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早いもので5月もあと2週を残すのみとなった。2024年も半分が終わろうとしている。毎年5月に満開となる薔薇も今年も見事に咲いた。5月に庭にある鉢植えの花も含め写真に記録した。花はカミさんがもっぱら手入れをおこなっており、小生はノータッチである。 ミニばら(鉢植え) ミニばら(鉢植え) ばら(地植え) ばら(地植え) 門の鉢植え 門の鉢植え(オステオスペルムム) 門の鉢植え(オステオスペルムム) 門の鉢植え(すみれ) さつき えにしだ ユリゲロン シラン 鉢植え(ゼラニウム) 花の名前不詳
2024.05.20
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3月28日(木)諏訪台71会が日立駅海岸口にある日本料理店「丸市」で行われ、これに参加した。諏訪台71会はコロナで4年ほど中断していたが昨年から再開した。 1971年に日立製作所日立工場に配属になり独身寮が同じ諏訪台寮であった同期生の会。現在の会員は15名。すでに3名の方が鬼籍に入っている。 15名のうち10名が出席予定であったが、NJさんがコロナにかかり急遽欠席となり、9名で実施した。受付開始時間は12時、会費は5000円だった。 会場の丸市本店 歓談風景 乾杯の後、暫く歓談し、12時45分ころから、各自の近況報告に入る。時間制限は特になし。順番はST-IS-YG-MA-SZ-IT-SAYA-幹事IYの順。各自の話が派生し、盛り上がる。話題は健康問題、、脳梗塞、胃がん、大腸がん、交通違反、臨時認知機能検査、車の買い替え、お一人様独居老人問題など。 集合写真 来年は4月の第一週の金曜日に開催することで決定。集合写真を撮り解散となる。あっという間の3時間だった。 【リンク先】諏訪台71会ー2023ー
2024.03.29
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3月24日(日)10数年振り?に一人で裏山の助川山へハイキングに出かけた。 フィットネスクラブでのマシンを使ってのウォーキングでは物足りなくなり、実際の山を歩くことにした。 宮城県から茨城県日立市西方まで続く阿武隈高地南部の高鈴県立自然公園は日立市、常陸太田市にまたがる山岳公園で、高鈴山を中心に羽黒山、神峰山、御岩山、助川山、真弓山、風神山などが含まれる。 セブンイレブン(日立城南町店)で昼飯のおにぎり(3個)、お茶、午後の紅茶、ガーナチョコレート、あん玉を購入。カミさんにはコンビニまで車で送ってもらう。 ここから、スタート地点の助川城址の碑に向かう。ルート図を下記に示す。10時30分歩き始める。 ルート図 助川海防城址の碑 幕末、海防のために築かれた助川海防城の跡。太平洋を一望できる高台に徳川斉昭の命により山野辺氏によって築かれた。 助川小学校の校庭を抜け、日立総合病院の脇の道を通り、スタートポイントの道標を探すがなかなか見つからない。 助川小学校校舎 助川小学校校庭 日立総合病院 なかなかスタートポイントを示す道標が見つからない コースを示す案内板を見つける スタートを示す道標、コンビニを出て30分が経過 11時になっていた 登山道は高低差はなかった。枯れ木が敷かれ歩き難かった 12時 大山祗神社 ここで昼食おにぎり3個 フィットネスクラブ用に購入したザック 緑がほとんどなく冬の風情 突然鋼製のトンネルが表われる意味不明 12時45分 助川市民の森 1991年(平成3年3月7日)の山火事で218ha消失 その後、火災対策の整備事業が行われる 道 標 山道から突然林道に変わる、火事の対策で 車が入ることができるようにしたと思われる ここからは舗装道路になる、歩き難い 石の池 助川山山頂 327.9m 助川山山頂からの風景、日立の市街地が眼下に広がる 13時50分 ひねり沢 14時 馬力神 明治以降馬頭観音という 14時10分 おむすび池 助川山市民の森 ネイチャーセンター 14時50分 助川山市民の森入口 青葉台団地入口、15時10分自宅着 10時30分に自宅を出て、4時間40分、久し振りに山に入り、リフレッシュできた。コースはまだまだ沢山あるので、1ヶ月に1度はハイキングをすることに決めた。 今回のウォーキングの結果は18,666歩、14.3kmだった。
2024.03.26
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2024年3月14日(木)日立社友クラブ茨城支部の第88回研修会が東京王子であり、これに参加した。前回は昨年9月28日に行われ今回は2度目の参加となる。今回の参加者は18名。 集合場所は7時「大みか駅前」あるいは7時15分「日立南ドライブイン」のどちらか。小生は車を使わなかったので「大みか駅前」にした。久し振りの5時起き、トーストとコーヒで簡単な朝食を摂り、カミさんに「常陸多賀駅」まで送ってもらう。6時45分発の電車に乗り6時50分に「大みか駅」に着いた 小型の観光バスが止まっていた。会費の10,000円を払い、中央付近の席に座る。昨年10月からバス代が約3割値上げとなったため、会費も高くなった。今回はバスが小さかったため、二人掛けになった。隣は同じ職場の先輩SJさんだった。 常磐高速「守谷」サービスエリアでトイレ休憩の後、首都高に入り、首都高の渋滞もなく予定通り10時頃に飛鳥山博物館駐車場に着いた。ここでバスを降り、三つの博物館と三つの食事処から各々一つ選び昼食を摂る。集合は13時10分。時間は充分ある。 飛鳥山公園(その1) 飛鳥山公園(その2) 北区飛鳥山博物館、紙の博物館、渋沢史料館の共通入場券、世話人から 各自に配布された。1.北区飛鳥山博物館 北区飛鳥山博物館前での集合写真 区立の博物館としては立派だった。北区の歴史、自然、文化などについて14のテーマに分けて展示。学芸員により、古代から江戸時代、現代までの歴史について説明があった。八代将軍吉宗が飛鳥山公園を整備して庶民のために観光地化した。明治6年に上野公園などともに国立公園に指定された。 豊島郡何衙正倉(としまぐんがしょうそう) 奈良・平安時代の米を納めた倉を復元 中里貝塚貝層剥ぎ取り標本(その1) 縄文時代の日本最大級の貝塚の貝層 大変な迫力を感じた 中里貝塚貝層剥ぎ取り標本(その2)2.紙の博物館 150年前の1873年、王子の地に渋沢栄一の主導により抄紙会社が設立された。西洋式の技術と機械による洋紙の製造会社(現在の王子製紙)で日本の近代製紙の原点となる会社。 パルプを作るグラインダーや抄紙機など製造設備の展示や、紙の歴史、文化、産業などについて紹介。世界的にみても珍しい博物館。 紙の博物館玄関 和紙に描かれた屏風絵 パルプを作るポケット型グラインダー 紙の博物館の見学を終え、飛鳥山公園内のレストラン「エプロンマーク」で昼食。ジンジャポーク(¥1500)を頼む人が多かった。肉は厚く、柔らかでジューシーで美味しかったが、木製のナイフには手こずった。昼食後、渋沢史料館を見学した。 3.渋沢史料館 近代日本経済の父とされる渋沢栄一の活動を紹介している博物館で1982年に栄一が住んでいた旧渋沢邸の跡地に建てられた。館内には渋沢栄一91年の生涯と栄一が携わった様々な事業や活動を年齢ごとに展示。年齢ごとにその年に何をしたかが説明されていたが、どの年も無駄がなく、事業に打ち込まれた偉大さを見ることができた。 渋沢史料館玄関 館内の展示 年齢ごとにその年に何をやったのかが説明されている 活動内容の豊富さとともに、1年たりとも無駄に過ご さず91歳まで生きた栄一翁の凄さを見た。 渋沢栄一像 ・晩香蘆(ばんこうろ) 1917年竣工。国の重要文化財。栄一の喜寿のお祝いに清水建設から贈られた洋風茶室で 内外の賓客を迎える茶室として使われた。 晩香蘆 晩香蘆の内部 ・青淵文庫(せいえんぶんこ) 1925年竣工。国の重要文化財。栄一80歳のお祝いと子爵に昇格したお祝いに 竜門社(現:渋沢栄一記念財団)から贈られたもので栄一の書庫と接客の場として使 用された。 青淵文庫(その1) 青淵文庫(その2) 青淵文庫の内部4.国立印刷局東京工場(National Printing Bureau) 3つの博物館と昼食を終え、予定より10分早く、13時には全員バスに戻った。飛鳥山公園の隣に位置する国立印刷局東京工場までは5分程度だった。駐車場のテントで事前に提出してあった見学者リストとマイナンバーカードあるいは運転免許証による本人確認作業、手荷物検査がおこなわれた。 確認、検査が終わると、見学者を示す首からかける見学者カードが渡された。 建屋内にある見学者のためのプレゼンテイションの部屋に案内され、カメラ、携帯電話、時計、財布などの所持品を各自ロッカーに入れた後、国立印刷局話をDVDを交え伺う。プレゼンターは男性でベテランといった感じだった。 国立印刷局は昭和6年に設置。平成26年に東京工場に名称変更。 国立印刷局は本局、工場、研究所の3つの組織からなり、工場は全国に6つの工場からなる。東京工場、王子工場、小田原工場、岡山工場、彦根工場、静岡工場。 国立印刷局の使命;社会基盤を支える日本銀行券、官報、旅券などの製品や情報サービスを 確実に提供することにより、日本経済の発展と国民生活の安定に貢献する。 国立印刷局の製品;日本銀行券(お札)、証券類(旅券、郵便切手、印紙・証紙など) 官報、法令全書、予算書、決算書など お札は偽造防止することはもちろん、誰にとってもつかいやすいことを目指し、お札はどんどん進化してきた。 〇超絶技巧とテクノロジーでART(アート)なものづくり 〇「多くの人が使いやすい」を目指したユニバーサルデザイン 今年(2024年)7月3日、20年ぶりに新しい「日本銀行券」が発行される。新紙幣の壱万円札の肖像には、渋沢栄一が採用された。渋沢は日本の近代経済社会の基礎を築いたことで知られるが、一橋領の藩札の発行や新貨条例・国立銀行条例などの制度づくり、洋紙製造会社の立ち上げなど、紙幣の発行や流通においても、大変重要な役割を果たした。 プレゼンテーションの後、二人(内女性一人)の案内者に連れられて、製造現場に入った。二階からガラス越しの見学だったが、7月3日から使われる新一万円札の印刷の様子を垣間見ることができた。工場見学後に偽装防止技術の説明などを受けた。体験コーナで一億円の重さを体感することができたが、重いと感じた。 展示室の脇の廊下で新一万円札が印刷されたタオル、Tシャツ、サブレのお土産を売っていた。小生はカミさんにサブレ(600円)を購入した。家で食べたが美味しかった。 廊下の端のテーブルに記念スタンプを置いたテーブルがあったのでお土産に押印してみた。お札を作っているところのスタンプだけに、線が細く繊細で美しく仕上がった。よくあるゴムのスタンプとはまったく違う。 記念スタンプ 見学後の集合写真15時頃見学を終了、案内してくれた人が手を振ってバスを見送ってくれた。お土産の販売といい、説明者の人のかけかたといい。国立印刷局は外部への宣伝に、力を入れているなと感じた。 予定通り、18時に「大みか駅」についた、久し振りに充実した1日を過ごすことができた。 つくば学園都市の研究施設の見学
2024.03.19
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2月4日(日)は立春。はやいもので2024年も1ヶ月が経つ。これからだんだんと春に向かい暖かくなる。この1ヶ月は能登半島地震のことが、マスコミでも大きく取り上げられ、ドライブレコーダに記録された、倒壊する建物の様子は衝撃的だった。倒壊した古い家が多かったように思った。自分が被災者だったらどう生活を立て直すか考えさせられた。 まだ、1万4千人の方が避難生活を余儀なくされている。かつてのような、日常を取り戻すためにはまだまだ時間がかりそうだ。引き続き絶え間のない支援が必要だ。 立春なのでカミさんが午前中にピアノの上にひな人形の飾りつけを行った。ここ数年、ひな壇を組み立て人形を飾るのは体力的に大変とかで、ピアノの上に人形を飾り付けている。ピアノの上は狭いので人形で一杯になる。少し置き過ぎで余裕のない感がする。 この人形は生前1991年に母が娘のために名古屋の松坂屋で買ってくれた木目込松宝雛、15人飾りの古今雛、作者金林真多呂。大きさ人形の表情、大きさも気に入っている。 ピアノの上に勢ぞろいした雛人形 庭の梅の木は昨年より多くの花がさいているようだ。梅の木の剪定は昨年カミさんが行った。第128回水戸の梅まつりが2月10日から3月17日までの37日間、偕楽園や弘道館などで行われる。 梅の花が咲くと春はもうそこまでと感ずる。学生時代の梅の花を歌った歌を思い出す。 春の訪れ告げる梅の花よ 寒さに耐え、身を震わせて 今こそお前の新しい時代 ・・・・・ ・・・・・
2024.02.04
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2024年の三が日も今日で終わり、元旦には北陸地方に震度7を超える地震があり、70名を超える方が亡くなり、3万人を超える人が避難生活に入っているとのこと。そして、2日には羽田空港で航空機の衝突事故があり、大惨事になるのではないかと思っていたが、幸いにも亡くなられた方は最少の人員で済んだ。 大事故が頻発する慌ただしい2024年がスタートしたが、これから先どんな大きな事故事件が起こるのかと思う。未だ解決の端緒が見えない、ロシア・ウクライナ戦争、ハマス・イスラエル紛争、そして自民党の裏金問題などこの1年どんな展開を見せるのだろうか興味を持ち見て行きたい。 世の中は騒がしかったが、私的生活は平穏な年末・年始だった。一昨年秋に鹿児島に嫁いだ娘はこの正月は帰省しなかったので、カミさんと二人で年末・年始を静かに過ごした。 大晦日は長年紅白歌合戦を観るのが慣わしになっていたが、今年ほど身の入らなかったことはなかった。カミさんはTBSの「WBCザ・ファイナル」のほうが興味があるようで、コマーシャルの度にチャンネルを切り替え切り替えしながら、紅白を観た。 団塊の世代にとっては歌が新しく歌詞について行けなかった。同じような女性グループの歌が多く、だれが、だれだかわからなく、歌手の顔が見えなかった。歌を通じて一年を振りることが全くできなかった。 視聴率は第一部29.0%、前年比2.2ポイント減、第二部31.9%、前年比3.4ポイント減、1989年以降最低の値だった。もはや家族団らんしながら、観る番組ではなくなっている。今年のテーマは「最高にボーダレスな夜」だったが、紅白歌合戦という古い男と女という境界をなくした時代にあった内容にするべきだと思った。 カミさんが毎年行っている、新年の花と大根で作った正月飾りの鏡餅もどき。 鏡餅もどき(玄関) 鏡餅もどき(床の間) 鏡餅もどき(書斎) 今年は初日の出を写真で撮るのはやめた。「朝まで生テレビ」を1時間位観て寝る。出演者は知らない人が多かったが、田原総一朗が独善的に意見を押し付けるのに癖癖とするので朝までは我慢ができなく、早く寝てしまった。 元旦は雑煮三つとハルメクから購入した、2人前のおせち料理だった。味はまずまずでおいしかった。飲み物はノンアルコールのシャンパンで乾杯した。 2日は車で10分位のところにある、鹿島神社に初詣に出掛ける。参拝者もそこそこいてよかった。 正月飾りされた手水舎 助川 鹿島神社 本殿 助川 鹿島神社 御朱印 鹿島神社で参拝後、「ヒタチエ」にある「珈琲館」でコーヒーとサンドイッチの昼食。コーヒは早くきたが、サンドイッチがくるのが遅く少しイライラする。 Mister Donutでドーナツを買って帰宅する。
2024.01.03
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日立社友クラブ茨城支部の研修会が9月28日に行われこれに初めて参加した。この研修会は日立製作所を管理職退職したメンバーによる茨城支部の同好会活動の一つで研修会は年4回程度実施されている。同好会の活動としては「旅行会」「歩こう会」「パソコンの会」「写真五七五の会」「囲碁の会」「料理教室」「野鳥・自然観察の会」「デジカメクラブ」「卓球クラブ」がある。小生は「歩こう会」をメインに参加している。 今回の参加人員は19名。集合場所は8時「大みか駅前」あるいは8時15分「日立南ドライブイン」のどちらか。小生は車を使わなかったので「大みか駅前」集合にした。 8時集合は早かった。いつもより、1時間早く起き、身支度を整える、外出が少なくなると、外出のための準備が億劫になる。カミさんに常陸多賀駅まで車で送ってもらう。常陸多賀駅とおおみか駅は一駅、所用時間4分。「大みか駅」には7時43分に着く。会費8,000円を払い、資料を受け取り観光バスの好きなところに座る。 バスは予定通り、「大みか駅前」を8時に出発。「日立南ドライブイン」で残りの参加者をピックアップし、日立南ICから常磐高速にのり友部を経由し、土浦北ICで高速を降り、9時30分頃つくばに着いた。日立からの所要時間は90分、そんなに遠くはない距離だ。 【研修先】 (1)国立研究開発法人「土木研究所」 土木は道路、橋、トンネル、ダム、下水道などで暮らし全体を”安全・便利・豊か” にしている。社会資本の維持管理・長寿命化などを目指して研究・開発を進めている。 見学の前に「土木研究所」の玄関前で集合写真 見学風景 水理実験装置 大型動的遠心力載荷試験装置(2)国立科学博物館「筑波実験植物園」 植物にはあまり関心もないし、昨日は「歩こう会」に参加したため、疲れが出ており、 歩く気力も写真をとる気力もなかった。 1976年に開設され、14ヘクタールの敷地に7000種以上の植物が栽培され ている。 筑波実験植物園のレイアウト (3)国立研究開発法人「宇宙航空研究開発機構筑波宇宙センター」 職員食堂で見学に先だち昼食をとった。ビュッフェ形式で「サラダ」と 「魚料理」をチョイス。700円を支払う。味はまずまずだったがおかず の量がすこし少なかった。… 昼食後、入口の近くに建てられた展示室「スペースドーム」を自由見学 する。「スペースドーム」には実際に燃焼試験に使われたロケットエンジンや 様々な人工衛星の予備機、試験モデルが数多く並んでいた。 国際宇宙ステーション「きぼう」の前で 人工衛星のモデルの前でドームの天井まで 届きそうな大きさに圧倒される。 ロケット開発の変遷 一番高いロケットが2023年3月に打ち上げに 失敗した「H-3」。 手前の2基は固体ロケット「イプシロン」 2022年10月に打ち上げ失敗。打ち上げ失敗が続いており、 技術的原因究明と動機的原因の究明が求められる。 今回の見学では国際宇宙ステーション「きぼう」日本実験棟の運用を 24時間体制で行う運用管理室は見学できなかった。 (4)国立研究開発法人「建築研究所」 住宅・建築・都市の健全な発展と秩序ある整備に寄与することを目的とし 75年の歴史を有する国立研究開発法人。 「建築研究所」玄関 強度試験棟 建物やそれを構成する柱、梁、壁などの強さ、変形の しにくさ、揺れ方などを調べる。実験で得られた研究 成果は建物の耐震設計などに利用される。 振動台の大きさは4m×3m、最大積載荷重200kN, 最大加速度±1G,最大速度±100cm/sec,最大 振幅±150mmの加速度能力を有する。 実大構造物試験棟 地上高さ25m、7階建のビルの実規模試験に対応。 建築物を設計するためには、さまざまな仮定を含む理論計算や 部材レベルの実験などでは不十分。実大の建築物を用いて、 実際に近い力を加える実験を行って安全性を確認することが 必要な場合がある。 実大構造物に対して地震時に発生する大きな水平力を加える ことができる。(最大せん断力40,000kN) 世界最大級の規模を誇る施設。 火災風洞試験棟 風速を変化させながら、建屋の火災の状況を調べる。 火災や煙に及ぼす風の影響を火災安全工学として系統的に 研究する。風速10m/Sを体感した。 大型の設備ばかりでその迫力に圧倒された。これだけ大きいと試験をおこなうのには多くの人と時間を必要とすると感じた。 15時頃、見学を終了し帰途に着く。16時45分頃「大みか駅」に到着。2日連続の外出はさすがに辛いものがあった。体力のなさをつくづくと感じる1日だった。体系だった毎日の運動の必要性を痛感した。
2023.10.26
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9月10日(日)東京ドームへ中日×巨人戦の観戦に出掛けた。小生はここ数年はプロ野球には全く興味を失っているが、カミさんは野球観戦好きでテレビのチャンネルはカミさんに占められていることが多い。 今年の初め一度東京ドームに行ってみたいとの話があり、今回の観戦となった。都市対抗野球の応援で小生は何度も東京ド―ムには行ったことがあるが、プロ野球の公式戦になると、二人とも50年から60年前の名古屋中日球場での観戦以来となる。 同じ巨人戦で広野が堀内から打った満塁サヨナラホームランが忘れられない。中学生か高校生の頃だと思うが、親父が取引先からシーズンチケットを入手してきたので、弟と妹の三人でよく観戦にでかけた。当時の中日も今一強くなく巨人の後塵を歩いていた。 東京駅で中央線に乗り換え、お茶の水で総武線に乗り換え水道橋で下車。東京ドームに向かう。日曜日の午後ということもあり、人出は多かった。 ドームの広場にある、コーヒショップのテラス席で昼飯のパスタとコーヒを食する。パスタは量も味も満足できるものであった。 チケットは「チケットぴあ」で入手。セブンイレブンでお金を払ったら、郵送されてきた。3塁側の外野席に近い内野席だった。隣あった席は確保できず、バラバラに座った。41通路と46通路はかなり離れていた。お互い確認ができる席ではなった。 試合が始まる14時には満席になった。巨人ファンとドラゴンズファンが混在しているエリアだった。巨人ファンが若干多かった。 外野席のレフトスタンドの端の1画が組織だって応援する人が集まった席だった。3本の大旗が振られ、息のあった応援の掛け声がかけられた。 スターティングラインナップ。両チームの選手は巨人の数名の選手を除いてはほとんど分からない。 結果は2対1で巨人の勝ち。今年の両チームを象徴するような何の興奮も感じられない凡戦だったように思う。カミさんは一度来てもう来なくてもよい、テレビ観戦のほうがよいとのことだった。声援の音が大きく、やかましく、集中できなかった。 時間が決められない、いつ終わるかもわからないのも、人気がなく大きな要因だと思った次第。 東京駅の駅中のレストランでハンバーグの夕食をとり、18時53分の特急で帰宅した。
2023.09.14
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9月3日(日)1泊2日で4年振りにNUWV(Nagoya University WanderVogel)OB会が開催されこれに参加した。場所は長野県安曇野蝶ヶ岳温泉『ほりでーゆ~四季の郷』。遠出をするのは本当に久しぶりで、中央線にも久しぶりに乗った。スムーズに行けるか心配だったが、何の問題もなくホテルに着くことができた。 新宿発12時のあずさ21号松本行きに乗車した。 車両は以前乗ったものから一新され、先鋭的な外観をしていた。 座席は最終12号車10番D席だった。 松本駅の高架橋の窓から山々が見えた。 大糸線のホームに行く。 大糸線のホームで3期上のIMさん、1期下のIHさんに会う。 約20分で豊科駅に着いた。 ホテルの送迎バスが待っていた。10数名がこのバスを利用した。 20分程で『ほりでーゆ~四季の郷』に着く。ホテルは清潔感が あり気持ちよかった。 ロビーで受付、会費16,000円を払い、名札、部屋割り表を受け取る。 参加者は42名だった。 2期 1名 5期 2名 6期 6名 7期 4名 8期 5名 9期 6名 10期 6名 11期 7名 12期 3名 13期 2名 合計42名 小生は9期。部屋に行くと、IY,MK,ET,IM,AHが既に来て いた。 18時から宴会開始。宴会に先立ちに過去に鬼籍になった人を想い黙祷。 昨年も2名の方が鬼籍に入った。会長挨拶。1年間の活動内容の報告があ った。あちこちで4年振りの懇親の輪ができた。料理はまずまずで美味し かった。 御献立 食前酒 かりん酒 小鉢 鰻の煮凍り 造里 旬の魚 妻物一式 台物 牛焼きしゃぶしゃぶ 凌ぎ 手打ち蕎麦 焼物 岩魚塩焼き 煮物 新玉葱スープ煮 蒸物 海鮮蒸し 揚物 もろこし真薯 ズッキーニ 食事 御飯 御漬け物 安曇野こしひかり 椀物 御味噌汁 甘味 ブルーベリームース 21時頃集合写真を撮り解散。それぞれの部屋で二次会。1年先輩の部屋に なだれ込み11時頃までダベリング。翌日はゴルフを行うメンバーもいること から適当なところで切り上げる。 翌日は7時から朝食、8時から玄関前で集合写真、8時50分に送迎バスが出る。13時45分発のあずさ34号に乗る予定で時間は充分あったので松本城に行こうと決めていた。 解散前の集合写真、13名が二次会のゴルフにでかける。 松本駅前、松本城へ行くバス停でIMさんに会い行動を共にする。 松本城(その1) 松本城(その2) 松本城(その3) 松本城(その4) 松本は生憎の小雨だった。お土産をホテルで買ってしまい、荷物になり困った。脱いだ靴と傘をそれぞれのポリ袋に入れお土産の入った袋を持ってお城の天守閣の急な階段を登るのはかなりつらいものがあった。天守閣は以前登ったことがあった。 17時53分東京駅発のひたち23号で予定通り無事に帰宅した。
2023.09.12
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6月2日(金)から6月5日(月)まで3泊4日で、昨年10月に結婚し、鹿児島に行った娘の生活の様子を見るためカミさんと鹿児島旅行をした。 鹿児島までの遠さを実感するために行きは新幹線、帰りは飛行機で計画した。台風2号が接近しており、東海道新幹線、山陽新幹線が影響を受けそうだった。前日、中止しようかカミさんと話をするが、カミさんは何としても行きたいと強く主張した。 結論として、1時間早く出る事にした。予約は全て取り消され、自由席になったが、運よく席を確保することができた。 ・常陸多賀ー鹿児島中央 乗車券 12,550 ・常陸多賀 7:11 東京 9:11 ときわ58号 1,100 ・東京 9:39 新大阪 12:06 のぞみ217号 5,810 ・新大阪 12:20 鹿児島中央 16:27 さくら585号 6,990 ときわ58号はかなり混んでいた。ときわには自由席がなく全車指定席。何回も空いた席に移る。のぞみは1号車の先頭にならぶ、改札を入ったところで、昼食の弁当を購入する。出発の時はガラガラだったが、横浜でほとんどの席が埋まった。さくらの自由席はかなり混んでいたこれからさらに4時間乗ることになる。 うまく台風の雨は避けることができた、すぐあとの新幹線は三河安城付近で運転見合わせになった。出発を1時間早くした判断は間違っていなかった。 鹿児島中央のバスターミナルからホテルのシャトルバスに乗り、ホテルにチェックインする。ホテルは老舗の城山ホテル鹿児島。コロナの旅行支援を受けるため書類を1枚作成。5000円のクーポンももらう。 【6月3日(土)】 ホテルのシャトルバスで天文館までいき、1号線系統谷山行きに乗る。市電はカラフルでかわいらしかった。本数もかなりでているようで便利そうだった。市電は温暖化防止の観点からも重要な気がした。 キャンパスにあるソテツが本州にはない光景だった 「マリンポートかごしま」からの桜島は天候も晴れて美しかった マリンポートかごしま 鶴丸城跡(その1) 鶴丸城跡(その2) 鶴丸城跡(その3) 鶴丸城跡(その4) 西郷隆盛銅像は想像していたより大きくて立派だった 城山展望台、逆光の中桜島と錦江湾、鹿児島の市街が絵画を見るように 見える。見学を終わり18時からホテルに併設された「城山ガーデンズ水簾」で会食。驚くほど美味しくはなかった。 御品書 前菜 前菜盛り合わせ 座付碗 鯛潮仕立て 向付 バラン葉盛 鯛松皮 海老 鰹 水烏賊 きびなご 煮物椀 イセエビテールチリソース 茄子 揚げ胡麻豆腐 替り鉢 冷しゃぶ和牛ロース 強 肴 鮎化粧焼 あしらい一式 食 事 とうもろこし御飯 留湾 香の物 甘 味 本日の甘味【6月4日(日)】 鹿児島港に行き、55年前沖縄に行った時のターミナルを確認しようと奄美・沖縄フェリーターミナルに行く。港には大きなフェリーが接岸し積荷作業を行っているようだ。ターミナルの待合室は500名は収容できるか大きな部屋だった。今日は出港しないためか、だれもいなかった。 隣の種子島・屋久島高速旅客ターミナルへ行く。待合室には乗客が多く集まり、55年前に近いような気がした。 奄美・沖縄フェリーターミナルは拡張のため新たに作られたと思われる。 積荷作業中の大型フェリー 誰もいない待合室 種子島・屋久島高速船旅客ターミナル 鹿児島港を観たあと世界文化遺産仙厳園に行く。1958年に島津光久が構えた別邸。大名庭園は1万5000坪の広さ。集成館事業の遺産が数多く残る。 御殿 庭園から見た桜島抜群だった 仙厳園(その1) 水力発電用ダム跡(その1) 水力発電用ダム跡(その2) 旧集成館反射炉跡【9月5日(月)】 10時にチェックアウト、ホームランを打つと行われる兜パフォーマンスが0こなわれているが、この兜を制作した工房が武者そといを飾っていた。 シャトルバスで天文館にバスターミナルまで行く。娘はここまで見送ってくれた。こみあげてくるような感傷めいたものはなっかった。 15時ころ鹿児島空港に着く。予約表を見せてチェックイン。20年振りの飛行機か? 16時40鹿児島空港発ANA628便。天候に恵まれ快適な空の旅だった。鹿児島ラーメンを食べることができなかったが、定番3大スポットの「城山」「仙厳園」「桜島」を観ることができた。桜島はどのポジションから見ても美しかった。飛行機は13,790円で新幹線に比べると8490円安かった。 、(仙厳園(その2) 旧
2023.09.02
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事故以来10年に渡る大きな課題であったが、汚染水問題解決の緒についた。今まで安倍内閣でも解決できなかった問題を岸田内閣はこれを実行に移した。岸田さんはよく決断された。政府のやることにはどちらかというと批判的だったが、今回の処理水については高く評価したいと思う。 処理水のトリチウムの安全性(世界中の再処理工場、400基を超える原子力発電所から放出されている量と比較した相対的な意味で絶対的なものではないが・・・)については世界中の原子力に関するデータを集積、分析、評価を行っており、このような機関は世界に存在しない、IAEAが処理水の海洋放出にういてお墨付きを与えている。放出されるトリチウム濃度は英国のセラフィールド、仏国のラ・アーグ再処理工場のそれより低く抑えられている。セラフィールドはすでに運転を停止しているが、ラ・アーグは今も運転されている。中国、韓国の原発からも日常的に放出されており、ALPS処理水に反対する理由が全く理解できない。 放水にあたっては漁業従事者の同意が必要となっていたが、反対も多くあり全体で合意形成されることは不可能なため、敷地一杯のタンクでもはやタンクを建てる余裕がなくなってきている、今がタイムリミットなのだと思う。これからの廃炉作業を考えたとき、敷地一杯のタンクは邪魔でなにもできない。廃炉のための作業スぺース確保のためにも処理水の海洋投棄は必須条件である。ニュースで海洋投棄の世論調査の結果が報道されていたが、賛成が40%を超え、反対は30数%だったように思う。問題は処理水の海洋投棄にあるのではなく、ALPSで処理した時に出る多様な放射性核種を持つフイルターを永久に管理し保存をどうするかにある。今までの発生量がどれほどか不明であるが、減容し、放射能レベルを人が管理できるレベルまで下げるための技術開発が必要となる。 処理水は廃炉作業の一過程に過ぎないが、現在の根本問題は廃炉とは最終的にどんな形になるのかということ、全体のグランドデザインが国民に全く提示されていないことである。廃炉をどのような形にするのが最善か、国、事業者、学会、政党で国民の前に明らかにして国民が最終的な形に納得する必要がある。なおデブリ除去のため現在いろいろなタイプのロボット開発がなされているが、ロボットで完全に除去することは不可能であり、これを前提に廃炉処理を考えることが必要となる。 国民全体で考えるため、廃炉の影響を最も被る、中学生、高校生、大学生による高額な奨学金を出す、グランドデザインコンテストをやったらどうだろう。大人では気付かない思いもよらないアイデアが生まれるに違いないし、理科教育の一環にも大いに貢献できると思われる。。
2023.08.23
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4月17日(月)上京して映画『パリタクシー』をカミさんと鑑賞。カミさんが新聞で上映されることを知り、勧められたもの。パリに惹かれて観ることにする。 「角川シネマ有楽町」で観る。以前に映画を観たのは1年前の2月、東京国際フォーラムでオーケストラ付の『砂の器』。映画は嫌いではないが、現在住んでいる町には映画館がなく、一番近い所は、車で40分のひたちなか市にある「TOHOシネマ」。TOHOシネマに掛からない映画は上京するしかないことから、映画から遠ざかる要因になっている。 【砂の器】のリンク パリと言えばオードリーヘップバーンの『シャレード』。明るくお洒落な雰囲気が漂うが、この映画はシリアスで暗かった。これがパリの美しい街が頭に残らなかった原因かとも思う。音楽も印象に残るものでなかったのが残念だった。
2023.05.03
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4月11日(火)3年半ぶりに1971年に入社した時同期で同じ寮だった、諏訪台71会が開催され参加した。この種の会合はコロナ禍になった後、初めてだった。 参加者は10名だった。会員は15名、コロナ禍前は12~13名の参加者があったので少し参加者が少なかったような気がした。体調がすぐれず欠席される人もちらほらあったようだ。 日立駅中央口改札に11時30分集合。7名が平和通りの散策に参加した。桜は散ってしまい葉桜になり遅かった。平和通りから日立事業所を経由して宴会会場の日本料理店の〘丸市〙に向かう。 会場に直行した3名が加わり10名が揃い宴会が始まる。宴会の初めに幹事のIYさんが2年前に鬼籍に入られた、JT氏を偲び献杯の音頭をとられた。 駅前に設置された蒸気タービンのモニュメント モニュメントの説明掲示版 散ってしまった桜、一週間遅かった 平和通り(その1)遠くに倒壊した大煙突が見える 平和通り(その2) 工場群、三菱重工とタービン部門、発電機部門が合弁会社を設立、 日立は合弁比率が50%未満であったため、創業工場の大部分 が三菱重工の財産となる。心の拠り所を失ったような寂しさを 感じた。 最も大きなG棟と海側門 宴会会場の〘丸市本店〙 懇談風景 一人5分で近況報告を順番に行う。話すことは余りなかったので困った。 1.技術士事務所を2020年に廃業したこと。7年しかできなかった。 2.2020年3月に胃、2021年8月に大腸のがんの手術をしたこと。 最後に集合写真を撮りお開きとなった。次回は来年3月に行うことになった。
2023.05.02
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2019年11月の人間ドックで胃のバリウム✕線検査を行い前庭部に異常が便の潜血検査では陽性の判定が出たため、12月に内視鏡による精密検査を受診した。 胃のほうの結果がはやく判明。早期がんとのことだった。①胃切除をするか②内視鏡的切除のどちらを選ぶか問われ内視鏡的切除を選択した。 2020年の3月2日に入院、思ったより病変の範囲が広いとのことだった。3月3日に内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)を実施した。3月24日HR先生の面談。施術結果の報告。異常なかった旨お話がある。内心ホットする。 大腸の内視鏡検査は腸の形状が複雑で、ポリープがあると伝えられた。11月19日、人間ドック便の潜血検査で再び陽性の判定。12月3日に大腸ファイバー、ポリープ2個削除。ヒダに隠れたポリープが新たに見つかった。 2021年6月10日大腸ファイバー。新たに見つかった1個のポリープ削除。病理検査の結果、悪性のポリープだった。ポリープの場所はS状結腸部だった。腹腔鏡手術をおこなうことになる。消化器内科から外科に担当が変わり外科の主治医はAR先生となる。 8月23日入院。AR先生から手術内容の説明。翌日、麻酔科の先生から全身麻酔についての説明を受ける。全身麻酔は初めての経験。なにも分からずに全てが終わってしまうのではないかと正直怖かった。 8月25日、9時から手術。予定通り2時間で終了。切除した腸は鶏肉のようで色はピンクで綺麗だったとのカミさんの感想。 10月5日、手術で切り取った部分の病理検査の結果報告。ステージⅠで、リンパ節へのへの転移はなし、5年生存率99%とのこと。 11月15日、人間ドック、特に異常は指摘されなかった。便潜血検査は陰性になっていた。 2023年2月1日と2日に胃の施術3年後、大腸の手術1年半後の経過観察の胃の内視鏡検査とCT検査、血液検査を行う。 2月17日にHR先生先生との面談、異常は認められなかったとのこと。3年が経過したので、これからは病院の手を離れ、市が主催し行っている内視鏡検査1年に1回程度受診するように言われた。 3月9日にAR先生との面談。CT検査、血液検査での異常はなかったとのこと。今後は5年経過するまで、6ヶ月に1回、CT検査と血液検査を行いフォローしていくとのこと。AR先生は3月一杯で転勤。次回からは新しい先生が担当するとのこと。AR先生は良い先生だった。 今回の検査でいずれも異常がなかったことから内心ホットし、肩の荷が降りた。人間ドックで異常兆候が幸運にも早期発見され、早く処置できたことがよかった。30年以上、人間ドックをおこなってきた甲斐があった。 【参考ブログ】 『がん』日記(その1)
2023.03.16
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この年末・年始はカミさんと東京を2回散策した。1回目は12月24日(土)、2回目は1月17日(火)1回目は知人にお歳暮のお菓子を送るために、東京駅にある大丸百貨店と東京スカイツリーに2回目は「美しきシモネッタ」を鑑賞するために丸紅ギャラリーに行った。2回とも時間のアレンジが悪く帰りの電車に乗るのに1時間近くホームで待つはめとなった。 【2022年12月24日(土)】 7時10分起床。いつもの通りチーズトースト、目玉焼き、パイナップルオレンジジュース、コーヒの朝食を摂り、9時30分頃、車で常陸多賀駅まで行く。駅に併設された駐車場に車を置く。駐車場はガラガラだった。駐車料金は1日置いて500円。高くはなく妥当な金額。10時6分の特急電車に乗る。 11時40分過ぎに東京駅に着く。八重洲口からデパ地下に入り、適当なお菓子を探す。適当なものが見当たらずカミさんと相談し平凡な名古屋名物の「おちこち」にする。 12時40分頃、地下鉄丸の内線で大手町に行き、半蔵門線に乗り換え押上で降りた。車内で若い男の人から席を譲られた。内心うれしかった半面そんなにヨボヨボした老人に見えるのかと若干ショックではあった。 東京ソラマチにある「洋食屋銀座グリルガーデン」で昼食。ハンバーグを食べた。1人2700円だった。 昼食はまずまず、14時過ぎにスカイツリー入口から中にはいり、チケットの購入のために並ばされる。そんなに混んでいる印象はなかったが30分以上は並んだような気がする。スカイツリーは今年は開業10周年の記念の年である。 スカイツリー入口へ行く通路 入口前のテラス チケット購入のための行列 チケットの発券機 入場料は大人3100円だった。少し高いような気がした。障害者は半額になるが、高齢者割引は設定されていなかった。70歳以上の高齢者割引があってもよいように思った。 チケットの裏側に日立のエレベータのコマーシャルが印刷されていた。スカイツリーに深くかかわっていることは知らなかったので、日立もやっているのだということを知り、うれしかった。 観光客が行けるのは展望デッキ(350m)と展望回廊(450m)。テレビなどの映像で見るのと実際は迫力が違う。 隅田川 この日は雲一つなく天候に恵まれた。日没前、夕日と富士山が並んで見られたが、このような美しい光景は一生見られないと思った。 16時45分頃、「SKYTREE CAFE 340」でレモンクリームソーダを飲みながら休憩。 夜景に移る 17時5分頃スカイツリーを出る。押上駅のホームに行くまでに思いのほか時間がかかったのに加え大手町での乗り換えに手間取り時間がかかったため帰りの電車17時53分にはまにあわなかった。10分足らなかった。CAFEでの休憩が余分だった。 [スカイツリーパンフレット] 東京スカイツリーは”都内屈指のパワースポット”!! 東京スカイツリーは富士山と明治神宮、皇居(昔の江戸城)そして茨城県鹿嶋市の鹿島神宮を結ぶレイライン(古代の遺跡や聖地が一直線上に並んでいる線)の上に建っておりポジティブなエネルギーが集まる場所と言われている。 【2023年1月17日(火)】 東京駅着までは昨年12月24日の内容と同じ。東京駅北口に出て、新丸ビルに向かう。 新丸ビルの入口 12時頃、新丸ビルに着く。5Fのレストラン街を少し見て歩き、天ぷらを食べることになった。お店の名前は『天ぷら 船橋屋』。15分から20分くらい並んで待つ。カウンター席に案内された。目の前でてんぷらを揚げていた。ランチAとランチBを注文する。ランチAは1600円、ランチBは2120円。てんぷらは7品でどちらも同じ。520円の差は前菜のトマトとデザートのアイスクリームの差だった。 支払いはPayPayで行う。今までは、この種のお金はカミさんが現金で支払っていたが、昨年PayPayをインストールしてからは自分が支払うことが多くなった。 丸の内線で大手町に行き、大手町から丸紅まではオフィス街を抜けお濠端を歩く。オフィス街は13時過ぎのためか人通りは少なく閑散としていた。 大手町のオフィス街 やがて2021年に竣工したという丸紅ビルに無事到着。1Fにあるコーヒショップで休憩。14時30分頃丸紅ギャラリーへいく。1Fのホールを通り、セキュリティーチェックのない一番端に設置されたエスカレータに乗り3Fにある丸紅ギャラリーに着く。 丸紅ビル 1Fホール 1Fのセキュリティチェック 丸紅ギャラリーは2021年の丸紅ビル竣工を記念して開館、今回展示されている絵画は丸紅が所蔵する日本に唯一のボッティチェリの《美しきシモネッタ》。1969年にイギリスから輸入してから53年間丸紅が大切に所蔵してきた作品。 2023年1月28日にはシモネッタの生誕570周年を迎える。シモネッタについて様々な角度から詳しく紹介し、この作品とシモネッタの魅力を浮き彫りにしようと企画。 カミさんが昨年朝日新聞に紹介されているのを見て、是非観たいということになり、今回訪れたもの。 15時30分ころまで約1時間展示を観た。大変近くで観ることができた、立体感が良く出た絵だと思った。モナリザとほぼ同じ位の大きさか。モナリザにくらべ明るいのがよいと思った。 丸紅の入口を出るとすぐのところに『一橋徳川家』屋敷跡の石碑があった。 九段下で地下鉄に乗るつもりで歩き出す。平川門を左に見て皇居東御苑に沿って歩くが東京国立近代美術館のところで道が違うことに気付く。 スマホで北の丸公園を突っ切って、日本武道館の先に九段下はあることはわかったが、カミさんが丸紅を出たところで「右」といったが小生が「左」といったことにえらく立腹。北の丸公園の入口近くにある科学技術館のところで喧嘩状態になる。 結局、地下鉄竹橋駅に戻り大手町を経て東京駅に戻った。スマホのMapは苦手で誤りが多い。年のせいで地図が読み難くなっている。帰りの電車は17時53分、1時間近くありホームの待合室でひたすら時間のくるのを待つ。 これで2回続けて、ホームで1時間近く待つという失敗をしてしまった。どうも時間と実際の思考、行動との間にギャップができてしまっているように思える。
2023.01.24
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テレビのニュース番組を見ていたら、‘’ブックサンタ2022”の活動が紹介されていた。「厳しい状況に置かれている全国の子どもたちに本を届けること」を目的に、2017年にスタートした、全国のNPOと書店が連携したプロジェクトで好きな本を選び購入さえすれば簡単に参加できるので、参加することにした。 期間:2022年11月1日~12月24日 パートナー書店で子どもたちに贈りたい本を購入、レジでその本を寄付すると、全国の子どもたちに「サンタクロースから本が届く」というチャリティプログラム。 ブックサンタ実施書店が念願の全国47都道府県(779書店)に広がった。書店の少ない日立市にも実施書店があるか心配して調べると旧イトーヨーカ堂4階にある丸善日立店が入っていた。 約250の子ども支援団体と提携し本を届ける。今年の目標は5万冊とのこと。 厳しい環境にいる子どもたちとは0歳から高校生で様々な事情で困難な状況(経済的理由、病気・入院、親子が死別、災害被害など)にいる子どもをいう。自分を振り返ってみるとサンタクロースは信じていなかったが、毎年クリスマスには、野球のグローブ、電気機関車、おもちゃ、本などを親からもらい幸せな環境で、子ども時代を過ごすことができたのに感謝しなければならない。 団体名 NPO法人チャリティーサンタ 設立 2008年9月(NPO法人化2014年4月) 役員 代表理事:清輔 夏輝(Kiyosuke Natsuki) 理事:山田 立子(Yamada Ritsuko) 理事:河津 泉(Kawadu Izumi) 理事:近藤 悠生(Kondo Yu) 理事:深澤 仁(Fukasawa Jin) 監事:公認会計士 藤井 美明(Fuji Yoshiaki) 監事:弁護士 中川 直政(Nakagawa Naomasa) 所在地 102-0072 東京都千代田区飯田橋一丁目8番9号 ニューシティハイツ飯田橋707 運営スタッフ数 約600名(内事務局有給スタッフ8名、 パートナー業務委託数名)
2022.12.18
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2022年11月13(日)に大学の卒業学科の同窓会世話人による囲炉裏を囲む会があり、11月12日(土)13日(日)と名古屋に帰省した。名古屋に帰るのは3年振りとなる。【11月12日(土)】 9時過ぎの特急で上京、11時前の「のぞみ」に乗り、12時30分頃名古屋に着いた。新幹線は混んでなく空席が目立った。途中富士山が綺麗に見えたが頂上に雪は見られなかった。妹とコンコースにある「金の時計」で13時30分に待ち合わせ。名古屋マリオットアソシアホテルの「京都 つる屋」昼食を摂る。 空席が目立つ新幹線 待ち合わせ場所の金の時計 ネットで事前に「京都 つる家」には予約をいれておいたが、誤って13日に予約を入れていた。テーブル席は空いており、事なきをえた。 「京都 つる家」入口 「京都 つる家」個室 (ランチ)月替わり膳、一人4500円。料理は薄味だがまずまず、甘味の黒豆きなこプリンが絶品だった。 デザートは絶品だった 御献立 小 鉢 焼き茄子 栗 紅葉麩 六 切 炙りサーモン造り 柿 海月 胡瓜 胡麻クリーム和え しらす 玉葱浸し 鰤南蛮漬け 丸十密煮 生ハム酢蓮根棒寿司 出汁巻き玉子 蕪 海老芋 小巻湯葉 温 物 ジャガイモ餅揚げ出し 彩り野菜 焼 物 赤魚柚庵焼き 天婦羅 公魚 南瓜 舞茸 青唐 食 事 占地と貝柱御飯 赤出汁 香物 甘 味 黒豆きなこプリン 15時頃会計を済ませ料亭を出る。妹と一緒に平和公園に向かう。妹と墓参りするのはほとんど記憶にない。名古屋駅から星ヶ丘まで地下鉄で移動、星ヶ丘のバス停①乗り場からバスに乗る。バスは1時間に2本出ている。バスが来るまで10分位待つ。 10分弱で平和公園口のバス停に着く。バス停付近の紅葉がきれいだった。バス停近くの花屋で花1対、線香、ローソクを購入。店の水桶と柄杓を借りお墓に向かう。 バス停付近の紅葉 お墓へ向かう道 夕日のため墓石が赤く写真に写った。娘の結婚について報告。墓参りを終え、名古屋駅に戻る、高島屋の地下で明日のお土産のチョコレートを買う。妹とはここで別れた。 夕食は昼食を十分摂ったので、軽くきしめんを食べることにする。コンコースにある「驛釜きしめん」。いつも行列ができている人気のお店。10分位待ちカウンター席に案内される。天ぷらきしめんにトッピングに生たまごをオーダする。 以前食べた時はおいしいと感じたが今回はそうでもなく普通だった。 宿は「三交イン名古屋新幹線口」比較的新しいビジネスホテル。ワクチン接種証明書がないので、割引はできないと言われる。申し込みのネットにはワクチン接種証明書の持参については書いてなかったように思う。予約をキャンセルし正規の宿泊料金で泊まることにする。 無駄なものは何もなく機能を重視したホテルで面白味はなかった。【11月13日(日)】 いつものように7自過ぎに起床。ゆっくり朝食にでかける、朝食の内容を全く思い出すことができない。平凡だったということか。10時にチェックアウト。名鉄電車に乗り、途中コンビニで自分の飲み物ビールとウーロン茶を買ってM代さん宅に向かう。スマホのマップを見ながら行くが見事迷う。駅から10分以内で着くところを30分以上もふらふらする。 少し遅れると事前に連絡のあったMM君を除く、6名全員が揃った。囲炉裏を囲む会は今回で3回目になる。 よく手入れされた庭 築300年の古民家を三重県から自宅に移築した。居間の囲炉裏で網焼きをしながらおしゃべり。食材はM代さんが飲み物を除き全て準備してくれた。N子さんからお酒「空」の差し入れがあった。 炭火で網焼きが始まる 14時過ぎに遅れてきた某大学の学長が参加、7名全員が揃う。とりとめのない話で何も残っていない。次回同窓会の開催については下記が決まった。来年は76歳になる学年なので喜寿記念同窓会、3月までに参加者の感触をつかむためメールで打診する。場所は箱根をあたる、会費は18000円を上限とし、次回開催は3月を予定する。 ミーティングの様子 17時頃、控えの間で抹茶をいただきお開きとなった。約5時間久し振りに楽しい時間を持つことができた。 〆の抹茶
2022.11.26
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6月に婚姻届けを出した娘は10月29日(土)鹿児島に旅立った。旦那は仕事の都合で8月に先立って引越ししていた。いよいよ二人の生活が始まる。 娘には中島みゆきのCDをメモと一緒プレゼントした。パッケージはカミさんに依頼。昔カラオケで職場の女性が「糸」という曲を歌っていてその詞がよく、娘のことを連想しいい人に早く出会うといいいなと思っていた。 10月29日(土)に先立ち、母親として娘にいっておきたいことがあるとのことと引越しの準備状況の確認のため10月9日(日)に初めてアパートを訪れた。【10月9日(日)】 仙台から東京のアパートに越してから1年。カミさんともども初めて訪問する。西武池袋線、桜台駅から徒歩7分くらいの閑静な住宅街にあった。 桜台駅フォーム 閑静な住宅街にアパートはある アパートの外観(3階建て) 最大11名収容可能 家賃は8,8000円。会社から3,0000円の補助が出ていたとのこと。内部は3層構造になっていて、1階は玄関、2階は台所、風呂、トイレ、3階は寝室、居間。階段が多く積み木構造で、ワンフロアが狭くて落ち着かない気がした。 玄関、土間は半坪ほどで靴の履き替えが困難 急勾配な階段 ディスプレイコーナ 3階フロアー 寝室・居間 3階フロア奥の物入れスペース 2階フロア キッチン台、冷蔵庫など 一通り確認が終わったところで、近くにあるイタリアンレストランに腹ごしらえに行く。娘が席の予約をいれておいてくれた。「桜台24 ヴェンテイクワットロ」電話:03-6914-7129。 レストランへ行く途中 レストランの入口 レストランのロゴ 料理をオーダする。娘とカミさんの仕事。飲み物はビールは辞めソフトドリンクにした。注文した料理。味に癖がなく食べやすく美味しかった。 1.オードブル 2.東京農園サラダ 3.生ハム盛り合わせ 4.ミラノ風カツレツ 5.大山どりのアーリオーリオペペロンチーノ 料理のオーダ中 食事を終わり、引越し荷物の確認、娘との話も終わったので、18時上野発の常磐線で帰宅することにする。桜台駅まで娘に送ってもらう。駅のElimoにあるRBakerでパンを購入していく。以前、娘からお土産にもらったが、パンの生地が美味しくて病みつきになっている。 R.Bakerの入口 店内は比較的混んでいた【10月29日(土)】 9時過ぎの電車で上京。飛行機は14時10分発なので余裕があった。終点の品川まで行き、京浜急行で羽田まで行く。羽田へ行くのは10数年振り、いつも浜松町からモノレールを使っていた。京浜急行は初めてだった。羽田空港だけではなく色々な行先の電車がきた。 京浜急行のホーム ANAは第2ターミナルだった。第2ターミナルの食堂で昼食をとる。「Airportグリル&バール」でハンバーグを食べた。15分位並んで待たされた。まずまず美味しかった。 レストランからは快晴だったので、滑走路、駐機したANAの飛行機を綺麗に見ることができた。 レストランの入口 駐機されたANA 昼食後、ターミナルで手荷物をチェックインしたりおみやげを買ったりして過ごす。新しいターミナルビルはコロナ禍の影響は全く感じられなかった。チェックインは昔はカウンターに荷物を持って行くとチェックインの手続きをやってくれたが、今は自分でスマホを使ってやっていた。はたしてできるかはなはだ不安を感ずる。 コロナ禍の影響を感じられないロビー 手荷物のチェックイン手続き 機内持ち込み手荷物のチェック 14時10分発鹿児島行は無事離陸した。娘は鹿児島に行ってしまったが、空港で感情的になることもなかった。旅行に行く時の見送りと気持ちは変わらなかった。 帰りに山手線の新しい駅「高輪ゲート駅」を見学した。まだできたばかりで人は少なく閑散とした感じだった。ホームの床はコンクリートではなく、木が敷き詰められ、温かさと明るさがあった。ヨーロッパの駅の雰囲気。建物の中にホームがあるといった感じだった。 駅の周辺はビルの工事の真っ最中でまだお店もできてなく、人の流れはまだなかった。 木のホーム 改札口 駅舎全体明るく開放的だった
2022.11.12
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この6月に娘が仙台で婚姻届けを提出し、結婚した。2007年の就職以来15年、職場では縁ある人とはめぐり会わなかった。3年前に仙台に転勤になり、彼には一昨年にめぐりあったようだ。彼は仙台、娘は東京の遠距離恋愛。 もう年も大台に近いので最後のチャンスかと思っていたが、上手く決まって親として内心ホットしている。 5月下旬に顔合わせの婚約記念昼食会を東京駅の丸の内ホテルでおこなう。9月から彼の仕事が仙台から鹿児島になる都合もあり、結婚式、結婚披露宴は行わない。 丸の内ホテル内部の吹き抜け 日本料理 『椿壽』 入口 式次第 野菜のお祝い飾り 結婚式も結婚披露宴もないことに内心ホットしている。 結婚式も結婚披露宴もおこなわないが、記念の写真は撮るという。先日、表参道にある写真館で衣装選びを行う。カミさんと三人が納得した衣装を選んだ。貸衣装代もオプション、オプションで値段がはねあがる。 写真館の応接室ソファは立派だったが両肘には表面傷が多かった 8月下旬に仙台で花嫁衣裳、お色直しの着物の写真を撮り、彼は8月中には鹿児島へ引越し、9月から新しい職場での仕事が始まる。娘は有給休暇を1ヶ月分消化し、10月下旬頃鹿児島に行く予定。 鹿児島は東京や仙台のようにチョット顔を見にいってくるというわけにはいかないのが、難点。これを機会に鹿児島を知ろうと思う。
2022.08.06
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6月24日(金)3年振りにスナックに行きカラオケを行った。 腹ごしらえのためにコロナ禍前にはよく利用していた居酒屋『喜聞屋』に行くが閉まっていた。居酒屋の外観も荒れ果てた感じがしていた。コロナで廃業においこまれたのではないかと思う。近くの姉妹店『縁(えにし)』もなくなり、他のお店になっていた。 店を閉めたとおもわれる『喜聞屋』 駅の近くには大手チェーンの居酒屋が数件あるので、駅まで戻ることにした。『忍家』が営業しており、ここで腹ごしらえすることにする。お決まりの生ビール、刺身、串焼き、本マグロとろたく、ウーロン茶を注文。タブレット端末からではなく対面の注文が落ち着く。約40分で完食。PayPayで支払いを行う。 腹ごしらえをおこなった『忍家』 『忍家』を出てスナック『CATS』まで10分ほど歩く。日が長いため、まだ明るく暗くなっていなかった。『CATS』は看板に灯が入り、営業中を示していた。3年振りの『CATS』感慨深いものがあった。 『CATS』の入口 ママと娘さんにご対面、昔と同じようで、3年のブランクは全く感じなかった。飲み物を聞かれるので水割りを頼む。新しいボトルをリザーブするつもりだったが娘さんがボトルを収納した棚を徹底して探してくれ、コロナ禍前にリザーブしていたボトルを探し出してくれた。3年間よく保管してくれたことを感謝した。 先客はカウンターに一人いた。先客を無視してカラオケタイムに入る。コロナ対策のカウンターを仕切るビニール、カウンターのアクリル板の仕切り、カラオケ時のマスク着用など、制限は何もなかった。 【歌った歌】 1.想いで迷子 チョー・ヨンピル 2.みちのくひとり旅 山本譲二 3.秋桜 山口百恵 4.北の漁場 北島三郎 5.青春時代 森田公一とトップギャラン 6.いちご白書をもう一度 バンバン 7,小さな日記 フォーセインツ 8.四季の歌 芹洋子 9.若者たち ザ・ブロード・フォー 10.北の旅人 石原裕次郎 11.くちなしの花 渡哲也 12,時には娼婦のように 黒沢年男 13.好きになった人 都はるみ 14.ブルーシャトー ジャッキー吉川とブルーコメッツ 15.今日の日はさようなら 森山良子 20曲を歌うのを目標にしていたが、5曲足りなかった。21時を境にお客さんがグンと増え、ボックス席もカウンター席もほぼ一杯になった。『CATS』はコロナには関係ないお店だと思った。21時30分頃、タクシーを呼び帰宅した。
2022.06.25
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今の家は1990年(平成2年)に建て32年が経った。家の外壁にチョーク現象が出始め、屋根の塗装がまだら模様になってきたので、外壁塗装をすることにした。外壁塗装は今回で2度目。一度目は15年位前だったように思う。 昨年、計画し見積もりを取ったが8月に大腸の手術があり着手できなかったので、年が明け暖かくなった5月に工事をすることとした。工事は5月9日から5月28日まで約3週間行われた。塗装色をどうするかが問題だったカミさんと塗装サンプルを見て、屋根は紺色、壁は濃いグレーにすることでまとまった。 【塗装前】屋根は緑色、壁は薄いグレー 【塗装後】屋根は紺色、壁は濃いグレー 壁を濃いグレーにしたことにより、カミさんの意図した通りに全体的に落ち着いた感じの家になった。これから20年はメンテナンスする必要はなくなったように思う。 このリフォームで当初、太陽光発電システムの導入を考えたが、屋根を傷つけるし見積もりが260万円と高く、売電による収入も期待できないことから諦めた。
2022.06.22
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昨年あたりから耳が遠くなってきたのを意識するようになった。テレビの大河ドラマのセリフのやりとりを聴き取ることができない。また、カミさんとの会話でも聞き返すことが多くなった。さらにテレビの音量でカミさんと喧嘩することが増えた。カミさんの耳は良いようで音量を上げようとすると怒られる。 毎年行う人間ドックの聴力検査のデータを見直してみたら、2015年は異常なく「A」判定だったが、2016年以降は右の耳から聞こえ難くなり、今は左右両方の耳が聞こえ難くなっていた。 Webを見ていたら、スピーカMIRAIと補聴器Olive SmartEar Plusの広告が立て続けに出てきた。スピーカは前々からテレビの音がシャープでなく割れているように感じていたので、これだと思った。 補聴器は義理の弟も耳が遠く購入したようだが、種類も多く価格もまちまちで高額のものもあるようで、耳鼻咽喉科にまず行って相談しようかと思っていたところだった。 お試し期間が1週間あり、気に入らなけば返品、気に入ればそのまま使用。月4,900円のレンタルと70,000円の買い取りを選ぶことができる。レンタルは煩わしいので買い取りを選んだ。お試し期間中にフォローの電話があった。概ね気に入っていたので、買い取りと回答すると振込先を記載したメールが送られてきた。振り込み価格は70,000円ではなく50,000円とあった。この差は何かメールで問い合わせたが回答がなかった。 スピーカMIRAIは高田純次さんがコマーシャルを行っている。球面構造が特徴。このスピーカを通すと明らかに音の質に違いがあった。音がシャープになり切れが良くなった感じ。いままでのぼやっとした感じがなくなり聞きやすくなった。今までのリモコンでテレビの音量出力を調整するのに加え、MITAIでも音量出力を調整できる。最も聞き易い最適な組み合わせを今後見つけていきたい。Amazonで29,700円で購入した。 MIRAI Olive SmartEar Plusは集音器でも補聴器でもないとの説明だが、適当な言葉が見当たらないので、ここでは補聴器と表現する。 パッケージ、イアホーンの充電ケースのデザインはすばらしかった。これだけで購入しても信頼性も高く問題ないように思われた。イアホーンの各種設定はスマホで行う。聴力検査で行うのと同じようなデータを採取し、その結果を音の調整に反映している。モードは「パワー」「ノーマル」「マイルド」の3段階がある。 きめ細かく精緻にできているのがよいと感じた。 イアホーン部分、ケースが充電器を兼ねている スマートなデザインとなっている スマホで各種調整作業を行う MIRAIとOlive SmartEar Plusを組み合わせて使ってみたところ大幅に改善され大河ドラマのセリフも概ね聞き取ることができるようになった。スマホの音楽も聴けるので有線のイアホーンは不要となる。久し振りに良い買い物をした。
2022.06.20
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日立社友会は65歳以上のOB7452名から成る。茨城支部は会員数960名。11の同好会があり、350名の会員が活動している。11の同好会を下記に示す。 1.『研修会』 2.『歩こう会』 3.『野鳥・自然観察グループ』 4.『囲碁の会』 5.『料理教室』 6.『卓球クラブ』 7.『デジカメクラブ』 8.『写真五七五』 9.『PC基礎講座』 10.『PC専門講座』 11.『旅行会』 小生は現在、主に『歩こう会』に参加している。先日、世話人をやっているIYさんから支部会便りの「会員たより[同好会行事に参加して]への投稿依頼があった。この欄に投稿するのは今回で2度目となる。 文章は24文字×15行との指示であった。 投稿文を下記に示す。起承転結がはっきりして、我ながらよく書けた方だと思う。完成する前にカミさんのレビューを受けた。「結」の文章を修正するように言われた。 ************************** 学生時代ワンダーフォーゲル部に属し、野山を歩き まわっていたので、社友会同好会活動の「歩こう会」 には以前から興味を持っていた。 2016年9月15日に行われた第66回「水戸市 那珂川流域を歩く」に初めて参加し、今年で6年にな る。参加者は特に準備するものはないが、世話人の方 は事前に数回に渡るコースの下見を行い、名所・旧跡 に関する調査も綿密に行われ、資料として事前に配布 される。 世話人の方の並々ならぬご尽力により、単に歩くこと にとどまらず、新たなことを知り、刺激を受け、歩くこ とに一層の充実感が出る。 写真が好きなので、カメラを首からぶら下げて歩いて いる。撮った写真の気に入ったものは、フェイスブック にアップロードしている。次回はどんな自然・歴史・故 郷が我々を待っているかを想像するとワクワクする。
2022.05.07
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3年振りにカラオケに行く。場所は家から歩いて10分程の国道6号線の脇にある「快活CLUB」。昨年ブルーレイのDVDを観るのに初めて訪れ、会員になっていた。 コロナ禍前はスナックでのカラオケがほとんどで、カラオケボックスのひとりカラオケはほとんど縁がなかった。 国道6号線 東京と仙台を結ぶ左側が快活CLUB 仙台に向かう下り線。 快活CLUB日立店 部屋の様子。二人部屋でビジネスホテルを思わせる。【この日歌った歌】 3時間で下記20曲を歌う。3年ぶりのカラオケだったが、声はそこそこ出て いたように思う。最近耳が悪くなり低い音がよく聞こえなくなっていたが、音程 を取るのに苦労することはなかった。 1.氷雨 日野美歌 2.なごり雪 イルカ 3.空も飛べるはず スピッツ 4.時には娼婦のように 黒沢年男 5.アメリカ橋 山川豊 6.心凍らせて 高山厳 7.想いで迷子 チョー・ヨンピル 8.酒よ 吉幾三 9.雪国 吉幾三 10.北の旅人 石原裕次郎 11.二人の世界 石原裕次郎 12.ブランデーグラス 石原裕次郎 13.港町・涙町・別れ町 石原裕次郎 14.天城越え 石川さゆり 15.津軽海峡冬景色 石川さゆり 16.いちご白書をもう一度 バンバン 17.22才の別れ 伊勢正三 18.神田川 南こうせつ 19.岬めぐり 山本厚太郎 20.今日の日はさようなら 唱歌・抒情歌 熱唱中を模擬した自撮り写真 会計は2542円だった。カラオケだけの3時間パック料金は1320円。ビール、細切りポテト、鶏なんこつの唐揚げを1270円が余分にかかっている。カラオケだけを見れば安いと思う。 ひとりカラオケでもスッキリした。これからも1ヶ月に1度位は来ようと思った。
2022.05.05
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今日は憲法記念日。小生と同じ昭和22年に生まれ75周年になる。小生の立場は護憲派。日本がこれまで戦争に巻き込まれず、一人の戦死者も出さずにこれたのは憲法9条があったからだと信じている。 ウクライナ戦争を機に一気に自衛力の強化、敵基地反撃能力の保持、米国との核共有、防衛費のGDP2%、憲法改正の議論が声高に改憲勢力から出ている。 今日のNHKニュースの世論調査では改憲賛成が35パーセント、改憲反対が19パーセント、また、9条の改訂賛成は31パーセント改訂反対は30パーセントであった。この数字を見て憲法改正は全国的な国民運動の展開で十分阻止できると感じた。 今日の憲法集会で立憲民主、日本共産党、社民党が挨拶していた、7月に行われる参議院選挙で護憲派野党が1/3以上を占めれば国会が通らないので取り敢えず阻止することができ、憲法改正議論は遠のくと思われる。
2022.05.03
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シドニー・デッカー著 清川和宏、作田博、古濱寛訳『セーフティ・アナーキスト』~現場の知恵と創造力を活かす~ 海文堂 3600円+税 【推薦の言葉(要旨)】 早稲田大学理工学術院教授 小松原明哲氏 1.先進諸国の安全へのアプローチは、がんじがらめの官僚主義に無理やり押し込まれて おり、本来、押し込めるはずのないものまで押し込もうとするがために、かえって 現場は不安全になっている。 2.本書のいう官僚主義とは、規程化による安全実現ともいえるが、現場を守るための 善意の規程化ではなく、管理者が自分の責任を現場に転嫁するための説明責任とし ての規程化ということ。 3.規程は安全のために定められたのではない。もし、そうしたことを定めていなけれ ば、作業員に事故が生じたときには、管理者は自分の責任を問われることになって しまうから定めている。 4.規程を現場が守っているか、そのコンプライアンスを監視する役割とその規程が生 まれその監視者がきちんと監視しているかを監視する役割とその規程が生まれ・・ ・・という無限後退に陥る。 5.安全への官僚主義の結果、考えない現場、幼稚化した現場が生まれる。また監視の ために膨大なコストがかかり、安全のための現場改善への投資に回るお金が乏しく なる。その結果、かえって不安全になる。 6.より多くの規則を書き、より多くの書類をつくり、より多くのコンプライアンスを 要求するというお決まりの方法よりも、もっと良い方法が示されている。 7.欧米では、契約時には、事細かな契約書を交わさないといけない。あらゆるケース を想定して、それに対して、事前に事細かに対応策を決めておかなくては先に進め ない。これが彼らのリスクマネジメント。 8.現場は生きており、あらゆるケースを想定し尽せない。常識溢れる現場を育て、 その現場判断を尊重する。そうした安全があってもおかしくないのではないか、 それを著者は、アナーキズムという言葉に託している。 9.「階層的なトップダウンの権威ではなく、横並びの協調に価値を置いている」 「人間の自主性と自己決定を再評価させ、職人の技量のプライドを正しく認識させ、 また彼ら自身が作っていない無意味なものを遵守するという強制から解放する職場」 「無秩序ではなく自己規制や相互の協調を生み出すこと」端的にいえば、”現場を信 じよ。信じられる現場をつくるために、管理者や経営者、当局は自己保身のためでは ない行動をせよ”といえる。 10.日本の契約書はシンプルである。「本契約に定めのない事項、又は本契約について の疑義が生じた場合は、本契約の趣旨に従い、甲乙誠意をもって協議し、解決するも のとする」などとされるのが一般的である。つまり、常識と知性、教養ある大人同士 が、同じ目標に向けて協力することが前提になっている。これが著者の言う「もっと 良い方法があることが示されている」ということではないだろうか。 11.日本においても、注意をしないと、著者の言う官僚主義に流されてしまうかもしれ ない。海の向こうから渡来するものにあこがれを持ってしまう傾向があるからである。 無論、日本の信義誠実の原則にも、おそらく弱点はあるはず。同様に、いままでの日 本の安全へのアプローチにも弱点はあるだろう。おそらく双方合わせた、より適切な 安全へのアプローチというものがあり、それを求めていくことが、これからの安全に とって最も重要。 12.安全をどう実現するのか、ということは、文化であり哲学。重要なことは、テクニ ックではなくその使い方。包丁も使い方を誤れば凶器になる。【訳者まえがき(要約)】 清川 和宏氏、作田 博氏、古濱 寛氏 1.2011年3月11日の福島第一原子力発電所事故から10年以上が経つ。現在で は、より厳しい安全規制が課せられ、また電気事業者は自主的に安全を高めるため の活動が要求されている。 2.安全はシステムを継続的に稼働させるための必要条件であり、とくに、原子力発電 所のように複雑系システムではなおさらである。 3.これまでは、規則を数多く作り、トップダウン(規制当局、企業の上位管理者)で 指示し、その規則を遵守させるという規則遵守(コンプライアンス)をベースとし た安全マネジメントに従ってきた。 4.実際に発生した事故やインシデントの根本原因を探求し、発生の都度、対策として 新たな規則をつくり出し続け、我が国の原子力産業は、低インシデント発生率を 世界に誇っていた。しかし、重大事故は発生した。 5.規則遵守に依存した従来型の安全マネジメントではいくつかの問題点が明らかに なってきた。1つは、規則は倍化、3倍化してきたが、トラブルはそれほど減って いない。さらに悪いことには、従来型の管理が行き過ぎると、現場実務者は規則を 守ることに多大な労力を割かれ、安全そのものについて自ら考える余裕がなくなる。 (インシデントの数が少ない組織ほど大事故が多い) 6.従来型の安全マネジメントは既知のリスクに対しては非常に効果的に働くが、未知 のリスクに対してはほとんど無力。次に発生するであろう大事故につながるリスク を事前に予測することはほとんど不可能。 7.現場実務者は、標準的な状況に適用できる規則を、それぞれの状況に合わせて臨機 応変に適用している。通常はほとんど成功しているが、何らかの理由でうまくいか なかったときに事故への道を歩み始めることが考えられる。これを防止するには、 現場実務者の知恵と創造力を活かし、現場で対応し、安全を作り出すという「草の 根」の安全マネジメントが不可欠。 8.従来の規則遵守を中心とした安全マネジメント一辺倒ではなく、現場に任せたほう がよい作業や規則制定などに関する権限を現場実務者に与え、現場での安全を作り 出すとともに、実務者の自主性や自己充足などの人間性を高めることもねらった 「草の根」の安全マネジメントを組み合わせることを目指すべき。 9.デッカーはアナーキストを階層型のトップダウンの権限ではなく、個人の完全な 自由と独立を望む人として定義している。社会学、哲学など多岐の分野の知見から 広く安全マネジメントのあり方について議論している学術書である。 【目 次】 第1章 変革のための事例 第2章 あなたにとって何がベストかを知っている 第3章 権威主義的高モダニズム 第4章 安全官僚制度 第5章 測定されるものは操作される 第6章 私たちが幼児化するとき 第7章 新たな信仰 第8章 非決定論的な世界 第9章 アナーキー対アナーキズム 第10章 解決方法 ー 以上 ー
2022.03.24
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1月9日(日)東京国際フォーラム ホールAで映画 砂の器ーシネマ・コンサートーを観る。映画は2年振りか?。東京フィルハーモニー交響楽団が演奏することもあり、昔観た「砂の器」の印象がよかったこともあり、昨年末の新聞広告を見て直ぐチケットを予約した。セブンイレブンでチッケトを入手した、初めての経験だったが、便利だと思った。S席9800円、A席7800円だった。安いA席にした。 15時開演だったので、お昼過ぎの電車で上京。東京駅丸の内南口から出て山手線沿いに歩く。途中ガード下に「はとバス」の事務所があり、黄色い「はとバス」が道路に並んでいた。「はとバス」の起点の停留所はここにあるということを初めて知った。いままで一度も「はとバス」には乗ったことはないので、今度利用しようと思う。 暫く歩くと東京国際フォーラムの建物が見えてきた。会場は一番大きなホールAだった。かなり昔、草刈民代さんの引退公演が行なわれた時、家族3人で来たことがあったが、それ以来二度目。バレエの時も思ったが会場が広すぎて舞台に集中できなかったが、今回も会場の広さにスクリーンの大きさが負けていたし、オーケストラがスクリーンの下に陣取っているため、意識を集中させることができなかった。 そのせいもあり、昔見た時覚えた感動は今回は残念ながらなかった。オーケストラはバレエのようにピットに隠したほうがよいように思った。 観ると聴くを同時に集中させることはできないので、シネマ・コンサートはこれが最期だと感じた。 東京国際フォーラム ホールA
2022.02.06
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11月下旬に「認知機能検査・高齢者講習」のお知らせの葉書が茨城県公安委員会から届いた。2022年4月に運転免許証の期限が切れ、75歳になるため、認知機能検査が課せられている。前々から認知機能検査は気になっていたので対策本を購入しどんな内容かは把握していた。 検査の予約がとりにくくなると聞いていたので、葉書を受け取るとすぐにハガキに記載された自動車教習所の中で自宅から一番近いところに電話を入れて12月28日に予約することができた。 認知機能検査は次の3つの検査からなる。 1.検査日の年月日や曜日、時間を回答する検査 2.見せられた絵を記憶して回答する検査 3.アナログ時計の文字盤を描き、さらに指定された時刻を描く検査 1.と3.の検査は簡単で問題はないが、2.の検査は簡単でないような気がして対策本を1年以上も前に購入し準備した。YouTubeにも検査内容を紹介した番組があったので参考にした。試験前の模擬テストに役立った。 検査で見せられる絵は64枚の内16枚、見せられる絵のパターンは4つに分けられていることが分かった。なお64枚の絵の種類は次の16のカテゴリーに分けられている。 1.戦いの武器:大砲、戦車、機関銃、刀 2.楽器:オルガン、太鼓、琴、アコーディオン 3.体の一部:耳、目、親指、脚 4.電化製品:ラジオ、ステレオ、電子レンジ、テレビ 5.昆虫:てんとう虫、とんぼ、せみ、かぶと虫 6.動物:ライオン、うさぎ、牛、馬 7.野菜:筍、トマト、トウモロコシ、かぼちゃ 8.台所用品:フライパン、やかん、なべ、包丁 9.文房具:物差し、万年筆、はさみ、筆 10.乗り物:オートバイ、飛行機、トラック、ヘリコプター 11.果物:ぶどう、レモン、メロン、パイナップル 12.衣類:スカート、コート、ドレス、ズボン 13.鳥:にわとり、ペンギン、くじゃく、すずめ 14.花:ばら、ゆり、チューリップ、ひまわり 15.大工道具:ペンチ、かなづち、ドライバー、のこぎり 16.家具:ベッド、机、椅子、ソファー 検査に出される問題の絵のパターンは下記4パターンから一つが選ばれ出される。 パターンA:大砲、オルガン、耳、ラジオ てんとう虫、ライオン、筍、フライパン 物差し、オートバイ、ぶどう、スカート にわとり、ばら、ペンチ、ベッド パターンB:戦車、太鼓、目、ステレオ とんぼ、うさぎ、トマト、やかん 万年筆、飛行機、レモン、コート ペンギン、ゆり、かなづち、机 パターンC:機関銃、琴、親指、電子レンジ せみ、牛、トウモロコシ、なべ はさみ、トラック、メロン、ドレス くじゃく、チューリップ、ドライバー、椅子 パターンD:刀、アコーディオン、脚、テレビ かぶと虫、馬、かぼちゃ、包丁 筆、ヘリコプター、パイナップル、ズボン すずめ、ひまわり、のこぎり、ソファー 最初は16カテゴリーに分け(戦いの武器、楽器、体の一部・・・・)と各々4個の絵を順番は気にせず諳んじて言えるまで覚えた。 その後、検査に出る絵のパターンは4っに決まっていることを知り、満点をとるべく全て覚えて検査に望んだ、検査ではパターンBが出て満点をとることができた。検査後、採点がおこなわれ、「高齢者講習」の日程が3月4日と決められた。なんとか運転免許が更新できる目途がたちほっとしている。
2022.01.06
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今年最後の清掃センターへのゴミ捨てをおこなった。可燃ゴミ、不燃ゴミの両方を捨てた。家から車で20分程の神峰公園の近くにある。清掃センターでのゴミ捨ては気持ちがせいせいするので好きだ。 トランク一杯のゴミ、後部座席は使うことなく今回は少なかった。 捨てに行ったのが11月29日とまだ年末には早かったので、清掃センターは空いていて入口の車列も短く、すぐ入場できた。 入口のゲートで免許証による本人確認、車の計量を行い、受付証をもらい構内へ入る。最初は清掃センターの一番奥にある不燃物の廃棄場所に向かう。車を所定のところに駐車し、各自、分別の指示に従い、分厚いコンクリートで仕切られた、廃棄場所に廃棄物を捨てる。捨てるというより置くという感覚が近い。 どこに分別していいか分からない時は係の人に聞くと親切に教えてくれる。台車を使って少し多い量を処分しようとしていると手伝ってくれる。清掃センターで従事している人はいい人が多いような気がする。 不燃物処理場(その1) 不燃物処理場(その2) 不燃物の処理が終わり、次に可燃物の処理建屋に向かう。可燃物の処理建屋は入口に近いところにある。ワンフロアーにピットに10台くらい駐車できるスペースがある。ここは斜め駐車をバックで止める必要があるため、苦手で気をつかうところになっている。 可燃物建屋への入口 可燃物をピット内に投げ込み終了。今回は空いていたし廃棄物の量が少なかったので短時間で終わった。入口のゲートで受付証を返却し計量を行った。料金は300円だった。清掃センターのすぐ近くの神峰公園にある『吉田正音楽記念館』の展望喫茶で昼食を食べて写真を撮る。天気が良く、太平洋が一望できた。 『吉田正音楽記念館』(吉田正は日立市出身) 東方向 北東方向 南方向 西方向(倒壊後の大煙突) 倒壊前の大煙突(約156m) 1915年(大正4年)使用開始。約156m当時世界で最も高い煙突。日立鉱山の煙害問題の軽減に役立った。1993年(平成5年)約3分の1を残して倒壊。倒壊後に改修が行われ高さは54mとなってしまったが今も使われている。 新田次郎が「ある町の高い煙突」を著し、2019年には映画化された。 『ある町の高い煙突』文学碑 昼食をとり太平洋をながめ、今日の仕事は終わった。写真はゴミを運んでくれた愛車。2006年製『プログレ』。もう15年も乗っている。ぶつけたことは数回あるが故障はほとんどなかった。来年の4月に後期高齢者になるので、車はこれを乗り潰そうか、トヨタが数年先にEV車を出したら、もう少し小型の車に買い替えようかを迷っている。 プログレ NC250
2021.12.26
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昨年、今年と2年連続で『がん』の手術で入院した。こんなに入院したのは生涯初めての経験だった。『がん』の種類は「胃がん」と「大腸がん」の2種類。自宅から車で10分のところにある会社所有の「日立総合病院」にお世話になった。 いままでの経過を下記に記録する。【2019年】 11月18日(月)人間ドック X線バリウム検査で前庭部粘膜性病変の疑い。 便潜血検査で陽性。 12月13日(金)精密検査のためHR先生と面談。 12月16日(水)胃部内視鏡検査。【2020年】 1月9日(水)HR先生から自宅に電話。検査結果がおもわしくないとのこと。 1月14日(火)HR先生と面談。検査の詳細を聞く。早期がんとのこと。 ①胃切除、②内視鏡的切除のどちらを選ぶか問われ、②と 回答。内視鏡的切除はOG先生が行うとのこと。 1月21日(火)OG先生による内視鏡検査。 1月27日(月)大腸ファイバー検査。ポリープ有。腸の形状が複雑。 2月3日(月)OG先生と面談。入院3月2日、手術3月3日に決定。 思ったより病変の範囲が広いとのこと。 X線、心電図をとる。 3月2日(月)入院 3月3日(火)内視鏡的粘膜下層剥離術(ESD)を実施。 3月4日(水)夕食後気持ちが悪く吐く。 3月8日(日)退院。1013号室の個室はまずまず快適だった。 看護師のローテーションには驚く、全く顔を覚えられなかった。 3月24日(火)HR先生の面談。先生から施術結果は異常ない旨お話があった。 病院から帰る途中昼食にマクドナルドでダブルバーガーを購入。 食後気持ちが悪くなりおう吐。夕食はうけつけなかった。 3月26日(木)おう吐。 3月27日(金)病院に電話で症状を報告。診察の予約をとる。 3月28日(土)おう吐。 3月30日(月)OG先生と面談。おう吐の状況を報告。内視鏡検査を行う ことになる。 4月9日(木)OG先生による内視鏡検査。異常はなかった。 6月16日(火)HR先生面談。おう吐は胃の下部が細く収縮しているため とのこと。 7月8日(水)内視鏡検査。 7月21日(火)HR先生面談。①傷跡はきれい。②狭窄していない。 ③病理検査は問題なかった。 11月9日(月)人間ドック 便潜血検査で陽性。 11月24日(火)HR先生面談。12月3日に大腸ファイバー決定。 12月3日(水)大腸ファイバー。ポリープ2箇所削除。ヒダに隠れた ポリープが新たに見つかる。【2021年】 1月6日(水)内視鏡検査。 1月19日(火)HR先生面談。①3月に施術した患部はきれいで問題ない。 ②ピロリ菌が認められ、前がん部分も認められるが、 年齢を考えた場合、今どうするということもないので 経過観察とする。 ④次回は6月以降に大腸検査を行う。 6月10日(木)大腸ファイバー。HR先生残る1個のポリープ削除。 6月11日(金)少し出血があり、下着を汚す。病院に電話状況を話す。 特に指示はなく様子見。 6月22日(火)HR先生面談。病理検査の結果悪性のポリープだった。 ポリープの場所はS状結腸部。血液検査、CT検査を予約。 7月2日(金)CT検査。 7月6日(火)HR先生面談。CT検査の結果は問題なし。 7月19日(月)胃部内視鏡検査 7月30日(金)胃は異常なかった。大腸は腹腔鏡手術を行うことになる。 消化器内科から外科に紹介。外科の主治医はND先生。 ND先生と面談。 8月11日(水)大腸ファイバーでポリープ切除部にマーキング。 8月16日(月)注腸検査。 8月18日(水)手術の説明と手続き。退院は9月4日か5日あたり。 呼吸練習器と腹帯をコンビニで購入。 8月23日(月)外科入院。4人部屋、382号室。主治医がND先生から AR先生に替わる。AR先生から手術の説明。 8月24日(火)麻酔科の先生から全身麻酔についての説明を受ける。 8月25日(水)9時から手術。予定通り2時間で終了。切除した腸は鶏肉 のようで色が綺麗だったとのカミさんの感想。 9月4日(土)退院 9月21日(火)血液検査と歯科検診、AR先生との面談。手術結果の報告 はなかった。 10月5日(火)AR先生面談。手術で切り取った部分の病理検査の結果報告。 ステージⅠでリンパ節への転移なし。5年生存率99%。 11月15日(月)人間ドック 特に異常は指摘されなかった。 便潜血検査は陰性。 11月23日(火)AR先生面談。血液検査をおこなう。異常なし。 今後の予定は術後6カ月の2月にCT検査と血液検査行う。 時系列に整理するとこの2年間は病院がよいが多かった。手術をうけた感想は体をオーバーホールされた感じ。手術が終わった日の夜と翌日の夜がほとんど眠られず、おう吐もあり苦しかった。手術は二度としたくはないと思う、また無機的な病院では死にたくないという思いを強くした。 術後の経過観察がこれからも続くのでこのブログはここで一区切りとする。
2021.11.23
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YouTubeで藤井聡氏の日本の現在の経済状況を打破するためのシンポジウムが行われ、そこで『こうすれば絶対よくなる!日本経済』が紹介されていた。今まで持っていた日本経済に対する不安を払拭する目から鱗の内容だった。 【主な抜粋】 1.消費増税こそがデフレの元凶。 2.諸悪の根源は財務省のプライマリーバランスへの執着。 3.なぜどんどん債務残高を増やしていけるのかは政府がカネを作りだして供給できる 機能を持っているから。これがMMT「現代貨幣理論」の最大のポイント。 4.日米英は150年200年300年と借金を増やしつづけ、借金でつぶれるなら とっくに財政破綻していなければおかしい。 5.日米英3国とも「中央銀行」を持ち、それぞれ円・ドル・ポンドという通貨を発行。 中央銀行を持つ政府は、任意に、いつでもいくらでもカネをつくり出すことができ る能力と権限を持つ。 6.いわゆる”国の借金”は1200兆円以上。毎年の対GDP(国内総生産)で見れば 220%前後。 7.ただちに実行すべきこと。 提言1 プライマリーバランス規律の撤廃 提言2 新型コロナ終息まで消費税0% 提言3 企業に対する粗利補償 提言4 未来を拓く危機管理投資 8.土木はマクロ経済を内包している。土木系の研究者には、インフラ整備とともにマクロ 経済学をやるグループが伝統的に存在。土木はもともと経済学と表裏一体だった。 9.ケインズ経済学は土木計画学の根幹そのもの。80年代からフリードマンが代表する 新自由主義の経済学がのしてきて、いま大学の経済学部では、ケインズ経済学は死んで いる。 10.90年代初頭のバブル経済崩壊以来デフレが続き「失われた10年」といわれたのが やがて「20年」になり、2008年のリーマンショック、11年の東日本大震災をへ て、経済的地位をどんどん下げた。 11.バブルのころ、日本は一人あたりのGDP(国内総生産)でアメリカを抜き、さまざま な経済指標で世界トップクラスだった。 12.日本のGDPの世界シェアは、90年代に2割近かったのが、05年には10%となり いまは5%まで落ちてしまった。依然として世界第3位ではあるが、一人あたりGDP は33位。これは60年代の水準。 13.財政規律で日本は身動きが取れず、多くの政策が中途半端。このルールの撤廃、当面 の凍結が断じて必要。すべての経済政策に優先する「大前提」と考える。 14.消費を喚起して国民経済を救うのが、消費税0%(消費税の一時凍結)。 15.消費税増税こそが”デフレの元凶”。デフレのとき消費税を上げては絶体にダメ。 16.消費税0%にする代わりの財源はMMTによれば国債でいい。 17.雇用調整助成金、持続化給付金、家賃支援給付金、旅行・観光業にGoToトラベル 飲食店にGoToEat事業、営業時間短縮に応じた飲食店に時短営業協力金など 支援金や補償金をバラバラに出している。国と自治体が出したり、重複したりする。 業界や業種によって不公平も大きい。申請手続きも煩雑。 18.コロナ禍でいま苦しんでいるのは公務員と大企業勤め以外の人。とくに中小零細企業 でパートやアルバイトで働く人たち。年金暮らしの人や生活保護受給世帯の収入は 新型コロナでは減らない。 19.医療、デジタル、巨大災害対策など未来を拓く「危機管理投資」。「危機管理投資」 =「未来への投資」 20.優先順位をつけて緊急性の高いものから、できる範囲でやっていく。 21.感染症対策や医療・介護システムの強靭化。デジタルバイド(所得格差などで生じる デジタル格差)解消、役所への届け出の簡素化、テレワーク推進などにつながる デジタル化。 22.地震や台風などへの防災や強靭化。地政学的な各種脅威への対応。 23.日本は司令塔機能が弱い。危機管理能力を高め、有事への対応能力を抜本的に増強する 必要がある。 24.プライマリーバランス規律撤廃はすべてに共通する大前提。「プライマリーバランスの ルール遵守」が何もやらないことの根拠、何もせずにサボっていることの都合のよい言 い訳になっている。 25.短期に全集中で四つの提言をやれば、日本経済は確実に復活できる。政治の争点は 「保守か革新か」や「右か左か」ではない。「緊縮財政か積極財政か」あるいは 「緊縮か反緊縮か」という選択のほうが圧倒的に重要。 26.プライマリ―バランス堅持で、日本だけ回復できず諸悪の根源は財務省。 27.消費税を下げるでもなく、給付金も少なかった。布製マスクを全世帯に配るという とんちんかんな施策を大騒ぎでやっていた。 28.緊縮すればするほど、消費税を増税すればするほど経済がダメになって最終的に税収が 減る。 29.「家計の借金」と「政府の借金」とは違う。政府の借金は年々増えていくもの。国家と いうものは借金をどんどん増やしていく。財政赤字が増えるのは、異常な状態ではなく 正常な状態。 30.百数十年~300年以上ほとんどずっと、プライマリーバランスは赤字の連続だった。 これが日米英の真実の姿。恒常的に黒字にするなんて、ありえない暴論。 31.中央銀行を持つ政府は通貨を発行できるよって破綻・破産はありえない。これがMMT (Modern Monetary Theory)「現代貨幣理論」の最大のポイ ント。 32.政府が「自国通貨建て」の借金によって破綻や破産をすることは、考えられない。 個人も家庭も企業も政府も、借金が膨らんでしまったらヤバい、というのがこれまで 世の中の常識。その中で政府だけは別で例外。なぜならば通貨を発行できるため。 33.日本国の財務省が、自らの公式ホームページで「日・米など先進国の自国通貨建て国債 のデフォルトは考えられない。」と堂々と断言している。 34.MMTは「財政赤字が膨らんでいって政府がつぶれることは原理的にない。」という。 35.MMTは、政府は後先考えずに無責任に好き放題カネを使ってもいいというような不道 徳や不健全なことは一切いっていない。政府は社会・経済がよくなるような適切な内容 ・規模で使うべき。 36.MMTは「財政規律なしで無限に支出せよ」といってはいない。適正な「インフレ率」 をキープすることをいっている。 37.財政規律を、合理性に欠ける現行のプライマリーバランスから、明快で合理的なインフ レ率に変えるべき。 38.適正なインフレ率とは、日本ではおおよそ2~4%。物価上昇率が3%とか4に安定し てきたら、財政の「拡大を止める」。インフレが始まる兆候をつかむ監視システムをき ちんと構築する。 39.誰かの赤字は誰かの黒字。政府の財政赤字は民間への貨幣供給。 40.多くの人が、政府と家庭の借金を一緒くたに誤解。 41.企業と政府は全然違う法則に従って動いている。企業は借金がふくらんで破綻すること がある。銀行に見捨てられたら、借金を返せなくなって倒産する。 42,日本政府の場合は、政府にとって「最後の貸し手」である日本銀行が背後に存在する。 中央銀行が中央政府を見捨てることは、原理的にありえない。日本銀行券、つまり 貨幣を刷ることができる以上、政府のデフォルトはありえない。 43.日本の長期累積債務は1200兆円。インフレになるはずだけどなっていない。 それだけ国債を出してもまだ需要が少なくてインフレにならないから。もっともっと 国債を出さないとインフレにはなれない。 44.1200兆円も借金してまだ借金がたりない。その証拠が、物価がずっと下落し続け ているという現状。物価は国債発行額の適切さを表すバロメータ。 45.銀行預金や証券などいわゆる金融市場におけるカネはダブついている。しかし実物 (実体)経済にはカネは回ってないので、物価も賃金もみな下がる。もっと多くの 国債発行と、それに基づく政府支出の拡大が必要。デフレ不況は絶体に終わらず、 人びとの貧困と格差が拡大することは必至。 46.安倍内閣は「拡張財政」をやっていたのではなく「緊縮財政」をやっていた。 日銀が金融緩和を徹底的にやっているから、なんだか政府がたくさんおカネを使って いるような錯覚。安倍内閣は金融緩和は徹底してやったが、財政政策は拡大どころか えって縮小させた。 47.日本のデフレをここまで深刻化させたのは”消費税の増税”。「デフレから脱却したい」 のであれば、何をさしおいても消費税減税をやらなくてはならない。 48.「所得の再配分」をすれば、貧富の差の拡大を小さく、階層が固定されにくくなって 暮らしやすく活力ある社会をつくることができる。 49.所得税に累進性をつけておくと、貧困層と富裕層との格差を是正する効果があるだけ でなく、景気を安定化させる効果も強くなる。 50.所得税や法人税の累進性をしっかり高めておくことは、インフレでは(自動的に増税 して)ブレーキを踏み、デフレでは(自動的に減税して)ブレーキを緩めることに なる。したがって経済政策として正しいやり方。 51.第二次安倍内閣は消費税の税率を2回上げた。最初が14年4月で、5%から8%へ。 2回目が19年10月で8%から10%へ。このとき軽減税率8%を導入。 消費増税は絶体ダメだった。 52.国民の払う消費税額は、安倍政権の7年間で年15兆円から30兆円に倍増してしま った。異次元の緩和という金融政策の一方、逆財政政策でカネを吸い上げれば、デフ レから脱却できるはずがない。 53.コロナによってカネを出した分を除けば、安倍内閣ほど緊縮財政をやった内閣は存在 しない。政府はもっと国債を出してもっと借金してもっとカネを使わなければデフレ から脱却できないのに、借金を増やしたんではなくて減らした。 54.企業が海外移転する理由は法人税率ではなく、出先国の需要の強度、その国で儲かる と思えば行く、儲からないと思えば行かない。 55.法人税減税は中小企業にプラスと思ったら、彼らの多くは赤字で、法人税を払ってい ない。払ってなければ、何%でも関係ない。 56.消費税は国民全体からカネをむしりとる。経済をものすごく「効率的に」冷え込ませ る。 57.問題は税率が何パーセントかではない。景気に影響するのは「消費税の税率を変える」 こと。それ自体。増税することが景気を冷やし、減税することが景気を活性化する。 58.「官僚主導から政治主導へ」残念ながら日本では失敗している。財務省はさらにもう 1枚上手。政治主導の体裁をとりながら、財務省の思い通りの行政を展開。 59.日本の橋本龍太郎内閣は、バルブ崩壊の数年後でまだ経済が立ち直っていない97年、 世界の常識に反して消費税を3%から5%に上げた。そこからきりもみ式に日本経済 がダメになった。 60.いま平均的な家庭の年収は450~500万円ですが、これは1000万円前後に到達 していた。格差も貧困問題も、いまほど激しくなかったはず。 61.実質GDPは1995年~2019年に中国7.8倍、ASEANと韓国3倍弱、日本はわず か1.2倍とアジアでひとり低迷。 62.日本経済のピークは消費増税をおこなったまさに97年で、そこからダメになってきて いる。97年~98年が失われた日本の出発点。 63.97~98年に日本の輸出は減っていない。だからアジア通貨危機は問題ではない。 97~98年に大きく減ったものは日本の国内消費。その原因が3%から5%への 消費税の増税にある。 64.97年の消費増税によって日本がダメになったことは、GDP成長率、家計消費、賃金 などあらゆる尺度が実証的に示している。政府の資金供給量が急激に減って、実質賃金 も激しく下落。国民が”貧困化”した。 65.世帯所得は消費税増税の97年から一本調子で下がっている。給与所得は消費税率を 5%、8%、10%とあげるたびに、ガクガクと下がっている。 デフレ脱却前には絶対に増税してはダメで、大至急、消費増税の凍結、「消費税0%」 を実現すべき。 66.GDPが順調に成長していけば、日本はいまよりはるかに経済大国、文化大国、生活大国 になっていたはず。日本のGDPの世界シェアは約20%だった。いまは6%以下。中国 の半分以下でアメリカの5分の1の国になってしまった。 67.30年間で数千兆円規模というような大きな富を失った。税収も数百兆円規模で失っ た。日本のプレゼンスも著しく失われた。その結果、アメリカも中国もロシアも日本 を軽んじるようになった。 68.コロナ禍で政府のいうとおり自粛する国民に補償を出すのは当たり前。 69.日本経済がデフレの深い底に沈んでしまったのは、別に国民が怠けていたせいなんか じゃない。政府がデフレ下の増税という誤った経済政策を繰り返したから。 70.宣言で国民を脅かし、自粛要請して、補償が手薄い。メディアによる検証も全然足り ない。 71.居酒屋に酒を卸す業者、氷を納入する業者、毎日おしぼりを届ける業者など、補償す べき対象は飲食店だけじゃない。自粛要請にともなう政府からの「補償」は幅広く、 あらゆる産業をカバーし、国民全員に行き届くものでなければダメ。 72.日本政府は、ただちに粗利補償の制度設計をして、スタートさせるべき。年100兆円 を2年続けても問題ない。 73.いまは、公共事業が当時のように”悪の権化”としてやり玉に挙げられることはない。 インフラ整備という公共事業を取り巻く空気が変わってきた。 74.日本は地震活動期に入った。南海トラフや首都直下型地震が必ず襲ってくる。地震が 少ない高度成長期に造ったインフラでは不十分。どちらが起こっても東日本大震災を 上回る死者がでる。 75.「異常気象」は常態化した。台風が巨大化し、九州、西日本の集中豪雨にインフラが 追いつかない。 76.”ムダなダム”の代名詞とされた八ッ場ダムは、台風19号で雨水を大量に貯め、貯水 池の水位が2日間で54メートルも上がった。それで下流を守った。 77.いまもっとも急速に経済成長している中国は、まさに列島改造論ならぬ、”ユーラシア 大陸改造論”をやっている。 78.中国からユーラシア大陸を横断してヨーロッパにつながる「シルクロード経済ベル ト」。 79.新幹線のレベルなんて、圧倒的に中国のほうが日本より高くなっているし、高速道路の レベルもそう。 80.「財源がない」という緊縮財政ニッポンは世界のインフラ競争から大きく取り残されて いる。 81.リニア新幹線は東海道新幹線のバックアップ。たんなる公共事業ではなくて危機管理の 話。日本はMMTの教える財政出動を駆使し、危機管理投資に注力する必要がある。 82.「資本論」でカールマルクスは「上部構造と下部構造」といった。「上部構造」は 法的・政治的な諸関係や社会意識の諸形態のことで、道徳・芸術・宗教なども上部。 その土台になっているのが社会の生産関係の全体でこれが「下部構造」。 上部は下部に依存していて、下部がかわれば上部も変わるから「下部構造は上部構造 を規定する。」 83.インフラ整備が止まっていることが、日本凋落の最大の原因。 84.地政学をおさえた国が世界の覇者になると中国は理解している。21世紀の中盤にか けてますます中国が拡大し、アメリカの凋落が進む可能性がある。 85.あらゆる企業の収益が激減し、そんななかでも無理に利益を上げようともがいた挙句 あらゆる業界でブラック企業がはびこる。日本経済がデフレで激しく衰退し、沈み込 んでしまったことが本質的な原因。 86.日本にはアメリカ型経営はもかない、「日本型資本主義」でいくべきだ。 87.民営化は是々非々でやるべきであって、とにかく民営化という流れは全体主義といっ てもいい。必要なかった郵政民営化。 88.小泉さんは何もわかっていなかった。それでもやりたいことを中身を無視してやった から完全に政治家失格。いわゆるポピュリズム、大衆迎合政治の最悪の形。 89.笹子トンネルの天井が130m崩落し9名がなくなった事故。政府が道路公団を民営 化してNEXCO中日本という民間会社にやらせたことによって規制が緩んでしまった。 90.郵政も民営化したことで郵便局のサービスレベルが著しく低下。民営化は成功してい るわけではなく、むしろ問題を大きくしている。 91.民間会社はどうしても利益を優先して、長期的な安全を軽んじる傾向がある。 92.すべて民間にやらせりゃいいっていうのは完全な暴論。「長期的」インフラビジネス においては、民間のほうが政府より事故のリスクが高くなる。 93.デフレから脱却して経済力をもたなければ日本は安全保障でも主体性を取り戻せない。 94.普遍的な理論を日本人が解釈し、日本流の経済・財政・産業・外交政策に展開すべき。 95.われわれが中国から学ぶべきは政策の中身ではなく、社会科学理論を尊重し、長期的 視野にたって政治を展開する姿勢。 96.医療、介護、年金、教育、子育て、文化などさまざまな問題が、日本の財政の抜本的 な大変革によって、解決する方向に大きく踏み出せる。 ー 以上 ー
2021.09.17
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7月29日の夕方、益川さんがご逝去されたとTVのニューステロップが流れたとカミさんから教えられる。ニュースで確認後、LINEで物理学科卒業の9名に連絡する。誰よりも早く、皆に連絡できたことに自己満足する。 益川さんは素粒子に関する理論的な研究で2008年にノーベル賞を受賞された。7月23日にご逝去されたとのこと。81歳だった。 50年前、ゼミのご指導をいただいた。2015年10月に卒業45周年同窓会を行った時、益川さんにもご出席いただき「物理について思うこと」と題しご講演をいただいた。懇親会で先生とお話する機会を得、先生の著書三冊にサインをいただいた。 ・『科学にときめく』かもがわ出版 1500円 ・『「自分力」の磨きかた』ブックマン社 1300円 ・『つぶやきカフェ』三省堂 1300円 同窓会の様子は右のブログから参照。「物理学科卒業45周年同窓会」 7月30日に益川さんの死去に関する新聞報道があった。朝日新聞は1面と34面に記事が掲載された。中日新聞は名古屋の地元新聞だが、1面のみの掲載であった。 それに比較すると朝日新聞は多くの紙面が割かれており、特に34面で晩年の益川さんの平和活動に関する記載が際立っていた。 なお、8月1日「天声人語」に益川さんの記載があった。 7月30日付朝日新聞1面 7月30日付朝日新聞34面 8月1日付朝日新聞「天声人語」
2021.07.31
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最近、YouTube『一月万冊』にはまっている。反権力の視点からの清水有高氏との約1時間のトーク番組で、佐藤章氏とここで紹介する反オリンピックの急先鋒、本間龍氏の番組をよく観ている。 番組の中で本間氏の著書『原発広告』の紹介があったので、現役時代30年、原子力ムラの片隅で仕事をしてきたものとして読んでおく必要があると思い、Amazonで購入した。装丁は真っ黒で本のタイトルは白い文字で書かれており、異色な感じがした。 本の内容の骨子は原子力の安心・安全のプロパガンダのために、電事連、電力会社などを通じ、大量のお金を3.11までは流してきた。広告の内容は時代に応じ、内容が変化し、戦略的によく練られた内容であった。 原子力の高コスト構造に繋がるものであり、電力と広告会社の関係は電力と建設会社、電力とプラントメーカに相通じるものがる。3.11前のプラントのコストは110万kw級で3000億から4000億といわれていた。 原子力は安全・安心というプロパガンダと安全・安心を担保するための品質保証活動、試験検査がおこなわれたが、3.11には有効でなかった。 【主な内容】 1.原子力の歴史と対比しその当時の広告が紹介されており、原子力の出来事を知る のに役立つ。 2.原子力推進関連団体は20以上ある。大手電力9社が1970年度から2011 年度までの42年間で、2兆4000億円を超える普及開発関係費(広告宣伝費) を支出していた。 3.2010年度に東電の普及開発関係費が269億円だったとき、電事連は866 億円の普及開発関係費を投入していたので、その年だけでなんと1000億円を 超す原発PRが展開されていた。 4.「販売促進費」というメディア以外のPRやイベントに使われいた予算も毎年 数百億円あった。 5.すべての原発協賛団体の原発推進予算を積み上げれば、42年間で2兆4000 億円どころか軽くその数倍、少なくとも4~5兆円を超える巨額の広告費が費や されていたと推測できる、 6.さらに、全国44ヶ所の原発立地自治体にはこれとはまた別に電源三法交付金、 電力会社寄付金、核燃料税などの「原発マネー」がこれまで3兆円も注ぎこまれ ている。 7.原発の歴史とは、数えられないほどの事故とトラブルの連続。さらにそれを必死 に隠そうとする隠蔽の歴史。あまりにトラブルが多すぎて隠蔽がままならなくな ったため、巨額の広告PR費でメディアを籠絡し、事故が起きてもなるべく軽微 に報道してもらう必要にせまられた。 8.不祥事発覚前年の2001年に239億円だった予算が2002年は事故隠しの 余波で203億円に減り、翌年こそ213億円と微増ですが、2004年にはほ とぼりがさめたとばかりに268億円に増額された。 9.2002年の不祥事発覚前、原子力ムラの年間目標は放射性廃棄物の地層処分処 理にシフトしていく。 10.原発自体は発電時に二酸化炭素を排出しないが、発電に伴い、行き場のない 大量の放射性廃棄物を発生させるので、エコでもクリーンでもない。しかし、 原子力ムラによる「二酸化炭素を出さないエコでクリーンなエネルギー」と いうフレーズをまとった大量の広告出稿によって、国民は本質的な問題は遠 ざけられていた。 11.有権者である国民の洗脳が原発広告の第一の目的とすれば第二の目的は巨額の 広告費投下によるあらゆるメディアの懐柔である。 12.チェルノブイリ事故の1986年の普及開発関係費年間121億円が87年に は一挙に24%増の150億円に増額され、その後88年180億円、89年 は206億円、90年には224億円とわずか4年でなんと倍額近くになった。 チェルノブイリ事故後原発に対し、懐疑的になった世論を引き戻そうと必死に なっていた。 13.東電の普及開発関係費は1989年に200億円を突破してから2011年の 福島第一の事故まで200億円を下回ることは一度もなかった。 14.表では巨大広告主としてとくにテレビ局に対してにらみを利かせ、裏では活字 メディアの記者たちを接待攻撃で骨抜きにし、ネガティブ記事そのものを書か せないようにもっていく。原発推進方針まで批判する論調にはならないように 電波メディアと活字メディアの両方に対して、二重の防波堤を構築していた。 この防波堤は約40年に渡り機能し続けた。 15.メディア各社の収益源の大半を占めるのは自社の制作物や発行物ではなく、 スポンサー企業からの広告出稿料。 16.テレビ局は収益の実に7割、新聞社でも3割を広告収入に依存。雑誌にいた っては、広告が集まらなければ新雑誌の創刊もできない。 17.メディア各社が最も恐れているのは、売れ行き低下によって広告媒体としての 価値が下がったと判断したスポンサー企業が離れていくこと。 18.スポンサー側の立場にたてば、何億円もの広告費を投入しているのに悪口を言 われるのでは割に合わない。問題はメディア側がそれを嫌って、しなければな らない批判を自主規制してしまうこと。そのもっとも極端な例が原発報道。 19.広告予算が肥大化し、大手スポンサーへの依存度が高まるとスポンサーが意識 するしないにかかわらず、メディア側が勝手にスポンサーのネガティブニュー スを流さないよう、「自主規制」を始めてしまう。 20.1970~90年代にかけて原子力ムラの圧力に抗して様々な反原発番組が作ら れては潰され、次第に原発は「スルーするもの」という雰囲気が出来上がり、 メディアコントロールが完成されていった。 21.「原子力PA(パブリック・アクセプタンス)方策の考え方」に見るメディア 支配の方法。 (1)PA(Public Acceptance)パブリック・アクセプタンスは社会的受容の 意味。 (2)対象を明確に定めて、対象毎に効果的な手法をとる。 ①父親層がオピニオンリーダとなった時、効果は大きい。真正面から 原子力必要性、安全性を訴える。 ②女性(主婦層)には訴求点を絞り、信頼ある学者や文化人等が連呼 方式で訴える方式をとる。 ③不安感の薄い子供向けには、マンガを使うなどして必要性に重点を 置いた広報がよい。 ④対象は父親、主婦、子供(教育も含む)、訴える内容は原子力発電所 の必要性と安全性、食品の安全性、原子力を中心とした科学的知識の 普及など。 (3)頻度 ①繰り返し繰り返し広報が必要。繰り返し書くことによって、刷り込み 効果が出る。 ②短くともよいから頻度を多くして、繰り返し連続した広報を行う。 (4)時機(タイミング) ①タイムリーな効果は効果大。定期的に出ているコラム広告などは、 効果は小さい。 ②国民の関心が原子力に向いている時期に広告すれば国民は注目する。 ③事故が発生したときは、国民の関心が高まっている。原子力広報の タイミングは最適。 (5)内容(質) ①広報は”危険だ”を前提に置いて、徐々に安全性を説いていく方が よい。 ②訴求点をストレートに出す。ごまかしてはいけない。 ③情緒に訴えるやり方は避ける。 ④原子力には、隠されたものというイメージがある。堂々と正面から 訴える。 ⑤一般人が信頼感をもっている人(医者、学者、教師など)からの メッセージを多くする。 (6)手法 ①放射線や放射能が日常的な存在であることを周知させる必要がある。 ②安全性や生活との密着性を機会ある毎に直接的に訴えていく。 ③利用実態をオープンに知らせる。 ④原子力広報はまず”安全だ”と打ち出すのではなく、”核分裂という 現象は危険だその危険をどう安全に変えているか”という手法を探る。 ⑤世の中に危険でないものは無いのに、原子力だけは「安全だ」という こと自体おかしい。 (7)広告 ①国民の反対が出るくらいの、アピール度の高い、強烈な広告。 ②国民を一つの対象として広報効果を上げるのは難しい。 ③漠然とした情報の垂れ流し的広報は無意味。 ④イメージ広告はやめて、情報をきちんとダイレクトに出す。原子力は 化粧品の広告と同じ調子でやるべきではない。 ⑤必要性を訴える場合、主婦層に対しては現在の生活レベル維持の可否 が切り口となる。電力会社や関連機関の広告に必ず”1/3は原子力” を入れる。小さくともどこかに入れる。いやでも頭に残っていく。 ⑥「エネルギーの三分の一は原子力」というスローガン訴求はあらゆる 広告で徹底され、完全に定着したと言える。 (8)ロビーの設置 ①原子力に好意的な文化人を常に抱えていて、何かの時にコメンテータ ーとしてマスコミに推薦できるようにしておく。 ②原子力では反対派の人が多い。高木仁三郎氏は最も有名なコメンテイ ター。 ③数名からなるロビーをつくり、コメンテイターの養成につとめる。 ④1990年代以降、「原発文化人」の育成を大々的に展開、各種メデ ィアに華々しくプッシュしていく。 (9)活字メヂィアの活用 ①パブリシティ広報がベスト。素材の提供をして、あとの料理の仕方は まかせる。「正しい知識」の押し売りはだめ。停電は困るが、原子力 はいやだという虫のいいことをいっているのが大衆。 ②反対派が出す書物に対して推進派の手に成る書物は絶対量が少ない。 (10)映像メディアの活用 ①癒着排除のため、毎年業者を変えて工夫をすることが必要だ。予算を 処理するだけのようなPAをやっても意味がない。 ②テレビで討論会、対談、講座などを行う(政府提供では視聴率が悪い ので工夫を要する。)まじめで面白い番組なら人はついてくる。 原子力を、政治経済、国際情勢など時局に結びつけてやる方がよい、 ③クイズ番組に科学技術庁関連の問題を提出し、その中にエネルギー ・原子力を盛り込む。 ④単発ドラマを制作・放映する。原子力は”事故”で映画の対象になるが、 もっとプラスイメージでドラムの中に入れる工夫をする。 ⑤ドラマの中に、抵抗の少ない形で原子力を織り込んでいく。原子力関 連企業で働く人間が登場するものといったものでもよい。原子力を ハイテクの一つとして、技術問題として取り上げる。テレビでエレク トロニクスは技術紹介番組としてよく取り上げられる。なぜ、原子力 は取り上げられないのか。そこには、懸命に取り組み、汗を流してい る人もいる。 ⑥ドキュメンタリー的番組を制作・放映する。NHKが時々やるが、 NHKのは批判色が強かったり、くせがありすぎる。 ⑦アニメマンガ番組を制作・放映する。テレビでのアニメのアイデアが 不足。 ⑧現在のようにニュース番組の視聴率がよい時代には、国会議員や役人 がテレビ出演するチャンスも多い。その機会を大いに利用する。 テレビ局に積極的にアプローチし、自らニュース番組への出番を作る 努力をする。 科学技術庁記者クラブのテレビ各社の記者と話し合ってみる機会を作 る。 ⑨事故に対して関係者がどのように対応したか、といったようなドキュ メンタリー番組を制作・放映する。事故を側面から見つめる番組。 ➉テレビスポットを数多く流す。何を訴えるかが大切。 ⑭何かの時には、原子力に好意的な文化人を、コメンテイターとして 推薦できるようにしておく。新聞、テレビがこの人のコメントを載せ てほしいと思う人をリストアップし、その名前が自然にしみこむよう に、日頃の仕事の中で心がけていくことが大切。 (11)広報担当官(者)はマスコミ関係者との個人的なつながりを深める 努力が必要。 (12)関係者の原子力施設見学会を行う。見ると親しみがわくし理解も深ま る。テレビや新聞の内勤者の人たちに見せるのが効率がたかい。 (13)5~6人からなるロビーを作り、常に交流を図る。 (14)テレビディレクターなど製作現場の人間とのロビー作りを考える。 特定のテレビ局をシンパにするだけでも大きい。テレビ局と科学技術 庁の結びつきは弱い。テレビディレクターに少し知恵を注入する必要 がある。 (15)人気キャスターをターゲットにした広報を考える。原子力について 有名な人に話してもらい、質疑応答する。何か事故が起こり原子力が ターゲットとなったときに人気キャスターを集めて理解を求めること ができる。 (16)日頃から、役立つ情報をできるだけ早く、かつまた、積極的に提供し ておく。 (17)記者のポストが変わっても、情報の提供を継続していく。情報資料は 郵送する。 3.11直前はここに書かれた方策の多くが実行され、原子力のPAはまさに 完成の域に達していた。 22.2010年の国内広告宣伝費ベストテンに姿を表した東京電力は1989年以 降、毎年200億円以上の普及開発関係費(広告宣伝費)を投入。テーマの中 にはオール電化などもあったが、その中核が原子力だった。 23.メディアバイイングとはメディア(の広告枠)の購入のこと。メディアバイイ ングの戦略は、あらゆる広告の根幹であり、それによって広告の浸透度(どれ だけ話題になるか)が左右される。 24.東電の番組提供はほぼ16時以降のニュース番組に集中しており、通常のスポ ンサーセオリーとは明らかに異なる傾向がある。 25.これらのスポンサーは東電・電事連・NUMO(原子力発電環境整備機構) などの各法人がバラバラで計画しているのではなく、誰かが全体を俯瞰して 万遍なくコントロールしている。 26.電通が一括して全体のメディアバイイングを担っていて、報道番組買占めによ る「報道番組シフト」を敷いていた。 27.バラエティやドラマに比べて報道番組は人気が低いので、安定的なスポンサー はありがたい存在。 28.スポンサーを批判するような報道はしづらいという、ある意味報道番組として は致命的な欠点を抱えている。 29.現在夕方から深夜にかけて放送されている報道番組と称している番組の多く は、現場を知らないタレントや有名人がキャスターとして登場。そこで放送 されているニュースがどのような経緯で原稿になったのか、またなぜ原稿に ならないニュースがあるのかなど、彼らには知る由もない。ニュースを紹介 しているただのショーであり、報道番組とはいえない。 30.「〇〇特集」のように、数週間あるいは数か月かけて批判的なスクープ特集を 組む場合、スポンサー企業をターゲットにすることなどあり得ないこと。日本 の報道番組で、大企業の内部告発やスクープが少ないのはこのため。「報道 番組シフト」は原子力ムラへの批判的報道を抑制するために甚大な効果を発揮。 31.2010年4月に東電、NUMO、電事連、Jパワー(電源開発)が放映した CM本数は合計で275本、推定広告費は1億5928万円。 32,関東キィー局だけの本数で、福島県、青森県などの原発立地県のローカルテレ ビ局は入っていない。さらに、2020年度に放送された前述4社のCM本数 は5044本、推定広告費は36億5312万円となっている、 33.メディアにとって年齢を年間を通じて収入が見込まれる大変ありがたいも の、企画進行中に報道現場からがそのスポンサーへのネガティブ報道をや ろうとしても営業から文句が出てストップがかかる。 34.3.11直前の原子力ムラによるプロパガンダ体制は完成した。 35.田原総一朗氏が1976年に発表した『原子力戦争』(筑摩書房)は当時 すでにメディアの間でタブー視されていた原発問題について切り込んだ作 品として大きな話題。 36.大手広告代理店が原発反対の住民運動への対策を東京電力と組んでやって いた。いかに住民たちを反対派から推進派にしていくか。 37.当時テレビ東京は弱い局だった。スポンサーに代理店を経由して乗ってもら っていた。それをやめると言ってきた。田原総一朗氏はテレビ東京の上から 「連載をやめるか、会社をやめるか」という選択を迫られ連載を止めないで、 会社をやめた。 38.スポンサーの圧力で掲載中止か会社を辞めるか迫られた、というのはとんで もなく重いこと。当時東電と組んでいた大手広告代理店とは電通。 39.テレビ東京は、最後発のキー局として当時まだ経営母体が弱かったので、 スポンサー探しを電通に依存。 40.電通という会社の隠然たる力、その圧力に抗しきれなかった、テレビ東京の 貧弱さを証明。 50.経営基盤が貧弱で地域経済の雄である電力会社に大きく依存しているローカ ル局は次第に自主規制に縛られていく。 51.広島テレビの岡原 武氏は,1992年日本のプルトニウム利用の動きを追 った、『プルトニウム元年・ヒロシマから~日本が核大国になる!?』を制 作、日本テレビ系列の「NNNドキュメント」の枠で全国放送、93年の 「『地方の時代』映像祭大賞」「日本ジャーナリスト会議奨励賞」を受賞。 ところが、地元の中国電力と電事連から執拗な抗議をうけ大問題に発展。 提供が決まっていた番組から中国電力が降りるという事態になる。本人を 含む報道局4名が営業局に配置転換という降格人事がおこなわれた。 52.1988年に青森放送が製作し、「NNNドキュメント」の枠で放送された 「核まいね」は、六ヶ所村の核燃料サイクル施設の建設をめぐって分断され る地元の苦悩を鋭く描き出した番組で「日本民間放送連盟賞」「『地方の時 代』映像祭賞」「ギャラクシー賞」を受賞。ところが、その内容には科学技 術庁、日本原燃から強いクレーム。社長の首のすげかえ、番組の製作母体で あった報道製作部を解体した。 53.電力会社のようなビッグスポンサーとはなるべく問題を起こしたくないので 何事も穏便に済まそうとする空気を生み、デリケートな問題はスルーしよう とする(自主規制)に繋がる。 54.バルブ崩壊後の長期不況で広告収入減に悩んだメデイア各社は、次第に原子 力ムラと闘う気骨と体力を失った。2002年の東電トラブル隠し発覚以降 は、完全な自主規制モードにはまりこんでいった。 55.「合意の捏造」において、国民を騙すために大きな役割を果たしたのが原発 広告。 56.東京電力や電気事業連合会などは、もともと競争相手のいない、地域独占企 業群なのでそもそも広告など打たなくてもよい存在。 57.通常の新聞広告製作の場合、単独の15段広告は掲載料が「朝日新聞」全国 掲載で約5000万円。 58.東電や電事連の新聞・雑誌、CMなどの制作者名はほとんど隠蔽されるか消去 されているが、わずかに残っているデータから類推すると、一般企業同様に 電通と博報堂でほとんど分け合っている。 59.悲惨なチェルノブイリ事故が起きたのに、なぜ日本は危険な原発に頼らなけ ればいけないのか、その不安を打ち消すために、疑問を無視するのではなく 懇切丁寧に説明するというこの形式は、その後の原発広告の典型的なパター ンとなっていく。 60.原子力の危険性に敏感な女性層に対するPRは、原子力ムラにとってかなり 難易度の高い問題だった。 2000年代の原発PR訴求ポイントは ①原子力発電所の必要性(二酸化炭素をださないクリーンエネルギー) ②プルサーマルの必要性(資源小国ゆえのエネルギーリサイクル) ③地層処分の重要性(放射性廃棄物処理問題) 61.女性だけにターゲットを絞り込んだ広告というのは原子力ムラにとっても非 常に画期的であった。「anan」のシリーズ広告は当初2002年12月 25日号から始まり、毎回テーマを変えて2008年3月12号まで16回 掲載された。評判がよかったのか、2005年から同じ媒体の「クロワッサ ン」でもほぼ同じ原稿を使用し、2008年まで14回掲載された。 62.1979年(昭和54年)から2009年(平成21年)まで発行された 「広告批評」は広告業界には大変な発信力を持っていた。1987年はチェ ルノブイリ事故を受けて東電が広告宣伝費を30億円近くも大幅にアップさ せた年。 63.それまで100億円台だった予算が1989年には200億円の大台を突 破。 64.福島第一原発の事故はチェルノブイリと同じ最悪のレベル7だったが、幸運 にもほとんどの日本国民は生き延びることができた。 65.大量の無責任な広告を制作してばらまいた者の責任も問われなかった。 66.原発広告の大半は意見広告。国論を二分するような意見広告は、反論権があ って載せられるもの。同じスペースを無料で反論者に提供される制度。日本 には反論権がないから、一方的に金持ちの意見だけが広告できる。 67.意見広告に対する「反論権」を認めない日本。資金を豊富に持つ巨大資本の 一方的な意見主張に対する抑制策としてドイツやフランスで提唱。 68.日本でこの反論権が注目されたのは、産業経済新聞社と共産党が争った 「サンケイ新聞事件」。1973(昭和48年)12月2日の紙面。 「前略 日本共産党殿 はっきりさせてください。」というタイトルで、 自民党が共産党の政策を批判する意見広告を記載。 69.これに対し共産党が憲法二十一条から反論権(アクセス権)があるとして 「同一スペースの反論文の無料掲載」をサンケイ新聞に求めましたが、 サンケイ新聞側は「自由民主党と同じ有料の意見広告であれば掲載するが、 無料では掲載しない。」として裁判。 70.最高裁まで争い、共産党が全面敗訴。「反論権」という権利が日本社会 でもクローズアップされた活気的な出来事。 71.原発が安全といっても結局は科学的に実証されていたわけではなく、 メルトダウンは絶対にしない、事故は100万年に一回以下の確率 だという記述も単なる「意見広告」のようなもの。 72.原発が「クリーン」であるという表現は疑義があるという申し立てが 2008年にJARO(日本広告審査機構)におこなわれた。JAROが 異議申し立てを審査した結果「原子力発電はクリーンな電気の作り方」とい う広告のコピーについてJAROが「原子力発電にクリーンという表現を使 うことはなじまない」と裁定し、電事連に表現の再考を促がしていた。 75.安全性について十分な説明なしに、発電時に二酸化炭素(CO2)を出さない ことだけをとらえて『クリーン』と表現すべきではない。 76.マスメディアは権力を監視する強い力を持ち「第四の権力」と言われる。 その「マスメディア」も「広告費」によって生殺与奪の権をにぎられてい る。その広告費の分配を差配し、日本のマスメディアの根幹を牛耳ってい るのが、電通と博報堂という二大広告代理店。 77.「電通」は売上高約1兆8334億円と第2位の博報堂の倍近い企業規模。 78.電通が時の権力者である自民党と強く結びつき、早くからその政策実現に 積極的に関与していた。 79.政権との結びつきはあらゆる情報の質と早さで他社を圧倒。戦後に実施され たイベント関連の一極集中を招く。オリンピックやワールドカップ、万国博 覧会などの巨大イベント利権はすべて電通に集中。 80.2020年オリンピック招致活動も東京都は最初からすべて電通に発注して おり同社にはその費用として70億円近い税金が支払われる。 81.田原総一朗氏がテレビ東京を辞めるきっかけになったのも電通の圧力。 82.博報堂は伝統的に政治とは距離をおくスタンスであったとはいえ、長年にわ たり東電や電事連の広告を制作、扱ってきたことで、間接的に原子力ムラを 支えてきたことは間違いない。 83.電通はメディアにニュースを提供する共同通信社・時事通信社の大株主。 また民放テレビ局の株主。電通に対するネガティブニュースは極めて報道さ れにくく逆に電通の意向は非常にストレートに反映されやすい状況。 84.広告宣伝費の多い巨大スポンサーのネガティブ報道が世に出ないように、 日夜メディアチェックに余念がない。3.11以前は原子力ムラのネガティ ブニュースをことごとく摘んでいた。 85.広告代理店は掲載前・放送前にどのようなニュースが出るのかあらかじめ把 握。もし電力会社に不利益な内容のニュースや番組があるとわかった瞬間に メディアの現場から広告代理店に報告が入り、間髪をいれずに電力会社にも 情報が伝わる。 86.その瞬間から、その記事の差し止めや放送中止の要請が広告代理店を通じ て、あるいは電力会社から直接メディアに伝わる。現在行っている広告ス ポンサーを降りるという脅し文句で揺さぶりをかける。 87.原発ネタはニュースにしない、ワイドショーなどでも話題にしないという 空気が完全に出来上がっていたので、「反原発」はないにも等しい扱い。 88.「広告出稿」という巨大な利権を盾にほぼすべての大手メディアにそのよう な「自主規制」をさせる電通・博報堂の力は、喧嘩をするはるか以前の段階 で勝負がついているようなレベル。 89.「自主規制」を生んでいることは間違いなく、「自覚なき第五の権力」と なっていると確信。 90.世界規模の環境問題に取り組むNGO(グリーンピース・ジャパン)は、 2013年の春から「原発にもメーカ責任を」という署名キャンペーンをし ている。現行の原倍法(原子力損害の賠償に関する法律)では、どのような 事故が起きても原発製造メーカの製造責任は問われない。福島第一原発の 事故を踏まえて見直すべきという運動。 91.福島第一原発の復旧作業は現在も東電が主体となり、原子炉メーカは 「協力する」という形。東電は実質的に国有化され、この2年間で国民の税 金3兆円がつぎ込まれている。 92.原子炉の製造に関わったゼネラル・エレクトリック、日立製作所、東芝は原 子炉損壊とメルトダウンに対し何の責任も問われず。 93.牛乳で食中毒事故を起こした雪印はグループ会社の牛肉偽装事件も重なって 会社の解体・再編を余儀なくされた。それだけ製造責任は重い。 94.原発災害関連だけで1400名もの死亡者を出し、数十万人の生活を破壊し た原発の製造者が何の責任も賠償も問われないのは、明らかに異常な事態。 95.原発広告を延々と作り続け、メディア掲載料をもらい続けた、広告代理店 中でも最大手の電通と博報堂にも、広告を作り国民を騙した責任がある。 96.四媒体(新聞、雑誌、テレビ、ラジオ)の枠取りは事実上、電通と博報堂を 窓口にしなければ確保することができない。約40年間で巨額の管理料 (マージン)が両社に落ちていたはず。 97.「企業コンプライアンス」を口にして社会に貢献したいとするのであれば、 原発プロパガンダの片棒を担いでしまった過去の過ちを認め、今後原発広 告は一切制作しない、または扱わないと宣言すべき。 98.2010年の年間広告費が東京電力と電気事業連合会合わせて1000億 円。 99.本来ならその危険性を指摘しなければならないメディアが、その広告費ほし さにいかに弛緩していたか。原子力ムラの「専門家」たちに交じって実に多 くのタレントや文化人が出演しており、読者の判断を誤らせる手助けをして いた。 100.原発広告の中で一番メッセージ性が強く、一度に多くの読者に届くのが 新聞広告。新聞は他のメディアよりも読者の信頼度が高い。 101.2010年度の原発全面広告掲載回数は「読売新聞」がダントツの10 回。読売の掲載料は正価なら15段が1回約4000万円。年間ざっと 4億円の収益になっていたはず。 102.「エネルギーの安定供給にかかわる原子力への期待と信頼」というキャッ チコピーで、エネルギー供給には安心できる原発が必要だと規定し、原発 は必要不可欠だと読み手を誘導する。 103.東芝は福島第一原発事故の製造物責任を負っていない。同じ製造者である ゼネラル・エレクトリックと日立製作所とともに原賠法(原子力損害の 賠償に関する法律)に守られ、国費から3兆円を支出しての復旧・廃炉 作業にビタ一文拠出していない。 104.2010年度、多かったのがNUMO(原子力発電環境整備機構)による 広告。NUMOはたまり続ける放射性廃棄物の地層処分を推進する団体。 地震国の日本で数万年先まで地下300メートルの処分場が安定する保証 はどこにもない。 105.NUMOも電事連も電力会社も元は同根の原子力ムラで、経営側にして みれば「一つの顧客」。毎年定期的に大きな広告紙面を掲載してくれる 上得意客。「お客様」の不祥事やネガティブ記事を書くのはできるだけ 控えよう、という空気が醸成。 106.自らの足を引っ張るような記事を書けるはずがなかった。しかし事故は 起こり、安全神話は崩壊した。 107.「もんじゅ」は20年間で1兆円以上の国費を投入したのに一度も発電 しなかった実態には全く触れていない。原発広告は純然たる記事と広告の 境目をわざと曖昧にしていた。 108.「もんじゅ」は2013年になって原子力規制委員会から1万カ所以上の 点検漏れと組織的な企業コンプライアンス欠如を厳しく批判され、運転 再開の準備行動さえ禁じられる事態に陥った。 109.コピーで宣言した設計・建設・運転・保守が本当に最高水準であったなら なぜレベル7の過酷事故が発生したのか。東芝はもっと主体的に原因究明 に関わるべき。 110.現在、最も求められているのは一刻も早い事故収束と避難している方々の 生活支援。同原発の設計・建設に携わった企業として事故責任を明確にし 生活を破壊された福島県民に対し謝罪と賠償をすることは、最低の企業責 任。 111.原子力ムラが行った推進事業のもっとも罪深いものは「原子力ポスター コンクール」経済産業省と文部科学省の共催で2010年まで17回実 施。危険性について何の知識もない子供たちに一方的な情報を与え、 その純粋な心を利用してきた役人たちの罪は万死に値する。 112.広告やシンポジウムのすべてが国民の電力料金と税金で成り立っていた。 電力会社は総括原価方式で苦もなく集めたカネを湯水のように関連団体に 提供していた。 ー以上ー
2021.05.30
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文藝春秋12月号に中野剛志氏が書いた『アベノミクス継承では「賃上げ」はできない』は納得できるところが多かったので、印象に残ったところをこのブログにまとめた。 なお、この論文の副題は『「利潤主導型」成長戦略と決別し「賃金主導型」成長戦略へ大転換せよ』である。 掲載ページ (170) 【主な内容】 1.賃金を上昇させるには、まずもって需要不足を解消しなければならない。 需要が増え、供給を上回るようになれば、労働者不足になる。企業は労働者を確保する ため、より高い賃金を支払うようになる。 2.日本は、過去20年以上にわたって需要不足(デフレ)であったにもかかわらず、 財政支出を十分に拡大してこなかった。 3.自国通貨を発行する政府が変動相場制の下で、自国通貨建て国債の返済ができなくなる という財政破綻は、理論的にあり得ず歴史的にも存在しない。そして、日本国債はすべて 円建てであるから、日本の財政破綻はあり得ない。 4.ハイパーインフレは、戦争や体制崩壊など特殊な要因によって起きる物であり、歴史上の 例もわずかである。少なくとも戦後の先進民主国家が放漫財政でインフレを制御できなく なった例はない。過去20年以上にわたり、インフレどころか、デフレであった。 5.政府債務の累積によって金利が上昇するという説も、現代貨幣理論(MMT)が証明した ように、あり得ない。実際、過去20年間、日本の政府債務は累積し続けたが長期金利は 逆に下落し、世界最低水準で推移してきた。 6.低金利下での財政赤字の拡大は問題ではない。むしろ積極的な財政支出が求められる。 「低インフレ、低金利、低成長下においては、財政政策最も有効である。 7.日本が賃金上昇を実現するには、需要不足を解消するまで、財政支出を拡大し続けるが 必要条件。しかしあくまでも必要条件であって、必ずしも十分条件ではない。 「賃金上昇」を実現するには「積極財政」に加えて「成長戦略」が必要となる。 8.「成長戦略」には二つのタイプがある。一つは「賃金主導型の成長戦略」もう一つは 「利潤主導型の成長戦略」。 9.「賃金主導型成長戦略」とは「賃金上昇」を経済成長の推進力とする戦略。 賃金が上昇するのは、人手不足の時。例えば、高度成長期の日本は、慢性的な人手不足 であった。 10.労働組合の力が強く、企業が労働組合の賃上げ要求に応じざるを得ないような状況に あることも、賃金上昇の重要な要因となる。 11.1970年代頃までは、労働組合の圧力に押される形で、賃金は上昇していった。 12.政府の労働者保護規制が強いことも、賃金上昇の圧力になる。例えば、解雇規制が 厳しければ、企業は賃金引下げに応じない労働者を簡単には解雇できないため、 賃金上昇の要因になる。規制による最低賃金の引き上げも、賃金上昇圧力となる。 13.企業は「人件費の削減以外の方法」によって、競争力を維持・強化し、利益を増やす しかなくなる。例えば、熱心に設備投資を行う。あるいは技術開発投資を拡充して イノベーションを起こし、魅力ある製品を生み出そうとする。 14.設備投資やイノベーションに成功した企業は、人件費を削減することなく、利益を 増やすことができる。 15.人手不足、強力な労働組合、厳しい労働者保護規制などのおかげで、企業は設備投資や 技術開発を積極的に行うようになるというメカニズム。「賃金上昇圧力」が経済成長の ”原動力”として作用。 16.賃金が上昇しているから、労働者の所得が増えている。より所得が増えた労働者は、 より消費を増やす。 17.企業利潤が増えれば、労働組合はさらなる賃上げを要求する。企業の積極的な投資に よる事業拡大も、再び人手不足をもたらす。つまり、「賃金上昇圧力」が繰り返し 生ずる。 18.賃金が上昇して消費需要が増大すると同時に設備投資も増大し、さらにはイノベーション が盛んになり、経済全体が成長していく。このような形の経済成長を目指すのが、 「賃金主導型成長戦略」。「最低賃金の引き上げ」は、この「賃金主導型成長戦略」の 一つの政策手段の位置づけ。 19.戦後から1970年代まで日本の経済はこのような「賃金主導型成長戦略」により、 比較的高い成長率を実現していた。 20,80年代を境に、日本の成長戦略は次第に「賃金主導型」から「利潤主導型」に 移行。1990年代以降「成長戦略」といえば「利潤主導型成長戦略」。 「構造改革」とは「利潤主導型成長戦略」とほぼ同じ。 21.「利潤主導型成長戦略」あるいは「構造改革」は「企業利潤を増やすこと」が 経済成長の推進力になるという考え方。 22.企業が賃金を引き下げやすく、生産性の低い労働者を容易に解雇できる環境を 整えることが「利潤主導型成長戦略」の主眼。 23.そのためには、労働者保護規制を緩和すればよい。こうして1999年、労働者派遣事業 が製造業などを除いて原則自由化され、2004年には製造業への労働者派遣も解禁され た。 24.「企業利潤拡大圧力」を強めることも効果的。その圧力を生み出すのは投資家。企業に 対して利潤の拡大を要求する投資家の発言力が強まれば、企業は人件費を抑制せざるを 得なくなる。 25.2003年の改正商法では社外取締役制度が導入され、外資による日本企業の買収が容易 になった。 26.「利益主導型成長戦略」の下では、企業は利益を増やすが、労働者は賃金が下がるので 所得を減らす結果となる。労働者の所得が減るため、需要が縮小してしてしまい、企業 の製品は売れなくなる。そこで企業は需要を国内(内需)ではなく、海外(外需)に求 めるようになる。 27.企業利潤を増すため、安価な労働力が手に入る国へと生産拠点を移していく。いわゆる グローバリゼーション。 28.グローバリゼーションが進むと、労働組合は賃上げを要求しにくくなる。企業が「賃上げ をしたら国際競争力を失って会社が潰れる」「人件費がかさむなら、工場を海外へと移転 せざるを得なくなる。」などと労働組合を脅せば、労働組合は賃上げ要求を撤回せざるを 得なくなる。 29.ヒトのグローバリゼーション、すなわち低賃金の外国人労働者を国内に流入させれば、 国内の労働者は、外国人労働者と競争せざるを得なくなる。賃金は下落していき、企業は 利潤を増やせるだろう。 30.「利潤主導型成長戦略」はヒトのグローバリゼーションを進めるものとなる。2018年 入国管理法が改正され、2019年4月から一定の業種で外国人の単純労働者を受け入れ ることとなった。 31.進展する少子高齢化は生産年齢人口を減少させるから、人手不足となり、本来であれば 「賃金上昇圧力」となるはずであった。財政支出の抑制に加え、強力な「利潤主導型成長 戦略」により、上昇するはずの賃金も下落するほかなかった。 32.「利潤主導型成長戦略」の下では「所得格差」は拡大する。 33.「賃金主導型成長戦略」では企業は熱心に設備投資やイノベーションに励むようになる。 「利潤主導型成長戦略」においては、企業は容易に人件費を削減できるので、面倒な設備 投資やリスクの高い技術開発に励まなくても、利潤を確保できる。 34.「利潤主導型成長戦略」の下では設備投資やイノベーションはそれほど促進されないこと になる。したがって、「利潤主導型成長戦略」は「賃金主導型成長戦略」は経済を成長 させない。 35.過去20年間の日本経済がそれを証明している。1990年代後半以降、日本は「利潤 主導型成長戦略」を追求してきた。その結果「企業の経常利益」は1997年時点の 三倍以上となりさらに「株主への配当」は六倍を超えた。しかし「設備投資」は鈍化し 「平均従業員従業員給与」は減少した。日本経済全体もほとんど成長することなく、 停滞を続けた。 36.過去20年以上におよぶ「利潤主導型成長戦略」と決別し、「賃金主導型成長戦略」 へと大転換を図らなければならない。その時「最低賃金の引き上げ」は「賃金主導型成長 戦略」の一連の政策の一つとして位置づけられることになる。同時にデフレ脱却を達成 するまで財政支出を拡大することも必須。コロナ禍で需要が世界的に激減している中では なおさら積極財政へと転換すべきである。 ー 以上 ー
2021.04.12
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昨年10月、仏事があり名古屋に帰省したおり、大学時代の友人TM君に会った。その時、平野啓一郎著の『ある男』を貸してくれた。何故この本を貸してくれたか理由はわからなかった。 普段小説は読まないし、厚い本だったのでなかなか手に着かなかったが今年に入ってようやく読むことができた。ミステリー風で思ったより読み易かった。 【本の紹介(帯から)】 弁護士の城戸はかつての依頼者である里枝から「ある男」についての奇妙な相談を 受ける。 宮崎に住む里枝には、二歳の次男を脳腫瘍で失って、夫と別れた過去があった。 長男を引き取って14年ぶりに故郷に戻ったあと、「大祐」と再婚して、幸せな家庭を 築いていた。 ある日突然「大祐」は事故で命を落とす。 悲しみにうちひしがれた一家に「大祐」が全くの別人だという衝撃の事実がもたら される・・・・・・・。 【心に残った箇所】 1.他人の傷を生きることで、自分自身を保っている。 2.こちらの言うことがよく通じ、相手の言っていることがまたよくわかるのが 心地よかった。 3.現在が過去の結果だというのは事実だろう。つまり、現在、誰かを愛し得る のは、その人をそのようにした過去のお陰だ。 4.死ねばその瞬から微塵の遅れもなくこの意識は絶たれ、その後二度と何も 感じず、何も考えることが出来ずにただ時間が生きている者たちのためだけ に滞りなく過ぎていく。 5.その死の恐怖が、彼の生に対する感受性を過敏にさせていた。 6.自分という人間を、それらの過去の結果として捉えていた。かつて未来だった 人生はかなりの程度、既遂の過去となり、彼がどういう人間かは、大体判明 しつつあった。 7.人生のモットーは三勝四敗主義。 8.愛されているという手懸りを見出すことは容易ではなく、では自分は愛している のかと問われれば、言葉に詰まった。しかし、愛していないとは、決して言えな かった。 9.ニセモノは外側だけマネしても、おもいではわからないだろう。 10.時間がゆっくりと解体されてゆくようなテンポだった。旋律が一滴ずつ澄んだ しずくとなってしたたり、静まり返った室内に幾重にも波紋を広げていった。 11.人はなるほど、「おもいで」によって自分自身となる。ならば「おもいで」を 所有しさえすれば、他人となることが出来るのではあるまいか。 12.国家はこの一人の国民の人生の不幸に対して、不作為だった。にも拘わらず 国家がその法秩序からの逸脱を理由に彼を死刑によって排除し、宛らに、 現実があるべき姿をしているかのように取り澄ます態度を城戸は間違って いると思っていた。 立法と行政の失敗を司法が逸脱者の存在自体をなかったことにすることで 帳消しにする、というのは欺瞞以外の何ものでもなかった。 13.本人の努力は尊いが、それとて努力を方向づける人なり出来事なりに恵まれた 幸運ではないのか? 人間の人格は、遺伝要因と環境要因との”相互作用”で決定される。 14.『三角的欲望』ルネ・ジラール、人間は1対1で欲望するんじゃなくて、 ライバルがいるからこそ、自分もその相手をいいと思う。 15.一体、愛に過去は必要ないのだろうか? ーーーわからなかった。ただ事実は、彼の嘘のお陰で自分たちは愛し合い 花という子供を授かった。
2021.04.10
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時々、もしカミさんが先に亡くなり一人になってしまったら、自分の最期はどうなるのだろうか、遠くに住む娘には頼れないし、介護付き有料老人ホームに入るしかないのかと不安になることがしばしばあった。 新聞広告でこの本を知り早速買って読んで見た。家族がいなくても今の介護保険システムでも自宅で幸せな最後を迎えることが書かれており少しは安心した。 【主な内容】 1.同居者がひとり増える、つまり二人世帯になると生活満足度が最低になる。 同居者がもう一人増えて三人世帯になると生活満足度はやや上昇し、さらに 四人以上になると、つまり多世代世帯になると、生活満足度は独居高齢者と ほぼ並ぶ水準になる。 2.二人世帯とは、「夫婦世帯」か「親一人子一人世帯」のいずれか。夫婦世帯 は別名「空の巣」期とも呼ばれて、子育てを終わった目標喪失のカップルが 顔を見合わせる危機の時期。 3.天皇ご一家は決して三世代同居をおこなわない。 4.日本の年寄りの幸福は、家族の中の老後となるかもしれが、「ひとり暮らし」 は三世代世帯に匹敵する満足度が得られる。 5.独居高齢者で子供のある人とない人とでは、生活満足度は全く変わらない。 日々の暮らしの上では別居している子供がいようといまいと、生活満足度 は変わらない。 6.二人世帯の満足度が最低。女性の満足度が男性の満足度よりさらに低い。 「ふたり暮らしは妻のひとり負け」状態。 7.ふたり老後の幸せの7箇条 秘訣① それぞれに納得している 秘訣② しっかり分業できている 秘訣③ 別々の価値観でもかまわない 秘訣④ 目の前の不満は些細なことと割り切る 秘訣⑤ ふたりのときから、ひとりのときを想定する 秘訣⑥ 時間的、空間的に距離をあける 秘訣⑦ 自ら自分の世界に入りこむ 8.ひとり暮らしのふたりが、同じ屋根の下で暮らすようにできることが、 ふたり老後の理想型。実現できている人は多くない。 9.はじめからひとりだと寂しくない。ひとりっ子であったので、ちっとも 寂しくも不安もない。他の人が寂しいといったりするが、まったく理解 できない。 10.いちばん寂しいのは、気持ちの通じない家族と同居している高齢者、事実 高齢者の自殺率は、予想に反して独居高齢者より同居高齢者の方が高い。 11.「満足のいく老後の条件」 ①慣れ親しんだ家から離れない ②金持ちより人持ち ③他人に遠慮しないですむ自律した暮らし 12.家族のいない老後はみじめ、という固定観念を跳ね返したかった。 13.メディアでは「高齢者の独居」イコール社会問題のような描き方が多い。 独居と孤独は違う。反対に同居イコール安心でもない。 14.2019年の日本人の平均寿命は男性81.41歳、女性87.45歳、90歳を 超えて生きる確率は男性が4人に1人、女性が2人に1人以上と言われ ている。 15.健康寿命の定義 平均寿命からフレイル(虚弱)期間(日常生活に制限のある不健康な状態 の期間)を引いた残り、「健康上の問題で日常生活が制限されることなく 生活できる期間」 16.「最期は病院で」から「最期は自宅で」へ。病院死以前には、日本人は在宅 で死んでいた。1976年に病院死と在宅死の割合が逆転した。 17.現在の在宅死は新しい在宅死。地域の医療・看護資源がかつてなく充実して きた。大量死時代の大半の死が、加齢に伴う疾患からくる死。予期できる死。 緩慢な死。 18.多くの高齢者が介護保険でケアマネージャにつながる。介護保険の要介護 認定率は高齢者全体では平均2割程度。加齢とともに上昇し、80代後半 では5割、90代では7割から8割に達する。 19.多くの高齢者は死ぬまでの間に要介護認定を受けるフレイル期間を経験 するため、たとえのぞんでも、ピンピンコロリなんてわけにはいかない。 20.要介護認定を受けた高齢者はケアマネージャがつくだけでなく、疾患が あれば、訪問医と訪問看護師につながる。在宅のままゆっくり下り坂を 下って、ある日在宅で亡くなる。医療の介入は要らない。医療は治す ためのもの、死ぬための医療はない。医師の役目は、介入を控えること、 そして死亡診断書を書くこと。 21.年寄りの容態が急変したり、死にかけの現場を発見したら、まちがっても 119番しないこと。まず訪問看護ステーションに連絡する。訪問看護 ステーションは24時間対応を義務付けられている。 22.病院は死に場所ではなくなった。最近では施設で看取りをやってくれるところ が増えた。施設の機能はそこで生活が24時間完結すること。これを全制約 施設と呼ぶ。その典型が刑務所。施設はある意味刑務所のようなもの。 23.サービス付き高齢者住宅が許認可の壁が低いので雨後竹の子のように増えた。 施設とは違ってたんなる賃貸住宅。転倒事故が起きても自己責任で事業者の 責任は問われない。「サービス付き」というのは食事と安否確認がつくという 程度。 24.最近の動向は医療・介護・住宅複合ビジネスが増えたこと。いまいちばん儲かる 介護系ビジネスはサービス付き高齢者住宅に外付けの訪問介護を入れ、そこに さらに訪問看護と訪問医療をつけるもの。費用は20万から30万。 25.サービス付き高齢者住宅の品質はほとんど野放し状態。自宅を離れて賃貸住宅で 集団生活をしなければならない理由もない。家賃を払わなくてもすむ自宅で、 訪問介護・訪問看護・訪問医療の三点セットを外付けすればよい。 26.施設はもういらないが持論。2015年施行の医療・介護一括法で施設入居の条件 が要介護3以上に厳格化されてから、待機高齢者は激減した。それでも待機高齢者 全員を収容するだけの施設をつくれば、29万人分の施設が必要。日本は「収容所 列島」になってしまう。 27.病院がガマンできるのは、いずれ出て行く希望があるから。施設は入ったが最後 死ぬまで出られない。 28.個室特養はいずれ在宅介護に移行するための過渡期の産物だったと位置づけられる との思いが消えない。事実、世界の高齢者介護の流れは施設から住宅へと完全に シフトしている。 29.高齢者も障害者も、老若男女が集まるふつうの街にふつうに住む、それをノーマ ライゼーションという。街が変われば、施設はいらなくなる。 30.看取りのコストは「病院」>「施設」>「在宅」 31.日本の介護保険はもともと独居の高齢者が在宅で死ぬことを想定していない。 介護保険の要介護認定制度は、これ以上使わせないという関門のようなもの。 32.家賃を払わずにすむ持ち家を保有している年寄りが、わざわざ賃料を払って 施設に入居する理由がわからない。居住コストにかかる費用を自費負担サービス に充てればもっと手厚いケアを受けられる。 33.介護保険は独居の住宅看取りを想定していない。医療保険では禁止されている 自費サービスと公費サービスの混合利用を、介護保険では厚生省は積極的に 勧めている。 34.在宅ひとり死の費用は30万から300万まで。 35.あばら家だろうがゴミ屋敷だろうが、住み慣れた自分の家に最期までいられる ほどお年寄りにとって幸せなことはない。 36.「死ぬのに医者はいらない。」医者は死んだ後に死亡診断書を書いてもらうため に要る。あらかじめ主治医として訪問医療を受けていれば、医者に立ち会って もらわなくても死亡診断書は書いてもらえる。 37.死ぬのに医者は要らない、看護師だけでじゅうぶんお看取りができる、さらに 最近では介護職の人たちの経験値もあがり、介護職だけでお看取りができる ようになってきている。 38.孤独死するのは圧倒的に男性、しかも年齢は50代後半から60代。高齢者 ですらない。中高年男性問題であって高齢女性問題ではない。 39.女おひとりさまは、男おひとりさまと違って、友人ネットワークを確保している ひとが多い。 40.孤独死男性には非婚者とシングル・アゲイン(離婚者)も多い。生涯非婚率は、 男性が4人にひとり、女性が7人にひとりに達する。 41.離別後単独親権しか認めない日本では親権の8割以上が母親に行く。離別女性は シングル・マザーになる可能性が高い。 42.日本では別れた父親は、親権を放棄するだけでなく、慰謝料もじゅうぶんに払わず 取り決めた養育費の支払いも滞りがちになる。 43.孤独死の定義 ①単身者が自宅で死んで、 ②立ち会い人がおらず、 ③事件性がなく、 ④死後一定時間以上経過して発見されたもの (一定時間とは東京都では24時間、他の自治体では48時間から72時間) 44.すでに死亡していれば、今さら119番する必要はない。まして不審死でなければ 110番する理由もない。死亡診断書を書いてもらわないと荼毘に付せないから 主治医が必要となる。 45.要介護認定を受けていれば、かならずケアマネージャーがつき、持病があれば 主治医がつく。加齢はゆっくり進行するので、高齢者の死は予測できるゆっくり 死。 46.ケアマネージャーがつき主治医がつけば、死亡診断書は書いてもらえる。医師法 の規定では「死亡前24時間以内に患者を診察していること」が条件であるが、 この運用はもっと柔軟。 47.「見守りは監視とすれすれ」戦時中には向こう三軒両隣とか「隣組」という相互 監視システムがあった。プライバシーのない息の詰まるような監視社会。 48.ほとんどの高齢者がいやおうなく経過するフレイル期に介護保険のお世話になる。 要介護認定率は年齢とともに上昇し、平均寿命を超えた90歳以上では、女性 83.0%、男性67.0%。7,8割以上の高齢者が介護保険のお世話になって死ぬ。 49.要介護認定を受ければ、ケアマネージャーがつき、訪問看護が入り、デイサービス のお迎えが来る。週に2回でもひとの出入りがあれば、「1週間以上経過して発見 される」という事態は避けられる。 50.「孤独死」の定義のうちの②の「立ち会い人のいない死」。三世代同居の家族でも 働ける者は全員出払っているので、寝たきりの高齢者が、日中独居であることは ざらにある。施設だって職員が数時間毎に見回りに入るだけ。病院だって看護師が 24時間張り付いているわけではない。 51.病院や施設にいれば「立ち会い人のある死」になるとは限らない。 52.看取り立ち会いコンプレックスは臨終に立ち会いたいというのは死ぬ側ではなく、 死なれる側のこだわり。 53.別れと感謝は、相手の耳に聞こえるところで、相手に伝わるあいだに、何度でも 言っておく。一期一会と思えば、友人たちにも「あのときのあなたの親切は忘れ ない」とか「あなたのこんなところが好き」と口に出していう。 54.「孤独死」とはよばれたくないと『在宅ひとり死』ということばを創った。 55.認知症発症率は5人にひとりと下がったが、高齢者の絶対数が増えているので、 2017年には800万人、2025年には一千万人を超えると予想されている。 56.まさかあの人がと思うような、知的能力も高く、好奇心も強い学者先生たちが、 認知症になっている。認知症診断の「長谷川式スケール」で有名な精神科医 長谷川和夫さんが自ら認知症になったと公表。 57.認知症は病気ではない、老化現象の一種。 58.認知症の発症リスクには、糖尿病や難聴、睡眠時無呼吸症候群、歯周病などが 挙げられているが、疫学的相関であって、原因かどうかはわからない。 59.認知症になるのは、「自己責任」という考え方が広まるのが恐ろしい。 60.認知症は不便だが、不幸ではない。ほんの少し手伝ってもらえばひとりでも 生きていける。 61.生きるとは、食べて、出して、清潔を保つということ。これが食事、排泄、入浴 という3大介護。 62.認知症になったら誰かに意思決定を託さなければならない。子どもなどの家族が 代行してくれるが、家族といえども当事者と家族の利害は一致しない。 63.「当事者にとって最善の利益」を代行するのが、成年後見。家族に頼めない、 頼れない高齢者が増えるにつれて、成年後見のニーズが増大。成年後見には 特別の資格は要らない。 64.後見人を一人だけ指名するのは危険。「善意の他者」はいつ「悪意の他者」に 変わるかもしれないから。成年後見は社協や福祉公社、福祉生協やNPOなど 社会的に信頼のおける団体に託すほうがよい。 65.成年後見には制度に欠陥があり、契約は本人の死亡時まで。たとえ臨終に立ち 会っても、そこから先の遺体の処理や葬儀、埋葬には一切関与しない。 66.成年後見、身上監護、死後事務委任の3点セットを引き受けてくれる事業者が 登場してきた。 67.「みんな認知症になるんだ」それを前提に「認知症になってもよい」ではなく 「認知症になってよい」社会へ。さらにそれを前提に「認知症に備える」社会へ。 68.日本尊厳死協会はまだ自己決定能力のあるうちに、どんな死に方をしたいか、 事前指示書(リビングウィル)を文書で残す。 69.安楽死と尊厳死は違う。安楽死は積極的自殺幇助、尊厳死は消極的医療抑制。 終末期に心肺蘇生術や気管切開、胃瘻、点滴などの「無益で偏った延命処置」 を本人の意思で拒否すること。 70.医療費がもっとも嵩むのは終末期の1ヶ月ということが言われ、終末期の延命 措置を(保険外)の自己負担にしてはどうかという意見がある。 71.終末期とは死んでから初めて事後的にわかるもの。今から終末期と定義すること はできない。終末期医療にコストがかかるというのは思い込み。 72.死の直前1ヶ月間にかかるコストは全医療費の3%にすぎない。死亡直前の医療費 抑制が医療費全体に与えるインパクトはさほど大きくない。 73.安楽死は積極的自殺幇助、尊厳死は終末期の医療抑制、前者は医療が介入して死期 を早めるもの、後者は終末期に医療の介入を抑制するもの。 74.尊厳死(death with dignity)はヨーロッパ語圏では安楽死にも使われる用語。 75.安楽死は「生きる価値のある生命」と「生きる価値のない生命」とを選別する思想。 76.安楽死を求める社会は緩和医療が遅れている社会。 77.よい人生とは最大限の自立である。 78.オランダの2015年に全死亡数に占める安楽死割合は5.6%、「自ら死ぬ日時を 決めて死ぬスタイルが18人に1人の割合。」 79.認知症者には過去と未来がなくなり、現在だけがある。認知症の安楽死は不可能。 生まれてきたことに自己決定はない。死ぬことに自己決定があると思うのは傲慢。 80.介護保険の前には、在宅看取りなんて、できなかった。ましてや独居の在宅看取り は、考えることさえできなかった。 81.介護保険20年の蓄積は、現場の経験値とスキルを上げることで、手が届かなかった 可能性を現実にしてきた。 82.「家族の責任」である介護を他人に委ねることには抵抗があった。家に介護の必要な 年寄りがいることを世間から隠しておくような風潮があった。 83.日本の介護保険はドイツの介護保険とイギリスの高齢者福祉をお手本に模倣したもの といわれるが、似て非なるもの、両者の折衷案を超えた独自の制度。 84.「介護は家族(だけ)の責任ではない」と「介護の社会化」の一歩を踏み出した。 85.税と保険の混合。介護保険財政は2分の1が保険料、残り2分の1が税金、その半分 4分の1が国費、残りの4分の1を都道府県と市町村が折半する。 86.介護保険の事業主体は市町村という基礎自治体。サービス提供事業者に介護サービス をアウトソーシングするという方式。 87.保険加入者がサービス提供事業者と契約を結び、一定額のサービスを受け取る権利を 行使できるようになった。 88.ケアマネージャー制度の導入、行政から独立、だが事業者所属を認める。事業者所属 を認めたのは制度の設計ミス。ケアプランの報酬を上げてケアマネージャーが独立を 保てるよう、処遇を改善することが必要。 89.介護保険で働くワーカーに資格を要求することで、専門職にした。介護は「女なら だれでもできる」非熟練労働であるという、従来の偏見を払拭するには大きな役割を 果たした。 90.要介護認定制度の導入と相対的に高い給付水準。要介護度は1から5まで。最重度 の5だと月額サービス給付料の上限は36万円程度になる。 91.介護保険は中流階級の家族介護負担を軽減するという政策意図をもって設計。介護 保険についても使わなくてはソンという権利意識が生まれた。税方式だったらこんな 意識は生まれなかった。 92.実質増税というべき保険料の強制徴収は初年度4兆円程度の準市場を創り出した。 2019年度には11兆円規模に達する。準市場とは政府が公定価格で管理する市場。 93.介護保険がもたらした大きな変化のひとつは、ケアという労働がタダではない、 という意識が広く定着したこと。これまで女が家でやってきた介護はタダ働き。 この介護というタダ働きが「見える化」したことの効果は大きい。 94.介護保険の効果のひとつは、家族介護に「他人の目」が入ったこと。 95.介護保険の訪問介護は身体介護と家事援助の2本立て。実際の現場ではどこまでが 家事援助でどこからが身体介護からは線引きは困難。 96.介護保険は「失われた90年代」に日本国民が成し遂げた変革のうちで、個々の 家庭に直接影響する、最も大きい変革。この変革を成し遂げたのは団塊世代の有権者 たちだった。介護保険を作ったことは団塊世代の政治的功績。 97.家族の介護力が失われた高齢者の在宅生活を支えるには、介護保険の力が不可欠。 98.おひとりさまが安心して家に居られる社会、というのは、子どもが親を安心して ひとりで置いておける社会、ということにほかならない。 99.ひとり暮らしは「孤立」ではない、ひとりで死んでも「孤独死」ではない。「在宅 ひとり死」ができるようになったのは、介護保険のおかげ。介護保険がスタートして から20年。現場の経験値は確実に蓄積された。「在宅ひとり死」は現場の専門職 の支えがあればできる。 100.日本の介護保険は、制度も担い手も、ケアの質も、諸外国の福祉先進国にくらべて も決して見劣りしない。
2021.03.20
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明日は3月3日のひな祭り。カミさんが毎年立春にひな人形を押し入れから出し飾っている。ここ数年は5段飾りの全ての人形、飾り棚などを2階の押し入れから1階の和室に運び飾るのが体力的に厳しくなったため、居間のピアノの上に内裏雛だけ飾っている。 左側の小さな内裏雛は結婚当初母がカミさんに送ってくれたもの、ガラスケースに入っているがガラスケースをなくしたら、まわりと溶け込む感じがしてよくなった。 右側の小さな内裏雛は結婚当初カミさんが買った我が家でもっとも古いもの。
2021.03.02
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最近、YouTube『一月万冊』の清水有高氏と佐藤章氏との対談にはまっている。約1時間の長い番組だが、いつも面白く聴いている。基本的スタンスは安倍・菅長期政権を批判する視点、論点、で政権交代を行うことにある。 この番組で毎回佐藤章氏の『職業政治家 小沢一郎』が紹介されているが、カンパの意味もありアマゾンから購入した。 戦後、政権交代は2回行われているが、この政権交代で中心的役割を果たした、小沢一郎氏を対談を通じて、20年から30年の活動、政治に対する思想、姿勢についてまとめた内容である。 この20年から30年にあった政治的なできごとが整理できた。「陸山会事件」について事件当時は整理できていなかったが、小沢氏を陥れるためのでっち上げ事件であることが明確に認識できた。 この秋に行われる総選挙に向け3回目の政権交代を目指し、小沢氏は既に水面下で動いているのだろうと思われる。
2021.03.02
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正月過ぎ職場の後輩のKHさんから手紙とCDが送られてきた。リタイアして3年、結構忙しく自分の趣味(ギター演奏)を充実させ過ごしているとのこと。 十分すぎる時間を何に使うか迷っていたが、自宅で一人バンドの録音(多重録音)に挑戦。作品も溜まったので録音成果をCD化したとのこと。送られてきたCDの録音曲は、ビートルズのカバー曲が29曲だった。とても一人で演奏しているとは思えない出来で、歌にもかれの情熱が溢れていたように思う。大変刺激をうけ楽器を演奏したいという気持ちが強くなった。 昔から楽器が弾ける人が羨ましく思っていた。NY会の飲み仲間で東京に引っ越したKMさんも定年後、ギターをはじめかなり上手くなった。独身時代にギターを買って練習したが、長続きしなかった。最近カミさんが娘の使っていたピアノを調律に出し、練習してみないかと言う。ピアノは左右の手をバラバラに動かすことはイメージできないし、長続きしないと思い、カミさんにピアノは無理だと話していた。 小学校の音楽の時間にハーモニカをやったことを思い出した。ピアノ、ギターよりは簡単なので、ハーモニカを練習しようと思った。 Amazonで探す。トンボの製品から価格を見て選んだ。「トンボ・プレミアム21」送られてきたものを見てカッチリした出来で満足だった。併せて教本と楽譜本も購入した。 楽譜をパラパラ見ていたら「ムーンリバー」があった。基礎を勉強しながらまず「ムーンリバー」をマスターしようと思った。
2021.02.04
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今年の後半に読んだ三冊はいずれも良い内容だったように思う。田中奏多著「眠る投資」(アチーブメント出版)、平井正修著「老いて、自由になる」(幻冬舎)、津田雄一著「はやぶさ2最強ミッションの真実」(NHK出版新書)、ジャンルはバラバラだが小生にとっては興味ある内容で、新聞の広告から本の存在を知った。 心に残った言葉、内容を羅列する。 1.「眠る投資」:東京TMSクリニック院長 田中奏多著 ハーバードで研究された最強の睡眠法についてまとめた本。ただの睡眠と投資としての睡眠 とでは仕事のパフォーマンスで大きな差が生まれる。 ●心と脳と身体を整え、究極の眠りを手に入れる。 ●昼の生産性は夜の過ごし方で決まる。 ●一流のビジネスパーソンは”動くための休み方”を熟知している。 ・起床4時間後のパフォーマンスが大切 ・睡眠時間と回復は比例しない ・寝る時間はバラバラでもいい (1)パフォーマンスの鍵は脳の神経ネットワークの調整にある。 (2)睡眠・食事・運動の3つを整えることで心・脳・身体のバランスがとれる。 (3)心の波は自分でコントロールできない。身体の波が安定しているかを確認する一番の指標 が睡眠。 (4)睡眠不足はほろ酔い状態と同じくらい覚醒度が低下しエラーがおこりやすくなる。睡眠を 削ってもパフォーマンスは上がらず、むしろパフォーマンスは低下する。 (5)ビジネスパーソンがうつになる3つの原因。 ・内部環境(自分の心・脳・身体) ・外部環境(解決できない仕事や家庭の問題) ・人間関係 (6)睡眠が乱れると朝起きられなくなったり、倦怠感が強くて、身体を動かしたくなくなった りする。 (7)逆に睡眠が整うと、元気になってちょっと運動してみようと思ったり、適切な食欲が沸い たり自然と身体が整う。 (8)忙しい現代を乗り切るために必要な睡眠は、量だけではなく質も重要。 (9)どう夜に休むかではなく、どう日中に動けるかにフォーカスした睡眠の取り方が重要。 (10)よい睡眠をつくるには、意識のない夜の睡眠にアクセスするよりも、意識がある日中 の活動にアクセスした方が実行しやすい。 (11)夜更かしをして短時間睡眠になったり、平日の睡眠不足を補うため休日寝だめして 睡眠リズムが崩れると、昼にうまく頭が働かず仕事の効率が上がらなかったり、 エラーが起きたりする。 (12)人間のいちばん頭が冴える時間は起きてから4時間後。日中の生産性をもっと高める ために眠る投資を行う。ポイントは「時間(量)」だけでなく「質」を意識する。 (13)睡眠は「節約」するものではなく、「投資」するもの。睡眠時間を節約しても日中の 生産性は上がらない。 (14)人間は寝るために生きているのではなく、日中に活動するために生きている。 (15)睡眠は脳を休め、脳を含めた身体の炎症を抑える。 (16)投資としての睡眠は、短期的には心身を安定させて昼の生産性を高め、中長期的には 生活習慣病、認知症などの予防につながり、健康寿命を延ばす。 (17)睡眠が乱れると相手の感情を正確に認知する観察力が落ちる。 (18)十分な睡眠時間は覚醒水準の維持をもたらし、結果として自分だけでなく、周りの人 の作業が安全になされているかどうかのチェック機能の向上につながる。 (19)6時間睡眠が7日間続くと、1晩の徹夜状態と同じ脳機能の水準になる。 (20)短時間睡眠の繰り返しとともに睡眠負債が蓄積され、認知機能が低下する。 (21)うつ状態は「脳」だけが原因ではなく、食事、睡眠、運動や仕事の仕方、「ライフ スタイル」も大きく関係する。 (22)日本では女性の5人に1人、男性の10人に1人が生涯に1度うつ病になる。うつ病 は128万人、隠れうつ病(受診をしていないうつ病)も同等数いる。 (23)ストレスはレム睡眠に表われる。「レム睡眠」では「身体」が眠り、深い眠りの 「ノンレム睡眠」では「脳」が眠る。 (24)翌日への不安が強いほど、脳が休まる深い「ノンレム睡眠」は減少。就寝前のストレス によって浅い「レム睡眠」が増加。嫌なことを考えながら眠りに落ちると睡眠は浅く なる。 (25)人間には、中枢と末梢の2つの体内時計がある。中枢の体内時計のスイッチは「朝の 太陽の光」末梢の体内時計は「朝ごはん」がスイッチ。 (26)朝ごはんは脳を活性化することで事故を防ぐ可能性もある。運転シミュレータを用いた 同一人物に対する事故率をみた研究では「朝食」を食べた場合と「欠食」した場合、 事故率が「朝食」を食べた時に低下する。 (27)近年、運動は体力・筋力の向上、ダイエットだけではなく、メンタルヘルスにも効果 をもたらすことが医学的にわかってきた。 (28)1日6000歩以上のウォーキング、本来であれば8000歩から12000歩が 理想。平均歩数2000歩から3000歩程度の人も多く、目標にしやすい6000 歩とした。都会では行き帰りにひと駅前で降りて15分早歩きをすると3000歩 くらいになる。 (29)人間が意思決定できる量には限りがある。意思決定するごとに負担が脳にかかる。 無駄な脳の負担を減らすためには、日常生活のルーチィン化をおこなう。 (30)重いタスクがあるときには、タスクを分けて、頭を使わないシンプルなタスクと頭 を使う集中力が必要なタスクに分ける。 (31)集中力が切れてしまった場合でも、頭を使わないシンプルな仕事をすることで、違う 脳の場所が働く。 (32)在宅で仕事をするコツは「ちょっとやってみる」なんでもいいので取り敢えず取り 掛かり始めるとだんだんやる気が出てくる。 (33)脳のCPUは1つ。マルチタスクをしていると、同時に2つや3つの仕事をしている ように思えるが、「今、この瞬間」に考え、手を動かすことができる仕事は目の前 の仕事だけ。 (34)マルチタスクをするときは、期間を決めて時間を分割し、目の前の仕事に取り掛かる ようにする。 (35)自分の「注意」を割ける量には限界がある。 (36)視覚以外にも聴覚や臭覚にも注意は割かれる。五感の刺激を統制するための仕事を するときの音楽や香りを決めると、五感を用いて仕事に集中できる。 (37)「キリの良いところまでいったら休憩する」とよくいうが、休憩するなら、キリ の悪いところがおすすめ。 (38)キリがよくなると「仕事が終わった」脳が認識して、また一から集中力を上げ直さ なければならなくなる。 2.「老いて、自由になる。」:全生庵住職 平井正修著 臨済宗の寺の七世住職である禅宗の「お坊さん」である筆者が「生きること」「死ぬ こと」について、”お釈迦様が最期に伝えた”と言われる『遺教経』という教えから50 項目についてわかり易くまとめたものである。 ここでは50項目のうち15項目について紹介する。 (1)「いずれ死ぬ」と知っていれば、きちんと生きていける ー「人生100年時代」になにを信じればいいのかー (2)あの世があると思うのも、一つの手 ーすべての人に死が訪れるからこそー (3)死の正体 ーそれは、平等に、突然訪れるものー (4)老いるとはなにか ー身体は衰えるも、心は豊かになるー (5)あなたの不安を消す ーすべてのものは変化し続けて、元には戻らないー (6)「今日も生きている」を実感すること ー昨日と同じ今日はなく、今日と同じ明日はないー (7)一人ひとりの価値観の時代 ー「個」の集まりが集団。自分以外の存在を認めることー (8)人との関わりで心で心を乱さないこと ー褒められたがる気持ちを、捨てようー (9)心が調えばすべて調う ー仏教の戒律を、今の私たちの生活にあてはめるー (10)ビジネスでも求められる「知足」 ー形あるものでなく、自分の内なるものに目を向けるー (11)地位や学歴よりも「智慧」が勝つ ー目の前のものをよく観察し、自分の頭で考えるー (12)いくつになっても真の学びを ー常に考えることの大切さー (13)決めた時間に早起きする ー心と体を安定させる習慣ー (14)よく噛む ー食べることは、すなわち生きること。丁寧に大切に (15)寝る前に一日を振り返る ー寝る前にスッキリしなと、翌日も引きずることに 3.「はやぶさ2 最強ミッションの真実」:JAXA 津田雄一著 はやぶさ2は2014年12月に打ち上げられ、6年50億キロの旅を経て地球に 2020年12月6日に帰還した。 地球や火星の軌道付近を回る直径1kmに満たない小惑星「リュウグウ」に2回着陸 を行い小惑星の窒素や炭素、有機物を含んでいると考えられる砂を持ち帰り数々の 「世界初」を成功させた。 ほとんどトラブルのなかった順調な飛行。これを支えたプロジェクトマネージャで ある筆者のプロジェクトに対する考え方について抜粋した。 (1)打ち上げ成功後、正式にプロジェクトマネージャーを引き継ぐ。当時39歳。 JAXAの中でこの年齢でプロマネになったものはいなかった。 (2)自分はひとりではない。志を同じくするチームメンバーがたくさんいると思う と急に肩の力が抜けて、頭が回り始めた。 (3)プロジェクト=工学=理学のトライアングルではやぶさ2ミッションのエンジン となった。 (4)作りたいチームは「負けないチーム」かつ「大胆に挑戦するチーム」 大組織、大きなチームになるほど、前者は容易になるが、後者は難しくなる。 前者を実現するための社内規定は山ほどあるが、後者については何の仕組みも なかった。 (5)「ギャンブルはしない、しかし挑戦はどんどんする」というチーム文化を作り あげる必要があった。 (6)チームとしての解決能力を高める。個々の専門性は高めるのだが、それと同時 にコミュニケーションをよくし、互いを補うようにチームを設計する。 (7)人集めに奔走した。能力の高い人から探しても集まらない。能力の高い人に 育成することを約束して新入社員を集めたり、ポスドク、大学の研究者らに 参加をよびかけたりした。 (8)チーム作りのもう一つの重要な要素は「共通体験」。共通体験が深いと、大 人数で同じ目標に向かって走ることができる。特に重視したのが、如何に失敗 を経験させるかだった。 (9)失敗は一人では抱え込めない。失敗を経験すると、チームで分かち合い解決 しようとする。失敗の共通体験は結束を強める。 (10)「リュウグウ」の「重力」「自転軸の向き」「表面温度」の情報が極めて不確定 なことが着陸計画を難しくした。このためあらゆる場合を想定して計画を立てると いうことが最も困難な作業だった。 (11)運用計画の策定と共に、プロジェクトチームが危機感をもって真剣に取り組んだ のが「訓練」。水も漏らさぬ綿密なリュウグウ探査計画を立てたものの、計画が 完璧だとは全く思っていなかった。 (12)「想定外を想定しよう!」がはやぶさ2チームのスローガン。すべてを想定する ことは不可能だが、想定外が起こることを想定するのは可能。想定外に対処する 最も効果的な処方箋が「訓練」。 (13)はやぶさ2チームが設定した訓練は2種類、「着陸点選定訓練」「実時間統合 運用訓練」。 (14)はやぶさ2の開発時に試験のために作った部品や装置を残しておき、あとで それらをかき集めて、電気的にははやぶさ2と全く同じ動作をするシミュレータ を作った。 (15)単にはやぶさ2の飛行状態をコンピュータ上で再現するだけだった環境シミュレ -タに「画像再生装置」と「遅延装置」が新たに付け加えられた。遅延装置は タッチダウン時の地球とはやぶさ2の距離3億キロメートルを模擬し、20分の 信号の遅れを生み出す装置。臨場感は劇的に高まった。 (16)訓練は実時間で行われた。多くの降下運用は24時間かかるから、訓練も24時間 かけて、本番同様、数十名による8時間交代のシフトが組まれた。 (17)シミュレータでは自由にトラブルを起こすことができる。運用を続行すべきか中止 して緊急上昇すべきか、決断を迫られる。まさにそれがこの訓練の狙いだった。 どんなに切羽詰まっても、正しい判断ができるチームになる、そのために訓練を 繰り返した。 (18)2017年中盤から2018年のリュウグウ到着直前までの1年間に行われた実時 間統合運用訓練は合計48回。そのうち「撃墜」が21回だった。 (19)どんなに忙しくてもプロマネが現場作業をやらない方がよい。リーダが現場作業を することは大きな危険をはらむ。不測の事態が起きた時、大局的な戦略を立てる人間 がいなくなってしまう。 (20)忙殺され疲弊したメンバーを救うために出した結論が「権限移譲」だった。これまで 管制室での運用上の重要な事項はすべてプロマネの承認をとることになっていたが、 最終承認権限をフライトディレクターに譲った。管制室で一番偉い人はフライトディレ クターにした。若手にもフライトディレクターになってもらい、フライトディレクター とシステム担当者の間に垣根がなくなり、労力軽減になった。 (21)訓練でやってしまったことは、次にも同様に対処できるよう、記録を残し、反省点を 整理しておいた。そしてこのことが、第1回タッチダウンの成功へと繋がる大きな伏線 となった。 (22)着陸点選定作業のため「近傍フェーズ計画会議」「着陸点選定解析会議」「ミッション 運用検討会議」が行われていた。多くのメンバーはこの3つの会議を渡り歩いた。壁を 取り払わないと、答えは見つからない。皆が持つ焦燥感が自然とチームのコミュニケー ションを良くしていった。 (23)はやぶさ2の設計上の着陸精度は50m。しかし工業製品のスペックというものは、作 った者が使う者に保証する性能で、必然的に保守的な数字になる。実力はもっと高いは ず。「仕様」ではなく「実力」の上に着陸の方法を再構築するしか道はなかった。 (24)運用チームは、重要な判断ポイントを「ゲート」と呼んでいて、そこでのチェック項目 を全てクリアしないと次の段階へ進めないことにしていた。どの降下運用も、開始から 終了まで6つのゲートが設定されていた。 (25)第2回目のタッチダウンについて、JAXA上層部は余計なリスクをとるべきでない というのが支配的であった。プロジェクトが筋を通し、きちんと決断を示せば理解は得 られるという手応えがあった。はやぶさ2チームは、丹念に、ひとつひとつ、JAXA 内のあらゆる層に説得、説明を続けた。 (26)絶対に「墜落」が起きないような着陸手順を、何度も何度も見直しながら、作り上げ JAXAの組織決定が行われた。「タッチダウンが不成功になったとしても探査機を喪 失する確率は極めて低く管理されている。」「第2回タッチダウンへの挑戦の価値は極 めて高い。」という主張が認められた。 (27)工学的成果もさることながら、それを実現するチーム作りに成功したことが嬉しかっ た。はやぶさ2チームのやんちゃなチャレンジ精神と科学への真摯さがあらわれてい た。 (28)科学的成果は第1号成果論文に始まり、有力科学誌にはやぶさ2が見せた新たな小惑 星の世界が続々と掲載された。苦労と粘りの分析が実り、リュウグウの観測データから 水の成分を見つけ出した。 (29)リュウグウの表面の年齢は約1000万年、はやぶさ2が明らかにした数々の科学 データは、小惑星の一生、ひいては太陽系の歴史に新しい謎を投げかけている。 (30)はやぶさ2は多くの科学的な知見をもたらしたし、科学者に新たなインスピレーシ ョンをもたらした。 (31)工学の観点では、最大の挑戦であったリュウグウ探査で、揺るぎない成果を獲得し た。これらは、次世代の宇宙探査の土台となる。はやぶさ2の技術を踏み台にして、 次のミッションを考えられる。 (32)小惑星へ1メートル以下の精度で着陸し、複数の地点から物質を採取し、地下掘削 をし、地表探査ロボットを展開させ、軌道周回することができた。 (33)小天体を科学調査する技術という意味では、少なくとも太陽系の中の数千個の小天体 ははやぶさ2の技術で十分探査可能というレベルに達した。はやぶさ2後の世界より ずっと遠くを見渡せるようになった。 (34)先駆者の作った道筋を継承し、継承と革新の両方の役割を果たした。 (35)はやぶさ2のような探査ミッションの面白さはその成果というよりも困難に遭遇し、 それに打ち勝とうとした挑戦のプロセスにある。 (36)「兆戦」には2つの種類がある。ひとつは「制約への挑戦」、もうひとつは「未知 への挑戦」。 「制約への挑戦」:人類の叡智を結集すれば原理的には実現できることを、お金や 人員、時間が限られた中で如何に効果的・効率的に行うかと いうこと。 「未知への挑戦」:知らない世界をどのように既知の世界に変えるか。人類の根源的 な好奇心に応えるもの。基礎科学を前進させるのは「未知への 挑戦」 (37)人類の科学の進歩を実地に示すのが宇宙科学ミッションだから、やってる当人たちが 楽しまないと、よい成果がだせるはずがない。 (38)昨今はコンプライアンスばかり重視され挑戦が難しいと言われている。民間のメーカや 技術系企業に、この時代にどうやってそんな挑戦ができたのか?というような、技術 マネジメントの視点での質問が多くなった。
2020.12.30
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WBSを見ていたら宅麺.comからラーメンを取り寄せて紹介していた。テレビを観て本場物のラーメンが食べられることを初めて知った。宅麺.comのサイトをお気に入りに登録。食べたいラーメンを選択。たくさんのラーメンがリストアップされるが、売り切れのものが多く、探すのに苦労した。手始めに無難なところで「麺処びき屋」の”醬油ラーメン”を注文した。5日位したら商品がクロネコヤマトのクール宅急便で送られてきた。 段ボールの中には2つ頼んでいたので、ビニール袋が2袋入っていた。一つの袋には麺、スープ、チャーシューとメンマの具が三つの袋に小分けされていた。 また、商品と一緒に宅麺.comスタッフ一同からの挨拶文が入っていた。女性の暖かい手書き文のコピ-だった。全文を下記に記載する。 味は思ったよりも少し濃かったが、チャーシューが抜群に美味しかった。これからは病みつきになりそうな気がする。 麺をフライパンでゆでる スープを温める 出来上がり、のり3枚をトッピング 今回、初めて経験してみて質の高さに驚いた。これを可能としているのはIT技術、冷凍技術、輸送技術などだと思う。新型コロナで今まではアマゾンで本を買う位だったが、今回のラーメンを含めネットで購入する機会が格段に増えた。 まだ一玉残っているので明日の昼食にしよう。 **********宅麺の挨拶文(全文)******** この度は宅麺.comをご利用頂きまして誠に有難うございます。 お届け致しました商品にご満足頂けましたでしょうか。 このサービスを立ち上げるきっかけとなったのは、店舗で買って帰った おみやげラーメンを家族で食べた時に妻や母が驚くような笑顔を見せて くれたことでした。 雑誌やテレビでよく紹介されるラーメン屋さんのラーメンを食べて みたいけど、足をのばして行列に並んで食べることが忙しかったり、 小さな子供がいることでなかなかできない。そんな方々に本当に 美味しいラーメンを食べて笑顔になって頂きたい。そんな想いから サービスを立ち上げました。 行列の出来るラーメン店では、ゆっくりと話をしながらラーメンを 食べることはなかなか難しいですが、ラーメン店の職人さんが丹念に 心を込めて作った一杯をお店の味そのままに、家族や友人とコミュニ ケーションを取りながらご自宅で食べられる。 それらを通して、一人でも多くのお客様に少しでも笑顔になって 頂くことができれば、私達は本望です。 まだまだ至らない点も多いかとは思いますが、より大きな笑顔を お届け出来るよう、これからも全力でサービスの向上に努めて参り ますので、引き続きご愛顧のほど、宜しくお願い申し上げます。 この度は本当にありがとうございました。 宅麺.com スタッフ一同
2020.08.03
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定額給付金20万円は5月28日に指定の銀行口座に振り込まれていた。5月5日に申請書を受領、5月17日に投函した。申請書を受け取ってから23日、投函してから11日で処理されており、処理はスムーズに行われたと思われる。 マイナンバーを持っており、パソコンからの申請も可能だったが、マイナンバーカードに一抹の不安があったので、確実な手書き申請をおこなった。パスワードがわからない人が確認のため窓口が混乱しているとの報道があったが予感が適中した。マイ カードを作るときパスワードを設定するとのことだが、小生は全く記憶になく失念し、メモなどの記録も残っていない。後日、市役所へ行ってパスワードの再設定を行おうと思っている。 定額給付金で購入したものは、プリンター、書斎の椅子、体組成計、血圧計、非接触式体温計、書籍など。 CANON PIXUS XK70 ニトリ:書斎のコンピュータ用回転椅子 TANITA BC-316 体組成計 TANITA E13 手首式血圧計 Ganzhou Xianshun Tecnology Co.LTD. XS-IFT001A 非接触式体温計【 追 記 】 今までのプリンターは8年前に購入した「brother MFC-J671CDW」だった。当時は工場 での勤務もあり、A3サイズも印刷できる機種を選んだ。カメラはCANONを使っている が、プリンターは一台目がCANON製で使い勝手、給紙の機能が悪く満足できなくてよい 印象を持っていなかった。ブラザーは名古屋の実家の近くにあったこともあり、ブラザー製 を選択した。 業務用のため、FAXも付いており、重くて大きく車から2階の書斎に一人で持ち上げる のに大変な苦労をした。8年間使用していて、サービスマンを読んだのは紙詰まりで一度 だけで機器の信頼性は高かった。 OB会事務局、同窓会幹事の仕事でのA3サイズの印刷、コピーでまあまあ稼働したと 思っている。最近は機器の後カバーのフックが摩耗し、印刷に入るとカバーが外れ、印刷 の都度カバーを手で押さえる必要があった。 8年間使ったプリンター
2020.06.27
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コロナ自粛中に自粛となった行事、および先輩からあったメールの内容などについて記載する。コロナ汚染が拡大するなか、2月以降行事の自粛が続いた。自粛となった行事は ・2月8日(土)名古屋大学関東支部同窓会 ・3月12日(木)「橋幸夫と歌の仲間たち」コンサート ・3月27日(金)山桜を観る会 ・4月4日(土)関東瑞陵会総会 ・4月7日(火)歩こう会 ・4月11日(土)第15回原子力品質保証部OB総会 ・4月〜6月 フィトネスクラブ スパーク鮎川 ・6月4日(木)歩こう会 ・6月 瑞穗ヶ丘中学校昭和38年卒同期会 いずれの行事も「三密」となるもの。いままでは「三密」になることを目的にOB会、同窓会は開催されてきた。参加者が口角あわを飛ばし、懐かしくよき昔の思い出を語り合い、お互いの絆を確認する場であった。今後、この種の会合はどのような 形になるのか想像もできない。最終的にはワクチンができなければ解決はできないのだろうか。 このような中、原子力品質保証部OB会の元会長のMYさんからOB会幹事宛てに「コロナ自粛お疲れ様です!」というタイトルのメールが送られてきた。閉塞感のある巣ごもり生活の中、気分転換に笑える話題を入手したので配布したとのことだった。 『18歳と81歳の違いは?』 ●道路を爆走するのが18歳 道路を逆走するのが81歳 ●恋に溺れるのが18歳 風呂で溺れるのが81歳 ●自分探しをするのが18歳 みんなで探すのが81歳 ●恋で胸を詰まらせるのが18歳 餅で喉を詰まらせるのが81歳 ●心が脆いのが18歳 骨が脆いのが81歳 ●まだなにも知らないのが18歳 もう何も覚えていないのが81歳 ●嵐といえば松潤が18歳 嵐といえば嵐寛十郎が81歳 ●筋肉が張るのが18歳 筋肉に貼るのが81歳 ●緊張で震えるのが18歳 何でもないのに震えるのが81歳 ●偏差値が気になるのが18歳 検査値が気になるのが81歳 ●行く先が見えないのが18歳 逝く先が見えるのが81歳 ●乾杯で始まるのが18歳 黙祷で始まるのが81歳 ●おつむが足りないのが18歳 おむつが取れないのが81歳 ●明日を夢見るのが18歳 今日も夢うつつが81歳 思わず笑ってしまう。世の中には風刺の効いた文章を上手く書く人がいるものだと感心する。自粛中に読んだ本に帚木蓬生著『老活の楽しみー心と身体を100歳まで活躍させるー』(朝日新書)がある。 その終わりの方に『高齢者の心構え』が紹介されており、まだまだ先を考えなくてはおもった。 『高齢者の心構え』 還暦(60歳)とんでもないと突っ放せ。 古希(70歳)まだまだ早いと追い返せ。 喜寿(77歳)せくな老楽はこれからよ。 傘寿(80歳)なんのまだまだ役にたつ。 米寿(88歳)もう少しお米を食べてから。 卒寿(90歳)年齢に卒業はないはずよ。 白寿(99歳)百歳の祝いがすむまで。 紀寿(100歳)一世紀生きて本番はこれから。 茶寿(108歳)まだまだお茶が飲み足らん。 皇寿(111歳)そろそろ譲ろか日本一。 (注)皇寿は川寿ともいう。 今までは白寿までしか認識していなかったが、新たに紀寿、茶寿、皇寿を知った。
2020.06.26
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コロナ自粛で食堂の窓際に置いてある小さな本棚を整理していたら、2012年頃からの手紙を書いたときの原稿用紙に書いた下書きが出てきた。懐かしさとともに、きちんと残そうとこのブログを書いた。 食堂の出窓に置いた小さな本棚 手紙はいつも食堂のテーブルで書く 本棚から見つかった原稿用紙に書いた下書き【2012年】 高校時代の友人へ 前略、早々に『シチリア旅日記』を送付いただき、ありがとう ございました。写真も綺麗でシチリア島を訪れようとする人のよい ガイドブックになるなと思いました。 旅の準備から25日間のレンタカーでの旅行を遂行するエネルギ ッシュさにはただただ脱帽です。 またUN君らしい新しい企画にチャレンジして下さい。楽しみに しています。 草々 2012年2月25日 母へ 4月になりましたがこちらはまだ寒く桜の花はまだ先のようです。 この4月で65歳になり、5月からは週2日の勤務になり、少し自由な 時間もできます。 弟の様子はどうですか? カミさんが風邪で微熱があり、こちらも少々気をつけたいと思っています。 何かありましたら連絡をください。お母さんもくれぐれも体調に注意して 過ごしてください。 母へ 前略、15日から17日予定通り帰省します。よろしくお願いします。 15日は午後東京で会合があるため、家に着くのは21時30分頃になる と思いますので夕食は不要です。 16日は妹も来るとメールがありました。 草々 2012年6月11日 高校時代の友人へ 前略、昨日瑞陵第18期同期会の写真を受領しました。 お手数深謝致します。住所不明者の中で私が年賀状をやりとりしている方を 下記に連絡させていただきます。 (省略) 次回開催の折りには、是非参加し、皆さんからエネルギーをもらいたいと 思っています。幹事職よろしくお願いします。 幼い時からの友人へ 前略、先日は貴重な温かいアドバイスの手紙をいただきありがとうござい ました。「自分は自分、他の人に自分の影響力を及ぼそうと考えないで下さ い・・・・・・」という言葉はこれから肝に銘じて、常に意識して生きてい こうと思っています。 仕事は色々大変だと思いますが、身体には充分留意し、頑張ってください。 又、連絡します。 敬具 2012年10月20日 P.S.私の自宅PCのメールアドレスは下記の通りです。 (省略) 名刺をもらっていたので、貴兄のPCにメールを入れて おきます。 職場の上司の奥様へ 8月も残すところわずかになりました。先日は結構な品をお送りいただき、 誠にありがとうござました。 「巨峰」は私の大好物であり、おいしくいただいています。 残暑もまだまだ続きそうです。皆様、お身体をご自愛いただき、ご健勝に お過ごしいただくようお祈り申し上げます。取り敢えずお礼まで 2012年8月28日 親戚へ 拝啓、例年になく厳しい暑さが続きますが、皆様にはお変わりなくお過ごしの ことと思います。 昨日、皆様のご厚志を確かに受け取りました。お心遣いをいただき誠にありが とうございました。 この一年は私も名古屋に帰ることが多くなりそうです。 草々 叔父、従妹へ 拝啓 今年は例年より寒さが厳しいようですがご健勝にお過ごしの ことと思います。 SY叔母様が亡くなられて早いもので一年が経ちますが,今般、 一周忌の法要に出席できず心からお詫び申し上げます。 送付しました品、御霊前にお供えいただければ幸甚です。お身体 には充分留意され、新しい年をお迎えください。 合掌 2012年12月21日 【2013年】 職場の大先輩へ 前略 先日「日立精神 落穂精神読本」を拝受しました。このような立派な 著作をまとめられたIT様の情熱にただただ感服しております。 小生の今まで知らなかったことも多々あり、大変勉強させられました。 火力部門の三菱重工との新会社において日立精神、落穂精神はどのように 位置付けられ、伝承されるのか危惧しているところが、日立精神、落穂精神 を学ぶ教科書として末長く利用されるものと信じております。 梅雨の季節となりますが、お身体をご自愛の上、ご健勝にお過ごし下さい、 敬具 2013年6月2日 埼玉の叔父へ 前略 先日の母の葬儀では大変お世話になりありがとうございました。 お尋ねのありましたMKさん、JKさんの住所を下記に記載しま す。 ー 記 - (省略) 敬具 2013年6月19日 Frankenstein0313 追申;東京での瑞陵高校同窓会でお会いできればと 思っています。お身体をご自愛ください。 埼玉の叔父へ 拝啓 今年も残すところわずかとなりました。お元気にお過ごしの ことと存じます。 弟のTUにお見舞いのヨーグルトを何度も送っていただき、 お心遣いを弟のTUになりかわり深くお礼を申し上げます。 弟もIS叔父様の気持ちを大変うれしく思い、ヨーグルトを 喜んでいただいているようです。 大変失礼かとは思いますがお礼の品を送付させていただき ました。よろしく、ご笑納ください。 これから寒さも厳しくなっていきますがくれぐれもお身体 をご自愛の上、よい年をお迎えください。 敬具 2013年12月1日 【2014年】 大学時代の友人の奥様へ 前略 先日、HAさんがご逝去されたよの報に接し、大変驚きました。 心からお悔やみ申し上げます。 HAさんとは名大ワンゲル、瑞陵高等学校時代の同期で親しく おつきあいさせていただきました。 また、在職中に日立にで出張されたとき、スナックでカラオケ をしたことを思い出します。 HAさんのご霊前に供花などしていただきたく、些少ながら同封 させていただきました。 季節柄くれぐれもご自愛の上、お過ごし下さい。 合掌 2014年6月9日
2020.06.21
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2013年8月から2014年7月まで18回に分けて「母の手帳」をこのブログに掲載したが、追加の手帳が見つかったため、ここに追補として3回に分けアップロードするものである。 ●母の手帳(その1)2013年8月 ● 母の手帳(完)2014年7月 ******************************* 孤独には 寂しがらない 我なれど 病む身のいまは 人を待つなり わが力 くづおれ果てて 行くときに われを支ふる 人の手はなし 子宝と 思えど 悲し 反抗期 折角の 善意通じぬ 情けなさ ひと言に 深く傷つき 帰り来て 灯さず食べず 心わびしき 年老いて 万事枯れゆく きのうきょう むさくるしくは なるまいぞ いただいて 足りて一人の箸を置く 紫陽花も 日傘求める 陽の強さ ひとり来て お盆過ぎし 墓を掃く 今日あるは 先祖のおかげ 魂まつり さまざまの こと思い出す 桜かな 花ことば フリージア 純潔 チューリップ 博愛 ガクアジサイ 慎ましやか ヒマワリ 憧れ クジャクサボテン 情熱 ばら 深い愛情 なでしこ 貞節 すみれ 誠実 くちなし 優雅 りんどう 正義 スズラン 希望と幸福をもたらす 明日の事をすべて神々にゆだねて目の前の幸福を愉しめ。苦労に落ち込んで人を愚痴り暗くしないようにする。 ゆとりの心とは、どんな状況の中でも、自在でありうること。私達はしばしばおのれの怒りを糧として生きる。貴賤 生死 栄衰おのずから命運あり。人はあとになって大事なことを知るのである。 あったかいものを食べて あったかいものを着て これが幸せなんだ あったかいものを見つめて わかっていても どうしょうもないことが 人生にはままある。 日々の生活に流されて 大切なものが 見えなくなってはいないか。平凡な日々に感謝する心も必要である。 ささやかな信念が 幸福の源泉になる 言葉には 責任が伴う 処世の態度は 利口ぶらず 実直を守る ああ 争いは 醜きかな 楽しく人生を送りたいなら、人間には知らなくてもいいこと、知られちゃいけないことがある。相手をむやみに不安にさせないため、悲しませないため、気づかないふりをしてやるのも一つの優しさなんだと思う。 人生の一瞬一瞬を大切にしなければならない 愛情問題というのは ごぶごぶで 両方の責任である もう愛情がなくなったからとは 優しさがない言葉である 生別は死別より 人の心弱らしむ 幸せと 思うことが 心を豊かにしてくれる 笑いは人の薬 笑う顔には矢立たず 笑う門には福来る あれこれ 考え過ぎて 心配事ばかり 抱えてしまう 人を楽しませたり 喜ばせることは 容易なことではない 迷わすも己なら 自分を救うのも己 人間のつとめは 一生けん命生きること 生きるとは つらき別れを 重ねつつ 重き思いに 堪えて ゆくこと いましめ 世の中で一番淋しいことは する仕事のないこと 世の中でみにくいことは 他人の生活をうらやむこと 世の中で一番美しいことは 凡てのものに愛情をもつこと 百日の議論より 一日の実行を心掛ける 四時蘭香に接し徳をみがく。蘭は心の糧になることです。仕事に疲れ苦しい時、しばらく蘭を眺めていると心がすっきりして、元気を取り戻します。蘭を通じて出来る友達との交流が出来て、他に処世上でも力づけられることが多くあります。立派に育てて花を咲かすことを信条にして、静かに生きたいと思う日々であります。 【 好きな曲 】 マドンナの宝石 アヴェマリア 美しき青きドナウ ペルシャの市場にて ドナウ河のさざなみ イエスタデイ 明日にかける橋 魅惑のワルツ ムーランルージュの歌 枯葉 真珠貝の歌 G線上のアリア トリコのセレナーデ シバの女王 ジェラシー ラ・クンパルシータ 禁じられた遊び 愛の讃歌 エデンの東 証城寺の狸囃子 証 証 証城寺 証城寺の庭は ツ ツ 月夜だ 皆出て来い来い来い おいらの 友達ァ ぽんぽこぽんのぽん 夕やけ小やけで 日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る お手てつないでみな帰ろ からすと一緒に帰りましょう 春は名のみの風の寒さや 谷の鶯歌は思えど 時にあらずと声も立てず 時にあらずと声も立てず 一生好きでいるのは難しく 条件が満たされる結婚はない 相手の長所できめる 価値観の違う人が集まるのが社会 価値観の違いを楽しんで絵付き合う 結婚は美しい、幸せだけでなく苦労や試練も一緒に降りかかってくる。
2020.02.19
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2013年8月から2014年7月まで18回に分けて「母の手帳」をこのブログに掲載したが、追加の手帳が見つかったため、ここに追補として3回に分けアップロードするものである。 ●母の手帳(その1)2013年8月 ● 母の手帳(完)2014年7月 ******************************* 成功は待ってくれるが 失敗は待ってくれない 踏まれても 根強く忍べ 福寿草 大観して正大の気を養うことが大切 心にゆとりをもつことが大切 雲や星を見ることで 魂はやすらぎ しなやかな心をとりかえすことができる。 日常のささいな事を愛すれば 幸福になる 過分の願いは不幸のもと 人それぞれに悩み苦しみを抱えている。どうか命を大切に今この時を大切に。喜び広げようあの青い空のように、澄み切った心になるように。 静かに柔らかに おおらかに 落ち着いて身を修め 倹約して徳を養う 今日を忠実に生きる 弔問の手紙に時候の挨拶や他の用件を書くと弔意は伝わらない。安否をきづかう手紙は相手のことを聞いてから自分のことをふれる。 角封筒を縦に使う場合左封じは不吉凶事を表す。手紙の封をとめるとき、 ホッチキスやセロテープは使わない。 あらたまった手紙に角封筒は使わない。お悔やみの手紙、病気見舞い、災害見舞には一重の封筒を使う。 会合の出欠の返事には幹事役への感謝の言葉をそえておく。 返信が必要な手紙を出すときは返信用の切手を同封する。 お祝いのお金を送るときはむきだしのままでは失礼、きちんと祝儀袋に入れてから現金書留で送る。 封じ目には「封」と書かなくては手紙は完成しない。 女性から男性に敬意を表すときにあて名の左下に「御許に」と書き添える。 手紙というのは相手に自分のやさしさを届ける。もらって嬉しい手紙を書く。 何かを贈る手紙なら、なぜ贈りたくなったかその思いを告げる。お礼状ならそれをいただいてどんなに嬉しかったをお見舞状なら相手を気づかう気持ちを素直にこまやかに又励ます。催促や断りの手紙にはやさしさを添える。 手紙は短くていいでも心をこめて一言でも人を感激させることばを入れる。近況を知らせる手紙はやさしい心と親しみこもることばを使う。相手を楽しませる。 ていねいに正確に書く やさしい心で書く すぐに書く たとえ下手な字でも文字の大きさを統一するだけできれいに書いた手紙になる。招待状、案内状は相手に出席してもらいたいならば一カ月前に届くように出す。感情的になって手紙を書いたときはすぐに出さず翌日読み直してからにする。 お祝いなら心から喜んであげる暖かさを文字を通して語りかける、お悔やみなら悲しみを分かち合う優しさを文字を通して語りかける。タイミングが大切。お祝いでも慰めでも時期が外れては何もならない。返事でもできるだけ早く出す。封をする前に読み直しをする。 通念を身につけなければ自分が傷つくだけである 忍耐はすべての扉を開く 笑顔は人生の最も美しい花 気を使うより頭を使う 下を向いたら なんにも見えない 前を向いたら 明日が見える 上を向いたら 夢がある 世に生きる以上は 煩わしさは 避けがたい 理性やけじめだけではうまくいかないことが世の中にはある。事をまとめる時はそっとあいまいにしておくに限ることだってある。 この世は 修行と思えば すべて安楽 つまらない 雑音に惑わされず 納得いく人生を 人の賢さは その忍耐で 知れる 心暖かく 親切であれば 梅がくる 気というのは 使うものではなく 利かすもの 苦しいときは かえって 動かない方がいい 人の悪いところばかり見ているより、良いところを探したほうが心が明るくなる。 発想の転換で明るく生きる 人をいためれば 自分もそれだけ傷つく 知らぬ行く末 かえらぬ昔に気をとどめぬ 今日を大切に生きる 何ごとについても 一々気にしていたら この世は渡れない 感謝は 自身を助ける 良薬のよう 人を恨まず 感謝の方に 目を向けて 力いっぱい生きる 心の内に疑いあれば 言葉は乱れる 花は潤いを与えてくれます ひと時のやすらぎを与えてくれます 思慮多くして かえって害ある 考え過ぎぬように注意 怠け心から 多くの悪が生じる 一生懸命生きていれば 運命は ひらけてくる 運は運転なり 必ず幸運が 巡ってくる 自動車のハンドルにあそびがある。心身にもあそびが必要。常に数%のゆとりをもつ。 おつきあいは 限りのない人間学 心は楽しむべし 苦しむべからず 身は労すべし つとめてよい話題を出し合い 感動しあうことが大切である 残された時を 大切にしたい 心が中和なれば 体は穏やか 我をなくして 無事安泰を 心がける 心の置き所を変えて、違った角度から物事を見て、おおらかな気持ちですごす。 人と和合しているけれど流されない。すっくと中立して他に寄りかからないこれこそ真の強さ。 ひと言の挨拶で 相手も自分自身の心も ほぐれてくる ありがとうのひと言は、人に対してより自分に対して、安らかさを感じるもの。 黙秘権を使うのは 人にも失礼 自分も傷つく 人を幸福にするには 日常のささいな事を愛せよ ひとは微笑によって報われる、微笑によって慰めを受ける、微笑によって生気を与えられる。 一.髪 二.化粧 三.衣装 に気をつかうこと 生活は簡素に 理想は高く 人の長所を見る者は 自己を益する 心を柔らかくして 万事流れに 従うべし ありがたしの念が 吉運を招く 忠言に素直に従うのが 人生安楽の秘訣 顔にシワがあっても 心にはシワのない人になりたい 出るくいは打たれる 口を慎み控える 三寸の舌で五尺の身を滅ぼすことあり 口を慎め けなしあうより ほめあって共に成長して生きたい 人との出会いから 何を学ぶかを 大切にしていきたい 人生にはよかったねと言える相手があれば喜びは二倍になる。大変だったねと言える相手があれば苦しみは半分になる。 威儀正からざれば 人は軽んず 困難は 待てば必ず開く 心は常に 現在におくこと 女性の徳は 貞操と順なり 財を積むことより 一芸よく身を助くる 慎ましく暮らせば 貧なるも余裕あり 都 々 逸 「くよくよしやすな 浮き浮きしゃんせ 気から病気が出るわいな」 この先の荒波を都々逸で乗り切る。 秋 秋の夕陽に照る山紅葉 濃いも薄いも数ある中に 松をいろどる楓やつたは 山のふもとの裾模様 春 菜の花畑に入り日薄れ 見渡す山の端 かすみ深し 春風そよふく 空を見れば 夕月かかりて においあわし
2020.02.19
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2013年8月から2014年7月まで18回に分けて「母の手帳」をこのブログに掲載したが、追加の手帳が見つかったため、ここに追補として3回に分けアップロードするものである。 ●母の手帳(その1)2013年8月 ● 母の手帳(完)2014年7月 ******************************* 庭の内にも至楽ある。小事に喜びを見出す。不平を言えば不幸を増す。運命に対して黙って傘をひろげるよう楽しく生きるもつまらなく生きるも自分次第。楽しく生きて行くことが自分にもまわりにも幸いである。 自分自身を高めるには他人の良い点を受け入れ自分のものとする。なにごとも良いほうに解釈するとストレスがかからない。明るい心は体に良いが失意は骨をも枯らす。ぐちを言うな足らないのは己の知恵と行動力である。 人づきあいからイライラしている時は家庭内の事に熱中する。内的世界が豊かになるとねたみ、ひがみはいつの間にか消える。心は頭で考えている事を喜んだり悲しんだり怒ったりやさしい気持ちになったり「コロコロ」しているから「心」って言う。 落ち込んでいる時、誰かにほんの少しほめられると勇気が出る。幸せは自身がつくり出す精神的なものである。身体をうごかすと頭で考えることが少なく心を和らげる。 人の心と井戸の水はかき廻せば濁る。何百億の細胞から作られている人間の命大切に、心は愛するためにある。愛されることを求めたら、心だんだん寂しく、不平一杯になる。 子育ては親が元気、根気、のん気になる 希望は頑丈な杖である 自己を修める者は人が安心して交際する 心のもち方ひとつで晴れやかになる。幸福は日常の小さな事を愛することからなにごとも腹を立てず自然のままに過ごすこと。この世ははてしない修行の場。 自分自身を非難しない 心配の念は不運を招く しなやかにエレガントに生きる 心の要は敬にあり 紙に書かず心に書きとめれば物事の宝になる 空気のおかげで生きていられる、花のおかげで気持ちがやわらぐ、おかげさまを大事にしたい。 希望ある限り若く、失望と共に老いる 親は子供の進歩していることを認めることが大切である 悠然として心を養うこと 喧騒の中では何も生まれない 春風をもって人に接し、秋霜をもって自らを戒める 智に働けば角が立つ、情にさおさせば流される、意地を通せば窮屈だ、とかく人の世は住みにくい。雑音、雑事に泰然として乱れるな。 他人のことで心わずらわすな 口は禍の門 言葉を慎まねば災厄ふりかかる 心広ければ 何事も自由自在 なにげなく過ごしている毎日でも、人からいっぱい幸せの種をもらっている。希望と勇気をもって楽しく生きる。 やさしく きびしく 暖かく 君子は言葉を控える 静かに 落ちつき 身修め 徳を養え 人間はいつも何かに捉われていて、自分の立場をあれこれ考え、思い過ごしをするきらいがある。 漫然と暮らせば邪道に 過去は改められぬが将来のことは改められる 家族に心はずむ思いをさせる存在になること 徳を養い心を静める 今日あるは先祖のおかげ魂まつり 邪念は禍となる 花のように美しく竹のように直なる心 卑屈にならず朗らかに 信じるものは救われる 自信は自身を美しくする 今日という日はあなたに残された人生の最初の日である 何事も程々にして他日の滋養とせよ 品位を高く識量を広く 精神的に思わしくない時は反省して心の持ち方を変える 人の言葉に左右されず自分の信念で生きる 何事も自立独尊の気合でいく 心が軽やかになると身も軽くなる 外面的には髪形、洋服の色彩をためらわず新しい試みをたのしむ。性格的は他からの働きかけで変わる。自身では素直になる。 がっかりした時は悠然と 身体の病はしかたのないことである心の病は自分で克服する 一度しかない人生に親となり一生懸命生きてゆくことが愛である。 心が素直になると明るくなる 恩を感じ徳を積む 病は気から心を強くもつ ダメになるのも良くなるのも自分次第である 与えられた条件の下で精いっぱい明るく生きる 家内和楽しすべてにこやかに 上を見ても限りなし下を見ても限りなし威張らずひがまず中道を行く。 陽気なれば幸福なり 忍耐強くたくましく 徳は本なり財は末なり 心を柔軟にして流れのままに行く。希望は人を成功に導く信仰である。 過去を捨てる、感情をためるのは不健康である。 行きづまったら人に会え 愛とは捨てないこと 先のことをきめてかかると めんどうになる 人のおもわくばかり気にしては 楽しい生活ができない 精神を鍛練するもっとも有効で自然な方法は話し合うことである 【ゆとりを得るためのポイント】 ・目的のために捻出するゆとり ・いざというときに慌てず対応できるゆとり ・新しいものをいつでも受け入れられるゆとり ・細かなことを切り捨てられるゆとり ・完璧だけを追求しないゆとり 本日の無事こそ真の幸福なり 事の来るのにおびえるな 事の去ったのを追うな悠然とせよ 静座して気を養い 運動して体を養う 名誉は人が争って求め 群がってそしる なにごとも良いふうに考えれば イライラも少しはやわらぐ なにごともほどほどにして 他日の滋養とせよ 人それぞれに言い方があると思えば 腹が立つことはない いい曲を聞いたり 植物を眺めたりすると 心が温かくなる 楽しく生活する為の知恵を出し実践する 恐怖心が苦悩を生む 平淡に生きる 心に余裕をもつ しあわせは 毎日つくるものです 愛は愛を生み 信は信を生む 人生は感謝の方に目を向けて 力一杯生きる 現在の事を中心に考える 知らぬ行く末 返らぬ昔に気をとどめるな。 背伸びしない かといってひ屈になるな 静かに柔らかに おおらかに安らかに
2020.02.19
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新聞広告で本のタイトルと「れいわ新選組 山本太郎代表 推薦」の文字が目に入り、どのような内容か興味が沸き、アマゾンで購入。 日本の現在の経済状況の分析と未来に向けた解決策を示した経済図書だった。いままで経済に関する本も読んだが、この本は読み易かった。これが「れいわ新撰組」の経済政策の根幹になるのだと思った。 【主な内容】(1)政府通貨を発行し、消費税は直ちに撤廃する。(2)政府通貨は誰かの借金としてお金を発行する仕組みをやめて誰の借金でもない お金を政府が責任をもって発行する。(3)インフラの公営化、インフラ事業で利益を上げる必要はない。ATM網の公営化など。(4)資本家の利益至上主義では「今だけ、金だけ、自分だけ」。「今だけ、金だけ、自分 だけ」の風潮が世の中に蔓延している。(5)経済は企業が作るのではなく、そこにいる人々の需要と生産が作り出すもの。(6)「時間と労力と資源」が重要。(7)無駄な「穴掘り事業」にリニア新幹線、カジノ、オリンピックがある。(8)金融資本主義の下では自由はお金の論理に侵食されてしまっている。(9)政府の借金と国の借金は違う。(10)ホワイトカラーの生産性は低くない。日本は世界一の生産性を誇る。 対外純資産は世界一、349兆1120億円。(平成28年末)(12)生産性とは生み出す付加価値の大きさ。(13)「GDP成長=幸せ」ではない。幸せとは各個人のそれぞれの時間と労力の使い方の 自由度にある。(14)労働者も貰っている賃金以上の仕事を強要される世の中。(15)コストカットは報酬だけを減らし、同じかそれ以上の価値を要求すること。(16)円にして340兆円の「タダ働き」をさせられ続けてきた。(17)日本にあるのは政府の借金であって国の借金ではない。(18)現代のお金の発行の仕組み ・「お金=貨幣」ではない。 ・日本中の紙幣を全部集めると約100兆円。 ・日本中の現金および預貯金は約1300兆円。 ・お金は紙幣という実体を持たずに存在、単なる預金情報として電子的に存在する だけ。 ・紙幣を製造してもそれは預金情報を増やすわけではなく、お金を増やす(お金の発行) にはならない。 ・増えたお金は「お金を借りる人」に渡る。預金情報は銀行がお金を貸すことによって 増やす。 ・何もないところから借金と同時にお金を作る。「お金の発行=借金の発行」 ・お金と借金がずっと減り続ける、これは今の金融システムの中では絶対ありえない。 ・銀行が民間貸し出しを増やさなくなってからは、政府が借金を増やし続け、お金を 発行し続けたということ。(19)「政府の借金=お金の発行」政府の借金とお金は同時に同額増える。政府の借金が 国民のお金になっている。(20)借金は政府の無駄遣いのせいでも、税収が足りないせいでもない。税金では政府の 借金は返せない。(21)誰かが借金をしないと、お金が発行されないという全く間違った今の仕組みを根本的 に変える必要がある。(22)借り手と貸し手を同時に作り出すことによってのみお金は作られる。借金とお金の量 は無限に増え続ける。(23)1971年、ニクソン大統領は金とドルの交換を停止し、変動相場制に移行し、世界中 の全ての通貨は金という裏付けを失った。(24)実態価値の本質は「人の労力×時間」。大量生産、大量消費は続かない。その理由は 人の数も時間も労力も地球の資源も有限だから。(25)誰かの借金としてお金を発行する仕組みをやめて、誰の借金でもないお金を政府の責任 で持って「政府通貨」を発行する。政府の借金は「政府通貨」で返す。(26)「お金の量=借金の量」から「お金の量=借金の量+政府通貨の量」とする。(27)海外に貸し放しの約350兆円を処分し、お金を黒字還付金として、全国民に配る。(28)ハイパーインフレは①極端なもの不足、②恒常的な経常赤字の時起こる、日本は 世界一の経常黒字国であり、世界一の外貨資産をもっており、ハイパーインフレには ならない。(29)GDPは実態価値そのものではなく、「使われたお金の総額」である。(30)デフレは時間と労力を無駄にする。後で動く方が安いから人々の活動を抑制する。 人々の限られた人生の一部を奪うことになる。(31)実体リソース:人の時間と労力、資源(32)お金は指標:たくさんの人やモノが動き、時間と労力が使われたという指標。お金は いくら使われても消えることなく右から左に流れるだけ。人の時間と労力、そして資源は 二度と戻ってこない。(33)国家経営の本質:人々の時間と労力そして限りある資源を大切にし、それを最大限活用 すること。(34)税制に思想の筋を通す。課税すべきものに課税する税制。たとえば消費税のような、人々 の活動を阻害するような税制は直ちに撤廃すべき。税金をかける理由は一つは冨の再分配 もう一つは煙草税、酒税などの懲罰的な課税。(35)年金、銀行、生命保険、損害保険など集めたお金を増やし続けなければ立ち行かない仕組 みは時代遅れ。(36)20世紀型の強欲資本主義から21世紀型の共存資本主義への転換を目指す。(37)穴掘り事業は1億円で穴を掘って埋めるだけの無駄な公共事業。本当に無駄になるのは 無意味な事業に使われた人の時間と労力と資源。国家経営の本質はいかにみんなの時間 と労力、有限な資源を大事に使い、いかにそれを世のため、人のため、未来の子供たち のために役立てるかである。私が総理大臣ならこうする 日本と世界の新世紀ビジョン/大西つねき【1000円以上送料無料】価格:1760円(税込、送料無料) (2020/2/9時点)
2020.02.09
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52年前、大学1年生のワンダーフォーゲル部の春合宿で舳倉島を訪れた。舳倉島を再訪しようとカミさんに相談し北陸旅行を計画した。カミさんは北陸新幹線に乗ることを目的にしていたので目的は達したが、小生の目的、舳倉島行きは諸般の事情から断念してしまった。 1.期 間:2019年11月6日(水)~11月9日(土)(3泊4日) 2.訪問先:輪島市ー和倉温泉 3.日 程 (1)【11月6日(水)】 ・常陸多賀発8:26 ときわ64号 東京着10:11 常磐線 ・東京発10:24 かがやき509号 金沢着12:52 北陸新幹線 ・金沢発13:09 サンダーバード15号 和倉温泉着14:07 七尾線 ・和倉温泉発14:15 穴水着14:48 のと鉄道 ・穴水発15:10 輪島着16:03 北鉄奥能登バス 【ホテルルートイン輪島泊】 (2)【11月7日(木)】 輪島朝市 輪島市内の散策 【ホテルルートイン輪島泊】 (3)【11月8日(金)】 ・輪島発11:00 穴水着11:39 北鉄奥能登バス ・穴水発12:06 和倉温泉着12:43 のと鉄道 【和倉温泉加賀屋泊】 (4)【11月9日(土)】 ・和倉温泉発12:53 能登かがりび6号 金沢着14:05 七尾線 ・金沢発14:46 はくたか568号 上野着17:46 北陸新幹線 ・上野発18:00 ひたち23号 常陸多賀着19:18 常磐線 かがやき509号 弁当屋がカラフルだった 昼食に購入した弁当これもカラフルだった のと鉄道(その1) のと鉄道(その2) のとなかじま(能登中島) のと鉄道の車窓から 輪島駅 輪島駅前 輪島の朝市(その1) 輪島の朝市(その2) 輪島の朝市(その3) 輪島の朝市(その4) 輪島の朝市(その5) 輪島の朝市(その6) 輪島の朝市(その7) 住吉神社 奥津姫神社 大伴家持が詠んだ舳倉島 重蔵神社 52年前キャンプをしたと思われる海岸 もっと砂浜があったような気がする 舳倉島へのフェリーを運航している「へぐら航路」の事務所 舳倉島は”へくら”ではなく”へぐら”であることをここで知る 和倉温泉加賀屋 加賀屋玄関 部屋からの眺望 七尾西湾を望む 【11月8日の夕食】 温泉はそうでもなかったが夕食は日本食のフルコースでまずまず美味しかった。 最後はおなか一杯になり苦しかった。 食前 生姜みつ 先附 ズワイ蟹 前菜 干し口子 このわた 長芋 梅貝旨煮 なまこ手毬寿司 甘えび華衣揚げ 金沢一本太ねぎ射込み 兼六芋カステラ 白山堅豆腐サーモン巻いくら添え 先吸物 加賀丸いもすり流し 白子つみれ 造里 本日のお勧め盛り合わせ 煮物 のど黒煮付け 台物 鮑温泉蒸し 車エビ 餅湯葉 神馬草 いしるポン酢 焼物 吟醸味噌昆布焼き 黒毛和牛ロース 御飯 石川県産コシヒカリ 留椀 味噌汁 鰺つみれ 岩のり 漬物 盛り合わせ デザート 能登志賀ころ柿ムース 金沢純粋はちみつゼリー 能登大納言蜜煮 帰りの新幹線「はくたか568号」【関連ブログ】 舳倉島ー春合宿ー(その1) 舳倉島ー春合宿ー(その2) 舳倉島ー春合宿ー(その3) 舳倉島―春合宿ー(その4) 舳倉島―春合宿ー(その5) 舳倉島―春合宿ー(その6) 舳倉島―春合宿ー(その7) 舳倉島ー春合宿ー(その8) 舳倉島―春合宿ー(その9) 舳倉島―春合宿ー(その10) 舳倉島―春合宿ー(その11) 舳倉島ー春合宿ー(その12) 舳倉島ー春合宿ー(その13完)
2020.01.23
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昨年(2019年)12月3日(火)カミさんと上京し皇居を訪問した。11月14日の夕方から夜にかけて行われた「悠紀殿供饌の儀」翌15日の暁前に行われた「主基殿供饌の儀」からなる大嘗祭の舞台となり、取り壊されることになっている大嘗宮を見るためであった。 7時起床。快晴で暖かくマフラーはなしで出かける。コンビニで昼食のおにぎり、サンドイッチと飲み物を購入。 時間通りに東京駅に着く。快晴で気持ちが良い。丸の内中央駅から皇居を目指す。 東京駅方面 皇居前の松の植木が綺麗だった 皇居に入る前から多くの人が並んでいる。まず手荷物チェックを受けた。パイロンが並べられていたが、人は埋まっておらず、余裕があった。休日はもっと人で埋まるのだろう。 当初坂下門から入り、乾通りを見て、大嘗宮を見る予定だった。坂下門に入るまでに時間がかかった。坂下門に入ると乾通りを見てその後、大嘗宮にまわるのは難しいと判断し、大嘗宮を直接見る列に並んだ。 坂下門から初めて皇居に入る 富士見櫓(堂々たるたたずまいだった) やがて遠くに本丸跡の広場に造営された大嘗宮を見ることができた。広場の遠くに大嘗宮を見てから大嘗宮の近くに行くまでも時間がかかり大変だった。 15時少し前にようやく大嘗宮に着く。カメラを持った人でごった返していた。人を押しのけ前へ出なければ建物のいい写真は撮れない。なかなか積極的になれず苦労した。建物のいい写真が沢山あった。 【大嘗宮の建物の写真】 見学を終わり、北桔橋門(きたはねばしもん)から皇居を出る。乾門を左に見て、皇居の前を歩き、千鳥ヶ淵に出る。珈琲館で休憩。ホットケーキとティラミスを食べ、16時頃喫茶店を出る。 乾門(工事用パイロンが邪魔だった) 終点の千鳥ヶ淵 16時50分時間調整のため、大塚駅まで乗り越し上野駅に引き返す。17時30分エキナカの『たいめんけん』で大きな海老が2匹載った「洋食屋のえびふらい」を食し、18時30分頃店を出て19時発の電車で帰宅した。 【案内図】
2020.01.23
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