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ここではいつも、宿屋の女主人の手料理を頂きます。
今回初めて、女主人は私と同じくらいの年齢の方であることが判明しました。
旦那さんは気さくな方で、非常に話し上手です。
息子の一人は南アフリカで働いており、時々夫婦で孫に会いに行くのだと話していました。
定宿の夕食では、ブリストルのそばで会社を経営している老夫婦と一緒でした。
米国フロリダに別荘があり、冬の間はいつもそちらで過ごしているとのこと。
職業を聞かれたので、作家であると答えました。
どんな本を書くのだと聞くから、私の処女作で一番わかりやすい『ジョン・F・ケネディ暗殺の動機』について説明しました。
すると、旦那さんの方がケネディはマフィアに殺されたのだという説があると突っ込んできました。
そこで私が、丁寧に時系列を追って、カストロによる1959年のキューバ革命で米国のマフィアがキューバの賭博場利権を失って以来、カストロや、キューバに対して弱腰のケネディを恨んでいたことや、キューバの賭博場利権を持っていたチンピラの一人がオズワルドを殺したジャック・ルビーであったこと、そして1960年の米大統領選の最中、当時大統領になるのは確実であると思われていたニクソンと亡命キューバ政府代表との間で密約が交わされ、後にピッグス湾事件として知られるキューバ侵攻が決まったこと、などを説明。さらにケネディ暗殺の本当の動機は、カストロがケネディを暗殺したことにして、世論をキューバ侵攻に駆り立てることだったのだと解説すると、大変驚いていました。
ケネディ暗殺・キューバ侵攻作戦は半分だけ成功しました。
ジョンソン大統領はカストロがケネディを殺したのだというCIAの報告を信じたのですが、キューバを侵攻してソ連を刺激すれば第三次世界大戦になることを恐れたジョンソンが、ケネディ暗殺事件をオズワルドの単独犯行にしてうやむやにしたからです。
この老夫婦は、ピッグス湾事件やミサイル危機など当時のことをよく知っていたので、話がしやすかったです。ただし、私の解説を信じたかどうかはわかりません。でも、それは私にとっては、それほど重要なことではないのです。この事件に関して、真実は一つですから。
滞在12日目となる6月2日。
定宿を後にして、タヴィストックへ。
タヴィストックの商店街です。
タヴィストックの古物マーケットでも買い物をします。
お土産用に古物の天秤を買って、次の目的地に向かいました。
(続く)
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