藤原家隆と言えば、藤原定家などと並ぶ鎌倉時代の代表的歌人の一人。新古今和歌集の撰者5人(源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経)の内の一人でもある。
この人の歌で最も有名なものは、小倉百人一首にあるこれでしょうな。
風そよぐならの小川の夕ぐれはみそぎぞ夏のしるしなりける (新勅撰集192)
(楢の葉に風がそよそよと吹きわたっている、このならの小川の夕暮は涼しくて秋のように感じられるのであるが、この小川で人々が水無月祓のみそぎをしているのを見ると、それだけが今日はまだ夏である証拠だと言っているみたいだなあ。)
先日、鴨川べりを銀輪散歩した際にヤノネボンテンカという花にお目にかかったことは、過日の日記でご報告申し上げましたが、この折には、下賀茂神社 (賀茂御祖神社) 、上賀茂神社 (賀茂別雷神社) にも立ち寄ったのでありました。上賀茂神社にこの歌の歌碑があります。

(藤原家隆歌碑)※ 特大サイズ画面は コチラ

(上賀茂神社)※特大サイズ画面は コチラ
上の写真の鳥居の手前を右に行くと歌碑があります。
この歌は上賀茂神社の六月祓の神事のことを詠っているのですな。「ならの小川」は当神社境内を流れている小川のことです。

(ならの小川)※ 上賀茂神社公式サイト
から転載しました。
この家隆さんのお墓(家隆塚)は大阪市天王寺区夕陽丘にある。
彼は晩年出家し(法名は仏性)、夕陽丘に庵(夕陽庵)を構え、この地で没する。夕陽丘という地名は、この家隆の夕陽庵に由来するということだそうな。
この家隆塚は2015年1月7日の日記で紹介済みなので、ここでは割愛しますが、その家隆塚の写真だけは再掲載して置きます。詳細は当該記事をご参照下さい。
<参考> 囲碁始め・波の入日を拝みつるかな
2015.1.7.

(家隆塚)※特大サイズ画面は コチラ
<参考> 藤原家隆
・Wikipedia
実は、今日、近鉄布施駅近くにある書店に本を買い求めに行き、足を延ばして天王寺方面を銀輪散歩して来たのでありました。で、ついでに家隆塚にも久々にご挨拶して参ったという次第。そして、今日は家隆塚の北隣の浄春寺も覗いて来ました。家隆の夕陽庵の跡地が浄春寺(浄春禅寺)になっているとのことだが、それを示すようなものは何も見つかりませんでした。

(浄春寺)※特大サイズ画面は コチラ

(同上)※特大サイズ画面は コチラ
その代りに、門前に芭蕉塚と蕉翁反古塚なるものがありました。
1793年(寛政5年)芭蕉100回忌に建立された古いものである。

( 浄春寺門前の芭蕉塚と蕉翁反古塚
)※特大サイズ画面は コチラ
では、最後に、付録として、新古今和歌集の秋の部の歌から、家隆作の歌を抜き書きして置きます。
昨日だに訪はむと思ひし津の國の生田の森に秋は来にけり
明けぬるかころもで寒しすがはらや伏見の里の秋の初風
有明の月待つやどの袖のうへに人だのめなる宵のいなづま
ながめつつ思ふも寂しひさかたの月のみやこのあけがたの空
秋の夜の月やをじまのあまのはら明がたちかき沖の釣舟
下紅葉かつ散る山の夕時雨濡れてやひとり鹿の鳴くらむ
蟲の音もながき夜飽かぬふるさとになほ思ひそふ松風ぞ吹く
秋風の袖に吹きまく峯の雲をつばさにかけて雁も鳴くなり
露時雨もる山かげのした紅葉濡るとも折らむ秋のかたみに
本日は、近隣・銀輪・家隆・秋散歩でありました。
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