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法皇か、上皇か------------!?
でも、結果はまさかの伏兵。
逆転ホームランを放った雅仁親王の勝利!!
今週は感想あげる時間が遅くなりましたので、時間もない為、こちらからTBの送信はいたしませんのでご了承くださいませ。
あらすじは、公式サイトから引用させていただきます。
1154年、近衛天皇(北村匠海)の容体がいよいよ深刻になってきた。
母・美福門院得子(松雪泰子)は、一心不乱に祈とうする日々。
父・鳥羽院(三上博史)は、崇徳院(井浦新)を遠ざけてきたことの報いではないかと、わが行いを省みる。
院ってば、今更な印象なんですが(^^;)
また、鳥羽院の側近で、平氏とも親しかった藤原家成(佐藤二朗)が病床に臥(ふ)した。
見舞いにきた清盛(松山ケンイチ)に、家成は実子・成親(吉沢悠)や養子・師光(加藤虎ノ介)を自分と思い相談するようにと告げ、鳥羽院のことを託した。
そして後日、家成は世を去った。
ある日、清盛は崇徳院に招かれる。
崇徳院は近衛天皇が死去した後、わが子・重仁(雄大)が天皇となり、自分が実権を持つ日も近いと考え、清盛に力を貸すよう説く。
しかし清盛は、平氏は家成の命もあり、鳥羽院とつながりが深いので、崇徳院にくみすることはできないと断る。
崇徳院は 「朕(ちん)にこの醜き世をおもしろう生きよと言うたのは、そちではないか
」と激高。
13年の年月を耐えた崇徳院。
「そちが朕の力にならずして、なんとする!!」
その情熱に、清盛は心動かされる。
その直後、清盛は雅仁親王(松田翔太)を見かける。
雅仁は、一介の武士に頼る崇徳院を落ちぶれたと非難するが、清盛は崇徳院ではなく武士の立場が変わったのだと言い返す。
その夜、平氏一門は集まり、崇徳院につくか、鳥羽院につくかを議論するが、収拾がつかない。
で、毎回トラブルメイカーの時忠は、ここでも一言「どっちにもいい顔すればいい」だって(><)
頼盛はさすがだと皮肉を込めて褒めるけど、確かにこれは難しい選択になる。
すると清盛は、鳥羽院と崇徳院の仲を取り戻させると一同に宣言したのだ!!
世の乱れを正しくするため、ふたりの溝を兵士が埋めると。
そのころ、鎮西(九州)にある鳥羽院の所領を、弓矢が達者な巨漢が襲った。
源為義(小日向文世)の八男・為朝(橋本さとし)である。
素行が悪く鎮西に追放されていた為朝だが、この一件で鳥羽院の怒りを買ったため、為義は右衛門尉(うえもんのじょう)の職をとかれてしまう。
為義が頼れるのは藤原摂関家となった。
ある日、為義は比叡山の悪僧たちを頼長(山本耕史)の前に連行した。
僧の一人、鬼若(のちの弁慶:青木崇高)は以前頼長を助けた自分を見逃せと訴えるが、頼長は一切受けつけなかった。
綱紀粛正に厳しすぎる左大臣として「悪左府(あくさふ)」という異名までついた頼長を父・忠実(國村隼)はいさめるが、父といえども口出しすれば容赦しないと頼長は宣言した。
結局頼長の一人勝ち状態になってきた藤原家。
そして、近衛帝の容体が悪い中、関白・忠通(堀部圭亮)は信西(阿部サダヲ)に相談する。
子のないまま近衛帝が亡くなったら重仁・崇徳院の親子が権力を持つ可能性が高く、崇徳院と関係が悪い自分は失脚する恐れがあると。
信西は忠通の不安に答えず屋敷に帰ると、雅仁が訪れていた。
信西は雅仁の乳父であった。
意気盛んな崇徳院の近くにいるのが嫌なため、信西の妻・朝子(浅香唯)をともない美濃の青墓宿(あおはかのしゅく)へ行くという。
この時勢に京を離れることを止める信西だが、雅仁は関係ないと言い捨て、旅立つ。
「私には関わりのないこと」
雅仁だけがこの世継ぎ争いから離れた場所にいたわけで・・・。
1155年、近衛帝の容体はますます悪化し、目も見えなくなってしまったよう。
得子はますます多くの僧を集めて祈とうさせ、義朝(玉木宏)は大きな護摩壇を寄進した。
清盛は鳥羽院に謁見し崇徳院との和解を勧める。
今更都合がよすぎはしないかと思う反面、鳥羽法皇自信がそれを望んでいるのではないかと言い当てる清盛。
鳥羽院の心は大きく動く。
その頃、芸事の盛んな場所である青墓宿を訪れた雅仁は、民たちの中に紛れる。
その時、聞こえてきた歌声。
そこで出会った白拍子・乙前(かつての祇園女御(ぎおんのにょうご)/松田聖子)の今様に、強く心を揺さぶられる。
このシーンは印象的だったねぇ。
聖子さんのまさかの再登場には驚きましたが、いい繋がりと、心情吐露になったのではないかと。
「今一度歌ってくれ」
と頼む雅仁。
雅仁は乙前に「遊びをせんとや生まれけむ」という今様の歌のように、生き生きと生きる男(清盛)を誰もが頼りにするが、自分は誰からも相手にされない、とさびしい真情をさらした。
自分の存在を誰もがいないものとする。
結局清盛がそれだけ力を持ってきたって話なんだけど・・・申し訳ないけど、棟梁になってまだ2回目の今回。
ちょっと話が急すぎて、あまりそういう力を持った・・・的な印象がないんですが(^^;)
やっぱ、まだ忠盛が作った平氏・・・という印象なんだよなぁ。
団結力は前回出たかもしれないけど。
嘆く雅仁親王に、乙前は雅仁の中にみなぎる力がやがて世を動かすといい、雅仁の心を癒やす。
祈りむなしく、近衛天皇はついに17歳の若さで世を去った。
平氏一門が動揺する中、清盛はこのことは鳥羽院と崇徳院の争いのはじまりではなく、和解のきっかけになると告げる。
だが、この数日前、妻を亡くし喪に服していた頼長は次の皇位継承者を決定する会議に出席できなかった。
これが彼の人生最大の失敗だったってことね。
まさに時の運って奴か。
会議には鳥羽院や信西、忠通などが集まり議論を重ねた。
重仁が無難な所。
だが、崇徳院の仕返しを恐れるあまり今一歩踏み切れない皆。
弔問に訪れた清盛は内裏の一角で雅仁に会う。
雅仁は帝の崩御について、生まれることがすでに博打(ばくち)だが、生まれてこなければ勝負にならない、と告げ今様を歌いだす。
「それでは面白うない!!」
その今様は清盛がまだ物心つく前に実母が歌っていたものであり、清盛は不思議な懐かしさを感じる。
会議では鳥羽院が崇徳院の子・重仁を推し、崇徳を再び即位させてもよいと言い、和解し共に政治を行いたいと述べる。
「詫びたい」そう後悔を吐露する鳥羽院。
共に政を行いたいと!!
だが、信西は甘いと猛反対。
崇徳上皇が復権すれば鳥羽院を許すはずはなく、大乱になる。
あくまで鳥羽院が扱いやすい方を帝にすべきと主張する。
得子もまた亡き帝が望むは争いごとがない世だと告げ、鳥羽院は決断する。
そして継承者の行方は予想外の結末を迎える。
なんと、 雅仁が即位し、後白河天皇が誕生したのだった-------------。
まさかの人事。
これは崇徳上皇にはたまらん人事だよなぁ。
また政に復帰する気満々だったのは自分の方だったわけだし。
それを差し置いて弟がってことなんだもん。
でも、継承権から言えば、確かに雅仁でもありって話だもんね。
間違いじゃない。
でも、結果これでまた大変な争いが起こるわけですが・・・。
権力って怖~い(><)
で、またもなんか少し蚊帳の外的な印象だった今回の清盛くん。
関わるだけでなく、絡んでこなきゃ、なんだよなぁ。
後一歩。
これぞ棟梁って姿を見せてもらいたいところ。
そういうのがまだ少ないから、武士が力を持ったとか言われても、イマイチ説得力がないんだよ。
次回はまたドロドロなのかしら・・・。
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