海外ドラマ 0
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目の病気になり、ひどい飛蚊と怖い網膜裂孔を抱え精神的にかなりまいっていた頃のあれこれ。生活の変化としては…仕事を辞めました。運動(バドミントンその他)を辞めたこと。読書も車の運転も激減したこと。部屋を暗くしてテレビばかり見ていました。一番ショックだったのは強度の近視の人間は失明率が高いと知らないで生活していたこと。強度の近視って網膜が薄い。白内障も緑内障にもなりやすい…そうなんだ・・失明ってあるんだ…再認識しましたね。落ち込んだ・・クリアな視界にたくさんの大きな飛蚊が絶えずあることが受け入れられず、また、全体的に網膜が薄いからまたどこか破れかけているのではないかという恐怖が大きかった。網膜が薄いということはテレビを見たり本を読んだりすることは構わないけれど飛んだり跳ねたり体を大きく動かすことが網膜剥離につながる。特にバドミントンのシャトルが目を直撃したら一発失明だとドクターストップ。しても良いけど責任は持てない。との先生の言葉に辞めざるを得ませんでした。読書も、車の運転も目を動かすと飛蚊が追いかけてきてうっとおしくて遠ざけていました。そんな時に親しい友人に「大丈夫よ、不幸には慣れるから・・幸せなほうが怖いのよ」と言われた言葉が今でも身に沁みます。そのころはぴんときませんでしたが、人はだんだん不幸を受け入れる。そして、2年くらいで飛蚊が全く気にならなくなりました。見たらうようよしてるんだけど、脳が嫌なものを見ないようにするようですね。飛蚊が増えたと神経質に訴える私に医師が言った言葉。「暇だから気になるんだよね。僕なんかたくさんあるけど気にする暇がない」開眼!落ち込んでいた時に紹介された心療内科にも行きました。知り合いが私が落ち込んでいるから無理やり予約までとってくれて仕方なくいきましたね。自分でわかっていたんです。飛蚊が治らないのに心がなおらないよね・・・って。医師は何種類かの薬をくれましたけど何の役にも立たず…かかりつけ医にその話をしたら「大丈夫だよ。僕の妻も母親も同じだけど飛蚊は無くなりますよ・・」そんなわけないと思いながら涙出たなぁ。心療内科の医師の言葉は一つも響かなかったのに、かかりつけ医のその根拠のない励ましがありがたかった。結果的に、飛蚊は治りませんが気にならなくなり、網膜が薄いのも忘れてる…何年か前に瞳孔開いて眼底検査した時に「残念なことに治療すべき個所は一つもないけど、どこが破れてもおかしくないくらい、全体的に薄い…」と言われてから逆に開き直って気にしないようになりました。それから眼底検査は一度もしていません。それと大きな変化はコンタクトを辞めてメガネにしたこと。何かが目に当たったら網膜が破れると思い、防御の気持ちでの眼鏡。それに黒いクリップをつけて外ではサングラスにしてた。もう見た目はどうでもよかったのね、強度近視だから厚い眼鏡で不細工極まりなかったけど。メガネの時代が長い間続きます…・・
2020年07月08日
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レーザー手術をしてくれて、手術後も定期的に私の目を見てもらっていた女医さん。でも、彼女があまりにも安易に「網膜に厚く膜が出来たら手術ですね。」と口にしたことで彼女に対する信頼が薄らいだ私は、同じ眼科の院長先生に見てもらおうと次に病院に行った時に、看護師さんに「今日は院長先生に見てもらいたい」と頼んだのです。院長先生はそのころ60代後半ではなかったでしょうか…希望の患者さんが多くて、待ち時間は長くなります。だから、指名しないと新患はたいていほかの医師に回されるのです。私と向き合った院長先生が開口一番に言った言葉を今でもはっきり覚えています。「僕はね、あなたを初めて見るからね、新患としてきっちり検査させてもらいます。」そして瞳孔を開いての眼底検査・・それは、今までの女医さんがしていた検査と比べ物にならないほど丁寧なものでした。その分自分の目の静脈とか見えて怖かった~。すごくきちんと見た後の先生の言葉で唯一覚えていることは‥「網膜に膜なんか全然できてませんよ。」嬉しかった~。それにしても、医師の診察の違いってすごいですよね。3人に見てもらった私の目。一番頼れる先生、院長先生との付き合いはそれからずいぶん長く続くのです。
2020年07月06日
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網膜裂孔のレーザー治療の後のことは細かく正確な機関は覚えていないのですが、最初は1週間後、次は3週間後というように定期的に通院して、そのたびに瞳孔を開いて眼底検査をしていました。この眼底検査というのは結構精神的負担が大きい。視野にはうっとうしい飛蚊、バドミントンも怖くてできない。明るいところにいると飛蚊がものすごく目立つので日当たりのいいところが嫌になる。仕事だけは行っていました。それと、家ではずっとネットで目の病のことを調べていました。おかげで相当目の病気には詳しくなりました。どうしても物が見えずらい。と医師に訴えたのは一月後くらいだったでしょうか。その時の女性医師の一言。「網膜に膜ができてきているのでしょうがないですね。いざとなったら手術・・・」その言葉には結構打ちのめされました。網膜の手術ってね、もう失明覚悟ですよ。目の奥だもの。ネットでその膜を取り除く手術の知識も持っていましたから目の前が真っ暗って気分なのに、医師は軽い調子で「手術」と言う。どよ~ん…として帰宅したのを覚えています。
2020年06月21日
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網膜裂孔のレーザー光凝固手術・・・16年前の話ですがまず、麻酔の目薬をさされました。そして丸い筒を角膜に入れます。そこからレーザーをバンバン撃たれるのです。動かないように・・・・動くと的がはずれるから?私はくしゃみだけはしてはいけない。と怖かった。何故だしょっちゅう突然くしゃみするから…バンバンバン!何発打たれたかどれくらいの時間がかかったかは忘れましたが、直後に右目を開けたら目の前が真っ暗でそれも怖かった…少しずつ見えるようになりましたが。人生にこんな出来事が降りかかるとは。。。と心の中でずっと思っていました。施術が終り帰るとき、「支払は次でいいですよ。」と会計でいわれていたら一緒に来てくれた友人が「私、持ってるから払っておこう」彼女は何かあった時のために、小さながま口に3万円入れて持っている…と言うこと。小さく折りたたんだ1万円を3枚貸してくれたのでした。それから一週間後・・・3週間後・・と定期検査が続くのです。
2020年06月19日
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突然の飛蚊症が現れて3週間。その間、飛蚊ばかり見てました。左目にも同じようにたくさん現れました。右目ほど大きくゆらゆらはしていませんが、それまでなかったものが急に現れた…そういう中で、仕事もしてバドミントンもしていた。そして、3週間後、「飛蚊が大きいから念のために3週間後に来てください。」と言われていた眼科に行ったのです。その日は眼底検査をすることがわかっていたので友人の車で連れて行ってもらいました。結果は…網膜裂孔。網膜が一部が裂けていて、そのままにしておくと網膜剥離になる一歩手前。と言うこと。治療法はレーザー手術。網膜をレーザーで網膜を凝固させるということでした。「いつされますか?」え~!いつ剥離するかわからないなら夜も眠れない。「すぐのお願いします!」「料金は保険がきいて3万円になります。支払いは後日でもいいですよ。」すぐにお願いしたのでした。
2020年06月18日
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眼科で加齢による自然現象でしょうけど飛蚊が大きいので3週間後に来てくださいと言われて帰った日。もうね、目の前にゆらゆら揺れる黒い影は私の心を打ち砕くものでした。前の日までクリアに見えていた世界に黒い悪魔が見えてる感じ。四六時中そればかり見てました。バドミントンの許しは出たのだけれど、バドミントンは激しく動くシャトルを目で追ってラケットを動かす。…一番目を動かすスポーツかもしれません。飛蚊が気になり集中できない。だから調子が悪い。本当にへこみました。職場で一緒だった一番意地悪な先輩が、そんな、人の不幸ごとのときだけ電話をかけてきて「無理をするな‥ほかの眼科にもみてもらったら?見落としがあるかもしれんよ」なんていう。嫌いな先輩の助言でしたが、なるほど。と思い、次の日に別の眼科でも同じように見てもらいました。そこでもやはり、「加齢による自然現象です。バドミントンはしても良いですよ。もう来る必要はありません。」と言われたのでした…「加齢によるもの」でも、黒いものは無くならない…そんな状態。その時はずいぶんネットで目の病気のことを勉強しました。目ってやはり大事なんですよね。
2020年06月15日
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大きな海草のような飛蚊症が出た私は職場を早引けして地元では一番大きな眼科に向かいました。着いたのは11時くらいだったでしょうか。その病院には2・3人のお医者さんがいるのですが、その日私を見てくれたのは30代半ばの女医さんでした。初めての眼底検査です。瞳孔を開く目薬を差し待つこと20分くらいでしょうか。飛蚊は右目でしたが両方の目の検査をしました。目に小さな顕微鏡みたいなのを入れて大きく上見て右見て下見て左見て・・・斜め見て…怖い怖い。診断結果は「加齢による自然現象でしょう。」少し安心。「飛蚊症は治りません、形を変えることはありますが…」えっ?この海草を見ながらの残りの人生になるの?「ただ、飛蚊が大きいので、念のために3週間後に来てください」私は一番気になることを聞きました。「せんせい、バドミントンをしても大丈夫でしょうか?」週に多い時は4・5回は楽しんでいたバドミントン前の日曜日には試合で優勝して大喜びしたバドミントンです。先生は「かまいませんよ」それはホッとして病院を後にしたのでした。
2020年06月14日
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あれは16年前のゴールデンウィーク明けの事でした。職場の朝礼の時に、それは突然に登場しました。上司の話を聞いていたら、右の目の前に大きな影がゆらゆらと…・飛蚊症というのは蚊が飛ぶように水晶体のごみが目を動かすとともに動いていく。。。加齢による自然のものがほとんどだということですがその瞬間まで私の目には蚊は存在しませんでしたし、その影は蚊なんて言うものではなく海草がゆらゆらしているように目の中を動いていました。一瞬これは何だろうと考えましたが、あぁ、これは目の前にあるものではなく目の中にあるものだと気づいたとき、その時の場面や気持ちを昨日のことのようにはっきりと覚えています。これは怖い。。。と職場を早引けして午前中に眼科に飛び込みました。この時に行くまで、眼科にはほとんど縁がなかったのです。そして、それから、私の長い眼科通いが始まります。
2020年06月12日
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メガネからコンタクトレンズに変えたのは高校1年生の終わりでした。近くの席の友人がしてたのを見て、いろいろ聞いて私も親にねだったのでしょうね。当時はハードコンタクトしかなくて、ものすごく値段が高かった。無くすなんて死活問題でした。目の違和感に完全になれるまで3年くらいかかった。授業中に黒板を見つめているとどうしてもつらくなり、コンタクト出したり入れたりしてたなぁ。大学に入り本屋でバイトするようになってからいつの間にか違和感全く消えて調子よくなりました。高かったから、無くすと捜すのに必死。あの頃はみんなそうで誰かが落とすと「動かないで!」と言いながら全員でそろりそろりと捜します。見つかったら拍手喝采!私もよく無くしました。使い始めの頃、高校の朝練で体育館でランニング中になくして先生も協力してみんなで探していたら、目の中でずれてただけだった・・ランニングをしなくてすんで友達からは感謝されたなぁ。大学の学園祭で暗くなって出店の近くのキャンパスの芝生の落とし見知らぬ人たちも協力して、暗闇だから車のライトで照らしてくれてみんなで探して見つかって大喜び。はめようとしたらまた落として。。。。それはすぐ見つかったんだけど、2回目は私の目に入るまでみんな注目。はまってから万歳しましたねぇ。それくらい、高価だったし、それが常識でしたね。コンタクトをなくして落ち込む夢を何度も見ました。今はハードコンタクトレンズ安くなりましたよねぇ。そして・・ハードコンタクト生活がずっと続くのです。
2020年06月11日
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私の視力が悪くなったのははっきりしないが小学5年生くらいではなかったかと思う。幼少期から本を読むのが大好きで本ばかり読んでいた。早く寝るように親から叱られ、お布団の中でこっそり読んだりしていた。それが理由なのかもしれない。両親も妹も目は悪くなく私だけが悪かったから。目が見えないことは親にはずいぶん長いこと隠していた。小学校の健康診断でばれなかったのは、視力表を覚えていたから。上から「く・こ・し・に・と・り」今でも覚えている。今、字ではなく円のどこが開いているかを言うように変わったのは私みたいな姑息なことを考える人がいたから…かも。ばれたのは授業中。算数だったと思う。座席は後ろのほうでしたが簡単な問題を当てられて「わかりません」なぜなら問題が見えなかったから。それに、そのころには視力表を刺す棒の先が見えなくなって姑息な手段も取れなくなってたから。で。。。5年生かな、メガネをかけ始めた。それから、高校生までメガネ生活が始まる。視力はどんどん悪くなりあっという間に0.1をきってしまうのだ。「もし、3つだけ願い事が叶うとしたら・・」良く昔考えていたこと。その一番は「目が良くなりたい」いつもそうだった。
2020年06月10日
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夕べから腰が痛い。3日前に少し違和感がありアイシングしたら次の日は調子よくなった。ここで油断して、たくさん買い物したり、美容院に行ったり、花の植え替えしたりして無理をした。そうしたら、それまでなんともなかったのに、夜中から歩くのもしんどくなりアイシングして寝たのだが、痛みで明け方まで眠れなかった・・・今日は朝のゴミ出しの日。7時に息子の気配で目が覚めた。あわてて、携帯で一階にいる息子に携帯電話をしたら「早くゴミの用意をしろ」という。「どんな具合?大丈夫?」なんて心配な言葉は何もない。会社に行く時間に言わないで何故夕べの内に言わなかったのか・・・などとぐずぐず言う。私は痛い腰にいらいらして「もう捨てなくていい!」と電話を切り、悔しさと情けなさに涙が出た。しばらくしてよろよろと下に降りたらゴミは捨ててあった。ゴミ箱は転がっていたけれど・・今までこんなことが何度あっただろう。そのたびに私はうんざりする。そして、あんな優しくない人間に育てたのは私であり、何も期待するものではない。その代わり、金輪際、彼が困ったときに手をさしのべないと決心するのだ・・こんな風に思うのに、やはりいろいろしてあげてしまうのは親だから。でも、今は頭にきているから、金輪際!と思うのだ・・・私は勉強する。人は困った時、苦しいときに受けた優しさの恩を忘れないものだ・・・そして、それ以上に受けた冷たさをけして忘れないのだと・・・
2017年07月07日
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実はこの本のサブタイトルに今の私にはとても魅力的な一文がありました。手に取って読んでみると驚きました。爪を2分間一日2・3回もむだけでいろんな病気が改善すると言うではないですか!(ただし、薬指はもんだらいけないそうです)「免疫力が高まり病気が逃げていく!いつでもどこでもできる簡単健康法」これならできそう。続けなきゃ。それで気になる症状が改善したら改めて報告しますね。
2011年01月22日
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昨日のテーマはコレステロール。2年ほど前から徐々に高くなり、後の数値は安定してるのにコレステロールは相変わらず高めで、なかなか下がらなくてどうしたらいいんだろう・・・と思っていたんだけれど女性には朗報のお知らせがありました。女性は閉経まで低い状態なので、その後に数値が高くなっても糖尿や高血圧を伴わなければ、ほとんど気にしなくていいんだって。やった~
2011年01月20日
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