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これで最後。A:ほほえみ。 夕映え。B:観音。 清れん。 朝の光。C:生きる・よろこび。X:3人は一等賞ナシとした。で、あなたなら?
2007/01/29
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ほんとうの命日。線香を3度あげて東京に出た。陽の暮れた高田馬場駅前でたくさんの人が流れていくのをボーとみつめた。いろんな顔があった。これだけいる人々がそれぞれ生きのびているんだから大変なことだ。さて昨日の続き。タイトルは?-2A:歴史。B:記憶のほころび。 豊ぎょう。C:刻。 閑。X:3人はとりあえず「刻」を一等賞に選んだ。で、あなたなら?
2007/01/29
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日曜日夕。集合した親族も引けていった。白ワインと焼酎の奇妙な取り合わせの夕食。ほろよいのおこたつで・・・・今日撮った写真を観ていたらAが口を出した。“その写真のタイトルは何?”“えっ? そうねー・・・”と始まった。参加者3人+X。Xは、あなた。A:如来。 西方浄土。 明治から昭和。B:線香のうしろ。ひかり。C:語る。X:3人は「語る」をとりあえずの一等賞とした。さて、あなたは?
2007/01/28
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家族の法事でお寺に行った。金メッキ(だろう)であれこれ飾られたお寺の仏壇を前に坐り住職の朗々とした読経と講釈を聞いた。足元は電気カーペットでポカポカ。葬式でなく一年忌なので深刻さはあまりない。坊さんのマントラと軽快な木魚のリズム規則的に入る響きのいいカーン。そんなバイブレーションに身をゆだねているとこころには雑念というのだろう、でも自分には楽しいファンタジーが飛び交い、気持ちのいい20~30分間を過ごしたものだ。こちらに向かって挨拶したご住職、顔の色艶もよくこの先30年くらいはいけそう。そしたらたぶん100歳の大台に乗るのでは・・。あんな大きな声で毎日何度もマントラをうたい、聴衆はありがたく静聴。おまけにチケット代(お布施等)はなかなか高い。健康的でふところも膨れるなかなか悪くないおしごとですね。逝去から何度も続く法事。残された者たちのこころの自然をよくフォローした慣習だな。悪くない。
2007/01/27
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いい天気。あれこれ忙しい一日。ブログを書く余裕もないってのも悪くない。明日もそうだ。オランダでも特に気になるニュースはなかった。ひとつ、アンネ・フランクのお父さんのオットーの書いた手紙が80通ほど新たに見つかったようだ。アメリカでだ。アムスの隠れ家に入る前に国外脱出をいろいろなルートで探っていたらしい。でも結局成功しなかった。それでアンネの日記が書かれることになったわけだが、アンネはもちろん死んで有名になるよりも、無名でも生きのびることを選んだはずだよね。もし選択が可能だったとしたら・・・・・・もうすぐそれらの手紙の内容が発表されるらしい。ちょっと気になる。
2007/01/26
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友人たちが史跡めぐりに誘ってくれた。最高のお天気の中あっちこっちまわり随分歩く。一日が終わっても天には一片の雲もない。下界に戻り好きなことをわめきながらおいしい酒を飲んだ。至福。言いたいことなど何もありはしない。300回も押したシャッター。3,4枚はまあまあのがあるだろう、なんて勝手に。帰って早速スライドショーをみる。なんと1枚も気に入ったショットはなかった。
2007/01/25
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オランダはお花の国。毎日大量の花が生産者から市場に入り競られてヨーロッパ中に配送される。いや世界中といってもいい。日本にだってアメリカにだって飛んでいる。花生産と花流通のボーダーレス時代を迎えた10年15年前には南米・アフリカ・イスラエル等外国勢力が台頭しオランダの独占を脅かすのではないか、と思われた時期もあった。しかしその予想は外れ逆にオランダの開発と生産技術と流通システムの圧倒的な優位性を世界に再確認させ君臨を誇っているように見える。でも今オランダは次の巨大な敵を前に徹底した戦略を立てなければならない段階にきている。敵とはもちろんドラゴン、中国だ。オランダがどうやってドラゴン退治にでるか。これはなかなか楽しい見ものになるはずだ。でもそのことは今は置いておこう。今日ちょっと書きとめておきたいのは、お花を、木を、草をどう愛でるか、ということ。100年も経つだろうという庭の海棠の老木につっかい棒を取付けるなんて難問を仰せつかって試行錯誤しているうちに昔気になっていたことを思い出したのだ。アムスの街角では数百メートルいかずほぼ必ずお花屋さんにぶつかる。家の中にお花が絶えることは普通の家ではまずない。週に少なくとも一度はお花を買わなければオランダ人とはいえないくらいだ。逆に言えばお花は次から次に消費される。花の命は短くて・・・、なのだ。切花はでもまー仕方がない。もともとちょん切られてしまった命なんだから。根のついた鉢物や観葉植物はどうか。これも回転が速いのだ。ちょっとくたびれてくるとすぐ新しいのを買ってくる。くたびれたのは容赦なくゴミにされる。そうするとお部屋は庭はまたまた清清しいフレッシュな雰囲気に溢れる、とまあそんなところ。お花は自分のためにある。その存在理由は主人である自分を心地よくしてくれることにあるわけだ。母を思い出す。彼女は枯れそうになった、或いはみすぼらしくなったお花や植物をなかなか捨てなかった。みすぼらしいまま冬を越し春に思いがけず出てきた芽を、そして成長していく小さな枝を花をとても幸せそうに眺めた。彼女が見ていたのは葉や花の姿(だけ)ではなくそれをもたらす命だったのだろうと思う。でもそんな感性は別に母に特別だったわけではなく、日本に生まれ育った人たちがみんな持つこころのベースのような気がしてならない、少なくとも最近はね。
2007/01/24
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知らなかったのは私だけなのかもしれないが・・・・postsecret.comというアメリカのサイトがある。匿名で送られた個人の秘密を書いた手作り絵葉書を毎週載せるサイト。自分の秘密をカードに書いて(なるべくクリエーティブなデザインを工夫して)このサイトを主催するワレンさんの住所に送る。送られてきた多数のカードから彼が20通を選んで毎週日曜日夜にブログを更新する。そのサイトの月間ビジター数は400万にも上り世界中で最も人気のあるブログの一つ。本(3冊)にもなって、世界中で話題になっている。昨年は“ブログ・オブ・ザ・イヤー”をはじめ5つの世界ブログ賞を受賞した。こんな人気ブログに広告を載せたら随分儲かるだろうに、ワレンさんはその誘惑を頑なに拒み続ける。“純粋性を保ちたいから”とか。元々ワレンさんはこれをアートプロジェクトとして2年前に始めた。3000枚の手作り絵葉書を作り住んでいる町の駅や学校、ギャラリー等に置いた。その絵葉書には次のような文面が添えられていた。“You are invited to anonymously contribute a secret to a group art project. Your secret can be a regret, fear, betrayal, desire, confession, or childhood humiliation. ”そして1ヶ月間に彼の郵便受けには100通の手作り絵葉書秘密入りが届いた。それでは、と始めたのがこのブログというわけだ。その後2年間で10万通の秘密を打明けた絵葉書が届き、それらのほんの一部を載せ続けるブログが月間400万人のビジターを持つ人気ブログにのし上がってきたのだ。寄せられる秘密はさまざま。“夫に腹が立った時はね、私、鼻くそで味付けした朝のスープ出してやるの”なんて楽しいのから、“彼は私の代わりにもう2年間刑務所に入っている”なんてヤバイのまでいろいろだ。でも胸に秘めただけよりも匿名でその秘密をさらけ出しやはり匿名のみんなと共有する作業をしたほうがその重荷から解放され成長のきっかけとなる、とある心理学者。世界中でこのブログのまねが現れているらしい。もちろんオランダでもある方が新聞社を巻き込んでオランダバージョンを始めた。(早速覗いてみたがまだ準備が整ってないのか、反応が鈍いのか、「秘密」はまだ載っていなかった)どんな成果がこのオランダバージョンに現れるのか興味シンシンだが、このニュースを伝える記事の最後に置かれたワレンさんの言葉が印象に残る。“私の思いが広まっていくのは世界のために良いこと。でも作り手の方々はしばしばpostsecretの深い性質を理解していないようだ。ヒトが秘密をシェアしてもいいと思える場所を創造するのは難しいことなのだよ”
2007/01/23
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割礼という言葉がある。その言葉はほとんどの日本人にとっては砂漠のイメージ以上にエキゾチックな響きを持つ現実感の欠落したものだろう。でもこのオランダではそれほどめずらしくないニュースネタの一つだ。割礼とは性器を外科的に変形させることで宗教的な習俗と関係している場合が多い。発生的にはたぶん砂漠地帯や熱帯での性の衛生管理術から発し、そこに宗教的な意味付けがかぶせられ伝統化したものだろう。一番有名なのはユダヤの割礼(男性)だろうが、北アフリカ(特にイスラム地域)の女児への割礼慣習は知る人ぞ知るもの。現在でも90%以上にも達するようだ。それはクリトリスの切除や性器の縫合といった形をとる。これは衛生上の理由を離れ明らかに女性の性感とセックスの自由の剥奪。男性優位の関係と秩序を保つための戦略だったのだろう。ちなみにオランダでは割礼は法的に禁止されている(EU全体が同じ方針)。北アフリカのソマリアやスーダンからの難民が少なくないオランダでは以前から(特に女児への)割礼撲滅にやっきとなってきた。ヤミでの非衛生的な手術がオランダ国内でも横行していた。しかし最近は摘発等厳しく取り締まるようになりその慣習は下火になったものと世間では思われていた。アヤーン・ヒルシアリというソマリア出身の若く魅力的な女性国会議員がいた。イスラム女性の解放を急進的に叫んだためイスラム原理主義者の暗殺リストに挙げられて(仲間の映画監督テオ・ファンゴッホはアムスの路上で実際に暗殺された)ここ数年オランダだけでなく国際的なスポットライトを浴びていた方だ。いろいろあり今は活動の場をアメリカに移したのだが。彼女の運動の契機も彼女自身が少女時代に受けた割礼のトラウマにあった。ソマリア出身女性支援のNGOがある。その関係者の発言によれば、オランダ在住ソマリア人女児の少なくとも80%は今でも割礼を受けている。オランダ内での割礼手術は禁じられていて表向きはできないが、バカンスで出身国或いはその近隣地域に行って割礼を受けるケースが多くなっているようだ。さすがに性器縫合は少なくなったがクリトリス切除や傷付けを両親・親族が強制するらしい。そんな関係者の発言が波紋を呼び、外国で子供を割礼させた親に対しての罰則を法に明記するように、というアクションが国会でも起きている。
2007/01/22
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「グーグル革命の衝撃」(NHK特番)を観た。人類の知の全てを集め瞬時に検索できるようにするのが目標。天才から秀才の上までしか雇わないスーパー知能集団。そして収益率の飛び抜けて高い一企業。いかにもアメリカ的だ。その目標の達成のため地球規模の斬新なプロジェクトを矢継ぎ早に軌道に乗せている。グーグル検索、グーグルアース、Gメール、YouTube(これは買収だが)、・・・・・めまぐるしく変化する現世の渦の中心にグーグルが居そうだ、ということは薄ぼんやりと感じる。少なくとも目標の5%は実行に移し、20%から30%のプロジェクトコンセプトは若い天才たちの頭の中ではすでに出来上がっているのではないだろうか。国家というもので成り立つ世界構造を、いつの間にやら圧倒的な知力とビジネスのネットワークが支配し始め、なし崩しにしかねない時代にすでに突入しているのではないか、と予感する。で、その先は?得体の知れない期待とえたいのしれない恐怖がからだを走り抜ける。
2007/01/21
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変な芋がぶつ切りで大鍋に入っていた。その鍋は私の知らぬ間に炊かれたらしい。気がつけば彼は庭に置かれた七輪の上の大鍋の半透明な半流動体をこねていた。“こんにゃくだよ”と彼。そのこんにゃくがさっそく夕食に出た。こねる際水を多く使った刺身ごんにゃく。新鮮なミズ菜とぶたのシャブシャブもデリーシャス。イカ刺・アジのたたきにも舌鼓。サトイモの煮っ転がしも涙モノ。でもでも彼の手作り刺身ごんにゃくはそれらからも抜きん出てうまかった。食べながらこんにゃく芋はどうやって手に入れたの? と訊いてみた。“畑で作ったんだよ”と返ってきた。こんにゃくは嫌いではないが違和感のある食い物だった。昔生産地をドライブしてこんにゃく畑を見た。その植物は白菜や大根やほうれん草と何か根本が違っているようでどちらかといえば異界に属しているような感じがした。そしてあの食い物としてのこんにゃく。それも野菜・魚・肉のどの領域からも一歩はなれたやはり異界の食い物みたいなオーラを持っていないか。そんなこんにゃくを煮て作っただけでなくその植物を育て芋を収穫したんだ、彼は。私には初めから不可能で奇怪にも思えるそんなことをさりげなくやってしまう彼に驚異と尊敬のまなざしを向けながらこんにゃくと麦焼酎お湯割りを飲み干した。
2007/01/20
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オランダの嵐は2人だけでなく7人の命を奪った。嵐が小さなオランダだけで収まるはずはない。イギリスやドイツ等でも荒れ狂い30人前後が亡くなったらしい。物的被害も途方もなさそう。オランダの建物だけでも最低で1.6億ユーロ。その他作物被害も大変。欧州全体ではどれほどになるかは数日たたないと数字が出そうもない。嵐の他にこんなニュースもあった。北の町フローニンゲンに医療用マリワナ専門薬局第一号がオープン。2年の運動の末とか。オランダではマリワナは少量なら合法的に買える。もちろんスパスパやるのも合法。「Coffee Shop」という名の公認マリワナ販売所が街のあちこちにあるオランダだ。春や夏のホリデーシーズンともなれば世界中から若者たちが集まってスパスパやっている。ビニールか紙の小さな袋入りで色んな種類が置かれ、一袋(何グラム入りだったか忘れたが)10~30ユーロほどで子供でなければ誰でも買える。若者ばかりかお年寄りにも愛好者が少なくない。昔間借りしていたアパートの大家のおばあちゃんの寝室からもあの独特のにおいがしてきたのを思い出す。睡眠薬代わりに吸っていたのだ。そこで今度はマリワナ専門薬局。その設立運動のリーダーによれば、市販のマリワナは農薬や金属粒子や砂を含み純粋ではなく値段も高い。オランダでは医薬品としてのマリワナはふつうの薬局でも買えるがCoffee Shopでより値段が高く一時問題になったものだ。必要な方々の大部分は薬局でなくCoffee Shopで入手しているらしい。ふつうの薬局では0.8グラム9ユーロほどだがこの専門薬局では一番高いのでも5ユーロ。全国から注文が殺到しそうだ。オランダでは医療用マリワナ利用者は推定15000人。エイズ、ガン、MS、その他の慢性病の人たちが主に鎮痛目的で使っている。2003年から医者の処方箋があれば薬局で処方してもらえるようになった。
2007/01/19
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久しぶりにオランダの新聞を覗いてみれば、嵐関係のニュースばかり。風力10で数年来のパワフル嵐。時速130kmの暴風が暴れている。オランダ東部の州道で走っていた車に木が倒れ2人が死んだ。アムス周辺の鉄道は全て運休。その外も各駅停車しか運行してない。国務省の全国危機センターは“国民に外に出るな。目的地にたどり着いていなくても現在地に留まるように!”という警告を発している。こんな写真も載った。アムスのコンセルトヘボーの近くだ。ぽかぽかとした関東平野にやってきてしまって現実感が希薄だが、4年ほど前だったか、はでな嵐の爪跡を見て回ったのを思い出した。その時は至るところ木が倒れ鉄道全て運休。アムスのトラムも倒木で運休。高速道路もあちこちで通行止め。アムスの街中の道路も倒木で車が走れない状態だった。今回も同等規模の嵐のようだから消防さんたち大変だろう。全国全員フル出動だって。また道路脇あちこちに倒木の輪切りが置かれるんだろうな。
2007/01/18
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何本かの庭木はきちんと剪定されて正月を迎えたようだ。開いていた玄関に入り“おーばちゃん”と呼ぶと、コタツの向こうから“あら、いやだ。上がって上がって”と元気な声がした。コタツに入るとお茶とせんべいとみかんが出た。“今日はねー。おしめりだったんでグランドゴルフいかなかったんさ。でもしーちゃんはいったんだって。92歳なのになーんでもひとりでできてさー、あたしよりゴルフうまいんだからいやんなっちゃう。”“あたしゃーね、休んでうた(短歌)作ってたんさ。でもねー、昨日はホールインワンやって勝ったんだよ、あたし!”“へー、すごいじゃない、おばちゃん!”おばちゃんはしごく満足そうだった。根っからほがらかな人たちってやっぱりいる。数年前夫を亡くし一人住まいをするおばちゃんはそんな人たちの一人かもしれない。“とーちゃんはさ。診療所で肺に影と菌が出たってんで山の療養所に運ばれたんだよ。そこに入れられてずーっといたんさ。若ーきちげーみたいなのが同じ部屋に入れられててさー。とーちゃんも気が短かったもんでよくけんかになって。そいつが椅子を振り上げて、とーちゃんにぶちつけそうになったんだんだよ、まったくー。んでまー、だから元気でやってたんさ。でもさー、あんなとこ入れられなくてもよかったんだ。先生だって言ってたんだよ、菌は出てないんだ、ってさ。かわいそうになー。”“んで、退院する日のその朝にさ、トイレに坐っててさ、痰がのどにつかえてさ、逝っちゃったんさー。”おばちゃんは会うたびにこのはなしをしてくれる。訪れるひとに訪れた先でいつもこのはなしをしてくれる。そしておばちゃんは今日も鼻に流れた涙をすすった。そんなおばちゃんだからまた訪れたくなる。
2007/01/17
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国際免許を持ってくるのを忘れてしまったので日本で運転ができない。故郷ではきょうだいの家族の運転であちこち用を足している。今日もスーパーへ。その帰り細い田舎道は一通になっていない。道の広がった部分で脇によけ対向車の通過を待つ。2台が行き過ぎたところで発進した彼女はいう:“なんだよう、アイツ。あいさつくらいしなさいよ!”好意を無視されてムカッときたようだ。“オランダじゃあねー”とわたしはいう。“後続車を10分待たしても駆け足になったり、出るとき挨拶するヤツなんかあまりいないよ”そして何年か前アムスの運河沿いの細い通りで前の車が用事で止まってしまいジッと待たされた時のことを思い出した。10分ほど待っても動く気配がない。焦っていたのでクラクションを鳴らした。それでも動かない。イライラしながらふと後ろを見ると何台か後ろにパトカーがついている。これはいい、と思いそのお巡りさんに“前の車ちっとも動かないんだけど・・・・”と助けを求めた。そしたら “クラクションなんか鳴らすんじゃない。落着いて待て”という答えが返ってきた。
2007/01/16
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保険もないのに歯医者に行った。周期的に痛くなるのにほっておいたツケが悪いタイミングで回ってきてしまったわけだ。さらに悪いことには一本抜けねばならないとか。悪くなった歯が回復することは絶対にない、という定理を甘くみていた自分の責任。だからそれはそれでいい。明るい陽の差し込む待合室。全く陽の差さないアムスの歯医者に慣れた私にはその明るさがまぶしい。白で統一した診療室には3つの診療チェアーが並んでいた。その3つを舞うように行き来する先生。舞いながら訪問業者への対応もぬかりない。もちろんチェアーはひとつしかないアムスのいきつけの歯医者の診療室を思い浮かべる。受付さん(兼看護婦さん?)の室内履きのぱたぱたぱたという音が小気味いい。小走りでクライアントと診療アシストに飛び回っているのだ。帰り道、コンクリートの溝を流れる街の小川沿いに散歩しながら帰った。相変わらずの青空と太陽。川の流れもきらきらと踊っている。水いっぱいのオランダだが、こんなに透明でこんなにすばしこい流れはありはしない。待合室のおだやかな人々。診療室を舞う先生。ぱたぱたと駆ける看護婦さん。コンクリートの小川の水(写真)のように小気味いい。
2007/01/15
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東京を堪能した。上野のアメ横の飲み屋のランチ。築地の巨大な病院を出てその影にすっぽり入ってしまうような目立たないすし屋でのささやかな退院祝い。そして鍋。昔ながらの喫茶店の炭火コーヒー。新宿のハイチコーヒー。みんな友人たちとだ。堪能して東京を去る。電車で。
2007/01/14
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昨日から東京。ここ3,4日ふつう以上にボーっとしている。あまり眠ってないからだ。そんな不透明な神経と心象に入り込むものはあまりない。でも空港から都心に向かう電車の窓からまず飛び込んできたのは太陽と香ばしい大地。ここはアムスより寒い。空気が冷たい。でもこの日差し。香ばしい冬の日差し。それに友人。友人宅で暖をとる。とぼとぼとやってきたそのまま受け入れてくれる。途方もないありがたさ。相変わらずの寝不足のからだにその充足だけがしっかりと居座る。
2007/01/13
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新年はじめてのいいお天気(3日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から5.95 km:こんな風情の方々が多くなる。里に戻ってきた証拠。
2007/01/12
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新年はじめてのいいお天気(3日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から4.2 km:アムスからいちばん近い村、Zunderdorpよバイバイ!(この村も1920年代からは行政地域としてはアムステルダム)
2007/01/12
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新年はじめてのいいお天気(3日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3.3km:典型的な水郷地帯風景。この村もWaterland(水郷地帯)という地域の一部をなす。
2007/01/12
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新年はじめてのいいお天気(3日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3.3km:跳ね橋。オランダにはどこにもいっぱいある。今は冬だから来ないが春に夏になればバカンスボートがわんさかお出まし。オランダ情緒が盛り上がる。
2007/01/12
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新年はじめてのいいお天気(3日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3.2 km:特になんてことない教会のシルエット。
2007/01/12
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新年はじめてのいいお天気(2日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3.2 km:そして足もとを見てみれば・・・・・!シトロエンDSの古い型。スキな方には垂涎!?
2007/01/11
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新年はじめてのいいお天気(2日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3.2 km:ちょっと横を見てみれば・・・・・・・
2007/01/11
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新年はじめてのいいお天気(2日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3.2 km:橋のたもとで前を見れば・・・・・
2007/01/11
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新年はじめてのいいお天気(2日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3.2 km:水路をまたぐ散歩用丸木橋。これを渡ると牧場散歩。
2007/01/11
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新年はじめてのいいお天気(2日前)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3.1 km:村の 道端にかぼちゃとか乗った台が出ている。 春から夏になるとこの台の上に野菜だとか蜂蜜のビンとか置かれる。 いくらかお金を置いて勝手に持っていっていい。 でもこのかぼちゃは持っていってはいけないみたいだな。
2007/01/11
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新年はじめてのいいお天気(昨日)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から3 km: 教会の隣に変な鳥がお休みになっていた。 その状態で50 cmほどの大きさ。 なんていう名の鳥なんでしょう?
2007/01/10
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新年はじめてのいいお天気。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から2.9km:さて村の入り口。 Zunderdorp(ズンド村)。 牧場の中に数十軒のかわいらしい家並み。 そして教会。 それだけ。
2007/01/10
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新年はじめてのいいお天気。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から2.8km:さて村の入り口もすぐそこ。 羊さんの出迎えも受けた。 “ッチアース!”
2007/01/10
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新年はじめてのいいお天気。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から2.5km:広々とした牧場風景。 でもこの送電線にはウンザリする。 低圧電線は地下に通すオランダだがこの高圧線は無理みたい。 オランダの原風景をよごしている(写真には悪くもないか)。
2007/01/10
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新年はじめてのいいお天気(昨日)。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から2km: さてどちらに行こうか・・・・。 この道しるべは一般道用。 自転車道用にはまた別のがあったりする。
2007/01/10
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新年はじめてのいいお天気。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から1.8km:ジョッガーが行く。彼が走る道の右側の水路は道すれすれくらいの水面。その道の左側を見ると斜面が下りている。そこに広がる土地は水面より2,3m低い。典型的なオランダの大地。
2007/01/09
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新年はじめてのいいお天気。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から200m: マデリーフャ(雛菊)が咲いていた。 お正月の野辺に雛菊。オランダの緯度は樺太北部と同じ。
2007/01/09
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新年はじめてのいいお天気。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から150m: 白樺らしき木が水際に数本立っていた。
2007/01/09
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新年はじめてのいいお天気。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から100m: 鳥くんたちのパラダイス。雑木林。
2007/01/09
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新年はじめてのいいお天気。50kmのツーリングに出たつもりが、50m毎に立ち止まり。6kmのお散歩になり下がってしまいました。棲家から10m: 野っ原も雨がつづけば水溜り。 オランダの原風景ってこんなもの。
2007/01/09
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友人の娘。日本語は話さない。日本人の母親と2人で育ったのに。“日本食好き?” と訊いてみた。“全然好きじゃない”と返ってきた。こんな嵐の冬の夜にオランダ人たちが死ぬほど食いたくなるのは次のような代物。ゆでジャガをつぶして酢漬けキャベツのみじん切りとソーセージのぶつ切りをぶち込んでかき混ぜたスタンポット。そんなものへの食欲が体の中にうずまくヒトを前に何か宇宙人と2人だけにされてしまったような孤独と断絶を感じながら、さっき見舞いの細巻きを3つ平らげてしまった病床で動けない彼女の母を見る。だれでも自分が落ち着ける世界というものがある。食にもそれはある。ふつうだと母の味覚は子供に受け継がれる。でも飛んでしまったヤツラの家庭ではそれが切れてしまうことがある。そんなケースといったらいいか。にぎりめしや味噌汁に違和感が漂ってしまう体感。そんな彼女を前にして何を主張したらいいのかと探し回る自分に気づく。
2007/01/08
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ALDI、 Lidl、Dirk、Zeeman。オランダ在住貧乏人にありがたいスーパーマーケット。初めの3つが食品、最後が衣料品。友人が感慨込めていった。“近くにAH(Albert Heijn:オランダ最大の食品スーパーチェーン)とLidleがあるんだが、最近はLidleにしか行かない。だってAHじゃ10ユーロ以下の買い物なんてまず不可能なのに、Lidleじゃいっぱい買っても10ユーロ超えることなどありゃしないんだぜ!”Zeemanもありがたい。下着2ユーロ、Tシャツ5ユーロ、ふきん1.5ユーロ等々。サバイバル組には衣料バジェットが3分の1以下に切下げられるうれしい価格。全商品が中国・インド・ベトナムあたりから入ってるんだろうね、たぶん。どこから入ろうがちゃんと食えるものなら、着れるものならばんばんざい。ALDI様さまZeemanサマさまだ。この海の男(= Zeeman)ヤン(Jan Zeeman:創業者・社長)はやたら進出欲の強い男みたいでオランダだけでなくドイツ・ベルギー・フランス・ルクセンブルグに進出。約1000店を切り回す。でもそれでもまだ欲が収まらないらしく今度は保育業界にも進出。オランダの全保育所の5%(売上げで)を買収してしまったんだって。オランダの保育業界規模は年間20億ユーロ。Zeemanが1億ユーロ。“保育は突然投資対象になってしまった。でもそれは当然のこと。だって行政からの金が80%を占めるこの業界ほど安全な投資先がどこにあるっていうの”と保育連合会。おまけに業界規模拡大が年間10%を超える。“どんどん大きくしていくよ”とZeeman保育部門の親分さん。やれやれ、安売り保育時代の到来ですか。そんなことを思いながら街からの帰り道。渡し舟に乗っていると目の前にこんなお尻があった(写真)。
2007/01/07
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オランダの国民スポーツといったら何てったってサッカーがダントツ。でもこの季節スケート人気もすごい。スケートといっても荒川静香みたいに洗練された美を売るやつじゃない。ただぐんぐん突っ走るスピードスケート。ばかでかいオランダ人向き。(こちらにいらしたら一度はレディーの下着売り場を散策してくださいね)NAGANOのダブル金メダリスト、マリアンネ・ティマーとか憶えている人もいるかな。2006年TORINOでも活躍した。500mのスタートダブルミスで涙を呑んだときテレビの大写しでメークが涙に崩れた。それが大いに話題になったもんだ。オリンピックの大勝負でもやっぱりメークに気を使う。何というケナゲな女心!ということで次の1000mの決勝では全オランダ人が彼女の足ではなく目元あたりに注目。晴れて優勝した彼女の目元にメークはなかった。でも12分に美しいよ! と思ったけどね、個人的には。何を話してるんだ、オレは。マリアンネはどうでもいい。今は200kmスケートマラソンについて。オランダの中でも特に水の豊かな水郷地帯のオランダ北部フリースランド州の11の町をスケートで駆け巡るElfstedentocht。世界的に有名なスケートマラソン大会。いざ開催となればオランダ人だけでなくいろんな国から参加者が押しかける。数年前には世界選手権とだぶって開催されそうになりそちらを蹴って集まった外国選手もいた。結局は氷が安全でない部分(橋の下とか)があるということで取り止めになったのだが。それほどまでに熱が入る理由がある。過去約100年でたった15回しか開催されてない。一番最近の開催は10年前の1997年1月4日だった。オランダ気象庁が長期予想を出した。21世紀はたったの10回しか開催できないだろう、というもの。この予想の前提は今世紀の気温上昇が6度で収まること。これが8度も上がれば今後100年間開催無し、だって。さてさて次回のElfstedentocht(11都市巡り)は何年後になるんだろうか。今日の予想最低気温は摂氏9度!
2007/01/06
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去年の夏Otapanはトルコに向かった。その地に骨を埋めるつもりで。でも彼女の入国許可は下りず、結局とぼとぼとアムスに戻った。入国拒否の理由は不正申告。アスベスト1トンのはずが実は54トンもあることが判明したのだ。Otapanとは、1965年就航1988年一線引退、1999年から2006年までアムスの港に繋がれたままになっていたメキシコ籍の老タンカー。アスベストをたっぷり使って作った船(70年代まではふつうのこと)だったので当時の環境大臣に監禁されてしまっていたのだ。やっかいものの解体はインドかバングラデッシュに払い下げてやるのが一番安く手っ取り早いのだが、解体労働者のアスベスト被爆対策が充分でない、そしてその労働力も子供が多い、そんな地に出すわけにはいかない環境王国オランダ。苦肉の策でトルコの業者とアスベスト除去・解体を進める段取りだったのだが、環境団体グリーンピースの派手な抗議行動でバレてしまって万事窮す。すごすごとアムスに戻ってきたわけだ。仕方なく自国業者に見積もりさせてオランダでの解体との方向が出たのだが、ここに来てまたまたアスベストが1.5倍近くもあることが判明してしまった。77トンもね。頭を抱えるのは担当副大臣ファン・ヘイル。当初予算は50万ユーロだったのに、これでは200万ユーロ(3億円以上)近くかかりそう。ヤレヤレ。1999年にこの船の移動禁止命令を出したのはプロンク環境大臣(労働党)だったような気がする。やっかいものは追い出してしまえばこんな問題は起きなかったのに。こんな膨大な無駄な出費は予防できたはずだし。本当にバカだよな。(現政権だったらそんなこと絶対しなかったろう)でもさ、こんな酔狂な責任感ってのもステキなことかもしれないよ。国家でなく地球規模での配慮ってこと。そういうハートを持った男だった、ヤン・プロンクさんって。
2007/01/05
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新年初の新聞が2日に届いた。めくっていくとあるページの隅に「4家族が億万長者に」とある。オランダの郵便番号宝くじ新年バージョン。北ブラーバント州の片田舎の通り(オランダの郵便番号は通りや広場を番号化したもの)に幸運の女神は舞い降り、その通りに面した4軒の農家が1390万ユーロを山分けすることになった。日本円になおして一軒平均5億3千万円弱が降ってくるんだから悪くない。その4軒は狂喜、と思いきや意外にも迷惑顔。自転車でやってきたご夫婦は、賞金で何やりたい?と訊ねても、わかりません、と肩をすくめるだけ。その通りにはあと5件の農家がある。彼らはこの宝くじの会員になっていないので隣人たちの幸運を指をくわえて眺めるばかり。(歯軋りしてるんだろうね、きっと)思い出した。師走のオランダにおかしなニュースが流れた。この郵便番号宝くじの年末バージョンだったのか何だったか忘れたが、周りが宝くじに当たり億万長者になって大喜びしてるのにウチは相変わらずの貧乏。この私の精神的ショックの元凶は宝くじ協会と言い張って協会に対して損害賠償の裁判を起した人がいた。その判決がどう出たのかは不明(まだなのかな?)。こんなほほえましいオランダだが、その新聞の同じページにはサダムの棺に伏す故郷の親族の写真。記事を読んでみると処刑の直前、周囲に「地獄に落ちろ」と罵られるサダムが祈りはじめ、‘モハメド’と言おうとしたところで絞首刑台の床が落ちた・・・・・。故郷に埋葬されたサダムへの支持デモの叫び:“復讐だ!!”そしてその下に獄中のサダムの看守だった56歳のアメリカ人軍曹の思い出が載っている。“サダムは文句を言わない男だった。でも何か文句をいったときは彼がいつも正しかった。““1.8m x 2.4mの独房に入れられたサダムだが、パンくずをとっておき野鳥にあげたり、独房の中(?)のほんの小さな地面に生えてきた何本かの草の世話をしていたよ。”別れにサダムは彼を抱きしめ“兄弟”と言った。そのページにはまた「浮浪者」というタイトルの詩があった。31行のその短詩には“新年おめでとう”ということばが8回使われていた。
2007/01/04
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数年前デンハーグの場末のパブに取材に行った。バーニーに会いに。当時のWDF世界ダーツ選手権(隔年)の連続チャンピオン。「ダーツは道具が安いから家庭でもどこでもできる。でもうまくなるには集中力が大事。そして上達への意欲。それからとにかく忍耐力だね」とバーニー。そのバーニーも3度目の世界チャンプ(2003年)になってからスランプに。その名が新年は元日の晩また大きく踊った。視聴率23%、150万人のオランダ人たちがテレビの前で歓声。元郵便配達人バーニー(Remond van Barneveld:39歳)がPDC世界ダーツ選手権で13回世界チャンプになっているフィル・テイラー(英)を破って優勝したのだ。男子テニスのような3時間に及ぶ神経戦。出だし0-3とリードされての7-6逆転勝利。「フィルを倒すために(WDFから)PDCに移ったんだ」移って(2006年2月)1年足らずのこの快挙。優勝トロフィーと賞金15万ユーロ(2340万円)を手にして満面の笑み。新規巻き直しのためにスタッフ全部クビにし新体制を組み立て毎日2回20分間の呼吸瞑想を自分に課しての快挙。やっぱり最後は集中力と忍耐力だったんだね。数年前「日本にも行ってプレーしてみたいな」と言っていたバーニー。その後どうなったのか、今度電話でも入れてみようかな・・・・。注:WDFとPDCは世界2大プロダーツ団体名。
2007/01/03
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出鼻をくじかれた。年明け1時間前カメラを引っさげ三脚片手に外にでてみれば嵐。アムスの街の狂乱をしっちゃかめっちゃか切り取ろうという新年への抱負は水の泡。でもがんばったヤツラもいた。アムスのダム広場では3万人が踊り狂い年明けを祝った。警察の心配が外れて年越しの狂乱は比較的平穏だったようだ。お天気のおかげだね、きっと。直接花火・爆竹で亡くなったのは全国で一人だけ。顔に手榴弾型花火の直撃を受け36歳の男が命を落とした。元日恒例のスケベニンゲン(デンハーグ近郊)の浜での北海初泳ぎ大会が中止になった。39回を数える歴史の中で初めてのこと。原因はやっぱり嵐。集まってしまった人たちにはオランダ冬の定番エルテンスープ(えんどう豆スープ)が振舞われたとか。元日学んだこと:嵐くらいで引っ込んでいては写真なんて撮れるはずないってこと。
2007/01/02
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嵐とともに2006年が行き花火の狂乱に2007年が明け新しい時間が静かに進みはじめた。
2007/01/01
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オリーボレンを2つ食った。「白鳥の湖」をテレビで観ながらレーズン入りのでかいのに白いパウダーシュガーをたっぷり振って。典型的なオランダの年越し。外では狂乱への伏線のように散発的に爆竹がとどろき。日本では除夜の鐘も鳴り止みすでに3時間近く2007年が進み、ここでは2006年があと5時間も続く。中途半端な時間。世界の形がくっきりした幸せの世界。時間がひとつで言葉が晴れ上がっている曇りない世界。そんな幸せが無くなってもう随分時間がたった。終わる年の中でそんな想いを吐き出すとそのことばはおめでたいお元日に記された。
2007/01/01
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