17日、新潟県村上市の沖合の小島、粟島に遊ぶ。当初は村上の三面川を自転車で走るつもりで出掛けたのだが、その前に岩船港を見てみむと足を延ばす。
港に大きな船が停泊しているので近寄ってみると、船腹に「フェリーあわしま」とあった。沖の粟島へ行くフェリーが丁度出港するところなのだ。乗船客の切符の検札をしている係の人が「乗りますか。」と声を掛けてきた。「帰りの船は何時か」と訊くと、午後3時だという。島で3時間過ごせる計算なので、乗ってみることに。行き当たりばったりの銀輪万葉だから、こういうこともありだ。岩船港発10時半粟島内浦港着12時の1時間半の船旅。
青い日本海に遠く浮かぶ粟島が少しずつ近付いて来る感じがいい。その昔、黄金色の夕日沈む海に浮かぶこの島は、西方浄土の入口とみなされたとか。そんなことも成程と納得される眺めである。
西方浄土入口くんだりまで行ったお陰で、三面川沿い走行は次の機会となりました(笑)。

(フェリーあわしま・岩船港)


(岩船港)
船が白い波を立て進む。海面をしきりにトビウオが飛翔する。やがて、はっきりと島影が見え、少しずつそれが大きくなって来る。



(粟島)



(粟島)


(内浦港)




(万葉歌碑と芭蕉句碑)
内浦港12時上陸。何とここに万葉歌碑が。新潟の万葉歌といえば、沼名 (ぬな) 川(姫川?)を歌った1首(巻13-3247)と弥彦山を歌った2首(巻16-3883~4)だけの筈だが。
波の間ゆ 雲居に見ゆる 粟島の
逢はぬものゆゑ 吾に寄する児ら(巻12-3167)
近年、この歌は、威奈大村が慶雲2年(705)に越後の国守に任ぜられ岩船の柵に滞在している時に詠んだものという説がなされているらしい。
威奈大村については、四天王寺所蔵の国宝銅盒子(骨蔵器)の銘文に「威奈鏡公の第三子で、慶雲四年に病に臥し、46歳で越の城にて没した」という記事がある。威奈鏡公(鏡王)は額田王の父とも言われるから、威奈大村は額田王の兄弟ということにもなる。
ひょいと乗ったフェリーで着いた島で、万葉との思わぬ出会いがあった。この説、どのような根拠で主張されているものかは知らぬが、面白い。


(与謝野晶子歌碑)
(野馬公園の野馬像)
粟島には野生馬が生息していたらしい。昭和7年に最後の1頭が死んで絶滅したとのこと。
この野生馬、源義経が奥州へ落ちのびる途中、解き放した馬が泳ぎ渡ったものだという伝説が残っているらしいが、いくら何でもそれは無理な話。
この馬の像は皇居前の楠正成像の馬のモデルになったものとの説明書き。確かにポーズは似ている。
(粟島の道)
今回は衝動的に船に乗ってのハプニング。ゆっくり島めぐりもできず。次は島で1泊するつもりで来島するか。
自転車で一周するもよし、山道を歩くもよし。何もない島だが、何と言っても西方浄土の入口なのだ(笑)。全てを忘れ一日ぼんやり過ごすのも悪くはなかろう。

(この磯にはウミウシが沢山いた。)

(展望台)

(展望台からの眺め)

(イワユリ)

(瀬波の海岸)
(村上駅)
村上駅前で夕食を済ませてホテルへ。翌18日は生憎の雨、サイクリングは中止、早々に帰途につく。
波の音 運べる風の 白き道
ゆけど粟島 あふ人もなき (偐家持)
青き海 青き島影 粟島の
浮かみて遠く 波の間に見ゆ (偐家持)
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