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「なにこれ意味わかんなーい」とかいうような女にはいろいろいってやりたくもなるが「あそうわかんないよねー」といって同調するのが一番いい。女は男と違って言いか悪いかではなく好きか嫌いかを論じているわけだし、話すという行為そのものが重要で話の目的は関係ないからだ。「その話、意味があるの?」もよく使われる。意味など関係なくて、ようするにつまらない、面白くないということを女性はこの表現にこめている。女性は今日のことや昨日のことや、日ごろ思っていることや目についたことをよく口にする。そのくせ男がそういうつまらない話をしだすと、「ふーん、で?」とかいっちゃったりして興味を示さない。ボクもただ日常のこととか見たまんまをしゃべっているだけなのに。「助からないと思っても助かっている」は、昭和に活躍した将棋の大名人、大山康晴テンテーの言葉である。この言葉の真意は知らないけれども、「絶望的だと思ったことがあったとしても、今こうして生きてるわけだし、ピンチになってもそんなに悲観しなくてもいんじゃん?気楽にいこうよ!」というふうにもうけとれなくもない。スマップとか槙原のりゆきとかのセカイですな。ちなみに棋士の言葉で最も好きで、座右の銘としてもいいと思っているのが、50にして名人初戴冠となった米長邦雄テンテーの、「させてくれ、と女にお願いしているうちは半人前である」この扇子欲しいんだが!そしてこの言葉には後編があって、「鍛練して「してください」と頼まれるようにならなければいけない。 なおかつ、そのお願いに充分に応えられなくてはならない。」深いねい。。
2011.06.28
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千駄ヶ谷の将棋会館に行ってきた。将棋会館へ行くのはこれが2回目である。1回目はちょうど10年ぐらい前、第2次将棋マイブームだったころである。野球ファンがプロ野球選手に強い憧れを抱くように、将棋ファンもプロ棋士に憧れるものではあるが、このときはプロ棋士に会いたい一心で将棋会館へ行ったわけではなかった。プロ棋士に憧れるには実力があまりにもお粗末だったから気後れするだけだったし、大盤解説のようなイベントがあったわけでもなく、あったとしても、ほお、とかへえ、とか言えるほどの理解力もないと思われ、さみしい思いをするだけだったからいかないのである。そういう意味でスポーツ観戦は、観戦する側にスキルが求められていないからうらやましい。野球ならホームラン、サッカーならゴールが決まれば大盛りあがりして、ビールでも飲んでいれば楽しいのは間違いない。その点将棋は地味である。派手な技が決まったときにはなんとなくわかったりもすることもあるかもしれないが、指し手にミスが出たときなどは、プロに解説してもらわないとほとんどそれがミスだとわからなかったりする。ビールを飲みながらばか騒ぎでひいきの棋士を応援したりしようものなら周りから白い目で見られそうでもある。ようするに敷居が高い。また話がそれているけれども、最初に将棋会館へ行ったのは、プロの棋士をひと目みたいからでも、観戦が目的なわけでもなく、単にどういうところなのか、あるいはどれだけ敷居が高いものなのか、ひやかしとして見てみたかっただけであった。そして昨日、10年越しの2回目としてふたたび将棋会館を訪れることになったがその目的は、「扇子」が欲しかったのである。扇子は将棋ファンなら一度は憧れる、プロ野球選手におけるファイテン、サッカー選手におけるミサンガ(古い?)のようなものではなかろうか。ロフトには季節モノとして今多くの扇子が売られているが、どれを手にとってもしっくりこない。広げたときのデザイン性や素材の軽々しさばかりが重視されて、折りたたむときにくしゃくしゃになったり、片手で広げられなかったり、柄のところの素材が竹ではなかったりしてどれもこれも手になじまないのであった。いざというとき落語でも一席ぶつにもやっぱりあの日本的なつくりの扇子でなくてはいけない。金属質の扇子でははっつぁんそばもうまくすすれやしないってんで白羽の矢が立ったのが将棋会館で売られている将棋仕様の扇子である。ショールームには当世を代表をする名だたる棋士の揮毫をプリントした扇子が売られていたが、ひいきの選手がいるわけでもないから、なんとなく羽生テンテーのを選んでみようとしたのだけれども、字が上手いとは思えず断念。やがて、書かれた字の上手さとそのメッセージ性に強く惹かれて選んだのがこの扇子。「助からないと 思っても 助かっている」みつおか!深い。。
2011.06.26
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今働いている現場の正社員になる道が完全に閉ざされたというわけではないらしい。裏口からひょっこり入るのは段階的な承認を得る必要があり、そのためのコネがいくつか足りないらしい。そうかそうか、それは仕方がない。また、オレはあいにく5ヶ国語も話せないし経理や会計に精通しているといった特技も持ち合わせていないため、書類上で人事部へのアピール度がないこともマイナス要因なのだそうだ。経営は確かに、自社を世界に羽ばたかせたり国内での信用を高めてトップシェアに躍り出たりしたいのだろう。ああそうですか、というしかない。「それでもうちにチャレンジする気があるなら」と前置かれて、次のような提案をされた。「人事宛の推薦状は書くし、キャリアプランとかロードマップとか、人事受けする情報は伝えるから、正攻法で面接を受けて、段階を踏んで、一緒に仕事をやってゆける方法を考えていきたい。今所属しているところから籍を抜いてダミーの会社に入るとか、一旦子会社に入ってそこで実績を作るところからスタートすればスムーズに話は進むかもしれないとか色々方法はある。組織の一員として評価システムに組み込まれるとか貢献を求められるとか、自覚を持ってもらう必要はあると思う。まずその前に、中村さんの気持ちを聞いておきたい。うちの会社に入りたいかどうかを。」オレはこう答えた。「正直に申し上げると、入りたいかどうかはよくわからない。それに問題がすりかえられているような気もする。私を受けれる道があり条件を提示されるなら、失礼ながら先方とこことを秤にかけられる優位性が生じるからお待ち申し上げた。入社の意欲を問われるのは筋違いである。ただ、そのようにしてひきとめていただいたという誠意と厚情は十分に伝わった。今週末には先方にはなんらかの意思表示をするつもりであり、その前にあらためて話し合いたい。」やがてその週末が訪れた。背広を着て会談に現れた現場管理責任者はこういった。「八方手をつくしたが、やはり正攻法で中途採用のための手続きを踏んでもらうしか、現時点では手がなさそうだということがわかった。つまり我々は、中村さんを引き止めることができなくなってしまった。この短期間ではここまでの調整が限界という期間的な問題でもあるかもしれない。繰り返し申し上げるが、子会社に移籍してもらってからなら話は進めやすい・・・」「あの、しゃべってもいいですか?」と現場責任者の話を中断させオレは次のように話し始めた。「まずこのたびはお騒がせしたことをお詫び申し上げる。次に正社員化への道を模索していただいたことに対しては、結果がどうあれ少なからず働きを認めてもらった証として受けとめた。感謝する。そして今後の展開についてだが、当初7月中旬として調整しようとしていた私の離職時期を9月末に延期する。そうすると、案件ベースでアサインしようとした先方の期待を裏切ることになり、採用そのものが白紙化する恐れが生ずる。無職になる事態は避けたいから、最悪の場合、10月以降も私の身柄をひきとってもらえるだろうか。」「それは保証する。当プロジェクトは今後4年は存続する。途中の解除は考えていない。」「ならば離職時期調整の結果、9月末になったと先方には告げる。あとは白紙でよい。」「先方が9月末でもよいといったら、移るということか。」「そういうことになるかもしれない。しかし10月から発生する案件が私の求めているものではないという可能性は考えられる。選択肢は多いほどよいし、転職の自由が失われたわけではないから、他の道を探ることもあるかもしれない。」というようなことで騒動はひとまず円満(といえるのかどうか知らないが)におさまった。このことを先方に告げると、10月就労開始まで待つという快い返事をもらった。決断は先送りにされたわけであった。
2011.06.24
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うちの社員にならないかという方針を打ち出された翌日の約束の朝にはなにも声がかからなかった。ということはもう雲行きは怪しくなっているとみていた。正社員として登用されることを節に願っていたわけではないが、一旦色気を見せられてやっぱりダメでしたということになると、オレもひとのこだしちょっと落ち込む。冷やかしでいったつもりの採用面接でたまたま二次面接までいって、その挙句に断わられたようなときにもちょっと落ち込む。書類面接ではねられたときも同様である。数打ちゃ当たる、と思っていても、打った全てが当たるに越したことはなく、外れたらそれはもう全人格を否定されたような気持ちに一時的になる。夕方、帰る段になってようやく声がかかった。またしても密閉された会議室でリーダーとの会談が設けられた。会社という組織はことごとくピラミッド型の階層構造になっており、現場のリーダー→その上司→部門長→事業部長・・というように果てしない階段があり、その一つ一つに承認をもらわないと話が先に進まない。ということをまず説明された。話がながくなりそうだから要約すると、現場のリーダーは部門長からこう正論をいわれたそうであった。「いくらひきとめたいからといっていちいち社員にしてたのでは組織はなりたたない」正論であろう。ほらみたことか。「成功率100%を明日の朝に保証する」といったのはなんだあれは口先だけか。目前の危機を免れるための方便か。「じゃ離職時期についての調整が始められるわけですね。まず引継ぎの人を定めてください。2人必要です。2人分の仕事をしてましたから。あと引継ぎ以外の私の仕事は全てキャンセルしてください。」とはオレもいわない。なんだかかわいそうになってきたのである。室井さんの気持ちを理解できるようになってきた青島のような心境である。たしかにオレは現場からは必要とされるのであろう。でも「組織」からは必要とはされないのである。「事件は会議室で起きてるんじゃない!」というあの有名なセリフを、今まさにいいたくて仕方なくなってきていいた。そしてそんな大走査線とは無関係に、オレの腹はこの時点でだいたい定まったといっていい。
2011.06.23
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かつて受けた採用面接で「いろいろあると思いますが、開発において最も重要な工程はなんだと思いますか?」と聞かれたことがある。そのときは「基本設計」と答えた。それが間違いだったことに気付いたのは、恥ずかしながらごく最近である。同じ面接で、「仕事を割り振るような役割を求められることもあるかと思いますが、どうしようもなくできない人が下についたときにはどう対処されますか?」とも聞かれた。そのときは、「最初にちゃんと説明します。次善策として手本をみせます。同じことを何度も説明してだめなら、引き取ってやってしまうかもしれません。」というようなことをいった。半分ぐらいはあたっていて、半分は外れていたかもしれない。その面接の結果は不採用だった。オレもまだ未熟だったということである。転職とは無関係に現場の仕事は山積してるといったが、どういうわけかオレの場合、できないやつが下につくことが多く、先の面接で語ったように、説明し、手本を示し、最悪の場合、借金(納期に遅れた仕事)を肩代わりすることでなんとか全体の仕事を収めてきたりした。外部からきた使えない名ばかりの技術者、というならまだいい。はじめから期待していないから、期待していない分の仕事しか割り振らない。社員の新人くんの面倒をみたりするのもまだいい。期待値はゼロだが、その発展性のためにちゃんと説明しようという気にもなる。今もまさにできないやつが下についている。正確な年齢は不詳だが老人のような顔をしており、オレより年上のおっさんのようにも見えるが、聞くところによると40前後、という節もありよくわからない。とにかく若者ではない。おっさんのくせに仕事ができない。世の中のおっさん全てが仕事ができるわけじゃないから、おっさんのくせにというのは穿った表現ではある。しかしこのおっさんはこの業界の経験が長そうなのである。長いにも関わらず仕事ができない。経験が長いだけあって、いいところも少しはある。なんとなく手は早いようである。女性に対してというわけではなく、コンピュータを扱う技術はそれなりに持っているという意味において。何が欠落しているから仕事ができないとオレに判断されるかというと、コミュニケーション能力が全くないからである。「下についている」といったが、その表現は間違いかもしれない。公的には「いっしょに仕事をしている」というのがふさわしいのかもしれない。「下請け」のことを、「パートナー」とか「協力会社さん」というのと同じような感覚で。下請けに対して「元請け」のひとのことを「プロパー」と呼んだりするのはどこの業界も同じようだが、そのいっしょに仕事をしている人が、プロパーさんというから事態は複雑である。プロパーさんなら安心、と思っていたところがオレの誤算だった。納期前に出してもらった資料が、全くもってとんちんかんだったからやり直してもらように言った。次に出てきたのもダメだったからお手本を示すことにした。翌朝、オレがお手本を作っている間にそのおっさんはずっと寝ていた。よく寝るしみんなそのことは判っていたし、資料を読んでるようにも見えないこともないことから放置されていたのだけれども、このときばかりはオレも一言いわずにはいられなかった。「オレが仕事肩代わりしてるのに寝てるってどういうことよ?」手本の通りにやってもらえばあとはスムーズに行くかと思いきや、その人は全く応用がきかなかった。手本として示した1本以外は、またもとのとんちんかんに戻ってしまったのである。「手本の通りやりましたがなにか?」とでもいいそうな勢いだったし、「私なりのアイディアを加えましたがいかがでしょう?」とでもいいたげな自信の表れようでもあった。ことごとくとんちんかんだし、つじつまがあってないよう。。と泣き叫びたい気持ちをこらえてそのことを説明したりした挙句に「やり直してください。」というと彼は当然のように「すみません、はいわかりました」といってやり直しにかかるのである。こいつはドMか?それともオレのいうことをわざときかずに愉しんでるドSなのか??
2011.06.21
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リーダーがその上司にオレの辞意を伝えた結果として持ち上がった方針は、「うちの社員にできないか」というものであったそうである。ほうそうきたか。リーダーとの2回目の会談でその話を聞かされたオレは予想外な反応であっただけに少し驚いたが表情には表さなかった。客観的に考えてみればこの話は悪くない。話がとんとん拍子に進み、条件を提示されて希望を聞いてもらえるような機会が設けられた場合、採用の望みがあるクチが一つ増えるということになるし、引きとめ工作の一環だとしても、正社員としての登用を持ち出されるということはそれだけ働きが認められている証でもあるわけだし、実利と感情の両面において一考に価すべき引き止められ方であろう。しかしそれは話がとんとん拍子に進んだ場合の話である。先方においては既に新しいプロジェクトが7月にも始まろうとしており、そこの重要なポストに適役としてオレをあてがいたい思惑があり、オレも前向きにそれを受けたいと思っているから、時間的猶予はあまりない。まずその話の確実性と達成への速度感を確認しなければ現実的には考慮には値しないという旨のことをいうと、リーダーはその上司とオレを引き合わせてくれた。密閉された会議室において、オレとリーダーとその上司との3人で話す機会が設けられたのはその5分後であった。オレはそこで単刀直入に、かつ言葉を選びながらこうきいた。「このことの『成功率』はどれほどか、そしてそれはいつ確定するのか。」するとリーダーの上司はこう言い放った。「100%であることを、明日の朝に確定させる。」ほう、言い切ったね。そう言われたからといって手放しで信用してしまうほどオレはあまちゃんではなかったが、とりあえず引き止めたいという意志があるのは伝わったし、そうまでいうなら1日ぐらい待つかという気持ちでその場はおさまった。オレにしてみれば現場における残った仕事やノウハウをどう引き継いで、いかにスムーズに双方ストレスなくプロジェクトから抜けるかを話し合うつもりで今日は来たのに、全くもってそのような話にはならなかったどころか、思わぬ方向に話が進み、引継ぎというタスクを処理するにあたり逆に心配になってきたほどであった。気を削がれた、といってもいい。しかしながらこの期に及んで社員への道を打診されるとはどういうことであろう。うわの空ながら山積する仕事を処理している間も、終えて家に帰った後もそのことについて考えざるを得なかった。この会社で仕事をするようになったのは10年以上も前である。オレはいわば個人事業主としてこの会社と取引をするようになった。仕事を請け負いその成果にたいしての報酬を受け取る。報酬のやり取りを保証・代行する会社が間に入ってはいるが、スパイにも殺し屋にもエージェントがいるから、ようは代行会社は、チャーリーズエンジェルにおけるチャーリーのようなものである。げんにオレはチャーリーの顔を知らない。ただ「フリー」といえばなんとなくかっこよくて聞こえはいいかもしれないが、実質は派遣労働者にすぎない。企業は雇用を保証しない代わりに、請負契約の報酬として割と高い金額を支払ってくれる。これはこれで効率的なシステムであると思うし、オレもずいぶんその恩恵を受けてきた。大手からシステム開発を請け負う企業(SIer)にとっても、開発に必要な技術者を雇用して常に全員抱えているわけにもゆかず、パートナー企業から人員を募るとかして最繁期に対応していて、その構造は今もかわらない。在京のパートナー企業だけでも3000社は下らないそうである。最も人員が必要な生産のピークにおいてたとえば30名の技術者が必要だったが、その後の維持管理には5名程度で十分となれば、あぶれた25名は必要がないから仕事をめしあげられる。めしあげられた25名は所属している会社が生活を保障することには建前上はなっているが、その約半数は個人事業主であり、次の案件が見つからなければ当然報酬はなくなる。突如訪れた先のリーマンショックによる不況は、かろうじて安定的に仕事の需給バランスが保たれていた状況にインパクトを与えた。株価が大暴落し企業の資金調達が困難になった挙句に無駄な仕事が減った。無駄な仕事に従事していた労働者の仕事は召し上げられた。その主だった者は、企業と直接雇用関係を結んでいない派遣労働者であった。リーマンショックが起こった2008だか2009年の年末に派遣村として乞食同然のものとして報道された中には、同業も多くいたかもしれない。その後、法整備がなされていったらしい。個人事業主=フリーという立場であるものは仕事をすることが公的には許されなくなった。今まで個人として仕事をしてきた者はどこかの会社に所属していることを求められた。報酬としてではなく給与として労働への対価が支払われることになった。しかし、どこかのどこでもいい会社に所属してさえいればいいということは、カタチだけ法律に従いましたということでもあり、仕事がなければすぐにクビを切られるという立場であることには変わりはなく、この法整備は、企業にとっても個人にとっても、なんのメリットもなく、むしろマイナスに働いたとしかいいようがないものであった。オレはかろうじて現場からは必要とされ続け、途切れることなく仕事にありついてはいる。しかし不安定な立場であるということには変わりはない。
2011.06.19
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プロジェクトの半ばで仕事を辞めるとした場合、最低でも1ヶ月前には辞意を発表しなければならないという暗黙的な決まりごとが、常識的な目安として定められている。6月6日に発表したとして6月末か7月中旬で辞めるのは一般常識的にはギリギリセーフかもしれないが、個別事案としてみた場合、つまりオレやその周辺が抱えている仕事を考えたときには明らかに無理筋であることはわかっていた。だからこの日の朝にまずリーダーに確報として発表した後も、交代人員への引継ぎプランをベースにしたオレの離職時期をめぐる攻防や一時的なひきとめや、あるいは契約不履行に基づく損害賠償請求などに話が発展するようなことも最悪のケースとしては考えられた。確かにあと1ヶ月で辞めたら現場には迷惑がかかってしまうだろう。そのことはオレにとっても本意ではないが、迷惑を被るから考え直してくれと一方的にいわれることについてはちょっと筋が通らないから、その場合は話し合いにも強行姿勢で臨まなければならないと覚悟はしていた。転職に関するだいたいの概要は既に速報としてこのリーダーには告げていたから、半ば儀礼的に朝一で設けた会談は、それを整理して淡々と発表するだけのものであった。甘く見積もっても相当不機嫌そうな表情でリーダーは、オレの話を聞き淡々とノートに記していたが最後にはこうも言った。「仕事を途中で投げ出すような人を新しい会社は信用してくれるのか」部分的に考えればそれは「No」であろう。だから時期的な調整の余地は残してあり、オレの希望は7月中旬だけれども、現場としての希望があるならそれを提示してもらい、妥協点を探っていって、途中で投げ出すようなカタチにしなければよい、というようなことも言った。煮え切らないような表情のままのリーダーとの会談は終わり、いよいよオレの辞意が公的なものとして扱われるべく、リーダーはその上司に報告しに行き、オレは普段の仕事へと戻った。オレの転職とは無関係にこの週の仕事は山積しており、トラブル処理のために普段の倍以上のスピードでシステム改修のための資料を仕上げなければならなかったし、その間にもさまざまな仕事が降って沸いたりしていて息をつく暇もないような状態だったが、オレの心はここにあらず、ほとんどうわの空でそれらの仕事は進められていった。立場を違えて考えてみると、オレが持っている仕事を替わりに引き受けなければならなくなった人は気の毒に思うし、誰が新任になるにしてもノウハウを一から蓄積しなければならずその時点でビハインドが生ずる。そんな中トラブルが起こったら対応も遅れるだろうし、それが顧客の信用を落とすことにもつながりかねない。気の毒に思う反面、知ったことかとつき捨てた考えを持つことも可能だ。なにしろ顧客からの信用はオレに向けられたものではなく、会社という組織に向けられたものだからだ。しかもオレはその組織に帰属しているわけではなく、信用への見返りも責任も生じない。そしてこのことが転職を思い立った核心的な動機でもあった。リーダーは上司への報告を終えたらしくオレのところへ戻ってきて再度会議室へ促された。その表情からは幾分不機嫌さがはがれているのがみてとれた。抱えている問題を打ち明けた解放感や、なるようにしかならないという諦めが、その表情の変化に影響したものとばかり思っていたが、どうやらそういうことでもなかったらしいのである。
2011.06.19
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相手先から色よい返事をもらって転職を決断したのは帰りの電車に乗る前だったが、あろうことか進行方向が逆の電車に乗ってしまい、引き返さなければならなくなるちょっとした事件があった。平穏と思っていたが内実は動揺していたのかもしれない。いい仕事があってお互いが合意して採用となったことについては、自分のことだけを考えれば喜ばしいことであるが、そう手放しで喜んでもいられない要素もある。今の仕事のことである。このことをまっさきに連絡したのは、現場のリーダーに対してであった。メールを送ると、少なからずショックを受けているような内容の返信が返ってきた。想像していたことではあった。現プロジェクトにおいてはこのリーダーのもとでオレは、自分でいうのも恥ずかしいことだが、相当部分の仕事を引き受けている。リーダーは大まかに分類して3つのタスクを管理しており、オレはその一端を担っている。3つのタスクを仮にA,B,CとしてAをオレが受け持っているタスクとする。なぜAかというとエースの「A」だからである。タスクBは、それほど仕事量は多くない。担当者の処理能力と決断力が今ひとつなために予想以上に手がかかっている。問題なのはタスクCであり、人員規模が最も多く、それとは無関係に問題が多く、問題解決能力のない担当者が中途半端に遂行してきた経緯もあり、最も困難なタスクである。よってリーダーはこのタスクCに8割以上の労力を注がねばならず、結果としてタスクA,タスクBの決裁が滞ることもあり、全体として潤滑に回転しているとは言い難い。このリーダーの名誉のために言っておくが、いわゆるゼネラリストとしてのこの人の能力は高い。責任感が強く、決定に間違いはなく、一つの間違いも見逃さず、問題処理も迅速にこなす。全体として回っていないのは、たんに仕事量が多いのである。無駄な会議への出席を強いられて時間を浪費しているということも要因のひとつだ。できる人に仕事が回ってくるのは当然、という考え方もあるかもしれない。なにしろこの人を除くオトナ(=ゼネラリスト)たちはほとんどが無能なのである。タスクCが大規模化し、トラブルが頻出するようになったときに鳴り物入りでやってきた新リーダーは病気療養と称して消えてしまったし、その後も有象無象が入れ替わってみたものの結局ものにならず転属していったりして、その都度我らがリーダーは面倒を引き受けてきたりした。オレはこの状況を手をこまねいて見ているだけの立場にすぎず、その苛立ちは、顧客の不利益につながるからというだけではなく、したり顔でふんぞりかえっているだけの他のオトナたちへの軽蔑からくるものでもあった。翻って考えてみれば、誰でも自分が一番かわいいから、タスクCを請け負うのは誰にとっても疎ましいことなのである。そしてオレもそれにならって、自分のことだけを考えればいいのかとも思う。相当部分の仕事を請け負っていたとしても、ふんぞり返っているうちの誰かが腹をくくってやればいい話でもある。オレはオレで、次の仕事が見つかったからといって、途中で投げ出してもいいはずである。だがそこまで割り切って考えられる性質ではオレはなく、一時的に増えるであろうリーダーの負担と、その結果生じる顧客の不利益は想像に難くなく、だからといってようやくつかんだチャンスをふいにしたくはないという思いもあり、またはオレ一人がいなくても組織は回ってゆくものであらなければならないという悲しいジレンマの存在もちらついたりして、迷いはあった。転職は恋愛にも似ているのかもしれない。新しい恋人ができたから、じゃあ古い恋人とは別れるとしていいのかどうかについて、結論は出ていない。転職先で始まる新プロジェクトのキックオフは7月中旬が見込まれており、先方はオレに振られたら替わる人材を探すために働き出すのだろうけれども、採用された会社というよりもこの新しい案件に魅力を感じてのことだったこともあり、この期を逃したくはなかった。その会社で他の仕事を選ぶという道もあるにはあるとは思う。ただしたとえばプログラマーとしての仕事で様子をみて、というところから始めたとするとおそらくそこに長くいなければならないことになる。なにしろオレは有能なスペシャリストだから、プロジェクトはそんなやつをプロジェクトが終わるまでなかなか放そうとはしない。オレはしばらくまた不満を抱えたまま仕事をすることになるかもしれない。オレは新しい道を求めて転職をしようとしているのだから、それじゃ話が違う、ということになる。速報的にオレはリーダーに対して転職の決意を発表したが、残念ながらというか予想通りというか、喜んではもらえなかった。おそらくは週明けからこのようにして、各方面と面白くないようなやりとりを交わすことになるのだろうな思いながら、どちらかというと落ち込んだような表情で、帰路を過ごした。
2011.06.12
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5/28の面接ではスーツを着ていかなかったことが幸いしたのか好印象を与えたようだった。恐れていたのは面接官ががちがちのスーツにネクタイという姿だったらちょっと失礼かもしれないというところだったが、相手は休日出勤の服装としてもラフすぎるような格好だった。必要以上に虚飾しないそのスタイルについては逆に好印象を受けた。妙な緊張を強いられるような圧迫感もなかったから、いいたいことの発表や聞かれたことへの返答もスムーズにできたと思う。ただし面接の感触がよかったからといって、それが色よい返事につながるわけでもないということはこれまでの経験によって知らされている。これまでオファーをたよりに行った面接では、求人ニーズと一致していてお互い好印象を持ったという実感があったとしても、その翌日に不採用の知らせが届くというようなことはざらにあったし、一次面接を通過した二次面接で、面接官が持っていたオレの資料をのぞきみたときに「ぜひ採用」と書かれていて、これは受かったな、と思っていても2週間後に不採用の通知が届くとかいうこともあった。どの不採用も、オレの何が気に入らなかったのか明かされていない。気に入らない点をクリアにするための努力をしてお互い歩み寄るとかいったアプローチは十分可能と思っているが、そんなやりとりをする兆しもなく、一方的に結果のみを通知される。求人のほとんどはひやかしなんじゃないんだろうかとも思わざるをえない。先の採用面接を通過したという連絡を携帯電話に受けたのは6/1だった。予定給与額を提示され、それがスタートラインとしては申し分なく、あとは次の仕事がオレのやりたいことに合っているかどうかもう一回話し合いをしたいとのことだった。次のは、二次面接ということですか?ときいたら、そうです、ということだった。ちなみにこれまでも何度か採用面接は通過して予定給与を提示されたことはあった。仕事がよくても金額がお話にならないとか、金額が折り合ってもアルバイトのような仕事だとか、そもそもなにかがアヤシイとか、人生や生活を左右する決断の局面において妥協すべきではないところに不安要素があるところしかこれまでなかったから、結果として転職はならなかった。6/4の面接に出かけようとしたとき嫁がオレの姿をみて「ジャケット白?攻撃的だねい」といった。攻撃的であったかもしれない。この時点ではそれほど期待もしていなかったし、夏だし、着たい服を選んだ結果である。二次面接は、オレのひととなりを違う角度から見る、とかいう性質のものではなく、いきなり新しい案件の説明から始まった。現在こういう体制で今まさに新しいプロジェクトが発足しようとしておりそれを宰領していただきたい、ということだった。最初の仕事としては申し分なかったし、こなしてゆける自信もあった。今そのプロジェクトにいるシステムの専門家は、システムのことには詳しいが、顧客との折衝や提案や説明や、仕事の進め方に関するスキルには乏しい。それを補い、これから拡大しようとする案件を効率的に回転させることによって顧客の目標を達成に導くような役割を求められていた。つい先日「もしドラ(もしも女子高生がドラッカーを読んだら、みたいなやつ)」を読んでいたからマネジメントは完璧になったつもりでいたし、そんなような役回りは今までもやってきてもいたから大体のイメージはできた。本質的にはオレはスペシャリスト(専門家)の部類であろうと思うし、そういった役回りを期待されて今までも今も仕事をしている。ただしうまく回らないプロジェクトを内から外から眺めていると、もっとうまいやり方があるはずなのにな、とか、オレがやったらもう少しましにやれるのにな、とかいう場面を幾度となく出会い、苛立ちを募らせるようなことは多々あった。うまく回らないプロジェクトの一員であるということは、結果としてオレ自身の評価も平均値に寄せられていって下がるということに繋がってくるし、そもそもスペシャリストにとってもゼネラリストにとっても、プロジェクトとしての目指すところは顧客の目的達成にある。顧客に不安を与え不信がらせるような運営しかできないプロジェクトの一員として手をこまねいているよりは、いっそのこと自分でまわしたほうが気が楽だし、顧客を満足させられるとも思うのである。今いるプロジェクトでは、なんでも法律が変わったかあるいはそれを遵守する機運が高まってきたからといったことから、オレがゼネラリストのように立ち居振舞うことは出来なくなったらしい(以前は可能だった)。どころか、オレの立場では今後一生(!)そういうことが出来ないということでもある。回らないプロジェクトの足をひっぱる名ばかりのスペシャリストと、もしドラを読んでマネジメントにも精通しているオレとは、「スペシャリスト」という分類では同じであるということでもあり、プライドを著しく損なわれる要素にもなっているし、今後、どんなボンクラなゼネラリストが、プロジェクトを不幸な方向に導くかわからないのに、それを是として受け入れなければならないことがストレスになるのは目に見えている。そういった不満を抱えつつ転職活動をしていたオレにとって今回の話は、ねみみにみず、いやちがう。めからうろこ、これもちがう。ぴったりなことわざがうかばないけれども、暗闇の中の一条の光明のようなものであった。ほとんど直感的に、この新しい仕事を受けたいと思った。あとは今の仕事とどう折り合いをつけるか、という大きな課題はあったものの、ほぼ9割がた、気持ちは新しい方に傾いていた。
2011.06.12
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■2011/05/18リクナビNEXTという転職斡旋サイトのメールボックスに「オファー」が届いたのが5/18。オファーとは企業側から求職者への「書類応募してみませんか」というアプローチで、ちょっとしたスカウトのようなもの。オファーにはプライベートオファーとオープンオファーの2種類があり、プライベートは「面接きてください」で、オープンは「書類送ってください」という違い。企業からのスカウトされる、というときこえはいいけれども、おそらく実際は、リクナビのエージェントがマッチングをしかけているもの。つまり企業の採用担当者ではなく、転職サイトのスタッフが、雇用ニーズと求人サプライを照らし合わせた上で、あたかも企業からのスカウトですよ、という自尊心をくすぐるようなアプローチを求職者にするのが、「オファー」だと思っている。これは妄想と偏見に過ぎないが、いくつかのオファーをたよりに面接に行ってみた感触で芽生えた妄想ではあるから、あながち間違いではないと思う。オレに届いたのは「オープンオファー」。前述の妄想により、このオファーという制度が企業の強い要求から出ているものではないことを知っていたから、紳士服屋の割引はがきがまた来たな、ぐらいの瑣末な案件であるとしてしばらく放置していた。当然内容はみていない。■2011/05/23このオープンオファーに必要書類の応募を決断したのが5/23。ヒマだったからであろう。応募期限が迫っていて催促のメールも届いていたし、おそらく酔っぱらってもいただろうし、なによりヒマでメールの整理ぐらいしかすることがなかったから送ってみた、ということに違いない。このときは、書類選考で落ちたらそれはそれでショックだけど、面接に呼ばれたら呼ばれたで面倒かな、ぐらいの感覚だった。どっちに転んでもあまり楽しくない結果だけれども、自分が今どれだけの者としてこの転職市場で評価されているのか、はかりにのっかってみたいという欲求はたまにわきあがってくる。オレを必要としてくれる仕事があるのかどうか。あるとしてオレの理想とマッチしているかどうか。雇用者と求職者の相性一致確率は思ったほど高くない。ということを、約1年半前にこの転職サイトに登録したてのころに10社以上の採用面接を受けてみたときに思い知らされた。だから求人に応募したとはいえ、なにも期待してはいなかった。さらっと書いたがこの「なにも期待していない」状態は見方によれば相当深刻である。現状に希望を見出せないから転職しようと思うのだろうし、ところが転職の望みが薄いということになれば現状にがまんせざるをえない。そいうのを「絶望」っていうんじゃなかったっけ。■2011/05/25「面接にきませんか」というメールが来たのが5/25(水)。5/27か5/28はいかがですか、という案内だった。つまりその週の金曜の夜か土曜。話が急すぎないか?とも思ったが、とりあえず書類選考は通過したらしいので面接に向けて好印象を与えておかなければならず、6月以降の再調整も道としてはあったにはあったが、その2つの候補日の両方を断るにはいかないという打算を働かせ、5/28(土)ではいかがですか的な返信をした。それで確定したのが5/28(土)。休日一日がまるつぶれなのと、それまでの間に履歴書とか職務経歴書とか用意しなければならないのは非常に苦痛だけれども、前に書いてあったのをちょろちょろっと直してそれを印刷するだけだし、まいっか。■2011/05/28採用面接当日の5/28(土)。書類の用意もしたし会場までの経路もおさえたし、テンションをあげるために金曜は深酒してよく寝たけど、ちょっと飲みすぎたせいかアタマがいたかったけど、約束は午後だしそれまでには治るに違いなく、だけども問題は今日の雨。傘がない~わけではなかったが、なにをきてゆくべきか。最初に思い浮かぶのはスーツだけれども、あいにく夏用のスーツは持っておらず、きっちり裏地のついたウールのスーツは着る気にはどうしてもなれなかった。普段の仕事着としてもスーツを着る機会はめったになく、冬にたまに気分転換として着るぐらいの頻度しかない。そもそもスーツが似合わないのである。サラリーマンには2種類いて、スーツの似合うのとそうでないのと、という話をだいぶ前に書いたことがあるのだけれども、オレは似合わないほうの人間である。スーツが象徴しているもの、たとえば組織への帰属とか礼節とか信用とか、性質の中に持ち合わせていないから似合わない。いくら着飾っても似合わないという印象は伝わる。ひょっとしてオレがかつて受けた就職面接は、似合わないスーツを着ていったからなのかもしれないとも思える。適当なズボンとえりのついたシャツと、ジャケットぐらいはおっていこうか。というような感じで面接に向かった。たかだかネクタイしてないぐらいで不採用を決定されることもあるまい。それで落とされるようなら、こちらから願い下げである。
2011.06.05
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