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2014年03月15日
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カテゴリ: オペラ
 新国立劇場  14:00〜
 4階正面

 パウル:トルステン・ケール
 マリエッタ(マリー):ミーガン・ミラー
 フランク/フリッツ:アントン・ケレミチェフ
 ブリギッテ:山下牧子
 マリー(黙役):エマ・ハワード

 新国立劇場合唱団・世田谷ジュニア合唱団
 東京交響楽団

 演出:カスパー・ホルテン

 久々のエントリーですが、実は珍しくこの3週間ばかりの週末は、殆ど聞きに行っていませんでした。なので、週末としては1ヶ月ぶりくらい。その久々の記事がこれなんだから我ながらいかがなものか.....
 でも、まぁ、ネガティヴな評価は確かに書く原動力にはなるんだけどね.....


 という訳で、最初から身も蓋も無く言ってしまうと、正直つまらなかったです。


 コルンゴルドの「死の都」は長らく「珍しいオペラ」扱いで、録音でも、ラインスドルフが振ったものくらいしか覚えがありません。昔それを聞いたことはあって、なんというか、禍々しい雰囲気の印象が先に立っています。
 近年、コルンゴルド自体再評価、というより演奏されることが増えてきたようで、このオペラも上演されるようになってきたとか。で、新国でもこのたび上演の運びになったという訳なんでしょうが。
 原作はローデンバックという人の「死都ブリュージュ」という小説で、まぁ簡単に言えば妻を亡くした男が妻の面影に拘泥して、別の姿形がよく似た女に「幻惑」されていく、というかなんというかまぁそんな感じのお話。こう書くとアレですが、オペラとしては、なかなかに上手く再構成された物語になっていて、最後「死の都」ことブリュージュに象徴される男(パウル)が妻の面影に拘泥することから自由になるという(まぁこの演出の場合は、ということになる可能性もありますが)ストーリーは思いの外良く出来てはいます。

 問題は、音楽なんですね。

 コルンゴルドという人や作品の云々はググって頂けば幾らでも出て来ると思いますので割愛するとして、一般に後期ロマン派の流れを汲む人というように認識されているのですが、このオペラは1920年に書かれ、初演されています。ちなみに、後期ロマン派の掉尾を飾ると目されているR・シュトラウスの「薔薇の騎士」は1912年、プッチーニは「三部作」が1918年で1924年には「トゥーランドット」を未完のまま遺して亡くなっています。ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」が1902年、ベルクの「ヴォツェック」は1925年の初演です。
 で、そういう時代の音楽として聞くと、このオペラ、なんというか中途半端な音楽なんですね。ドビュッシーやベルクのような響きは持たず、R・シュトラウスのような音楽ではあるのだけれど、そこまでの厚みは持っていない。といって室内楽的というのとも違う。
 じゃぁ「禍々しさ」ってのはどっからきたかというと、結局演奏者の力量による所が少なくないと思うのです。

 で、私見ですが、コルンゴルドというのも、少なくともこの時期はやっぱり同種の音楽だと思うのです。ただ、率直に言って、多分、音が薄いんですね。厚いの反対の意味での薄さ。R・シュトラウスなんかは、そうは言っても元々求めている音が厚いから、多少凡庸な演奏でも、ちょっと力が入ってればそれなりに格好がついてるように聞こえる。でも、「死の都」の場合、元が薄いので、例えば個々のフレーズをどう繋げて行こうか、とか、この部分を全体の中でどう聞かせようか、とかいうことが徹底していないと、すぐ「落ちる」んですね。
 残念ながら、今回の演奏では、そもそもオーケストラがそういうことが出来ていなかった。見方を変えれば、そうした「脚色」を排した演奏、と言えないこともないのかも知れないけれど、率直に言えば、ある程度そういう音楽の力を感じられたのは3幕の後半だけ、後は全体にどういう方向に持って行きたいのか分からないし、断片を繋いだような演奏に感じられてしまった。

 元々そういうオペラなのかも知れないけれど、であれば、このレベルであればわざわざ上演する必要もないんではないかなと。

 話が前後しましたが、歌唱陣は、マリエッタ役のミラーがまぁまぁやれていたかなという感じ。ただ、決していい発声とは言えないとは思います。相方パウル役のケールは、声が飛んで来なくて正直聞こえないというレベル。一応それなりになったのは3幕くらい。他は、まぁ、正直、端役ですから。めんどくさいので名前挙げなかった一座の皆々様の日本人キャストも、まぁ、役相応にそれなりといった感じ。
 合唱は、それほど凄いことやってる訳じゃないし。オーケストラは上述の通り。東響らしいってことでしょうか。



 演出は、死者である筈の妻マリーを、瓜二つ(実際にはこの二人全然似てないどころか似せようとする努力も希薄なのだけど、むしろこれは演出的狙いなのかも)である現実の女・マリエッタとは別に黙役で出すところがアイディアですね。特別なことはわざわざ言っていなくて、むしろこういう役を出すことで、「幻想的」と言われるらしいこのオペラを整理出来ていたという意味では、コンセプトはよく出来てはいる。それだけに、音楽の側のがっかり感が際立ちます。

 このところ新国立劇場のオペラは、オペラ劇場での公演が殆どになってしまっているのですが、前は小ホールでの試演的な公演もやっていたりして、そういうところで結構挑戦的なことをやっていたんですけども、最近はそういうのがなくなってしまった。その分、今回の「死の都」や来月再演する「ヴォツェック」みたいなものを本公演でやるようになっているのかも知れないけれど、今回のようなレベルであれば、無理にやらなくてもいいんじゃない?という気はします。

 いや、今回の公演、結構盛んにブラヴォーが飛んでいたのだけれど、正直久々に何がブラヴォーなんだかさっぱりわかりませんでした。確かに4階席だったので決して条件は良くないんだけれど、これの何がいいんだろう。むしろケールや指揮者にブーが飛ばなかっただけ僥倖というものかと。というか、私はもうちょっとでブー出す所でした。出さなかったのは、出すほどの積極的な「だめな点」が見つからなかったから。つまり、何処までも凡庸で、見た目のインパクトの割に中身が薄かったので、否定する内容が無かったんですよね。盛んな拍手の割に、カーテンコールはあっさり2回で終わってしまったのは、やっぱりお客の方も全般的にはよくわからなかったということだったんじゃないでしょうか。

 こういう公演だと、またぞろあちこちで「意義深い公演だった」みたいな話が出てくるんでしょうけれど、やりゃぁ意義深いってぇもんじゃないと思うんですよね。意義より中身だろうと。

 まぁ、その分、練れた時の伸び代も大きいということではあるんですが....
 来週も買ってあるけど、どーすっかなぁ......






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最終更新日  2014年03月16日 10時32分00秒
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