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本日の教材は動画サイト賢者の選択より株式会社梅の花代表取締役社長 梅野重俊氏へのインタビュー。内容ダイジェストは以下のとおり。☆福岡県八女市生まれ。実家はもやし製造業。☆商業高校卒業後、福岡日産自動車を一年で退社。その後、福岡・滋賀・京都・大阪で料理の修業し、1976年かに料理専門店「かにしげ」を久留米市で創業。☆競争の少ない特徴のある専門店ということで、「わたりがに」の創作料理を選択。2号店を佐賀市に出店し、二年間で2000万円の貯金。☆料理人との衝突の問題や、その後出店した炉端焼き、和食、すき焼き、しゃぶしゃぶ、ポテト専門店、シーフードレストランではすべて失敗。☆当時は失敗の理由を「人のせい、場所のせい」にしていたが、その後お寺で三ヶ月ほど数珠まわし。そこで出合った言葉「人に感謝、物に感謝」で目覚め、繁盛店の視察を開始。☆1986年、久留米市に梅の花1号店開店。当時は給料が銀行振込となり、家庭の奥様が財布の実権を握り、カルチャースクール等も盛んに。☆「女性をターゲット」に「女性の好きなもの」=太らないもの、植物性たんぱく=豆腐、湯葉、生ふ、野菜+陶器の器+小さなポーションを多種類☆路地裏の立地を創意工夫して演出。宣伝は新聞折り込みチラシ一回だけで後は口コミのみ。1号店が大繁盛し、確信を得るため2号店をオフィスビルの最上階に出店、成功。=家を出る時点で目的を持って来店されるお客様の存在。☆料理人を使わない(料理人を一ヶ所の厨房に集めた)セントラルキッチンシステムにより、多店舗展開。☆郊外店舗出店には2~3億円かかることもあり、銀行のみに頼る資金調達を見直し、1999年株式を店頭公開。☆個人株主比率98%の大半はお店のお客様(奥様方)=20%割引き優待券の特典→お店に対する苦言、生の声が聞けるメリット☆アメリカに進出し、UMENOHANA USAをロサンゼルスに出店。→現地でマーケティング調査し、靴を脱がないテーブル席、洋風にアレンジ。→洋風にし過ぎたこと、文化の違いで失敗し、撤退。☆食の安全面からコスト大でも国産・トレーサビリティを重視。→従業員・パート社員も食べにくる。☆ムダを省く勉強会の開催。☆「お客様を裏切らない」「さりげないおもてなしの心」 ご支援クリックいつもありがとうございます!→人気blogランキング<起業・独立部門>クリックしていただくと、一票投票されるシステムになってます。ただいま29位に。
2009年01月27日
本日の教材はカウテレビジョン社長室101よりアニーグループ二枝崇治社長の動画。内容ダイジェストは以下のとおり。☆家業の呉服屋時代は借金返済で精一杯。→羽毛ふとんの販売が転機=同じ努力で10~20倍の販売。→斜陽産業はダメだが、業種によっては同じ努力で成果が違う。☆27歳で単身渡米し、NYのラルフ・ローレン本店へ(←ラルフ・ローレン物語の影響)→「自分の生活スタイル」「気に入ったもの」を共鳴した人だけに売るスタイルとの出合い。☆アメリカで学んだこと・枠にとらわれない。・こだわりをもつ。・喜び・夢・感動を提供する。・空間を売る。・大胆な発想。・一貫したポリシー。☆おもちゃ屋経営者との出会いがキッカケで雑貨屋へ。→1988年3月21日、福岡市東区にAnnyのお気に入り1号店オープン。☆「人に喜んでもらうのが好きな人」をスタッフに選定。→商品よりもスタッフが評判に。→「商品力+人材力」で一人勝ち。現在FC含め15店舗(一店舗平均年商5000~6000万円)☆期待して仕入れたクリスマス関連商品が90%売れ残り→二年目の真夏に在庫満載のワゴン車で都市高速通過「天神の夜景がクリスマスツリーに見えた」→クリスマスをテーマにした飲食店「イッツ・クリスマス」の誕生。☆19坪・33席・営業7時間で年商1億数千万と大成功、10年間継続。→11年目以降に同様の店を福岡市周辺に多店舗展開、結果失敗。☆成功するノウハウの違い・一店舗のみ:こだわり重視・多店舗展開:マーケティング☆雑貨店のお客様(小中学生の子供のいるお母様が主体)の困っていることを解決したい。→子供のアトピーの問題→石鹸・化粧水の開発→「お肌の美容室」という発想=お風呂以上エステ未満「ストーンスパ・石の癒(ゆ)」の誕生。☆開業当初は認知度不足で集客に苦労するも半年後には盛況。→売る努力よりも売った後の努力必要。☆同業者のいない業種で一人勝ちし、大成功→週刊誌による岩盤浴バッシングで、売上前年対比6~7割ダウンの大打撃。→FC4店舗が閉店し、現在全国に44店舗(業界では1500→700店舗に)。☆想い一つで幸せになれる。→一見アンラッキーと思えることでも「ツイテル」と思うように発想の転換。☆自分に専門能力はなくとも、自分にないものを持った人を集めればいい。☆人を引き寄せる「強力な磁石」のような方と常に接する。→自分自身も磁石になれる。☆リーダーは夢・ビジョンを持ち続ける。ご支援クリックいつもありがとうございます!→人気blogランキング<起業・独立部門>クリックしていただくと、一票投票されるシステムになってます。ただいま54位に。
2009年01月20日
本日のCDは篠崎屋社長樽見茂氏による「『おい!豆腐屋そこどけよ』から始まった」。内容ダイジェストは以下のとおり。☆豆腐業界:最盛期の半数の約14000軒。☆昔からある八百屋、魚屋等の○○屋の商売=さげすまされた存在→大学卒業後、実家の豆腐屋を本当は絶対やりたくなかった。☆「自分の食い扶ちは自分で稼げ!」と母親に言われ、実家と別勘定で開業。☆ローカルスーパーへの納入の為、フィルム充填機械を180万円で購入(実家からの借金)。☆既存業者よりも売れなければ不用というバイヤーとの戦いで、試行錯誤の始まり。☆・CCBのような白いメガネ&白装束で豆腐売場に立ち、冷蔵ケースから手渡しで販売。・たまたま在庫切れを起こし、常識はずれの「あげたての生揚げ」を販売。→予想以上の売上で、スーパー4店舗に納入できるようになり、工場建設(借入1200万円)。☆改めて「豆腐」の意味を広辞苑で調べる。=「豆乳をにがりで固めたもの」→本来はにがり=「塩化マグネシウム」のはずだが、実際に使用されている成分はにがり粉=「硫酸カルシウム」(石灰)。→本物の豆腐作りを決意。☆試行錯誤の末、九州・佐賀平野の大豆+沖縄のしまマース(天然塩)に行きつく。→従来のパッケージのまま中身だけ変えて豆腐充填。→「おいしい!」と評判に。☆OEM生産(下請け)開始し、国内初の天然にがり100%の絹ごし豆腐や寄せ豆腐を開発。☆総菜用に「生食用がんも」「味噌汁専用ふぞろいの油揚げ」「ふぞろいのコンニャク」→常識の否定と発想の転換。☆雪印問題の発生を機に、スーパーマーケットとの関係を再考。=スーパーマーケットの植民地=バイヤーの接待漬け等、旧態依然とした体質→スーパーとの取引を止め、製造小売業(豆腐屋の原点)へ。☆春日部工場に隣接した無人店舗で3~4丁どれでも一袋200円を販売。→初日売上7800円、半年後に日商8~10万円に(都内の豆腐屋平均日商5000~10000円)。☆葬儀場のオヤジさんからFC店開業依頼→裏街道の立地で月商180万円に。☆無人店舗3店開設後、第三者割当増資で資本金1億5000万円に。→ホンダモータース、ホンダトレーディング等が株主に加わり、信用度アップ。☆豆腐の「ブランド」作り→「ヤマザキパン」のようなブランドがない。→飲食店・中食の展開。☆Tofu Bar Shigezou Syoutou開店の発想→日経新聞のランキング記事「女性が行きたいリゾート」アンケート第一位=東南アジア・リゾート→デザイナーは「和風」を主張するが、それだとどこにでもある。→自分で家具調達し「アジアンリゾートで食べられる豆腐BAR」をオープンし、ヒット!=心地よい裏切り(ミスマッチ)☆年金生活のご夫婦(夫71歳・妻69歳)からFC店開業依頼。→人通りのない場所で月商180万円に。→開業者の生の声「家族が一体になれ、FCやって本当によかった!」☆50歳以上の父ちゃん母ちゃん業態(酒屋・ラーメン屋)とコラボレート。→高齢者の自立をサポート。☆ベルギーワッフルのようなベストセラーではなく、ロングセラーを目指す。☆昔からあるもの・業態を今風にアレンジすることによって、生活に密着。ご支援クリックいつもありがとうございます!→人気blogランキング<起業・独立部門>クリックしていただくと、一票投票されるシステムになってます。ただいま29位に。
2009年01月13日
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