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正月休みも終わりに近づいた1月3日の夕刻、僕は息子とこの映画を観ました。戦後世代の、そのまた40代になってからの子供である息子にとって、決して自ら望んで観る映画ではないのですが、僕としては是が非でも観せたかったし、一緒に観たかったのです。作品については、今更書く必要もありませんので、オフィシャル・サイトを御覧下さい。以下は観終った後、帰宅途中に息子と交わした会話の一部です。僕:どうだい、ゆきちゃん、感想は?息子:死ぬと分かってるのに、何であんな馬鹿なことをしたのか分からないよ。僕:なるほど。そう思ったのか。でもね、ゆきちゃん、そこがこの映画のポイントなんだよ。息子:どういうこと?僕:実はね、あの栗林中将は、お父さんのおじいちゃん、つまり、君の曾祖父さんと陸軍士官学校の同期で、出世頭だった人なんだよ。息子:へー、曾祖父さんも軍人だったの。僕:曾祖父さんは若い時に病気をして、軍人としては大尉で辞めてしまったのだけれど、栗林さんは陸軍大学校を優秀な成績で卒業し、ワシントンの日本大使館に駐在していたような、数少ない国際派の軍人だったんだ。息子:だったら、アメリカと戦争したって勝ち目がないことは知っていたんでしょう?僕:そのとおり。だけどね、そこから先が問題なんだよ。この映画は、戦争の悲惨さを描いているだけじゃなくて、「組織人としての人間の生き方」がもう一つのテーマだと思うんだ。息子:それって、どういうこと?よく分からないけど。僕:まだ君には難しいだろうが、人間は成長するに従い、自分の好まないことでも受け入れざるを得ない時があるんだ。特に、あの時代の軍人だったら、個人的には反対な戦争でも、一旦国が始めた以上、命を投げ出してでも全力で戦うことを自ら選んだのさ。息子:義務だから?それとも、嫌だと言えなかったから?僕:いや、そうではないんだ。確かに、あの戦争は間違っていたし、反対なら徹底的に反対すべきだった、という考え方もあるけれど、それは今日的な価値観でしかないんだよ。あの時代に身を置いて、天皇の軍隊の将校という立場で考えなければ、栗林さんの内なる葛藤も理解出来ないんだ。息子:ますます分からなくなったよ。僕:間違った戦争かも知れないが、現実に祖国は戦争をしていて、放っておけば国民の生命財産が危うくなる訳だ。その時に、全力で戦って、少しでも国民を守ろうというのが、軍人として取るべき道であると、栗林さんは信じていたのさ。「我々の子供等が日本で一日でも長く安泰に暮せるなら、我々がこの島を守る一日には意味があるんです!」というあの言葉に、栗林さんの信念が全て詰っているんだよ。(注:勿論、このとおりに語った訳ではありませんよ)息子:無駄だと分かっていても、頑張るしかないってことかな。僕:そう言ってしまうと悲しいが、まあ、そんなところかな。「無駄死に」ではないんだ、という意味を必死に求めていたんだね。逃げ出したくても、それは許されない。だから、「祖国を守る」という一念で、皆さん散って行かれたんだと思うよ。こんなことが二度とあってはならないが、亡くなられた方々の犠牲の上に、今の平和があるってことを分かって欲しいな。息子:そうだね。でも、軍隊って何のためにあるの?僕:それはね、個人と警察みたいなものなんだ。残念ながら、世の中には悪い人がいるから、善良な市民を犯罪から守るには警察という組織が必要なんだよ。同じように、世界には北朝鮮のような拉致や核兵器を持とうとする国が存在するから、国と国の関係でも武力で対抗出来ないと、国の安全は守れないんだ。息子:でも、日本は憲法第9条で戦争はしないんでしょう。僕:あれはね、第二次世界大戦の敗戦直後という特殊な状況で、戦勝国から押し付けられた結果なんだ。勿論、日本は中国をはじめ周辺諸国に侵略し、基本的に「加害者」だったことは事実だよ。だけど、戦後も60年以上が経ち、日本は経済大国となった訳で、国際的に紛争や災害が起こった時には、単にお金を出すだけじゃなく、治安の維持や復興への支援を、実際に現地へ行って協力することが求められているんだ。息子:それなら、自衛隊がイラクへ行ったりしてるじゃないか。僕:確かにそうだけど、あれは「特別措置法」といって、その時だけの特別法を国会で成立させた上で行ってるんだよ。そうじゃなくて、自衛隊の海外派遣が即可能なように、法律を変えないと駄目なんだ。一気に「憲法改正」まで行くかどうかは、議論が必要だけどね。息子:何故、直ぐに出来ないの?僕:今の憲法が、世界の現実から外れているのは明白なんだけど、「自衛隊の海外派遣」ですら「軍国主義復活だ!」なんて言う、現実感覚の乏しい人達が結構いるんだよ。・・・・という具合に、話は歴史的、社会的に発展して行きました。栗林中将の「生き方」を通して、自分と社会との関わり、そして平和を維持するということの意味を考える良い機会だったように思います。
January 7, 2007
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年末は27日の晩、会社から即一路東京を目指しました。名古屋インターから東名に乗り、愛車パッソ(1000CCですぞ)で東に向かいましたが、浜名湖の手前で猛烈に眠くなり、SAで休憩してコーヒーを2杯飲んだら頭もスッキリ、そのまま東京までノンストップで飛ばしました。年末は家の用を済ませる傍ら、年賀状を進めましたが、最後になってプリンターが故障し、仕方がないので一部は手書きで間に合わせました。残りは名古屋に帰ってから対応します。30日には大田市場へ家族全員で出掛け、正月の買物と、名物の特性「海鮮丼」を戴きました。その後は家内だけ別行動になりましたが、僕が家の鍵を持たずに外出したため、家内が帰宅するまで家に入れないというパプニングがありました。大晦日は息子の「Z会」数学の前半に付き合いましたが、空間図形で証明問題が出て来ました。これが算数と数学の違いです。「直線l(エル)と平面Pが直交することの証明」ですが、要するに「両者の交点Oにおいて、P上の異なる2直線m、nとlのなす角が直角である」ことをきちんと記載すれば宜しい訳です。ところが、中学生にとって、これが中々難しく、慣れるまでは相当戸惑うだろうなと思いました。僕自身もそうで、数量的な問題は得意でしたが、図形の証明問題は初戦で惨敗でした。続く元旦はお雑煮を戴いた後、数学の後半を仕上げました。そうこうする間に弟一家が訪れ、恒例の元旦饗宴となりましたが、夕方には「Z会」の英語前半に取り組みました。"Which"を用いた疑問文ですが、息子は英語が好きらしく、スムーズに理解し、応用も直に出来ましたから、当面心配は要らないようです。翌2日は家内と娘と3人で早起きし、隅田川とレインボーブリッジのクルーズに参加し、穏やかな新春の舟遊びを楽しみました。(息子は、寒いし眠いし「行きたくねー」だったのです)船は浜離宮に着き、その場で解散でしたが、正月恒例の鷹狩が観られ、中でも「隼の急降下」が圧巻でした。娘は広場で貸してくれる「羽根突き」が気に入り、中々帰りたがりませんでした。その日の夕方には家内の実家へ移動し、皆さんと新年を祝いました。こちらは茅ヶ崎にあり、翌朝は箱根駅伝の復路(8区)を家の前で応援しました。これも僕にとっては毎年の定番メニューであり、去年は順大の難波選手が快調に走り去ったものの、直後に脱水症で順位を下げるという番狂わせがありました。今年も順大がトップでしたが、幸いそのままの順位で総合優勝を果たしました。母校早稲田も、今年は6位に入り、シード権を確保出来ました。「早稲田、頑張れ!」と声援したのは言うまでもありません。その日は僕と息子だけ先に帰りましたが、帰路「硫黄島からの手紙」を観ました。この時の模様は近々書きますが、息子にも何か感じるものがあったようです。こんな訳で、我家の年末年始も終わりますが、今日は息子と「Z会」の英語後半を終えてから自由が丘を散策し、3時過ぎには家を出て名古屋に戻ります。逆方向ですから、基本的に渋滞もあまり関係せず、9時前にはアパートに着くでしょう。皆様、今年も宜しくお願いします。
January 4, 2007
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