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ええと、ブログ名を変えました。何が変わったかというと、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2007 だったのが、…2008 になりました。 そんだけ(笑) まぁ、毎年この部分だけは確実に変わるんで。内容は変わってませんです。 で、嫌いな言葉、なんですが。こないだ、例によってえらそーなことを書いてしまったついでに、こんな話を書いてみました。雑誌の記事とか、ネット上でとか、結構気になるので、最近。要するに歳とって偏屈度合いが上がった、ということなのでしょうけど........ まぁ、一般的な話で言うと、「KY」とか大ッ嫌いなんですけどね。ちなみに理由は、「空気読め」とかいうのは平たく言えば数の暴力に過ぎないので、「空気読んでくれない人」に不満を持つのは仕方無いにしても、そういう言葉で排撃しようとするのは大変薄汚くみっともない暴力だから、なんでして。 まぁ、ここはあくまでクラシック音楽のblog。ですので、そういう路線の話で書くのです。・「意義深い」 このネタを書こうと思ったきっかけ。ネット上で、何か珍しい曲が演奏されたりすると、すぐ「意義深い」とか書かれることがあるのですが、これ、嫌いです。 だって、具体的にどんな意義がある、とか、誰にとって意義がある、とか、全然明確じゃないんですよ。なのに、取り敢えず「意義深い」とか言っておしまいにしちゃう。でも、「意義深い」なんてこと、次の項目で述べる理由で、まず無いんです。せめても「自分にとって意義深い」と言うのなら、まだしも救いだと思うんですけどね。・「日本初演」 「意義深い」とカップリングで使われることが多い。 例えば、50年前に、ストラヴィンスキーあたりの曲で、録音はおろか殆ど誰も聞いたこと無さそうな曲を日本で初めて演奏します、という時、それなりに「日本初演」なんて言う意味はあったと思うんですよ。 でも、今では、大抵の出版された曲は、某か探せば、録音で聞くことが出来るものが殆ど。一方、高らかに「日本初演」を謳う以上、聞く側にとっても某か意味があってのことであるべきと思うのですが、実のところこの手の話は送り手側の思いで言っているケースが多いようです。であれば、前項の「意義深い」同様、それは聞き手にとってどうでもいい話でして。・「いえよう」 某音楽評論家が大好きな言い回し。 なんかスノッブで下品な感じですよ。現代日本語としてそもそも正しくないんだもん。まともな日本語なら「言えるだろう」とするのが正しいのでは。そういう分かり易い表現を嫌うタイプの知識人の香りが臭います。・「個人的には」 これ、よく自分も使っていて、いつも読み返してイヤーな気分になります。 だってさぁ、個人のblogじゃないですか。そんな所で「私個人としては」てなもんで、「個人の意見」を書こうとする。んなもん、あくまで個人の意見しか書かれないなんてあったり前でしょ。それをいちいち言わんでもいい、と。
2008年02月26日
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東京文化会館 15:00~ 4階左側 二期会の公演です。ハイ、いつぞやアマチュア認定して以後、初めてチケット買いました。わざわざ買った理由は偏に「二期会の指環」への郷愁交じりの期待です。 二期会の指環への取り組みは、1960年代に遡ります。「ラインの黄金」から30年ほど掛けて「神々の黄昏」に辿り着いた、その公演を観たのが私の場合最初です。その後数年の間に「ラインの黄金」「ワルキューレ」を再演、そのワルキューレ上演の翌年新国立劇場が開場。以後、二期会は指環上演を行っていません。11年振りのワルキューレ、指環上演というわけです。 公平に言って、二期会としてはいい公演だったと思います。日本のセミプロ団体である二期会の公演レベルとしては。多分こういう言い方をすると点が辛すぎる、とは言われるんでしょうが。 でもねぇ。郷愁を持って観に行った身としては、11年前、或いはそれ以前の記憶が蘇るのです。 15年位前の「神々の黄昏」とかは、一応声を出し続けるのがやっと、という状態でした。でも、観る方もやってる方も、まぁとにかくよくぞ上演したものよ、という了解があったのですね。それは甘えと言えば甘えではあるのですが、実際、何とかやってのける為に全力を出し尽くした、というものではあったのです。何より、「自分達は力量不足だ」という了解があったし、そこに関して決して甘えた思い込みは無かったのです。 観る方にとっても、まだ日本での指環上演は殆ど無かった時代です。日本で指環の通し上演が行われたのは、1990年代のMETの引越し公演が最初じゃなかったかな。それまで通しで上演したのは、30年掛けての二期会の公演くらいだった筈(それを通しと呼んでいいのかどうかはともかく)。その後、例の新国立劇場の公演、ゲルギエフ指揮のマリインスキー劇場の公演があったと思いますが..... だから、二期会でも、指環の公演は、言わばプライドを賭けたものであったのです。出来るからやる、では済まされない気概があった。最高のキャストを揃えて、全力を出していた。 正直言って、今日の公演のレベルは、11年前と大差ありませんでした。つまり、なんにも進歩が無い。それでいて、二期会の公演レベルとしては、恐らくかなりいい方。変わったのは上演する方の意識でしょうね。今の二期会の人達は、これを「結構いいもの」と思ってるんじゃないでしょうか。 11年前、僕等は、もうすぐ新国立劇場が出来るのを横目で眺めながら「ワルキューレ」を観ていた。きっと、これからいろんなことが変わっていく、日本のオペラ事情もきっと大きく、いい方向に、より質・量共に改善されて行く筈だ、そう思ってました。「自分達はまだまだだけど、これが今の精一杯だ」と思いながら全力で出した公演と、「自分達は結構レベルが上がった」と思いながらやっている公演。その質が殆ど変わらない(実は今日の方が丁寧さを欠いている)、というのは、なんなんでしょうね。 今日のジークムントは成田勝美。11年前も確か彼だったのだけど、どんな想いなのでしょうね。 歌手陣は、やはり一杯一杯である事に変わりは無い。出来にどうしても濃淡があります。 比較的安定していたのは、ヴォータンとブリュンヒルデ。後は決して安定していたとは言えない。成田勝美は頑張ってはいたけれど、やはり所々ひっくり返ったりとかはありました。ワルキューレは、負けてるしねぇ、オケに。笑ってるのが聞こえないんだもん...... ま、辛辣かも知れませんが、要は、日本人による、日本人の為の、日本の「ワルキューレ」ということ、でしょうか。 東フィル.........音は一応でかいけど、ちょっとね。アインザッツが揃わないのは世の常として、管がボロボロなのと、弦がいまいち宜しくない。弾いてはいるし、音はそこそこあるのだけど、厚み、深みが無い。他の楽器に負けてるというか。言ってみれば、CD聞いてるような感じなのです。 まぁ、こちらも「やっと弾き切りました」って感じかなぁ。飯守泰次郎は前にいつ聞いたのか忘れましたが、まぁ、当分聞かなくてもいいかな。 演出のジョエル・ローウェルスは、評価低し。 そもそも、一体この公演は何処にスコープを置いているのか。以前の二期会の「指環」は、全4夜を念頭に置いて演出に連続性があった。言わば「岩の指環」とでもいうような舞台を作ることで、一貫性を持たせようとしていたのだけれど、恐らく今日のこの演出は、4夜上演することを念頭に置いていない。例え4夜上演を考えていなくても、そもそも物語として1夜だけでは完結していない以上、それを意識して舞台を作るべきでしょうが、それが無く、代わりに、ワルキューレ単体としての小ネタを散りばめてしまう。その小ネタが大した意味が無いものばかりなので、正直観ていると鬱陶しくなってくる。 一例を挙げると、小学校低学年くらいの少女を最初と最後に出してくる。どうやら最初では、それは幼いジークリンデのようなのだが、幕切れに出てくる同じ少女はどうやらブリュンヒルデであるらしい。それは拙いでしょ。或いは、ジークリンデとブリュンヒルデを重ねて、「ヴォータンの意のままにならない自律した娘達」とか言うことは可能だけれど、それを言うことが、このオペラに於いて如何なる意味を持つのかが不明。要するに落とし前が付いてないのです、この演出。最近多いですけどねー、このパターン。 ローゲと思しき原始人的なキャラクターを踊らせるのも安直。二期会は歌唱以外に頼り過ぎです。それに、ワルキューレでこんな異形のキャラクター設定しておいて、遡って「ラインの黄金」ではどうするつもり?ローゲは(悪)知恵者ですよ、序夜では。 その他、第3幕冒頭の意味無いストップモーションとか、ワルキューレは妖精さんみたいな羽をひらひらさせてるとか、もう色々色々ありまして...... でも、それで全体として何某か一貫した物があるなり、納得出来るものがあるのなら、そういうことも含めて腑に落ちるんですけどね。 これ、例によって「意義深い」とかいう人は多いんだろな。 私としましては、「意義が限り無く浅い」公演だったと思います。今の関係者にとってすら、11年前と比べてむしろ退化している面もある(演出とか!)公演で、どんな意義があると言うの?まぁ、セミプロだったら、上演したことに意義があるんでしょうけど。(てか、我々一般リスナー=消費者にとって、そもそも「意義」ってなんなんでしょう) 例によって無駄に点が辛いとか思われるかも知れないけど、15年前の「神々の黄昏」には、やはり何某かの納得感が、出来不出来のレベルとは別にあったのです。それを思うに、やはり点が辛くならざるを得ないのです。
2008年02月24日
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というわけでとうとう先行発売が開始されましたが....... まー相変わらずさっぱり繋がりませんね~(苦笑)<電話 こうなることは予め予想していたので、お金が掛かるのは承知でネットで予約。もっとも、ネットの方も、さっぱり繋がらなかったですけどね、最初は。まぁ、最終的には、概ね狙っていた公演のチケットは、声楽系を中心に確保しました。白井光子も取れたので、良かった良かった。 開始後1時間半の時点で、相田みつお美術館とか、特に狭い所の公演は結構埋まってしまったようですが、B5とかの室内楽なんかはまだ空いてるみたいですね。皆さん頑張って下さい...... それはそうと、ボランティアはどうなるんだろう...... 一応応募してみたのですが......
2008年02月23日
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フレンズ会員へのメールで配信されてきました。 ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン2008のボランティア・スタッフ募集だそうです。 忙しいしなぁ.....休みの日にわざわざ.....と思いつつ、興味は大いにあるのです。 こういう形での運営って、この「大人の学園祭」みたいなイベントには、結構合ってるような気もしますしね。そういう携わり方も面白いでしょうし。 各日を半分に割って、複数日で最低限2コマの活動が出来ること、説明会(2回)に参加出来ること、が条件だそうです。応募者多数の場合は選考の上決定だとか。 さぁ、どうします?
2008年02月20日
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お知らせですが、最近エロックバック(造語:エロ系のトラックバック)が増えて来たので、トラックバックを付けられても、その場では表示されず、管理者の承認を経てから表示、という設定にしました。 基本的に、無関係のものと、不当な非難中傷と思われるものでない限り(ってそういうのこれまで無いけど)、通しますので、付けられる方はあまり気にしないで下さい。 コメントは楽天ブログメンバーでない限り不可、というのは変わりません。こちらも同様の機能があれば同設定にするんですけどね....... オーチャードホール 15:00~ 3階左側 チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 交響曲第5番 ヴァイオリン:樫本大進 指揮:ダニエル・ハーディング うーん................. 色気が足りない。これが今日の全てのような気がします。 演奏がそう悪いという訳ではないのです。ハーディングの指揮も、決して悪くないのでしょう。正直弦は弱いけど、それなりに揃っていて、決して力不足という気はしない。 でも、色気が足りない。パワーはあって、音は鳴っているけれど、その先、響き、音色、そうしたものが不足している。オーチャードホールは確かにデッド気味で決して有利なホールではないですし、3階の端に近い方で聞いてる奴に言われたくは無いかも知れない。でも、やっぱり、音色や響きの不在というのは、そうしたことでは言い訳にならないと思うのです。 で、チャイコフスキー、特に交響曲の方は、やっぱり、このへんで魅力を出さないと、「だから何?」で終わっちゃうんですよね。確かに大音量の奔流に溺れるというのもありかも知れないですけど、それだけだとやっぱり寂しい。特に、あの第1楽章から繰り返し現れる主題、これは聞かせどころだし、それだけにただ一所懸命弾くのではなく、それぞれの箇所でどう聞かせるか、表現を考えて欲しいし、その表現の幅を広げられるような演奏が出来て欲しい訳です。たとえば、もっと下品に「泣き」を入れて聞かせる、とか、そういうことでもいいのです。まぁ、ハーディングの場合、そういうことはしなさそうだし、だからこそ一見盛り上がるけれど、迫るものが無い、という、日本のオーケストラにありがちな罠に陥っているのだと思うのですが。 前半のヴァイオリン協奏曲は、まぁ悪く無い、というところでしょうか。今日の樫本大進は、昨日の少年と違ってもう30近いだけに、流石にひと味違いました。とはいえ、やっぱり、色気が、なぁ。樫本自身の音は、それほどつまらない音ではないんだけど、結局は歌わせ方かな、こちらは。
2008年02月17日
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すみだトリフォニーホール 15:00~ 3階中央 ウェーバー:歌劇「オイリュアンテ」序曲 モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第4番 <独奏アンコール> パガニーニ:24のカプリースより(郷古編) ハイドン:交響曲第1番 / 交響曲第100番「軍隊」 <アンコール> ハイドン:交響曲第88番 第4楽章 ヴァイオリン:郷古廉 指揮:ゲルハルト・ボッセ 今日はN響定期でチョン・ミュンフンのマーラーもあったのだけれど、結構迷った挙句元々持ってるこちらを聞きに来ました。マーラーの9番、Must to listen ではあったんだけど、新日・ボッセのハイドンも捨て難いし。何より今日の気分はやはり大好きな古典派でしたので、ええ。結果から言うと、少なくとも後悔はしませんでした。 最近の演奏会でも、これだけしっかりと古典派を揃えた曲目はそう多くは無いのでは。ウェーバーを古典派と呼ぶのは若干無理はありますが、基本的には古典派の流れですね、やはり。 そのウェーバーは、言ってみれば挨拶代わりの序曲。冒頭のフォルティッシモに「うわ、今日は大音量系か?」と一瞬嫌な予感が頭をよぎりますが、これはそもそもオペラの序曲。掴みでガツンとかます系統の曲というだけのこと。実際には、緩急長短強弱のコントラストはあるけれど、決していい加減な出来ではありません。ボッセを見くびっておりました。ごめん。 モーツァルトのヴァイオリン協奏曲、独奏の郷古廉は14歳の中学生。それかあらぬか、会場にはそれっぽい神童追っ掛け風のファンと思しき姿も。なるほど。 演奏の方は、まぁ、一応弾けていて、宜しかったんではないでしょうか。ただ、どうも音程が合ってないような気がしたのですが........まぁ、自分、絶対音感は無いのだけど、相対音感はそれなりのつもりではあるのですが......どーだったんだろ......... アンコールに弾き出したのがパガニーニの24のカプリース。まぁ、中学生ですから、あまり目くじら立てるのも大人気ないとは思うのですが、思うに、モーツァルトの協奏曲の後のアンコールには如何なもんでしょうか。私はこの選曲、あまり感心しません。モーツァルトの後にわざわざ知られたこの曲を持って来るということは、よほど技術で突出しているとか、そういうことがあれば別ですが、そうでなければやはり「勘違い」です。並の「神童」がやっても、取り敢えずあたたかーい目で冷静に見守っておしまい。ロマン派の協奏曲とかの後であれば、まだしもありでしょうけど。 後半はハイドンの交響曲。第1番と第100番。第1番は交響曲というよりは前古典派のシンフォニアですね。100番の「軍隊」の方は、確かに打楽器の賑やかな様が面白い。この辺は、やはり生で聞いてみないとピンと来ません。録音で聞いていても、この打楽器群の存在感はやはり実感出来ません。実演で聞いて、それが場違いなほどに他の楽器とは異なる、突出した存在感を主張してるんだ、というのが初めて分かる、というものではないかと。 ただ、これには、今日の新日フィルの出来も寄与しているでしょう。 今日は、基本は10-8-6-4-3の弦五部で、これがモーツァルトでは8-6-4-3-1まで絞り込まれてます。このオーケストラにしては思い切った絞り込み。これをボッセがかなりきっちりとコントロールしている。弦合奏に安定感があって、響きも音色も安定して、最後まで安心して聞ける演奏でした。緩徐楽章など、それなりに歌えていたと言えば言えなくもないし。フレージングなんかは、その点、時々固いな、と思われる所もあったと思うし、音量のダイナミズムは、かなりきちっと管理されてるようでした。まぁ、このオーケストラらしくない、と言えなくもないですが、荒っぽいのよりはこちらの方が好きです、私は。 やはりウィーン古典派の作品は、聞く方はリラックス出来ても、演奏家は細心の注意を払って頂きたい、という、まぁそんな身勝手なものだと思うので。 アンコールの、第88番の第4楽章も同様でした。 というわけで、予定通り、古典派の音楽にどっぷり浸って帰って来たのでした。うむ、満足。 ちょっとだけ文句を言うと、でも、この演奏、後々まで覚えているような「何か」があったかな、と言うと、ちょっと厳しいかも知れないな、とも思うのですが、ま、このへんは難しいところで、言い出すときりがないので。
2008年02月16日
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ええ、ようやく発表されました。されましたですが、しかし、むむー...... そう言っちゃなんですが、案の定というラインナップ。まず、歌曲のリサイタルは3コマしかありません。メインは室内楽とピアノ曲。ですが、ねぇ....... 率直に言って、歌曲のリサイタルが殆ど無いのは却ってよかったと思います。下手に歌われるくらいなら、聞かない方がいいですから。申し訳ないが、シューベルトの歌曲は、歌物の中でもきちんと演奏するには最も難易度が高いので、「?」という歌手であれば聞かない方が吉であります。 一度アップロードしてから気付いたのが、白井光子のリサイタル。これは確かに聞きたい。聞きたいが、しかし、これ、一昨年、昨年と白井光子及びハルトムート・ヘルの体調不良でキャンセルになってるんですよね。大丈夫かな? 室内楽は、プラジャーク四重奏団が出て来るので、この辺は聞きたい。でも、後は、あまりきけない宗教劇とかを押さえられればいいかなぁ..... ピアノ曲は、聞きたいと言えば全部聞きたいけど、これもラインナップはもう一つ。歌曲同様、下手に演奏されるくらいなら、パスしたいなと。唯一Must to listen! は小曽根真のシューベルトの歌曲による即興演奏ですね。これは聞きたいぞ。 もうちょっと丹念に見ていくと、やっぱり「アレも聞きたい」「これも聞きたい」というのが出て来るとは思うんですけどね。とはいえ、オケ物が厳しいしなぁ。ホールAでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、って言われても..... やはり、今年はちょっと盛り上がらないかなぁ。という結論はあまり変わらないなぁ。
2008年02月15日
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NHKホール 18:00~ 3階最後方中央 メシアン:キリストの昇天 ブルックナー:交響曲第7番 指揮:チョン・ミュンフン 昨日はダブルヘッダーでした。 いつものように自由席なのに、後半が始まって、前の席に座ってるヲ風のにーちゃんがエアコンダクターだったことが判明。それもですな、それなりだったらいいんだけど、ブルックナーでフォルティッシモで全奏するところになると盛り上がってエアコンダクター始めるってのは、幾ら何でも素人っぽいにも程があるっちゅーかなんちゅーか...... 最近、コンサートで隣人に関しツキがないです。とほほ。 チョン・ミュンフン。この2年ほど、なんやかやと東フィルで何度か聞いたのですが、どうもピンと来ないんですよね。で、今回のN響への客演を聞いてみようと思ったのですが...... うーーーーーーん。 チョン・ミュンフン、古典をやってくれないんですよね。今回も、N響とは、メシアン、ブルックナー、マーラーというプログラム。偏見と言われればそれまでなんだけど、やっぱり古典はオーケストラの基礎だと思います。オーケストラの音色は管で決まる、なんて書いてあるのを読んだことがありますが、それはやっぱり違うのでして、オーケストラの音色はまず何よりも弦。だから、弦のウェイトが高く、構成感も強く求められる古典派の作品は、オーケストラにとっても、指揮者にとっても、基本中の基本であると同時に、最もパフォーマンスを求められるところだと思うのです。 でも、チョン・ミュンフン、古典派をやってくれないんですよね、なかなか。 チョン・ミュンフンがいい演奏家かどうか、というのとは別に、やはり「古典派をあまりやらない」というのは、日本のオーケストラで主要な位置を占めるには、欠点と言わざるを得ないと思います。勿論、当の演奏家が何をやりたいか、というのは、その演奏家の問題ではありますし、例えば今回のN響のように、客演指揮者ばっかりということであれば、指揮者に期待するべきではないのですが、オーケストラのシェフを任せる上では、やはりその指揮者の「シェフとしての適性」を測るべきです。一流の指揮者に一人前扱いして貰って、「難曲」とか「日本初演」とか「ゲンダイオンガク」とかやって取り上げられれば気持ちはいいでしょうが、それだけではオーケストラの音色は作れない。別にそういう曲をやるなと言ってる訳ではありませんで、基礎をしっかり作れ、ということなのですが。 まぁ、N響に関しては、どのみちそんなこと関係ない訳ですから、ここは演奏のことだけ考えましょう。 前半はメシアン。 まだ20代のメシアンの手による作品です。時期的にも1930年代ですから、後年のより神秘主義的な方向に向かう以前の、比較的「受け入れ易い」メシアンです。いや、メシアン自体、20世紀音楽としてはかなり受け入れ易い方だとは思うのですが。 曲自体をあまり知らないので、偉そうなことは言えませんが、出来具合としてはまずまずだったのでは。明らかに管がぶれてたりとか、そういう問題はありましたが(これはブルックナーでも同様)、取り敢えず及第点ではないかと。ただ、これが「キリストの昇天」、というの、よくわからないなぁ。ま、それはそれとして。 後半はエアコンダクター付き(涙)のブルックナーの7番。 この曲は、数年前、生でベルリン・フィルで聞いて、「ああなるほど、ブルックナーってこういう風に面白いのね」と思った曲。なので、まぁ真面目に聞いたのですが..... 結論から言うと、これ、面白いのかねぇ。 演奏自体は、多分、決して悪いとは言えない。ただ、チョン・ミュンフンはややゆっくり目に演奏していて、それもあってちょっとくどい。で、ブルックナー、くどいと思い始めると、もう止まらないのですよ。これはブルックナー好きの人にとっては邪道かもしれないけど、自分のような人間にとっては、構成感がぶっ飛んでるブルックナーの場合、他に気を逸らさないくらい、瞬間瞬間の音色とフレーズが魅力的でないともたないのです。 いや、多分音楽としてはちゃんと演奏出来てはいると思うのですが......ただ、それは、日本のオーケストラとしては、ということで。チョン・ミュンフンは、恐らくはある程度のフレーズの連なりを一つのまとまりとして組み立てていると思うのだけど、その組み立ての中で聞く者を惹き付けて止まない、というように行っているかというと、ちょっと。 別にベルリン・フィルだから、ということではないのです。N響は決して下手とは言えないし、この日の演奏も、決してホールに負けた音という訳ではなかった。いや、一部にはNHKホールを良くないと極め付ける向きもあるようですが、実はこのホール、確かに広過ぎるけれど、御化粧=誤摩化しが利かないだけで、端の方でさえなければ、結構素性よく聞けるホールではあるのです。中央は特に。 問題はやっぱり音色とオーケストラの密度だと思うのですよね。音自体はあるけれど、それが音楽としての有機的な結び付きの度合いがもう一つ......... ちょっと意地の悪い言い方をすると、件のエアコンダクター氏が「フォルティッシモの全奏のところだけ」盛り上がってる、というのが象徴的だと思うのです。音楽としての密度が高ければ、全体に渡って惹き付けるに相違ないと思うのです。それこそ身動きすることを忘れるくらい。ピアニッシモのところだって、いや、そういうところで惹き付けてこそ、こうした曲は生きるのではないでしょうか。 来週はCプロで、マーラーの9番があります。またややこしい曲を....(苦笑) こちらも行ければ行こうとは思います。
2008年02月10日
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新国立劇場 14:00~ 4階中央 サロメ:ナターリア・ウシャコワ ヘロデ:ヴォルフガング・シュミット ヘロディアス:小山由美 ヨハナーン:ジョン・ヴェーグナー ナラボート:水口聡 東京交響楽団 指揮:トーマス・レスナー 演出:アウグスト・エファーディング (再演出:三浦安浩) なんでも4度目の再演だそうです。まぁ、確かにエファーディングの演出だし、再利用するのはいいことだとは思うけど....... 何が引っ掛かるかと言うと、サロメってそんなに面白いと思わないんですよね。じゃ行くなよ!という突っ込みはごもっともで、まぁそうは言ってもやるんだったら観ておこうか、と思うし..... でも、正直、お好きな方には申し訳ないけど、サロメって、R・シュトラウスのオペラの中では、それほどいい作品とも思えないんですよね。比較的短い、7つのヴェールの踊りがある、話がショッキング、その割に分かり易い、と、色々要素はあるんですが。でも、オペラとしては、同じ初期のものなら、エレクトラの方が自分は好きですが。 歌手陣は、まぁ一応やりました、ってとこでしょうか。声は例によってそれなり。外題役のウシャコワは、結構飛ばしていて、それなりに良かったんだけど、最後飛ばし過ぎてずっこけたところもあり。まぁそのくらいは御愛嬌、ってところでしょうか。 この演出では少なくとも過去2回は観ていましたが、今回改めて観て、ヨハナーンに結構芝居をやらせているのが見て取れて、ちょっとした収穫です。再演を重ねて、練れて来たのでしょうか。以前はピンと来なかったんですけどね。 思うに、「サロメ」というオペラは、ディスコミュニケーションが一つのテーマなのでしょう。サロメは事実上自分のことしか眼中に無い。だから、ナラボートが自殺しようが、ヨハナーンが何を説き聞かせようが、母(ヘロディアス)が何を言おうが、自分のしたいこと、求めるものにしか興味が無い。だから、サロメにとっては、キスさえ出来れば、ヨハナーンが生きていようがいまいが、首だけだろうが、お構い無しなのです。もっとも、それを言うなら、ヘロデ王も、ヘロディアスも、ナラボートも、ユダヤ人達も、更にはヨハナーンすら、コミュニケーションが成立させられない。そう思って観ると、サロメのやってることがそれほど異常には見えなくなって来る、という.....いや、十分異常なんだけど、必要以上に重く受け止めなくても良さそうというか..... そんなことを思った舞台なのでした。 東響は、割といい方。結構充実してはいました。しかし、金管は時々ひっくり返ってたし。まぁ、一応ちゃんとやりましたよ、ってところなのでしょうか。悪くはないんですけど。 まぁ、なんだな、自分で行っておいてなんですが、やっぱりエレクトラがいいなぁ。
2008年02月09日
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暫く前に来シーズンの新国立劇場のスケジュールが発表になってますが、特にコメントしてませんでした。........いやー、だって.........ねぇ..........しかし、これは........ そりゃまぁ最終的には全部行こうとするんでしょうが、それにしても。◎は新演出。 ◎10月 トゥーランドット(プッチーニ) ・10~11月 リゴレット(ヴェルディ) ◎12月 ドン・ジョヴァンニ(モーツァルト) 出演:エレーナ・モシュク ・1月 蝶々夫人(プッチーニ) ・1~2月 こうもり(ヨハン・シュトラウス2世) ・3月 ラインの黄金(ワーグナー) ・4月 ワルキューレ(ワーグナー) ◎5月 ムツェンスク郡のマクベス夫人(ショスタコーヴィチ) ◎6月 チェネレントラ(ロッシーニ) 出演:アントニーノ・シラグーザ、ヴェッセリーナ・カサロヴァ ◎6月 修善寺物語(清水脩) ええとね。演目的に行きたいと思うのは、正直、マクベス夫人とチェネレントラくらいです。でも、マクベス夫人、ラ・フォル・ジュルネと重なるよな。うーん、一度PROMSで演奏会形式で聞いてるしな....それにしても、なんで蝶々夫人をまた出すかな。まぁ、客が入るってことなんでしょうけど、それにしても。 国産も含めて10演目に対して、新演出が半分。それも結構なのだけど、ドン・ジョヴァンニの新演出というのは.....まぁ、前の演出、確かに優れたものではなかったけど。むしろ問題は10演目での全体のバランスでしょうか。いや、バランスはそこそこ取れてます。ただ、問題は、トゥーランドットやリゴレット、蝶々夫人のような、出演者で結構決まってしまうオペラなんですよね。 で、その点で言うと、とにかく、出演者の引きが弱い。このラインアップで、正直見逃したくないのは、ドン・ジョヴァンニ、マクベス夫人、チェネレントラの3つくらい。ワーグナーは、好き嫌いもあるので、ということですが、それにしても。いや、真面目に最近の歌手のチェックをやっていれば別なんでしょうが、正直、「これはチェックしておかねば!」と思うような歌手は最近あまりいないですし。 決して総体的にダメではないんだけど、結果、魅力十分とは言えないよな、これは、という感じなのです、正直。 蝶々夫人と修善寺物語は見逃してもいいかな。ワーグナーも、買えなかったらそん時はいいや。B席のヴァリエーションで取る、という手もあるかな.....
2008年02月04日
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王子ホール 15:00~ 前方左手 シューベルト:歌曲集「白鳥の歌」(レルシュタープの詩による第1~7曲) 遠くへの憧れ D.770、冬の夕暮れ D.938、漁夫の愛の幸せ D.933 「白鳥の歌」(ハイネの詩による第8~13曲、ザイドルの詩による第14曲) <アンコール> シューベルト:夕映えの中で D.799 クリスティアン・ゲルハーエル(バリトン) ゲロルト・フーバー(ピアノ) 「シューベルト3大歌曲集全曲演奏会」と銘打たれた3夜シリーズの最終回。残りは平日だったもんで..... ゲルハーエルは、ここ数年、Arte Novaレーベルで録音したシューベルトの3大歌曲集などで頭角を現して来たバリトンです。最近はRCA レッドシールで録音を出すようになりました。出世しました(笑)若手では期待の一人(まぁ大抵は期待してるんですが)であります。 前半はレルシュタープの詩による歌曲から。しかし、なんとなくいまいち。妙に芝居がかっている感じがします。あまりにロマンティシズムに過ぎるというか、まるでゴシックロマンというか。 白鳥の歌の中で、レルシュタープの諸曲は、言ってみればリリカルなパートを担当していると思うのですが、テンポ設定といい、強弱緩急の振幅といい、少々過剰気味ではないかと。いや、単なる過剰というより、生硬な印象を強く受けるのです。歌唱も、とても良く声は出て、それが決して大音声張り上げるだけというものではなかったのだけど、どうも歌と伴奏と曲とが、てんでになってしまっている感じ。これでは、なかなか心安く楽しめません。ゆっくり目の演奏なのに妙に表現しようとする意図が前面に出ていて、ちぐはぐな感じ。解釈と言えなくもないですが、感心出来ませんでした。 前半の最後は、ライトナーの詩による歌曲を3曲。この辺から、徐々にほぐれて来て、演奏と曲とが噛み合った感じがしてきました。結局、前半一番良かったのは、この3曲の最後、「漁夫の愛の幸せ」だったかな。 後半はハイネの詩による歌曲。「白鳥の歌」全体としては、よりロマンティシズムの色が濃いのはむしろこちらの方で、言ってみれば重たい歌が多いのですが、後半に入って生硬さがすっかり取れた感じ。音楽としてはこちらの方がすんなりと聞けました。ゲルハーエルの歌唱も、前半は若干一本調子気味で空回りしてる感じだったのが、後半は安定して、表現力を取り戻したように見受けられました。「彼女の肖像」「都会」「影法師」、このへんは特に良かったですね。影法師など、前半の調子でやられたらどうしようもなかったと思うけれど、デュナミークと緩急のコントロールが良く出来ていて、いい演奏になりました。 そして、最後に「鳩の使い」。色々に言われる曲だけれど、ハイネの詩による歌曲を聞いた後には程良い口直し。 ちょっと申し訳ないけれど、ゲルハーエルの歌唱に対するに、ピアニストの伴奏は少々役者不足ではないかな。影法師での伴奏で、どうしても音が軽かったり、或いは前半でのテンポ設定の問題、などなど。ミスタッチもまぁありましたけど、それ以上に、音楽的にちょっと不満です。 勿論ゲルハーエルは長年コンビを組んでいて、その面で本人にとってはいい面もあると思うのでしょうけど、それはある意味「都合がいい」ということなのではないか、とも思うので。個人的にはもう少しどうにかした方がいいように思うのです。 これでコンサートはおしまい。拍手が続く中、何度か呼び出されて、引っ込んで、ああ、扉も閉まったかな、と思うや、再度扉が開いて現れる両名。ピアニストの手には紙片が...... アンコールに「夕映えの中で」。正直、これは要らなかったなぁ。ええとね、曲といい、演奏といい、音楽としては良かったんですよ。でも、後半のハイネの出来は、とてもいいものだったのです。それに、点心のようなザイドルを歌って、ああ、最後はいい演奏会になったな、と思うところに、この曲は、決して悪い曲では無いけれど、ちょっとそこまでの流れとは合わないような気がします。いや、この後に歌う曲で合うものなんて、そうはないんじゃないかと。選択肢としてはいい方だと思うのですが。当人達も、数回出入りしていたくらいだから、決してアンコールを演奏しようと強く思っていた訳ではないんじゃないかと思うのです。ゲルハーエルの歌い方は、結構体力使いそうでしんどいんじゃないかとも思うし。 だから、私は、コンサートとしてはあれは無かった方がいいんじゃないかと思うんですけどね。この辺の引き際は、歌う方も、聞く方も、難しいところだと思います。勿論、いい演奏だったから、満足した人も少なくないとは思うんだけど...........こんな風に思ったのは、自分だけでしょうか?
2008年02月03日
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えらく生臭いもん見せられちまったなぁ、と思うのは、私だけでしょうか? まぁ、演出に対する深読みのし過ぎという話もあるのだけど.......... NHKホール 18:00~ 3階奥左手 イーゴリ公:セルゲイ・ムルツァーエフ ヤロスラーヴナ:ラリーサ・ゴゴレフスカヤ ウラジーミル:エフゲニー・アキーモフ コンチャーク汗:セルゲイ・アレクサーシキン コンチャコーヴナ:ナターリア・エフスタフィーエワ ガリツキー公:アレクセイ・タノヴィツキー 指揮・編曲:ワレリー・ゲルギエフ 演出:エフゲニー・ソコヴニン わざわざ編曲と書きましたが(配役表には音楽監督と書いてあるが、これは編曲と言うべき)、その通りで本来ボロディンが書いた粗筋とは大きく変わっています。単に順序を変えただけではありません。 ボロディンのオリジナルの粗筋は、概ねこうなっています。本来はプロローグと4幕からなるオペラです。 <プロローグ> イーゴリ公が出陣しようとするが、日食により急に日が翳る。皆は出陣を思い止まるようイーゴリ公に迫るが、イーゴリ公は構わず出陣する。 <第1幕> ガリツキー公はイーゴリ公の留守をいいことにプチーヴリの町でやりたい放題。ヤロスラーヴナを貴族らが訪れ、イーゴリ公が敗れ、捕虜になったこと、ポロヴェツ人が攻めて来ていることを伝える。ほどなく町にも戦火が及ぶ。 <第2幕> イーゴリ公は虜囚の身。己の不甲斐無さを嘆く。コンチャーク汗はイーゴリ公を持て成そうと、兵や奴隷らに踊るよう命じる(ダッタン人の踊り)。 <第3幕> イーゴリ公は戦勝で気の緩んだポロヴェツ人らの目を盗んで逃走する。息子のウラディーミルは恋仲となった汗の娘、コンチャコーヴナに引き止められる。コンチャーク汗はウラディーミルを娘婿として迎える。 <第4幕> 戦火で荒れ果てたプチーヴリの町。ヤロスラーヴナ以下嘆いているところへイーゴリ公が帰還。喜びの内に幕。 それで、ゲルギエフはどうしたか? <第1部> プロローグは同一。その後、いきなりオリジナルの第2幕。ダッタン人の踊りで幕。 <第2部> オリジナルの第3幕を上演。その後、第4幕で歌われるヤロスラーヴナの嘆きと、農民の嘆きの合唱が、要塞化されたプチーヴリの町と思しき書き割りの前で歌われます。 続いて、オリジナルの第1幕が上演され、最後、ポロヴェツ人が町を襲ってきたところに唐突に、コンチャーク汗から逃げてきたイーゴリ公が現れ、1幕の幕切れ通り「さぁ戦わねば!」というところで幕。 端的に言うと、第1幕を一番最後に回しただけ、というイメージで、但し4幕最後の、戦火で荒れた町にやっとイーゴリ公が帰ってきた!という部分が音楽としては完全にカットされています。 ところが、よく考えると、もう一つ周到にカットされたものがあります。それは、第4幕の場面、舞台なのです。勿論後半部分は音楽からしてカットされてますが、上記の通り、第4幕前半のヤロスラーヴナの嘆きと農民の合唱は、要塞化した町の書き割りの前で歌われて、この部分はレチタティーボや台詞もありません。 で、上記のようなストーリー展開で上演される結果、この第4幕前半部分の音楽は「嘆き」として抽象化されてしまっています。つまり、単に夫が帰らない妻の嘆きと、何処かでクザーク汗(コンチャーク汗のこと)に襲われたと、舞台上には姿を現さない農民の嘆きが聞かれるだけ。その後で、プチーヴリの町が襲われる。そこにイーゴリ公が帰ってきて、いざ戦わんとする。 ここでカットされたのは、「戦火で荒れ果てたプチーヴリの町」なのです。 この幕切れの仕方、確かに無理がありますし、イーゴリ公が帰ってきてのドラマというのが全く省かれてしまっているので、尻切れとんぼに見えますが、恐らく、こうすることで、周到に、「敗北したロシア」を見せずにいるのだと思います。 生臭い、というのはこの点です。深読みのし過ぎかも知れませんが、マリインスキー劇場は、旧レニングラード、ザンクト・ペテルスブルク、或いはペトログラードの劇場であり、この町はプーチン大統領の出身地盤の町でもあります。かつてのロシア帝国の首都で、先頃最高裁の機能がモスクワより移されたところ。そこで上演される、「ロシアが負けるのを目にすることの無い」、「ロシアの英雄」イーゴリ公のオペラ。 考え過ぎかも知れませんが、しかし、オペラというのは、欧州文化圏にあってはやはりファインアートの一つであり、同時にその演出は非常に狭い世界に於いては一つのメディアでもあり得る、ということはやはり忘れられるべきではないと思います。 個人的に引っ掛かりを持つのは、ボロディンはこのオペラ、明らかにロシアだけでなくポロヴェツ人の側にも感情移入して書いていること。「中央アジアの高原にて」を書いた作曲家は、確かにその目線はロシア人のものではあるにせよ、コンチャーク汗をある程度公平で度量のある人物として描いているし、ポロヴェツ人に敗れたという事実もきちんと書いています。そういうボロディンのオリジナルに対して、ゲルギエフの構成のなんとせせこましいことか! それが、今のロシアを端的に垣間見せている、と言ったら言い過ぎかもしれませんが..... 音楽としては上々。但し、この日はマリンスキー劇場としてはダブルヘッダーだったこともあって、オーケストラは少々疲れ気味だったのでは?そこまではいかないかも知れないけれど、オーケストラ、一部合わなかったですね。ダッタン人の踊りとか、打楽器ちょっと落ちかけたし。 歌唱の方は相変わらず。先日のホヴァンシチーナと違って、広いNHKホールですが、悪くなかったです。決してスカスカという印象は無い。そういえば、正月にここでオペラガラコンサートなるものを見て、ダッタン人の踊りもやっていたけど、やはり合唱の厚み、オーケストラの厚みが段違い。割と似たようなところで見てましたが、正月のは「ああ、あっちの方でやっとるわい」という感じでしたから。 そういえば、バレエもあの時と比べると段違い。休憩中、本を読んでたら隣の人が話していて、「あのテンポで付いてって踊れるのは、ゲルギエフにいつも振り回されてるにせよさすが。」みたいな話をしてましたが、まぁ、あの人達、振り付けからしてきちんと年数掛けて練って来てるんだと思います。だから、日本人が1度の公演用に仕込むのとはレベルが違うだろうと思うんですが、それにしても確かに良かった。 ホヴァンシチーナに比べると、イーゴリ公の方が個々の役柄がアリアをそれぞれに歌う感じで、オーケストレーションもかなり軽め。それ故、こちらの方が「オペラらしい」感じです。それぞれの歌手の良し悪しも出易い、とは思うのですが、誰がどう、というのがあまり感じなかったのは前回同様。いや、お世辞抜きで皆いい歌唱でしたけどね。イーゴリ公がなかなかよかったのと、ヤロスラーヴナは声量があってよく歌えてましたね。ただ、それがいい歌唱だったのかどうかは、まぁロシアオペラ好きとは言え、歌唱スタイルとか、判断出来るほど詳しくはないので............. 結論。ゲルギエフは生臭い。以上。(ってことでいーのか?)
2008年02月02日
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というわけで、もう2月になりました。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン開催まであと3ヶ月。 なのですが、未だに公演内容がアナウンスされません。うーん。気を持たせること..... 勿論、会員発売のアナウンスもまだ。一般発売が3月15日とアナウンスされてるので、多分、3月1日あたりから発売じゃないかと勝手に思っているのだけど、どうなるんでしょう。 そろそろ公演内容やスケジュールくらい発表して欲しいぞ、と思うのですが.... ところで、突然、「ラ・フォル・ジュルネ・オ・カナザワ」をやる、という情報が流れて、サイトも出来てるんですが、これ、どうするんだろう? http://www.lfjk.jp/ 日程完全に被ってますし、あっちとこっちと出演者を行ったり来たりさせるのかしら?発想としてはまぁ分かるんだけど、冷静に考えてみると、どうなんでしょうね.............井上道義のアイディア倒れにならなきゃいいけど。相変わらず思いつきの人だなぁ......
2008年02月01日
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