PR
フリーページ
サイド自由欄
前世リーディングは、当時西新宿にあった秋山氏の事務所で行われました。
最初から、驚きの連続でした。
動揺しているのを悟られないために平静を装うのが、結構大変だったことを覚えています。
それほど、私が見た前世の映像と同じだったからです。
秋山氏によると、やはり私の前世が羽根ラインと関係があるのは間違いなく、私は測量集団の一員だったといいます。
秋山「道具を使って、星や地面の測量をしている姿が見えます。木製の測量機材を使っています」
布施「その人たちは何者ですか」
秋山「エジプトから渡来した人たちです。彼らは気球を使って、能登半島か金沢の辺りに上陸、さらに諏訪、富士山へと勢力を拡大していきました。最後は富士山の北側に定住したように思います」
布施「私はその一員だったのでしょうか」
秋山「計測技術とともに、日本の水に関すること、つまり治水とか、金脈探しにも興味を持っていたようです。科学者の一人だったのではないでしょうか。彼らは気球を飛ばす技術を持った人たちでした。最後の気球族だったのです」
布施「最後の気球族!?」
秋山「そうです。それは門外不出の技術でした。決して外部にその技術を教えることはありませんでした。その技術をめぐって権力闘争もあったと思います。誰もが欲しがる、それほど凄い技術だったのです。彼らは技術を持った民として狙われていました。はるばる日本にやってきたのも、安住の地を求めたからでした。自分たちの居場所が知られるとまずいので、夜間、気球を飛ばして移動した感じがします」
布施「夜陰に紛れて、逃げるようにエジプトを脱出したわけですか」
秋山「そのような感じがします。富士山のそばにはストーンサークルがありますが、私にはそれが気球の発着場に思えて仕方がありません。愛鷹山とか藤枝市のびく石に行かれると、何か感じるところがあるかもしれませんよ」
布施「前世の記憶が蘇るかもしれない?」
秋山「そうです。布施さんはどうやら日本に来てから長生きして、薬草の研究をしていたようです。そのような姿が見えます」
布施「エジプトから来た人たちはどのような服装でしたか」
秋山「白い布を頭の後ろに垂らしたエジプト風の頭巾をかぶっていました。赤と青が交互に縁取られたインディオのような風葬も見えます」
布施「気球でエジプトから日本に渡ってきた人たちは、どれくらいの規模の集団だったのでしょうか」
秋山「千人くらいの大隊でした」
布施「リーダーはいたのですか。誰が大隊を率いていたのでしょう?」
秋山「リーダーの名はチャメップ」
布施「私は何と呼ばれていたのですか」
秋山「・・・シャロアヤです」
(続く)
UFO雲と山口博先生への惜別の言葉 2024.10.13
久しぶりの虹 2024.09.22
スコットランドの旅(番外編・セント・キ… 2024.08.09
キーワードサーチ
コメント新着
カレンダー