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巷では参院選の開票番組が始まっておりますが、それはさて置き、今回は昨日観て来たこの映画についてフレッシュな感想を書きとめます。待ちに待った封切り初日でしたが、近くの映画館では来月にならないと上映されず、慌てて名古屋市内の上映館を捜しました。どちらも、上映時間が僕の都合に合わず、結局「名演小劇場」という小さな映画館で、しかも最終上映にギリギリ間に合って、漸く観ることが出来ました。この映画については、前回『夕凪の街 桜の国』(6/19付)で書いておりますし、詳細はオフィシャルサイトを御覧戴きましょう。最近は原作(漫画:こうの史代さん)に加えて、小説(著者:脚本家国井桂氏)も出版されたようです。さて、映画『夕凪の街』は原作と同じように、主人公「皆実(みなみ)」の働く建築事務所から始まります。退勤時、皆実(麻生久美子さん)は太田川の川べりに来ると靴を脱ぎ、裸足で被災者の住む街へと向かいます。この時、当時の流行り歌「お富さん」を、若い女性が口ずさんでいるのが、なんとも言えず絶妙な雰囲気を醸し出しているのです。粋な黒塀 見越しの松に仇な姿の 洗い髪死んだ筈だよ お富さん生きていたとは お釈迦様でも知らぬ仏の お富さんエーサオー 玄治店この中の「死んだ筈だよ お富さん」の一節ですが、さり気なく口ずさむ皆実の胸には、複雑な思いがあったことでしょう。被爆時、皆実は小学校におり、用具置場へ金槌を取りに行っていて、閃光を浴びずに済んだのですが、妹の翠(みどり)は致命傷を負ってしまいました。傷付いた翠を背負い、「お姉ちゃん、熱いよ」という声を聞きながらどうすることも出来ず、当てもなく地獄図の中をさ迷い続けたのです。自分も「死んだ筈だよ」なのではないか、という念に皆実は苛まれていたのでしょう。もう一つ印象的だったのは、見舞いに来た打越を見送りつつ、彼が歌う「月がとっても青いから」を、嬉しそうに口ずさみながら家に戻る皆実が、とてもいじらしくてなりませんでした。恋も出来ず、被爆者としての青春を耐えて来た彼女に、漸く訪れた「幸福の時」ですが、それも儚く失われてしまうのでした。月がとっても青いから遠まわりして帰ろうあの鈴懸(すずかけ)の並木路(なみきじ)は想い出の小径(こみち)よ腕をやさしく組み合って二人っきりで サ帰ろう「お富さん」も「月がとっても青いから」も、戦後間もない頃の曲であり、僕自身もあまりよく知りません。テレビもない頃であり、ラジオ番組が庶民のささやかな娯楽だったのでしょう。人気番組に合わせて、皆実が母親と銭湯から急いで帰るシーンに、当時の世相が偲ばれました。皆実が息絶える場面は原作と異なりました。川原佇む皆実の前で、弟の旭と打越が石投げをしており、そうした中、静かに倒れ込むのです。一家で撮った写真を胸に「忘れんといてな、うちらのこと」と、旭に言い残すのでした。これが『桜の国』で、老境に入った旭が皆実の知人を訪ね歩く伏線になっているのです。こうして、後編の『桜の国』に移るのですが、紙面と異なり、桜の美しさが映画では劇的に表現されておりました。「広島のある 日本のある この世界を 愛する全ての人へ」というこの映画のメッセージに相応しく、原爆の被災国である日本は、その悲劇を抱えつつも、美しい桜が毎年咲く国なのです。この映画での桜は、平和の象徴なのだと思います。『桜の国』は、皆実の姪である「七波(ななみ)」が主人公であり、田中麗奈さんが演じております。最初はどこかゴツイ感じがしましたが、気丈な「七波」を演じるには、さっぱりした感じの田中さんがピッタリなのだと次第に思うようになりました。感動の場面は、原作の片山橋ではなく、桜が咲く団地の中を出勤して行く旭を、ベランダから京花とフジミ(皆実と旭の母親)が見送るシーンと、近くの川に架かる橋の上で、旭と身重の京花が桜を眺めているものでした。田中麗奈さんのナレーションを聞きつつ、このシーンに感動して見入っていた僕は、言うまでもなくグショグショの「ハンカチ王子」でした。「母からいつか聞いたのかも知れない けれど こんな風景をわたしは知っていた 生れる前 そう あの時わたしはふたりを見ていた そして確かに このふたりを選んで 生れてこようと きめたのだ」原作と異なり、僕の記憶では、「水の塔」も「水の塔公園」も出て来ませんでしたが、そこまで徹底して原作に拘らなかったのか、ロケーション上の制約で撮影出来なかったのか、真相は分かりません。ただ、広島においては、様々な形で現地協力があった模様です。皆実が住んでいた基町の被災者街は、今では奇麗に整備されて環境護岸となっており、「基町POP' La(ポップラ)通り」と呼ばれているそうですが、ボランティア団体の方々がロケ前に草刈りをして下さったとか。因みに、先週はこの岸辺で野外上映された模様です。広島の方々に多くの支援をされて完成した映画でもあるようで、「登場人物の七波や皆実を愛おしいな、会いたいなと思ってもらえる映画にしたかった。」という佐々部清監督の思いが通じたのでしょう。そして、佐々部監督は、「お二人(田中麗奈さん、麻生久美子さん)には、泣かないでという注文をしました。前をちゃんと向いている女性を演じて欲しい、と。」のことです。麻生久美子さん演じる皆実の方が、女性らしさを感じさせる役柄であり、麻生さん自身もそういう雰囲気の方ですが、「前をちゃんと向いている女性」が演じられていたと思います。語り始めると止まりそうにありませんので、今回はこの辺で。
July 29, 2007
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大臣の首とは実にあっけないもので、日曜日の失言が水曜には辞任に繋がりました。御本人の身の振り方としては、これ以外に選択肢はなく、もっと早い段階で辞任すべきだったと思います。本件は色々な問題を孕んでいますので、思うところを書いてみます。結果として、僕自身が非難されることもあるだろうと覚悟しています。先ず、久間前大臣の語られた客観的内容については、僕自身もそのとおりだと思っているのです。当時は世界を真っ二つに割った戦争の真っ最中であり、双方ともに「勝つためには手段を選ばず」の状況でした。勿論、当時も国際戦争法が厳然と存在し、明確に禁じられていた手段が幾つかありました。例えば化学兵器の使用であり、端的に言えば「毒ガス」の使用です。実際に使用はしなかったものの、日本でも毒ガス兵器の研究と製造が行われておりました。瀬戸内海の大久野島は、島全体が毒ガスの秘密工場になっており、厳重な軍の管理下におかれていました。当時の従業員の中には、後遺症に苦しまれた方も少なからずいたそうです。(尚、ナチスが強制収容所で用いた毒ガスは、これとは意味合いが異なり、ここでいう毒ガスとは、飽くまでも戦場で相手側を殺傷するための兵器としてものです)原爆も同様に、日本でも開発が続けられており、色々な制約の中で日本の場合は実用段階には程遠かった訳ですが、完成していたら間違いなく使用したでしょう。「鬼畜米英」と言っていた敵国に対し、原爆の威力が如何に恐ろしいものであり、直接の破壊力のみならず、後々まで放射能の被害が残ると認識していたとしても、当時の指導者達が使用を躊躇する筈はなかったと思われます。国際戦争法において、原爆の使用が明確に禁じられていなかったとしても、通常兵器以上の惨禍を齎す兵器の使用は人道上からも許されないことでした。第三者的立場からなら、原爆使用の是非は明らかなのです。それでも使用に踏み切ったのは当事者だからであり、戦争での勝利がヒューマニズムよりも優先するという、過酷な国際政治の力学からの結論でした。(単に勝利するだけでなく、一気に終戦に持ち込むこと、及びソ連に対する軍事的優位を誇示するという目的が大きかった)こう考えると、原爆を投下した米国を一方的に非難するのは、感情論に過ぎないのです。広島・長崎だけでなく、東京大空襲をはじめとする大都市や軍需工場への無差別爆撃、民間人への機銃掃射等で多くの方々が亡くなりました。僕の母も、昭和20年3月10日の東京大空襲を、辛うじて生き延びた一人です。斯くの如く日本の惨状を書き連ねると、日本は被害国だったかのような錯覚に陥りますが、基本的に日本は加害国なのです。この観点を持たないと、久間氏の発言も客観的に評価出来ません。ここで、次なる論点に移ります。久間氏の何が宜しくなかったのかという問題です。先ず、今回の発言は氏の本音であり、政府高官という公の立場を度外視したならば、思想信教の自由において、何等問題はありません。普通の人ならそれを理由に公的な謝罪を要求されたり、責任を取らされることもないでしょう。では何故、政府高官だと許されないのかと言えば、何の罪もない多くの市民が理不尽にも原爆の被害を受け、後々まで筆舌に尽くしがたい辛酸を舐めた訳で、そのやり場の無い怒りを逆撫でするようなことを、政府高官が言ってしまってはお終いなのです。社会とは、人生とは、基本的に不条理なものであって、人は巡り合わせ次第で悲惨な運命に巻き込まれてしまいます。米国の立場では「仕方がなかった」と言えば、それはそのとおりなのですが、本当のことであるが故に、触れずにおくのが宜しいのです。ある種の「パンドラの箱」を、浅はかにも開けてしまったということでしょうか。今回の辞任について、直接の理由は参院選への悪影響に対する引責ですが、それは実情として認めざるを得ないにせよ、情けないことこの上なしです。被害者や遺族の方々へのお詫びだとすれば、心情的には訴えるものがあるにせよ、白々しさが残ります。結局、大臣としての資質に欠け、当事者能力がない、ということを自ら認めて辞任したと解釈するのが、一番納得出来るのではないでしょうか。
July 4, 2007
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大分間が開いてしまったので、このテーマは今回で終わらせましょう。作品「星の王子さま」に対する評価として、フランス在住の作家、池澤夏樹氏の解説は非常に示唆に富んだものでした。この方は、子供の頃に第一回の読書経験があるのですが、「例えば『宝島』を読んだ後には疑問など全く残らないのですが、この作品ばかりは異質でした。大人になってからも何度か読みましたが、それでも尚、分からない部分が残るのです」ということでした。今回、新訳本を出すために、池澤氏は原書を全く新しい気持で熟読し、新たな解釈に務めたのですが、それでも訳し終えた後、尚も不可解な部分が残ったとか。それだけ、この作品は奥が深く、謎めいた部分が多いのです。氏の解説で一番興味深かったのは、「星の王子さま」はキリストの再来ではないか、という解釈です。遠くの星から地上に降りて来て、人類へのメッセージを残し、そして再び点へ昇って行ったのですから、新たなイエス・キリストと考えても不自然ではありません。「王子さま」が星を出たのは、バラとの関係がギクシャクしたからですが、このバラとは女性の象徴であり、サンテグジュペリ夫人のコンスエロがモデルだと言われています。二人は強烈な個性を持ちつつ、お互いに理想の夫婦としてのあり方を模索していました。特に、サンテグジュペリが作家として知られるようになると、すれ違いが重なり、同居と別居を繰り返していたそうです。とはいえ、決して夫婦仲が冷え切っていた訳ではなく、二人の往復書簡はサンテグジュペリが行方不明になるまで頻繁に続いていたのです。番組では夫人が亡くなるまで住んでいらした邸宅が紹介されましたが、秘書だった方が晩年を語り、夫人のサンテグジュペリへの揺るがぬ愛が感じられました。二人の往復書簡は近年フランスで出版されたそうですから、きっと邦訳もあるでしょう。今度、機会があれば書店で捜してみましょう。もう一つ、興味深かったのは"apprivoiser"(アプリヴォアゼ)という単語への拘りです。有名なキツネとの関りの中で、「僕は君と遊びたいんだ」という王子さまの呼び掛けに、「駄目だ。君は僕をアプリヴォアゼしていないから、遊べないんだ」とキツネは答えます。一言で言えば「表面的な付き合いでなく、精神的な結び付きが必要だ」ということです。この単語の訳を巡っては、17の邦訳で12通りの訳語があり、直訳の「飼いならす」の他「馴染みになる」、「なつく」というような訳が主流のようです。この"apprivoiser"(アプリヴォアゼ)という単語に、サンテグジュペリの哲学が凝縮しているようであり、「時間を掛けて、自分から相手に打ち解けて行かないと、本当の絆は出来ない」ということを強く訴えたかったのでしょう。番組では、フランスの図書館での子供向けの「星の王子さま」朗読会が紹介されていましたが、講師が子供達に「アプリヴォアゼ」の身近な例を聞いていました。皆、ペットとの触れ合いを例に、自分から手を差し延べて、親密な関係を築いていることを語っておりました。王子さまはキツネから「アプリヴォアゼ」の大切さを教わり、最後に「物は心で見るんだ。大切な物は目には見えないんだ」という人生の極意を贈られました。この辺りが、サンテグジュペリが最も伝えたかったメッセージなのかも知れません。今度、ゆっくりとこの作品を読み返してみたいです。直ぐには実現しないかも知れませんが、いつか必ずです。P.S. "apprivoiser"(アプリボアゼ)で検索すると、色々な人がブログにこの番組のことを書いていることが分かります。僕の書いたものより、数段優れたものがゴロゴロ見つかりますよ。
July 1, 2007
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