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「魏志倭人伝」を見てゆきましょう。
景初二年(あるいは景初三年)に、卑弥呼に「親魏倭王」の称号を与えたという記述があります。
西暦でいうと、238年あるいは239年です。
崇神天皇の即位年は220年で、次の垂仁天皇は254年ですから、ちょうど崇神天皇の時代に卑弥呼ことヤマトトトヒモモソヒメは「親魏倭王」の称号を得たことになります。
仮に孝元天皇元年(186年)にモモソヒメが10歳だったとしたら、「親魏倭王」をとなったのは、62歳くらいだった計算になります。
「年既に長大なりしも夫壻(ふせい)なし」と書かれていますから、まさにその通りとですね。
「男弟ありて、国を治むるを佐(たす)く」と書かれていますが、男弟とは崇神天皇のことです。
中国側から見れば祭祀王がトップですから、統治王である崇神天皇は祭祀王の補佐ということになるわけです。
しかし、系図をよく知る人は、ヤマトトトヒモモソヒメは崇神天皇の弟ではなく、孝元天皇の弟であるから記述がおかしいと思うかもしれません。
そう、確かに間違っています。
だけれども、これにも理由があるんですね。
同時代の巫女であるヤマトトトヒモモソヒメと、開化天皇の実妹ヤマトトトヒメが同一人物であると中国側が勘違いしたと考えると、すべて説明できてしまうんですね。
問題は、この時代の複雑な皇室の系図(人間関係)にあります。
(続く)
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