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智麻呂氏のご葬儀に関連してブログへの掲載が遅れていましたが、友人・岬麻呂氏からの旅便りが届いて居りますので、そのご報告であります。 今回の旅は、奄美大島、徳之島、沖永良部島の三島めぐりのご夫婦旅でありました。 「当初の計画は3泊4日だが、コロナ・オミクロン株の影響で飛行機5便予定の内の3便が欠航で、止む無く1日延泊と航空便予約変更、レンタカー手配やり直しで4泊5日になった」とのことで、「この不確かなコロナ状況での旅は、往復2便利用以外は乗り継ぎ時間ロスも発生しリスクが大きいことを痛感」された旅でもあったようです。(旅・岬巡り報告286・奄美群島3島巡り&同写真説明) それでは、例により岬麻呂氏からお送りいただいたお写真を、その旅程に従い、ご紹介させていただきます。2月7日関西空港→奄美空港→あやまる岬→笠利埼灯台→蒲生崎→今井崎→龍郷町(緋寒桜並木)→大熊展望台→奄美ポートホテル(2連泊) この日は奄美大島北部を巡られたようです。(緋寒桜)7月8日R58南下→古仁屋港(瀬戸内町)→ホノホシ海岸→ヤドリ浜→古仁屋港・「海力」でイセエビ料理の昼食→宇検村→大和村→大浜海浜公園→名瀬・高千穂神社(大島桜と緋寒桜が満開) 旅の2日目は、島の南部を巡られました。(ホノホシ海岸) ホノホシ海岸、ヤドリ浜は、島の最南東端に位置する。 ホノホシ海岸は、ご覧のように「玉石」だけの海岸でカラコロと音がするそうな。太平洋に面して波が荒く砂浜が形成されないのだろう。 ヤドリ浜は、海を隔てて加計呂麻島が眼前に望めるとのこと。 途中、古仁屋港では加計呂麻フェリー便に間に合ったそうだが、天候が悪いこともあって、島へ渡ることは断念されたとのことです。(ヤドリ浜)2月9日奄美空港→徳之島空港→(島を右回り)→ムシロ瀬→金見埼灯台→蘇鉄トンネル→畦プリンスビーチ→喜念浜海岸→瀬田海海浜公園→犬田布岬→犬の門蓋→ホテルクレストン徳之島(泊) 旅の3日目は徳之島です。(金見の蘇鉄トンネル) 徳之島最北東端の金見埼灯台の際にあるのが、この蘇鉄トンネル。 全長約200mだそうです。(畦プリンスビーチ)(犬の門蓋<いんのじょうふた>眼鏡岩) 犬の門蓋というのは、飢饉の折、飢えた野犬が人を襲うので、これを捕獲して海に投げ入れたという故事に因んでの命名らしいが、人にとっても犬にとっても悲しくおぞましい故事である。 そして、今回もマンホールの写真を送ってくださいました。(徳之島町のマンホール) 闘牛の図柄ですね。2月10日徳之島空港→沖永良部空港→伊延港(西郷食堂・昼食)→笠石海浜公園→フローラルパーク→屋子母ビーチ→田皆岬(ヤクニセ埼灯台)→仲泊海浜公園→大山展望台→フーチャ→日本一のガジュマル→おきえらぶフローラルホテル(泊) 4日目のこの日は、沖永良部島です。 この日の最初の写真はマンホールです(笑)。(和泊町のマンホール) 沖永良部島の名産物、エラブユリの図柄です。 そのエラブユリがこれです。(エラブユリ<永良部百合>) 沖永良部島の空港の愛称も「えらぶゆりの島空港」だそうな。 下掲の知名町のマンホールに記載されている「フローラル知名」というのは、知名町のまちづくり整備計画の愛称らしいが、そのロゴ・FLORALには、「花(Flower)」、「ゆとりと憩い(Resort)」、「ふれあい(Ageless Community)」、「珊瑚(Coral)」、「住まい(Life)」の要素(キーワード)が込められているとのことです。(知名町のマンホール) 知名町ではマンホールカードもゲットして下さったようで、「ついでの折に、ひろみちゃんにお渡し下さい。」として、旅便りに同封されてありました。近日中に彼女にお渡しできるようにしましょう。(知名町のマンホールカード)(屋子母<やこも>ビーチ) 屋子母ビーチは沖永良部島の南端あり、与論島が望める。(日本一のガジュマルの木) この木は、島の東北部、空港近くの和泊町立国頭(くにがみ)小学校の校庭にあり、開校時は誰でも立ち入ることが許されているそうです。 立派な樹木であるが、ヤカモチは、その脇の石像だか銅像だかの方が気になる(笑)。2月11日沖永良部空港→鹿児島空港→霧島市福山町の黒酢の郷・捔志田壺畑レストラン(昼食)→鹿児島空港→関西空港(捔志田<かくいだ>壺畑) 最終日、5日目は、鹿児島空港での乗り継ぎ便が5時間待ちということで、車を借りて昼食に遠出。霧島市の黒酢の郷・捔志田壺畑レストランまで。言わば、オマケの写真でありますな。 黒酢の壺がズラリであります。 以上、奄美・3島巡りの旅でありました。 本日もご覧いただき、ありがとうございました。<参考>過去の岬麻呂旅便り記事はコチラ。フォト蔵アルバム・岬麻呂写真集はコチラ。同上・岬麻呂マンホールカード写真集はコチラ。
2022.02.20
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本日は敬愛する故智麻呂氏のご葬儀に参列してまいりました。 葬式は午後1時から日本キリスト教団小阪教会にて、同教会のN牧師先生の司式により執り行われました。 コロナ禍ということで、家族葬で執り行われましたが、若草読書会のメンバーでは、凡鬼・景郎女ご夫妻と槇麻呂氏とヤカモチの4名が参列しました。 景郎女さんのお姉さまの敦郎女さんや福〇さんなど、小阪教会関係のお方も少数ご参列でした。画家の家近氏もご参列でした。 コロナの所為なのかどうか存じませんが、火葬場の受け入れもひっ迫しているようで、予約が18日午後3時の枠しか取れなかった関係で、15日夕刻からご遺体は日本キリスト教団小阪教会に安置されることとなり、16日、17日にご遺体にお別れをする時間を設けることが可能となり、どうしてもというお方は、この両日にお別れをされたようであります。 16日午後3時に納棺式が行われましたが、これには、小万知さん、槇麻呂氏、ヤカモチの3名が若草読書会関係で参列させていただきました。 葬儀は午後1時からということなので、最寄り駅の近鉄・河内小阪駅前の何処かで昼食を済ませてから小阪教会に向かう予定にしていたところ、昨夕に奥様の恒郎女さんからお電話があって、ご家族の皆さんは午前11時半から教会で昼食をとるようにしていて、ヤカモチさんの分も手配済みなので、それに合わせてお出かけいただけるでしょうか、とのこと。 厚かましくも、お言葉に甘えさせていただいて、ご家族の皆さんと昼食をご一緒させていただきました。 少し、早くに家を出てしまったので、小阪駅近くの喫茶店で30分ほど珈琲で時間つぶし。 スマホを取り出してみると、偐山頭火氏からのメール着信があり、葬儀への参列は差し控えるが、火葬場へと向かう霊柩車を途中で見送りたいので、走行ルートと出棺の時刻を教えて欲しい、という内容。 教会に到着して葬儀社の方にルートと出棺予定時刻を確認して、同氏に電話連絡。予定よりも少し遅れての出棺となったが、無事に同氏もお見送りができたようで、何よりでした。(小阪教会) 会堂に入ると、お花がいっぱい。 若草読書会一同でも供花させていただいたが、仏式などのそれとは違って、キリスト教式では、花には名前が付されず、別の場所に名前が掲示されるだけなので、どの花が読書会のそれなのかは分からない。(会堂内部)(同上) 棺の周りは、花、花、花である。 花を愛し、沢山の花の絵を描かれた智麻呂氏、きっとご満悦であったことだろう(笑)。(同上) 棺の前の献花台の十字架も花の十字架である。 智麻呂氏には花がよく似合う。(献花台を飾る花の十字架)(ご遺影) 遺影の笑みも素敵です。 いつもの、あのお優しい智麻呂スマイルである。 教会の前庭には、智麻呂氏の大好きな花の一つであるスイセンも沢山咲いていました。(前庭のスイセン) キリスト教会の前庭にホトケノザというのも何やら愉快であるが、智麻呂氏は、このような小さな野の花もよく描かれました。(同上・ホトケノザ) キリスト教会での葬式は、礼拝形式で行われる。 キリスト教式のお葬式に馴染みのないお方のために、その式次第を、参考までに下に掲出して置きます。 (故智麻呂氏葬式次第) (同上) (同上) 最後に、喪主の恒郎女さんからのご挨拶があり、参列者による献花に続いて参列者各自が千切り花を受け取ってそれを棺にお入れするお別れの時間である。そして出棺。 誰からともなく、また逢う日まで~、また逢う日まで~、神のお守り~なが身をはなれざれ~の讃美歌の歌声。これに送られながら棺は会堂を出て霊柩車に。 火葬場は、コロナ禍ということもあって、遺族10名が付き添えるだけとのことで、ヤカモチもその一員に加えていただき、N牧師と全10名が車三台に分乗して、霊柩車に随行。 火葬場建物内で、お祈りと最後のお別れ。 ご家族の皆さんは、ひとまず小阪教会に戻られて、骨上げまでの時間待機されるのだろうが、ヤカモチの自宅は火葬場からは徒歩20分余程度の近距離なので、そこで皆さんとはお別れして、ブラブラ歩いて帰ることとしたのでありました。 上は、ご会葬御礼のご挨拶状に添えられていたもので、印刷されている絵は、御所市の梅の絵で、智麻呂氏の絵画作品全2004点のうちの2000点目になる節目の作品である。 偐山頭火氏が、恒郎女さんのご実家のある御所市で購入してお持ち下さったものを智麻呂氏が絵にされたものであるが、恒郎女さんにとっても思い入れの深い絵になっているのでしょう。 恒郎女さんほかご家族の皆さまにお疲れが出ませんように、神のご加護と慰め・励ましがどうぞありますように。
2022.02.18
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ながらくブログ更新をせずにいましたが、悲しいお知らせであります。 当ブログの智麻呂絵画展で皆さまにはお馴染みの智麻呂氏が本日の朝ご逝去されました。 葬儀は18日に家族葬で執り行われますが、家族同然のお付き合いをさせていただいていましたので、ヤカモチも参列させていただくことにしています。きさらぎの 十五日(もち)の朝(あした)に わが背子は ここだも悲し みまかりましぬ梅の花 咲き散るなへに 今はとて 召されて背子は 旅立つらむか逝きし背子 見つつありしか 生駒嶺に 霧れる春日(はるひ)も 泣けとごとくや霊安室 ふたりしあれば あれやこれ なみだぐましも こころぞ痛き白百合の 花枕辺に 咲きてあり 後(ゆり)にも逢はむか 泣かずもあれといでましの 手火(たび)の光と 白百合の 花枕辺に 咲きてもあれる 誤嚥性肺炎にて救急搬送されましたが、肺炎症状が重く回復は難しいという状況で、救急病院から7日に枚岡病院に転院となり、本日午前11時半ご逝去と相成りました。(枚岡病院) 智麻呂氏のご冥福をお祈り申し上げ、在りし日の智麻呂氏を偲びつつ、智麻呂絵画展の記事や若草読書会の記事のリンクを下記に貼り、同氏ご生前に賜りました皆さまのご好誼に心から感謝申し上げる次第にございます。智麻呂絵画展記事 第1回展~第100回展 第101回展~第200回展 第201回展~217回展若草読書会記事
2022.02.15
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オミクロン株によるコロナ感染爆発で、何となく出不精に。 そんなこともあってか、ブログネタもこれと言ってなく、記事更新も怠りがちになっています。 記事なしの日数を重ね過ぎるのもいかがなものかという訳で、この時期なら梅の花でもという、まことに安易な記事更新であります。(梅)コロナ禍を 障(つつ)み隠(こも)りて 梅の花 ひとりし見れば 春日(はるひ)悲しも (偐家持)(本歌)春されば まづ咲く宿の 梅の花 独り見つつや 春日(はるひ)暮らさむ (山上憶良 万葉集巻5-818)(同上) 梅の花に因んだ和歌や俳句を写真と共に掲載している過去記事も結構あるので、それらの記事リンクを貼ることで、記事にしようという省エネ記事であります。〇枚岡梅林 2010.2.22.〇梅の花咲き始めにけり枚岡の・・ 2013.2.21.〇墓参・梅と水仙 2013.3.2.〇梅の花咲きてぞ春は 2014.2.9.〇太宰府銀輪散歩(1)・わが園に梅の花散る 2015.1.13.<参考>花関連の過去記事 花(5)・2022~ 花(4)・2020.4.~2022 花(3)・2017~2020.3. 花(2)・2012~2016 花(1)・2007~2011
2022.02.07
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今日は所用あって裁判所へ。 裁判所建物内に立ち入るのは2018年6月以来だから、3年7ヶ月ぶり。 ヤカモチ的移動手段は自宅から20~30km程度なら自転車移動が原則なのであるが、本日は電車移動でありました。 記事カテゴリの「近隣散歩」というのは自転車で、つまり銀輪散歩で、自宅からの半径距離20~30km程度の範囲内を散歩する場合の記事がその範疇となっているので、厳密には「近隣散歩」とは言えないのであるが、拡大解釈をして近隣散歩カテゴリということにしました。 地下鉄御堂筋線淀屋橋下車。 大阪市内は先月12日の囲碁例会で梅田スカイビルまで自転車往復をした時以来であるが、囲碁例会の折は、他に寄り道をする場合以外は、国道1号から2号という梅新交差点経由のコースを走ることが多いので、もっと北側で御堂筋を横切ることになるから、淀屋橋付近は久しぶりである。(御堂筋・淀屋橋付近 左端建物は日銀大阪支店、右端建物は大阪市役所) 裁判所へ向かう途中にあるのが、大阪法曹ビル。 2016年12月まで、このビルに、大学の同窓会(青雲会)の交流センターが置かれていて、役員会や幹事会をここで行なうとともに、青雲会囲碁サークルの例会もここで行なっていたので、かつてはヤカモチもよく出入りした懐かしいビルである。(大阪法曹ビル) 過去のブログ記事を調べると、2016年6月11日の青雲会囲碁例会に出席しているから、それがこのビルに出入りした最後であるとしたら、この前を通るのは、ヤカモチにとっては5年7ヶ月ぶりということになる。<参考>青雲会囲碁例会・鶴見神社 2016.6.11.大阪法曹ビルの写真掲載のブログ過去記事青雲会囲碁例会・小城藩蔵屋敷跡碑 2012.9.8.紅にほふ桃の花・いささか痛い腿の肉 2015.2.14. 久々に、前を通るとビル入口左側の店舗が様変わりしていました。 尤も、そうと気づいたのは上の過去記事に掲載されている写真と見比べてのことでありましたけれど。 一方、変わりなくあったのが喫茶店・なかおか珈琲。(喫茶・なかおか珈琲 中之島店) この喫茶店は、青雲会囲碁例会に出席の時には、ここで昼食を済ませてから、大阪法曹ビルに向かうというのが、ヤカモチの行動パターンでありました。 ということで、久々にこの喫茶店でランチ&珈琲としました。 過去記事を調べてみると、2017年12月13日にこの店で昼食をしているから、4年1ヶ月ぶりのことになる。 まあ、何年何ヶ月ぶりであるかなどはどうでもいいことであるが、ブログに書いてあると、そういうことも正確にわかるというのは、ブログを書いていることのメリットと言えるかも(笑)。<参考>囲碁例会・今年の打ち納め 2017.12.13.「なかおか珈琲」の写真掲載の過去記事青雲会囲碁・中之島 2015.6.13.青雲会囲碁例会・中之島 2015.9.12. 上掲3枚の写真のうち、1枚目についてフォト蔵とのリンクを貼り、2枚目写真についてリンクを貼ろうとしたところで、フォト蔵へのアクセスができなくなりました。何らかの障害が発生しているようです。 正常化した時点で、リンクを貼ることとし、ひとまずアップします。<追記>フォト蔵が正常化したようなので、下2枚の写真についてもフォト蔵写真とのリンクを貼りました(2022.2.3.)
2022.02.02
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今日は月例の墓参。 月例の墓参と言っても、1月は、前年末近くに墓参をする関係で、月初の墓参はしないので、2月の墓参がその年最初の墓参ということになる。 墓地は、生駒山系の山裾の高みにあるので、長い坂道を登らなくてはならない。 坂道にさしかかるとほのかに漂う花の香。 見上げるとロウバイである。 この時期のわが墓参の道は、蝋梅の咲きよそひたる道である。(ロウバイ)蝋梅の 咲きよそひたる 坂道を 行くが墓参の わが始めなり (偐家持) (同上) 隣には、梅の花も咲いていましたが、蝋梅に負けて狼狽気味。(梅) 墓参の道も、古い家が取り壊されて、新しい家が建つなど景色が様変わりしつつあります。 ムクロジの大木も枝うち払われて様変わり。 坂を上りきって墓地に到着。 墓地からの眺めです。 坂のの上の雲ならぬ、あべのハルカスの上の雲であります。(墓地からの眺め)海亀が 二匹空から 泳ぎ来と 雲を見つつの 墓参の帰り (偐家持)(同上 左端の背の高いビルが、あべのハルカス) 帰り道の池の土手に咲いていたのはスイセン。(スイセン) 蝋梅、梅、水仙。春を告げる花たちを見つつの墓参道。 2月3日が節分、同4日が立春。 暦の上の春はもうお隣まで来ていることを花たちは告げている。道の辺の 水仙の花 咲きにけり わが待つ春の 近づくらしも (偐家持)(本歌)野辺見れば 撫子の花 咲きにけり わが待つ秋は 近づくらしも (万葉集巻10-1972)<参考>墓参関連の過去記事はコチラ。
2022.02.01
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