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漢字を習得するには、その意味を理解することは大切なことだが、実際には、その意味を十分に教えられないまま、勉強が推移していく場合は、少なくないのだ。一般的には、漢字を覚える時は、音読などで文章を読むことにより、その字の読みと意味を一緒に覚えていくことが多い。 この文章の中にある単語として、読みと内容を理解しながら読み取ることが十分にできていれば、次の段階である、漢字の書き取りの学習は比較的容易に進行する。しかし、それが不十分になっているケースは存在する。そのようなケースでは、この「読み」の練習を補う必要がある。 次に、「読み」と意味の習得を補いながら、漢字の「書き方」を習得する、効果的な一つの練習方法を紹介する。これは、以前にも紹介したように、私がこどもの頃にやっていた方法で、学童保育所でも実践していた方法だ。 それは、声に出しながら漢字を繰り返し、できれば30回くらいは繰り返すのが望ましい。例えば、以前に紹介した例のように、「水道」なら「すい」と言いながら「水」を、「どう」と言いながら「動」と、「水」と「道」をワンセットにして「水道」と書くことを繰り返すのだ。 さらに、意味の理解を補助する上では、「みずのみち」と言って「水道」と書く、この時「みず」と言いながら「水」、「の」を挟んで「みち」と言いながら「道」を書くと良い。その後で「すい」と「どう」の間を少し開けて、「すい どう」と声を出して言って終わる。これを必要回数繰り返すといい。 なお、これは小学生くらいで取り組み、中高校生以上のように、基本的な言葉(単語)の意味を習得済みの段階では、声を出さずに心の中で唱えながら書くといい。例えば、「憂鬱」なら「ゆううつ」と区切らずに、心の中で唱えながら書くことをくり返せばいい。(続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.30
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昨日、二つの単語の書取りの誤答の主な理由を紹介したが、実はこれらの理由から、そうなるような漢字学習の問題点が考えられるのだ。それは日本語が持っている特徴、単なる音声記号に近い仮名と、意味を持っている漢字の両方を文字として使用する特徴に起因するのだ。 こどもたちは、まず表音文字である仮名文字から学ぶのだが、この仮名は発音と文字が基本的に一対一で対応しているので、比較的簡単に文字を習得する。しかし、表意文字である漢字を学ぶ段階で、こどもたちは最初のハードルに遭遇する。音(おん)が単独で、あるいは複数合わさって、全く違う文字である漢字に対応することを覚える必要があるのだ。 さらに漢字習得に対して第二のハードルが待ち構えている。同じ漢字には、二通り以上の発音が対応していることに、こどもたちはある意味で戸惑うのだ。このように、漢字の習得は簡単にはできないのだ。 こどもたちがこうしたハードルを跳び越えるには、音の集まりが何らかの意味を持っていることは当然として、さらにその意味の内容も十分に理解していることが、必須条件となっているのだ。 ようするに漢字の習得には、その文字が指し示す単語の意味を理解することと切り離せないのだ。昨日の「水道」の例なら、「水道」が「水」を通す「道」であることを理解していないとダメなのだ。 それは、「すいどうの水を飲む」と言うフレーズでは、「すいどう」と言う発音は、けっして「水」が「動く」である「水動」ではないことを理解していることにもなり、そうした間違いをしないことにもつながるのだ。(明日に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.29
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「夏休み勉強会」では、学校で夏休みに出された宿題をやるのだが、保育師の私は、こどもたちみんなの宿題に毎日一通り目を通すようにしている。そんな時、三年生だったと思うが、漢字の問題で「水道」が書けてない子がいた。 三年生なら知らないわけでもないし、実際その子は「水」も「道」も書けるのだ。それにも拘らず、「すいどう」に「水道」と書けなかったのだ。一つ一つの字は書けても、単語としては書けないことが、なぜ起きるのだろうか。 そうなる理由は、少なくとも二つある。まず、漢字の読みには、訓と音の二通りあるが、その両方を使いこなせていないことだ。一般的に、漢字は訓読みから覚える傾向にある。それは、「訓読み」は日本語的な読み方であり、理解しやすいからだ。 だから、上記のケースでは、「水」は「みず」、「道」は「みち」として、「訓よみ」では覚えていても、それぞれの字の「音読み」が「すい」「どう」であることを、覚えきれていなかったことが考えられる。 次に、たとえ訓と音の読み方の両方をマスターしていたとしても、漢字が二つ以上合わさって単語になった時、同じ音の字が複数あった場合(ほとんどの漢字があてはまる。)、どの漢字か特定できないことが、単語としての漢字を正確に書けない理由となっている。 上記のケースで言えば、「すいどう」には三年生程度では、「水(すい)」は書けても、「どう」には、「道」の他にも「同」「動」などが思い浮かぶのだ。だから、かなりの頻度で「水動」と誤答するのだ。(明日に続く)「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.28
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これまでこのシリーズで取り上げてきた「夏休みの勉強会」での取り組みを、少しだけ詳しく紹介していく。夏休みの宿題や「百マス計算」をやっているこどもたちの様子を見ていると、いろんなことに気付くことがある。 その一つが、算数の足し算をやっている時に、周りの子に気付かれないように、机の下などに手を隠して、指を使って計算している子がいるのだ。もちろん、足し算を習いたての一年生だが、おそらく教師や保護者から、指を使ってはダメだと言われているのだろう。 このように、こそこそ隠れてやっているものだから、結果として間違った計算をすることも少なくない。これでは、足し算の習得すら難しくなる。そこで、「夏休みの勉強会」では、堂々と指を使って計算をやっても良いことを、みんなに宣言した。 その時に、こどもたちには、指を使って計算することは、けっして恥ずかしいことでもないし、先生(保育師の私)も指で覚えたことや、指を使ってまでして計算を覚えようとすることは素晴らしいことであることを話して聞かせた。 さて、何故この子のように、指を使った計算を恥ずかしく思うのだろうか、それは前に記した、教師をはじめとした周りのおとなたちの誤った考え方や接し方(教育方法)にあると思われる。「いつまで経っても指を使うのはダメだ。」と言う考えまでは良いとしても、それを恥ずかしいことだとして、こどもたちを委縮させてしまうのは問題だ。 早く指を使った計算から卒業させようと思う気持ちは理解できるが、こどもを焦らせてしまうと、逆効果になるケースも少なくない。そして、こどもたちが最初に計算につまづく例の一つがこのケースだ。 そもそも、十進法の計算は、人間の指が10本あることから生まれた。その計算を指で行うことは極めて合理的で科学的な計算方法なのだ。さらに、一人で10本、二人で20本となり、指を使った計算は、「桁」と言う概念を育む素地ともなる。 指を使った計算は、そうした合理性だけでなく、必ず指を使った計算を卒業すると考えていいのだ。数字と記号を使った計算が、より速く正確に計算できることを知れば、いつまでも指に頼る計算をしなくなるのも、極めて自然な成り行きなのだ。 ともかく、私の実践で言えば、夏休みの期間、それも実質的には、極めて短期間に、全てのこどもたちが指を使った計算を卒業していったことでも、この方法の正しさが証明できる。後は、「百マス計算」で反復練習をすれば完璧だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクトFC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.27
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【昨冬の積雪が異例に多かった道内の住宅地で、公園の遊具の破損が相次いで見つかり、各地で遊具が使えない状況になっている。降雪のほか、近くの住民が捨てた雪の重みが加わったことが原因とみられる。札幌市では、修繕費が例年の倍以上に膨らみ、5億円を超える見通し。留萌市では、遊具の撤去に追い込まれた公園も出ている。(中略)札幌市によると、今年の雪解け後に破損が分かって使用禁止にした遊具は697基に上り、前年度比約2・3倍。鉄棒のバーやブランコ周囲の安全柵が雪の重みで曲がったほか、今年はブランコの座板をつり下げる金属製の梁(はり)が曲がるなど、例年は壊れない部分の破損が続出している。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/北海道新聞:2013/06/25) 気象条件の違いによる、遊具の劣化・破損状況の違いを如実に教えてくれる記事だ。積雪による遊具の破損と言う、極端な例はともかく、遊具の耐久年数や点検間隔は、遊具が設置されている場所の、気象や土壌などの条件に大きく左右されるのは、ごく当たり前の事だ。 しかし、現実には遊具の点検間隔は、目視点検が月1回程度、技術者による詳細点検が年1回程度と、横並びのところがほとんどとなっている。また、対応年数にも違いがあるにもかかわらず、遊具の更新期間も、同形遊具で一律扱いとなっているところも多い。 そうした、遊具の設置場所による気象・土壌条件さらに、使用頻度によって、個々の遊具の劣化スピードは違ってくると言う、当たり前のことを考慮しない遊具の点検体制に起因する遊具事故は、残念ながら少なからず起きている。 ようするに、全国的・自治体的な規模で一律の点検間隔・点検項目を採用することは、極めて非科学的な、ある意味で「やっつけ仕事」的遊具点検となるのだ。本来は、個々の遊具ごとに点検スケジュールと点検項目を変えて行う必要があり、それ無しでは遊具事故は減らせないのだ。以上のような点を考慮した、自治体や民間施設などの、遊具の設置・管理者による、遊具点検が一刻も早く実施されるように願っている。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.26
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学童保育における夏休みは、たっぷりとした保育時間があるので、日ごろの保育で出来なかった様々な課題に対応することができる。その一つが、その当時(1980年代)でもすでにこどもたちの学力の低下が話題となっており、特にいわゆる「読み書き計算」である基礎的学力の低下が懸念されていた。 私の学童保育所でも、全員ではないが、一部に基礎学力に何らかの手立てが必要なこどもたちがいた。一昨日紹介した子のような極端なケースだけでなく、たとえば一年生では、一桁の足し算もマスターしていないこどもたちがいたり、三年生で九九が完全に言えない子がいたりした。 そんなこどもたちに、ある程度の対応を可能にするのが、夏休み中の「勉強の時間」だ。その時間で、毎年続けていたのが、近年話題の「陰山メソッド」でも採用されていた「百マス計算」だ。考えれば、30年近く以前から、私の学童保育所では実施していたのだ。もちろん、「百マス計算」は陰山氏の発案ではなく、その当時すでに岸本裕史氏により発案されていたので、それを採用したのだ。 その「百マス計算」で、一年生は一桁の足し算・引き算、二年生は二桁の足し算・引き算、三年生以上は九九を中心に、基礎学力の獲得・向上を試みた。ただ、一桁の足し算や九九が出来ないこどもたちに対しては、「百マス計算」以前に、足し算や九九を丁寧に指導した。 夏休みの「勉強の時間」を使った基礎学力対策は、「百マス計算」だけでなく、以前に紹介した、声を出しながら繰り返して文字を書いて覚える方法、教科書をそっくりそのままノートに書き写す方法などを採用して行った。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.25
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昨日紹介した、夏休みの「勉強の時間」で、読み書きが出来ない子に指導した学習方法は、学校から出されていた夏休みの宿題を活用した。字を覚えながら宿題もできるからだ。ただ、方法は特別の手立てを採った。それは、私がこどももの頃に自分自身で、漢字を覚える時に用いていた方法だ。 漢字に限らず字を覚えるには、一文字ずつ覚えるのではなく、簡単な単語にして覚えるのが効果的で、漢字なら「水道」、平仮名なら「あし」と、意味のある単語の構成要素として字を覚えるのだ。 さらに、声を出しながら最低は30回程度、紙やノートなどに書いて覚えることが大切だ。しかも、上記の「水道」なら、「すい」と言いながら「水」、「どう」と言いながら「道」と書いていくのだ。平仮名も一文字ずつ声を出しながら書いていく必要がある。 これは、発音と文字が一対一で対応して、なおかつその集まりが「水道」や「あし」という具体的内容を意味していることを実践的に覚えていくこととなり、音と文字の対応が未熟なこどもたちには有効な方法だ。 なお、夏休みの宿題に、字の練習が出されることがあり、例えば漢字の練習に漢字を10回程度繰り返し書くことがある。この時、上記の様な注意が教師から行われていないと、こどもたちは黙って、漢字を書き連ねるだけに終わっている場合がある。 これでは、漢字の形は覚えても、それがどのように発音されるのか、どういう意味があるのかを覚えずに終わってしまい、結果として練習はしたが漢字は全く覚えていなかったこととなる場合が多い。 なお、高学年や中学生以上は、学習環境によっては、声に出して読まずに、心の中で読みながら書いてもいい。ただ、声に出して読むことは、口と耳でも覚えることとなり、より文字を覚えることでは効果的だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.24
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私がいた学童保育所では、日々の宿題の時間を設けなかったが、夏休みの宿題については、夏休みの最初と最後の1週間程度を、その時間にあてた。と言っても、夏休みの宿題をするだけでなく、こどもたちの学習の到達状況を把握することと、見つかった課題に対して何らかの手立てを取るために、「勉強の時間」として行った。 こどもたちの学習の状況把握とそれにたいする手立ては、本来学校と家庭で行うべきものだが、学習の到達度が学童保育所での生活に、何らかの影響を及ぼす時があるので、保育の範囲内で可能な限り、独自に対応したかったからだ。 例えば、こんな極端な例があった。ある新一年生の一人が、自分の名前の他は、ほとんど字が読めなかったのだ。もちろん、字を書くこともできなかった。そのことについて、学校の教師も親も、気付いていなかったようだ。 その原因として、その子は字が読めないから、教科書をみんなで音読する時に丸暗記し、自分が読む番になると、スラスラと声を出して読んでいた(読むように見せかけていた)のだ。だから、字が書けないだけと思われて、教師も親も対応していたのだ。 ともかく、そのことを学童の生活の中で、私が気付いたので、当時実施していた、お祝いの言葉を一言書いてお誕生日カードを贈る行事を一時延期して、夏休みに対応を採ることとなった。ひと夏かけて、その子の努力もあって、仮名だけは読んで書けるまでになった。 その後は、人並み程度に漢字を覚え、お誕生日カードも復活しただけでなく、作文なども書けると言うより、良くあそぶ子だったからか、作文の内容も生き生きした表現となっており、学校の教師も驚くくらいになった。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.23
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学童保育では、ある意味で当たり前の事となっている「宿題」の時間を、私が保育師をしていた施設では、設けていなかったのだ。もちろん、こどもたちが自主的・自発的に宿題をするのは自由だが、設定保育として宿題のための時間は設けてはいなかった。 保護者からも要望があったが、そうした場合でも、保護者からこどもたちに宿題を学童保育所でするように、指導していただくこととした。ともかく、こどもたちがそれぞれ宿題を自分で始めない限り、保育師からも一切催促もしないようにしたのだ。 こうした保育をしたのは、私のこどもの頃に比べて、日々の放課後の時間、特に高学年(4~6年生)では短過ぎたからだ。高学年は土曜日を除き、学童保育所での生活時間は、4時から6時の2時間しかなかったのだ。 その中で、「おやつ」の時間や、諸行事のための設定保育の時間を抜くと、自由にあそべる時間は極めて短くなってしまうので、なるべく長いあそび時間を確保したかったのだ。 そのことは、学童保育の利点でもある、異年齢のあそびを十分に展開できる時間を最大限に確保することでも、極めて大切な意味を持っている。特に、いわゆる「自由あそび」においてこそ、異年齢集団の特質が最も効果的に発揮されるからだ。 なお、自発的に宿題をやっている子は、少なくとも私が在任中は、新一年生の短縮授業期間中に稀にいたくらいで、基本的には学童保育所で宿題をやる子は、全くいなかったと言える状況だった。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.22
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今のこどもたちは、魚釣りをどれくらい楽しんでいるのだろうか。もちろん、本格的な釣りは、今も昔も楽しんでいるだろう。ひょっとすれば、本格的な釣りは昔より多いかも知れない。その一方で、普段のあそびの中での魚釣りはどうだろうか。もちろん、こどもたちの生活圏に手ごろな釣り場があっての話だが、普段のあそびとしての釣りは減っているように思える。 私は大阪市内の西淀川区で生まれ育ったが、近くに新淀川があり、よく釣りに行ったものだ。もちろん、こども同士で行く普段のあそびとしての魚釣りだ。安物の篠竹の竿に浮き(ウキ)を持って、餌は現場の浅瀬を掘ってゴカイを探したり、あらかじめミミズを獲って釣りに臨んだ。 そんな釣りスタイルのこどもたちは、最近では全く見かけなくなった。1980年代頃だと思うが、一頃ルアーフィッシングがこどもたちの間で流行ったことがあり、近くの池や川などで、魚釣りを楽しむこどもたちを見かけることが多かった。そんな、こどもたちの姿もほとんど見かけなくなった。 これも、外あそびが減った今のこどもたちのあそびの変化の延長かも知れないが、魚も釣ったことが無い、ザリガニも釣ったことも無い、そんな世代が増えていくのかと思うと、理科離れを憂える教育専門家の嘆きが、大変失礼だが馬鹿らしくさえ思えてくる今日この頃だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.21
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最近では、「鉄子」と称される女性の鉄道ファンも増え、鉄道好きは男性だけのものではなくなったが、それでも男の子は昔も今も鉄道に魅せられている。私も、そんな普通の鉄道ファンだ。小さいころから、先頭車両の一番前の席に陣取ることが多かった。 さて、鉄道好きにはいろいろあって、「乗り鉄」「撮り鉄」などとも呼ばれているが、乗り物である電車や機関車よりは、むしろレール、と言うよりレールが作るコース・道筋としての「鉄の道」そのもの、すなわち線路に魅せられるファンもいるのではないだろうか。少なくとも、私はそうした線路好きの一人だと思っている。 幼い頃の思い出に、グリコのおまけや、駄菓子屋さんで売っていた、小指の先ほどの、ベークライトやダイキャストでできた、電車や汽車などのために、ベニヤ板に線路を描いたことがある。描いた線路上を車両を走らせる面白さより、ポイントや交差などをレイアウトすることの方を、より楽しんでいたように思う。 私は、家庭の経済事情から、本格的な鉄道模型に取り組めなかったが、その本格的な鉄道模型を趣味にされている方の中には、こどももおとなも、おそらく線路のコースを作ることを、より楽しんでいる方も多いのではないだろうか。 私は、結局現在まで鉄道模型とは縁が無く、せいぜい鉄道シミュレーターで楽しんだだけだが、鉄道模型なら、自分で作ったレイアウト通りに、車両が走る時の感激は、さぞ大きいに違いないだろう。線路好きな私の、少し長めの「つぶやき」ではあるが・・・・・「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.20
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【「機関庫の川公園」に、巨大なコンビネーション遊具がある。チューブスライダーと呼ばれる滑り台をはじめ、アスレチック要素満載で、放課後や休日は子供たちでいっぱいだ。楽しそうだなぁーと記者の脳が現実逃避しようとしたとき、ふと疑問が浮かんだ。「こんな立派な遊具、帯広市内でほかにあるのかな?」-。ちょうどまちマイはこの地区で市内一巡。市内の公園と遊具について調べてみた。(中略)高さ6.2メートル、長さ22メートル、幅21.8メートルは、どの数値でもトップだ。確かに大きい。では、気になる価格は? こちらも製品価格で2100万円と、2位の725万円を約3倍引き離す。設置費用も合わせると「最高価格」(同課)の約4000万円というから、市内で広い庭付きの戸建て住宅が買える値段だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/十勝毎日新聞:2013/06/18) 公園の遊具が、設置費用を合わせて「4000万円」する。大型で豪華な遊具だとは言え、こんなバカ高い遊具は、本当に必要なのだろうか。国民の総批判をを浴びて、鳴りを潜めているいわゆる「箱物行政」、遊具と言う形で密かに進行していたのだ。 ちなみに、ごく普通のブランコや滑り台などの単機能遊具は、およそ数十万~百万円程度で、設置費用を遊具と同額としても、複合遊具の機能をバラして単機能遊具を複数設置しても、かなりのお釣りがくる。 また、複合遊具は、価格の高さだけが問題ではない。設置するスペースも当然ながら広くなり、極端な例では狭い公園でかなりのスペースを占領して、軽く走り回れるようなスペースの全くないケースもある。 広めの公園でも、複合遊具の多くが中央部分に設置され、これまたせっかくの広いオープンスペースが分割されてしまっているケースもあり、どちらも小学生が鬼ごっこやなわとびなどの、身体を使ったあそびが難しくなる場合も少なくない。 さらに、複合遊具は、複合機能と言う特徴が持つ条件、すなわち様々な運動能力を持ったこどもたちが、同じ場所であそぶと言う条件は、弱点ともなっている。ブランコが得意な子と、滑り台が好きな子が同じ場所であそぶと、接触や衝突などの事態に、機敏な反応が難しくなる可能性は低くない。 一方、ブランコなどの単機能遊具では、それぞれの遊具に見合った身体的能力を有するこどもたちが集まるので、危険回避の面においての条件的な弱点は、複合遊具に比べて少ないと言える。 大規模公園や遊園地などでは、超大型複合遊具は、それなりの設置意義は有るとは思うが、こどもたちの身近な公園には、複合遊具ばかり設置するのは、考え物だ。ましてや、狭い公園にまで設置するのは、愚の骨頂だ。公園版「箱物行政」より、遊具点検に財政を回して、遊具事故を根絶すべきだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.19
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【震災の影響で“巣ごもり消費”が増えるといわれるなか、注目を集めているのが玩具だ。ここでは、2011年6月16日から19日まで開催された玩具の見本市「東京おもちゃショー2011」で展示されていた商品のなかから注目の玩具をピックアップ。その傾向を読み解いていきたい。(中略)近年、ブロックを使った教育手法は遊びの延長線上で創造性やさまざまな知識を習得できるとして注目を集めている。(中略)巣ごもり志向が強まるなか、体を動かしたり笑ったりして気分が明るくなりそうな商品も目立っていた。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/日経トレンディネット:2013/06/18) 「巣ごもり消費」は、「震災の影響」があるかも知れないが、不景気、すなわち庶民のふところ具合が冷え切っていることも、大きな影響があるだろう。また、本ブログの表題にも引用した、上記記事の見出し語「巣ごもり玩具」は、さらに外あそびの長期減少傾向とでも表現できるような、こどもたちのあそびの変化がある。 その理由がなんであるにしろ、「巣ごもり」ばかりでは、好ましいことではない。そう考えると、少なくとも「巣ごもり玩具」を進化させることは、必ずしも喜ぶべきことではないだろう。少なくとも、外あそびや身体を使ったあそびが減ってきているこどもたちにとっては、「巣ごもり玩具」より、「外あそび玩具」や「運動玩具」などが望まれるのだ。 もちろん、そうした玩具の開発だけで、こどもたちの外あそびや運動あそびは増えては行かないだろう。なにせ、あそぶための時間が減って来ているのだから。また、本当に面白い外あそびや運動あそびは、仲間と一緒に楽しむあそびに多い。そのために、こどもたちがあそび時間を共有できるようにする必要がある。 見当はずれの教育施策により短くなった日々の放課後、その短い放課後を塾・家庭学習や習い事・スポーツ活動がさらに短くコマ切れにする。こんな状況を根本的に改善しないと、こどもたちはいつまでたっても「巣ごもりあそび」に没頭するだろう。 なお、記事には「体を動かしたり笑ったりして気分が明るくなりそうな商品」とあるが、そんな商品を全く使わなくても、もっと身体を動かし、もっと笑ったり、もっと気分が明るくなる、「集団あそび」は数限りないことも付記しておく。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.18
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【川県東かがわ市白鳥の白鳥小学校(久保田富恵校長)は市教委が独自に行う「土曜日授業」の中でブロック遊びを取り入れている。(中略)近年、ブロックを使った教育手法は遊びの延長線上で創造性やさまざまな知識を習得できるとして注目を集めている。(中略)同大大学院の阪根健二教授は「遊びの中から学習していくことが目的。今日なら重力の影響を受け、レールの角度によってボールのスピードが変わることなどが体験できたはず」と効果を説明。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/四国新聞:2013/06/16) この記事は、一見すれば「遊びの延長で知識習得」が、如何に素晴らしいかを紹介している記事と思われるが、看過できない自己矛盾的な問題点が含まれる記事となっている。 もし、大学院教授が指摘するように、「遊びの中から学習していくこと」が大切なら、なぜ学校の授業ではなく、純粋に遊びとして行わないのだろうか。授業になれば、遊びは、もはや遊びではなくなるのだ。授業として行う「遊び」は、実験と何ら変わりがない。良く言っても、面白い実験に過ぎない。 あそびは、こどもたちが自発的・自主的かつ自律的に活動するから、その学習的効果も大いに期待できるのだ。仮に、上記のブロック玩具を使った授業が、徹頭徹尾、こどもたちの自発・自主・自律が確保できるように配慮されたとしても、指導するおとなや教師の目が、完全なそれを邪魔するのだ。 さらに、遊びに様々な教育・学習の効果があるのなら、何故せっかくの休みである土曜日に授業をするのだろうか。「遊び」を活用した土曜授業は、遊びを削って「遊び」的な活動を行うと言う、まさに自己矛盾と言える。 あそびには、上記記事の「重力の影響」の体験などの他にも、学習の土台・土壌となる実践的な体験が、満ち溢れている。そんな素晴らしいあそびが不十分だからこそ、少なくない今のこどもたちが抱えている、考える力の低下、応用問題が解けないなどの、学力の低下という社会問題があるのだ。 もちろん、身体を使った外あそびの減少は、体力や運動能力さえも低下させているのは言うまでもない。あそび時間を削って「遊び」の授業をする、可笑しさに気付くことから、おとなたちは目を覚ます必要があるだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.17
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先日、近くの「百均(100円ショップ)」の前を通りかかった時のことだ。数人のこどもたちがそれぞれ自転車に乗って、買い物に来ているところに出会った。おもちゃかおやつなどを買いに来たのだろう。 考えれば、「百均」は、こどもたちの日々のお小遣い程度で買える玩具や菓子を買える、数少ない店だろう。特に、このお小遣い程度で買える玩具は、一般的には駄玩具と呼ばれたりもする。昔の駄菓子屋さんで売られていた玩具がこれにあたるが、今の「百均」のそれは駄玩具と定義するには上等すぎるものもあるが、駄玩具的商品であることには相違ない。 また、冒頭に紹介したように、こどもたちが連れもって買いに来る意味では、昔の駄菓子屋さんと変わりがない。違うのは、店の数は圧倒的に昔の駄菓子屋さんの方が多かった。 だから、駄菓子屋さんに来るのは、顔見知り同士のこどもたちがほとんどで、そこではこども同士の交流や情報交換も生まれる。また、店からそう遠くないところに、日々のあそび場があり、駄菓子屋さんを通じてあそびが広まる時もある。 その点、今の「百均」は駄菓子屋さん的ではあるが、そこに来るこどもたちの住む地域は広範囲となり、もちろんそれらのこどもたちの日々のあそび場からは、かなり遠くなり、見知らぬこどもたちが出会っても、ほとんど交流は無く、情報交換は全く無いと考えていい。当然、「百均」を通して、あそびが広まることも期待できない。 それでも、駄玩具を日常的に売っているのは、「百均」かコンビニくらいで、今のこどもたちにとっては、頼もしい存在だ。特に、ビー玉・面子・おはじき・ゴムボールなど、昔のあそびに必要な玩具を比較的簡単に、買い求めることができるので、昔あそびを奨める私には、「百均」は貴重でありがたい店でもある。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.16
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【素朴さや温かみ、昭和の手触りを今に伝えるブリキのおもちゃ。現在、埼玉県三郷市に工場を構える「メタルハウス」は、昭和28年(1953年)創業で60年に渡り、ロボットをはじめとしたブリキのおもちゃを世に送り出してきた。「近々消える」というブリキ玩具の現状を、兄弟でブリキのおもちゃ専門工場「メタルハウス」を営む宮澤兄弟に尋ねた。(中略)「おもちゃを作るには、安い部品だけどいろんな部品を使う訳。世の中の人は今作っているからこのままずっと作れるでしょと思うかもしれないけど、部品を作ってるところがみんな辞めちゃっているから、部品が無くなった時点でできないおもちゃが出てくる。(中略)すでにブリキのおもちゃを専門で作っているのは、メタルハウスと葛飾の三幸製作所だけであるという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/MSN エンターテイメント:2013/06/15) 時代の流れとは言え、ブリキのおもちゃで育った世代としては、寂しい限りだ。今、木の玩具が再び脚光を浴び始めているが、ブリキのおもちゃもそうした時期が訪れるのだろうか。かなり厳しいかも知れない。 それは、自然の木とは違って、素材自体が人造物であるブリキには、その素材の特徴の良さが、際立たないと考えられるからだ。また、たとえ、その素材に魅力があったとしても、上記引用のように、多数の部品が必要なものは、延命が難しいだろう。 もちろん、ブリキのおもちゃには、上記記事にあるような「素朴さや温かみ、昭和の手触りを今に伝える」と言う、ある意味で素晴らしい特長があるが、それは少なくともこどもたちにとっての魅力とはならない。昭和、それも昭和中期以前にこどもだったおとなにだけ愛好されても、おもちゃ本来のあり方からは逸れている。 さらに、こどもたちがその魅力に気付いても、現状は、その製造単価は高くならざるを得ないので、それであそぶことに、余計な気を遣わなくてはならない。それでは、せっかくの魅力も半減してしまう。さて、ブリキのおもちゃの未来はどうなるのだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.15
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先週の土曜日、かなり大きめの公園を通りかかった時のことだ。広場で各チーム数人位に分かれて野球あそびをしていたこどもたちを見かけたが、プラスティックでできた中空のバット、いわゆるプラバットを使ってあそんでいたのだ。 もちろん、ボールは柔らかいプラスティックのボールを使っていた。近所の公園では、金属バットに固いボールそしてグラブを使った野球あそびばかりだったので、プラバット野球が健在だったのは、頼もしく思えた。 私がこどもの頃(1950年代)は、竹の棒などを使ってゴムボールを打つ野球あそびか、「ワンバン野球」のような、ボールだけでするあそびだった。1970年代頃から、それがプラバットとプラボールに変わっていたのだが、最近では人数が集まらないのか、球技禁止の公園が多いのか、野球あそびそのものが減って来ていた。 それでも、週休二日になり、土日にはちらほら、公園や広場での野球あそびが増えてきているのかも知れない。もちろん、短くなった放課後では、野球あそびも無理なので、あそぶ頻度は桁違いに減ってはいる。ともかく、プラバット野球はどんどん増えて行って欲しい。 しかし、我が大阪市では、その週休二日制さえ、無くそうとしている。平日の授業時間数を減らすのならいいが、土曜日の授業を増やすだけでは、野球少年たちから、せっかくのプラバット野球をする時間を奪うことになるだろう。外あそびが減っている昨今、そうなればまことに残念なことだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.14
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【人の流れが滞って道路上で動けなくなり、将棋倒しが起きる危険もあった。 このため、混雑のピークとなる31、1日の午後7~9時に、境内を一方通行に規制。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/北日本新聞:2013/05/29) 上記記事中の「将棋倒し」だが、今のこどもたちで、この「将棋倒し」であそんだことのある子はどれくらいいるだろうか。あそびどころか、「ドミノ倒し」は知っていても「将棋倒し」の言葉さえ知らないこどももいるかも知れない。 このように、死語になりつつある「将棋倒し」、実は、あの明石市で起きた痛ましい「花火大会歩道橋事故」の報道後、日本将棋連盟は、報道機関に対して以下のような要望を出していたのだ。【要望書で、「将棋倒し」は本来、子供向けの遊びであり、多くのファンが体験した将棋遊びの一つと指摘した上で、「『単に倒れる状況だけを見た表現』として、事故などに引用されるような遊びではない」と主張している。】(【】内は記事から一部引用、Yahoo!ニュース/時事通信:2001/07/25) 連盟の主張も理解できないわけでもないが、それを言うなら、将棋の駒の「歩兵」や「王将」は戦争を連想させるので、こどものあそびに相応しくないと言うのと大差はないだろう。 そもそも上記事故のような状態を説明するのに「将棋倒し」ほど、短く的確に表現できる言葉は無い。だから、明石での事故が起きるはるか昔から、一般的に使用されており、これまで将棋連盟も異議を挟まなかったし、社会的にも教育的にも何ら問題も無かったのだ。 それどころか、もはや「将棋倒し」そのものが、こどもたちのあそびから無くなったも同然の、将棋あそびや将棋そのものの衰退こそ、将棋連盟は憂う必要があるだろう。おそらく、連盟もそう思われているに違いない。 「将棋倒し」が死語にならないように、将棋そのものと、将棋の駒を使ったあそびを、こどもたちに拡げていくよう、このブログやHPなどで、私も微力ながら努力していきたい。将棋は、こどもたちに伝えいかなければならない、日本の素晴らしい文化の一つなのだから。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.13
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普通は道徳的には許されない行為である、他人の出来ない様子を見て楽しむ行為、例外的にそれを楽しむあそびは幾つかある。その一つが、「なぞなぞ」だ。無論、「なぞなぞ」は解くことを楽しむものでもあるが、意外とこどもたちは出題することを楽しんでいる。 雑誌を読んだり、紙芝居屋さんから出題されたりして、仕入れたにも拘らず、友達に出題して、解答を苦労してひねり出したり解けなかった時に、自分が優位に立ったかのような境遇を楽しむのだ。もちろん、その立場は、いつも同じではなく逆転する場合もあるから、許されもし、人間関係を壊すことも無いのだ。 そして、自分で一所懸命に考えて作ったオリジナルな「なぞなぞ」に、見事相手が答えられず、答えを教えてあげる時は、より楽しみが増す。しかし、せっかく苦労して作った「なぞなぞ」に、いとも簡単に解かれた場合は、最悪の状態にもなる。それが、あそびの持つ良い所でもある。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.12
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幅10cm長さ数十cmほどの紙袋を開け、いろんな部品を取り出す時のワクワク感と、「さあ!作るぞ!」と言う意気込みが混じり合う、あの何とも言えない思いが鮮やかによみがえる。私のこどもの頃(1950年代)に流行った、ゴム動力の「プロペラ飛行機」を手作りした時の思い出だ。 今でも同じ商品は見かけるが、私のご近所の公園などでは、その飛行機を飛ばしているこどもたちに出会うことは、全くと言っていいほどになってしまった。以下に、簡単にその作り方を紹介するように、完成するまでかなりの時間を要するのだ。 まず、細い木でできた胴鯛部分に、アルミニュームでできた細いヒューム管を適当な長さにカットして、糸でくくり付けて固定し、接着剤で補強する。そのヒューム管に、翼の骨組みである竹ひごを挿し込む。また、動力用のゴムひもを取り付ける部品や車輪部分を胴体の所定位置に、部品を組み合わせて作ったプロペラを胴体の先端に取り付ける。 これで完成したわけではない、肝心の翼は骨組みだけなので、その骨組みに紙を貼って翼が完成するのだ。この紙も最初から翼の形状に合わせてカットされておらず、あらかじめそれぞれの翼の骨組みに合わせてハサミで切っておくのだ。また、紙を貼っただけではダメで、紙がピンと張るように、霧吹きなどで湿らせておく必要がある。 当時の小学生たち、主に高学年だが、こんな手の込んだ作業を、最低は2時間程度は、集中して取り組むのだ。ともかく、その作業の難しさと長さは、自分で作ったプロペラ飛行機が、見事離陸し大空を飛行した時の感激を大きくする。その爽快感と達成感は、やってみないと味わえない。 昔は、こんな気長なあそびが出来たほど、こどもたちの生活にはゆとりがあったのだ。そして、そのゆとりは、こどもたちに何らのゆとりも、もたらせなかった「ゆとり教育」で、注目された「ゆとり」とは違い、特別なことでもなかった。こどもたちにとっては、珍しくもないありきたりのゆとりだったのだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.11
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【あきる野市の市民グループ「川原で遊ぼう会」が、子供たちに川遊びを教える活動を続けている。 地元ではかつて、川で遊ぶ子供は愛着を込めて「川ガキ」と呼ばれ、当たり前の光景だった。活動で川の楽しさを知ることで、現代っ子たちにも自然を大切にする心が芽生えつつある。(中略)地元・市立草花小の浅原伸行校長は「安全面の問題などから川で遊ぶ機会が減る傾向にあった中、10年以上の継続的な活動で、川とそこに棲む生き物を自発的に調べ、自然保護の大切さを深く理解する子供たちが育っている」と話す。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2013/06/06) こどもたちの「川遊び」の機会が減ったのは、けっして今のこどもたちが聞き分けが良くなり、安全対策としてのおとなの注意「川遊び禁止」を、守っているわけではない。屋外で身体を使ってあそぶことが少なくなったからだ。昔も今も、こどもたちは「危ない」と禁止されている川などであそんでいる。その数が今では極端に減っただけなのだ。 だからこそ、比較的安全だと思われる川原がある、あきる野市でさえ、「川遊び」を教えなければならないのだ。こどもたちが昔通りにずっとあそび続けていれば、「川遊び」も伝承されていたのだ。もちろん、安全なあそび方も、危険な場所の情報も、伝えられていただろう。 ただ、川そのものの様相が変化し、「川遊び」には不向きな場所になってしまっていることも忘れてはならないだろう。土手が減る一方で、コンクリート製の高い堤防が多くなり、水辺へのアプローチが、ゆるやかな坂から、急激に落ち込むと川が増えてきているのだ。 そうした川の多くは、こどもたち、否おとなたちも含めた、住民のあそびや憩いの場として、街づくりに位置付けられず、単なる水路あるいは、都市計画にとっては邪魔なものに成り果ててしまっている。 もちろん、都市化の波は、ある意味で、そうした人工的な河川対策も必要かも知れないが、あそび場・憩いの場としての水辺は、何らかの形で都市空間に確保する必要があるだろう。特に、こどもたちのあそび場としての水辺は、何としてでも確保したいものだ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.10
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【社会問題となった「体罰」。まだ明快な解が共有されたとはいえないだろう。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏が、話題書に触れながらレポートする。(中略)400mハードルで世界的に活躍した元陸上選手・為末大さんが、新刊『「遊ぶ」が勝ち 「ホモ・ルーデンス」で、君も跳べ!』(中公新書ラクレ)を出しました。その刊行を記念して、6月3日、トークイベントが八重洲ブックセンターで開催されました。(中略)為末大さん「体罰は、外からの圧力によってがんばるという、受け身的な発想から生まれてくる。逆から言えば、選手一人ならば怠けてしまうということ。そうした、上下関係による一方通行性と、外の風が入らない閉鎖性とが重なりあって、日本のスポーツ界に体罰が温存されてきた。しかし、スポーツとは本来、自発的なもののはず」(中略)「スポーツの根本は遊びである」。そう言うと、まだまだ日本では抵抗感を抱く人も多いのが現状でしょう。しかし、為末大さんは新刊『「遊ぶ」が勝ち』の中で明言しています。 過酷な状況の中で自分が何とか走り続けてこられたのは、その根底に遊び感があり、子供のような喜びがあったからだと。(中略)ではそもそも、「遊び」とは何なのか?(『ホモ・ルーデンス』) ホイジンガという歴史学者はそう定義しています。実はホイジンガの『ホモ・ルーデンス』という本は、為末さんが常に座右の書としている古典なのです。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/ガジェット通信:2013/06/09) スポーツが広義の「遊び」であることは、サイト「遊び学の遊邑舎」および当ブログで、かなり以前から指摘してきたことではあるが、上記記事における為末大氏による、スポーツに対する認識と「体罰」についての指摘は、文部科学省により進められてきた、日本のスポーツ政策に対する厳しい指摘となっている。 また、スポーツを広義の「遊び」としてとらえと時、その「遊び」が、ホイジンガによると、「自発的な行為、もしくは活動である。それは自発的に受け入れた規則に従っている」との指摘は、こどもたちのあそびを軽視して進められてきている、文部科学省の体育政策の失敗をも、暗示している。 それは、文部科学省の意図はともあれ、行き当たりばったりの教育政策・大学政策により、こどもたちは過度な受験競争に駆り立てられて、あそび時間の絶対量が減らされたことにより、結果として自発的に体力・運動能力を培う、外あそびや身体を使ったあそびの機会が、極端に少なくなったことにあらわれている。 もちろん、文部科学省や、それに従う各自治体の教育委員会は、建て前では「遊び」を重視し、学校教育において「遊び」の「授業?」を実施してはいるが、そのような指導される「遊び」と言う、自発性とは異質の「遊び的課業」では、体力と運動能力の低下傾向を完全には押し止められなかったのだ。 そればかりか、学校現場における「体罰」の多くは、この間違った教育政策の一環としての「体育」の授業や、スポーツに関連した部活動の現場で起きているのだ。そして、数少ないこどもたちの命さえも、その犠牲となっている。 今こそ、こどもたちにとって最も楽しい活動であり、体力や運動能力、そして学力の土台をも、大きく育むあそびを、十分に確保できるような教育政策に転換する必要があるだろう。そうした大転換のチャンスの一つが、今度の参議院選挙かも知れない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.09
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私はパズル好きだ。だから、普通の人が思いつかないようなこともパズル的に楽しむことがある。その一つが、縺(もつ)れ絡(から)まった糸や紐(ヒモ)を解くことだ。学童保育の保育師をしていた頃、けん玉を保育の一環として取り組んでいたが、けん玉の糸がこんがらないようにと、こどもたちに注意もし、ビール瓶ケースをけん玉入れに転用していたのだが、それでもこどものことだから、何度かはけん玉の糸がもつれて、数本以上のけん玉が束となっていることがある。 そんな時、パズル好きなので、一応はこどもたちに注意喚起をするが、基本的には腹を立てずに、けん玉の絡まった糸を解くこととなる。まず、こんがらがって束になったけん玉を床の上などに拡げて置く。この時、なるべく胴の部分と玉の部分を束の中心から遠ざける様にして置く。 そして、その束をよく観察すると、糸同士の上下関係が分かるので、後はその糸の上限関係を頼りに、糸を1本ずつ入れ替えて行けばよい。それは、自然にこんがらがった糸には、結び玉となるような人為的な、からまりが無いからだ。たとえあったとしても、この方法なら解きやすいことは間違いがない。 このようにして、大抵は数分程度で解けるのだが、実はこのけん玉の糸のもつれを解く一部始終を、できる限りこどもたちの目の前で行うことにしていた。それは、糸の縺れの解き方を見せることはもちろんのこと、保育師の努力や苦労を見せることによって、けん玉の扱い方や仕舞い方にも自覚を持たせる効果を期待したからだ。 そのことの成果が上がったかどうかはともかく、この「縺れた糸」を解くことを、密かにパズルの一つとして楽しんでいた私がいたことは間違いがない。また、何人かのこどもたちが、同じ方法でけん玉の糸を解いていたこともあったが、その点では大いに満足している。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.08
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みなさんは、お気付きだろうか、外あそびが少なくなったと言われる、今のこどもたちにあって、女の子の外あそびを見かける機会が増えてきているのを。もちろん、昔も女の子は外であそんではいたが、そう見えるのは男の子の外あそびが激減しているからだ。 そして、昔は男の子が得意としていたあそびに、女の子が進出してきているのだ。ドッジボール、缶けり、セミ捕り、ローラースケート(スケートボード)などなどで、へたをすれば男の子よりも女の子の方が多い時も珍しいことではない。 それに反して、男の子は一応は屋外に出てあそんでいるのだが、携帯ゲーム機かゲームカードであそぶ姿が目立って多くなっている。いわば「外ゲーム」状態だ。おそらく、運動量では女の子に負けるのではないだろうか。 最近、柔道・サッカー・野球などのスポーツで女性の活躍が目ざましいが、それもこの外あそびの変化が一因かもしれない。豊かな外あそびは、体力や運動能力だけでなく、観察力や思考力などの力も育むが、学問・科学分野でも女性が男性を圧倒するようになるかも知れないと、ふと思ってしまう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.07
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【徳島ラーメンを頭に載せた陸上選手、顔が鳴門金時のレスラー――。徳島県内の小、中学生の運動不足対策に、頑張って歩くとこんなイラスト入りのトランプカードがもらえる事業を県教委が始めた。描かれているのは、徳島市の小学校教員が生み出す「ご当地キャラ」の面々だ。 カードを手に入れるにはまず、県教委がホームページ上に開設する「四国歩き遍路」に名前を登録。歩いた歩数を記入し、画面上の四国遍路の札所を、順にひとつずつクリアすると、現れるのがこのご当地キャラ。(中略)ちなみに、88カ所すべての札所をクリアすると、約1400キロを歩くことになるという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/asahi.com:2013/06/03) 運動不足による体力不足が進む、今のこどもたちの現状を憂う、徳島県教委の涙ぐましい努力は理解できないわけでもないが、これはある意味で本末転倒した対策でもある。今のこどもたちの運動不足の根本原因を改善する事こそ、教育委員会は努力すべきだろう。 今のこどもたちの運動不足の最大の原因は、屋外で身体を使ったあそびが極端に減少してしまったからだ。そして、その外あそびの減少の原因が、異常なまでに増えた日々の「勉強」時間なのだ。 学校での授業における「勉強」時間の増加と、放課後の塾や習い事での「勉強」時間の増加、家庭での宿題や家庭「学習」などの「勉強」時間の増加と言う、「勉強」時間のトリプル増加なのだ。そして、このような「勉強」時間のトリプル増加をもたらしたのは、文部科学省とそれに追随する教育委員会の教育政策なのだ。 それでも、こどもたちからあそび時間を奪って増やした「勉強」時間に見合って学力が向上しておればまだしも、残念ながらその反対に、学力の低下さえ招いているのだ。ようするに、極めて効率の悪い教育政策を続けた結果、こどもたちは体力も学力も低下させたのだ。 ところで、ここまで勉強に「」(カギカッコ)を付記してきたのは、この誤った教育政策によって押し付けられた効率の悪い勉強の仕方を表現したものだ。毎日の生活で、勉強と言う活動に集中させられる拘束時間が多くなれば、こどもでなくともおとなでも、その時間の間、集中し続けることは困難だ。 あそびと言う心の底まで解放できる自由な時間が、こどもたちが必要とする長さだけ確保できて、はじめて勉強と言う拘束時間を、ゆとりを持って集中し続けることができるのだ。 勉強時間や授業科目を増やせば「賢く」なると言う幻想から、文部科学省や教育委員会が解放されない限り、こどもたちには学力も体力も健やかには育ってはいかないだろう。もちろん、ともだちと一緒に過ごせる共通のあそび時間の減少は、コミュニケーション能力も豊かに育めないのは言うまでもない。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.06
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【福井県坂井市三国町加戸の遊園地「ワンダーランド」のジェットコースターで4月、県内の小学1年男児(6)が転落して重傷を負った事故を受けて、県は5日、国土交通省に対し事故の再発防止に向けた要望を行う。シートベルトの詳細な安全基準の策定などを訴える。 県建築住宅課によると、ジェットコースターなどの遊具には、人が落下しないようシートベルトや手すりを設置することを建築基準法で定めているが、具体的な構造や強度の規定はない。 今回の事故では救急隊員が駆け付けた時には、シートベルトが外れていたという。このため、ベルトの種類や素材のほかに、従業員の安全確認方法などについて具体的な規定を要望する。 ジェットコースターだけでなく遊具全般の安全点検として、現在定められている年に1回の点検報告よりも厳しい、日常的な点検作業の規定も求める。建築基準法の対象外となっているバンジージャンプなどの遊具についても、同法で規定されるよう要望する。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2013/05/23) 当ブログでは、公園などに設置される遊具や、遊園地などに設置される遊具・遊戯設備などの安全確保のための法的整備を何度も指摘してきたが、未だに実現していない。消費者庁ができて久しく、遊具・遊戯設備による死亡事故を含む重大事故が未だ起きていることを考えれば、政府の責任は極めて重大だと言える。。 もちろん、福井県の事故をはじめとして、安全基準に関わる法律が無かったとしても、遊具の設置・管理者の適確な安全対策が行われていれば防げたのだが、それを怠る者に対して、国民の生命と安全を守るべく、行政が毅然と対処するためにも、遊具などの安全確保についての法的整備は必要だ。 上記記事にあるように、たとえジェットコースターのように、建築基準法に安全規定があるとしても、遊具や遊戯設備は一般の構造物と違って、注意力や身体能力が未熟なこどもたちの利用や、スリルやスピードを楽しむエンターテインメント性などを考慮すれば、独自の安全基準は必要だ。 なお、福井県も独自に条例の制定や安全の点検・指導はできる。それを怠るような他力本願状態の自治体の姿勢では、どんな立派な法律ができても、事故は無くならないことも明白だ。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.05
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【かつては流行語となり、子育ての一大イベントともされたが、公園で遊ぶこと自体が減り、会員制交流サイトなど仲間作りの機会も多様化。「『公園デビュー』は死語になる」という指摘もある。(中略)国土交通省や公園財団が、全国各地の自治体を通して行っている調査によると、住民に身近で児童らの利用が多い「街区公園」の休日の平均利用者数は、1988年には420人だったが、2007年には、218人と半減。また、育児用品のコンビが昨年行ったネット調査(母親783人が回答)では、「公園デビューしたことがある」と答えた人は6割いたものの、「友だちを作るため」は7%のみ。「仲間探し」という意味合いは薄いようだ。(中略)公園に代わる存在が、自治体が設けている子育て広場などの室内施設だ。この10年ほどで各地に増えた。「外遊びと子育て支援研究会」代表の矢郷恵子さんは、「子育て広場などにはスタッフがいるので、その仲立ちで親同士が知り合える場合が多い。公園より、気遣いが少なく、出かけやすい」と話す。一方で、最近の公園は、ジャングルジムやシーソーなどが減り、魅力がなくなっているという。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/読売新聞:2013/05/23) ご近所にある、区内ではかなり大きめの公園の様子は、記事のように、公園に訪れる親子が減っているとは思えないほど、にぎわっているので、区内の他の普通の公園の様子を見て、そのことの是非については判断したい。 ともかく、調査結果が示す、「公園デビュー」や「街区公園」の利用者が減っていることは、興味深いことではある。この点についての考察は別の機会に譲って、今日は「ジャングルジムやシーソーなどが減り」の部分についての思い付き的私見を綴る。 まず、ジャングルジムとシーソーが減る背景として、豪華で大型な複合遊具の増加がある。小さめの公園でさえ大型の複合遊具が、所狭しと居座っている極端な例はもちろんのこと、大型遊具の設置には当然広い場所が必要となり、既存の遊具が撤去されるのだ。 それでも、人気のある遊具は撤去対象から外されるのだが、残念ながら、ジャングルジムとシーソーは、両遊具が現存する公園での利用の様子を見ると、昔ほどは人気が無いのも確かなようだ。 ただ、この人気の無さは、両遊具であそぶおもなこどもの年代は、小学生と考えていいが、その小学生において、外で身体を使ったあそびそのものが激減していることからくる人気の無さだ。また、シーソーは、あそび相手が必要な遊具でもあり、あそび仲間が見つけられ難くなっていることも、不人気の一因となっている。 さらに、ジャングルジムとシーソーは、あそぶこどもの運動能力や注意能力、さらに危険回避能力が、ある程度必要とされるが、今のこどもたちのそれらの能力が未熟で、その結果として他の遊具よりも事故が起きやすく思われることに対して、遊具設置者である自治体などが、「事故の原因を元から断つ」と言う過剰反応をして、それらの遊具の更新・新設を行わないことも一因ではないだろうか。 なお、前記の複合遊具の多くは、幼児から小学校低学年向けのものが多く、少なくとも小学校高学年向けの遊具は少なくなる傾向にあるように思われるが、これではこどもたちがあそびの中で、運動能力や注意能力・危険回避能力を培う機会や場所を奪うこととなる。 人気が無いからと言って、ジャングルジムやシーソーを撤去するのではなく、ジャングルジムやシーソーであそべるように、こどもたちのあそび時間を昔のような水準に戻し、地域のこどもたちに共通したあそび時間が、放課後に確保できてあそび仲間を見つけられるようにすることこそ、自治体や国が全力をあげて取り組まなければならない課題なのではないだろうか。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.04
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先日、ユニット折り紙を教えていた時の話だが、「みなさん、紙には目があることをごぞんじですか?」と聞いたら、ほとんどの方がご存知ではなかった。「紙の目」とは、「紙の流れ目」とも呼ばれる、製紙段階で紙に出来る繊維の方向性を指す。この繊維の方向性に沿った折り目は折り易く、繊維の方向に直角では、折り曲げにくくなるのだ。 多くの折り紙作品を折る時は、折り目は同じ方向ばかり折るわけではないので、あまり問題にはならないが、ユニット折り紙、特に空間の開いた「穴あきユニット」などでは、この「紙の目」が問題となってくる。「紙の目」の方向、すなわち繊維の方向に沿うことは折り易い反面、曲がり易くなるのだ。 だから、細長いユニットは、「紙の目」がその長い方向に沿っていれば丈夫になるが、反対に「紙の目」がユニットの長軸方向と直行すれば曲がり易くなり、ユニットを組み合わせた作品も、時間とともに重力の影響を受け、変形しやすくなるのだ。 この「紙の目」は、紙を少し曲げて見れば、曲がり易い方向と曲がり難い方向が簡単にわかるので、多くの方がご存知だと思っていたのだが、冒頭に記したように、意外とご存知でない方も多いのだ。ユニット折り紙を教え始めた時に、言っておけば良かったので、これは私の教え方のまずさでもある。 なお、ユニット折り紙の作品を作る時は、「穴あきユニット」に限らず、「紙の目」を揃えてユニットを折るのが最善だ。何故なら、「紙の目」を揃えると、ユニット同士の組み合わせ部分にかかる力が、均一になるので、組み上がり作品は、より美しい形状を保つことができる。「こどものあそび(遊び方)」は、次の各ページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.03
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【子どもたちの放課後の居場所作りに役立ててもらおうと、江東区は「放課後遊びマップ」を作った。ふだん子どもたちと接する児童館職員らが八カ月をかけて内容を検討した。 マップは二枚のポスター。一枚は、児童館や公園、図書館、スポーツセンターなどの遊び場や、困ったときに相談したり避難したりできる交番、地域安全支援センターなどをイラストの地図に落とし込んだ「放課後遊びマップ」。もう一枚は、各児童館が選んだ十九カ所の「おすすめ公園」の紹介だ。】(【】内は記事から一部引用、Google ニュース/東京新聞:2013/05/31) こどもたちの「放課後の居場所作り」にご奮闘されておられる児童館職員のご努力には大いに感謝するが、「放課後遊びマップ」づくりには、どこかしら違和感を感じる。その点についての私見を綴る。 はたして、都市の現状は、「マップ」を作らなければならないほど、あそび場が見つからないものなのだろうか。もしそうなら、見つからないほど少ないあそび場そのものこそ、自治体は増やすべきだろう。昔は、そんな「マップ」が無くてもこどもたちは、多くのあそび場を知っていた。おそらく、今のこどもたちも幾つかの身近なあそび場を知っているだろう。 ただ、昔に比べて今のこどもたちのあそび場が減っているし、ちょっとした空き地や草むら、水辺などは、あそび場として活用されていないようにも思われる。また、あそび集団が小さく固定的で、同年齢に偏りがちで、あそび場情報が、昔ほどは交換・拡大されなくなっている。その点で言えば、「児童館や公園、図書館、スポーツセンター」などの施設に限らず、もっときめ細かな「マップ」が必要だ。 また、気がかりなのは、「マップ」を作って児童館をあそび場として公報しなければならないほど、児童館であそぶこどもたちの数が減っているのだろうか。これは、今のこどもたちのあそびにおける最大の問題が、小学生で言えば放課後のあそび時間の絶対量の減少にあることを考えれば、あながち間違いではないだろう。 授業時間数が増えた上に、塾・習い事・家庭学習などで、今の小学生のあそび時間はかつて無いほどに減少している。さらに、英語科の必修教科化になると言う。こうした、こどものあそびを軽視する考え方を改めない限り、「放課後遊びマップ」作成に投じた、児童館職員のみなさん方の願いや努力の成果は、あまり期待できないだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.02
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最近、と言うより、この十数年の間、私の身近でテントウムシを見つけることは全くなくなってしまった。私は、大都市である大阪市で生まれ育ったが、こどもの頃(1950年代)は、市内でもたくさんの、赤や青や黄色のテントウムシが棲んでいた。 もちろん、こどものことだから、何度もテントウムシを捕まえることもあった。捕虫網などはいらない、素手でも捕れるし、帽子などあれば御の字だ。テントウムシ捕りには、当たり外れがあり、七つの星のあるナナホシテントウは当たりで、いわばラッキーセブンなのだ。 こんなあそびを今のこどもたちは楽しめているのだろうか。冒頭に記した通り、少なくとも私の住んでいる町のこどもたちには、難しくなったあそびだろう。本の紙面やテレビの画面でしか、テントウムシを見ない子、当然一度もテントウムシを捕まえたことの無い子がほとんどかも知れない。 おとなは、こどものあそび場と言えば、とかく広場や公園などを思い浮かべがちだが、テントウムシと出会い戯れることのできる、小さな自然である、草地や草むらも、こどもたちにとっては大事なあそび場であることを忘れてはならないだろう。「こどものあそび(遊び方)」は、次のページでいろいろ紹介しています。あそびセレクト遊邑舎あそび館FC2ブログランキングにも登録しています。↓よろしければ、ご支援のクリックを↓多忙のため、コメントへ返信できない場合がありますので、ご了承の程よろしくお願いいたします。
2013.06.01
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