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「熊襲の穴」で出てきた六観音池を紹介しましょう。写真は白鳥山から写した六観音御池です。きれいなコバルト色の池です。新燃岳の火口湖も同じような色をしていますが南国の海を思わせる印象的な水面です。深さが14m、周囲が約500mです。えびの高原のビジターセンターから池めぐりのコースをたどっていくと、白紫池、六観音御池、不動池と回っていきます。白紫池のところから白鳥山に道をそれて六観音御池へ降りていくコースもあります。池めぐりで90分、白鳥山経由でも2時間のハイキングコースです。六観音御池の辺に展望台が設けてあり韓国岳を望むことができます。その展望台の近くに小さな社と大杉があり、良い休憩所になっています。その社にある説明看板に白鳥に化した日本武尊の話のっています。白鳥山の名もそこから来ているのかもしれませんね。後ろの山は甑岳と夷守岳です。甑岳は山を途中から横に切ってしまったような変な形の山です。頂上は真平らではなく火口になっています。甑岳の火口は水溜りのような小さい池と草原です。火口に降りて見ましたが綺麗でしたよ。甑岳に登るには不動池の辺から入っていきます。登り始めまでの山道がとても綺麗ですきです。私のお気に入りの場所です。
2005年12月24日
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昨日は雪で大変でした。雪になれていない南国人はチェーンなど持ち合わせておらずいたるところで車が乗り捨ててありました。霧島の山々に行くと楽しいのでしょうが、しばらくは近寄れません。せっかく3連休に雪が降ったというのに、ちょっと降りすぎです。韓国岳は1700mですが、登山口が1000m程度あり登山道も良く整備されているので登りやすい山です。天気予報で「山沿いは雪でしょう」と言ったら、韓国岳はたいがい雪化粧です。そんな時を狙って霧島に車を向けるのです。なるだけ早く行って、誰も踏みしめていない山道に足を踏み入れるのが好きです。昨年は登山道の脇に鹿がうずくまっていました。人なれしているのか、こちらを見上げるだけで動こうともしません。よほど寒かったのでしょう。
2005年12月23日
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昔話は大好きです。大好きな坂本竜馬さんや竹中半兵衛さんの時代も好きですが、実はもっと、もっと昔の頃が大好きだったりします。今日の主人公は日本武尊。霧島連峰麓の妙見温泉を車でいくと「熊襲(くまそ)の穴」という大きな看板が目につきます。ここはハヤト族の祖先である熊襲の首領が住んでいたと言われている場所です。熊襲の首領といえば大和朝廷に叛き、日本武尊が征伐したカワカミタケルでしょうか。道沿いの看板のところから80mくらい登っていきます。入り口は、かがまないといれない位の狭い入り口です。はいる前に右手のスイッチを押しておきましょう。忘れると真っ暗な洞窟にはいることになります。洞窟内にはいると色とりどりの壁画が出迎えてくれます。原色に彩られた壁画は、ま・さ・か・当時のものではないでしょう。熊襲と呼ばれていたのは5世紀の頃ですからね。しかし、入り口の狭いのですが中は思いのほか広いです。100畳くらいはあるのでしょうか。想像以上の広さに、想像外の壁画が現れてビックリします。おくにはもっと広い洞窟があるそうですが、今は崩落していけません。 さて、ここで起こったという事件は・・・。その頃、大和朝廷に逆らっていた熊襲を征伐にやってきたのが日本武尊ですよね。熊襲の首領はカワカミタケルという大男だったということです。日本武尊は単独で征伐したのですが、少々卑怯な方法だったとか。女装して酒を勧め、酔ったところで隠し持った刃物で謀殺・・・。しかし、カワカミタケルは瀕死の中で日本武尊に自分の名を贈ったそうですね。それまではオウスノミコトだったんだそうです。う~ん、だまし討ちに近い殺されかたなのに・・・。理解できない・・・。その日本武尊も父の景行天皇に疎まれて悲劇の英雄として名を残すことになります。日本武尊は死んで白鳥となって飛び去ったと言い伝えられていますが、その白鳥が霧島の六観音池に姿をあらわしたと池の辺にある小さな社に記してありました。六観音池も深い緑色をした綺麗な湖です。大和と熊襲の争いですが、その元はずっと遡り神代の時になります。山幸彦と海幸彦の物語です。この兄弟喧嘩に勝った山幸彦の末裔が天皇家・大和朝廷になり、負けた海幸彦の末裔がハヤトの民になったとか。700年頃にハヤト族が朝廷に逆らい討伐されたと記録に残っています。その時の首塚といわれる隼人塚も近くにあります。山幸彦の御陵、お墓は鹿児島空港の近くにある上屋山稜です。山幸彦こと彦火々出見命は初代天皇、神武天皇のおじいちゃんになります。上屋山稜の紹介もそのうちに・・・
2005年12月17日
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今日はとっても寒いです。今年は暖冬だと聞いて安心していたのがいけませんでした。ちょっと風邪気味です。雪がちらちらしていたので、きっと山の方は雪化粧でしょう。寒くて外にでる勇気がありませんが・・・南の人たちは雪になれていません。ちょっと雪がふると大変です。車はいたるところで立ち往生です。ほとんどの人はチェーンなんて持っていません。持っていてもつけ方を知りません。雪道を運転するなんて年に何度あるかな~。たぶん、来年も同じ慌てぶりでしょう。雪が降り始めると子供はもちろん、大人も変になります。ちょっとでも積もれば、もう、大いに変です。そんなところですから、雪化粧の山に登る機会は少ないです。雪が積もっても数日でなくなります。うまい具合に週末近くに雪がつもったら、出かけて行きます。銀世界の山は本当に綺麗です。皆さんのブログで冬山の記事を見かけるようになりましたね。南国の地からすると、トンでもない感じですが、皆さん楽しそうです。羨ましいですが、たぶん、冬に北国方面にはいかないでしょう。寒そうです。
2005年12月13日
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「そらきゅう」といいます。飲兵衛の考えそうな発明品です。とても使いにくいぐい呑みなんです。わざわざ円錐型につくってあります。なぜこんな形に・・・・杯を卓に置けない形にしてあるんです。持たされたらとっとと杯を開けて、他の人に回すしかないのです。極めつけは底に穴があいていることです。当然、焼酎がもれてきますよね・・・。だから指で塞ぎながら飲むのです。飲み終わるまで塞いだ指を離せない杯です。随分まえに酒屋さんで見つけて買いました。まだ使っていません。その内に誰かを捕まえて、使ってみようと思います。娘が男を連れて来たときにつかってみようかな~。最初は面白がるでしょうが、次のリアクションが楽しみですね。喜んで杯を進める輩か・・・、飲めませんポーズの輩か・・・。まぁ、どちらにしても随分と先の話です。新たな楽しみを思いついたとしても、実用的な杯ではないですね。今年の忘年会にでも持っていって、話題つくりにでも致しましょう。話題つくりで深酒にならないように・・・今日、訪ねた先で「一どん」を頂きました。面白い名前の焼酎でしょう。これが美味しいんです。ムフフ・・・嬉しい・・・
2005年12月10日
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霧島の山々の麓には沢山の温泉があります。新川渓谷温泉郷は霧島から新川にそって下ってくると途中にある温泉です。霧島の麓にある丸尾の温泉郷は白濁した硫黄泉が多いですが、このあたりになると硫黄分がすくなくなって色も薄くなってきます。新川渓谷温泉郷でも蒸留にある「塩浸温泉(しおひたしおんせん)」は古い温泉で1800年頃に発見されたとあります。ここには坂本竜馬・お龍の二人が訪れたでも有名です。二人が逗留したという塩浸温泉には二人の銅像が立てられています。川の辺には竜馬湯治の湯船と立て札のある湯船?があります。今は川の辺に下りる路も無く入湯することは出来そうにありません。もっとも行けたとしても国道が目の前にあるので入湯するには勇気がいるでしょうけど・・・。竜馬たちが西郷隆盛の誘いで鹿児島に向かった旅は、わが国最初の新婚旅行と言われているそうです。毎年2月には二人の足跡を訪ねる「竜馬ハネムーンウォーク大会」も催されます。 今は町営の施設で「塩浸温泉 福祉の里」として運営されています。施設は古くて綺麗とはいえませんが、温泉は古くから切り傷などに効くといわれている名湯です。施設の裏に古そうな湯船があります。湯船自体も黄色く変色しており良い雰囲気です。温泉ファンでひなびた秘湯、名湯を好む方にはお薦めです。坂本竜馬が傷を癒した名湯を堪能してください。おまけ・・・坂本竜馬のお話龍馬とお龍(おりょう)が鹿児島を訪れたのは幕末押し迫る慶応2年(1866年)です。明治維新が1867年ですので、まさに動乱の時期だったのでしょう。3月9日に寺田屋にて襲撃された竜馬は28日にお龍と結婚します。西郷、小松の薦めで傷の湯治のために鹿児島に向け出立したのは4月14日です。24日には鹿児島に着きこれから長崎に向けて出立する7月13日まで塩浸温泉を中心に鹿児島に逗留します。これが日本で初めてのハネムーンと言われる旅となります。逗留中に高千穂峰に登り逆矛を抜いてみたという手紙が残っています。あの逆矛はそのころから有ったのですね。この旅が二人にとって最良の時間で、つかの間の幸せとなったのでしょう。翌年の10月には体制奉還があり、11月15日に暗殺されます。竜馬33歳、お龍28歳の事です。
2005年12月04日
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