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2021.07.25
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カテゴリ: 観照 & 探訪
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西洞院通蛸薬師の交差点から西洞院通を下がれば錦小路通の先が「 蟷螂山町 」です。
ホームページに、住所は中京区 西洞院通四条上る蟷螂山町 と表記されています。
蟷螂山 」の「蟷螂」とは カマキリ のこと。

山に御所車が載せられていてその御所車の屋根に大きな蟷螂が乗っています。


南北朝時代、この辺りに 公卿四條隆資 が住んでいたといいます。 ​四條隆資​ は足利義詮軍と戦い破れます。その戦いぶりが「 蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す 」という中国の故事のごとくであったと喩えられました。 彼の戦いぶりが「蟷螂の斧」だった という喩えです。
同じ町内に住んでいた渡来人の「 陳外郎大年宗奇が卿の死後25年目の永和二年(1376)、四条家の御所車にその蟷螂を乗せて巡行した (資料1) のがこの山の始まりと言います。
山名はこの蟷螂の喩えに由来します。 (資料1,2)

「隆車」は高くて大きな車、「隧」 (すい) は「みち」です。カマキリが大きな車の通り道で前足を高く上げ車の前進を防ごうと立ち向かうという文意です。つまり、 「蟷螂の斧」は「非力な者が、身のほどもかえりみずに強敵に立ち向かい、無謀な抵抗を試みることのたとえ」 (資料3) 『韓詩外伝』 を出典とするそうです。 (資料3)

手許の本で少し調べますと、 『荘子』の「外編 天地」 には、「 ​​蟷螂の臂 (ひじ) を怒らして以て車軼 (しゃてつ) に当たるがごとし​​ 」(カマキリがそのかまを振り上げて、大八車に立ち向かうようなものだ。とても敵しうるものではない)という成句が載っています。
荘子は戦国時代(東周末期)の人物。一方『韓詩外伝』は前漢時代の書だそうですので、「蟷螂の斧」は荘子の「蟷螂の臂」を踏まえた上での成句かもしれません。 (資料4,5)



陳外郎大年宗奇は非力を承知の上で、敢えて戦いに臨んだ四條隆資の心意気を称えたかったのでしょうね。「一寸の虫にも五分の魂」という側面に通じるところをとらえたかったのかなと思っています。


蟷螂山の特徴 は、このカマキリの前足、後足、翅を動かせる「 からくり 」が仕組まれていることです。御所車の車輪も回転するようになっています。巡行中にはそれらを断続的に動かすパフォーナンスが演じられます。それを見た観客からはやはりどよめき声があがります。山鉾の中で蟷螂山は唯一からくりが施されているものです。
翅や足が動くのは何度みてもおもしろい。初観客のどよめき声をおもしろく感じているのかもしれません。

「蟷螂の斧」が非力といえども、これだけ大きいカマキリを正面から見上げると、それなりの迫力がありますね。
 山の正面には 左右に金幣 が備えてあります。

御所車 は「屋形のある車。昔、貴人が乗った、牛車の俗称」 (『日本語大辞典』講談社) です。
牛車にはいろいろな種類がありました。この御所車は屋根は唐破風型ですから「 唐車 ​(からのくるま)​ 」をモデルにしているようです。
唐車 は、上皇・皇后・東宮・親王・摂関などの乗用する牛車で、最も格が高く大きな牛車だったと言います。 (資料6)
 御所車の 屋根の前後には鯱 を据えてあります。
城の天守閣の屋根や寺院の屋根に据えられた鯱と同じ向きです。それを思うと、最初にご紹介した長刀鉾の屋根の鯱が特異な向きだと感じます。

なお、​ 狩野山楽筆「車争図屏風」 ​(重文)を見ても、唐車の屋根に鯱を載せているのはなさそうです。 (資料7)

この鯱は、祇園祭の行事・巡行する山として煌びやかさを加え、一方で魔除けを兼ねた御所車に対するデフォルメなのかなと私は受けとめています。

このまとめをしている時に、ふと「国宝上杉本洛中洛外図屏風」のことを連想しました。

これはウィキペディアから引用した 上杉本洛中洛外図屏風右隻 です。 (資料8)
この右隻の第二扇から第三扇にかけて、 狩野永徳は祇園祭の巡行風景を描き込んでいます

第二扇 の上端から5分の2程の左端に 長刀鉾 が描かれています。
それに続き、 第三扇 の右端に 蟷螂山 が続いているのです。

蟷螂山にフォーカスしますと、このように描かれています。
こちらの2枚は、かつて京博で展覧会後に購入した本からの部分図引用です。 (資料9)

いくつかのことがわかります。
1.狩野永徳がこの洛中洛外図を描いた時代に蟷螂山が巡行していたこと。
 この屏風は天下統一を狙う織田信長が、1574(天正2)年に上杉謙信に贈ったと言われています。
2.この絵には、現在と同様に、山本体の上に御所車が載せられ、その屋根に大きなカマキリが乗っていること。上記の蟷螂山の始まりの通りです。
 この絵からはカマキリが乗っているだけなのか、当時からからくりがあったのかどうかは判断しづらいところ。少なくとも綱のようなものは描き込んでは居ません。
4.御所車は網代車のスタイルで描き込まれていること。四條隆資は生前、従一位大納言で、左大臣を追贈されたそうです。唐車に乗る人の当時の格を考慮すると、生前は網代車を使用していたとみるのが整合するような気がします。贈左大臣を重視すれば唐車なのかも・・・・・。唐車の方が恰好いいとは感じます。
5.天正時代に蟷螂山は町衆が担棒を肩に担いで巡行していたこと。
 現在はどの山も車輪を付けて巡行し、巡行路の辻で一時的に担ぐというパフォーマンスに変化しています。これはまあ時代の変化なのでしょう。


御所車の右側面両端に 昇り龍 の装飾彫刻が施されています。

御所車の車輪を眺めましょう。

         こちらは既にご紹介した 月鉾の車輪 です。対比参照の参考になります。
ネットで御所車の車輪を調べてみると、蟷螂山の車輪は 葵祭で使われる御所車の車輪に近い 感じで車輪が表現されているように思います。

懸装品を細見していきましょう。

欄縁は唐草文様の透かし彫り錺金具 で装飾され、 三つ巴紋 のレリーフが取り付けてあります。また、欄縁の下面には房飾りの金具が取り付けてあります。


山の4箇所の角には、 角房飾り金具 がつけてあり、房を掛ける箇所に カマキリの彫刻像 が取り付けてあります。
今まで何度も蟷螂山を眺めていますが、2017年の宵々山めぐりで訪れた時には、角房飾り金具のこの箇所にカマキリはいませんでした。初めて気づいた次第です。

水引きには、橘の木に止まるカマキリが描かれています。 羽田登喜男作「吉祥橘蟷螂図」 (1999/平成11年)です。 (資料11)


前懸の「瑞祥鶴浴之図」 (1981年/昭和56年)です。
鶴が水浴びをしています。実っているのは桃で、桜が咲いているようです。左上は栗(?)でしょうか、不詳です。鶴の羽根の彩色が瑞祥の一端をを象徴しているようです。
山全体に覆屋が設けてあることもあり、前懸の全体図を正面から撮ることはできませんでした。上辺部が欠けていますが、2枚の写真を合成してみました。



 右側の胴懸、「瑞苑群遊鴛鴦図」 (1983年/昭和58年)です。



左側の胴懸の「瑞苑孔雀之図」 (1984年/昭和59年)です。

 山の下部を見ると、
四方に 裾幕 が張られています。縄がらみの技術部分は残念ながら見えませんでした。


     残るは山の後部、 見送 です。

カマキリの下に吊された角房は三段に結び目が作られています。
上下は総角結びでしょう。中央は私には不詳です。この結び方は白楽天山でも使われていたと思います。

見送は残念ながら斜めからしか見ることができません。大凡は見えますが、やはり正面から見ないと図柄の全体像がわかりづらい。これは 「瑞苑飛翔三図」 (1990年/平成2年)です。

これらの前懸、胴懸、見送は共に人間国宝の羽田登喜男作の友禅です (資料1,10)

蟷螂山もまた、巡行に加わって以降、再三戦火に遭いその都度復興を繰り返すという歴史をたどっています。そして、 幕末の元治の大火(1864)でその大部分を焼失 してしまい休み山という事態に立ち至りました。そして、 1981(昭和56)年、117年ぶりに蟷螂山が再興された のです。 (資料1,2)

この辺で蟷螂山のご紹介を終わります。

それぞれの山鉾の過去の歴史という側面に一歩深く入って行くと、懸装品の歴史、変遷も含めて、「伝統」の継承と発展という観点で、「伝統」が培う力強さを感じます。そして、そこに時代に合わせて新たなものを付け加えていく「伝統」の奥深さとダイナミズムを感じます。

あと少し山鉾探しのウォーキングをして、四条通に戻りたいと思っています。

つづく

参照資料
1) ​ 祇園祭 祇園祭山鉾連合会 ​ ホームページ
2) ​ 蟷螂山 祇園祭 蟷螂保存會 ​ ホームページ
3) 『新編 読み・書き・話すための 故事ことわざ辞典』 監修・郡司利男 Gakken
4) 『中国古典名言事典』  諸橋轍次著  講談社学術文庫  p360
5) ​ 韓詩外伝 ​  :ウィキペディア
6) 『源氏物語図典』 秋山・小町谷 編 須貝 作図 小学館 p70-74
7) ​ 重要文化財 「車争図屏風」 ​ :「e國寶」
8) ​ 洛中洛外図 ​  :ウィキペディア
9) 『国宝上杉本洛中洛外図屏風』 米沢市上杉博物館 2007年改定再版
10) ​ 四条隆資 ​ :ウィキペディア
11) ​ 祇園祭-蟷螂山の名宝- ​   :「京都文化博物館」

補遺
牛車 ​   :「コトバンク」
  牛車の構造名称を示すイラスト図が載っています。
木造車輪とは ​  :「株式会社 竹田工務店」
葵祭 御所車
葵祭 御所車
羽田登喜男 ​  :「東京文化財研究所」
羽田登喜男 ​  :「羽田工房」
蟷螂山で愛らしいかまきりと人間国宝・羽田登喜男氏の見送りを堪能 ​:「京都癒しの旅」

ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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Last updated  2021.07.28 09:21:26コメント(0) | コメントを書く


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