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2024/02/28/水曜日/日差しに力あり昨夜はちゃんやーで豚しゃぶを頂いた。しらぱまの宿の冷蔵庫で冷えていたオリオンビールを持ち込み、また道の駅で買った泡盛も持参。お店には沢山のワインが用意されているにも関わらず、このノリは嬉しいなあ。黒豚の掛け合わせで、まろりとした甘さがある。けれど脂肪分は通常の豚肉の3割程度とか。締めに出される雑炊とアーサーのお汁!内臓璧の繊維?が喜ぶような、DNAに振動が加えられるような?私にはとてつもなく美味しく思われた遅いお昼で空腹ではないのに全部頂けたのは、色々な付け合わせが少量の配慮もあったかな?一品どっさり、ではない沖縄料理。↓ちゃんやーダイナーの壁の絵は、オーナー喜屋武家のお父さんかお母さんのご実家の昔の頃と思われる。19日月曜日朝。今夕はもう那覇のホテル。3泊の沖縄はあっという間に過ぎ去る。短い滞在はあれもこれもと欲張らず、基本は一日一つ、と決めている。朝も近在を散歩のあと、沖縄らしい食材で健康な食事をちゃんやーで。味付けは薄めであっさり。 女将さんがおっとりとして素敵な方だった。この新しいちゃんやーは二代目なのだとか。さて本日は山原ヤンバルの、大宜味村、喜如嘉キジョカにある芭蕉布会館へ。その後は、一般道をのらりくらりと那覇のホテルへ向かう予定。随分前に芭蕉布を復活させた平良敏子さんのドキュメントを見たことがある。私はこういう女性に、ひどく弱い。生涯迷うことなく一つの信じた道を生き尽くす。平良敏子さんはそのように生きて、この世を去った。101歳の境涯は児童文学と共に生きた石井桃子も思い出さずにいられない。彼女もまた101歳。平良さんはここで芭蕉を育て収穫し、繊維をほぐして糸を紡ぎ、図案を考えて染色し、この会館の2階で布を織った。本日はたまたま芭蕉の畑の手入れとかで、2階の作業見学は叶わなかった。会館に設置の芭蕉布の案内ビデオは是非見たい。6分ほどと随分短い。↓敏子さんの織地に直筆喜如嘉の芭蕉布は涼しい。柄を考えて後世に残そう↓敏子さんの作品どうしてこんなに薄い、丈夫な、軽い、美しい、トンボの羽のような布地が生まれるのか。その難儀な過程が理解できる。私にはとても手の届かない反物だし、また私如きが着て良いとも思われない。そういえばプラスチックのしか持ってなかった、と思いついて、せめてハギレで作られた印鑑ケースとそれに付けられる浄めのお守りを買った。帰り際に、スタッフの方から芭蕉布に関心があるなら、それをテーマにした写真展が近所で開催されていますよ、と教えていただき足を伸ばす。時間ならたっぷりあるのだ。
2024.02.28
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2024/02/27/火曜日/穏やかな陽だまりの18日の夕方5時をいくらか回った頃から、お部屋でごろごろからむくりと外へ↓この歌碑のある辺りまでフクギ並木の道を通り、浜に出る。こんな防風林が沖縄の海辺の集落にはかつて沢山あったが、所々細い各所が車の通行を妨げるなど嫌がられてすっかり姿を消した。そんな中にあって、昔の姿を残す備瀬のフクギ並木は3.11の悲劇の半年後に、その景勝が頌栄される事になった。守り通した人の尽力があったのだ。住んでいる方は樹木のせいで大量の蚊の発生に悩まされているそうだ。短期滞在者は申し訳ないがこの風景を満喫する。そてさて。少しずつ日は落ちて、夕日を眺めるおじいたちがポツンポツンと。夕陽が沈みゆく様をゆっくり愛でる、そんな行為は日々の暮らしから失われて久しいが、ここでは誰かれ、見るもの見られるものの厚情が交わされる。それが有り難いのだ。2月の沖縄は好天に恵まれないことが多い中で、それはそれは美しい太陽と空と海の、刻々変化する様子に溶け込んでいく体験を得られたことも感謝。ところで、夕陽の散策中に出会った海亀のおっちゃんに色んな事を教えて頂いた。夕陽の位置が水納島と伊江島の間を一年でどんな風に変化するか。伊江島には戦前帝国軍の、東洋第一の滑走路があり、沖縄でいち早く徹底的に攻撃されたという。今はそれを米軍が使用している。黒潮の流れと3.11の漂流物、北風と南風↓備瀬の浜に打ち捨てられていたペットボトル心無い観光客がポイ捨て?と思いなんだか申し訳ない気持ちでいたら、バーコードの仕組みから国番号を教えられたのだった。一番始めの二桁、71は中国。因みに日本は49。確か生産地では無く、どこの国の企業によるプロダクトであるか、という規定もたると聞いた。この方は、20年ほど当地で海亀の子どもの成長を見守っているそうだ。↓おっちゃんは絵も描く。満月の満ち潮、小亀が海に帰る様、目に浮かぶよう。機会があればその場に居合わせたいもの。
2024.02.27
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2024/02/26/月曜日/寒いけれど晴れましたもはや先々週、18 遅いお昼ご飯を本部町で。というとやっぱりここは外せない、そんな風に考えるのは私たちだけではない、のだった。Googleで混み具合を確認したら通常よりは空いてる。ところが移動の内に瞬く間に並んだ模様。駐車場スペースはこの混雑でも潤沢だから、やっぱり30分越え待ち店なんだろう。そばは大小選べる。大を頼みジューシーは分け合う通常の沖縄そばより麺がコシが強く独特の風味がある。意外に量が多く、2時近いお昼でもあり夕飯にしわ寄せが。ジューシーはあっさりした味付けしかし、新垣さんところの氷ぜんざいは諦められず、しっかり食後に頂く。これまた、意外に小豆の量が多い。何事も控えめに、と思いながらもツイ完食残す、なんて選択肢はないのだ。あとはまっすぐ、しらぱまの宿に戻り備瀬崎の海に沈む夕陽をまったり待つ。
2024.02.26
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2024/02/25/日曜日/寒い朝、晴れず乙樽おとぅだる、の物語今帰仁城の東に流れる志慶真川のふもとにあり、今は川の名にのみ残る村に、光輝くような絶世の美女がいた。城の大主はその美女乙樽を側室に迎え寵愛した。大主には正室にも乙樽の間にも後継の子が無かったが、臨終の前に正室懐妊を知りみまかった。乙樽は、正室の安産と世継ぎの男児誕生を御嶽、クビ山に向かい一心に祈った。願い叶い無事男児が授かり、その後間も無く本部グスクの大主が今帰仁に攻め上がってきた。正室は産後の肥立が優れず、王子千代丸を乙樽に託し逃れるよう促す。乙樽はわずかの随身と山原の森に分け入り逃げおおせた。匿い育てた千代丸が8歳に成長すると、乙樽は貴人流離の事実を明かす。千代丸は長じて今帰仁に凱旋する。或いは北山を滅ぼした中山王、第一尚氏王統の64年後に第二次尚氏王統クーデターが起きるが、この時に王にまつられたのは、金丸という尚氏とは血外の者。これが千代丸の孫だ、という説もある。因みに金丸は伊是名島の出身と教科書にはある。伊是名島と伊平屋島は今帰仁城からは重なり見える。伊平屋島の洞窟には天戸開きの伝説が残り、神武天皇はこの島で生まれた言い伝えもある。沖縄でもっとも神秘的な島かもしれない。そして、今現在も血縁の人びとはその島じまを遥拝するために今帰仁のうがんしょにやって来る。私もそんな方がたとすれ違ったのだった。その発起、時期はただ、「呼ばれたから」というものだという。さて、金丸の孫にあたる尚真の時代、琉球というクニが整い繁栄した。この尚真、早くに父王を亡くし12歳で立つが暫く母后が政を担ったという。ある日、海難から救出され、やがて故国に帰った朝鮮人一行は、お后の行列に遭遇した。后の籠の後から馬に乗った立派な様子の少年の顔が大変美しかった、との記録が半島に今も残されているが、これが若き日の尚真だという。千代丸+金丸=千代金丸、元今帰仁王の所有であったあの国宝の剣と重なるではないか。琉球統一の王、尚真に今帰仁王の血が流れていると想像するのは、また乙樽の美が映し出されたと思うのはいかにも面白いではないか。これらは沖縄の組踊やおもろ草子にも歌われ、知れば知るほど、沖縄への愛着はかぎりなく湧く。
2024.02.25
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2024/02/23/金曜日/寒いミゾレ雨つづく〈DATA〉出版社 平凡社著者 森まゆみ2013年6月27日 初版第一刷発行カバー、扉『青鞜』1911年創刊号表紙長沼智恵デザインより〈私的読書メーター〉〈恋愛史百年冊子や朝日新聞創刊百年資料などで若いツバメなんてのも十代の頃から目にはしていた。瀬戸内晴美著作で、二十歳ほどのらいてうが禅の公安を貰い、数年掛けて解決を得、見性を許された女性であったことを知り、関心湧く。生きることへの真摯な問いを何故待ち得たのか、明治末に人格形成した少女が、何よりも人間であることを尊ぶ思想がどこから来たのか。この著作でも少し触れられているが、そもそもの主題が同人誌青鞜の歴史、そこに著者のタウン誌の興亡を重ねながらの感想が多く求めたものとは異曲だが。あとがきは、なるほど興味深い。〉先年、この方の「『五足の靴』をゆく 明治の修学旅行」を読んだ時の記憶が蘇った。そもそも『五足の靴』はなんと!与謝野鉄幹、北原白秋、木下杢太郎、実はこの斜め段は削除し、別途2時間余り掛けて仕上げた感想が消えていた、ということに昨日気づいた。かなり萎えます。あの時間読書したらどうか、とか。しかし考えを巡らせ文章を少しだけ推敲した体験そのものは消えた訳ではないのだ。と、気を取り直す。著者は、青鞜も自分たちの地域刊行物も後書きが精細を放っていた、と述べているが実は本書もそのとおりに後書きが、本篇以上に興味深い。例えば平塚らいてうお金を稼ぐことのない若いツバメアーティスト奥村の脚を揉んでやり、おやすみなさいませと床で挨拶した後に彼女は糊口を凌ぐための文章書きに精を出したのだ。当時としては自由で、母の大きな愛情に包まれ成人したらいてうも、矢張り武家の血を引く明治の女なのである。老いてなお矍鑠、凛として 奥村は私の何倍も眠ったと述懐したのは彼女の伝記を書いた馴染みの作家のみが知り得た事、そんな種々が記されている。最近、伊藤野枝のが映画化されている。原作者はらいてうより野枝を贔屓にしているとどこかで公言していたが、私はらいてうの良さをしみじみ思うのだ。奥村愛玩の石を二人の孫である彫金デザイナーが指輪に仕立て、それを今、森まゆみが所有する。そんな物語を紡いだらいてうを。
2024.02.23
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2024/02/21/水曜日/雨、寒く。雨水2/18 ちゃんやー(喜屋武家)で朝ごはん8:00しらぱまのおうちで少しのんびりして本日のメイン、今帰仁城址へ向かう。宿からは車で18分くらいかな。今帰仁城址は北山(ほくざん)部の精神的中心なのだ。ありゃ。途中、こんなお店に引っかかる。引っかかるお客さん多数。何ならここでお弁当も買える。私たちは今帰仁訪問を記念して、今帰仁の古酒5年千年の響を購入高価な古酒は2万円を超えていた。ここには与那国島の花酒43度も何本か在庫あり。↓バンコクに続いてまたもやこの方!どこにもいるなぁ。気を取り直しいざ世界遺産今帰仁城址へ。オープン時間間も無く入場、駐車場も未だ空いていた。無償ボランティアの方も直ぐにお願いできた。桜まつりは一月中には終わりなのだけれど、今年は寒さが不足のため?桜はまばらに咲いて、今ぞ満開、といった風情の樹も。30分程度の案内を大きく上回り案内くださったのは大阪出身のAさん。40名はいるらしいボランティアさんの半分が沖縄の方、残りは内地の方で構成されているらしい。老後を沖縄で、と考える方が大勢いる模様。Aさんの沖縄の歴史への造形と愛がとても深い。そんな方のお話を聞けるのは本当に嬉しい。琉球三山の歴史、殊に今帰仁城を中心とする話は一晩泡盛呑みながらできる長さだとか。ご縁があればぜひ次回お願いしたいものだ。自然の要塞という地理的条件もさることながら、今帰仁城の最初の拝所からは、沖縄でも重要な聖地であるクバ山の神奈備た姿見を正面に拝見できるからだろうか。風景が雄大で素晴らしい。面積は首里城と並ぶほどもあるという。ただ資料が無いため建物の復現ができない。城のための城壁ではなく、王や王の一族が住う場所を設けた建物や庭を囲み、外敵を防ぐ石垣として機能したらしい。何区画かある中にはは沢山の馬の骨が出土した場所もあったという。戦に備えて馬を育てたり明への朝貢馬にもなったらしい。↓沖縄行きの直前に読み始めたのはこれ。沖縄の高校生のために書かれた歴史資料。沖縄の歴史が理解しやすく編集されている。この度のガイドさん説明の良い復習になった。今帰仁城の北山王は交易で財を築き、栄華を誇ったが、やがて琉球を統一した中山の尚氏に滅ぼされ、中山の役人に管理統治されたのは二百年あまり。今帰仁城最後の王が所有していた霊剣、千代金丸。城の中でもノロ、女性しか入れない最大の霊所である御嶽の大石にこの剣で切付け、返す刀で自害を試みたが果たせず、側を流れる川に投げ入れた。結局、王は小刀で果て、ここに北山の歴史が閉じる。この剣はその後村びとが川から拾い上げて、琉球王尚氏に奉じられた、という物語がある。本物は那覇の博物館に展示されているが、立派なレプリカを併設の歴史文化センターで見られる。
2024.02.21
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2024/02/19/月曜日/朝夕は上着のいる晴れ間02/17/土曜日に着いた午後2時の那覇空港は少しむっとした。空港で迎えてくれる沖縄のお花沖縄ではいつも鮮やかな花が道みち見られ、いつも楽しみだ。今回は花ではなくフクギという木の並木道を味わうことを最大目的に沖縄北山を2日巡るのが目的フクギ並木が有名な備瀬という集落は名護の西北、今帰仁や本部町からほど近い。先ずは車。那覇空港を外し美栄橋側のレンタカー手配したのは、前々回空港から那覇市内までのラッシュに懲りた記憶が後を引いて。美栄橋からそのまま羽地の道の駅へ。迷いながら2時間くらいでたどり着く。↓バッソという車で2泊3日、沖縄北山部をのんびりとそこで今晩の夕食や飲み物、地元の食材を手に予約した二晩の宿へ向かう。20分ほどで辿り着く。↓古民家しらぱまのチェックインはこのチャンヤーというレストランがレセプションになっていた。宿はフクギ並木の終わる辺り、チャンヤーからは2分も歩かない。あー、これこれ。なんという眺めだろうか。敷地内に3棟の小さな家があり、私たちの泊まった民家は綛掛カセカキ。3棟の中では唯一昔の姿のままと思われる。リネン類とアメニティは充実している。お布団もシーツもタオルも清潔で質が良い。滞在中TVを付けることはなかった。Wi-Fiも快適だけど電子レンジやコンロは無い。自炊はムリだけど、近場に軽食できるお店がそこそこある。冷蔵庫にはシナモン風味のお水、名護の名水、オリオンビールとアセロラジェリーが日数分冷えていた。部屋ですっかり寛いでしまい夕陽を見過ごすとは、抜け作夫婦なり〜名残惜しく眺めて目と鼻の先の宿に戻るとフクギ並木はすっかり夜の風情だった。まあ、今日見逃しても明日がある。というのが嬉しい。あとは天気次第でケセラセラ。羽地道の駅で求めた味比べ泡盛をシナモン水で割ってごっくん、おやすみなさいませ
2024.02.19
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2024/02/17/土曜日/打って変わって寒い休日月曜日の午後1時からお話と大西さんピアノが聞ける、との情報を得て11時配布チケットのために30分前に並んだ。既に立派な列が。スタッフの方からこの辺りはもう配布分を超えています、とのアナウンス。それでも30分は過ぎ、やっぱり私の前20人以降はため息と共にばらける。一昨日午後に仕事帰り立ち寄り、彼のペンキ画、ティンカ、ティンカを観た。会場には彼がいて何やらまた行列ができている。なんか気の毒な感じがした。タンザニア、ブンジュ村で技法を学んでいた頃のShogenさんは、厳しい顔つきでどこかインドの少年みたいな風貌だ。やがてこんな温かい雰囲気にタンザニアの美しい人びと三原色に黒白、たしかそんな色を混ぜて自分の色を作るのだとか。掻き落とし?みたいな技法も。夜の星の明るさで空が白くなる、そんなことばが添えられている。自分を無くしているように感じるときは、裸足で土の上に立ち、草花で自分を包み飾る、というようなガラス額装されて分かり辛いけれど、この絵が私は一番好きかな。入ってすぐ。大きな一枚、カラフルな眠り絵はたくさん売れて散逸しているので、この数を集めるのも大変だったとか、スタッフの方から聞いた。絵からは真っ直ぐなエネルギーと柔らかい気持ちが伝わる。
2024.02.17
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2024/02/15/木曜日/春一番、都内21度〈DATA〉出版社 学習研究社有吉佐和子 瀬戸内晴美 集昭和45年9月1日 初版発行昭和49年1月20日 13版発行「現代日本の文学」49 全50巻〈私的読書メーター〉〈奈良では吉野川、紀州で紀ノ川となり滔々と海に流れ行く太き水の上から下へ、女4代の途切れぬ命の輝きはどうだろう。花は籠に乗せられ川沿い下流の真谷家へ、語り継がれるほどの嫁支度をして嫁ぐ。祖母の選択眼に叶う夫は県の長から国政へと上り龍だが、当人もこれが花の深い意志の展望である事を知悉している。しかし女庭訓を鑑とする花は古風を崩さない。長男至上主義であっても彼の幼児期、ものを噛み砕く弱さに既にこの子の将来を見通す冷徹さをも持つ。その目にして琴奏楽の耳。娘、文緒に付ける稽古の場面の張り詰めた糸が弾けるような様!〉小説の舞台を訪ねた紀行など兼ねた解説を含む。さすが全集、充実している。うろ覚えだが、尾崎秀実さん解説だったか。うむ、時代は降りて。あいにく図書館に返却したので、今現在この本は手元にないため確証はない。さてこの巻の、好みをいうなら有吉佐和子さん。きっぷがよい。ベタつかない感性が気持ちよい。谷崎潤一郎の『細雪』四姉妹が、明治大正と昭和の戦前戦後に分解されて、縦に時間軸並んだような女たちの物語。しかし内実は全く違う。そこに現れる女を見る目が谷崎とではまるで異なる。『紀ノ川』で最も因習的な花が、実は最も勁い。お金の遣い方一つとっても最後まで豪放磊落。一見新しい女めいた花の娘、文緒の方が脆く感ぜられる。母娘の裏表が面白い。「新しい女」は取ってつけた意匠とでも言わんばかり。この本の4代女たちは紀ノ川そのものだ。水の女、流れの女。それが生まれ出づる森の奥の奥のひとしずく。魚でもあるかのような男をその中に棲まわせて、泳がせたり太らせたり。全くもって控えめでいて強かな水、なのである。因みにこの頃気になる平塚らいてうの両親もまた、紀州の出だ。小説の中で、田畑持ちは山持ちよりも肩身が狭い、という表現があった。まして現金持ち株券持ちなんぞ、ニーサ浮草のようなものなんだろう。何かで著者の祖母、つまり物語中の花と思われる人物が子ども時代に神戸の外国人家庭に、兄と共に下宿させられ教育を受けた、と読んだ記憶があるが、出典は不明。紀州というところ、あれだけの山を控えていると、底知れないお金持ちもいるのだろう。山育ちと思ったら、どっこいゴリョウハン。さてさて紀州も訪ねたい土地の一つとなるなり。
2024.02.15
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2024/02/14/水曜日/日差しは強いサイチカさんのこぎんのセーター編み途中なのだけど、月イチのN先生のクラスに合わせ英語表記のミトンを編む。分からない所など教えて頂けるので。と思い編んでいるとどうやら間違えてやり直し、ムキになる内、何とかここまで編めてしまう。編み図はLAI N Eからのプレゼント。昨年冊子を2冊購入したのでサービスらしい。送料と合わせて一万越えに衝撃だった。円安エンスト事故。糸は手持ちのモヘアとアクリルを含む糸の引き揃え。ミトンは2号針。親指未仕上げで止めておく。続きはお教室で。別途、首肩巻きケープを思い付きデザインで編む。勝手にナイトケープと名付ける。寒い冬に本を読みながら寝る時重宝な一枚を既に持っている。こちらはジャケット下に。ミトンと合わせて。ケープは四号針で編む。わたしサイズでギリギリ肩を覆う。プレゼント用には増し目倍増が必要かも。ミトンの甲側と同じ編み方。変わり一目ゴム編み。
2024.02.14
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2024/02/13/火曜日/お昼は春ツレの趣味に誘われ11日、日曜日、初台の新国立劇場へ出かけた。実はランチの時に話しを聞くまで、何を観るか、誰が出るのかはぼんやりしたまま。例によって鄭さん作品だろう、と。ランチの席で、欲望という名の電車であること、主演は沢尻エリカであることを知る。え!あの、芸能界追放とか再起不能とか言われていた沢尻エリカさん。で、あのケバいオールドミス役←死語-_-b。マーロンブランド、ビビアンリーの。あれ!それを鄭さんが沢尻エリカと。へーと驚いている内に舞台は例によってだらしなく始まっていたのだった。観客は席を探してぞろぞろと移動している中、大変よぉ?役者さんも。肉体使っての幕開けなんだから。正味3時間。あの長々しい台詞も殆どカむことなくやり通しました、エリカさま。これが初舞台とは驚き。芸能界人生経験の山あり谷あり。凡人の三世代分くらい生きてきた?その経験の積み重ねと彼女の、役者としての肉体的アドバンテージは正に劇中のブランチと重なる。傷つきやすく壊れやすい、詩的なイマジネーションを湛えながらも、かつて名門の誇りが益々彼女を零落の、その現実から引き裂いていく。そんなブランチを、想像するにおいてエリカさんに詩的な側面は余り感じられないけれど、何というか彼女の風貌の天使的なニュアンスがそこに引っかかりを持たせて、これはキャスティングの勝利では。あざといんだか天使のような天使なんだか鄭さん舞台女優としては顔が小さすぎるキライはあるけれど、役に恵まれればよい役者に大変身するのでは!と期待したい。フィナーレは何故かこうなる、いつもの鄭さん節。立ち止まらずどこかへ行く、というより新たに進む主人公の姿。振り返るエリカさまが神々しい。加藤英明さんは15年前くらいに演じてほしかったような。けれど若い役者でこの役をやれる人も思い浮かばないなあ。ミッチェル役の高橋努さんがよかった。パンフの画像と舞台の彼が違いすぎ!それはつまりよい役者だ、ということ。
2024.02.13
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2024/02/12/月曜日/風は冷たい信州松本ヒカリヤ ★初訪問中央区 KITTE丸の内ビルせいろととろろご飯¥1350お蕎麦は十割なんだそうだけど、全て機械によるものと思われ、香りや風味は感じられない。ツユも江戸前好きには物足りない薄さだけど、上方好きには結構なお味かも。蕎麦はよく冷やしていて、気持ちよい喉越しなので、夏に良いかも。特筆すべきはご飯ととろろの美味しさ。それに信州特産らしい掛け醤油、ハーモニー良し。東京駅丸の内界隈ではこのビルが落ち着いていて好き。5階までしかない規模がよろしい。
2024.02.12
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2024/02/10/土曜日/日差しは背中に熱いくらい今朝はこのライアーを手放すために、購入のお手間を頂いた先生の元に返しに行く日思えば、このライアーは私に貰われたばかりに、心行くまで音楽を奏でることなく、とある使命のために新しい方の元に旅立つ。ありがとう。長い間。先生からは高温多湿の日本でこんなに良いコンディションを保つのは珍しい、とのお墨付きを頂く。↑先生のお宅のメタセコイアどうか幸せに活躍してほしいと先生に託す。寂しい中にもどこかさっぱりとした気持ちで自由学園、しののめカフェでランチをとる。隣のテーブルの女性とタイや海外の話、山田火砂子さんの話などで盛り上がる。こうして大切だったものも少しずつ、私から放していく。今日は好い日なのだ。
2024.02.10
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2024/02/09/金曜日/陽が沈む頃には寒くなる平日のお昼に映画を観るなんて!くすぐったく申し訳ないような。 でも学生らしき人もそこそこいるけど?好きだったマンガも最近ではとんと読んでない中、これは読みたいと思いながら、え〜もう30巻も出てるの!と腰引けに。しかし映画化。しかも一番好きなマスクの山﨑賢人が主人公。嬉しい。アイヌ少女とそのおばあさんの存在感が私には素晴らしかった。それと高畑充希の可憐さも。白い狼やヒグマのCGも違和感がない。大した技術だなぁ。ウルトラマン初期の頃との乖離が凄過ぎる。往年の名優たちは充分楽しんでこの世界観を大切にしている。アイヌ民族とシャモが日本離れした風景の北海道でアイヌ埋蔵金を追い求めるというストーリーの骨格が太い。身内お手盛りなちまちま日本映画←まあそれはそれで翔んで埼玉とか楽しめるけど、という従来の娯楽作品を超えている。これは世界に通用する。映画のスタート画面は、日露戦争激戦地の二百三高地だ。乃木希典の愚策が招いた、大量の戦死者の山に至る戦争という人殺しをあらゆる角度から見せつけるカメラアイ。これがリアルでいきなり引き込まれた。異国で虚しく骨となった数多の戦友や部下の、故郷に残した家族のことを念頭に、新しい戦さを仕掛ける鶴見中尉の異形振りを玉木宏が怪演している。彼は舞台俳優⁉︎役者魂ひかる。日本の多様性、それがきちんと描かれている。続きが今から楽しみだ!
2024.02.09
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2024/02/08/木曜日/午後から晴れ先日ようやく足を運んだステーションギャラリー随分昔、改装前にここのホテルに泊まり、憧れのバーでカクテル呑んだこともなつかしい。何しろ猫脚バスタブ!だったのである。ギャラリーには初めて入ったかも。案外展示スペースは広く、フロアも二つ備えている。JRらしく旅心をくすぐる展示だ。殆どの木造の神像、仏像、眷属像、或いはそれらの混淆スタイルが130点。青森、岩手が多く秋田は少し。平安時代から江戸時代まで。大工の右衛門四良作、法蓮寺と青岩寺の作品群が驚き。仏師ではなく大工さん。何かの願いが込められたか。円空の観音菩薩坐像が一点。これを手本にこぞって腕に覚えのある村や町の人が手がけた観音さんが微笑ましい。この頃では仏像が彫られることはないだろう。ましてごく普通の人の手でということは。さて。私の父の父、つまり祖父。なのだが、父と私は孫ほど年齢の開きがある上に、父と祖父もそれに近い開きがあり、祖父は私の生まれるずっと前に亡くなっている。その祖父がある日、小さな仏像を彫った。子ども心にも、あまりに見事なので父はそれがほしいとねだったのだとか。祖父が言うには、これは川の源流に近い河原に埋めるのでまた別に作ってあげよ、と。結局それきりとなったが、祖父は何か願うことがあったのだろう、というような話をこれまた大昔、父から聞いたのだった。全国的津々浦々の山里や清流の奥に密やかに仏さまが眠っておられると想像することは奥ゆかしい。なので、そんな思いを抱いて仏さまを観たのだった。残念なことに撮影は全て禁止。好きなお顔の仏さまを待ち受けにはできなんだ。↓宿泊当時の面影が少し味わえる階段やアルコーブ
2024.02.08
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2024/02/06/火曜日/積雪15センチ〈DATA〉出版社 学習研究社有吉佐和子 瀬戸内晴美 集昭和45年9月1日 初版発行昭和49年1月20日 13版発行「現代日本の文学」49 全50巻〈私的読書メーター〉〈学研『現代日本の文学』全集49で読む。昨年12月に英国人女性による伊藤野枝をテーマにした音楽会を自由学園で見聞した。アナーキスト、新しい女、大正、くらいの像しか結ばなかった野枝に関心をもち本作を読んだ。本作は2部構成。前段は野枝を取り上げる動機や取材の事実など。後段は野枝の短く激しい生涯を知り得る限りの事実を重ねながら野枝という人間に肉薄していく筆力には、瀬戸内自身が幼い児を置いて出奔した苦い思いが重く映り込んでいる。女は自らの人生を選び生きることができるのか。社会構造と霊と肉の狭間で。古く新しい。〉こういう全集が4年で13版を重ねた戦後25年を経た昭和という時代を思わずにはいられない。そんな時代に我を生きた瀬戸内さんは大正に生を受け平成に得度して令和に彼岸に渡られた。敗戦前後を北京で暮らしていたのである。その時出会った夫の生徒と出奔。そのことがなければ小説家になることはなかった、という。小説に登場する伊藤野枝、神近市子、平塚らいちょう、三者三様に欲しいものへの直ざいな、持て余すようなエネルギッシュさで、当に 原始女性は太陽であった の青鞜発刊のノロシそのものだ。小説に登場する男性三名、辻潤も大杉栄もらいちょうの若いツバメ奥村某も装飾音に過ぎない印象で描かれる。主旋律を奏でるのは女たち。このような伝記小説の草分けは、森鴎外の『渋江抽斎』が挙げられるだろうか。文学史的にそんな指摘があるかどうかは知らないが。タイトルにある渋江抽斎よりもそのお内儀の五十、イオ?だっけが圧倒的に魅力的な描写だ。ところで先日鴎外の短編について心惹かれた文章に出会った。「サフラン」であったか。鴎外は小さな頃から部屋に籠り勉強ばかりをした。同い年の男の子と塗れて遊んだ記憶もない。コト=知識ばかりを詰め込み、モノ=経験を知らぬカタワになった、という述懐。そのように自分を観察できるのは科学的な態度で流石、鴎外なのだ。さて、伊藤野枝である。この人生は凄まじい。伊藤野枝が文学的才知や閃きを得ていたか、というと瀬戸内晴美自身の評価もまるで低い。しかし彼女が28歳で暗殺されるまでに三人の男、その内の二人は学識も文学の素養も思想も凡夫の遥か先を生きた二人の男と惚れたら命掛け、の道行で七人の子を産み落としたのだ。これって本当に途方もない!男と常に恋愛中にありながら常に懐妊していたということなんだから。恐るべし明治の女。この辺の野枝の心理や擬態の描写がどこか突き放すようでいて実は作者と螺旋を描くような濃密さがあり、抜き足ならぬ。彼女をして子宮小説と言わせた所以か。そしてそんな風評は十代そこらの私には何かべとつく感じがして避けてきたなあ。幸田文とか有吉佐和子なんかが面白いと思った。貧血気味の私なんぞは、著者含めこんな女たちの爪の垢でも煎じて飲めば死んで惜しくない恋愛が訪れたのかもねー。女子校時代の同窓の女の子の顔を思い浮かべると、そんな恋愛能力高い人は既にその予感をたっぷり含んだ水気というか色があったなあ。一方で、辻との最初の息子の人生の終わり方はやはり辻同様、悲しさが募る。私は男より子、であるなぁ。
2024.02.06
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2024/02/05/月曜日/お昼前からは雪地域の公共施設で開催されているニットカフェは平日定例のため殆ど参加できない。今回はたまたま土曜日開催、嬉しい。ニットと名がつけば馳せ参じまする。↓講師の先生が参考に見せてくれたブラックベリースティッチの帽子。↑ベリー模様は実は裏面。ベージュのスワッチが表面らしい。編み方を聞き忘れてしまった。19名参加者の対応に追われています。しかも全く初心者の方もいて、私に尋ねる方も!ひゃー。今回課題作にこんなリストウォーマーがあるのも、カフェがクローズになる時間に知る。でも参加の顔馴染みの方と情報交換したり、館側の興味深い催しなど知ることができて楽しいひと時でした。政治的な手芸部!これは面白そう。
2024.02.05
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2024/02/04/日曜日/寒い雨の春分入りサイチカさんの糸と針さんで購入したこぎんのセーターキットを編み始めよう、とやおら袋から取り出した。あれ?袖の訂正版はあれど編み図が無い!メールで問い合わせると、編み図は付帯されてなくてサイチカさんのご本を参照する方式である、とのリプライが直ぐ届く。しかも、その事はきちんとサイトに記されていた、のだった。粗忽者なのである。年はとってもいっかなアップデートされない私め(´;ω;`)マーケティングすると1300円のこの本、現在品切れでネット価格は2100円超え。ぎょえ。図書館検索すると複数館で所蔵しているではないか。貸出で凌ぐ。締めるところは締めるなり。糸と針さんからはご丁寧な連絡を何度もいただき、心温まる。そうそう手編みは身体だけでなく心も温まるものであってほしい。キャストオンで既にやり直した上に、蛇足をしたところに目をつぶり編み進めた。しかし心が晴れぬ。解くものを横に置いて、再びキャストオンやり直し。↓やっぱりこれは無いなぁ。このまま続けては、きっと着たくなくなる。やり直しも輪に編む1段目をパスしてしまっている。しかしこれは輪にするときの緩みを防ぎもするし、リカバリは容易いので、これは許容範囲である。しかも私的にはキャストオン捻れ防止にもなる。糸はパピーのシェットランド。6号輪針。指定のゴム編みではなく捻りゴム編みで。糸のヨリが少しゆるめに感じたので。他のものも編みながらだけど、少しずつこぎんのステッチが見えてくると嬉しく先に進む。他のものといえば、すったもんだで編み上げたMiknitsデザインmizudoriのプルオーバーの毛糸の質が悪すぎてびっくり。昨日これを着て出かけたところ、アンダーウェアにびっちりと毛足が着いた。緑の苔状で身体半分の毛足をざっと集めただけでこれである。帰宅後、コートの内側、スカートが緑苔に覆われそれを取り除くのに腐心した。編んでいる最中にも膝に毛糸だまり、目や鼻にもふわふわ侵入、挙句石油ストーブに吸い込まれ悪臭を放ったのだった。ほぼ日さんはこういう点を説明する責任があるのでは?デザイナーはその毛糸で自作したものをきちんと身につけた上で紹介してほしいもの。https://www.1101.com/store/miknits/2023aw/kit/mizudori.html私はこれはおすすめできません。
2024.02.04
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2024/02/02/金曜日/朝からずっと寒いようやく鉢植えのレモン3個が収穫してもいいかな?姿になって来た。週末泊まりに来る次男夫婦のお嫁ちゃんのために、娘と同じニット帽を編んだ。娘は今日から3日間、能登でDMATメンバーの一人としてご奉仕する。明日は節分、季節は変化し続ける。被災地も今日より明日、明日より明後日と明るく元気に!と願う。2年越しの薔薇の花びらピローをようよう縫い付けて、浴衣生地でピローケースを手縫い。月の暦の新暦に見る夢は?薔薇に慰められ
2024.02.02
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2024/02/01/木曜日/三寒四温に入りつつ一本の糸が太くなったり細くなったりする糸はスラブヤーンと呼ぶらしい。その名と計上が合致したのがこの冊子私自身は ギャップ糸と呼びならわし。それの草木染めが色違いでどっさりあるため、昨年からあれこれ、延々と試作は続く。気ままに糸を取っ替えては編み、ラフなベストに仕上げる。ツレはお気に召したらしくよく着ている。この糸にはやはりワイルドなデザインが似合う。まさに、『ヨーロッパの手編み』冊子の表紙画像に近いセーターを先月仕上げたところだった。広瀬みどりさんのトップダウンで編むセーターホワイトマウンテン比較的ギャップの少ない糸とのバイカラーで前後面積を変えて編んでみた。今までの試作の中ではこれが一番しっかりしている。お気に入り。今後、これをアレンジしながら編んでみよう!
2024.02.01
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