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2024/10/31/木曜日/久しぶり晴れ10/28 神田の尾張屋 本店半地下では昼飲み宴会、その為か注文から30分は待つ。待つ間、レジに平積みの冊子 味の味を眺める。ツレ、カレー南蛮辛口。量は少ないが意外にも未だ値段はお得な税込600円!たいていちょっと前はこんな値段江戸風二八で、ツユは醤油しっかり。本ワサビが嬉しい。ここはモリの量が少なめ、ご飯も少し食べたい。親子丼シェアで一つ。いやーこれが殆ど目玉焼き状の玉子でびっくり。次回ここで食べるときは蕎麦だけにする。しかも大盛り一択である。10月は5回しかお蕎麦が頂けなかった(;ω;)
2024.10.31
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2024/10/29/火曜日/霜降の候の曇天のち雨旅から帰国。自宅方面に向かうバスの中で聞き続けたのは衆院選速報だ。蒸し蒸しした闇夜、そぼ降る雨を背景に聞くそれはどこか寒々として、投票率の低さも今更話題になりはしない。戦後3番目の低投票率あと1割の人が投票したらどうなっていたか。独立自尊も重い税負担もアメリカ支配も終わらせる気が全くない、傀儡の国。あと1割の人が本気で望めば変わるかもしれないのに、とごまめが歯ぎしりする。それで満足して死ぬまで口をつぐむのか。トルコはどうか。トルコには国民が、投票する国民がいた。愛する祖国を持つ人がいた。大学に至るまで教育費は全ての国民が無料。アルバイトする大学生はいない。最低の生活費が支給され、学生は学ぶことが担保され、それが社会通念である。トルコツアーの最終訪問はアンカラのアタチュルク霊廟だった。↓霊廟の衛兵は陸海軍兵のように思われる。トルコは三方を海に囲まれた国だ。トルコではムスタファ・ケマル・アタチュルクとトルコ共和国の生誕の日である本日、10月29日を国を挙げて祝う。セレモニーは既に、訪れた土曜日にも開催されていた。↑衛兵が捧げ銃を行うと、押しかけた市民も観光客も皆静謐な沈黙に包まれ、会場に一体感が醸成された。元々、この地は遺丘であったというが、トルコ全体が西と東、北と南を結び、古代文明、ヒッタイト、パクスロマーナ、ペルシャ、十字軍、セルジュクトルコ、オスマントルコ、と歴史の表舞台で、踊り続けている国だ。何しろトロイ遺跡からはエーゲ海の向こうにアキレウスの大型古墳?も臨まれる国、なのである。考えてみるとツアーの一番目の訪問先はイスタンブールのスレイマニエモスクだ。ここにはスルタン スレイマンファミリーの廟があるという。パクストルコの最も栄えた16世紀の時代からスタートし、国民議会に基づくトルコ建国の父、以降の現在のトルコ世界までを古代を歩きながら眺め考える旅を構成しているのだった。私が旅行前にガイド本代わりに読んだのは内藤正典氏の『トルコ 建国百年の自画像』だけ。トルコのノーベル賞受賞作家、オルハン・パムクは借りただけで読みそびれてしまった。↓トルコでよく見かけるもの、アタチュルクと人なつこい猫たち。しかし内藤氏の本によってトルコ社会というものがよく掴めたと感じる。驚嘆したのはトルコ国民の、前回大統領選の投票率87パーセントという数字。どうすれば一人ひとりこんな意識を持てるのか。トルコは若い人でいっぱい、家族でよく観光している。お父さん世代が日本人びいきである。彼らはカミカゼを尊敬している。ドラマショーグンが始まる金曜日夕方、それを見るために必死で仕事を終えたお父さんたちはサムライを敬愛する。自分たちはアジア人であり日本人は遠い兄弟と感じている。トルコは重工業と農畜産と観光業、わずかの石油、天然ガス資源、他に地下資源がある。地震がある↑アタチュルク霊廟ショップはラッシュの電車内みたいにトルコの人で混んでいた。そこで求めたTシャツ向学心を持つ若い人が多く、東に行くほど失業率は高い。子どもは子どもらしく、かつ愛されている。トルコはこれから繁栄する熱い国である。日本は衰退に向かう国だ。日本はこの国をお兄さんのように敬愛して学ぶべきところが沢山あるのではないかと実感した。
2024.10.29
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2024/10/26/土曜日/快晴の夜アンカラ空港からイスタンブール空港へ。出国手続きが終わると、後は大きな免税ショップをよそにプライオリティパスで使えるラウンジを探す。イスタンブール空港で待ち時間が5時間という長丁場である。こんな日のための保険のようなプライオリティパス。ご利益が薄くなった昨今とはいえ。2時発という時間帯なら利用者も少なかろうとラウンジ一択。私のことゆえもちろん事前調査なし。あたって砕けるのが好き∑(゚Д゚)新しい空港のラウンジはたいてい吹き抜けの中二階みたいな所にある。という体験と動物的感覚で100mくらい進むと先ず出くわすのがビジネスクラス客のためのラウンジ。もちろんエコノミー客は利用できない。くっすん。そこから更に30m進むとターキッシュエアマイルス、とある。会員がマイルで利用できるラウンジと想像されたが、一応尋ねる。砕ける。ここでは使えないのでどこそこに行けと言われる。その、どこそこが聞き取れぬ(T_T)聞き取れた1stフロアだけを頼りに降りると、そこに案内カウンターが。庶民の味方、プライオリティパスを見せて、これで使えるラウンジどこ?と聞くと1stコーナーturn to the right.インサイドとかなんとか。エルガラウンジとかなんとか。従い行くと、右折れ後すぐの左手にIGA の文字。これが私にはエルガと聞こえるのであります。エレベーターで上階へ。チョー美人なコンパニオンさんに温かく案内された内部の広いこと。お料理、チラッと見では今ひとつだけどアルコールや飲み物は充実、シャワーブースも完備、ただしこちらは混んでいる。まっつぐ行くは空港砂漠のオアシスのようなこのスポット。これを最後?のFESSというトルコのスピルナ、軽やかなビールで喉を潤し、↓これはキオスクと呼ばれる、フリーWi-Fi利用時に必要なパスコードを請求する設備イスタンブール空港時には利用する間も無く、今回試みる。パスコードが無いと繋がらない。4時間無料。プリントアウトもできる。おもむろにフムスやギョフテ、オリーブ、クスクス?などをお皿に盛って、トルコ産白ワイン、あ、これがびっくり美味しい、を飲んでまったりボーディング待ち、をするのであった。完璧に作られたツアー、というのは久しぶり、のトルコ旅に参加した。これがまあ、日本人の要望に応える重箱の如きにぎにぎしさ満載。終わってみれば一体何処で何をしたか全て混然として、今や呆然と帰国便を待つ。ペットボトルのお水が頂けるのも嬉しい。
2024.10.27
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2024/10/21/月曜日/イスタンブールは朝から晴れ◼️ハンサムで愛想のいい青年に騙されてはいけないの巻◼️今回は初トルコ。しかも久しぶりツアーといってもイスタンブール空港の待合せ場所までは各自で行くのである。いつマネーエクスチェンジするのか、今回マネージメントしているツレからの事前情報がない。荷物を引き上げ、外に出ようとした直前、おや、こんな所にスポット的に両替所があるではないか。両替しちゃおう。ナニナニ円は0.56とある。確か50円割ってる筈。いかがか。ツレは面倒だからここで一人2万円で両替という。対応一人のこの青年がまたチャーミングなのである。日本語でありがとうはどういうの?なんぞと親近感、清潔感高い。ニコニコして渡されたトルコリラ…がこれ↑なんかすくなー。円負けてる?ブツクサ呟きながら申告なし通路から出て現地ガイドさんのいる所へ。徐に、トルコリラと交換場所へ行きます、とのこと。やはりそんな段取りであったか。↓レート表を見てびっくり。ナニこの違い!84380トルコリラだよ!私たちより12000も多いではないか!つまり私たちは4万円を3万4千円の価値に落としたのね_:(´ཀ`」 ∠):慌てる乞食でござんす。空港の外には、銀行ブースが4.5軒並んでいて、殆どの旅行者はこちらで取引しています。またも学習代を支払ったわれら、ハンサムくんの笑顔付き。銀行員はにこりともせぬ。次を虎視眈々と。
2024.10.21
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2024/10/20/日曜日/薄曇りわれらの結婚記念周年を昨晩、羽田のありそというお寿司屋さんで乾杯して機上へイカのげそ焼き、すごく美味しかった。↓朝5時半頃のやって来たのは、キエフの西、ソフィアの東。アテネの北、ローマの南、イスタンブール。ガイドさんがいうには人口1800万人⁈難民300万人の都市だという。紀元前1500年頃トルコ人のご先祖がこの地に暮らし始めた記録があるそうだ。その頃はトルコ人によってアスタブルク?というように呼ばれたという。これは神に最も近い土地、との意味を持つらしい。←wikiとは異なる?その後、呼び名はビザス王の進行でビザンチウム、ローマ皇帝のネオローマ=コンスタンチノープル、そしてオスマントルコ大帝国の時にイスタンブールと呼ばれるようになる。トルコ人ガイド氏が言うには古地名がなまって現在のイスタンブールになったそうだが、別にギリシャ語の「イス ティン ボリン」←街ヘ向かって←説が優勢なようだ。トルコギリシャ関係を眺めれば、我らの花の都、歴史の首都がギリシャ語由来は受け入れ難い、のに違いない。こうして様々に揺らぎ語られ、受容されるものが自明の理となるのだろう。もっとも現在の首都はアンカラ。アタチュルクが刷新させた新生トルコの世俗主義によって宗教色を脱色させた。エルドゥアンは穏健的イスラム教政党を率いて長年大統領の地位にある。2020年、あの開かれなかった東京オリンピックの年、イスタンブールハイライト、アヤソフィアはとうとう博物からモスクに戻った。それに従い女性はスカーフ着用、衣服の禁止事項も増えた。が、入場料はなくなった。★2025年1月15日から外国人観光客は有料。大人一人25ユーロとのこと。無料で観光客が押し寄せたことによる対処とのこと世俗的であるのはどちらかなぁ。形だけ頭から被り物?入場フリーが美味しい?トルコの人にとって行き過ぎた宗教禁止は心情と矛盾する点も多かったろうが、若い世代、都会に住む人にはまた違う関心があるのだろう。兎にも角にもターキッシュエアはモスクワにもキエフにも飛行機を飛ばす。テルアビブにもバグダッドにも。日本の政治家百人束になってもエルドゥアンにかなうまい。アラーは商売の神なのだよ。
2024.10.20
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2024/10/19/土曜日/午後から小雨いつもいつも同じ蕎麦っていうのもどうなんだろう。たまにはちょいと足を伸ばしてみようと帰り道とは逆の方へ行ってみる。お目当ては、◼️green glass 新宿区といっても、中井駅に近い。あらま、情報と違い夜だけ?しかも前日予約?蕎麦だけというわけにはいかないのかな、残念。まあね、お散歩だね〜、この界隈には空き家が野鳥の別荘みたくなってる所が沢山ある。かつて文人画家などアーティストたちが住んでいた落合辺りこの辺なら徒歩17分くらいで行ける◼️山商さん久しぶり。あそこは二八だけどねえ。辿り着いてみるとまさかの工事中。臨時店舗はたまたまの第3水曜日につき休店(T_T)いよいよ蕎麦難民と化す。Googleさんに聞く、何でもいいからお蕎麦かれこれ歩くこと一時間、やって来たのが越前蕎麦③ SOBA CAFE輝 初訪問新宿区三色蕎麦 1300円福井の特徴的な、大根おろしぶっかけ、削り節載せやとろろ、のアレンジを楽しむ。しかしいかんせん、ツユが薄い!京風を貫く歴史だろうか、下らない江戸という。蕎麦は十割と二八の間くらい。丁寧な印象の蕎麦十割ですか?と尋ねたら、ウチは毎朝打ってますから、殆ど十割みたいなもんです。うーむ。私の理解の及ばない返答だった。店内奥にTVやソファーセットがある。丼セット蕎麦が人気のようでした。10/18久しぶりだよ〜松翁へ、女も下る男坂〜④ 松翁千代田区ざる。ツユ濃口。千円。開いてくれててありがとうございます(T_T)
2024.10.19
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2024/10/19/土曜日/妙に暑い、29度ジョーカーの続編も公開中だったけれど、前作を観た後は胃の臓腑がムカムカなるくらい絶望に襲われたので避けてしまう。こちらだって、政府軍と独立したカリフォルニア州テキサス州連合軍同志の、分断されたアメリカ国民の戦争なので、陰惨なものであるのは必定だけど見終わって感じたことは米国が銃社会であること。ジャーナリズムがかろうじて機能しているというか、報道は存在していた、ということ。で、その内容とか質はどうなのか。その背景を知りたければアメリカという国の来し方を尋ねなくてはならないだろうけれど、米国史はほんの少し読んだ、くらい。3回の訪米、しかも一度はハワイの観光やショートホームステイ程度の関わりではアメリカって全然分からない。朧げに感じ取れるのは以前読んだフォークナーから滲み来るアメリカの姿が、この映像と近しい印象をもたらすということ。同国人ながら受け入れられないほどの乖離、土地土地の歴史背景や宗教…いや宗教などというものはこの映画では体良く避けられていたが。というより戦争カメラマンとか、ジャーナリズムとかテーマがそちらにスライドされて、市民分断の焦点はピンぼけだったかもしれない。ベテランカメラマンのリーを演じる女優の存在感は素晴らしかった。人心も国土も荒廃する風景を車で走り抜ける日々の、ほんのひととき、横たわり草原の青い花を見やる、その静かな眼差し。カメラではなく生の目で見た青い花の命と共鳴したような彼女の瞳は既にカメラマンであることを終了しているように感じさせる。国がどうなるかしれない中で、当事者たることを放棄し、その事実に心も思考も閉した、古き良き東海岸の小さな町のコミュニティが描かれていた。日本人としての私はさすがに居心地の悪さを覚える。平和を願うことの困難な道を思う。ガンジーが言ったように。意味不明な大量殺人者、ルックスがティピカルアメリカンな彼が〈アメリカかアメリカでないか〉をジャッジして問答無用で他者を殺傷する場面。どこの出身か聞かれ、恐ろしさに返答もできないアジア系←彼は日本人俳優と思われる←ジャーナリスト?パパラッチ?が、何とかひねり出した香港!秒殺である。これは色んな意味でやばいアメリカだ。レイシストの上をいく。トランプの拡大系はこれに繋がるやもしれない。トランプ。とハリス。独裁になる危険をはらむ者と多様性を説きながら実はDSの踊り子かもしれない者と。オルタナティブがない!私たちの国もまた間も無くどんな船に乗り込むのか票を投じなければならない。自分の選挙区に投票したい立候補者がいない!それでも棄権する事はできない。全くもって不条理を生きるのみ、なのだな。苦々しきこと重なる。大統領選を前に日本を支配するこの国の姿を知りたくて好天の昼間に暗い部屋に入ったのだった。ところで。ホワイトハウスには地下道が軍用機の発着基地まで絶対通じてるはず、と私ならシナリオを書く。その裏をかいて最後のインタビューをする。ジャーナリストの音声に兵士が立ち止まるこの場面はよい。しかし速攻射殺ですか。裁判無しですか。これは戦争ではなく殺戮、それを証明してしまったラストがいけない。
2024.10.19
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2024/10/17/木曜日/薄曇り、時々晴れ10/5 土曜日❶ そば処 いずみ 初訪問北杜市小天丼付きもりそば 1400円残念ながら先月で十割蕎麦は終わり、今後二八のみとなるらしい。十割を打つのが大変になったか、注文する人が減ったのか事情は知らないけれど、せっかくの蕎麦の産地で、十割蕎麦が頂けるお店が余りに少ない!お蕎麦はゆるめで上品、更科様私的には物足りない。おつゆもやはり甘め丼は美味しく頂きました。❷ 手打蕎麦 ふじや新宿区いつものつもりで、十割、もりと注文したところ、なんと大盛りが運ばれてきた。店員さん、アルバイト初日か、初顔。その後、店奥から「もりというのは冷たいお蕎麦のことよ」と教えられていたけれど。「減らしてきましょうか?お値段はもりで結構ですが」とのこと。え、そんなもったいない、このまま頂きますとも。後で尋ねると、もり150g。まあ標準かな。大盛り250g、ええええー。おつゆも蕎麦湯で残さず飲み干しなんで、苦しいはずだわ。何度か通っているとこんなこともあります。何だか得したのかしら⁈あのアルバイトさん、気落ちしてなければいいなあ。初顔と気づいたらこちらも確認しなくちゃ
2024.10.17
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2024/10/13/日曜日/久しぶり軽やかに晴れ続き娘が引越した街には何となく親しみを覚えるもので、歴史や風土が知りたくなる。今回は駅近、アントニン・レーモンドの住宅を見る。アントニン・レーモンドといえばフランク・ロイド・ライト、そして吉村順三私は吉村順三のファンである。なぜか。住宅はそれが建つ風景の中につましく佇まねばならぬ。ほそぼそとした暮らしの、時や日の移ろいを伝え、住まう人を憩わせ安らかに健やかにせねばならぬ。肉体が精神の神殿であるなら、住宅はそれらの神殿でもある。簡素な、やがてゼロに帰るモノとして存在せねばならぬ。それをカタチに現すのは、視点の低さ、炎、音、和紙を通過する光、響き、開け放たれる開口部それらを表現する緻密な、数ミリ単位の計算。数字によって構成される、住まう者をして少しだけ引き上げられる精神性。住宅作家はその空間を目に見える形で、夏は涼しきよう、冬は温かきよう腐心するのだ。住宅は優れて人間学だ。私が吉村順三に見るのはそれだからである。などとツラツラ考えながら高崎市立美術館へ。ラウンジから庭に出て、旧井上房一郎邸へ行く。彼のお屋敷を設計したのがアントニン・レーモンドかとぼんやり考えていたら違った。これは、高崎市の実業家井上房一郎氏が深い親交を持ったレーモンドの、東京での2度目の住宅兼仕事場の、いわば一分の一の模型なのだった。↓張り出した庇を受ける柱がない。深く、連続する軽快さ。樋もなしのすっきりさ。ロイドの呪縛を離れ日本建築のあり様をモダンに翻訳したような。井上氏はよほどレーモンド邸が気に入ったのだろう。またそのままの設計を許すほど、レーモンドにとって井上氏は大切な友人だったのだろう。おかげでオリジナルは消失していても、ここで実物が自由に見学できる!↓お茶の時間を楽しむテラスの屋根は透過性←ガラス?の材料で葺いて明るさを取り込んでいる。右に簡素な作り付けのサイドボードこちらから靴を脱いで上がる。このサイドボードを靴入れと間違う人もいるらしい。私もそうでした。てへ。周囲のマンションも元はお屋敷の敷地だったという。どんなにか気持ちの良い風が感じられただろう↓外に門が見える。テラスに面したこの吐き出しが実は玄関。にしても玄関土間もなく、いきなり沓脱?これ、使いにくいでしょけれど。空間的には北と南の光の一体感靴を脱ぎ右に折れると、たっぷりとした廊下廊下とはスライドする壁のような襖に仕切られ、庭に南面する広々とした居間。深い呼吸ができるような居間は24畳ほどか?テーブルセットが3つ。上の画像の奥にはレーモンドお得意の?引き込式寝台兼ベンチソファが見える。天井が高い。登り梁もダクトも現し、トップライトもある。ツシヤネ?四間に渡る低い棚は柱で支持されている。荷重はかけられないだろうけど、焼き物や漆の種々が陳列されただろう。絶妙な高さと奥行家具や照明器具はレーモンドの妻ノエミがデザインしたものこのペーパーコードの椅子は違うと思うけれど。陰翳礼讃。椅子の上には住まいの主人の帽子が置かれていた。夏、冬と季節により変化させて置いているそう。上質なパナマ帽↓住宅を貫くダクトや家具と一体化した通気口デザインだけでなく設備に至るまで、そっくり同じように再現したことが分かる。伝統的な在来工法の技があればこそ仕上がったのではないだろうか。↓これはノエミ作。テーブルが3つあれば、一つはポーカー、一つは読書、物書き、一つはお茶と談笑壁のしなベニア仕上げなど、当時の棟梁はどう思ったろう。入り口から左に折れると寝室に付随して和室があった。この和室だけはオリジナルにはないものとのことはすかいに居間が見える。ご夫妻は本当にこの引出し型のベンチベッドで眠られたのだろうか。この奥の和室を使われたのだろうと推測する。こちらはファミリールームのような雰囲気がある。背当ての角度と高さ、深さ。座面の奥行き、材質、色。ベッドヘッドの収納障子の白さ、ベニアに濃いめオイルステイン仕上げ、家具建具の柔らかい白は布。アクセントみたいな大きな把手。簡素な和室この奥には水回りや厨房、女中室などが配置されているようだが、非公開。外から少し見える。水回りはスリーイン。モダン住宅和室側からは納屋がみえる。庭作業の道具などをしまう倉庫だという。手前に葡萄棚があり、今でも毎年実るそうだ。↓建具の欄間などはなく、そのまま天井までオープン。緑に反射した光は家中にあふれ。夜には暖炉に薪のあかり一間ごとに列柱する丸柱は和室開口部にさえ例外なしで、その厳密さは煉瓦や石で家を作る欧米の人の哲学のようにも思える。その柱が支える重厚な登り梁もやはり一間毎にかかり、深い庇の持ち出しを生んだ。住宅の裏側に回る。というか、こちらが表玄関ブルーノ・タウトとレーモンドと交流し、戦前フランスに留学した。晩年山田かまちの才能も応援した。そんな人が暮らした住居である。
2024.10.13
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2024/10/10/木曜日/薄ぐもり成形、乾燥に3日ばかり編むだけでまるまる1月↓試着、ゴムベルトの長さ確認。ジャージの上からという!イサガー社ポルカスカートは子ども用デザインそれをアレンジして、オープンプリーツな雰囲気に仕上がった。ウエストにゴムベルトを通し、穴をふさいだところで、ベルトのねじれを発見!わたし、あるある。挫けそう。編み地と綴じ糸の見分けがさっぱり。何とか修復はしたものの、当初の仕上がりとは月とスッポンである(T-T)それでも思った以上に糸の性格とデザインが調和が取れて、軽くてかさばらず、断然気にいる。いい加減この糸に飽いて来たのだけど、残糸多いのでもう一点、プルオーバーを編むことにした。セーター類の中では今のところ一番好きなレシピ。ヒロセミドリさんのホワイトマウンテン一度スタディ編みしたけれど、バリエーションを変えて何度でも編みたい。スカートは3号針、こちらは6号針で。サイズはMAX大の一つ下。ゲージで確認したけれど、出来上がるまでは?丈は全て自分好みの地点を選択できるのも良い所
2024.10.10
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2024/10/09/水曜日/強く降る、後小雨先月岡谷市に出かけた時に、イルフ童画館から徒歩17分ほど離れた場所にある旧林家住宅を訪ねた。↑ピンコロ石の鋪石は公開時に設置されたらしい。洋館側の入り口にも敷設されていた。内外の見学で15分ほどと家人に伝え一人来たのだが、見学者にちゃんと案内ガイドが着いてくださる。手厚い。じっくり見るには一時間は必要だったか。↑見事な構えの門がよく保存されている。見学者は、通用口のような所から出入り。↑画像の小さな玄関も、中に入れば庭に面して明るく天井高く、広々としている。そこが受付。工芸品のような欄間のある、続きのお座敷。畳はこのように敷くのか、見付け二間半。あちらとこちらで風景が少し異なり、より格式の高い部屋からの眺めがよろしくなっている。〉〉建物は大隅流の大工・伊藤佐久二が建てた。欄間などの見事な彫刻は立川流の彫刻師・清水虎吉のものである。〈〈シルク文化協会HP←参考になります。大隈流も立川流も共に諏訪大社建造に関わる、地元の宮大工と聞く。法隆寺も創建の頃より瓦屋、金物、佐官、大工などなど。未だ子孫が引き継いでいると西岡棟梁の本で読んだ記憶がある。息の長い匠集団が今も存続していることに驚嘆する。途絶えることのないよう祈るのみ。↓板目?筍目と言われる床柱は珍しきもの。各部の納まりが見事で、水も漏らさぬ百年仕様↓床の間の狆潜り。犬将軍でなくとも。下々でもお大尽は愛犬と戯れ遊んだ、そのよすがのお飾りかな。廊下を渡り奥に進むと、金唐革紙の実際が分かるような展示があった。ヨーロッパで発展した豪華な仕上げ材は、動物の皮を叩いて薄く伸ばし、版木の筒に押し当てエンボス仕立てにした上に彩色、手間暇の掛かる工芸品。こちらでは何と和室丸々一室に、これをあしらった部屋が見学できる。急な階段を上る。不忍池近くの岩崎邸で見たことはあるが、その比ではない。建物が生活のための住宅でなかったことが幸いして百年を経ても状態がよい。金唐革紙に関心のある方には必見かも。↓壁紙の押し縁は漆塗り日本ならではの、丈夫な和紙を用いて同じ仕組みで作り、海外で人気を博した。なんとバッキンガム宮殿にも採用されたという。横浜から遠く離れたこの地で、外国の商人との取引もあったのだろう、欧州人の喜びそうなジャパネスクならん。もっとも工業化の波に襲われ、時間も予算もべらぼうな貴族趣味は瞬く間に消えてしまった。階段付近の窓は上げ下げスタイル。金物は輸入?工程が分からなくなった金唐革紙の復元のための研究所ができ、そこで作る金唐革紙のことをのみ金唐紙、と呼ぶそうだ。当日は洋館で、結婚式のための撮影があり、そこをほぼ省いてしまった。この住宅は当主、林国蔵が10年の歳月を掛けて普請した。一族は東京か深谷などにいて、別荘のように使ったらしい。仏壇と神棚。日本の住宅の身上、二つ並びの仲の良さが大好きだ。大工の彫る弁財天さま?か名工の技。
2024.10.09
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2024/10/07/月曜日/夏の回帰揺れる車の中で作業していたら書籍画像を消失( ´Д`)y━・~~仕方ない。鹿ぞ鳴く奥山画像でも〈DATA〉出版社 河田書房新社著者 足立巻一昭和49年10月20日 初版印刷昭和49年10月25日 初版発行〈私的読書メーター〉〈ハードカバーで読む。文庫の表紙がハテ春庭でなく宣長?著者は手っ取り早く国語教師になるため、当時松阪にあり、戦後皇學館となる官立の神職養成専門校に進学した。その国粋主義には鼻白らむ節もある文学好きな足立青年の魂を揺るがしたのは、「ふしぎですねえ…語学者には春庭のような不幸な人や、世間から偏屈と言われる人が多いようですねえ」、教授がふと漏らした言葉だった。文法はあらゆる学問の中でも、もっとも孤独でさびしいつつましい学問である、とも教授は定義した。戦前戦後を通じて当にその態度で春庭を調べた、記録と記憶の書物上巻〉上巻441ページ、ずっしりである。本居宣長が『古事記伝』を上梓するのに40何ほど掛けたとのことだが、著者が春庭に関心を抱いた青年期から本書刊行までも有に30年を超える。その間には大陸と大国との戦争、敗戦、職の変遷もあったに関わらず。卒論研究を春庭と定め、松阪の古本屋では店主と懇意になり、関連資料を渉猟し、気になる資料の著者や宣長末裔を東京に訪ねる、大学図書館を訪問するなど、実に熱心、活動的だ。後の新聞社勤めもむべなるかなしかし何より歌の人、なのだなあ。本文中にも登場者の和歌が沢山引用されるが、私なんぞ和歌音痴で、どこが良いのか悪いのかもさっぱり分からない。足立大人の仰るには、素直な心が真っ直ぐに反映して、その人となりを浮かび上がらせる、そのような素朴な味わいを是とするようである。それが日本のうた、であるようなのだな。ああ、ああ思いだす。私が今一つ苦手に感じた、瞼を伏せることなく凝視して、何でも有り体に話す叔母のこと。その様子を見ていたのか、ある日父が、「お前はあのおばさんをどう思うか?と聞いた。あの人は生まれたまんまのようなところを持っているね、あの人は俳句?短歌?がよく新聞に載っているのだよ。」へー!驚きだった。そんな文化的なことからたいそう距離があるように感じられる人だった。父は続けて、どこそこのお寺のお坊さんが何やらめかして手提げなど持っていそいそ歩く姿を見かけ、どちらへと尋ねたら、ええ句会の集まりでとのことだけど、あの人の句を新聞で見たことは一度もない、と苦笑したのだった。まだ中学生にはなってなかった頃歌とは素朴な、見たまま正直な心がうたうもの、と知った初めで、理屈好きが芽生えていた私にはそんな素朴さは遠いもののように感じられた。今なら私自身はうたえなくても何となく共感できる。そんな朧げな先の先で宣長も振動している。のだということが。本書は宣長の異様な二つの葬列、そのことが処世家宣長と学究者、詩人としての宣長を解く鍵として小林秀雄と同じく、それから筆を始める。著者自身の特殊な学生時代と並行させながら。彼の国学の学生時代と宣長の過ごした松阪、鈴屋、山室山は、ぴたり空間が重なり合うのである。ーー宣長没した陰暦九月二十九日を陽暦に置き換えたまま、全校揃って山室山奥墓に参拝するのが年中行事であった。夜明け前に学寮を出発、サクラの苗木を載せた荷車を先頭に隊列を組み校歌寮歌を合唱しながら伊勢街道を松阪に向かう。宮川を渡った辺りで夜が明ける。そこから松阪までは20キロ、明野の陸軍飛行場を過ぎ、明星、斎宮、櫛田といった村々を過ぎる。 現つ御神 高知らす国は 天つ日嗣 神こそ守らせ 遠つ祖の雄心伝へて 今も人の神習ふ国ぞそんな校歌を歌い、松阪に着くのはいつも十時半頃、そこからいよいよ山室山をめざす。ーーこんな著述に重ねて、当時の記録を紐解き、宣長の葬列の場面が出てくる。それからふと蝉の鳴き声でも聞こえ出すように、本の中の現在に戻る。ーー学生が詠進した和歌を三十首ほど冷泉龍朗詠で読み上げる。大いなる安けさに似たるもののあり 神に近づく吾なるらむか 祝日古山室は高からねども頂きに登れば見ゆる 伊勢の国原 治壮など。ところで、わたしたちの前の奥墓は宣長が『遺言之事』で残した設計図とはずいぶんちがう。…宣長が遺言で感動的に述べた簡潔美はない。宣長は石垣はもちろん、篤胤の石碑にさえ、いやな思いをしているのにちがいない。ーー宣長への理解が篤いのである。全ての描写が目に浮かぶようであるのが、歌を読む人らしい。 さてさて、熱い方の平田篤胤が本書最後半に、過剰な熱量を発して登場する。その登場はまさに風雲急を告げる黒船の煙もくもく、のごと。天皇復古、尊王攘夷、錦の御旗、廃仏毀釈の暴力へ人びとを雪崩れ込ませたあと、悪夢から冷めたように神道は卑小化させられ、諸外国からお雇い教授が当節のハイテク技術を指導しに日の本へ招聘される。帝国ホテルのすぐ脇には鹿鳴館なる上流の社交場ができて、ツイこの前ちょんまげ落とした頭にシルクハットを被るのかは。
2024.10.07
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2024/10/07/日曜日/山は午後から晴れ先月の9/23/月曜日岡谷のイルフ童画館で、先だって見逃した堀内誠一展が開かれていた。残念なことに限られたものしか撮影できないが、堀内誠一さんの複雑さと単純さが、越し方を通じてよく伺われる、小さな回顧展だった。雑誌のエディトリアル、ロゴデザイン、絵本の挿絵、旅ガイド、ミニコミ誌、油絵なども。戦後、ようやく日本が意匠からデザインへ飛び出した頃、そこに堀内誠一さんが伴走していた。↓瀬田貞二さんと並ぶ堀内さんは、まるでクロード・ルルーシュみたいだ。パリジャン過ぎる。中左のミヒャエル・エンデと瀬田さんが似ている。中右、永遠の美少年二人?下左、奥様が編集者で堀内さんの世界は福音館や瀬田さんに広がった。妖艶な母にして中也の如き父。若い頃のお味長旅でトーマス・クックとこれと、『ヨーロッパの建築案内』?は私のたびの友だった。特にこの頃、私の感性は堀内さんとピッタンコ!と言えるほど共感していた。そのガイドブックには当時の落書きやメモが残るその後も『ぐるんぱのようちえん』や『ロボットかみい』『人形の家』や『マザー・グース』でお世話になった。イルフ童画館で買った↓を読んでみると、老化の過程?で私は堀内さんとは少し違う道を歩いてるんだな、と感じたけれど。↓手拭いと絵葉書をたいてい買う。堀内さんならではのコレクション。フラシ天のお人形は入手できなかった?四谷シモン的なのは私は苦手、羊毛のが好き↓こういう容器を大切にしていた堀内さんの世界ソビエト、キエフとある。こんな所にまで出かけていたのか。殆どノマドのようであるが、自分は農耕民族、の自覚をお持ちだった。ここはもちろん、武井武雄のは美術館。3階が常設になっているようだ。とにかく常に何かを製作し、楽しんだひと。遊びをせんとや生まれけむ〜
2024.10.06
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2024/10/04/金曜日/時々青空のぞく九月はありがたいことに7回もお蕎麦が頂けた。⑦くろべえ 初訪問北杜市5人以上は予約がないと入れないとか、大盛り注文できないとか、人気店らしくあれこれ工夫して一人二人のお客さんを大切にしてくれている模様。⁉️なんと画像取り忘れ(T ^ T)↑気がついたらあとの祭り蕎麦の外皮も砕かれ田舎仕上げだがその分ツナギの小麦が必要なんだろう、二八。大盛りでなくても量は170gはあるのでは。ざるそば900円。太幅の刀削麺みたいな一枚が上に乗ってくる。これは塩で味わいましょう、かな?その前に、蕎麦羊羹?甘いのでデザートがよいかも。↓え、野菜天ぷらがお得過ぎ⁈やら、黒あわび茸に目を奪われてレンコン頼んだつもりが、かぼちゃ注文してたり。で、画像忘れぱくつく。カボチャが残り、ハッとしてスマホ向けるという(T ^ T)おつゆが甘すぎるかなー天つゆが濃くなったみたいな味だけど、蕎麦湯で割ればカツヲは香る。窓外の風景がご馳走でした
2024.10.04
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2024/10/04/金曜日/間欠泉のように雨がふるああ、月日の過ぎるのが早すぎる。既に10月,先月の手芸クラブは職員さんを講師に裂織を楽しんだ。↑こちらは富士見町の歴史民俗資料館で展示されていた本格的なもの買えばお高い∑(゚Д゚)工芸品、である。横糸はこんな感じ↓割いた布の幅が均一!さて。私たち、である。適度な大きさのダンボールの天地に7ミリピッチで1㎝弱の深さの刻みをハサミでじょきじょき入れる。これで織り機は完成o(^o^)oわーい。↓上下に縦糸をかける。後ろには渡さない伸縮性の糸は向かない。綿が向いている。これは後ほど知ることになった。アクセントのある糸も面白い仕上りになるかと期待したが仕上の糸結びの時、やわ過ぎてちぎれてしまった(T ^ T)↓裏はこんな感じ、マスキングテープで端を止める↓横糸を渡しやすいように割り箸利用。横糸を詰めるためにフォークも利用∑(゚Д゚)途中経過の画像を忘れた!綿糸で4段くらい、捨て糸渡しをしておく。これだけは木綿たこ糸一択。面の仕上がり後に解く。↓その作業が済んで、いよいよ段ボール織り機から縦糸を外す。縦糸を2本ずつ、玉結びの要領で結ぶ。この時、縦糸が弱いとしっかり結べない。破れたシャツやワンピースでコースターや花瓶敷き、マットもできる。横糸というか横紐のつなぎは、次の段で飲み込むとか、下の段で潜らせる。↓右コースターも実は裂織り。日本手ぬぐいの染色作家さんの仕事。アトリエラヒヨさん。手拭いを作る作業で、織キズや染色ムラのあるもの、いわゆるB反を美しく再利用とは素晴らしい。横糸を渡すリズムもそれぞれなんだなぁ。これらは↓ヒナタノオトさん@浜町、で購入ついでに帆布製トートバッグも奮発。12年ほど使用のトートもツイにコードのパイピング部分が破れ。長い間、よく働いてくれました。ありがとう!把手は部品として残しておく。ゴミ箱に入れるのは忍びない、せめて紙にくるんでお棺代わりにする。南無、成仏。勢いづいて、40年前ポルトガルで買ったお気に入りの布袋も把手のみ残して処分。昔、欧州旅の間ずっとこれを片手に持ち歩いた。口が広いので中が一目瞭然、そして軽くて丈夫で何とも愛らしい。トーマス・クックのタイムテーブルもここに入れていたのだった。乙女の姿しばし留めむ。しみじみしつつも前に進むワタシ、なのだ。後退りながらすすむ。背中は温かい、前は明るい、いざ。布のトートバッグに、例の裂織をざくざく縫い止めてみる。花とクキと根っこ⁈今度の手芸クラブにはこれを連れて出かけよう♬
2024.10.04
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2024/10/01/火曜日/晴れたり降ったり〈DATA〉出版社 小学館著者 椹野道流 ふしのみちる2023年4月25日 初版第1刷発行〈私的読書メーター〉〈あら楽しや。著者はミステリー作家として中堅ともいえる元お医者さん。その経歴も中々読ませるが。新年に親戚一同揃った席でお祖母様が放った一言は瓢箪から出た駒、ロンドンへのゴージャスツアーと相成りぬ。携帯電話普及し始め、と文中にあるからバブル終了直前頃か。ファーストクラス利用でおそらく、クラリッジスのセミスイート5連泊!アテンドする孫=著者、の二人分という天文学的財政出動!って話がそこに流れぬよう、実に著書は賢明な立ち位置をキープ。オリエント急行、アフタヌーンティー、オペラ座の怪人、おお、ベルエポックの響きよ。〉ロンドンのホテルといえば。前々回に宿泊した、10年はどっぷり前のロンドン。ホテル代の値上がりにびっくらこいた。大英帝国博物館にも行きたかったので、その近所のちょいクラシックなホテルを選んだ。ヨーロッパのホテルは二人でお泊まりが基本設定。二人ならば納得できるが一人一泊3万円ほどもする。それでも廉価な方である。これ以上安いと不便とか治安とかに支障が出そうで仕方なくそこに2泊した。クラリッジスなんざハナから縁がない。ビンボーが誇りである。ビンボーといえば音が似ている!林望先生ゆかりのボストン夫人のマナハウス。そこを訪ねるのがロンドン滞在の目的だった。『グリーン・ノウ物語』作者はパッチワーク作家としても著名で、お屋敷でその作品が見られるのだ。メール予約を入れたら、管理人である夫人の娘さんから返信があり、その日は日本人撮影クルーの予約で貸切とのことだった。親切にも他の日を提示されたが、飛行機乗り換えのストップオーバー2日滞在は動かせない。それでマナハウスのあるケンブリッジに対抗して急遽オックスフォードまで列車に乗った。オックスとは雄牛の事、雄牛が渡れるほどの池、が地名の元らしいことをその時知ったような。オックスフォード大学教授のトールキンがやがて袂を分かつ、ナルニア国物語のルイスと毎日のように語りあったパブ、the eagle and child。『指輪物語』ファンとしてはこれは避けて通れぬ。コーヒーは無いという。コーヒー味のビールならあるという。ほんまでっか。ぬるいコーヒーライクなビアをちびちび飲む。大学ではハリーポッターで有名な、あの図書館のツアーが時宜を得て開催中。英語があんまり分からないけれど参加しても良いのか聞くと、楽しめるからどうぞどうぞという。とんでも無く厳かで古めかしく、まるでゴチック礼拝堂な館内に、革装丁の分厚い本がずらりと。これら資料をいついつまでには全てデジタル化とか、大学キャンパスの地下道に延々と資料が蔵書されている、みたいな説明があったような…オックスフォード駅側の全天候型マーケットの迷路が楽しかったなども重い出される。歩けばミステリーが似合う風景に何度も出くわす、学生と教授と観光客と個人商店主たちの、こじんまりとした、緑豊かな古い街が今も目に浮かぶ。その後のロンドンへの娘とのミュージカル旅もあったけれど、何も庶民の倹約旅であることに変わりはない。ところで祖母姫と秘書設定の孫娘のお世話をするバトラーという存在。長い人生からみれば、ほんの一瞬のようなロンドン滞在を特別な永遠に変えた、バトラーというものが英国の伝統的なホテルにはあるのだ、ということ。まるで一幕のドラマを見るような。そこで秘書である著者はお姫さまとして遇されていますとも。貴女の望みを言ってください。私はどうあってもその望みをかなえます。バトラーという知恵も教養もある男性からそう言われてどう返答するか。そこに姫の姫たる所以が結実した、姫の誠がなければバトラーもバトラーとして成立しない。そんな文化なのである。
2024.10.01
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