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道教の寺院、白雲観に行くことにしました白雲観の門「窟風橋の下にある鐘めがけて銅銭を投げて、中央の鐘を鳴らすことができたら幸せが訪れる」とガイドブックに書いてあったので、ぶっちゃけ、それ目当てで行ってました窟風橋の下の鐘5元(約75円)で25枚、10元(約150円)で50枚、投げるため専用の銅銭を販売してました私も、5元25枚を買い挑戦真ん中の鐘に当てるの、難しかった(3回だけその鐘にヒット)ってことは、私の幸せはまだまだ当分先なのかな白雲観・・・ 西便門外賓河路にある、道教の一派、全真教の寺院(道観)。739年に創建され、天長観と呼ばれていたが、1203年に大極宮となった。その後、道教の創始者である王重陽の七大弟子のひとりである長春真人の住居となり、長春宮と改名されたものの、1227年に長春真人が病死したため、その2年後に白雲観と改称。明代には火事で焼け、清代に修復された。 現在は中国道教協会の所在地ともなっており、1984年に改修工事が行われ、一般公開された。1985年より40年ぶりに開かれた燕九節が、毎年行われている。
2007年01月31日
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北京に戻ってからは、毎日が暇毎日何をして過ごそうか考えながら過ごす日々・・・(これぞ学生休みの特権)北京ではバイトもないし、あっても日本と比べたらバイト代は激安日本人とか外国人の友達は国に帰ったし、中国人学生も故郷に帰省しちゃったしまして彼女も、おるわけでもないし暇人なので、地球の歩き方・北京版を見ながら名所散策でもすることに・・・で、今回は「鉄道博物館」へSL蒸気機関車等を展示してありました毛沢東号&朱徳号これらのSL機関車なんと日本製ここに展示してある、SL機関車の約半数が日本製戦前・戦中・戦後とここ中国にて活躍したらしいです鉄道博物館・・・ 空港へ続く高速道路の南側にオープンした中国鉄道の博物館。世界一という列車陳列館内には数十輌の車輌が展示されていて見事。毛沢東号も展示されている。
2007年01月30日
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本日はいよいよ北京へ戻る日成都(四川省)経由が100元(約1500円)安いということで、また今まで搭乗したことない航空会社に搭乗できるということで、私、飛行機ヲタクの血が騒ぎ、成都経由で帰ることにしましたまず昆明から成都へは、朝9時55分発の(新興航空会社)EU2210便(鷹聨航空)にて成都(四川省)へまずここで緊急事態発生目的地の成都空港が霧(スモッグ)による天候不良で、昆明空港の出発ロビーにて天候回復待ち(成都で、乗り換えするのに間に合うかなぁ・・・と思っていたら、)60分後、ご搭乗のアナウンスが結局、75分遅れで成都空港に到着しかも、ゴーアランド(着陸やり直し)を体験しましたEU2210便(鷹聨航空) 機材:A319ちょっとVIPっぽくないですかそれとも中国の山奥より無事帰還した日本人成都空港(四川省)そして北京行きの四川航空の搭乗手続きにも間に合いました(あえて、時間を開けて航空券予約しといてよかったと思いました)北京行きの四川航空はほぼ定刻通りに離陸しました3U8887(四川航空) 機材:A321機内では離陸前、客室乗務員紹介があったり、飛行中には、エコノミークラス症候群を防ぐ、簡単なストレッチ法を紹介していました機内は3-3列の座席配置で、私は当然窓側そして間は客がいなくて、通路側に中年小太りの中国人男性。飛行機が搭乗スポットから離れ、私の最悪なフライトもテイクオフ滑走路へタキシング(走行)中に、かすかに「ペッ」という音が数回聞こえ、隣を見ると、その男性が微妙なタンを吐きまくっていて、しかも、その間ん中の客がいない座席の床下にはぁ~ マナーなさすぎそこらへんの道路とちゃうねんぞ 神聖なる機内が私、慌ててその人に機内備え付けの紙袋を手渡しましたそしてフライト中、どこかで臭ったことのある、あの香ばしいが臭いがして、また隣をみると、彼、靴脱いでた (やはりあの匂いだったか)で彼、続けさまに靴下まで脱いでしまっためっちゃくつろいでるで、シメは、滑走路に着陸後、スポットへ航空機が移動中私は窓の外を見ていたんですけど、何やら近くで鼻息が聞こえ、チラッと振り向くと、その彼の顔が私の目の前に(シートベルトして席におとなしく座っとけやぁ)おかげで首を振り戻すことができない顔を振り返ると、その彼が私の顔の前にいるから航空機がスポット(搭乗口)に着くまで、ある意味、かなりの密着感でムサムサ・ラブラブぶりでしたよホントある意味で貴重なフライト体験をしました今回の旅で、4回航空機に搭乗しましたが、昆明~麗江間の東方航空の客室乗務員が自分のタイプでしたあと成都空港で北京行きの出発ゲートにてチケットをチェックしていた女性もあっ、本題に戻りますが16時半過ぎに北京空港に到着して、今回の雲南省旅行も無事終わりましたこっぱ良かったですマジでまた行きたいと思います今度は夏かな
2007年01月26日
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夜は、地球の歩き方を見て、レストランを選びましたそして「1910火車南{立占}」に決定雰囲気がとてもよかったです。(セピア色にて撮影)注文した料理外にあった銅像と食後は、大通りのバス停まで散歩ライトアップされたストリートにてアホ顔しちゃいましたこうして雲南省旅行の最後の夜が過ぎていきました1910火車南{立占}・・・ 20世紀初頭ぼフランス様式の建物を利用したレストラン。ここで食べられるのはなんと雲南料理。どれも本格的な味付けで、値段も手ごろ。ウェーターやウェートレスは鉄道員と同じ青い制服を着用している。鉄道に関するパネルや資料も多く飾られており、目でも楽しめる。
2007年01月25日
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朝、ユースホステルで、石林風景名勝区に行きたくて、行き方を尋ねていたら、とある外国人男性も、今からそこに行きたいとのこと。で一緒に行くことに決定(「英語でしゃべらナイト」やんけぇ~)彼はイギリス人男性で名前は『ボブ』現在、大連の某大学で英語教授らしいタクシーに乗り合い、昆明バスターミナルまで行き、そこから高速バスに乗り石林にて下車彼は中国語ほとんとできないので英語での会話こんなに一日中、英語を聞いたり話したりするのは、初めてかも しかも中国で英語の先生ということもあり、ボブの発音は聞き取りやすかったし、単語も比較的簡単だったので彼の言ってる意味は、ほぼ理解できたしかし、私から英語が出てこない意味は分かるのに、何て言ったらいいのか単語がでてこない本気で英語学びたいと思ったしかも、私の日本語的英語発音もきちんと聞いてくれた(Mr.ボブ、意味不明な用法・単語の英語でソーリー)石林風景名勝区石林風景名勝区(季子園)右でカメラを構えてるのが、ボブなんか、学術調査団みたいでしょホント、ボブは英国紳士的男性でしたまた気さくでとても楽しかったです石林風景名勝区・・・ 石林風景名勝区は、昆明から南東へ100キロメートルほど行った石林イ族自治県にある一大景勝地。2001年に中国国土資源部から中国国家地質公園に認定され、さらに2004年2月、ユネスコが取り組むプロジェクトのひとつ世界地質公園(世界遺産と比べると認知度はかなり低い)に認定された。 総面積は1000キロ平方メートルあまり、そのうち保護面積は約350キロ平方メートルで、石林風景区・黒松岩風景区・長湖風景区・飛龍瀧風景区の4つのエリアに分けられている。この景勝地は、後期古生代にできた炭酸岩塩のカルスト地形で、石柱に代表される奇観が特徴で、それは後期古生代の地殻変動により海が隆起して石灰質の岩面が地表に露出し、その後風雨による侵食や地震によって岩山が削られたことで出現した。その鋭い石山が石の森林のようなので石林という名が付けられた。 毎年、陰暦の6月24日には周辺に住むイ族の人々がここの集まり、火把節という有名な火祭りが行われ、闘牛や民族歌舞を披露する。また、中国映画「阿詩{王馬}(アシマ)」(1963年)の舞台となったため、中国国内での知名度も高い。
2007年01月25日
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夜9時の夜行バスにて昆明へ乗車時間は約5時間半で料金75元(約1125円)バスに乗車するときに、運転手に地味に外国人アピール『ニーハオ(少しイントネーションを変える)』って、私の見た目がすで完全に外国人なんですけどねイスラム系で、バスの中を見た瞬間驚愕しました棺おけバス・・・3列シートの2段ベット。しかも最後部席は5人同じベッドの上で私たち3人の席番号は・・・その最後部だった隣は親子連れ地味に最後部席は6人私は真ん中に。めちゃくちゃ狭い左に寝返りをすると、中国人のおっちゃんの顔がリアルに至近距離ホント、数センチ 見ず知らずの中国人のおっさんと、(同じベットの上で)極限の至近距離で寝るなんて初体験で、出発直前、運転手があまりにも窮屈さを見かねて、たまたま空いてた前方の席を私に教えてくれましたバス内部でも、体の大きい私は全然寝返りがうてない、ホントただ寝そべってるだけしかも後方席なのでバスに振られるしバス車内での自分一番強烈だったのが臭いです中国人おっちゃんの独特の足の臭いとか、いろんな車内での臭いがブレンドされて素晴らしい匂いのハーモニーを奏でてました人間って不思議な事に、その臭いにも慣れるんでねぇって、寝返ったらまた臭うんですけど また臭い慣れてしまうホント不思議なもんです何はともあれ無事、約1週間ぶりの再び昆明到着利用した夜行バス運転手のおっちゃん、あくびかまして眠たそうって危険度大まさしくこれぞ、死のドライブでしたそして、宿泊予定の昆明大脚氏国際青年旅舎へ(KUNMING CLOUDLAND INTERNATIONAL YOUTH HOSTEL)8人部屋で一人一泊20元(約300円)でした。このユースホステルが総合的に見て一番良いホステルでした昆明大脚氏国際青年旅舎
2007年01月24日
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朝、ユースホステルの10元(約150円)バイキング朝食を食べ、(とても良かった)大理崇聖寺三塔へ「え~、これが大理三塔で~す」熱(ムサ)いキスをしてあげちゃう~そういえば、左右の小塔は、ピサの斜塔のように少し傾いていたように思います午後からは、まず※アル海公園へ。 ※{サンズイに耳}そして遊覧船乗り場へ閑散期ということもあって、地味に交渉して、私たち3人だけで船を出してもらったこれがアル海。ホント、海でしょでもここ湖なんですよ(なんか地元・橘湾or椿湾に似てないですか)途中、この湖に浮かぶ小島に立ち寄り、自由時間。なんか海の島の雰囲気湖の島なのにその島の船着場利用した船 名は「明星号」この船、めっちゃ速度遅く、この遊覧船にその島へ往復2時間半乗船してました逆にそれだけアル海が大きいってことですね崇聖寺三塔(大理三塔)・・・ 崇聖寺三塔は、大理古城の中心から北西に1.5キロメートルほど行った所にある仏塔。崇聖寺は、唐の開元年間に建てられた仏教寺院で、唐宋時代には南紹国と大理国の王室の菩提寺となった由緒ある寺院だが、清時代に三塔を残して仏閣は焼き払われてしまった。近年三塔の建つ西側の広大な敷地に新たに崇聖寺が再建された。 三塔の主塔はまたの名を千尋塔という。16層の方形密えん式レンガ製仏塔で、高さは69.13メートル。南紹の勧豊佑時代(824~859年)に建てられた。主塔の南北に建つふたつの小塔は、大理国(12世紀頃)に建てられた10層の八角形密えん式レンガ製仏塔で、高さは42.19メートル。1978年には国家規模の補修工事が行われたが、その際に塔頂部分から680以上の文化財が発見され注目を集めた。 ※アル海 ※{サンズイ+耳}・・・ アル海の面積は251平方キロメートルで、湖の長さは128キロメートル。湖の容量は28億立方メートル。雲南第二の高原淡水湖。大理市民は「母なる湖」と称える。
2007年01月24日
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石鼓の散策を終えて、そのまま麗江のバスターミナルまで送り届けてもらいました。チャーターした車(箱バン)とガイド役(ただ、乗ってただけ)の謎のおっちゃん今年完成したての麗江バスターミナルちょうど、大理行きのバスが出るということで、急いでチケットを購入してバスに乗り込みました。ちなみにミニバスでした料金は40元(約600円)でした。道中、麗江~大理間の鉄道工事をしていました。将来的には鉄道でも結ばれるのでしょう大理への道中なんか地元(山口・桑野・長生付近)の風景と似てる気が・・・スケールをでかくした感じ窓を少し開けていたのですが、大理に入った辺りから、何か春の匂いが地味に、私の地元の春の匂いと似ていたそして大理古城で下車し、宿泊予定のユースホステルへ大理古城四季青年旅舎(四季客桟)私が宿泊したのは、4人部屋で一人一泊20元(約300円)でした。ペー(白)族の伝統的建築&庭園を意識した造りでした雰囲気が良かったです夜は、古城内を散策大理古城南門大理・・・ 大理市は、雲南省の西部に位置する大理ペー(白)族自治州の中心地。年間平均気温が15.1℃と穏やかな気候。 大理はペー族の居住エリアで、彼らの伝統文化が色濃く残っている。使用言語はペー語。白色を最も貴い色としているため衣装も白色をベースにしている。大理ではペー祭りがある。 また蒼山と澄んだ水をたたえるer海を中心とした風景は、山水如画と称される。 大理を中心とするこのエリアは、古くから中国とインドを結ぶ交易路の要衝として発展を遂げてきたが、その本格的な歴史は8世紀になって唐朝の後押しを受けた蒙舎紹が6つの権力グループを統一して南紹(8世紀~902年)という地方政権を樹立したことから始まる。その後を受けて建国された大理国(938~1253年)まで合わせると、500年もの間、独自にこの地方を統治したのだ。 大理には、大理古城と下関というふたつの中心がある。大理古城は昔の中心地で、下関は新しく造られた行政・交通の中心地。
2007年01月23日
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本日は車をチャーターして、石鼓へ行くことにしました朝、いつもの旅行社で待機していると、ロングコートを着た謎のおっさんが迎えに来てくれて、古城の入り口付近まで行き、車がまだ来てないとのことで、またしばし待機・・・。そして車が道路を左折して、私たちの前に到着乗用車かと思ったら、箱バンでしたしかもこの車、普段は麗江の乗り合いタクシーっぽいちなみに運転手はおばちゃんでした(あのおっさんは何やねん)で車に乗り込んでいざ、出発しようとしたら、警察官登場どうやらさっきの左折が道路交通法に触れたらしい数十分たって二人が戻ってきた。(朝からめっちゃ時間のロスこれぞ中国、物事が完全スムーズに進まない)結局、点数減点&罰金だったらしい。で、腑に落ちない、怒り心頭の運転担当おばちゃん誰かに電話どうやら、その警察官の名前を通話先に伝えてるみたいだ・・・ヤキでもいれるのかな おばちゃん、黒社会と通じとるんかなこの国で警察官するん怖いわぁ~まぁ方言だったんで、何を言っているのか真相は定かではないですが、逆にその分、怖いですわぁ~道中(この道は、ツアーでよく通ったと思い出した)そして石鼓の手前の『長江第一湾』に到着地球の歩き方に書いてあった、公衆トイレの横から登ろうとしたら、運転担当のおばちゃんに引き止められたで、集落手前からある、山に登る道を勧められたそしたら、歩いていたおばぁちゃんが、高台まで連れて行ってあげるということで、後を付いて行く。そして、登る途中で「ここが私の家、少し待っといて」待つこと数分、案内役のおばぁちゃんからおっちゃんにバトンタッチそのおっちゃんが連れて行くとのこと。(おばぁちゃんが連れて行ってくれるんとちゃうんかいな)そのおっちゃん、しかもトーク好き「この集落で子供を大学までいかせたのは、このおっちゃんの家ともう一軒だけ」とか、「トラック運転手を30年間してた」とか、高台に着いてからは、アングルまでわざわざ伝授してくれるしこれがその高台から望む『長江第一湾』高台から望む『石鼓の集落』その後、石鼓の集落入りここも、『千里走単騎』のロケ地だったらしいロケ地で使用された、石鼓完全小学校の校庭から石鼓のストリート長江第一湾・・・ 金沙江(長江の上流)がV字形に大きくカーブする長江第一湾。その眺めは壮観だが、川沿いにある展望所からでは、川自体が大きいため、実感できないかもしれない。わかりづらいが、停車場そばの公衆便所の横に高台に上る道があり、そこを少し上れば素晴らしい景色を見ることができる。石鼓・・・ 石鼓は麗江の西50キロメートルのところにある町で、チベットとの交易における中継地として栄えたところだ。この町にはいくつかの見どころがあり、麗江観光の目玉にもなっている。 町の中心部にある古亭と紅軍長征渡江記念碑。古亭には石鼓のシンボル、石製の鼓のかたちをした漢柏玉という石碑がある、これは西から攻めてきたチベット軍を撃退したことを記念に造られたもの。 また、紅軍長征渡江記念碑は、1936年に賀龍将軍率いる紅軍第二軍と第六軍が長征の過程で、ここから川を渡って北上したことを記念して建てられたもの。石碑は高台に建てられており、ここから石鼓鎮の全体を見渡すことができる。
2007年01月23日
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本日は朝6時半にモーニングコールがあり、7時に朝食、7時半に出発という中国ツアーならではの朝の早さだったホテルはつ星。 マジで微妙だったただベット下に電気カーペットが敷いてあって睡眠時は暖かかった冬はオフシーズンなので、複数の旅行社が共同でツアーを行ってるみたいで、ダーマオが申し込んだ旅行社とダーマオ側でトラブルがあったみたいで、今から向かう普達錯国家森林公園の入場料が自費だったらしいそれでダーマオは「その公園には入場しない」と一点張り。で、結局学割で入場料を買った、ダーマオ。気がついたら彼があの寒空の下、一番はしゃいでいた・・・早朝の、ふてくされていたダーマオはどこへやら(麗江に戻ってから、その旅行社に直談判すると言っていた。さすがダーマオ)話に戻って、一行は普達錯国家森林公園へ冬以外だと碧い湖が見えるらしいけど、着いたら全部凍っていたおまけにめちゃんこ寒い属都湖にてサントリー・ウーロン茶のCMみたいでしょ~ビタ(碧塔)海という一番きれいな湖も一面氷だらけ・・・この普達錯国家森林公園最寄の高速道路料金所のすぐ横に、ノノ(農農)運転手の家があると聞き、鄭州のおっちゃんが「ノノの家に行こう」と音頭をとり、皆を鼓舞し、急遽、ノノの家庭訪問することになったノノの家画像真ん中の青いジャージを着ているのが、あのダーマオ青年ノノとノノの娘さんとノノ宅にてそして、昼食を食べた後は、このツアーも終わりで麗江に向けてひた走る途中、トイレ休憩で立ち寄った場所から最後、麗江で晩飯タイムもあったが、その晩飯が含まれている人、含まれていない人がいた。これも旅行社の違いだろう。(ちなみに私たちは含まれていた)で、晩飯をキャンセルすることもできるらしくて、キャンセルする人には10元(約150円)返金とのこと。10元だったら食べておこうと思い、私たちはそのまま晩飯を食べることにしましたでも、ほとんどの人がキャンセルしたいで、最後、ツアーの晩飯を食べたのは、私たち3人とアメリカ人と中国人の計5人だけ皆、含まれた人はキャンセルして10元返金してもらったんでしょうまさかそんな事は知らなかったので、晩飯を食べる人だけ指定の中華料理屋で降ろされ、それ以外は古城のツアー出発点まで帰りました。最後は、あっけない皆との別れでした(まさか5人だけとは)印象深いシャングリラの旅でした。オフシーズンで客が少ないという点は、良かったんですが、かなり寒かったですまた景色も冬以外がシャングリラの場合はオススメだと思います最後に、『ヤーショッ・ヤーショッ・ヤーヤーショッ』これはチベット語で『とても良い』『非常好』『very good』という意味だそうです
2007年01月22日
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本日から、シャングリラ(香格里拉)一泊二日ツアーに参加。25人前後のツアー客で外国人は私たち3人とアメリカ人1人いて、後はもちろん全員中国人。このツアー客で印象的だったのが、ダーマオ(大毛)という若者で、キャラが私のいとこそっくり陽気な(ドラえもんの)ジャイアン系。おしゃべり好きの鄭州(河南省)出身のおっちゃん。ビデオカメラをやたら回し続け、ポーズまで指定してくる、これまた鄭州(河南省)出身のおばちゃん。上のおっちゃんの知人らしい。チベット族で今回の運転手だったノノ(農農)ちなみに「ノノ」というのは、チベット族での呼び名で本当は別に正式な中国語の名前があるそうだ。朝、麗江古城からバスが出発し、ガイドは麗江とシャングリラの境界付近で、乗り合わせるということでそれまではガイドなし。なので静かな時間が流れるかなと思った矢先、まずダーマオが一人ハイテンション状態バスの前席の客から自己紹介していこうと提案したら、鄭州コンビがそれに呼応で、前席から一人ずつ自己紹介していくことに(ちなみに私たちは後方に座っていました)そして私たち三人組が(一応)中国語ができる日本人と知ってから、時折、その鄭州コンビからキラーパスが突然飛んでくるそんなこんなで、まず『長江第一湾』に到着。でも全然遠くてまた木が邪魔したりで見ることができない・・・その後は、『虎跳峡』へ。その途中で、またまたダーマオが、今度はなぞなぞゲームだと言い始める。そんな中国語でなぞなぞなんて・・・そしたら案の定、あの鄭州コンビから、「じゃあ日本語の歌を歌ってよ」ってキラーパス三人で「もみじ」を合唱しました結局、気がついたら、なぞなぞゲームもいつの間にか終了してて、言いだしっぺのダーマオったら爆睡してやがるそんなこんなで、やっとガイドが乗り合わせ、一路『虎跳峡』へ虎跳峡よく見ると虎の銅像が昼食後、いよいよシャングリラ(香格里拉)へ麗江~シャングリラ間はバスで約4時間半くらいシャングリラ(香格里拉)の海抜は3300メートル。富士山だとだいたい8合目に相当シャングリラに到着後、そのまま大亀山公園へシャングリラ(香格里拉)の街が一望そして夜は、チベット族のショーを観賞。で、そこはどうやら別料金で自由参加らしくて、出来る限り参加してとのことで、ほぼ全員参加。で、130元・160元・200元の料金設定があり(料理が違うらしい)私たちツアー団は地味にケチなので130元コースをセレクト。(もしこれが日本人ツアーだったら間をとって160元コースだったかも)130元コースは、羊一匹とヤク(牛)一匹の丸焼きでした。右側のが子ヤク(牛)。左側が羊。ちなみに左側でナイフを持っているのが、あの鄭州中年男女コンビ右側の天津出身の僕ちゃんも、始めは目の前に出された丸焼きに驚いていたが、「おいしい」と食べていたで、チベット族のショーがスタートチベット族のナイナイ・岡村隆史に激似を発見いやぁ~ここシャングリラ(香格里拉)でナイナイ・岡村さんに会えるとは(笑)地元の白酒に皆、堪能しホロ酔い気分の時、また鄭州のおっちゃんがキラーパス「え~今日、この中に日本朋友(日本の友達)もいます、彼らに一曲歌ってもらいましょう」素晴らしいキラーパス、謝謝(ありがとう)だぜちゃんとそのパスに反応させてもらうぜってことで、即興でドラえもんを歌うことにしましたこれまた即興でウエストポーチをポケットに見立て、中に入ってた軍手をタケコプターにみたて、私がドラえもんを演じました。ドラえもんというより西郷隆盛ですな(笑)最後は全員でチベット族ダンス私はどうしても阿波踊りor島の踊りになってしまうちなみにダーマオは、意味不明なダーマオ的ブレイクダンス(といういうか体全体でシャカリキってました)こうして楽しい一日目が過ぎていきました虎跳峡・・・ 虎跳峡は、麗江の玉龍雪山とシャングリラ(香格里拉)のハーバー雪山の間を流れる金沙江沿いに延びる全長20キロメートル、高低差3000メートルの大峡谷。このエリアでは金沙江の川幅は非常に狭くなっており、虎がこの峡谷を飛び越えたという伝説が名前の由来。最も狭い所では、30メートルしかなく、川の流れも激しい。 展望台はかなり水面に近い場所に造られており、轟音で話し声は聞こえず、水しぶきを浴びるほど。シャングリラ(香格里拉)・・・ シャングリラ(香格里拉)は昆明から約710キロメートル、雲南省の西北端にあるdi慶チベット族自治州の中心地(標高3276メートル)で、この民族自治州はチベット自治区および四川省と境界を接しており、古くからチベットの影響を強く受けてきた。この町から北西に進めばチベット自治区に入り、北東に進めば四川省西部のチベット族居住区にいたる。 なお、チベット語での呼び名はギェルタン。また、自治州の名であるdi慶はチベット語で吉祥如意の土地を表す。 映画化された小説『失われた地平線(ジェームス・ヒルトン著)』も舞台になった理想郷シャングリラは、このエリアがモデルであると地方政府が主張し、2002年に中dianという名前を改称して現在の香格里拉(シャングリラ)となった。 自治州内には、雲南省最高峰・梅里雪山(標高6740メートル、チベット族はカワ・カルポと呼ぶ)を中心に高峰が多く、平均海抜は3380メートル。これらの高峰の間を縫うように、金沙江とlan蒼江という二つの大河が流れ、すばらしい景観を造り出しており、その豊な自然は、自治州の西を流れる怒江と合わせ、2003年ユネスコの世界自然遺産に登録された。大亀山公園・・・ 旧市街にある大亀山(ここが市街地で最も高い場所)を中心に整備された公園。麓には井戸があり、旧市街地に暮らす人々の飲み水となってきた。 入り口から階段を上った所にあるのが朝陽楼。この後ろに進むと、巨大なマニ車に達するが、そこからは旧市街を一望できる。
2007年01月21日
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本日は、まず黒龍譚(ホントはサンズイへん)公園に行きました。そして園内にあるトンパ文化研究所にも寄りました。トンパ文字の時計ちなみに十二干支らしいですその研究所内で20元で自分の名前をトンパ文字で書いてもらいました(まぁなんか胡散臭いおっさんでしたが・・・)そして、黒龍譚公園と隣接するトンパ文化博物館にも寄りました。ちょうど日本の観光客ツアーがおり、日本語の説明が聞けると思い一緒について見学博物館内で見学後の最後に、現在トンパ文字の最高権威者のトンパ先生に、謁見できると言い、奥の部屋に案内されましたそのトンパ先生そのガイド曰く、「普段は会うことができません、今日は日本からお越しくださった皆さまのために特別です」「この一室にある商品は日本円でもお買い求めいただけます」「皆さまの名前を、トンパ先生が実演でトンパ文字でお書きいたしますもちろんこれは商売のためではありませんしかしこのトンパ文字に使ってるいる用紙は特殊な紙質です。なので紙代として1枚200元(約3000円)頂戴いたしますホントこれは商売ではありません ただの紙代です」って、めちゃめちゃ商売やんまぁうまい具合に乗せられた日本のおっちゃん・おばちゃんの団体様あちゃ~誰か一人が買うと、皆が釣られて購入していました日本人の心理を熟知されていらっしゃることで、私たちだけ先に部屋を出ようとしたらドアに鍵がかかってる出られへんやんこういう手法は北京でもあると聞いたことがあります。まぁガイドへの臨時収入にもなりますしねそれにしてもさすが日本の団塊世代皆さまお金に裕福なようで・・・少し私への旅行資金として頂きたかったですわ午後は、3人それぞれ個人にて買い物タイム私はTシャツオタクとして、トンパ文字Tシャツを買い漁りました汗かきムサ男なのでTシャツ消費は人一倍激しいので古城内の通ってない道を散策(開拓)し、木府にも寄りました古城内にあった小学校の横壁黒龍譚公園・・・ 市街地の北に位置する公園で、池の水が玉のように碧いのでこう呼ばれるようになった。1737年に玉泉龍王廟として造られたのが始まりで、そう呼ぶ市民もいる。 また、この池とトンパ教の聖地、シャングリラ(香格里拉)の白水台はつながっていて、白水台の水が枯れると黒龍譚も枯れるという伝説もある。 弓形をした周囲約6キロ平方メートルの玉泉という池を中心としていて、その周囲には、しだれ柳が植えられている。大理石で造られた玉帯洪橋の向こうには雪の帽子を被った玉龍雪山がそびえ、晴れた日に美しい水面に映る玉龍雪山は本当に美しい。 このほか、1601年創建の五鳳楼と、彫刻が美しい3層の楼閣・得月楼も見逃せない。トンパ文化博物館・・・ 黒龍譚公園の北側にあり、ナシ(納西)族の伝統工芸や名人の手によって書かれたトンパ文字などを閲覧することができる。また、それらの中には販売されているものもあり、トンパ紙に書かれたトンパ文字などは、旅の記念になるだろう。木府・・・ 元、明、清の3つの王朝に22代470年にわたって麗江エリアの統治を委ねられた木氏が暮らした館。正式には土司木氏ガ署という。 木氏は白沙を中心に勢力を築いたナシ(納西)族の豪族だったが、南宋末期に獅子山の東側に本拠地を移し、元朝以降の王朝とうまく付き合い、チベットとの交易(チベットから馬を、雲南からお茶を運んだ)で富を蓄えていった。 忠義坊は4本の石柱で造られた牌坊で木府の入り口にあたる。議事庁は木氏が政務を執り行った場所で、万巻楼は曲阜の孔廟を参考にして建てられた書庫。護法殿は木氏の私事的な話し合いがもたれた場所で、光碧楼は接客に用いられた建物、玉音楼は歌舞を観賞した所、一番奥にあるのが道教の創始者とされる3人を祀った三清殿。現存する建物は、世界遺産申請時に修復、再建されたもの。
2007年01月20日
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それでは、さっきのブログ日記で省略していた、玉龍雪山部分を甘海子(草原)エリアに入る前の高速道路の料金所にてアフリカ(非洲)のキリマンジャロっぽくないですかって行ったことないんですけど甘海子(草原)エリアから専用バスに乗り込み、玉龍雪山ロープウェイ乗り場へすでに、このロープウェイ乗り場での海抜は、3356メートル。富士山に例えると、8合目に相当ロープウェイ乗り場にてそしてロープウェイにて一気に玉龍雪山の山頂付近へロープウェイ乗り場から降り立つと、周囲はあの玉龍雪山ここロープウェイ乗り場の出口で海抜は4506メートル。ってことは・・・富士山よりも高い場所にいる(私、富士山すら登ったことない日本人なのに・・・)ここは、もう日本よりも高い場所・・・未知の世界です簡単に富士山越えしちゃったちなみに富士山の標高は、3776メートル。ロープウェイを降りてすぐの所ここから、皆さん簡易酸素ボンベ片手に高山病と闘いながら、遊歩道を歩いていきます展望デッキエリアまでの遊歩道遊歩道1確かに遊歩道を登っていると、すぐに息が切れる感じでしたが、頭痛等は全然なく、簡易酸素ボンベも必要ありませんでした。防寒着も登って暑くなると思い、結局、何もレンタルしませんでしたが、案の定、私は全然大丈夫でしたもしかして雪男(笑)パーカーの上に上着、手袋、マフラー代わりに代表タオル巻いての、軽装備でしたが何とか大丈夫でした普段、RED CARDSのGKとして、イジらてる効果が出たかも 普通に体異常なしでした(笑)雪男遊歩道2遊歩道の途中にて展望デッキの最高点まで到達ここの海抜は4680メートル「ヨッシャーー 登ったどーー」で、ロープウェイ乗り場まで戻ろうとしたとき、ラッキーなことに、昼から帽子雲をかぶっていた雲が薄くなり、パッと晴れて、太陽の光が差し込んできましたってことでもう一回、撮り直し「登頂成功 玉龍雪山制覇」遊歩道から見えた下の風景帰りのバスから見えた景色なんかアメリカの道を走ってるみたいですまだ行ったことないですけどアメリカへも機会があれば行ってみたいですね(その前に、英語ができるようにならんと)ホンマ、玉龍雪山良かったです昔、高校の地理の先生が、雲南(特に玉龍雪山)を褒めた称えていましたが、私も気がついたらそうなってました山の天気も午後から帽子雲が出始めて、心配していましたが、うまい具合に雲間から太陽が差し込み、最高のコントラストでしたまたオフシーズンということで客も少ないというのも良かったです皆さんも、ぜひ一度、玉龍雪山へ挑戦してみてください意外と大丈夫でしたよ玉龍雪山・・・ 麗江の北にそびえる山で、13の峰が南北35キロメートル、東西12キロメートルのエリアに並ぶ。最高峰は主峰・扇子徒の5596メートル。 ナシ(納西)族にとっては、神々が暮らす聖なる山であり、雪を頂いた山の姿が、空を飛翔する銀色の龍に見えるということから玉龍雪山と呼ばれるようになった。ただ、雲や霧に覆われることが多く、その美しい姿をはっきりと目にする季節は限られる。 現在では、3356メートルの地点から扇子徒直下の4506メートル地点までロープウェイがあり、多くの人が訪れるようになった。ロープウェイは全長約3キロメートルを30分ほどかけて上がっていくが、その過程では、松や杉の林、氷河、鋭く切り立った岩壁、雪を頂く峰々などすばらしい景観を堪能できる。 玉龍雪山はナシ(納西)族の言語では、「ウルー」と呼ばれ、また岩盤は主に石灰岩と玄武岩から成り立ち、白黒がはっきりしているため「黒白雪山」とも称される。
2007年01月19日
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玉龍雪山一日ツアーに参加することにしました料金は一人350元(約5250円)でした。で、学生は入場料で学割が効いたので、ツアーの帰り際に、学割分の70元が戻ってきましたなので実質、280元(約4200円)でした本日朝の玉龍雪山 ん~朝日が玉龍雪山を赤く染めていい感じでした快晴です でも山の天気は変化が激しい・・・。私たちが参加したツアー客は、だいたい30人くらいで、私たち日本人3人の他に、韓国人家族5人、インド人1人以外は全員中国人でした。まずは、バスにてとある店へ。そこで防寒具と酸素ボンベをレンタルor購入私は、まぁ大丈夫やろ~と思い、買いませんでしたいよいよツアースタート玉水山塞という民族村っぽいところへ行きましたそして、そこで昼食タイム午後は、甘海子という草原エリアへ甘海子周辺の海抜は3100メートル富士山に例えると7合目と8合目の中間あたり道中、香港人資本で建設されたゴルフ場があったこんな海抜の高い場所でゴルフしたら、どうなるんでしょう・・・飛距離がのびるんかな・・・高原薬草のお店に案内された。試飲の高原薬草茶だけ飲んじゃった(だって今から雪山行くのに誰も買わないんじゃ・・・)そしていよいよ、ロープウェイにて玉龍雪山へ詳しくは次のブログ日記にてUPしようと思います今回の旅行のザ・ベストだったもんで玉龍雪山から下山後は白水河というところに行きました。それがその白水河ヤク(牛)に乗ることもできる(有料・交渉次第)黄龍(四川・九塞溝)のミニチュア版みたいでしょ~って、これ人工的に造られたみたいなんですけどね・・・そして最後に、(民族村)束河古鎮へ。そこで最後の晩餐がありました後日知ったんですが、この束河古鎮にて、映画『千里走単騎(邦題:「単騎、千里を走る」)』の撮影ロケ地の一つだったらしです高倉健が楊楊と初めて会い、石頭村の大勢の人々と食事をするシーンらしい・・・。全然ノーマークだった 失敗したこのツアーで仲良くなった成都(四川省)の大学生カップルとガイドの二人とちなみに、この日の夜、その大学生カップルと夜の万古楼へ行き、その後、ケンタッキーでしばし休憩中、カラオケに行こうって事になり、カラオケ行っちゃいました中国人大学生とカラオケ行くの初めてかも・・・(笑)彼らの話を聞いてたら、なんか金持ちそうな匂いがしたいやぁ~でもこのツアーに参加して、彼ら以外にもいろいろ出会いがあり楽しかったです
2007年01月19日
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夜はライトアップされた麗江古城をしばし散策そして四方街のすぐ近くの「さくらや(櫻花屋)」という韓国人女性&中国人男性の経営するお店で晩飯タイム「さくらや(櫻花屋)」で注文した料理なんか、宮崎駿の『千と千尋の神隠し』っぽくないですかユースホステルからの夜の麗江古城1その2(左奥に建っているのは万古楼)さくらや(櫻花屋)・・・ 四方街のすぐ近くにあるレストラン&バー。日本料理をはじめ、韓国料理、西洋料理、中華料理、ナシ(納西)料理などが楽しめる。店内は非常に賑やかで、深夜まで客が絶えない。
2007年01月18日
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迷路のような複雑な道を歩いた後、今度は高い所から、麗江古城を見てみようってことになり、万古楼へ登ることにしました万古楼万古楼から見た、玉龍雪山麗江古城を一望登った後は、万古楼の高台の途中にあった、喫茶店に入り、ビール片手に麗江古城を見ながら、昼下がりの午後の時間がゆっくり過ぎていくのを感じていました(今の時期、テラスで飲むビールは少し寒かったですしかも麗江の地ビールじゃなくて、大理の地ビール)喫茶店に隣接している民宿のベランダでは、ワンコものんびりとお昼寝って、いうか犬の隣に干してある下着類の臭いに、ワンコ、ノックダウン万古楼・・・ 獅子山の上に建つ5層の楼閣でその高さは33メートル、古城地区では最も高い場所。楼閣の最上階からは、古城の家並みや木府を見ることができ、天気が良ければ、玉龍雪山も見れる。
2007年01月18日
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ユースホステルに荷物を置いて、早速行動開始世界文化遺産に登録された古い街並みの、麗江古城の迷路のような道を、あっちに行ったり、こっちに行ったり・・・麗江古城四方街大石橋麗江古城東大街&玉龍雪山古城水車麗江古城について・・・ 麗江古城は麗江市街地にある獅子山の東、民主路・新大街・鎮東路・祥和路に囲まれたエリアに広がる古い街並みで、細く入り組んだ石畳、網の目のように流れる水路、木造家屋などが残っている。1996年の地震でかなり倒壊したようだが、1997年の世界文化遺産登録によって整備された。しかし、中国人観光客の増大もあって、古い街並みを残すものの、古城地区はテーマパークのような雰囲気になってしまったのが少々残念。 古城地区には、網の目のように水路が延びているが、その上には多くの石橋がかかっている。代表的なものが玉河橋・大石橋・百歳橋。玉河橋は古城水車とともに北西側の入り口ともいうべき場所にあり、ここで水路が3本に分かれ、古城に流れていっている。大石橋は四方街と五一街の間にかかる橋。四方街・・・ 麗江古城の中心部。文字のごとく、四角形の空間で古城に暮らしていた人にとってコミュニティ広場的存在で、ここから四方八方に道が延びている。 この周囲にはレストラン、ショップなどが集中しているため、昼夜を問わずたくさんの観光客で賑わっており、外国人もまた非常に多い。 昼には、ナシ(納西)族のお年寄りが民族衣装を着て踊りを見せてくれる。
2007年01月18日
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前日泊まったユースホステルは夜通しで改装してるみたいで、夜中まで音がうるさくて全然眠れませんでしたで本日は、あのチャン・イーモウ監督&高倉健さんの主演の映画『千里走単騎(邦題:「単騎、千里を走る」)』のロケ地であり、今回の旅行の最大の目的地・麗江(Li jiang リージャン)へ(昆明は、経由で寄ったようなもんです)朝8時05分の、MU5921便(中国東方航空)に搭乗昆明~麗江間のフライト時間は、約50分東京~大阪間と同じくらいですねで、15番ゲートで搭乗を待っていたんですが、8時になっても一向に搭乗案内が始まらない・・・(さすが中国の国内線・・・遅れは日常茶飯事・・・)結局8時25分頃になってやっと搭乗案内が始まりましたどうやら同じゲートを使う、前の便が遅れてて、その影響でゲートが予定通りに使用できなかったらしいバスに乗って昆明空港のエプロンの端っこまで連れて行かれましたタラップ車からの機内に搭乗するなんていつぶりだろう・・・中国での搭乗では、初のトラップ車を使っての機内搭乗MU5921便(中国東方航空) 使用機材:B737通路を挟んで隣の席には、定年退職された日本人ご夫妻と中国人ガイドの方が搭乗されていて、しばし歓談しました(今後、このように定年後の人生を楽しむ日本人が増えるんでしょうね)始めの搭乗案内が遅れた影響で、35分遅れの、9時30分に麗江空港に到着しました麗江空港えぇ~ここ、麗江の海抜は2410メートル。富士山に例えると、だいたい6合目に相当します麗江空港は市区中心部から南に30キロメートル離れており、リムジンバスを利用し麗江市区入りしました麗江空港~麗江市区中心部までの道中にて到着後、宿泊予定の麗江古城国際青年旅館(ユースホステル)へここも軽く改装工事中でした。12人部屋で一人一泊20元(約300円)でしたここも男女共用で、たくさんの出会いを地味に期待しておりました麗江でお世話になった、麗江国際ユースホステル麗江古城と玉龍雪山が同時に見ることができ、最高の立地条件ですユースホステルからの風景麗江について・・・ 麗江は昆明から約600キロメートル、大理から約200キロメートルの所にある標高2400メートルの町で、2006年に日本でも封切られた張芸謀(チャン・イーモウ)監督、高倉健主演の映画『単騎、千里を走る』(2005年作品)の舞台になった街でもある。 町の歴史は、雲南省北部を支配していた木氏一族が、南宋末(800年ほど前)に本拠地を白沙からこの地に拠点を移したことから始まり、以来清末までチベットと雲南を結ぶ交易路茶馬古道の要衝として栄えてきた。 木氏一族は町の整備を進め、石畳の道、道に沿って造られた清らかな水の流れる水路、その水路にかけられた多くの石橋、豊な水を汲むための井戸、これらが一体となって美しい町並みを造り出した。 また、町の周囲には、玉龍雪山を代表とする美しい自然が広がり、町と自然は一体となり、古い時代から景勝地として多くの人々に知られる存在であった。 この麗江を造り上げたのは、現在もこの地に多く暮らす少数民族のナシ(納西)族。彼らは象形文字のひとつトンパ(東巴)文字を使い、独自の文化と宗教(チベット仏教と関連がある)をもつ民族であり、町の美しさと文化的背景が認められ、1997年にユネスコの世界文化遺産に登録された。 麗江は、近年中国でも人気の観光地となり、観光インフラが整備され、非常に観光しやすくなり、その結果、町は香格里拉(シャングリラ)大道を中心とする新市街エリアと獅子山以東の古城エリアのふたつの顔をもつようになった。
2007年01月18日
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正午頃、昆明空港に到着後、52路路線バスにて、宿泊予定の昆明国際青年旅舎(ユースホステル)最寄の、「小西門」にて下車し、そのユースホステルを探すためブラブラと歩いていたら、地味に迷子になってしまった・・・で、歩いてる人に聞いたら地味に雲南の方言特に年齢が上の人ほど、何言ってるか聞き取れない・・・「日本人の君の方が、中国語(標準語)がウマイな」と雲南方言交じりで褒められたで、なんとかユースホテルを探しあて、一番安い部屋を聞くと、現在、改装中で、4人部屋で一人一泊20元(約300円)しかないとのことこれで十分 基本、ベットさえあれば文句なしですどうやら、ここのユースホステルは男女共用みたいで、私以外に中国人男性と日本人女子留学生が二人。そんで、その日本人の女の子二人組みは、日本の某大学の交換留学生として、大連とウルムチで留学生活しているだそうです。荷物を部屋に置いて、午後からは早速、昆明市内へ繰り出すことにしましたまずは、近所の米線屋(米が原料の麺)で麺を食べました日本だと「ビーフン」だったっけちなみにこの一碗で2.5元(約38円)そして食後、雲南民族村へ今回一緒に雲南旅行をしている子(10月・国慶節の西安旅行時)の、友人の妹がここで働いているということで連絡を取り合い、ガイド役をしてもらいましたガイドをしてくれた、その妹さんは、納西(ナシ)族なんだそうです夕方に、この民族村に入ったので、全部回りきれませんでした帰りは、箱バン型三輪タクシーにて大きなバス停まで、そのガイドをしてくれた妹さんが一緒に送ってくれました雲南民族村・・・ 雲南省に暮らす少数民族の風俗と生活に触れることができるテーマパーク。 園内には白族、イ族、ハニ族、ナシ族、チベット族など15の少数民族の村が造られており、特徴的な民族衣装をまとった人々が出迎えてくれる。それぞれの村には各民族の住居及び広場や塔といったシンボル的な建築物が建てられている。 それぞれの民族村では、決まった時間ごとに歌や踊りのショーが行われており、またゲスト参加型のショーも多く、言葉がわからなくても楽しめる。
2007年01月17日
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朝、8時05分のCZ3901便(中国南方航空)にて、雲南省の昆明(Kun ming クンミン)へ搭乗口にて(北京空港・第1ターミナル)ちなみに使用機材は、B757でした。ほぼ定刻通りに出発し、機内では映画「千里走単騎」が上映されました。機内食は3種類のパンと中華風サラダでしたそしてほぼ定刻通り、11時30分ころ昆明空港に到着しました北京~昆明間のフライト時間は3時間25分北京~大阪間よりも遠い・・・さすが中国大陸デカイ昆明空港さすが年間を通して春気候の昆明だけあって、降り立ったときから、北京と比べたら断然暖かい昆明について・・・ 標高約1900メートルの高原にある雲南省の省都・昆明。1年を通して気候は穏やかで緑が絶えないことから春城と呼ばれている。(1999年に世界園芸博覧会を開催) 昆明の歴史は古く、旧石器時代の3万年前には古代人が住んでいたことを示す遺跡がある。紀元前3世紀には楚の将軍が(サンズイ+真)国を建国した。紀元前109年、前漢の武帝はテン国王にテン王之印を与えて正式な国家として認めた。1254年、フビライ・ハンが派遣したモンゴル軍に占領され、雲南行省が設置され、この地は昆明県と呼ばれるようになった。
2007年01月17日
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月曜日に期末テストも終わり、やっと冬休みに突入しましたさっそく17日~26日まで、雲南省へと旅行に行くことに決めましたそれでは
2007年01月16日
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期末テストも今日でいよいよ最後最後の期末テストは、宏観経済学(マクロ経済学)でしたまぁいけるやろうと思って、テスト用紙見た瞬間「これ、ヤバぃ・・・落とすかも・・・」ちゃんと普段から課題提出とかきちんとして、平常点稼いでいたら良かったなぁ・・・と、悔やんでも悔やみきれない・・・こうなったら、ミラクルを信じるのみ・・・
2007年01月15日
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北京でのスノーボードは今回が初体験で、スノボ自体、3年前に地元のスキー場で一回しただけの全くの初心者果たしてどうなることやら・・・日曜日、「RED CARDS」ご一行様で、京承高速を使い、北京郊外(密雲県)にある、南山滑雪場に行きました密雲南山滑雪度暇村南山滑雪場一面、白銀の世界かと思いきや、見ての通り、このスキー山だけ(人工)雪が・・・高速を走っているときも、普段の中国の田舎の風景から、突如、ポツンと雪山が・・・って感じでした我がチームの監督が、このスキー場に顔が利いて、なんと我が一行団は、VIP待遇VIPルーム(貴賓室)に通されて手続き、レンタルしたウェア、ボードにもVIPと書いてありました4人だけスノボ組で、後は皆スキー組でした完全装備して、中・上級者用リフト乗り場へ・・・人生2回目のスノボなので緊張してたら、「服と板にVIPって書かれとんのに、何ビビッてんねん」って埼玉出身のチームメイトが、なぜか関西弁で(笑)「そうっすね、自分VIPなんで、BIGにいきます」って、一本目の滑降始めたら予想通り転倒の連続でもだんだん感覚がつかめてきました。何本か滑ると、昼食の時間が・・・さすが「RED CARDS」 昼から、しかもゲレンデで、ビールと羊肉串定食を注文した人には、無料でご飯おかわり自由という意味の、「免費加米飯」て炊飯器に書いてあったんですが、私は、定食すら注文していないのに、地味にこのご飯を、しかも3杯おかわりしちゃいました(これぞVIP的態度)ゲレンデにて「ビール・羊肉串・米」これ最強の組み合わせですお腹満杯で午後一本目、スノボ先輩方がスノボで上級者コースを攻めるぞということで、ビールの酔いに乗じて、お供して上級者コースに着くと、斜度ありまくり、横幅激狭っ、しかもモーグルコース(デコボコ)スキーならまだしも、スノボでこれだと・・・吹っ飛んでコース外 (マリオカートやん)はい、一気に酔いさめました てか、ひきましたよでもここまで来たからには、初心者いえども挑戦してやろうじゃないのよ(なんたってVIPなんだから)頂上にあった、中国式簡易トイレで用を足し、いざ、滑降開始「おっ、これ案外、滑れるんとちゃうの」と思った瞬間、ズッこけ転倒~調子こきすぎましたでもモーグルのコブ山を2,3つ連続で滑れた時は、何かを感じとりましたね 風の向こう側ってやつっすか(笑)まぁ最後はスノボ板ではなく、自分のケツが板となって、滑るというか、自分ブッ飛んでました ある意味、日の丸飛行隊でした無事、下まで滑り着いたときには、汗ダラダラ雪山で汗ダラダラって、オイオイ午後の昼下がり、テラスで休憩しているチームメンバーらが見守る中、おそらく3階建ての建物に相当する雪山から3人で自爆ダイブ決行夕刻の南山滑雪場いろいろ楽しかったです1時間くらいで市内に着きましたそのまま、いつもの日本料理、晩亭・四季にて食事(今回は運悪くor良く)キャプテンの前席に座ったので、キラービールパスが次から次へと自分の胃のスペースへ「NO,BEER NO,LIFE」ですよね(笑)これから筋肉痛との闘いですね
2007年01月14日
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夜の18時半から、宵雲路の「東来順」にて、2007年の北京GREE会(新年会)がありました。これがその東来順の羊肉鍋その後は、マンガ喫茶の「LIU」で2次会そしてシメに、瓦屋ラーメンで3次会今回もとても楽しいGREE会になりました私個人としては、1次会にて、白酒で口を軽く潤し、2次会では、私の(自分ネタ)ビッグマウスが連発してしまい、3次会では、小ネタで持ってるニセ100元札が、機械によっては本物札となることが発覚これからも北京GREE会、イニシャルK・三本柱の一角としてメキメキ頭角を現していきますよ
2007年01月13日
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午後から、「聴和説(スピーキング)」の期末テストが行われましたまぁこのテストは問題ないでしょういよいよ来週の月曜日のテストで最後ですでもこの週末はイベント目白押し(勉強する時間あるかな・・・ 笑)冬休みまであと少しだぁ~
2007年01月12日
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午後から家の前を通っている464路バスに乗って、地下鉄5号線の状況を見ることにしましたちょうど464路バスが、地下鉄5号線と並行するような感じなので464路のバス停464路の始終点、回南家園現在、建設中の地下鉄5号線は、北4環状線を過ぎたとこから、地上高架式走行みたいです。ここから地上走行地下鉄5号線・太平庄駅実は、この地下鉄5号線、当初の予定では、2006年末には開通予定だったんですよね・・・でも今、まだこの状態・・・開通はまだまだ先ですね 大丈夫なのかな・・・工期かなり遅れてる・・・地下鉄5号線は豊台区の宋家荘から、昌平区の太平庄まで、市内の5つの区(豊台区・崇文区・東城区・朝陽区・昌平区)を貫き、全長は27.6キロメートルだそうです。東単駅で地下鉄1号線と接続。崇文駅・擁和宮駅で地下鉄2号線と接続。北土城東路駅で地下鉄オリンピック線と接続。立水橋駅で城鉄13号線と接続。私の家から乗るとしたら、北土城東路駅(中日友好病院付近)か、干楊樹駅(北4環・イトーヨーカ堂付近)のどちらかですね。ちょうど、その二つの駅の中間あたりに位置するので一日でも早く開通してくれるのを期待しています
2007年01月10日
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今日は、まず午前中に精読と中文報刊のテストがありましたまぁこれらのテストで赤点を取ることは恐らくないでしょう問題は、午後から行われた、管理学のテストヤバっす~地味に難しい採点結果がめっちゃ気になる・・・
2007年01月09日
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午後から、会計概論の期末テストが行われましたぶっちゃけ、確実に単位落としましたほんま数学は苦手・・・こりゃ100%、来期取り直しだなぁあぁ~先が思いやられる・・・無事に卒業できるかしら(笑)
2007年01月08日
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中国でネットをした事がある人はご存知の、新浪網(sina)のブログサービスを利用し、最近、中国語でのブログを始めてみましたもし、興味がありましたら、ご覧ください。中国語のレベルもしれてるし、大した事は書いてませんが・・・(笑)私の中国語版ブログへはここをクリックしてください
2007年01月08日
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午後から、「RED CARS」の2007年の初蹴りが行われましたフットサルコートにてチーム内でのミニゲームを行い、年末・年始で鈍った体を呼び起こそうって感じです練習後は、好運街(ラッキー・ストリート)にある、北海道ラーメン屋で練習後の栄養補給さぁ私も2007年は、去年以上に気合い入れてゴールを死守していきます「RED CARDS」の今年度の目標は、『後期リーグ戦は、自力(全戦)勝利して、一部昇格』
2007年01月07日
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今日も朝8時から期末テストがありました(土曜の朝からのテストはキツいっす)今日は、孫子兵法のテストでしたけっこう、この孫子の兵法内容好きだったんですよね~(もちろん日本語訳の本を見始めてからですけど)たぶん、赤点ではないと思います
2007年01月06日
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夕方、バス&地下鉄を乗り継いで、建国門エリアの長富宮ホテル内にある、北京・日本人会事務局まで出向いて、2007年度版の日中友好手帳を購入(この手帳、地味に重宝するんですよ~)その後、夜までの時間潰しに一人、久しぶりの建国門エリアを散策長安街を歩いて国貿エリアまで、そこから嘉里中心(ケリーセンター)を通って、今度は光華路を通って日本大使館を拝んできました夜は、同じ光華路にある漢威ビルの向かいに位置する、「北京小王府」という所で食事会があるので、直行~北京・さつま会の事務局の方の友人が日本から遊びに来られてて、中華料理は円卓を囲んで、人もいた方が盛り上がるということで、お呼ばれがかかり、参加してきましたちなみに7人でしたが、全員鹿児島人いやぁ~楽しかったです「北京小王府」北京ダック・ジャガイモ千切り炒め・宮爆鶏丁・・・
2007年01月05日
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午後から、写作(作文)課の期末テストが行われましたテスト問題の中に、おもしろい短文問題があったのでピックアップ「対不起(ごめんなさい)について」作者(妻)のご主人が、ある日、「君を傷つけてゴメンね」と謝ってきたそうだ。本当に非を認めての「対不起(ゴメン)」か、それとも、何の悪気も感じずにただ「対不起(ごめん)」と、謝るのでは全然意味合いが違うと作者は思ったそうだ。そして、作者はアメリカのある文献から、日本人の特徴として、日本人は「対不起(ごめん)」をよく使うとのことだその例の一つに、日本在住のアメリカ人が車を運転してて、ある日、交通事故を起こしてしまった。そのアメリカ人の方に非があるのは明らかだ(当人も理解している)しかし以前、アメリカの保険会社から、非が明らかでも謝るなと教えられたので、彼はその場でまったく謝罪をしなかった。相手側の日本人運転手は、その態度に立腹し、裁判までおこしたそうだ日本人同士だったら、まず先に謝るのが、暗黙の了解として存在するそうだまた日本人は、何気ない行動でもまず、軽く「対不起(ごめん)」と言うそうだ。この短文を読んでて、言われてみれば、私もよく日本語で話す時は結構「ごめん」を多用すると思う逆に普段、私が中国語で話すとき、「対不起」って言葉はそんなに使わないですよね会話の中で、「ごめん」がなかったら、ちょっとは謝れよとか思いますけど、逆になんでそんなにも「ごめん」を使うのってなりますよね~。まぁどっちが良いというわけでもありませんが、私的に例えれば、中国人は先に自己主張的な言い訳をして、自分が納得できるまでなかなか謝ろうとしない。ってか謝らない日本人は先に軽く謝って、結末を曖昧模糊にして、別の話題へ変えようとする。よく中国人とアメリカ人は似ていると聞きますまぁ日本人のも含めて、これらは国民性の一つなんでしょうかね
2007年01月04日
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朝8時から、中国対外貿易史のテストが行われました年末・年始で体が休みモードになっていただけに、8時からのスタートは厳しかったですしかも、このテストは開巻考試(教科書持込)だったんですだから、教科書あるから大丈夫やろうと思って何もしていなかったので、いざテスト始まってから大慌てほんと「ウォーリーを探せ」状態ですよ教科書、全540ページの中から、テストに表記されてる重要語句を見つけないといけない・・・しかも全部中国語=全部漢字目と頭が痛かった~
2007年01月04日
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朝4時頃までカラオケをして、お開きとなり、暇だったので、「よし、今年も天安門まで行こう」って決めて、まずは北京語言大学から北京師範大学まで、雪道を歩いて行きました地味に90分くらい歩きましたで、そこから22路バスが動き始めてたので、そのバスに乗って天安門広場へ天安門広場横に着くと、朝の国旗掲揚を見るため人が、普段より少し多めでいました。日本人の姿もチラホラ見受けられましたってか北京で元旦の朝を迎えるといえば、天安門か万里の長城しかないですよねで、初日の出となると万里の長城しか絶好スポットがないと思います。天安門は国旗掲揚がメインで、御来光を望むには適してないし・・・で、日の出とともに国旗掲揚が始まりました。今日は国歌演奏しながらの掲揚でした国旗掲揚直後の天安門雪をかぶった天安門その後は、天安門横から5路バスに乗って景山公園へ雪化粧をした故宮を眺めました雪化粧をした故宮
2007年01月01日
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ついに2007年の幕開けですねこのブログをご覧の皆さま、明けまして おめでとうございます本年もよろしくお願いします本年は昨年よりも更に飛躍の年にしていきたいと思っております昨年はあまり運気が良くなかったように思いますでも今年はなんか、なんとなく良い感じのスタートが切れたように思います夜は、北京語言大学の友人の寮にて、「紅白歌合戦」と「ゆく年、くる年」を見て日本時間の新年に浸り、その後、大学のバスケコートにて、雪が積もっているにもかかわらず、「鬼ごっこ」や「だるまさんが転んだ」などで、子供時代に戻りましたで、そして中国時間の新年を迎えました氷点下の夜空の下、皆汗ダラダラ地味に本気で遊んでましたその後、皆で大学内をブラブラ歩いてたんですが、突然、欧米系留学生の美人女性が、「新年快楽 (中国語の新年挨拶)」って私に抱きついてきました突然の出来事で、マジ感動&興奮しました(私ってイケメン 笑)いやぁ~今年は良い年を送れそうな予感がする(単純な男・・・)学内をブラブラしてから、大学横の西jiaoホテル内の日本料理屋「桃屋」にてお雑煮とおせちを堪能案外おいしかったですそしてカラオケで朝4時まで熱唱 と、こんな感じで年越ししましたさぁこれから1年間、また頑張るぞ~~このブログをご覧になってくださっている皆さまの、今年一年のますますのご健康とご多忙をお祈り申し上げますまた本年もよろしくお願いします
2007年01月01日
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