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竹内氏が『正統竹内文書の謎』を出してくれたおかげで、私への負担が減ったことにより、当時結構忙しかったのですが、再び鼎談をやる気が起きてきました。
突っ込みどころ満載の竹内氏の新刊本を題材にして鼎談本ができると思ったからです。
そこで2013年12月26日の鼎談二周年の記念日に、再び三人が会うことになりました。
結構ハチャメチャな鼎談になったと記憶しています。
これまでのペースだったら、四か月で本が出るはずですが、四冊目の鼎談本が完成、出版されたのは2015年7月ですから、1年と7か月かかっています。
そんなにも時間がかかった理由は、たぶん竹内氏のお酒がかなり進むようになってしまって、取り付く島がなくなったこと。私自身が2013年から14年にかけて秋山氏とオカルト三部作を出すのに忙しかったこと。そして何よりも、私自身が別の本の制作に夢中になってしまったことが挙げられます。
その別の本とは、2015年8月に出版された『竹内文書と平安京の謎』です。
380ページの大作なのですが、実はそれでも8分の1から10分の1くらいに縮めてあります。
私からしてみれば、あらすじを本にしたら380ページあったという感覚です。
出版社からの要請で、減らしに減らしてようやく出版にこぎつけました。
では、なぜそのような大著になってしまうのかという問題があります。
これを説明するのは難しいのですが、それでも簡単に説明しておきましょう。
書いている本人に一体何が起こるかというと、たとえば古代エジプトでは、33基ほどの主要ピラミッドがエジプト全土で建造されているのですが、私はその33基すべてのピラミッドがどのように配置されているかが、すぐにわかってしまいます。
ただし物理的には、そのピラミッドの配置を図案化するのに一週間かかります。
これだけでも一冊本が書けるくらいの話でしょ。
別の例を挙げましょう。たとえば平安京を建造するのに、南の甘南備山と、北の比叡山、愛宕山が使われていたことがわかると同時に、五山送り火の山々が設計に用いられたことがすぐにわかってしまいます。ただし、それを検証するのに、物理的な時間を多くとられてしまうという現象が起きるわけです。
実は平安京の作り方だけでも、一冊本が書けてしまうんですね。
羽根ラインも同じです。
一瞬でわかり、その後、次から次へと細かい測量設計の事実が降りてきてしまいます。
古代イギリスの巨石遺構も同様です。
次から次へと古代測量に関するインスピレーションが降りてきてしまうので、書きとめる作業が膨大になってしまうわけです。
ではなぜそのような現象が起きてしまうかというと、一つの仮説があります。
それは私自身が古代測量士の一人であったのではないか、という仮説です。
その仮説の根拠は、2011年11月に出版された『異次元ワールドとの遭遇』にも一部書かれていますが、私自身の退行催眠で得た情報、秋山氏が私の前世リーディングをして得た情報、そして位山の守り人である「位山命」こと都竹昭雄氏が金星人と自動書記交信してくれて得た情報が明確にそう告げているからです。
その話を信じろと言うつもりは全くありません。
でもそうだと仮定すると、この不思議な現象をうまく説明することができるんですね。
こうして、同時並行的に鼎談本と『竹内文書と平安京の謎』の作業を進めたために出版が遅れましたが、2015年夏、ほぼ同時期に二つの本を世に出すことができたわけです。
次回は、そのシリーズ第四弾となる鼎談本について語りましょう。
(続く)
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