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倭国大乱は、中国の『後漢書』「東夷伝倭条」に、「桓霊の間」すなわち桓帝と霊帝が統治した西暦147年から189年にかけてあったと書かれています。
孝元天皇が即位した186年ですから、おそらく孝元天皇が即位してほどなく、大乱は収まったことを中国の歴史書も裏付けているわけです。
孝元天皇の正式名称は、大倭根子日子国玖琉命(おおやまとねこひこくうにくるのみこと)といいます。
国玖琉(くにくる)とは国をくくるという意味で、再び国が一つにまとまったことが読み取れると竹内氏は言います。
まさにちょうどこのころ、孝元天皇の異母妹であるヤマトトトヒモモソヒメがイスケヨリヒメ以来、久しぶりに皇女が祭祀王に就任しました。
これがほぼ、『魏志倭人伝』の記述と一致しますね。
「邪馬台国は元々、男子を以って王と為していたが、70~80年後に倭国乱れ、ずっと戦い合っていた。このとき、皆が一女子を立てて王と為したら、国を治めることができるようになった。その女王を卑弥呼と呼んだ」というようなことが書かれています。
ただし、邪馬台国が大和に再び戻ったのは、次の開化天皇の時代だといいます。
開化天皇は204年に天皇に即位しています。
卑弥呼ことヤマトトトヒモモソヒメはおそらく、孝元、開化、崇神という三代の天皇の時代に祭祀王を務めました。
崇神天皇が即位したのが220年で、卑弥呼が亡くなったのは248年ごろとされていますから、崇神天皇になってからも28年間祭祀王を続けたことになります。
逆算すると、本当に若くして祭祀王に抜擢されたことがわかりますね。
(続く)
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