1823年夏にシーボルトは日本にやってきた。それから数年の短いあいだにすさまじい数(3万点近く)の植物・動物・民族文化アイテムを収拾する。そんな膨大なものを自分で集めることは不可能。たくさんの弟子や助手や日本の庶民が協力してくれた結果だった。出島での講義だけでなく、その外に特例で設けられた鳴滝塾で当時の最新医学の講義し、そしてそこでは診療・手術もやってたくさんの学生や医者それに患者が押し寄せたという。教えを受けた者、そして治療を受けた人たちがこぞって現物払いでいろいろな珍品をシーボルトのもとに持ち寄ったらしい。しかしそのコレクションとシーボルトの日本への知見を圧倒的に豊かにしたのは、1826年の江戸参府だった。シーボルトを含むオランダ人3人(実はシーボルトはドイツ人なのだがオランダ人に成りすましていた)と絵師の川原慶賀を含む日本人のお付・同行者57人は、籠に揺られて(揺られたの3人だけと思われるが)長崎から2ヶ月かけて江戸に着いた。着いても将軍への謁見には20日も待たされ、いざ謁見となっても将軍の顔を拝むことはついにできなかったのだそうだ。その顔は何重のカーテンのそのまた向こうにあったのだろう。その道中シーボルトは禁止されていたにもかかわらず行程を外れあちこち寄り道し、いろんなことをやったようだ。行く先々で土地の測量、富士山の高度測定までやった(これももちろん禁止事項)。彼の医術の腕がいいので道中患者の訪問が引きもきらなかったようだ。その診療報酬にまたまた土地の珍品をねだるシーボルトだった。そうやって彼のコレクションは飛躍的に充実していった。前置きが長くなった。本題。 シーボルトはその江戸参府の道中、どこの宿場町にも遊郭があって人は昼間からカフェに入るような感じで出入りし違和感が全くない、と驚いている。当時の日本ではこのような花街が活気づき、かなり大っぴらに認められ、遊女供給システムも完備していたのだろう。今の日本ではそんなものは表向きには存在しないし禁じられている(ウラでの横行はずいぶんハデハデのようだが)。オランダでは現在売春は原則的には合法だ。欧州最大のアムスの飾り窓地区は世界中の男たちを引きつけて今日もごったがえしているのだが、その赤やピンクや紫の窓辺で最小面積の下着に覆われたヒップをくねらせながらウィンクするおねえちゃんたちも最近は大変なようだ。法律で認められた仕事なので厳密には取引きに税金が発生し、また所得税の申告も必要になるようなのだ。それでなくても高騰している料金に税金が加算されるとすると消費税だけでもほぼ20%高くなってしまう。それに所得税分とかが加算されたら・・・・・。税金を納めるとなったら住所とか本名とかも必要。おねえさんたちはそういうのが一番ニガテ。ほとんどのおねえさんは廃業か、なんて噂されている。そして今、警察と検察と新聞社のジョイントでの聞き込み調査の結果が発表された。その発表によるとおねえさんたちの7割から8割は人身売買の犠牲者。あるいは怖いお兄さんたちに実入りの大部分は持っていかれたり、稼ぎが目標額に達しないときにはぶん殴られたりお仕置をされているらしいのだ。予想以上の深刻さに国会(政党)もこの問題に発言しはじめた。彼らも認めるように非常に難しいやっかいな問題だが、何らかの具体策を編み出してもらいたいものだ。思い出したが、シーボルトは1825年30歳のときに16歳の遊女其扇(そのぎ=お滝)に出会い囲い込むようになる。1827年5月に娘おいねが生まれる。出島での遊女の出産は厳禁だったらしいが、おいねはシーボルト自身によって出島商館のなかで取り上げられた。
2007/05/08
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GWも終わりお天気もガラリ変わって、鉛色の雲がせわしなく流れる。雨さえも降り出しそうな雲行き。GWの余韻から抜け出れない方々には悪くない神様の思し召しだ。しかしこの一ヶ月(以上)は何だったのだろう。もうひと夏たっぷり頂いてしまった感じ。これで夏らしい夏がまたやってくるのならオランダ人はもうサマーホリデーにトルコとかチュニジアとかに出かける必要がなくなってしまう。そんなことを予測してだろうか。おもしろいプランが北ホラント州の州議会議員から発表された。夏場だけ海の中に砂の島を作ったらどうか、というもの。浜から100 mほどの海の中に直径500mほどの島をつくる。浜から歩いて島に辿り着ける。その島でみんな寝そべり日焼けする。パーティーやナイトフィーバーもいい。カフェやレストランはもちろん、動くのがイヤな方にはホテル(?)だって作れるとか。夏が終わったら?そしたら島は波と風に洗われて消え去る。でも無為に消え去るのではなく消えて役に立つ。洗われた砂が浜に運ばれ海岸侵食を防ぐのだ。オランダは現海岸線保持のために毎年1200万立方メートルの砂を海岸に補充している。そうしないと波に海岸が侵食されて最終的には海岸線が変わってしまうのだ。およそ150万立方メートルの砂で上の島を一個つくれる。こんな島を何個かリゾートビーチの海の中につくったらレクレーションと自然保護の一石二鳥が狙える、というもの。このアイデアを出したのは実は水利・交通省で研修中のデルフト工科大学女子学生。この手のアイデアは別にめずらしいものではないのだそうだが、彼女のアイデアのユニークな点はあまりお金をかけず、現在の海岸線保持ポリシーのままで手っ取り早く実現可能なこと。オランダの水利技術は世界でもダントツ。それくらいのこと、やると決めたら朝飯前なのだ。この夏実験島がザントフォールト(アムスに一番近い海岸リゾート)あたりにできるかな?興味シンシン。できたら一番乗りだ!(でも今年は、夏はもう来ないような気もするのだが・・・・・)
2007/05/07
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ゴールデンウィーク 個人的にはいいお天気を指をくわえて眺めていただけ(?)の冴えないゴールデンウィークでしたがでもやはりすばらしい 眠たいときは寝て飲みたいときは飲んで旅をし家族と笑い友とおしゃべりしおいしいものを食べ思い出をいっぱい仕入れて・・・ みんなリフレッシュ完了ですね ゴールデンウィークへのオマージュです
2007/05/06
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5月5日解放記念日1945年のこの日にオランダはドイツナチスから自由になった3度目の独立記念日といってもいい(最初はスペインから=17世紀。2度目はナポレオンのフランスから=19世紀初) 今日2007年の解放記念日は朝久しぶりの重苦しい曇り庭の芝刈りの仕上げに行ったが、自転車で切る風はTシャツ・長袖シャツ・ウインドブレーカー重ねでもひんやりするほどでも昼過ぎると太陽がそして夕刻にはひとかけらの雲もない青空に何か出来すぎた演出みたいな気もするが・・・・ジョン・レノンのBecauseが耳の奥で反響する ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ "1940年5月10日アムスを占領したドイツ軍は言った、恐れることはない、みなさんの自由は今まで通り保障されるんだ、と。しかしユダヤ人やホモやジプシーに対する弾圧が増し、1941年のストの後、占領軍はその正体を現わした・・・"と、自らもユダヤ系であるアムス市長コーヘンのことばが流れる昨夕のダム広場黙祷の2分間は思ったより長い時間だった(黙想を毎日10分するといいのかもしれない。そしてそれはとても難しいことだ、とも思う) 後ろから誰かが背をつつく振り向くとその男は、6,7mはなれたところにいる老人を指差して、"ヴェテラン(退役軍人)だよ" 女王や要人による戦没者への献花が続く・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・ 1944年の5月5日解放のちょうど1年前隠れ家のアンネ・フランクは一通の手紙をお父さんのポケットにそっと入れるその手紙は14歳のアンネの独立宣言だった「・・・・・・・・・・・・わたしたちがここへ来て以来、つまりおととしの7月からつい数週間前まで、はっきり言ってわたしには、ぜんぜん心の安らぐときがありませんでした。わたしが夜ごとにどれだけ涙にむせんだか、どんなにみじめで、絶望的な気分だったか、どんなに寂しく感じていたか、それがわかってもらえたら、わたしが上へ(ペイターに逢いに)行きたがる気持ちも理解してもらえるでしょう。今のわたしは完全に自分ひとりで生きてゆける段階に達しました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しゃにむに演技しつづけて、ようやく、いまようやく、その闘いは終わりました。わたしは勝ったのです! いまやわたしは、心身ともに独立した人間です。もうおかあさんはいりません。・・・・・・・闘いに勝ったとわかったからには、いまこそ自分の思いどおりの道を進みたい・・・・・・・・・・・わたしをただの14歳の少女だと考えないでください。・・・・・・・・・ですから、いくら脅してもすかしても、わたしが上へ行くのをやめさせることはできません。・・・・・・・・・」
2007/05/05
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(戦没者慰霊式典:アムスのダム広場) 67年前の5月(1940年)ドイツナチスに占領されたオランダ 1941年の占領下でのスト地下レジスタンスユダヤ人狩り(ユダヤ人だけでも10万人以上が死んだ)アンネ・フランク一家の隠れ家での生活彼らの逮捕。強制収容所での死インドネシアの日本軍による制圧オランダ人の収容所生活慰安婦にさせられたインドネシア在住オランダ人女性たち1944~45年の飢餓の寒い冬 (都市生活者は食料がなくチューリップの球根やマロニエの実まで食った) (日本式あいさつを強制されたインドネシアのオランダ人たち:レジスタンスミュージアム) (レジスタンスが地下からの新聞発行に使った印刷機:レジスタンスミュージアム) (アンネのお父さんオットーが戦後再婚した相手(ムッティ) の死んだ前夫あるいは息子が描いた油絵:レジスタンスミュージアム) カナダ軍のアムス制圧でそんなイヤな季節が終わるのが62年前の1945年5月はじめ (英雄=カナダ兵と乙女たち:レジスタンスミュージアム) アムスに入る解放戦士カナダのあんちゃんたちに黄色い声を上げ身も心も捧げちゃった乙女たちがいっぱいいたそうだだからカナダ移民が多い ということで明日の解放記念日のイブである今日5月4日が戦没者慰霊の日と定められている午後8時に女王がアムスの中心ダム広場の戦没者慰霊塔に献花し2分間の黙祷この黙祷は全国数百箇所のセレモニーでも同時に行われる人気サッカーの試合だろうと中断してやる よし、2分間くらいオレにだってできる8時になったら黙祷だ我が愛するアンネちゃん(といっても今生きていたら77歳のおばあちゃま)たちの冥福を祈って (アンネ一家がドイツから逃げてきて隠れ家に潜むまで7,8年間住んでいたアパート。3階のレースのカーテンの家) (そのアパートの前の芝生に立つアンネの銅像)
2007/05/04
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今日も晴れ(でも少し雲が出始めた)夕方7時半になってやっと外に出る雑木林を抜けながら若葉の草花の匂いを楽しみひとつ北の大通りを通りへその自転車道を行くと高さ4~5mの横にもフワッと5~6m膨れた潅木にきれいな薄いピンクの花が咲き乱れている おまけに甘いかぐわしい匂い 自転車を停めて花に近づく 名も知らぬ花 名を知っていたらどんなにスッキリするだろうおいさくら君!とか、アイリスさん!とか呼びかけられたら気持ちいいだろうにヒトと話すにも(花の)名を知らないとちっともストレートに分かり合えないのだからだの中がねじれてくる・・・・ そして100 mも行くとまたもっと小さな白い花 この花の名も知らない でもまあ、いいグチはこぼすまい庭に到着まず、潅木の下のたまごを見に行く。やはり親は帰ってきていない近づいて数えてみると相変わらず8個ヤケに存在感のある卵を見ながらため息が出るどうしろというんだ。放置するのも気になるし、処分するのも気が引けるこれだけ放置されたら中身が生きているはずはないのだろうが・・・・困ったものだ皆が夕食を済ませてくつろぎモードに入るころおもむろに働き出すのが私昨日3分の1やった大鋏での芝刈り(といっても雑草が大勢)を再開また3分の1ほどジャキジャキと鋏で刈った伸びすぎて芝刈り機ではダメだったので仕方なく大鋏でやり始めたのだ鍛えてない体は正直で5分続けて3分休み、といったペースそのうち2分続けて3分休みといったペースに暗くなりかけた頃大休憩その時間を使って、出始めたぶどうの葉に巣食う虫のついた葉を片っ端から摘んで捨てる葉の裏に巣ぐい表にボコボコとイボみたいのがたくさんできるのだだんだん暗くなってくるが意地になってまた芝を刈る胃がムカついてくるほどがんばったそれなのにたったの3分の1おまけに頭がかゆくてかゆくてどうも地ダニみたいのがいるようだ(いまだ正体は確認できないのだが・・・)この時期芝刈りとか雑草抜きをやっていると必ずやられる今日は頭にタオルを巻いたのだが、昨日は何も巻かなかったので髪に入られていっぱい刺されてしまったのだ刺されてすぐもかゆいが1日してからぶくぶくと膨れてきてずっと痛痒くなるそれが2,3週間続くヘタをすると化膿してなお痛痒くなる今日後頭部と首の後ろがボコボコなのに気づいたヘマをしたもんだ考えればこうなることは予想できたはずなのに・・・・でもまあいい庭での肉体労働は精神に充足感を与えてくれるのだから手を洗い着替えをして、すっかり暮れてしまった夜10時、家路につく家まで1.5 kmそのうち最後の1 kmは菩提樹の並木が続く葉がここ数日でこんもりとした感じに生えてきたその下を行くと星が輝いているのにハラハラと霧雨みたいのが降っているのに気づく自転車道をよく見ると雨が降ってきたようにポツポツと濡れている 停まって根元のこんもりとした葉の塊(菩提樹というのは根元や幹に葉がいっぱい出る近づくと、葉の表が濡れてみんなテカテカと光っている葉から樹液みたいなのがにじんでそれが雨のように落ちているようだ歩くと靴裏が敷石にペリペリと張り付いて軽い音がする車を菩提樹の下に置くとべったりと汚れるのは知っていたでもこれほど雨みたいに降っているとは今まで気づかなかった小さな発見 しかし神さまは何のためにそんな雨を菩提樹の葉っぱから降らすようにしてくれたんだろう・・・何か意味があるのだろうか・・・?ふと脇を見るとゴールデンシャワー(キンクサリ)が黄色く咲き始めている
2007/05/03
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土曜日に庭に行ったのだが、労働奉仕を終えたあとは他に用事がありすぐ帰ってきてしまったその後気になっていたが今夕はじめて行ってみるたまごの様子を見に 8つのLLサイズ卵はそのまま庭のこんもりとした常緑潅木の根元、アイリスの花の近くにあったちょっと大きすぎるような気もするがたぶんカモの卵だろう たぶん、というのは親鳥をみていないのでわからないのだ3回(土曜朝・昼、水曜夕)見ても親鳥が卵を抱いていたためしがない初めは、陽気が良すぎるので自分の体力をつけに餌を食い歩いているんだろう、なんて思っていたが、朝も昼も夕にも帰ってこないのだから、どうも親は卵の養育を放棄してしまったみたいだ(そんなことなら卵焼きにして食ってしまったほうが成仏するだろうか・・・。でもひよこの屍骸がでてくると怖いからやめておこう) ウチの庭に巣作りするカモは、ほんと、アホが多い以前2,3度卵が生まれたがちゃんと雛が孵ったのは一度だけ。それも孵って、かわいいかわいい、と思っていたら、少ししてよちよち歩きができるようになり、ウラの水路に入ったあたりで青サギだかカササギ)だかにみんな食われてしまった子供の養育保護のノウハウのないバカ親は、一日ほどオロオロギャーギャーわめいていたが、その後はまた子作りモードに変化どっかへ消えていってしまったのだった 今回も卵を抱いているうちから天敵に脅されたのだろうか(そういえば近くに食われた残骸だろう、卵の殻がころがっていた) それともお庭ライフに最適なお天気が始まり住人たちが押しかけ巣の近くの小路に人通りが多くなったので、我が身の安全第一、と子を捨てていってしまったのだろうかまあそれも理が通っている所詮彼らにとっては子供たちも個としての愛の対象なんかではなく刷り込まれた種族保存の衝動を盲目的に実行しているに過ぎないのはほぼ間違いないのだから状況がヤバイとなったら全滅よりも自分が生き延びてまた別な安全なところで卵を産む作業にかかるその方が合理的なわけだそれともそれとも・・・仲むつまじいはずのカモの夫婦の関係に亀裂が入り子供どころではなくなってしまったのだろうか・・・ 人間さまの世界もいろいろあるんだ(関係ないが、オランダでは夫婦関係以外から生まれる子供の割合がここ10年で2倍以上も増え、最新の調査では36 %にもなった、と新聞)カモくんたちの世界にもいろいろあったって全然不思議ではない 庭、もう一度見にいってみようかな、明日・・・・
2007/05/02
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(注:この記事は5月1日に入れるはずのものでしたが、まちがって5月2日に入ってしまいました。あしからず)明日が今日になったのに世界は終わりはしなかったちゃんと陽が昇り昨日と全く変わらず雲ひとつなく地に太陽が降り注ぐゴミの街 170人の清掃部隊と16台の清掃車が昨夜からアムス中心部で奮闘しているのに、今朝の路面電車は未清掃地域を避けて迂回していくさらに夕刻になってもゴミの散乱したままの通りは無数だったこんなクィーンズデー翌日は記憶にない今まではどんなに散乱していても翌日にはほぼ何もなかったかのように街はきれいさっぱり掃除が終わっていたものだ昨日がどれほどの人出だったかがわかる快晴、そして暑くも寒くもない気温20度50万人の人出となった(昨年は35万人)街のどこもかしこも超満員中心部の主要ポイントでは50 m歩くのに20も30分もかかる運河にはボート族が超超満員飲んで踊って・・・DJが乗り込んだ舟もザラ大音響があちこちから響き渡って止むことを知らず・・・街角、橋の上、広場・・・にも数え切れないほどのステージがセットされハウスミュージックがロックが懐メロが・・・・その周りでは老いも若きも踊り狂うあちこちからマリワナの匂いが漂うそれ以上にビールとレモネードが溢れる運河沿いを満喫してフォンデル公園に足が向かう毎年この日に子供たちがパフォーマンスを競う楽しい公園だ今年は人出の割りに目立つパフォーマンスが少ないかな、との印象だったが、でもフラメンコのステキな少女(小型ハープとギターは両親?)や中学2年生くらい(?)のエレキギターとドラムスのロックデュオは光っていた公園の芝生という芝生は寝そべり族に占領されきっている町の中は自転車ではとても無理なので中央駅ウラの渡し舟着き場に自転車を残しずっと歩く延べ20 kmほど歩いたろうか脚が棒になりふくらはぎに痙攣が来たでもこの太陽、そよ風、歓声、笑顔、パフォーマンス、ビール、人々・・・・わけもなく胸が熱くなり涙がにじむこのクィーンズデー、どういうわけかいい天気になることが多いでも今年の天気はその中でも別格。一点の曇りもない一日これほどまでに完璧だと、“明日はもう来ないのでは・・・・” なんて妄想が湧いてきたりもするでもちゃんと明日は今日やってきた。昨日と同じ笑顔で王制とは基本的にはファンタジーだろうが、ファンタジーを持つのが人間さまのサダメこんなステキな一日を演出してくれるのだから王制も悪いわけでもないのかな・・・・まだフラッシュバックが止まない
2007/05/02
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