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久しぶりに大井町の夏劇場へ。開幕して間もないリトル・マーメイドソワレ公演を観てきました。まず序盤は 開口バリバリ発音に「あ~そうだ、四季ってコレだよね」一音一音発音は超明瞭だけれど ことばの情感はゼロに等しい。発音のクリアな生身のボーカロイドといった感じでしょうか(毒)「どうぶつの森」の登場人物よりは若干台詞らしい感じがするけれど 基本棒読みという。「四季」はそれがスタンダードだからと 観客側が慣れるしかないわけですが・・・隣の人の「歌になると自然に近くなるからいいんだけど 台詞の方が不自然で違和感ありまくりだよね」というのが普通の人の受け取る感覚だと思うんですが 「四季」が開口至上主義を改める日はこないんでしょうねぇ、きっと。開口に慣れた頃、エリック王子の乗った船と海岸のセットが登場するにいたって「なに、これ?」あまりのチープさにわが目を疑いました。某巨大掲示板で「高校の演劇部でも作りそうなはりぼて」と評されてましたが まさしく!!私は 1台のバンにすべてのセットを積み込んで全国を旅してまわる子ども劇場の劇団のセットを思い出してました。移動公演用ならともかくも 専用劇場で長期間かける演目のセットにこれはありえないだろうという安っぽさ。フライングの装置と技術指導料とディズニーへの版権料にお金を取られて セットにまわす予算はなかったということなのかなと考えてました。公式サイトによると 「絵本の様な2次元感をもっていただく」意図あってのセットということらしいですが 苦しい言い訳の様な気がします・・・ディズニー版ハッピーエンドの筋ですから 芝居に奥行きは求めるものでもないし。1回観てからチケットを増やすかどうか決めるべきだったと 5月・7月と取った2枚を後悔しながら観ることになろうとは。フライングの技術・ライオンキングの2番煎じではあるけれど魚の群れの動かし方・電飾の効果・アースラーの足を動かす黒子さんたちの頑張り・衣装の関係での芝トリトンのカテコでのちょこまか歩きの可愛らしさ と「おっ!」とみるべきものもあったのですが 総合的に言うと「新作ということで期待しすぎたか~、残念」という舞台でした(私には)なので カテコでスタオべする人が結構な数いたのにはとても驚きました。「これでスタオべできるの!? どこに感動があった?」という。役者さんは手を抜かずに演技してたとは思いますが なんでもかんでもスタオべすりゃいいっていうもんでもないのにとちょっと腑に落ちない思いで劇場を後にしました。この日のマチネが「木の上の軍隊」で沖縄について重く考える ズシッとしたものが残る舞台であっただけに よけいに薄っぺらく感じたのかもしれません。
2013年04月11日
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井上ひさしさんが最期まで書こうとしていた舞台を その意志を引き継ぎ栗山民也さんが演出し 蓬莱竜太さんが戯曲を書いたものです。激しくて酷い戦闘があった島に巨大な木があった。追い詰められた二人の兵士が、その木へと上る。鬱蒼と茂る枝葉は、二人を敵から上手く隠してくれた。と同時に、敗戦を二人から遠ざけた。長い長い、木の上での二人きりの「戦争」が始まる(パンフレットより)島出身の新兵(藤原竜也) 本土出身の上官(山西惇) 木の精でもある語る女(片平なぎさ) とヴィオラを演奏する徳高真奈美さん セットも舞台中央に大きなガジュマルの木というシンプルな舞台でした。 あの戦争が沖縄にもたらしたもの そして現在でもそれほど変わらない状況など考えさせられる舞台でした。沖縄は捨石にされたんだ それでも日本という国を信じられるのかと問う上官に対しての新兵の言葉は胸にこたえるものでした。「守られながらおびえ おびえながらすがり すがりながら憎み 憎みながら信じる」「ぐちゃぐちゃなんです。信じるしかないから それしかないから信じるんです」ほかの選択肢はないから信じるしかない なんて切ない言葉でしょうか。そしてそれは現在の沖縄もそうなんだと思います。軍隊は決して民を守らない、軍隊が守るものは「国」という体制であり概念だということを安倍首相の靖国参拝に対する中韓の抗議に対しての反論を「ようやくまともなことが言える政治家が出てきた」などと拍手喝さいする人々はわかっているのだろうかと疑問に感じます。井上やすしさんならこんなストレートで直球な台詞では訴えなかっただろうなと思いながら繰り返された「守られながら・・・」に脚本家蓬莱さんの熱い心を感じました。井上さんなら日の浦姫の「魚名魚字」のように くすりと笑わせる面も持ちながらひねった言い回しをしたことでしょう。 普天間基地問題を「そこまでいって委員会」のTVで取り上げていた時 勝谷氏が「普天間が一番危険な基地だというけれど 普天間基地が出来た時はまわりは何もなかった。基地の周りの住宅や学校は後からそこに現れたんですよ」と基地周辺住民をさも馬鹿にしたような発言をしたことを覚えています。一瞬「へ~、そうなんだ」と思いかけて そして「でも待てよ」沖縄本島の真ん中 日本軍の基地のあったところを含むにしても広大な土地を先に米軍基地にしてしまってから 沖縄の住民が復興しようとしたら基地周辺にへばりつくようにしてしか住宅や学校など建てられなかったのではないだろうかと思い当たったのです。この舞台のモデルになったガジュマルの木は伊江島にあります。伊江島の戦闘が終わると生き残った住民はアメリカの船に乗せられて一人残らず島から追い出されたそうです。アメリカは伊江島を恒久基地にしようとしていたため住民を追い出し 現在も島の面積の63%は米軍基地だとのこと。(パンフレットより)近くに伊江島出身の友人がいますが 木の上で暮らした二人の兵士の話は知らないと言ってましたが 自衛隊やアメリカ軍基地に対する複雑な思いをもっています。彼女の父も米軍に基地として土地を提供し 基地関係の仕事をしていたようですがそれゆえのものもあるように感じます。「主権回復の日」の沖縄のデモに対して「金をせびりたいだけだろ」やら「黙っとれ」などとツイートする人々には 沖縄の歴史を学び 現在の状況を現地で見てほしいと願わずにはいられません。
2013年04月11日
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黒木瞳主演 玉野和紀作・演出・振付(出演も)のハートフルコメディミュージカル(東宝の宣伝文句)初日に観た方の「微妙」というツイートに「どんなもんだろ?」と席につきました。主人公2人が池ポシャし紗幕がひかれて 鯉のかぶり物をした4人が出てきて歌い踊り始めた時には「はぁ~、確かに微妙だ 恋と鯉をひっかけるにしても・・・」で、場面がいろいろ進んでいくうちに「宝塚」っぽいシチュエーションまできて「あ~、これってダウンタウンフォーリーズなんだ~」と腑に落ちました。ただ腑に落ちると今度は「DTFにしては 歌穂さんもいないし圭吾さんもいないし、あんな場面やこんな場面もないし寂しい」となるわけでして玉野さんの手なれた手法で作ったミュージカルではあるけれど ミュージカルの話・筋としてはう~~んという印象でした。2幕の夢子の夢の中のショー 禅さんもタップがんばってました「遠い夏のゴッホ」の地方公演の合間も練習を重ねた甲斐があったというものでした。トークショーでも「ある程度の年になっても諦めずにやればできるんだ」と力説なさってました(笑)黒木さんも年齢から考えると非常に若くてキレイ!なんですが 袖のないドレスで両方に宝塚のかなり下級生を従えてのダンスになると 二の腕あたりに隠しきれない年齢が現れてしまうのがいたしかたない「黒木さん!」っていう声がかかったのが卒業してからの年数を感じました。宝塚時代を知っている人なら「しょうこさん」ってかけたと思うので・・・サカケンさん(!)も パワフルに動いて ロングトーンを披露したりと楽しそうに演じていたのがよかったです。再演はなさそう・・・かな?あっても私は多分チケット取ることはない・・・かな(爆)
2013年04月04日
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お練りをTVで見て「いよいよだ~」と盛り上がったものの 30~31日とケロ2のお伴で大阪へ「ジャニーズワールドの感謝祭」に出かけて疲れてしまい2日が初日というのも頭から消えていた(自分でもびっくり)のをスケジュール帳を見て確認しました。それでもバスで東京が近付くとワクワクただ雨(と渋滞)でいつもよりバスが遅れて(いつもは10時半頃霞が関到着)10時45分頃ようやく霞が関に到着。49分という地下鉄に乗って歌舞伎座へ。扇千景さんがいらっしゃるのはすぐわかりましたが、梨園の奥様方やご贔屓さんたちの着物姿の横をすっ飛んで「間もなく開演です」の声々を聞きながら 緞帳が上がっていく中 手前座席の方々の「早く!早く!」にせかされてようやく自分の席に着席しました壽祝歌舞伎華彩ひとしきり「春の君」染五郎と「女御」魁春が踊ってから 「鶴」藤十郎の登場。本当に藤十郎さんは年齢を感じさせない人外のお人(!)でした。その後ろで踊る松也くん壱太郎くんのカップルに目が釘付け今月の演劇界の藤十郎さんインタビューによりますと 当初はその予定ではなかったものの演出を再考して 若手にも舞台に上がってもらうことになったそうです。こけら落としの最初の演目で舞台に立つ 若手の出演者には感慨深いものが残るに違いありません。お祭りTVでも再三流れたのでみなさんご存知のことでしょうが サプライズの七緒八くんの初お目見えとなりました。いや~ 本当に可愛かったですそしてずっと大人しく床几の上に腰かけていられる2歳児って!!(七之助が気をかけ 背中に手を添えたりしてましたが)お祭りの幕が開いたとき なかなか鳴りやまない拍手で、それを聞きながら「あぁ~、本当は勘三郎がここにいるはずだったのに・・・」とどうしても思わざるをえなくて 同時に平成中村座での「お祭り」を思い出したりしてました。「待ってました!」「待っていたとはありがてぇ~」という大向こうとの通常のやりとり(?)ではない「お祭り」三津五郎の「18代目も喜んでいると思います」には涙腺が・・・中村屋贔屓らしかった隣のグループの方々は号泣してました。奥の床几では小山三さんも舞台にいて現役最長老役者と最年少との共演となり きっと小山三さんも感無量だったと思います。幕切れでは お客様にも挨拶した七緒八くん ちっちゃな左腕を後ろへまわして形を作ってきまるのが微笑ましかったです。熊谷陣屋玉三郎が腰高といわれるのは昔からでそのことを知ってはいたのですが 今回はまざまざと「本当だ」と・・・足の調子が悪いのか段を降りる時も「危ない!」と一瞬ひやっとするような感じでした。玉三郎は歌舞伎座建て替え期間中 歌舞伎への出演がなかったことが裏目に出たような気がしました。口説きの場面で特に感じたのが 演技の生々しさでした。前列や右隣りの観客はハンカチを手にしていたのですが 私は母の嘆きを感じるよりは「うわぁ~、リアルすぎてちょっと勘弁」になってしまって(苦笑)時代物の歌舞伎という枠から逸脱しちゃってるように感じられてしまいました。吉右衛門の熊谷が時代物の熊谷の王道とするなら、それとは方向性の違う相模というか・・・吉右衛門の熊谷 玉三郎の相模と並ぶと 菊之助の藤の方は当然ながらいかにも若くて。印象的だったのは 仁左衛門義経が熊谷に小次郎の首との別れをおしませる場面で義経が熊谷に顔を背けていたことでした。「あれ?今までの義経の役者さんってここどうだったっけ?」と。熊谷に対する義経の情というのも感じられる演じ方かな と思いましたが初日を観た保先生の劇評にも顔を背けることについての言及がありました。歌六の弥陀六もきちんと勤めている印象でしたが それぞれはきちんと自分の目指す(?)方向に演じていたけれど 全体としてみるとうまくかみあっていないという感じがした一幕でした。(ソリストの芝居ばかりでハーモニーまで考える余裕などないという感じ?)初日ゆえでしょうか?後日もう1度観る機会があるのでその時にどう感じられるか楽しみです。報道陣も多くて歩きにくかったので中の探検は後日にしましたが 以前の歌舞伎座の雰囲気と変わらないのが懐かしく 歌舞伎座って観る側にとっても特別な劇場なんだとしみじみ感じました。
2013年04月02日
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遠くなりつつある記憶からの覚書1部を20日に 2部を19日と28日に観ました。圧巻は「阿古屋」 19日は足遣いの勘次郎さんに目が釘付け、28日は左の一輔さんの細かい細かい遣い方に驚嘆しました。28日は隣の席のお姉さん2人組が「凄い!凄い!」と大興奮していてこちらもその熱気にあてられるくらいでした。こういうわくわくする演目であれば、初心者も「次も観てみよう!」という気持ちになるのでは・・・と思いました。「八陣守護城」32年ぶりの上演演目。チラシによると『見どころ聴きどころ満載の物語』元の話から それこそ見どころ聴きどころ場面を取り上げたとは思うのですが、百笑いが3度も出てきて 企画側はそれぞれの大夫を聴き比べてくださいというつもりだったのかもしれませんが 正直飽きました。また百笑いなのかと・・・休憩時間の取り方も変則で 最後の幕がやたら長くてお尻が痛かったです。上演前に企画側も客席に座ってみたらいいのにと恨み節「傾城反魂香」住大夫さんの「ども又」の技を堪能しました。歌舞伎で観慣れているので 手水鉢の奇蹟が文楽だとあっさりなんだなぁと思いました。義太夫もさらっと苗字を許されたという描写に移っていってしまうので物足りなさを感じるくらい(苦笑) 脳内で吉右衛門の又平と芝雀のおとくを補完作業しました。「艶容女舞衣」丁稚の左遣いさんがとてもやる気なさそうに遣っていたのが印象に残りました。遣い方の上手下手はわかりませんが、真摯に舞台に向かい合ってるかどうかというのは案外客席にストレートに伝わるものだと思います。人形の遣い方に破たんがなくても 舞台をなめてるような態度はいかがなもんでしょう。 ごく個人的な意見ですが・・・「おおあたり」というかけ声は 満員の客席と舞台上が興奮のるつぼにあるような熱気のある状況でかかるのこそふさわしいんじゃないかと思っています。5月公演で 男性から「おおあたり」の声がかかりましたが 休憩時間中モヤモヤ気分にならざるをえませんでしたかけ声は その言葉の意味をよく考えてかけてほしい・・・です。口上でかかる「○○大夫!」「○○!」というのは 応援してるよという感じがするし それで「よし」と演者がいっそうのってくれるのであれば大歓迎なんですけどね・・・
2012年06月01日
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今期のエリザベート 当初用意したチケットは3枚(5月1枚 6月2枚)でした。トートを3人とも観られるように、エリザベートも2人とも、ゾフィ様も2人ともと苦心(?)チケット手配する時点ではルドルフのキャストスケジュールは発表になっていなかったのですが、チケットが届いてから確認すると偶然にも3人にばらけていてラッキ~と思ったものの それほどワクワク感がないまま・・・でした。3枚とも禅さんフランツで用意したので 岡田フランツもどこかで観たいな~と思いつつも積極的にチケ取りするわけでもなく 6月B席完売となった頃にようやく自分が行ける日でB席1枚を確保しました。(それがマテの初日)東宝のHPやげきぴあも事前に見ることはほとんどないまま 帝劇へ出かけたわけですが 観てしまえば「エリザベート」の世界へずるずると・・・(爆)あぁ~、やっぱり曲がいいよな~ と結局11日・12日と続けて観るはめに・・・特に「夜のボート」は条件反射的にウルウルッときます私のウルウル条件反射は レミゼでは「オンマイオウン」「彼を帰して」仮名手本忠臣蔵では7段目の「髪の飾りに化粧して・・・」 寺子屋の「桜丸が不憫でござる」etc。あんなに平常心だったのに 観てしまえば「毎日でも帝劇にいたい」気になるんだから(爆)たとえどんなに好きな俳優さんでも同公演期間中だと3回目には飽きるんですが、キャスト違いもあるとはいえ「エリザ」は麻薬のようです
2012年05月17日
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いつからでしょう。平日でB席など値段の安い席はびっちり埋まっているけれど、S席や1等席は空席が目立つ公演が多くなったのは・・・前回のジキル&ハイドでは 2階席後方は満員御礼 前方(S席)はガラガラというのを目撃しました。3.11以降は特にそれが顕著になったと思います。主催者側もそれでは困るので 値引きチケットを出したり 各種イベントを開催したり お土産付きプランを企画したりとさまざまな営業努力をされてきました。営業努力は認めますが それなら最初からチケット価格を見直してほしいと切に願います。S席は売れないけれど 値段の安い席は売れてるんです。観客はいるけれど 毎回S席料金で観るわけにいかないわという層が多いということなのです。正直 どの公演もしばらく経てば何がしかのプランを出してくる状況では定価でチケットを購入するのが馬鹿らしくなっています。もちろんFCで手配してもらうチケットはきっちり定価を支払うのですが・・・もしくは 多少の(多々の?)席位置の不満はあるけれど 割り切ってカード会社経由で最初から割引料金で購入するとかしています。S席料金ももう少し細かく値段設定できないものでしょうかねぇ。赤坂ACTなど 1階最前列と2階F列が同料金なんて席番がチケットが来るまでわからないようなシステムで システム手数料をかなり取られた上で 届いてみたらとんでもない席だった経験をしている人も多数だと思うのですが・・・ 日頃の不満をなぜ今さらのUPなのかというと。新聞の読者プレゼントに応募して 当然のごとく外れて 優待価格設定のお知らせハガキが届いたのです。「ジキル&ハイド」日時が限定とはいえ S席4000円ってありがたく自分が行ける日にちでトライしたところ 壁とお友だち席が提示されたわけですが、背に腹は代えられず確保しました。別日程をちょっと試しにやってみたら K列のセンターブロックの席!!そこが B席料金に1000円プラスでいいとなると・・・その席をゲットした方はラッキ~でしょうが 何列か前にはもしかすると(?)定価の12000円で購入した方がいるのかも と考えたらなんだかな~チケットの適正価格って何だろう?と考えされられるハガキでした。
2012年03月03日
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mixiのつぶやきを見て知りました。雀右衛門丈の訃報。最近は舞台には立たれず 歌舞伎座閉場式の様子をTVで見た時もたしか車椅子に乗っていられたように記憶しています。御年91歳ですから 年の数に不足はなけれど・・・ではありますが その舞台姿の若々しさを思い出すと。自分が歌舞伎を観はじめた頃の幹部俳優は これでみんな鬼籍に入られたんだなぁ ひとつの時代が終わったなと思ったらぽっかり心に穴があいたような感じがしました。自分でも驚くほどの寂寥感でした。雀右衛門さんの舞台で強く印象に残っているのは 国立小劇場で観た「新口村」の梅川。現仁左衛門の忠兵衛 13代仁左衛門の孫右衛門でした。先月の 「映像でたどる国立劇場の歌舞伎」で話が出ましたが、小劇場での「歌舞伎公演」 ぜひ検討してもらいたいと思います。あの空間だからこその 濃密な臨場感。花道で孫右衛門が手を息で温めた時 一瞬にして劇場全体が雪一色のなにもない新口村に変わった 目の前にその風景が現れ(たように思った)時の「うわっ」という驚きもう一度 体験したいものです。演舞場4月公演のチラシを見た時 とうとう?花形で「仮名手本忠臣蔵」の通しができるようになったのか(しかも浅草ではなく演舞場で) という感慨がありました。「仮名手本忠臣蔵」でまっさきに私の頭に浮かぶのは 国立劇場開場25周年記念(?)の3カ月かけての通し上演なので。この公演で 5段目の勘平を演じたのが先代の勘三郎丈でした。それまでに 孝夫(現仁左衛門)の勘平を観ていたのでこの配役を知った時の正直な気持ちは「えぇ~、おじいさんの勘平って・・・」だったんです(苦笑)ところが 勘三郎の勘平の瑞々しさ、志半ばで死なねばならない無念さのほとばしりに圧倒され(ビジュアルはあの勘三郎丈であっても・大失礼) 「芸の力ってこのことをいうんだなぁ。おそれいりました。私が浅はかでした。」とつくづく感じいったのでした。花形がどんな忠臣蔵をみせてくれるのか とても楽しみです。ただ おかるの配役は・・・私的にはちょっと、ではあるんですが(ゴメンナサイ)とりとめなくなってしまいましたが・・・間違いなく一つの時代が過ぎ去り、世代交代したのだと強く印象付けられたニュースでありました。雀右衛門丈のご冥福をお祈りいたします。
2012年02月23日
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クチコミテーマと若干(だいぶ?)ズレはあるのだけれど 歌舞伎関連だからということで(苦笑)日曜日 友人と会った際 16日に観たばかりだというのに演舞場の昼の部の演目が「鳴神と土蜘蛛で あと一つなんだっけ?」とどうしても思い出せずにいたのを「河内山よ!」と教えてもらい「あぁ、そうだった」と・・・大好きな仁左さんの演目なのに・・・とつらつら考えて 思い至ったのが「河内山という演目があまり好きじゃないから 忘れちゃったのだ」という結論でした江戸ものの演目に苦手意識があるのかもしれません(爆)「め組の喧嘩」なども 面白くは観てるのだけれど どこかしらで「こんなつまらない(失礼)ことに意地を張って命かけちゃうのかなぁ」という意識が根底にあるような・・・要は「火事と喧嘩は江戸の華」を 後付けの知識では知っていても、根っこの「粋」に同調しきれない関西人気質なんでしょうかねぇ?代わりに(?)「曽根崎心中」や「女殺油地獄」のようなどうしようもないぼんぼんの「情」の世界はしっくりくるというか 違和感はあまり感じないのです「関東の気質にも触れてほしいから」と東京の大学へやってくれた母(横浜生まれで12歳くらいまでは横浜育ち)ふれてはみたものの 根幹の関西人気質はいつまでもということなのかなぁ・・・
2012年02月21日
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2月5日付け 朝日新聞声欄に「農村の葬儀事情も変わった」という投書がありました。いわく葬儀業者による施設での葬儀が一般的となり、自宅での葬儀がすっかり影を潜めた。以前は近隣の知人の訃報に接して、とりあえず忌中見舞いに馳せ参じ、個人の生前をしのび、装具用品を手作りで調達し、近隣の者同士が葬儀のしきたりや昔からの伝統を話し合いながら伝承してきた。この弔いの儀式には、厳粛の中にも人と人の助け合いの心と、相互扶助による心の絆があった。何物にも代え難い大切な行事だったと思い返す今日このごろである。あぁわかってないなぁと投書主をみると 案の定(爆)高齢の男性。暇を持て余したじいさんの発想だよ・・・いまどき 共働きでない世帯がどれだけあると思ってるのかしら???役割分担から始まって 野菜やその他もろもろの買い出しに調理・盛り付け・振る舞いと最低3日は 自分の家の家事どころではなく ほぼ1日中拘束されることがどれだけ負担かそういう地域の会社は 組内で葬儀があるといえば休むことはしかたないと了解ができているとはいえ それがどこまで通用するかは・・・それは喪家の方でも同様で 昔ながらの自宅葬儀の2~3年後に葬儀社での葬儀をした家の奥さんは「楽さ加減が段違い。自宅葬では気ばかり遣って・・・」と本音をもらしてたもの。当日の振る舞いから 忌明けにもお返し配りに組内をまわってと「大変だな~」と感じました。お香典は同金額が手伝いのお礼として返された上のことなので 忌明けの品は実質持ち出しだったと記憶してます・・・その分 お供えをあわてて持って行ったはず(笑)お通夜に「組内の女子(おなごし)でお念仏を」とご詠歌(?)のコピーを手渡され 節回しもわからないのでかろうじて知っている人の後追いでしどろもどろに唱えて 「こんなたよりないお念仏では 成仏できる人も迷ってしまうよ・・・」と内心思ったことも遠い思い出。昔(その時から10年くらい前?現在からは20年前くらい?)までは 49日まで7日ごとにお念仏をあげに集まったけれど最近はしなくなったと聞いたのもその席ででした・・・昔を懐かしむのはけっこうですが 葬儀社の葬儀が主流になったのは社会環境的にもそうなるのが当然なのだと私は思います。先祖代々その土地に住んで 専業農家ばかりだった頃とは違うんですから。引っ越してからあまり日がたってなくて この昔からの自宅葬儀に遭遇?したので その時私の頭に浮かんだのは「五人組」「結」という単語で、「ここはまだ江戸時代なの?」と思ったことも 今となっては「そうだったなぁ~」という思い出です 農業主体だった居住市では いまだに「嫁はただで使える下女」のような意識のご老人がけっこういるように聞いています。「嫁にも人権はある」とは決して考えないようです(苦笑)
2012年02月10日
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いつもながら 放置状態のこのブログですが、とりあえず年明けのご挨拶兼生きてるよ報告(笑)自宅に戻ると 炊事・洗濯ととたんに通常生活になってお正月気分はどこへやら。かろうじて TVで箱根駅伝を見ているので まだまだお正月なんだとかろうじて意識をもてます今年はどんな年になるでしょうか?実りある1年にしていきたいです。
2012年01月03日
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ミニシアター系の作品は 東京他主要都市で上映が終わって忘れた頃にやってくるのが静岡の常。そういう中で 観た原発関連映画は「チェルノブイリ・ハート」「100000年後の安全」「あしたが消える」」の3本。どれもがそれぞれに観た後「う~~ん」と考え込まずにいられない映画でした。現在の人類の科学水準では処理できない放射性廃棄物。相続放棄できないとんでもない負の遺産をこれ以上増やし続けるべきではないと私は思います。そもそも 『安全性の保障を担保できない原材料でとりあえず今の人々のために発電できりゃいいや、できた廃棄物の処理は後の世代の人々にまかせま~す』でどんどん推進できるということが恐ろしいのですが・・・「国内の脱原発と原発の輸出は矛盾しない」と枝野さんはおっしゃいましたが なぜそんな論理になるのか到底わからない 「チェルノブイリ・ハート」のベラルーシの子どもたち 生まれつき重度の疾患をもって生まれる子ども。現在でも新生児の85%が何らかの障害をもっているという現実。フクシマの事故の直後から繰り返された「ただちに健康被害はない」ということば。裏返せば20~30年後に生まれてくる東北(or日本全般?)の子どもたちが ベラルーシの子どもたちと同じ状況になる可能性は十分にあるということ???と考えてしまいました。「あしたが消える」22年前に公開された映画の最後に もしチェルノブイリ級の事故が福島原発で起こったらと想定しての 日本全土が汚染地区という図が まさに予言になっていたことに「うわぁ」と思わず声が出てしまいました・・・広瀬 隆さんがこの映画のパンフに原稿を載せてます。(チラシ裏の文にもなってます)以下引用しますと現在の日本は、当時のソ連よりおそろしい日本人の愛国心と放射能に対する無知のために、大量の被爆者が汚染地帯で過ごし、子供たちが学校に通っているのだ。7月2~3日にいわき市、福島市、郡山市で放射能の危険性についての学習会が開かれた。会場を埋めつくし、不安に満ちた父母を前にして、この作品を観る前の私は、県内がどれほど危険な状態にあるかを説明しなければならなかった。そこで語ったことこそ、この作品『あしたが消える』が描いた内容そのものだったのである。それはつまり、これから何年後かに、何が起ころうとしているか、である。私は何度も、涙をこらえきれずに話さなければならなかった。22年の星霜が流れるあいだに、われわれ日本人は何を忘れたのか。原発で働く被曝労働者と同じ条件の汚染地帯に、福島県内の学童が生きている今、この秘蔵されていたドキュメントは、誰の胸にも突き刺さる問いを発してくる。正直 最初にこの文を読んだ時 「汚染地帯で過ごしている」という表現は本当にいいのだろうか? 福島県内の人がこの文を読んだらどんな気持ちがするのかの配慮は?とどぎつさに怯みました。けれど、その後友人と話していて「通常の原発稼働時でも低線量のものは出ている。その影響が及ぶ範囲は100マイル(160キロメートル)とされている。日本の原発で考えるとどこもかしこも近くの原発からすると160キロ圏内。要するに事故がなくともずっ~と日本全国は低線量汚染地帯。放射能に対する耐性(?)は個人差が大きいものだから たとえ同じ線量を浴びたとしてもがん化する人もいれば しない人もいる。腹をくくって 食べ物に気を付けつつ生きていくしかないよ→だから観ておきたいものは観られるうちに観ましょう」ということになりました 朝日新聞3面に10月から「プロメテウスの罠」という連載記事があります。これを読んでいると 腹立たしいやら情けないやらでどうしようもなくなる時もあるのですが・・・例えば11月24日の記事 8月に二本松市のゴルフ倶楽部が東京電力に汚染の除去を求めて仮処分を東京地裁に申し立てた。責任者の東電が除染をすべきであるという申し立てに対する東電の主張 原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電は除染に責任をもたない。え~~、そうなるんですか・・・10月31日に裁判所はゴルフ場の訴えを退ける決定を下したそうです。除染の責任は国にあるから 国(と東電?)が行うべきという理由のようでした(25日の記事でうろ覚え・汗)なかなか動かない国に業をにやしてゴルフ場側が仮処分申請をしたらしいのですが。この連載は切り抜きしなくちゃと思いながらも 日が過ぎ去り・・・で気がついた分だけは切り抜いて取ってありますが、ちゃんと読み返したいと思っています。
2011年11月25日
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この「気になる」は良い意味ではなく悪い意味で・・・東京の文楽公演を かかる月にせいぜい1回観る程度なので 頭巾の形で「あれは○○さん」とわかるような通にはとうていなれません。そんな私でも 観るたびに「う~~ん」と思う左遣いの方がいます。同一人物かどうかは上記の理由でさだかでないのですが(苦笑) そんなことで気になる人は公演内で1人くらいなので同一人物なのかも?という気がしてます。何が気になるかというと ずばり「よそごとをしてるから」主役級の人形の左ですし、人形の形が崩れるわけではないので それなりに修行を積んでる技芸員さんだと思うのですが・・・鼻のあたりをさわってみたり、体の方向があらぬ方向だったり と「よそごと」はいろいろなのですが とにかくそっちが気になって物語に集中できなくなってしまうんですよ(観る方が集中してないからだと言われれば それまでですが)観る方も修行が必要かしらん。
2011年10月03日
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昨日はこのニュースでびっくりし、今日はワイドショーで会見の様子を見たりしてました。香川さんのご子息が 團子の名前を継ぐということはもれ聞いていたのですが、まさか香川さんご本人も襲名するとは香川さんが実力のある俳優さんであることは十分承知してますが、「歌舞伎俳優」としてどうなのかということはまた別問題。どんな舞台をみせてもらえるのか なにはともあれ来年6月の舞台が楽しみです。「出口のない海」の試写会での香川さんの発言から いかに「歌舞伎」「歌舞伎座」というものに思い入れがあったかはうかがいしれましたが、ご本人が「歌舞伎役者」になろうとはちょっと想像しがたくもあったんですよ・・・ワイドショーでは もっぱら香川さんのことに終始して 亀治郎の猿之助襲名は脇に押しやられてしまった感がありますが(苦笑) こちらも「あぁ~、そうきましたか~」という感じでしたおもだかやにとってはまことにおめでたいこと ではありますが 梨園ではやはり血縁が重視なのか とも香川さんが中車という名前を継ぐ ことは團子となる政明くんの後ろ盾の意味合いも大きいんだろうなぁと想像します。門閥打破 と研修生を主役に抜擢したり 21世紀歌舞伎組を育ててきた猿之助さんですが猿之助一座のなかではそれでよくても 梨園全体からすると血縁・門閥重視に結局はあらがいきれなかった・・・という感じがいなめません。現猿之助さん自身が 祖父・父を相ついで亡くして弟段四郎さんと共に苦労してきたからこそ 香川さんが梨園に入ることの大きさも知っているのでしょう。血縁・門閥重視が悪いことばかりでないことも十分理解しています。舞踊や楽器を幼いころから稽古することによって 歌舞伎役者の基礎ができあがっていくことは その期間がなかった獅童が歌舞伎役者としてはこころもとない ことでも証明されてますし(ごめんね、獅童さん)ほかの例では 團十郎さんが「鹿鳴館」を演じた時、天骨と会話しながらお茶をたてるしぐさがなめらかで「あぁ、茶道の素養も身についてるからこそ」と感じ入りました。若い頃 ほんの少しだけお茶を習いましたが、お稽古の時いつも「次はなんだっけ?」だったもですから(爆)←自分と比べるなんておこがましいの極み四季版の日下さんではお茶をたてるなんてことはしてなかったはず・・・ ただ 江戸時代では芸がある人を養子にして大きな名前を継がせることも多々あったように記憶してるし 庶子が立派な歌舞伎役者になることもあるので 今のまま血縁重視だけで梨園が続いていけるのかな?という小さな疑問ももっています。現代では 正妻の子どものみ(?)が御曹司ですしね。倫理的にはそうあるべきだと思っていますが、先代勘三郎のような例もあるし・・・先代勘三郎は 出自のことで何か言われて腐ってた時「おそれおおいが 天子さま←大正天皇 だって妾の子だ」となぐさめられたことが気持ちを立て直すことにつながったというような記事を読んだことがあります。今までおもだかやを支えてきた右近や段治郎といった人たちががこれからどうなっていくのかも見守っていきたいと思います。右近が芯では 集客力に難があったであろうことも事実でしょうが猿之助奮闘公演の熱気が また蘇るでしょうか亀ちゃんの初お目見えだった千本桜の通しで手に熱を持つくらいに拍手して それから伊達の十役や布引滝 骨寄せの岩藤などを夢中で観た頃が思い出されます。ろれつのまわらない猿之助さんが 口上の文句だけはすらすらと口をついで出たのにもぐっとくるものがありました・・・ それと 浜さん よくぞ許してくれました母の偉大な愛ですね映画のアンフェアを見ていて 今さらながら照之さんの目元はお母さんそのものだわと驚きました(笑)
2011年09月28日
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「寿式三番叟」開場45周年を寿ぐ幕開きにふさわしい演目でしょう。3等席の端席から観たせいもあるとは思いますが 一輔さんの三番叟の左遣いさんが残念なことに・・・三番叟は 左袖を巻き上げるしぐさが何度も出てきますが 思い切りが足りないのか(?)上手に巻き上げられなくてその都度 直す→袖を下した時に形がおかしくなっている(ななめ?)→袖の形が崩れているのでまた巻き上げがうまくいかない と悪循環に陥ってました。そのため 左遣いさんの背中で 三番叟の人形が全くみえないことも。足遣いさんも腰が立っちゃって 3人ばらばらで遣っているようにみえてしましました。動きが多い三番叟とはいえ 幸助さんの方の三番叟は3人がよりそってみえたので(通常の形?) 差が出てしまった感じがしました。「伽羅先代萩」政岡の心情にシンクロできなかったので ずいぶん退屈な幕になってしまいました歌舞伎では誰が政岡であろうとお家のためにわが子を犠牲にした政岡の悲嘆に こちらも同調して泣かずにいられない演目なんですが・・・防音ガラスの向こうで 政岡の人形がどうやら愁嘆場を演じているらしいなぁ という感覚で観ていました。なぜそうなったのか???お家転覆を狙う一味の連判状をネズミがくわえて逃げ去る → 御殿の下で男之助がそのネズミを足で抑え込んで 眉間に扇で傷をつける →男之助から逃げたネズミが 仁木の正体を現してすっぽんから登場 →不敵ない笑みを浮かべた後仁木の引っ込み(これが 口伝を逆手に取った猿之助の宙乗りだったら最高) という流れが お芝居的に大好きなので それがないことにガッカリ感が増したのかもしれません(苦笑) 「近頃河原の達引」三味線を弾く人形の手が上手にできてるよなぁと感心しきり。もちろんこの演目用の特殊な手だそうですが。源大夫さん 途中休演もありましたが復帰されてなにより。もうかなわぬことになってしまいましたが(それだから余計にそう思ってしまうのかもしれません)腹から力が出る声で聴きたかったなぁ~と思います。20数年前はどうだったのか?あの頃の記憶は 文楽を観にいったことがある 狐忠信の宙乗りにびっくりした 清治さんの御髪も黒々してたくらいで大夫がどうだったかは・・・(汗)お猿さん可愛かった(そこしか覚えてない私の記憶って・・・)
2011年09月12日
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練習場所の予約が取れなかったからとコーラスが中止になり、ならばと映画館へ行ってきました。原作は未読。この映画に描かれていることは浅田次郎さんの創作ですが、少女たちが自ら死を選ぶといったことと似たことはあっただろうなぁと思わせる内容でした。年とともに涙腺がゆるくなってきているので、この映画でもグスッときました。近衛第一師団・少佐 真柴役のの堺雅人さん 東部軍経理部・主計中尉 小泉役の福士誠治くん 曹長役の獅童さん 平和主義者の教師・野口先生役のユースケ・サンタマリアさんとそれぞれがぴったりとはまっているのも 映画にひきこまれていく重要な要因になっていると思いました。特に たたき上げの軍人の役をやらせたらピカイチの(?)獅童。よかったな~、いい演技だったなぁと思うにつけ ムリして歌舞伎をつづけていくこともないのにとも思ってしまうのでした。ご本人は 「自分の芯は歌舞伎役者であること」と固く思っているのは知っているけれど・・・歌舞伎役者としての獅童にはここまで「いいなぁ~、素敵だ」と思うことがないのがねぇ・・・泣かされて重い映画 でも観てよかった と充実した心持ちで映画館から出られた映画ではありましたが 「はて?」と思うこともいくつか。真柴に命令を伝えに来る謎の軍人。2・26事件の兵の様な旧式のマントをはおってと台詞でも映像でも表わされていましたが。2・26事件=理不尽な軍国主義の象徴 というのは短絡的な感じがしました。5・15事件、2・26事件と続いていく流れの中で 軍部の暴走に傾いたことは事実だと思う(そう習ったとも思う)のですが 澤地久枝さんの小説やNHKの2・26事件時の電話傍受記録ドキュメントなどで 反乱を企てた将校に貧しい東北地方の農家出身者も多くいて東北の困窮生活を愁い、同時に政財界の癒着に憤りを感じていたこと 若い将校たちを焚きつけた中堅幹部(?)たちは事件を起こさせておいて いざとなったら自分たちは知らぬ存ぜぬで梯子をはずして 反乱軍鎮圧に動き 事件後は軍部独裁の先鋒となっていったと聞きかじっていると なんかモヤモヤ。読みなおしをしてないので間違った認識かもしれませんが・・・余談ですが母に言わせると 2・26事件の日は横浜でも雪が積もっていて寒い日だったそうです。祖父が帰宅して「どうも東京で大変なことが起きたようだ」と言っていたのが 後から考えると2・26事件の日だったとか。祖父は 近衛兵だったこともあったので「近衛兵が前線に送られるということは 日本は戦争に負けるということだ」と敗戦前(いつごろかは不明)に母に話したそうです。軍国教育のまっただなかにいた母は「日本が負けるなんて。なんてこと言うのだろう」と憤慨したようなのですが、祖父が正しかったんだよねぇと私に昔語りをしてくれました。(母は昭和6年生まれ)四日市で奉仕作業に行っていた工場が空襲され 反対方向へ逃げていたら死んでいた(祖父母は 母は死んだものと諦めてたようで、家に帰ったら「生きてた」と喜びとほっとしたゆえの脱力で迎えられたとか)という経験をした母と 空襲はあったものの命の危機とまではいかなかったらしい父とでは 同じ戦争体験者でも緊迫度が違うと子ども心にも感じたものでした。じかに体験した人の言葉の重みは大切に受け継いでいきたいと思います。といいつつ、自分の子どもには話してないかもしれないなぁ・・・自分の財産であると主張してたマッカーサーが 財宝を守っている女学生の遺骨の姿を見て「このままにしておこう」というのも それほど説得力がなかったような・・・(汗)投降を促しているのにかたくなに拒んで自死に走る日本人を 米兵はその思考を理解できないでいたし、怖れもいだいたのは事実ですが それと映画の中ではうまく結び付いてはいなかった気がします。 パンフでは「『日本の未来のために』という一つの強い思いがあったから 厳しい任務を遂行できた。その思いがあったからこそ この映画で描かれているのは決して悲劇ではなく、勇気と希望のメッセージなのだ」と結ばれているのですが、私はどうもそちらの方の受け止めは失敗したようです女学生の霊が孫娘やその婚約者にも視えたのもなんだかなぁ・・・それに「できちゃった婚」云々はいらなかったと思います。と不満をぐちぐち書きましたが、映画館を出るときに感慨深かった映画であることは間違いありません。
2011年09月07日
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2日の昼の部と26日の昼夜で観ました。2日昼の部は都民劇場でその日の扱いがあったので申し込んでみたものでした。自力での手配はたいてい筋書きに舞台写真が載る20日以降にすることがほとんどなので 初日のにぎわいは「へ~っ こんな感じなんだ」と妙にうきうきしました 海老蔵復帰の舞台 ではあるものの個人的には「無期限っていってたのに7カ月で?まだ早い、1年は出させるべきでなかった」と思っています。松竹のドル箱だから なにがなんでも早く復帰させたかったんだろうな~という台所事情もうかがえますが・・・子どもの誕生というお祝い事と同時期にすれば批判もかわせるっていう感じもいただけない 「勧進帳」初日で富樫が登場した時の拍手の凄さ う~~ん、やっぱり待ち望んでた人が多いってことなんだろうなぁとは認めますが。(私は 拍手しませんでした)丁寧に演じようとしてたのは感じましたが、ところどころで変な♪になっちゃうくせは改まっていなくて 謹慎中にせりふ回しまでは練習しなかったのかとがっかり・・・姿はとても美しいので せりふの高音部分でおたまじゃくしが飛び交うことがなくなれば鬼に金棒なのではないでしょうか。悪口(?)はいうけれど静止画像の美しさで 舞台写真はついつい2~3枚買ってしまう私です(舞台写真は ご本人が厳選したものしか売りだされないですし)昼の部のメインは「勧進帳」と松竹も考えたんでしょうが 千秋楽でみていて近年観た中で一番つまらない勧進帳だったのがまず前半。どこからともなく聞こえる地獄からのうなり声(鳴り物さんの相の手?)で陰々滅滅とした気持ちにさせられてしまうのがなんともいえず。その声が 台詞と重なるので 台詞も何言ってるんだかわからないわ 気分は下がるわのWパンチ 勧進帳で唸り(?)声が気になるほどというのは初めてだと思います。山伏問答も 本来丁々発止と弁慶と富樫の気迫がぶつかりあうところが観客もワクワクする場面のハズが どうも團十郎弁慶と海老蔵富樫がかみあわなくて・・・團十郎さんの声が 音量的には3階まできちんと届いているにも関わらず 台詞に魂がこもってないというか ふわふわした感じに聞こえてしまってしかたありませんでした。「わが心の歌舞伎座」で飛び六法で鳥屋口へ入った後、長い通路を経て楽屋へ戻ってもまだ息のあがっている團十郎丈をみて 「弁慶を演じるのは本当に大変なことなのだ」と思い知らされましたし 大病の後そこまで復活された團十郎さんはすばらしいと思っています。成田屋として弁慶を演じないわけにはいかないでしょうが、私は團十郎さんの弁慶はしばらくパスしようかな・・・という結論になりました。 「楊貴妃」楽日にラストを思い出そうとしたのですが、まるっきり記憶になし(爆)笑三郎・春猿・芝のぶの姉妹の印象が強烈だったのと李白が出てきたな~とは覚えてたんですけどね。寝てたわけではないと思うんだけど・・・演劇界9月号の白黒舞台写真でみると 本当に海老蔵はこういう「愁いの貴公子」をさせると映えるよな~とため息がでるくらい。鼻にかかったというのか高めのういたような台詞の声も「愁いの貴公子」だとぴったりくるこの戯曲が面白いか?と問われると 「う~~ん」といったところですが この海老蔵はよかったです。 「春興鏡獅子」弥生部分はとても丁寧に踊っていたと思うのですが 出てきただけで「大男だなぁ」と顔立ちからどうしても印象が暗くなるんですよね。歌舞伎座さよなら公演での 勘三郎の恥じらいながらも可愛らしい弥生が強く記憶に残っているのでよけいにそう思ったのかもしれません。後シテの獅子 毛振りが始まって早々に「きれいじゃないなぁ」とがっかり振った円(?)が小さくて毛先も丸まってしまって そしてなにより「迫力」「気力」がちっとも感じられませんでした。なんだろう、ただ漫然と振ってます というような(毒)なのでしらけてしまって・・・どうでもいいわ(爆)な状態に。「あぁ、これは回数勝負なんだな」と途中で気がつきましたが、そんなの見せられてる方はちっとも面白くないんですが。終盤に向かって 鳴り物のテンポが速くなる部分にきても 勘三郎の時のような劇場全体が熱を帯びる高揚感はちっとも感じられず。喜んで拍手してる観客ももちろん多くいらっしゃいますが 私は拍手する気になれませんでした。やたらに「にらむ」というか「目をみひらく」のもどうなんでしょうかねぇ。「睨んでご覧にいれまする」の狂言なら 縁起ものでもあり嬉しいんですが。 「江戸の夕映え」壱太郎くんがけなげでかわいくて となんかそちらに気がいってしまってました。
2011年07月26日
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二人禿はパスかな?と思ってたのですが、タクシー乗車したので半分は観ることができました。歩きでしか演芸場からの裏道(?)を利用したことがなかったので 進入禁止でぐるっとまわったのには青ざめました(時間も料金も・・・)大人数(5人)で声をあわせるのがなかなか大変と希大夫さんが話してくれた二人禿。最高音のところ(?)は聞き逃しましたが、そろってたと思いました。小劇場へ入ってみて お客さんが少ない(というと語弊がありますが、要するに空席がかなりあった)ことにびっくりしました。前回(2月)も空席があるなぁ~と感じましたが・・・震災以来 これまでの経済状況もあいまって世間一般の娯楽へのお財布のひもがより固くなったように感じます。狂言立ても「生写朝顔話」はしょっちゅうかかってる感じがするのも影響したのでしょうか?朝顔話をきちんと観るのが初めての私でさえ また朝顔話なのかと思いましたからねぇ。絵本太閤記文雀さんは 段差の昇降などは4人遣い。記録映画で主遣いの腰を支えてというのは見たことあったのですが・・・お加減よろしくないのかしら?と思ってたらこの公演後体調を崩されて休演に。お大事になさっていただきたいものです。(大夫さんには失礼ながら)絶賛するブログに「?」と感じていた英大夫。語りだしを聴いていて、初めてと感じるものがありました。語られる情景に色彩があると。(東京で文楽公演がある時に各部1回・義太夫のCDは持っていないので 義太夫にふれる機会が少ない者の個人的意見です)これが 英大夫が技巧的と言われるゆえんなのかなぁ・・・と思いながら。でも、後半には いつものように「聞こえない」部分がたかが3~4分の「YELL」(合唱版)を歌うだけでヘロヘロになるのが偉そうに言うことではありませんが、プランタン講座の発声教室(?)での英大夫に接すると「どうして床で聞こえなくなっちゃうのかなぁ?」と常々不思議に思っていたのです。他の大夫さんでは「聞こえない」と思うことはないだけに。英大夫はスタミナの容量が小さめなんでしょうか?音が呑み込まれても文脈で「こうだろう」と追っていける言葉ならいいのですが、活用の途中なのかそこが聞こえないと文脈が取れないというところでもそうなってしまうのが 英太夫の弱点のように思われます。聞こえないので 「なんていってるの?」とあわてて字幕を確認するはめに・・・そこまで作り上げられた義太夫の世界がぷつっと切れて 「字幕を追う」という行為でこちらの集中力がなくなってしまう。私が 英太夫の義太夫がいいと思えなかったのは何回かあるその途切れのためだったとあらためて認識しました。すべてのお客さんが義太夫に精通していて声量の足りない部分を脳内補完できるのならいいんでしょうが・・・燕三さんの三味線の迫力に圧倒されっぱなしでした。そのメリハリにも。 生写朝顔日記外題はよくみかけるけれど、ちゃんと観たことのないお話でした嶋大夫さんが熱演だったのですが、すみません、嗄れ声でない深雪ちゃんで聴きたかったなぁとつい思ってしまいました・・・呂勢大夫さんの若々しい良く通る声 でも単調もしくは平板?でも若手のうちはまず 声をすみずみまでいきわたらせること第一でいいのだろうと思いました。情が加わっていくのは年月を要してそうなっていくのだろうと感じました。
2011年05月13日
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東海テレビが2010年にテレビドキュメンタリーとして東海3県で放送したものを未公開シーンを加えて劇場公開したもの。「戸塚ヨットスクール事件」から30年。戸塚宏校長は2002年の最高裁判決で6年の懲役が確定。2006年に刑期を満了し、現在はスクールに校長として復帰。子育てに悩む保護者や教育関係者向けに行われる講演は年間70回に及んでいる。事件後、訓練生の数が減った戸塚ヨットスクールは赤字経営となった。現在は10名の訓練生が在籍しているが、激しい体罰は影をひそめ、日々のヨット訓練も昔のような緊張感はない。かつて訓練生は不登校や非行など10代が中心だったが、いまは引きこもりやニートなど半数が20代と高年齢化している。現代日本が抱えるニートの増加と高年齢化という社会現象が、体罰の代名詞だった戸塚ヨットスクールを直撃し、奇しくも現代ニッポンの縮図となっている。(パンフより)「体罰は進歩を目的とした有形力の行使だ」「人格がまだできてないから、体罰して人格を作ってやるんですよ。罰というのは、相手が進歩するためにやるものだ」という戸塚校長の持論にはとうてい賛成できないのですが・・・「体罰を止めたがために一体教育界に何が起こったのか。とんでもないことになったじゃないか。だから体罰は善だったんじゃないの?」という問いかけには ちょっと答えにつまります。何人かの訓練生のケースが紹介される中で 私に一番衝撃だったのは17歳の女子高生の例でした。家に引きこもり、リストカットを繰り返していた女の子。自傷行為のある生徒は受け入れない方針だが 途方にくれる母親をみかねて校長が入学を許可したとナレーション。入校して3日、この女の子は布団を干しに上がった屋上から突然飛び降りて亡くなってしまいます。母親は入校させたことを一生後悔しつづけていくのだろうか?と思ったのですが(私には)意外なことに両親の希望で スクールでお葬式がおこなわれます。「こんな死に方をしちゃいかんのだ」と涙をながしながら訓練生にさとす戸塚校長。無念さが伝わってきました。「死んでしまったことに一番びっくりしてるのは娘かもしれない」と話す母親に 「あぁ、このお母さんはよくわかってるんだなぁ」と思い、それだけにこの後の親の心を考えるとやりきれなさ、切なさでいっぱいになりました。心が病んでいる時の自殺衝動というのは 「覚悟の上」でなくて「ついふらふらっと」なんですよねぇ。もちろん「自殺」を考えるくらい心情的に追い詰められ、せっぱつまって辛いんですが それでもどこか「死んでみるのも一つの手」くらいに軽~く実行してしまう。自傷行為では本当に「死」に結びつくのは少数で たまたま本当に死んでしまう条件で実行されると「自殺」になる。この少女の場合 たまたま3階「屋上」で下が「コンクリート」だったから亡くなってしまったけれど 本人の意思としては「強固に」死んでしまおうと思っていたわけじゃなく 「死」を意識しながらも「飛び降りてみたら 今とは違う状況になる」くらいでしかなかったんじゃないか・・・と思いました。この「事件」でスクールにはマスコミが押し寄せるわけですが「どうして こんな悲しい子ができてしまうのか。その根本を追及してほしい」と訴える戸塚校長に 同調する自分がいました。スクールを卒業して就職したが長続きせず再入校となった29歳の青年。再就職先は 戸塚校長の知り合いの沖縄の農家。苗を植える姿が映し出されます。その後、植えたインゲン豆が収穫時期を迎える頃 その青年はいなくなっていました。2ヶ月で雇い主に何も告げずに姿を消してしまったいたのでした。そこらあたりが ドラマでない現実の世界を映し出していました。春になって新しくやってきた訓練生は 40歳の引きこもり・・・というところで映画は終わります。なんともいえない気分で映画館を後にしました。
2011年05月03日
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元四季の吉原バルジャンのデビューということで観てきました。光夫バルは がたいがいいので囚人で出てきた時もすぐわかります(そこは祐バルと同じ)歌声から受ける印象は 今井バルと似ている考えてみると 四季時代の光夫さん 私はほとんど観てなかったんだ・・・と気がつきました(爆)平井賢ほどではないにしろ、ブレスの時に「音」になってしまうのが気なるといえば気になるかなぁ・・・
2011年04月09日
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昨日 午前中に絵本と児童書 段ボール箱2箱分送ってきました。その後、HPを見たら仕分けに困る状況になったので一時送ってもらうのは中断させていただきますという告知がありました児童書については 再開を待つ分がまだ家にありそうです(笑)支援金も少しですが協力させてもらいました。ネット送金だと 振替口座への送金でも月5回までは料金がかからないと初めて知りました(無知ってダメですね~)振替用紙がきているベネッセでも 会員番号を入力しておけば使える技かしらん???手数料も回数を重ねると結構な金額になるんですよね・・・
2011年04月04日
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あちらこちらで 絵本を被災地へ届けようという運動が立ち上がり、現在では中止したところもあるくらいになったようです。 私にできるとしたらこれかな?という単純発想で 新聞記事で見た「ユニセフ」へ31日に問い合わせの電話をしてみました。25日に「ちっちゃな図書館プロジェクト」として募集開始をはじめた運動は 30日時点で絵本は想定を上回る量が集まり いったん募集停止。高学年・中学生向けの児童書は受付中とHPにありました。「絵本は受け入れ中止ということですが、低学年向けの読み物はどうなんでしょうか?」という問いに「絵本はもう十分な量が送られてきていて 受け入れ先も少ないのでお断りさせてもらってます」という返事で ちょっとズレてるな・・・と思ったわけですが。「高学年向けの児童書は?」には「新しく購入したものなら送っていただいてかまいません」と。HPには新品・もしくは新品にちかいもの とあったので「新しく購入したものだけですか?」と再度たずねてみたら「ええ、新しく購入したものを」とかなり迷惑そうな口調で断言されてしまいました。我が家の高学年向け児童書は ほぼ新品状態(泣)ですが 「新しく購入した本」ではないので 「新品に近いのですが・・・」ともいえず じゃぁ止めた!! と。仕分けに困るくらい集まり過ぎてしまったせいもあるとは思いますが、あんなにつっけんどんな対応って問い合わせなんかするんじゃなかったと後悔しました現在 仙台でこどもとあゆむネットワーク 横田やさん 岩手で 絵本プロジェクトいわて(すえもりブックスの末盛さんが中心) が受けつけていますね。こちらも もちろん汚れ、やぶれの目立たないもの 古いものはやめてください なのは当然なのですが お手持ちの本でもかまわないとなっているのに なんとなくホッとしました この運動を応援している 杉山亮さんのブログには 送る時のルールとして注意書きもありました。「もうよまないなと思うものでおもしろいものを」というのにウンウンとうなずき、「新しいものを買わなくてもいいです。それは義援金にまわしてください」というのに「被災地のこどもたちに絵本を手渡したい」という目的は同じなのに こちらの気持ちがこれほど違うものになるとは・・・絵本もピックアップはしてみましたが 「オモシロイ」と子どもたちが夢中になったものはやはりそれなりにくたびれてますし(苦笑)読み聞かせに活躍してくれた本は 開き癖をしっかりつけてあるなど本のコンディションには過酷な状況を強いてありますし明日 日の光の中でチェックしなおそうと思います。
2011年04月02日
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9時20分~13時の予定だった計画停電。卒業式は9時半開始でした。「いつ停電になるかわかりませんが、つけてみます」と開式直前に照明がつきました。9時40分に「バチッ」と停電。私は計画に基づく停電はこれが初体験でした。マイクだけが自家発電に切り替えられて式は滞りなく終了。1年生の時に亡くなった男の子も遺影で卒業しました。12時半過ぎに電気が回復。部活を終えたケロ1から学校まで迎えに来てほしいと電話がきて車で向かいました(計画停電が開始以来 もよりの路線は終日運休なので)自分の地域の停電は終わったけれど、車で出かけるときは出先の停電時間を調べておく必要がありそうだなぁと考えながら 交通量の多いバイパスを通過してもうすぐ学校というところまで来たら 信号がついていませんでした学校まで その信号を含めて残り2カ所だったのでまぁ支障なく帰ってきましたが・・・ケロ1も「停電してるというの忘れてさぁ」と15日に在住市の南地域と隣接町が夕方から夜にかけて停電しました。その時にバイパスを運転してた知人が「息子を迎えに行ったんだけどね~。途中から停電地域に入るから最初の信号では停電に気づいてなかったのよ。○○の信号でついてな~いってなってね~。それより怖かったのが いつもの調子で運転してる車ばっかりで バイパスじゃない道からバイパスに入ろうとする車は絶対に入れない状況だったのよだから帰り道は旧道を来たんだけど 交差点で減速しない車もいるからそれも怖かったよ~~警官の姿を1人も見なかったから 手旗で誘導してくれるのは都会だけの話かと思って もうすぐ停電じゃない地域というところまで来たら広場にパトカーが停まってて 警官がベスト着たり赤い棒を取り出したりしてどう見ても用意してる最中だったの。遅いってば」と話してくれました。停電中は運転したくないんだけれど、路線が運休中なので学校の送迎が車しか手段がない 終日運休が始まり 学校側は「連絡をくれれば鉄道利用者は自宅待機でかまわない。列車が動き出したら登校、その際遅刻扱いはしない」という対応でしたが、4月になったらどうするのかしらん?3月14日のJR東海の「計画停電に伴う明日以降の列車運行について」によると現在と同程度の東京電力の計画停電が続く間、在来線の以下区間については終日運休とさせていただきます 東海道線 熱海駅~富士駅 身延線 全線(富士駅~甲府駅) 御殿場線 全線(沼津駅~国府津駅)出来うる限りの列車の運行を計画しましたが、踏切の安定的動作の確保が難しく、毎日ダイヤ改正を行うような不安定な運行を強いられる ので終日運休にしましたとあるのですが・・・計画停電を理由にするなら 東京電力管内のすべての路線に上記のようなことがおきているわけですよねでも 都会では通常運行に近い状態が可能でローカル線では不可能なんですか。確かに都会の主要JR線には踏切はありませんが・・・16日からは ある程度の電源回路?が確保できたからと 東海道線は1時間に1~2本の運行になり、身延線は富士駅~西富士宮駅間で1時間に1~2本になりました。御殿場線は 終日運休のままです21日まで終日運休は決定しています。通常運行でさえ1時間にせいぜい2本の路線です。でも、通勤・通学者にとっては唯一といっていい公共交通機関なんです。バスは1時間に1本ある時間帯がまれという・・・乗車人数が少ない→赤字→運行本数減→不便だからますます乗車しなくなる というバス路線は 補助金がでているからなんとか運行が続いている状態です。毎年運行会社からは廃止が通告され補助金をつけてほそぼそ継続。計画停電が早期にしなくてもよくなる状況とはとても思えないので、4月以降が非常に心配です。御殿場方面から、三島・沼津の高校へ通う生徒はたくさんいます。ここから御殿場方面の高校へ通う生徒ももちろんいます。そういう生徒にどうしろというんでしょうか?近所で三島駅近くの高校へ自転車通学をしている男子もいるにはいますが 距離もさることながら高低差が半端じゃないんです急坂ではないものの だらだらとず~っとず~っと登り続けます(三島・沼津→御殿場方面) 在住市内でも赤ちゃんの健康相談で保健婦さんが地区名をたずねるくらいなんです。住んでる地区によって気候条件が違うから(爆)それくらいの高低差があります。せめて通勤通学時間帯だけでも運行してもらいたいものです影響を受ける人数が少ないところは、利益のない路線は終日運休でかまわない。節電協力にもなることだしといわれているような気がしてなりませんそれともうひとつ。電力需要ピークが日没後なのでなくなることはないでしょうが、できれば夜間の停電はなるべく早くに切り上げてもらいたいと切望です。15日の富士宮が震源だった地震 揺れが収まった時まっさきに思ったことは「停電中じゃなくて良かった」でした。静岡県の住民になってから一番恐怖を感じた地震だったので。電気の来ない中で余震に耐えている方々、停電中の夜間に余震にあわれてる方々には申し訳ない気持ちながら、 地震を考慮して2日間停電回避されたのは正直いって一息つけました・・・
2011年03月18日
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昨夜発表された計画停電。まずは自分の家がどのグループに属するのかがすぐにはわからず その後 つれあいが検索して第二グループと判明して安心(?)してしまったのがまず間違いのもとでした・・・ 給食センターが稼働中止にしたので明日はケロ2弁当持参です の連絡網のことしか頭になかったんだと今になって思います(第一グループの早朝時間を想定して悩んでいたのだから、第二グループとわかったのはかなり遅い時間だったんだな・・・)朝になって 電池の予備をみたら肝心の単一は無い子ども達のゲーム機の需要で単3単4は余裕なのに・・・日頃 ほとんど必要のない単1になっていたんだ・・・それでも以前は予備が全くないということはなかったんですが、やはり静岡に住んで18年気の緩みです当然 どこの店にも単1単2はあるはずなく・・・生協でハンドル充電もできる懐中電灯買っておいてあったのがせめてもの救い?(ものの数十秒しかもたないし、たった1本ではあるけれど)昼過ぎにはみてまわった2~3のスーパーで 電池・防災用品はもちろんのこと カップ麺・トイレットペーパー・お米などが完売状態になっているのには恐ろしささえ感じました。日曜日には防災関連用品は全部売れてたよという灯油係のおじさんとの会話、別の店では昨日カセットボンベ少し入荷したんだけど、2~3分でなくなったよというパートのおばさん 昨日 コンビニに寄った時点で「パンないね~」などとのんきに話してた夫婦(あると思いこんでいただけに電池のことは全く気にしてなかった)には 電池など手に入るわけはなかったのね~~~停電予定の18時20分までに夕食(洗いまで)を終え お風呂も用意しなくては・・・と私にしてはがんばりました 結果はギリギリ食器を洗い終えたかなというところでしたが、これが毎日となるととてもムリ・・・結果的には2回目の18時20分~22時予定の停電も中止になったわけですが、はっきり市の広報で中止が発表されたのは20時7分。それまではまだ供給されてるからなくなったということなのかな?と思いつつも急に停電になっても文句はいえないし と生殺しな気分で非常にストレスフル状態でした5時半に流れた市の広報でも「18時20分から計画停電が予定されていますが、いまだに東電から(実施かどうかの)情報がきていません」と ぼくのせいじゃないもん知らないよ とでもいいたげでしたいまだにライフラインが全滅という東北の被災者の方々のことを思うとこんなことで不満をもつのも傲慢ですが。でも、せめて実施かどうかの情報は迅速にお願いしたいと切望します
2011年03月14日
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東劇でみてきました。土曜日ということもあってか、ぎっしりとはいかないまでもかなりの観客数でした。年齢層もかなり高め(笑)休憩はさんで3時間弱という時間的には長めの作品ですが、観てるとあっという間(これはオーバーかな でも飽きさせないで最後まで観られます)休憩も「休憩」や「intermission」でなく「幕間」(まくあい)と出るのが嬉しい幹部俳優のそれぞれの思い出話に舞台の映像。間に 大道具さん、小道具さんや番頭さん、3階さんといった舞台を支える人たちの仕事ぶりも丁寧にえがかれます。普段見ることのできない舞台の裏をみせてもらえて 歌舞伎の舞台はこんなに多くの人に支えられて成り立ってると感動ものです。歌舞伎に限らず何の舞台であれ または舞台でなくとも華やかなスポットライトを浴びる人たちの裏で 誰の目にもとまらないながらスポットライトの人たちと同じく真剣に一つの物をつくりあげるために働く人々が大勢いて それぞれに誇りをもって自分のなすべきことに精進している姿には胸がつまる思いがしました。楽屋やとんぼ道場やら 給湯室 とカメラが追っていくと こりゃ建て替えしなきゃムリだわと納得も。新しい歌舞伎座が 働く人々にとっても使い勝手のよい劇場になりますように。俳優個々のエピソードにもいちいち心が熱くなりました。猿之助の宙乗りの中で 狐忠信とともに大好きで口伝を逆手にとったような仁木の宙乗りと「黒塚」が観られたことが個人的なヒット長丁場で2000円という設定ですが 歌舞伎に興味がほんの少しでもあれば観てほしい映画です。それと ほんの少し歌舞伎をかじっただけで「歌舞伎なんてこんなもの」とたかをくくってしまった人にも 歌舞伎を見直すきっかけになるんじゃないかと・・・「歌舞伎なんか」っていう人には 「じゃあ13代仁左衛門の菅丞相を劇場で観たことあるの? 三か月通し上演した国立劇場の仮名手本忠臣蔵は?それを観たうえでいいなさいよ」と無理難題をつきつけたくなる衝動にかられます(爆)
2011年01月29日
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高速バスを利用していると、イレギュラーな出来事に遭遇することもたまにあります。一番一般的(?)なのは自然渋滞や事故渋滞。そのほかには 東京マラソン開催日なので通常ルートとは違う銀座まわりや、小山町の災害による通行止めで中央道まわりというのもありました。ドライバーが所用をたすために止まる予定でないバス停すぎたあたりで停車とかも(笑)この日は帰途でそれは起こりました。大和を過ぎたあたりで「ブー」という警報音が鳴り響く。ドライバーは何事も起こってないように運転してましたが(要は説明一切なし)止まるはずのない綾瀬のバス停を少しはずれたところで停車。「点検します」と降りて行ったドライバー。それこそ何事も起こらなかったように発車しましたが、あきらかにスピードは抑え気味。予定時刻からは30分遅れくらいで 県境にかかったかな~というところで ゴムのこげるような異臭がバス内に。「ヘンな匂いがするよな~」と乗客全員が思っていたに違いないのですが、ドライバーは「おかしな匂いがしますよ!」という乗客の声にも返事せず・・・そのうち、また警報音ということで バス停が近くになかったこともあって鮎沢SAに入って停車。オーバーヒートでこれ以上運行はできないということになりました。乗客にパニックを起こさせないため(?)なのか 状況説明をなかなかしてくれなかったのがどうなのかなぁ~。私は真ん中よりやや前方だったので気がついてなかったのですが、後部では水蒸気もうもうで後部に座ってた人は気が気ではなかった様子でした。身の危険を感じたバス乗車は初めてかも・・・1時間後に新宿駅出発、渋谷経由の最終便バスにSAによってもらって乗り換えということになったものの、肝心の最終便バスのドライバーとの無線連絡がなかなかつかずにいて 「このまま置いてきぼりになっちゃうんじゃないの?」という心配もしましたなんとか連絡がついてバス乗り換えはしたものの 本来は沼津行きのバスだったので(最終便は三島駅経由) 私の下車予定バス停から後のバス停が違うので高速をおりたところのバス停でまた別のバスを待つことしばし。「今日の払い戻しはどうなりますの?」と質問したおばさまがいて 「それもありえるのか」とやっと気付きました。ドライバーでは判断ができないので 翌日以降営業所へ個々に問い合わせをしてくださいということで普段なら回収される乗車券を証拠としてもって下車しました。渋滞による払い戻しはしないと注意書きにありますが、今回はバス会社側の不手際だからひょっとすると・・・という気持ちに。で、後日問い合わせして「原則乗車券と引き換えに返金」という返事をもらいました。 でも、本当は払い戻しを請求したいのは 寄る予定のないSAで別便のバス客を乗せるのに付き合わされ バス停で10分近く停車したまま別バスが来るのを待たされた三島便の乗客の方だと思いました。三島便の乗客の払い戻しにも応じたのかなぁ???
2011年01月20日
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現在中3のケロ2は「私、大学へは行かないかも」と言います。「どうして?」と尋ねたら「お母さんは大学へ行ったけど、今は専業主婦で大学へ行ったことが役にたっているとは思えない。だから必要がないと思う」という返事でした。子どもからはそうみえているのかという新鮮な(?)驚きと 痛いところかなというのもありましたが、私は大学へいかせてもらったことを感謝しているし、行ってよかったと断言できます。能動的に学ぶ また学ぶことの楽しさ ということは大学へいかないとなかなか実感できるものでないと思うからです。高校生の頃 「本当の勉強は大学へ行かないとわからない」と実の母が言うのを「えぇ~!」と不満げにいっていた(と母談)私ですが、大学ではじめて「本当に学ぶということは、自分で調べて自分で確立していくこと」と実感できたし、母の言っていたことが素直に腑に落ちたのでした。くずし字辞典を片手に 文書の一文字が読めたときの達成感といったら(笑)個性的な面々と知り合えたことも財産になりました。今ではほとんどの友とは年賀状をやりとりするのがせいぜいですが、楽しかったし会えば離れてた年月がふっとびますし。真鶴岬で遠くの島影を見ながら「さぁ、安房へ船出だ!!」と頼朝ごっこ(?)したゼミの仲間(いまでいうところのオタクですね・) 共通認識の上で遊ぶ楽しさ 父に「おまえは歌うたいと劇場巡りのために大学へ行ったのか!!」と呆れられましたが打ち込んだ合唱団活動と 今に続く観劇という趣味をもてたことも貴重な財産となっています。子どもにも そんな世界を体験してもらいたいんですが・・・ただ 最近TVで見た「中学生程度の復習をする」講座を別に設けて それが学生に好評だという大学は はたして「大学」という名に値するのかという疑問や 専門科目が始まって半年もしないうちに本格化する就職戦線というのはおかしいという問題意識もあります。おかしいと思ったにしても それに乗り遅れれば捨て置かれるとなれば就職戦線に突入せざるをえない今の学生はかわいそうだと思います。3年生から就職活動しないと・・・というのは 本来大学で学ぶべきこと をおろそかにせざるを得ないことにつながると思うのですが。企業も前倒しにすればそれに従わざるをえないとはいえ 本来の学業が二の次ってやっぱり変だとしか思いようがありません。
2010年12月18日
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連日ワイドショーを賑わせている海老蔵くん。他にネタのない時だったのが災いしてます?翌日の自分の座長公演の記者会見を体調不良を理由にキャンセルしておきながら、その夜飲みに出かけて暴行を受けて怪我したという発端からして 團十郎さんがおっしゃるように「自覚のなさ」そのもので・・・バカ息子の見本そのもの(毒)とここまで下書きした後の追記です(11日)期限を定めない謹慎となりましたが 本当に反省してほしいと切実に願います。「当分お酒を飲む気はない」と答えてましたが、この際断酒した方がいいと思います。断酒してください一般の人は知らないか覚えてないかでしょうが、歌舞伎ファンにとっては松竹座のことはまだまだ記憶に新しい出来事なのです。今回の代役を聞いて 「またですか」と思ったし 「二度あることは三度ある」「仏の顔も三度まで」という言葉がその時頭をよぎりました同時に 「松竹座の一件は この人には何ももたらさなかったのか」という残念な思いも松竹座の時も反省したはずでは???成田屋を背負う重圧は 一般人には計り知れないだろうとは思いますが・・・團十郎パパの闘病後 期するところもあっただろうし 結婚してよい方向に落ち着きつつあるようだとみえていただけに 本当に残念な出来事でした。海老蔵ほどの華のある役者はなかなかいないのは誰しもが認めていることです。謹慎期間中に 会見で言っていたようにこれからの生き方を深く考え、せりふ回しの鍛錬を積んでほしいと思います。松竹も 人気があるからと座頭公演にたよって結果として彼の慢心をまねいたことを反省してほしいです。愛之助にはがんばってほしいと思います。実際 がんばっているし評判も上々なのは松嶋屋ファンにとっては喜ばしいことです。反面 TV取材は ありがたいようなありがたくないようなという面もありますが前回「鳴神」の代役を勤めたことが 今年の鑑賞教室とはいえ東京での1カ月公演に配役されたことにつながっていると思います。「外郎売」は今後演じることはまずないだろうとは思いますが、口跡の良さをアピールして次につなげていってほしいものです。海老蔵休演でがっかりしたファンも多いでしょうが 私みたいに「今を逃すと もう二度と(らぶりんの外郎売を観る)チャンスはないぞ~♪」と(演目違い というよりジャンル違い・爆)南座突発を決めたファンもいるはず大名跡の家の御曹司として生まれて その重圧を一生背負っていかなくてはならない立場 と 歌舞伎の家に生まれたのではなくて部屋子から出発して1度の失敗で次はないかもしれない立場(しかも上方系)。どちらがより苦しいということはないでしょうが また背負うものの質は違うでしょうが芸道に精進していかねばならないことは同じです。他の歌舞伎役者さんともども切磋琢磨していってほしいと思います。
2010年12月04日
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初演を観ていないので、お友達にチケットを取っていただいての初ファントム。事前に某巨大掲示板もざっと目をとおし 「大沢くんのお芝居をみてね。歌は主演2人とも期待できないから。大沢くんの歌は上川くんとどっこいどっこいだと思っててね」というアドバイス(?)ももらって席につきました。 結果は・・・思い切り毒を吐きますが 私の偽らざる心境です・・・帰途で怒りがこみあげてきて仕方のない観劇体験は「オペラ座の怪人3000回記念公演」とこの「ファントム」ということになりました。「お金を捨てたな」と思う舞台は時々あるんですが、それは落胆と自分の選択誤りへの反省であって、ちょこっとばかりの「お金返して!」といういらつきが加わることがあっても、怒り心頭にはならないんですが・・・「ファントム」には 観ることができてよかったという思いも多分にあるので「金返せ」とは決して思いませんが、製作サイドには憤懣やるかたない思いで一杯です。なぜクリスに彼女をオファーしたのだろうか?彼女の歌を聞いたうえで なぜGOサインを出したのだろうか?高い料金を払う観客をなめきっていないか?巨大掲示板に「今後 梅芸のつくるものは観ない」という書き込みがありましたが 頭を縦に振って賛同です杏さんが 初舞台・初ミュージカルと承知してますが はっきり言って彼女のレベルで観客からお金を徴収するのはムリがあると思いました。素人なら歌が上手といえると思いますが、プロとしては高音はきれいに出ているところもありましたが、それとてその音程にあたっているけれど下から届いている状態なので 余裕とか音の厚みとかはない 声楽的な発声じゃないのがありありとしているものでした。途中で 思わず自分の首に手をやって締め付けられた胸から首にかけての緊張をほどかなくてはいけないこともありました最後エリックを送る歌声は 耳に聞こえてきてほしくない シャットアウトしたいとさえ。その前の篠井さんの歌声も(申し訳ないけれど)いいなぁと心に沁みてくるものではないので、 本来なら(?)感情移入してどっと涙があふれてくる場面でありながら どうにもそこまで入り込めなくて 半分しらけたような 感情移入したいのにさせてもらえないジレンマをかかえておいてけぼりをくったような気がしながら ちょっと離れて観ている気分でした せっかくの(?)クライマックスなのに・・・と、杏さんの個人攻撃のような感想にどうしてなってしまうのか 初舞台とわかっていてどうして寛容な気持ちで見守れないのか を悔しくて眠れぬ布団の中で考えてみました。そこでそれが「ほめたたえる台詞」のせいだと気がつきました1回くらいなら我慢もできますが 歌が終わるごとに「天使の歌声」だの「素晴らしい声だ」だの「伝説のディーバの再来」だのありとあらゆる賛辞のオンパレードの台詞。台本がそうなっているので役者さんはもちろんその通りに言うわけですが 聞かされているこちらは 実際今聞いたばかりの声が耳に残ってますから「え~っ、」「そんなことないでしょ」「はぁ~」とイライラと怒りがつのっていく一方(爆)「ミュージカル」誌上で ご本人が「賛辞を言われる設定なので、説得力のある歌声にしないといけないなと思っています」と答えてますが まるっきり説得力ゼロなのですから・・・ さらに「情熱大陸」を見た限りでは 「思ってはいたけれど努力できません(orしません)でした」のように受け取れましたので もうなんとも救いようが1幕のパリの街での 自分の押し売りの演技プランもクリスティーンというキャラクターには合致してないと思うんですがねぇ・・・モデルさんだけに長身で 同じく長身の大沢さんと並ぶ絵面(だけ)←ひどい言い草と承知していてもほめられるのはこれのみなんです は眼福でよかったです。本当にどこでもいいので音楽大学の声楽科で誰かをスカウトしてきてくれた方がよかったのでは?小池センセが井上くんを見出したように、センセーショナルなデビューの新人ということもありえたでしょうに。製作サイドがもっと観客側にたってくれてたら・・・話題性と販売効率だけでは・・・(あぁ、ため息しか出てこない)もちろんこのご時世ですからチケットの売れ行きを重要視したことはわかりますが。それにしたって 大沢くん目当てでチケットを取った人が大多数だと思うので(私もそのなかの1人) クリスが誰だったとしてもチケットは売れたと思うんですよね。え~っと 愚痴と不満はこれくらいにして。大沢さんファントム お芝居は申し分ありません 歌もあぶなっかしいなぁ、あっ惜しい!というところがけっこうありましたが それでも上川さんよりは上手いと思いました(上川さん ごめんなさい) ヴォイストレーニングに励んだ結果なんだろうと思える声量もありました 一般的なミュージカルの歌唱とは異なってますが それはそれでこういう歌い方なんだなと理解すればいいだけで。ALW版のファントムしか観たことのない私には 青年ファントム というキャラクターも新鮮でしたただ クリスに請われて仮面をはずしたのにクリスが去っていってしまった後の慟哭 は私にはぐっとくるものがありませんでした。余談ですが大好きな内野さんの「イリアス」の時でさえ 熱演のうっち~の慟哭にも心からの感情移入はできなかったんです。唯一同じ「イリアス」での平さんの慟哭の演技には引き込まれ 胸がつぶれる思いを同時体験しました。ベテランの演技の底力をまざまざとみせつけられた思いで圧倒されたの一言に尽きます。 ファントムとしては 求め続けていた母の声の持ち主に裏切られ 「子どもの心」で嘆くのだからあの声でいいのかもしれませんね。 篠井さんの背筋のピンとした元支配人の舞台を引き締める演技もステキでした。その後一転して 父としての愛情をせつせつと訴えるのも。 樹里カルロッタは 宝塚的歌唱なもののこれぞ敵役というキャラクターを鮮やかにつくっていたと思います。オペラ座を牛耳るのはこの私よという野心と自信とに満ち溢れたディーバ コミカル部分もそれゆえに笑えました。カルロッタの人間的な可愛さも十分に伝わってきました海宝シャンドン伯爵 耳慣れたミュージカルの歌い方で彼の歌でホッとした部分もありました(笑)ミュージカルとして一番オーソドックス 私 多分彼のヤングシンバ観ているんだろうと思います。子役から役者へ成長を遂げるのは ミュージカルだとさらに困難をきわめるんじゃないかと想像するのですが・・・これからどんな役をみせてくれるのか楽しみです。赤坂ACTはもともとの金額設定が高いので もっと段階を多くしてほしいと切に思います。今回 ケロ2が「私も観たい!!」と言いだし、直前になってようやく譲渡してもらった席がなんと最前列 それと2階F列が同金額なのは 2階F列からの眺めだけでいえば 新橋演舞場の3階とそんなに変わらないように思えるので 私の中での適正価格はせいぜい5000円なんですけど・・・オケは東宝のように(?)突拍子のない音が聞こえることもなく、よかったです音楽を聞きながら 最後の場面あたりでなぜか私の頭の中では「スウィニートッド」の曲が流れていました。後からパンフでみたら 作曲者は違うもののアレンジャーが同一人物。どこかしら似通う 通づる部分があったんでしょう。
2010年11月14日
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ご多分にもれず「ナイト&デイ」と音だけで聞いて コール・ポーターの曲とアステアのダンスを自然反射的に思い出してた私。「night」じゃなくて「knight」(騎士)であり 名前とひっかけてあると観た方のブログで確認してから映画館へ。カード会員サービスデーやレディースデーを駆使して 最近では映画は1000円でみるものというのが定着しました。で、この日もそういうサービスデー。古いタイプの映画館で画質は劣ってしまうもののやはり1000円の魅力の方が勝ちましたとてつもなくむだに贅沢なアクションシーン満載のラブコメという印象でしたが(笑) すごく楽しかったです腐ってる気分の時にみたら上昇間違いなし♪ うきうきハッピィ気分で映画館を後にできる1000円でみるのに手頃な映画でした。
2010年10月15日
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原作の漫画は読んでいなくて、映画館で配られてた小冊子でちょこっと予習。今をときめくイケメンたちを堪能しました 俳優さんたちはそれぞれに原作のイメージを真似たようですが、小冊子とほとんど同じ!!奇跡の様なコユキの歌声 上手いこと逃げたなぁ~とたとえ 誰のどんな歌声をもってきたところで万人を納得させることはムリでしょうから こうするしかなかった気もします(笑)帰国子女のキャスティングも 映画の中での英語の台詞がバッチリはまって忽那汐里ちゃんは私の中では「半月」の里香なんですが 英語の発音もさすがだなぁ~と思いました。公開前後の水嶋ヒロくんの引退騒動には驚きましたが、真相は所属事務所との確執?事後承認というのは事務所との関係を悪化させる最大の要因でしょうし、社会人としてはどうだったのか?とは思いますが 結婚会見に拍手をおくった者としては これからも姿をみせてほしいものだと思っています。
2010年09月27日
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意識して取ったわけではなく たまたまマチソワできる曜日だったので「イリアス」+「井上芳雄10周年コンサート」の日程だったわけですが・・・ 16日は内野聖陽さんのお誕生日でした。東京へ向かうバスの車中で 携帯をみてたら「フライデー」がなんとかかんとか???見出しだけみて う~~む途中で 立ち読みを試みましたが果たせず・・・舞台は楽しみましたし カテコで「よっ」とばかりに手をあげたうっち~に安堵(?)に似た感情ももちましたが・・・で、よちおくんのコンサートのゲストが一路さん。この2人ですから 曲はアンナ・カレーニナから。今でも一路さんはお美しいですが あの「アンナ」の時の尋常ならざる美しさを思い返すとついいろいろ考えてしまうわけですいくらブラック王子のよちおくんでも その話題はさすがに無しでしたが(当たり前だ)奇しくも お誕生日に それにふさわしくない記事であり 時間差があるにしろご夫妻の姿を見たフアンの一人としてはちょっと複雑な面持ち・・・でした。
2010年09月16日
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この日 一部から続けて二部を観ました。それゆえ強く感じたことがありました。第二部の「暗闇の丑松」「京鹿子娘道成寺」 チケットを取る時は正直言って松竹歌舞伎会のカウントを稼ぐためで 「丑松」に関しては地味そうな演目だなぁ~くらいのものでした。ところがどっこい、新歌舞伎の「暗闇の丑松」で 「あぁ、歌舞伎を観てる。お芝居見物に来ている」と感じたのでした。お芝居のコクというのでしょうか、舞台空間の濃密度? 滋味?だてに年月を重ねているわけじゃない中堅どころを改めて見直しました(上から目線だけど・汗)一部は時分の華であり、華やかでいいんだけれど、こういった味わいには乏しいんだなと。これは続けて観たからこそ感じとれたことでした。そして歌舞伎の面白さの多様性に
2010年08月27日
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今日は 低空飛行の飛行機が多いです。なんの演習だろう?まだ社宅に住んでいた頃、超低空飛行のヘリに驚いたことがありました。バリバリバリと言う物凄い騒音で、今にも社宅の屋根と接触するんじゃないかと思うくらいで・・・ 演習通報が毎日流れる土地に住んで18年。最初の頃は 演習の地響きや空砲音を地震や雷とよく勘違いしました。今でも 時々「雷かなぁ?」と迷うことがあります(笑)あのヘリの騒音を思い出すと基地近辺の住民の方の苦痛はいかばかりかと思います。
2010年07月19日
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1年に1度の沼津での巡業公演。3Aの値段にちょっと上乗せするだけで普段なら到底座れない前方席で観られるので 座組みが寂しい・花道がないということも所詮巡業公演だからしかたないと思えるわけですが・・・昼の部は後方に学生の団体が入っていたものの 夜の部はそれもなくて昨年と同様の役者さんに申し訳ないほどの入りの悪さ。あれなら小ホールで十分の様な・・・不況なんだなぁと実感します。それでも富士では同じ東コースで昼の部は完売表示だったのに。沼津近辺の住民は 歌舞伎には興味ないのかも。海老ちゃん襲名の時はキャンセル待ちの満員御礼だったのになぁ・・・2列目中央から大向こうなんてのも 巡業だから(苦笑)で、その方がネットで名前をよく見かける人だったようで声をかけると同時に拍手。1、2度ならいいのですが、それがずっと続くとなると話は別。拍手にもタイミングが必要ということを痛感しました。はっと息をのむとか ぐっと自分の胸の中にとりこむという余裕or余韻は一切なくたしかに そこは拍手がきて盛り上がる場面ではあるものの なんていうのかなぁ 余韻余白が全くない拍手がつづくと だんだんイライラしてきてしまって・・・もともと感情過多な幸四郎の台詞まわしがあまり好きでないこととあいまって 相乗効果(?)で疲れてしまって。飛び六法の頃には なんかもうどうでもいいやな気持ちに(爆)お芝居を観たという高揚感ではなくて いらいらと疲れとは歌舞伎を観終わった後で あんな感じは初めてだったかも。この演目は私にはいまいちだったなというのではなくて 観に来なきゃよかったかもという疲労感昼の部と夜の部の間 ロビーで休憩してたのですが・・・そこで件の方と 別のお客さんのやりとりが 嘘か真か???4月~5月に件の方の大向こうに閉口した方々が 高麗屋に質問状を送ったということを某サイトで公表してました。高麗屋サイドからの返答では 件の方に依頼しているとか祝儀云々の関係は一切ない ということでしたが・・・「大向こうがないと舞台が寂しいですから 旦那に頼まれて巡業についてきてるんですよ。」とはっきりおっしゃっていていつからそんなご関係に?とつっこみたいくらいでしたが、もしかすると本当かもしれないと思わせるくらいの堂々たる態度でした。というか、普通嘘をあれだけ厚顔でばらまけないと思うのですが・・・また、文化会館の職員さんもポスターを手渡しながら「これからもよろしくお願いします」なんて言っちゃってるから幸四郎さんの熱烈なファンであることはわかりましたが、有難迷惑なファンの部類かと(失礼)巡業公演の感想などふっとぶくらい 釈然としないものが残る1日となりました・・・本当に疲れたので もう幸四郎さんの舞台は観に行かないほうがいいのかなぁが結論(笑)
2010年07月18日
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TV放送・ソフト販売一切禁止の条件で撮影された映画を 上映途中からの入場禁止の映画館でみました。 岩手県にある児童養護施設みちのくみどり学園に入所する虐待を受けたこどもたちと地域の人々の交流を『いのちの作法』の小池征人監督が綴った記録映画。毎年増加する児童虐待の社会的背景とともに、この施設ならではの取り組み、そして葦の若芽(葦牙)のごとく力強く生きているこどもたちの「受難と再生」に焦点を当てている。(宣伝チラシより) 始まってすぐに「現在、3日に1人の子どもが虐待によって命を落としています」というテロップが流れます。つい最近も新聞紙上で虐待死の記事を読んだなと思いつつも、えっ、そんなに多いんだとも思いました。虐待を受けた子どもはコミュニケーション能力が育っていないので 言葉で説明ができなくてつい 手っ取り早く簡単で(自分が受けてきた)暴力に訴えてしまいがちと実例が。施設職員が間に入って 双方の言い分を聞きながら辛抱強く 言葉で説明させるようにもっていくのですが・・・忍耐強くなきゃできない仕事だと頭が下がります。上手く説明できないいらだちも手伝ってテーブルをけっとばす子に 静かに諭しながら「本当に言いたいことは何なのか」を探っていく職員。そしていさかいの相手にもわかるように暴力した子の本音を当事者同士が共有できるように仕向ける。「60年以上生きてきた私より ほんの5歳や10歳でずっと深く傷ついている子どものその奥底は 施設での仕事を何十年重ねてもはかりしれないものがある」という施設長さんの言葉に涙があふれてきました。それでもこの仕事を続けられるのは この子たちには命があるからだと。結核児童の施設から始まったこの学園では 生きたくても命を落とす子どもたちをみてきたからこそ 命を信じて子どもたちの再生の手伝いをできると。そういう経緯がなければ、できなかっただろうという言葉が重かったです。少人数での合宿のための食糧買い出しのスーパーにて。家族で過ごす経験のない子どもたちにとっては スーパーはあこがれの場所だという説明。「何個だけよ」「今日はダメ!!」ひっくり返ってジタバタするという誰でも経験のあると思われることも この子たちにはなかったのかと・・・幼い頃から施設に預けられた兄弟(16歳・13~4歳?)が 家に戻る練習をかねた里帰り風景。戻った家には 異父妹たちが3人(だったかな?)一番下の子はどうみても1~2歳。これには正直唖然としてしまいました。その後映画の中で 再婚した義父や実母の虐待で兄弟が施設に預けられることになったとの経緯が長男の口から語られます。新しい家族を築くよりさきに 生活をたてなおしたら真っ先に施設に預けた子どもたちを引き取る用意をするべきなのでは・・・という違和感。実子を再婚相手が望んだにしても、虐待で子どもを施設に預けておきながら さらにまた子どもを何人も生むという精神構造にはついていけませんでした。語られませんでしたが この兄弟の心の中に「自分たちは捨てられた」という思いはないのだろうかと・・・次男の作文に「家族が好き」とあったのには 嬉しい気もしました。(その後に 暴力をふるう時の兄は嫌いと続きましたが)兄は兄で「暴力の連鎖は 自分で断ち切りたい」と決意表明。高校を卒業したら自立して この兄弟たちは「家」に戻ることなく生きていくことになるのではないかとも思いましたが。ケロ2が好きなので 大家族特番TVもよく見ます。大家族は子どもを育て上げてるので立派ですが・・・ただ、高校も卒業できるかどうか 大学進学は望むべきもない(よほど本人が自活できればは別として)環境に生まれ出た子どもにとっては それが幸せなことなのかどうかとふと思うことも。大学をでること=幸せの構図ではないことくらい百も承知。その家族の 子育ての価値観だから他人がどうこういうべきものでもありませんが。中学生の弁論大会 施設での雪合戦の様子などを映して 最後にまた「3日に1人の子どもが虐待死しています」というテロップ。最初のとは また異なる重みを突き付けられた気がしました。ケロ1を育てている時 社宅の4階だったので前のお宅の人と顔を合わせなかったら 買い物にも出ていかなければ 1日中子どもと2人きりという環境でした。1歳前に 食事中に椅子から立ち上がってくるケロ1にイライラしたこと 3歳児検診前におむつを取らなければと焦ったこと 今から思うと虐待スレスレのことをしたこともあったと思い当ります。3か月検診だったかで 普段うつぶせにすることなどあまりなかったので 頭をあげていられずすぐに布団につっぷしてしまうのを「他の子はほら 頭をあげていられるでしょ?もっとうつぶせにさせてください」と保健婦さんに言われ それだけのことで自分の育て方を否定されたようにショックだったことなどもついでに思い出しました(苦笑)事前学習をしたにもかかわらず ケロ2の時も同じようにいわれたっけ・・・「幼稚園までおむつしてるわけじゃなし」と3歳児検診で まだ取れてなくてもしょうがないやとケロ2の時は開き直ってたし(ケロ1は 取れてましたね)特殊な上映形態だけに 観る人が限られてしまう映画であることもどうなのか? 特集 こどものまなざし の中の1本。1~14日の上映期間の最終日で観ました。GWの時に ちょっと無理して他の映画もみればよかったとちょっぴり後悔でした。
2010年05月14日
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新版歌祭文(野崎村の段・油屋の段・蔵場の段)歌舞伎で野崎村の段は何回か観ましたが、文楽では初めて。もちろん油屋の段・蔵場の段も。おみつが尼になってまで 添わせようとした(諦めようとした)お染・久松は結局死んでしまうのだということは知ってはいましたが、まさかこんな死にかただったとは・・・の蔵の段でした。住大夫の語る浄瑠璃はいつ聴いても 知らぬ間に感情移入してしまって涙腺が刺激されるのですよね。他の大夫では起こらない現象なのです(先日の教育TVの文楽入門でも 「沼津」のほんの短い語りでも うわっときました)簑助おみつのかわいらしさ。鏡をのぞく浮き立つ気持ちや お染に対するいけずな態度とか思わず笑みを浮かべてしまいます。おみつにだけスポットライトが当たっているか 3Dで迫ってくるような簑助マジックも健在でした。そこにいるのは人形でなく 息づている生身のおみつにしかみえないんですよねぇ・・・ 人形のちょっとした角度からくるものなのでしょうか。最初こそおずおずしているものの 久松会いたさ一途でやってくる紋壽お染。大店のお嬢さんらしく 久松は私のものよ というお光とのさや当てが誇張されててつい笑ってしまうほど。清十郎久松は どっちにも好かれて困ったなぁ というたよりなさ・・・決意して髪をおろして尼になったおみつ。もう余命いくばくもないおみつの母が「やれ祝言」とそれをたよりに生きながらえていたのに目が見えなくなった体で花嫁御料と信じていたおみつが髪をおろしたと知った時の嘆きに こちらも一緒に泣きました 歌舞伎でおみつの母ってでてきましたっけ?どうも記憶が頼りないです駕籠と船に別れて去っていく久松とお染を見送った後 歌舞伎ではぴんと張っていた気持ちが一気にほどけて 「どうしょうぞいなぁ」と父の足元に崩れ折れ、「もっともじゃ」と涙ながらに久作もおみつを・・・とおみつに感情移入してどっと涙があふれ出るところなのですが 文楽ではあっさり 船の船頭と駕籠かきのチャリ場へ。おみつと久作の想いがほとばしる幕切れが好きなので あらあら文楽では情緒がないなぁと思ってしまったのですが、おみつの母の嘆きに加えてここでもとなるとあまりに重くなる心をチャリ場で気分転換させておくんだと江戸時代の工夫の面白さを感じました。やりきれなくなっちゃうもんなぁ。そして みどりとして歌舞伎では幕切れをあの演出にして余韻を残したんだと納得しました。油屋の段では 勘十郎小助の悪だくみをしかけている場面での小面憎さ、それがばれそうになる(結局ばれるのだが)場面でのあわてふためきっぷりにたっぷり笑わせてもらいました。蔵場の段 おなかの子供をおろして他家に嫁げというお勝(お染の母)にびっくり仰天。早く離縁されれば後に久松とそえる・・・? それではとなる話の展開も凄い探し求めていた刀が偽物だったことで死を決意した久松が、お染にいとまごいをしにきて蔵の中にとじこめられてしまいます。一方、同じく死を決意してお染も蔵の前の井戸に。アッと思う間もなく 久松は首をくくって お染は井戸に身を投げてしまいました。本物の刀をさがしあてた勘六が久松の亡骸を抱いて嘆く下手と お染の死を嘆くお勝が上手で幕。 周りの人たちはなんとかしようと奔走して ようやくなんとかなりそうだというほんのちょっと手前で心中してしまうお染と久松・・・ 住大夫さんに「おおあたり」の声がかかったのですが、なぜか私はもやもやしたものを抱え込んでしまいました。もちろん大夫の語りは素晴らしかったのですが。後日 大向こうのサイトの文章で なぜそう感じたのかがわかりました 幸四郎の○千回記念公演の「勧進帳」 客席が最高に湧き上がっている最後の最後、花道の引っ込みでかかった声に雰囲気が一層盛り上がった。立ち見席まで超満員というようなお芝居にもっともふさわしい掛け声で ウワーと湧き上がった拍手の中に聞こえる「大当たり!」は華やかでいいもの。別のサイトではすごく良かったことを伝えたいときに掛けるとしたうえで期待を背負った役者が期待以上のものをみせてくれた「あなたの当たり役になりましたね」という例で 海老蔵初役時の「助六」先代ゆかりの狂言を当代が立派に勤めあげたという例で 勘三郎の「俊寛」があげてありました。当代の俊寛には気持ちの強さがあるので「俊寛」にはぎりぎり掛けられるけれど、芝居の雰囲気を壊してしまうので「籠釣瓶」には掛けられないとも。文楽と歌舞伎では 歌舞伎を観ている回数が断然多いので 聞きなれている歌舞伎の大向こうの基準(?)といったものがいつのまにか自分の中にとりこまれていたんだなぁと感じました。おみつの自己犠牲をかわいそうだ、辛いよねと沈んだ気分でいるから 高揚した気分で聞くことが多い「おおあたり」はなんか自分の中でそぐわなかったんだと。 団子売おめでたづくしの景事。人形も踊るように操ると筋書きにあるように 踊りでしたその分 動きがかくかくしていて いかにも人形を操っているという感じでした。悲劇のあとには 肩の凝らない軽い出しものでよかったんじゃないかと思います。
2010年05月11日
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トークショー付きだったのでふらふらっと(笑)チケットを取ってしまいました。 シルビアダンバース夫人は相変わらず 恐ろしく冷たい炎の美人。レベッカの寝室の場面での地震にも気付かない(本人談)くらい役に入り込んでいます。涼風ダンバースを観る機会がなかったのが過ぎてみると残念次回はお目にかかりたいです・・・評判通り 豪華になっていたお屋敷。でも暗~~い。マキシムの新曲も 従来の曲調と似ているので「どれだっけ?」と考えているうちにすぎていってしまいました(苦笑)おどおどしている少女から「ミセス・ド・ウィンターは私よ」と言えるようになるまで ちひろちゃんはごく自然にみせてくれました。クリエで1回観たきり その後ドイツ版CDで曲を聞いていたので 久々の日本語で聞く歌詞は新鮮かつ 「そうでした、こういう内容でしたね」と再確認ハイライト版のCDは 迷った末に購入見送り。
2010年05月09日
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起きた時はそうでもなかったものの お弁当を作り送り出して、ごみ出ししてほっとしたら睡眠不足に由来する頭痛と吐き気よっぽど止めようかと思いながらも 上映最後の日だったので映画館へ。調子が悪くて ぼーっとしてたのか右折するべき信号を見落としてふと気がついたら左右の景色が見慣れないものに・・・それでも本編開始までには間に合いました。13日の「薔薇とサムライ」に続いてのコスチューム物を堪能しました。陰謀うずまく宮廷で おじの「宮廷を乗っ取ろう」という意図で送り込まれたけれども純粋な愛で結ばれるアルバートとヴィクトリア女王ということで 副題が「世紀の愛」だったんでしょうが 正直それは題に負けていたように思われました原題の「The young Victoria」のままの「若き日のヴィクトリア女王」の方がぴったりくるのではないかしら。眠さに負けてついうとうとっとした場面もあったので見逃した場面もあったのかもしれないけれど(汗)イギリス史をもうちょっと勉強していればもっと楽しめたのかもしれません。が、人の名を覚えるのが面倒だったり 身分制度や各時代の世界情勢とかもろもろの知識も・・・となるとなかなか DVDでも良かったような気もするけれど、貯まったポイントで鑑賞だったのでよしとしましょう
2010年04月15日
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一泊帰省も回数が増えてきました。ゆっくりすれば~と母も家人も言うけれど、そうはいかない事情があるので〓 ゆっくりできるのであればそれにこしたことはないけれど、観たくて取ったチケットの魅力はそれに勝るのでした〓
2010年04月08日
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新幹線車中です。今年になって 自宅にいるのと伊勢にいるのとほぼ半々な気がします! 新しい仏壇に位牌があっても、納骨するのを見ていても、父があの世の住人になった実感がいまいち薄いのに、苦笑しています。
2010年03月18日
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1日の大半を病院で過ごす生活も10日目。腰痛は少しましになりました。 今日はどれだけ食べてくれるかな?「家に帰る!」と言う時だけは元気なはっきりした声の父。その勢いで、「いらん」と言わないで食べてね…
2010年01月10日
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帰省します。ひかりの指定席は旦那に譲り、一人でこだまの自由席乗車中。 三島駅で駅弁買ったら、お箸が入っていない!静岡駅で調達できるかしらん?
2009年12月31日
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「サンデー イン ザ パーク」3月のニューブレイン以来の石丸さん。戸田恵子さんに改めて 上手い役者さんだなぁとの思いを深めました。装置も面白かったし。特に1幕最後で 登場人物がおなじみの絵になって休憩というのが非常に印象的でした。前日に TdV→歌舞伎座夜の部 というスケジュールに続いてだったので この世界を受容するだけの余力が残っていなかったのが悔やまれます。歌い手がそろったことで聴きごたえのある歌でしたが 聞くからに難解なメロディーだということがありありもしCDと楽譜があってそれとにらめっこしても 自分で歌いたいとは思わない曲のオンパレード!なのも とっつきの悪さの一因ではないかとも・・・ミュージカルは 聴きやすく、音楽になじみができて自分でも鼻歌で歌えるくらいになれるのも重要な要素の気もするので その点 これは損をしているといえるでしょう。「ブラック・バード」休憩なしの2時間 2人芝居。息をつめて観る舞台で肩こりに(笑)うっちーがやりたいと思う舞台だな~という感じエンディングは唐突過ぎてあっけにとられましたが、(劇場全体が えっ、これで終わりなの?→終わりだよね→おずおず拍手)どうやっても収束する結末になりそうにない展開だから どんな終わり方でも「唐突」に感じたことでしょう。むりやり将来に望みをつなぐようなエンディングの「春のめざめ」よりは このほったらかしの方が最終的には 観客に諦めがつくような(爆)「テンペスト」リュートピアシリーズ。私にとっては「マクベス」に続く能舞台を使ってのシェイクスピア。エアリアルの分身の4人の衣装が 特に素敵でした。お友達のブログに衣装担当の方からのコメントがありましたが 本体(?)のエアリアルを含め陰陽五行説を意識した衣装とのこと。合唱で作曲家が違う2つの「テンペスト」を歌ったことがありますが「of his bones are coral made」という歌詞が非常に印象的に残っています。今回 エアリアルの台詞は能楽師さんが演じられていることもあって謡がかりで それがとても素敵でした。照明が暗めなのが衣装を堪能するには難点でしたが、テンペストの幻想的な雰囲気には能舞台はとてもマッチしていたと思います。リュートピアシリーズは とても充実している舞台だと思いますので これからも観ていきたいです。「桜姫 歌舞伎版」これでこそ「桜姫」という舞台。単に歌舞伎版の方になじみがあるといえばそうですが、「桜姫はこうでなくっちゃ♪」と満足できた舞台。箱型に乗っかって自分の足で操作(?)する装置も新鮮でした。七之助の桜姫の美しさも 橋之助権助との草庵の場 玉三郎&仁左衛門コンビのなまめかしさには及ばないものの それでも魅せる場になっていたのがあぁ、それでも玉・仁左での「桜姫」やっぱり観たい~~風鈴お姫になってからも 権助と二人で寝っころがっていちゃいちゃしていた場面が頭の中で定番化しているので 装置が違うせいか七之助お姫にももう少しそんな雰囲気を感じたかったなぁ。ビニールシートが配られるベンチシートで観劇できたのも♪♪♪水は後ろの列に飛んで行きました(笑)もちろんしずくは飛んできましたがカテコで 勘三郎さんが「ごめんなさいね」と何度もジェスチャーしてくれたのが 気配りがきいていてこれも人気にプラスする要素だよなぁ~と「エリザベート」初めて宝塚版を舞台で観ることができました東宝版と登場位置が上手下手がことごとく反対というのをこの目で確かめられて誘惑の場面での 「手」の美しさもなるほど、言われるだけのことはあると納得。改めて自分が「エリザベート」大好き!!なのを再確認しました(笑)
2009年09月02日
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放置しっぱなしのブログをどうしたものかと思いつつも・・・まぁ、覚書程度に活用したいものですが、はぁ~。「海神別荘」初見。歌舞伎座で観ているのにそのことを忘れそうになる、別の劇場にいるような感覚で観ました。黒潮騎士たちの動きがバレエ公演を観ているような気にさせた(まともなバレエ公演を観た回数は少ないんですが)のも一因でしょう。海老ちゃんのぽっくりブーツ姿に 武田真治のトートを連想。あれだけの高さがあってもトートダンサーに囲まれると埋没してしまう武田トートと海老ちゃんは違うから、単に玉さんと並んだ時の絵面から あの高さが必要になったのかしらと想像。マントを翻す海老ちゃんをみているうちに 「そういえば 海老ちゃんて歌えるのかなぁ?歌がOKなら 海老ちゃんトートを観てみたいかも」と妄想がムクムク・・・紡がれる台詞のリズムが心地よく 美しい2人を堪能しました。「夏祭浪速鑑」お城の舞踏会のカテコまでしっかり参加していたので 着いた時は団七が床屋に入っていく直前のところでしたすっきりとした団七には ほ~っとため息(記憶にある団七は 勘三郎なので。許して、勘三郎さん)ただ交わされる台詞のイントネーションに「ここはどこの浪速?」と感じることも。正真正銘の(?)上方イントネーションでしゃべっていたかと思えば(習った通りというか、意識しなくてもすりこまれれるほど定番の台詞にはこれで身についているのかと思う) しばらくすると??のイントネーションと同じ人物がしゃべる言葉じゃないだろうというのが ひんぱんに交じるので混乱するというのでしょうか。特にそれが感じられたのが 数字のイントネーションでした。「?」と感じた同じ数字を 続く竹本で聞くと「あ、そうそう。これよね」と納得できたのに すぐつづく役者さんんの台詞で「?」←記憶が定かではありませんが 多分お金のことをいってた台詞。名古屋の近鉄窓口で渡されるおつりの言い方で「あぁ、帰ってきたなぁ」と感じることがたびたびあるので 数字のイントネーションというのは自然に身に付いているものがでてきてしまうものなのかとも思います。団七と徳兵衛の立ち回りは それこそカウントしてるのが聞こえそうなくらい(笑)歌舞伎の殺陣は決まった順番で型どおりというものだと十分承知して観ているのに それでもぎこちなさが目立つのは ご愛敬(?)義平次の殺しの場面でも 海老ちゃんの身体能力の良さがかえって災いして体操してるかのように飛び跳ねてみえたのが残念再演を重ねて じっくりとした殺しの場面が観られるようになることを楽しみにしたいと思いました。「天主物語」T・Tコンビで初めて観た時から28年の時を経ても 相変わらず美しい玉さまには驚嘆するしかありません。特に出の 蓑を着た姿歌舞伎で観ると「う~ん」と思うことの多い獅童も朱の盤坊はとても似合っていたと思いました。(誉めてる?けなしてる?)勘太郎の亀姫も 少しごつい(笑)ものの可愛らしくて楽しめました。これからの再演は玉さんの富姫 海老ちゃんの図書之助コンビで定着していくんでしょうね。「桜姫 現代版」(6月に観たものを勘違いでいれたけれど 歌舞伎版との対として)1回観た時点では「これって 面白いの?」だったのが 2回観てようやく「これはこれでありかも」になった舞台。ただ再演されたとして観たいか?と考えると 微妙(爆)高い料金を取るのだから 観客に1回で満足させられないのは舞台の出来としてはどうなのかなぁとも思いました(偉そうで すみません)2回観たのも 1回観た時点ではもう1度観ようという気にならなかったので譲渡しようとしたけれど、同じように思ってる人が多数で(笑)ようやく交換することで取引成立ということがあったからなのでした。キリスト教の原罪 という感覚にどうにもなじめないせいもあるのかな?「歌舞伎版 桜姫」のパンフレットに 現代版を新聞批評でこきおろされた恨みつらみの反論(?)が掲載されてたのも 余計に印象が悪くなりました(爆)
2009年09月01日
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前回の帝劇公演が 頑張りは認めるけれどコメディって難しいんだなぁという感じだったので 今回はチケット参戦せずに少し様子見をしてました。半額チケットが出ていたので 「やはり1回は観ておかなくちゃね」と。地下から階段を上っていくと ハーモニカが聞こえてきて・・・ロビー演奏を途中から見物。しばらくして「ランベス・ウォークは劇場内で♪」ということで2階の自席へ移動。上演前に こういった催しがあるのは「夢醒め」などもそうですが、楽しい♪これから観るぞ~って気分も ミーマイは 昔の古き良きミュージカルに分類されるかとは思いますが 文句なしのハッピーエンドで ニコニコほんわか気分で劇場を後にできるのでお気に入りの演目です。今回も やっぱりミーマイは楽しいなぁと足取り軽く・・・ではありましたが 井上くんにはビルはやっぱり「ニンに合わない役」なんじゃないかという気がしました。3年前(なんですねぇ!)より、いろいろスムーズにこなすようになったと思うし、街灯によりかかる姿はバッチリだし、歌声は相変わらずステキだし 図書室(?)で「プシュ~」としぼんでいく姿の可愛らしさには笑ったし・・・それでももともと王子様で貴族姿が似合う井上くんだけに いかにも下町の兄ちゃんが飛び出してきた剣幸ビリーとは違うんだよなぁと登場シーンで刷り込み現象+過去の美化も手伝ってるとはいえ、貴族が集う館に突然兄ちゃんが乱入というインパクトが最重要な場面だけに ここで気分がとなると・・・徐々に修復していくんですけどね。かといって 今誰がビリーを演じるのが一番か考えると???と名前をあげられないのですが。登場シーンが私の中でクリアできれば もっともっとハイテンションな感想になると思います。「ランベスウォーク」1階はノリノリ、2階はシーン 周りで誰も拍子をとっていないと手拍子していいものやらどうやら・・・と小心者の私は あれだけ練習したんだし(笑)やってもいいんだよねぇ、だって下は盛り上がってるし・・・と周りをキョロキョロしているうちに2階にも少しずつ手拍子が始まり 曲の最後にはなんとか(?)会場全体という感じになりましたが。事前に練習したからってそうそう塩田さんの思い通り(爆)になる場合ばかりではない、自然発生してこそ価値があるというのではありませんが、心から楽しんでる結果劇場全体の一体感が生まれるものだよなぁ・・・なんてつい思ってしまいました
2009年06月06日
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夜の部のチケットは確保ずみだったので 昼の部の油地獄を幕見で観なくちゃと。 1時過ぎに列に並ぶ時「お立ち見かもしれません」といわれましたが、席にも座れました3階席には高校生の団体。私が仁左衛門さんにメロメロになったのが、大学1年時の鑑賞教室の「女殺油地獄」だったので 一世一代のこの舞台で同じように魅せられる子がいればいいなぁと思いました。(学校行事でみせてもらえてうらやましい←田舎の高校出身なので学校単位での古典芸術鑑賞には縁がなかったのと この貴重な舞台を観られることの価値を今でないにしろ気付いてほしいという願望etc)仁左衛門丈自身が「若い人が演じる方がいい」とおっしゃってる与兵衛・・・なんですが、20代の若者にしかみえない仁左衛門与兵衛に 今更ながら魅了されっぱなしいきがっているけれど 根は小心者。ひいきの小菊を他の客に取られて、喧嘩をふっかけるものの、投げた泥が武士にあたってしまったものだからさあ大変!!武士の警護についていた叔父に「帰途に成敗」といわれ、 すっかり意気消沈、びくびく逃げていく野崎詣りの場。妹のおかちに仮病させ、店の跡継は自分となんとしても言質をとろうと画策するも、継父がのってこないと暴力。あまりのことにおかちが仮病をばらすと、あわてふためき、あげくに開き直り。継父の心のこもった説教も 馬耳東風と聞き流し、そろばんで遊び事してる まぁわがままなボンボンぶり。そのどうしようもないさまが いかにも何も考えてない若者で苦笑を誘います。 甘やかされ放題で育ってしまった本当にしょうもない若の可愛さ・仕方ない奴やなぁと この前半二場で 十分に納得させられるからこそ その後の展開も効いてくるんですよね。実の母にも暴力をふるい 勘当を言い渡され 虚勢を張って出ていくもののあてもなし・・・期日のせまった借金に 同じ油屋稼業で顔見知りのお吉に頼み込んで工面しようとする与兵衛。そこへ、継父と母がそれぞれに自分に金を渡してやってくれとお吉に頼んでいるのを隠れてつぶさにみていた与兵衛。親の情を感謝しつつも、置いていった金が借銭には足りないから「不儀になって貸して下され」とお吉にいいつのり、断られるともう殺してお金を奪うしかないと考えて実行にうつしてしまう・・・先を見通して考えることを全くできずに その場その場の思いつきで行動する与兵衛の表情の変化がたまりません親の情に感謝しているのも本当ならば、借金で親に迷惑をかけたくない気持ちも本当なんだけれども 迷惑をかけないために→金を奪うしかない→殺すしかないという短絡思考も与兵衛。お吉のとけた帯を手繰り寄せながらのイッちゃった目つきと口に浮かぶ微笑が・・・怖いんだけれど、もう目がはなせないのです・・・油まみれのすってんころりん 場内から笑いもおきてましたが 私は笑えなかったです。殺されたくないお吉と お金を手にするためには殺すしかないと思いこんじゃってる与兵衛、双方の心情を考えると緊迫した気分で 確かに目の前ではぶざまに滑っているけれど せっぱつまってて笑う余裕がないのでした絶命させた後、はっと自分のしてしまったことの重大さに愕然とする与兵衛。震えながらも どうにか脇差を手からもぎりとって お金を奪うと 犬の遠吠えにおびえながら逃げていく・・・花道の与兵衛は 半分以上は想像するしかないんですが それでも十分に堪能して、どっと疲れもする一幕でした。「日本一!!」という大向こうを聞きながら まだまだ観せてほしい与兵衛でありました歌六さんの継父の「だんなを追い出したような・・・」と与兵衛の後姿を見送るセリフにもグッときました。ここのところ老け役専門で、たまに実年齢に近い役だと「珍しい!」と思ってしまう(笑)歌六さんですが、この演技あってこその「油地獄」でもあったと思います。映像での印象からは適役にも思える獅童くんが 三越劇場でこの役に挑戦した時は前半のかわいげも薄ければ、後半の殺し場もドタバタしているだけで キレイじゃなくて見苦しいだけ(ゴメンヨ獅童クン)だったのを思うにつけ 「歌舞伎」として観客に見せることの難しさなんていうことも考えました。 でも、鑑賞教室で観た時の孝夫さんも 今の獅童クンくらいの年だったんだけど・・・ボソッ
2009年06月05日
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毎度のことながら記憶のかなたから引っ張り出して 自分の記録のために。新幹線に乗り遅れてしまったので「三番叟」は泣く泣くあきらめたのですが・・・後日 自販機でも回数券が買えることが発覚 知らないってこういうことなのよね一番のお目当てだった「口上」に間に合ったのでよしとしよう。三階のてっぺんからでは 見下ろすだけですがそれでも「生にらみ」を観ることができて満足でした私も含め 周り一帯双眼鏡を握りしめてましたねぇ~。義経千本桜 木の実・小金吾討死・すし屋最初に千本桜を通しで観たのが 猿之助奮闘公演(とは銘うってなかったんだろうけれど)でした。その時の小金吾は筋書きの上演記録によると米吉だった今の歌六さんですね^^ 先日の浅草歌舞伎の亀治郎のプロフィール欄で その時の安徳天皇として初お目見えとあったので、過ぎ去った年月に思いをいたしました、はい。段治郎の小金吾は 前髪があるにしてはトウがたってましたが(ごめんなさい)長身なだけに殺陣に迫力がありました。トウがたってると思いながら観てたのに 「御台さまは何処?小金吾はここにおりまするぅ」という息も絶え絶えの台詞には 少年を感じてました。海老蔵の権太。登場場面は本当に いろいろなブログの感想どおり(笑)チンピラの兄ちゃんで。子役とのお芝居も「父親」というより「いっしょになって子どもの相手をしてやってるお兄ちゃん」なのは本人が独身だと知ってる故かしらん。あっ、でも父親は父親だわねぇ(爆)子どもを見る優しいまなざしに 権太の本性も垣間見せてました。
2009年01月27日
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切符売り場の窓口係員がミスを繰り返してモタモタしていたせいで、乗るはずだったひかりは、目の前で無情にも発車していきました。 これで三番叟は諦めなければならなくなりました(号泣)
2009年01月27日
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レディースデイを利用して(だんなと行く場合を除くと、最近これが多い)見てきました。いつもの映画館ではなく 道がややこしくてあまり行かないショッピングセンター併設(?)の映画館へ。どちらもシネコンという形態なのですが、今日行った映画館の方がかかる映画も多いような気がします。(闇のこどもたちも こちらでは上映してましたが←時間が遅かったので見に行けませんでした・泣 いつもの駅に近い方では上映しないまま)道がもうちょっとわかりやすければ通うんだけどなぁ(単に慣れの問題もありますが)清水町・長泉町の道はせまくて、どこ走ってるんだかあてずっぽうでいかなきゃならないので苦手ですさて、本題。「ミラーズ」の予告編だけみて「怖そうだなぁ」とちらっと興味をもち、今週末までの上映だったのでこれにしたわけですが・・・予告編はいつもの映画館でみたので、いつかは上映予定なのかもしれませんが。始まってそうそうにスプラッターでR15なのも納得。スプラッターは恐怖よりも気持ち悪いという感覚なのですが、外国の映画はこれで怖がらせる演出が多いんだよな~とつい余計なことを考えつつ・・・音でもびっくりさせられたし(ウーマン・イン・ブラックと同じ手法)結末は想像できないものでした別の世界に閉じ込められたってこと?これから後の主人公は?家族は待ち続けるの?と続きを考えるには面白いかも。キーパーソンであった「アンナ」は結局どうなったのかも謎のまま・・・「火で滅ぶ」悪魔ともろともということだったんでしょうが。「鏡」は夜みるもんじゃないっていわれているしなぁ。「鏡台」には覆いの布がつきものですからね。この映画からすると 西洋でも同じように考えられてるのかなとも思うのですが 鏡に覆いをかけるのは発想的になさそうですよね。韓国の映画のリメイクとのことなので(帰宅後に知る・笑)そこらへんもどうなんでしょう?最初にキャスト・監督などを紹介する映像が めまいをひきおこしそうでした。でも何よりも怖かったのが たった1人の観客だったこと(爆)ホラーは1人でみるものでは・・・ありません・・・
2009年01月21日
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